2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全18件 (18件中 1-18件目)
1
「複雑系」 いつだっただろう、この言葉を目にしたのは・・・大分昔だったような。今更ながら、日本に行ったときに見つけた「複雑系」の本を読んでいる。と言っても専門書ではなくて一般向けの、「複雑系」の学問としての発祥を物語風に書いてある本だ。それなのに、とにかく著者が博識だからだろうけれど、結構内容が濃い。というよりも、なかなか頭が付いていかない(泣)典型的な遅読なので、もうそろそろ一ヶ月になろうとしているのに、まだ三分の二ぐらいのところを読んでいる・・・。毎日数十ページぐらいずつ、少しずつ・・それも、もう20年前の話を、である。いったい、この学問の最先端は今日どうなってしまっているんだろう、と考えてしまった。数学とコンピューターシミュレーションに支えられたこの「複雑系」、コンピュータの飛躍的な進歩で、この20年、相当な進展を見せているに違いない。しかし、その端緒において活発に議論されていた「経済学」への複雑系の適用についてはそれほどうまく発展していないに違いない。なぜなら、生物の発生・進化と同様に「複雑系」のシステムの代表である「社会」そしてその中では伝統的に数学的な解析が進んでいた「経済」システムであったにしろ、今でも経済の市場予測というものの精度がそれほど上がっているとは思えないからだ。考えてみると、人間の活動に影響を及ぼす諸要素を全て包含して、そのシステムの自己組織化とか創発性というのを厳密に定義することすら、気が遠くなるほどの難しさだろう。なんとなれば、もし経済を正確に予測できるシステムが開発されたら、それを人間は知っているわけだから、その予測を出し抜こうとする人間は確実に居る。となると、「完全に予測できた未来」は、この「予測を裏切ろうとする人間」の行動によって、確実に現実にはならないから、「完全に予測できた未来」の予測は当たらない予測とならざるを得ない。これはパラドクスだ。それをも計算要素に含んだシステム、というのはいたちごっこで、実現しようがないのではないか、と思ってしまう。この「複雑系」、人間の恣意性を限定できる分野でしか生かされないのでは、と、この本を読んで漠然と考えてしまったのだが、今はいったいどうなっているのだろうか?しかし、この本、幾多の天才が、いろいろな分野で研究していたものが、「複雑系」というコンセプトの元にぞくぞくと集結してきて、一気に学問としての産声を上げる様は本当に圧巻だ。人間の、知性の可能性は無限ではないか、と思わされるほどに・・・・・。
2011.04.29
コメント(0)
こちらでは日本語のTVは一チャンネルしかなく、それも月30ドルも払わないと見れないので、当然契約していない(笑)なのでだいたいはYouTubeでお茶を濁しているのだが、時々はビデオ屋さんで日本の番組の録画ビデオを借りてきたり、友人から借りてきてみる事もある。たまにしか見ないので、どれを見てもなかなか面白い。いや、面白くない、という言うほど見慣れていないのかもしれないが、多少気に食わないところがあったとしても、いい所だけ見ればそれなりに面白い^^;昨日もそんなドラマを見ていてふと思った。現代の人間はなんと恵まれているのだろう、と。人間、一生が50年であろうと80年、100年であろうと、一回は一回(ここでは「輪廻転生は考えない事にします。笑)。その長いような短いような時間の中で体験できることはごく限られている。昔は、自分の人生以外には、模擬的にでも他人の人生を経験することは出来なかった。せいぜい話を聞くぐらいだったろう。しかし印刷が発明され、本が出てきて、人間は、その本を読む事によって、小説であろうとノンフィクションであろうと、そこに出てくる登場人物に感情移入して、ある程度自分とは違った人間の生き方を模擬体験することができるようになった。ただ、日本でも小説などが広く読まれるようになったのは大分近代になってからだから、その意味でも、これだけどんな本でも手に入る現代に生きている私たちは、本当に恵まれている。そして、映像、ビデオの登場だ。本のよいところは自分のペースで、自分の想像力で、文字と文字の間、行と行の間をうめながらその世界に入れる、ということでしょうか。一方、映画やビデオなどの映像は、本と比べると圧倒的な情報量を持っている。それだけ、臨場感というか、物語に感情移入しやすいという面もあるかもしれませんが、逆に自分の想像力を駆使する部分が少なくなる、ということも言える。まあ、いずれにしてもこういった本とか映像の媒体を通して、私たちは自分以外の人生と、その登場人物の経験、喜怒哀楽といったものを疑似体験できるわけだ。その感情移入が深ければ深いほど、実際に自分が経験したのに近い感動や感情を味わう事ができるわけだから、実際の人生はひとつなのにも関わらず、その実際の人生ではけっして味わえない様々な体験、感情を味わう事ができる。これが素晴らしいことでなくて、なんであろう。将来的には、SFチックになってしまうが、より密接に脳に直接リンクするような媒体が発明されるかもしれない。もしかしたら、痛さ、寒さ、匂い、味、といった人間の五感さえ再生できるようになるかもしれない。そうなったら、ゲームのRPGではないが、本当に自分がその中の登場人物になりきったような感覚も味わえるかもしれない。 そうなったら、一つの人生ではあっても、その中でいくつもの人生を体験できる、という素晴らしいことになるのだろうか。それとも、それが現実逃避の逃げ場になって、人間が現実をおろそかにするような影響をもたらすのだろうか。すでにゲームやインターネットの世界でさえ、この現実逃避のマイナス面が少なからず現れていることを思うと、あまりにも刺激が強すぎる媒体も良し悪しかもしれないな、と思ったりもする。
2011.04.28
コメント(0)

先日の「痛い臨時出費」で書いた、家の補修。昨日完了しました。と言っても、家の中も外も一度にやると大変な金額になるので、今回は、家の中は我慢する事にして外回りのみ。それでも約$3500だから、ほぼ30万円の費用がかかった。それでも、これを日本でやったら、とてもこの金額では収まらないのではないか、と思える。でも、逆に日本ではこんな修繕はあまりしないのか必要としないのかも知れないが、こちらでは定期的にこの手のメンテナンスをするのが普通だ。やった内容は、 1.家の外周全面の高圧力洗浄 2.ドアの交換 3.ドアノブ&キーの交換 4.窓枠や外壁の木部で、腐りかけていた所やヒビが入っているところの交換 5.細部や継ぎ目などのコーキングやり直し 5.外周全面および煙突部分のペンキ塗り替えというもの。なにしろ、大きさだけは大きいので、自分でやったら大変な作業になる。こんな感じ ↓ ペンキ塗りも全て刷毛ではなく噴霧塗装だし、修理もやはり電動工具や圧縮空気を使った器具でやるので、これを自分の手持ちの道具でやったら、何日かかるか分からない。結局、二人、あるいは三人で丸三日間かかった。 日本での相場は知らないが、外壁修理とドアの取替え、あるいは高圧洗浄とペンキ塗り替えだけで30万円ぐらい楽にかかってしまうんではないか、と思うがどうだろう。この辺は、労賃が安いヒスパニック系の人を使っている、というのが安く上げられる原因なのだろう。昔は、西海岸では特に日系人がこうした家の修理や庭のメンテナンスをする中心だったらしいが、時代は変わり、今アジア系はもっと高収入な職業にシフトし、こういった業種やヒスパニックなどが中心になってきている。しかし、それでも30万円は30万円。 さて、どうやってこの支払いを捻出するか・・・頭の痛いところだ。
2011.04.27
コメント(2)
ちょっと間が開いてしまった。書くことがなかったのではなく、いろいろあって書くタイミングを失したという感じ。 今日はイースター、日本語だと、なんと言うのだろう、「受難週」とか「復活祭」とでも言うのでしょうか。つまりは、2000年前にイエス・キリストという一人の人物が、実際にはどんな嫌疑で捕らえられたのかは別にして、実際に十字架で処刑されたのが金曜日、そして土曜日の安息日はなにもできないので、翌日曜日に入れられたはずの墓に行って見たら墓はもぬけの殻で、そこに「何者か」が居てイエスの復活をマリアらに告げる、という日です。つまり、イエスの死と復活を、その教義の最大のよりどころとするキリスト教の「根幹」に関わる日です。 イエスの誕生を祝うクリスマスや聖人とされたバレンタインを祝したバレンタインデーなど、日本人にとっては宗教とは関係なくともなじみのある祝日と比べるとあまりピンとこないかもしれないが、その意味からして、これはキリスト教にとっては「なくてはならない日」でもある。なぜ、「なくてはならないか」。現在のキリスト教が基礎を置く「聖書」において、マルコはこう言う。「キリストが復活しなかったら、私たちの宣教は無駄であるし、私たちの信仰さえ無駄です」つまりは、キリスト教を信じる、クリスチャンである、ということの核心に、この「イエス・キリストの死と復活」が位置づけられているからである。「キリスト教の真実」という本を読んだ事がある。ある、クリスチャンでもなく、キリスト教について懐疑的なのジャーナリストが、聖書に書いてあることははたして「真実」なのか、ということについて根堀り葉堀り、1年以上もかけて調査をした記録なのだが、その疑った「真実」の中にこの「イエスの復活」も入っていた。つまり、これが真実でなかったら、キリスト教の本質が否定されるわけだから、ことは重大である。結局、この件も含めて、聖書に書かれていることは全て真実であった、という結論になって、本人はクリスチャンになった、ということなのだが。しかし、百歩譲って、それが真実だとしてもなお、「イエスが復活しなかったら私たちの信仰も無駄」になるんだろうか?それは、今の正統派のキリスト教だけにいえることではないのか?と言うより、それが本当に「信仰」の根幹なのだろうか?と私などは思ってしまう。だからこそ「イエスを父なる神の唯一の子と認め、その死を我々の罪の購いと認め、そしてその復活ゆえに人類は救済されたと信じる」とする、キリスト教の教義に対して、「そのとおり」と認め得ない自分がいるわけだ。イエスが居ようと居まいと、それとは関係なく、人間の心には「信仰」が有りうる、と思っているし、そうでなければ、キリスト教以外の宗教では救われず、もっと言えば、イエスが生まれた2000年以上前より以前の人は、当然イエスなどはまだ生まれていないわけだから、信仰も無駄だし、救いもなかったことになってしまいはしないか?などと考えてしまう。こういった疑問を正面からぶつけることが出来る人が周囲にいればいいのだろうけれど、とてもこれを今通っている教会の人にぶつける気にはなれない。こういった疑問は、疑問のままだんだんと堆積してくるんだが、はてどうしたものか。
2011.04.25
コメント(4)

ここアトランタはアジア系の比率が高い。中でも多いのが、韓国系、中国系、そしてインド系。そして、韓国人に至ってはあちらこちらにスーパーが展開され、その周辺は韓国系の店がならぶ韓国人街の様相を呈している。店の看板もハングルでしか表示されていないところもある。つまりアメリカなのに、英語表示がないのだ。いかに韓国人相手だけで商売が成り立っているかがわかる。その点、中国系は一箇所にやはりチャイナタウンのようなところがあるのだが、それ以外にはあまりまとまったモールのようなものはなかった。そんなとき、最近、中国系のスーパーが開店したので、早速行ってみた。その名もGreat Wall (万里の長城)!!(笑) こんなところ ↓↓↓ まあアメリカのスーパーは皆そうなのだが、だだっぴろい面積の店内に、生鮮食料品から日用雑貨、その他の商品がひしめいているし、下の写真のようにその一角にはフードコートと言って、いろいろな食事を提供する店が並んでいる。ここもまあまあ安いのだが、安いと言えば、さすがに中国製! いろいろな日用雑貨は本当に安い。食料品も概して安い。それよりも、普通のアメリカのスーパーや韓国系のスーパーでは売られていないものが数多くあるので、それらはこのスーパーならでは。 その中には当然、中華料理に使われる材料や半分できたものなども含まれるのだが、これらが皆安い。今回はちらっと覗いただけであまり時間がなかったのだが、次回はもう少し時間をかけてみて回ろうと思う。ガソリンも上がるし、ドルが安くなって、だんだん物価が上昇するきざしがある。そんな中では、生活防衛のために、こういった中国系のスーパーも、ものによっては活用する必要があるなあ、と。
2011.04.20
コメント(0)
「洗礼」、バプティスマとも言う。先日、突然娘が、「今度洗礼を受けることにしたから・・・」と言ってきて、妻と二人で驚いてしまった。毎日曜、友人と教会へは行っていたのは知っているが、まあみんなで歌を歌ったりして楽しんでいるな、という感じだった。一頃から「時々」食事の前にお祈りなどをしているのだが、信仰について話したことはない。それが、突然、である。で、今日は私も教会へ行く予定だったのだが、娘が「パパも来る?」と聞いたのを思い出して、途中で娘に電話して、「パパにも来て欲しいの?」と聞いてみたら、ウン、という。普通のクリスチャンの家庭であれば、こどもが自ら洗礼を受ける決心をした、というのは、家族上げてお祝いするぐらい嬉しいことらしいのだが、なにせ、うちのような非クリスチャンにとっては、「本当にいいのか?」という方が先に立つ。しかし、別に悪いことではないだろう、と特に反対はしない。娘には娘の生き方があり、その中で、成り行きとは言え、キリスト教に出会い、誰に強制されるわけでもなく自ら洗礼を受ける、という決心をしたわけだから、それは尊重したい。ただ、「あなたはイエス・キリストを神の一人子、唯一の救い主と認め、その教えに従うことを誓いますか?」などの5つの質問にイエス、と答えて洗礼を受ける娘を見ていると多少複雑な気持ちになったことは否めない。つまりは、私だったら絶対イエスといえない質問だからだが、それも娘の人生のひとつの通過点。どうなってゆくかはわからないが、見守ってゆきたい。
2011.04.18
コメント(4)
やっと・・・。今日、なんとかアメリカのTax Returnの準備を終えました。準備というのは、一応ちょっと申告内容が複雑なので(というか、入れたい資産ロスがたくさんあるので。笑)税理士を通して申告していて、そこへの提出が終わった、ということです。まだ、これから税理士との間で質疑応答が何度かあり、内容を精査した上で申告をすることになるので、もう一、二週間でしょうか。でも、まあ、とりあえず一度は自分の手を離れて、あとは税理士からのコンタクトを待つばかり。いつもながら、ついつい後回しになってしまい、申告期限を守れた試しがありません^^;その結果は、もしTax Returnがあってもそれが振り込まれるのが遅くなる、というだけだし、もし追加納税が必要だったら、それは出来るだけ後の方がいいし・・・(笑)さて、今年はどうなるんでしょう。昨年の不動産処分がどういう形でこのTax Returnに影響するのか、全てはそこにかかっています。
2011.04.16
コメント(0)

昨日に引き続き、金銭面ではまたまたいろいろなトラブルが続いているリンロンです またまたいろいろ出てきて、昨日の日記に書いた費用を合計すると、今月の「臨時出費」は100万円に迫りそうです(泣)こんな臨時出費なんて出来っこないんで、一部は月賦返済にするしか道はありません。 さて、そんな試練にもめげず、ピアノの練習を継続!!先週はなかなか時間が取れなかったのですが、今週は、少しは弾ける時間が増えたんで、しこしこと練習を・・・ということで、本来なら先週できていたはずの曲がやっとなんとか弾けるようになりました。 これです⇒ 「イマジン」 本当は、このイマジン、ピアノを弾き始めた今年の初めに、というよりも、その後日本で「男のピアノ」と購入した時に、「ここまでは3ヶ月で弾けるようになりたい!」と思っていたもの。 この間紹介したこの本でやっています⇒ で、結果は、3ヶ月と2週間でなんとかこのレベル。予定より2週間遅れです。でも、まあ、三日坊主に終わることもなく、なんとか続いていて、初めのビデオを見ると恥ずかしいぐらいですから、多少はうまくなっているんでしょうか。しかし、前に次々とアップしていった曲を今弾いてみると・・・・あれ、もう忘れている!(泣)これは歳のせいで仕方がない、と諦め、さて、次は・・・・・次の曲はともかく、5ヶ月目で弾きたい曲、というのはもう決まっています。それは何か?・・・・・「秘密」です。 これは上の写真を見ても、よく見えないと思います(笑)結構難しい曲なんで、出来なかった時には、別の曲でお茶を濁す魂胆です(笑)さあって、と。 あ、Tax Returnをやらなきゃ・・・
2011.04.15
コメント(2)
ことの起こりは昨日。犬の散歩から帰ってきた妻が「この子、血尿が出てる!」と言って騒いだのが始まり。 当然、すぐにペット病院に連れて行き診察。膀胱炎の疑いがあるという。犬の治療は保険も利かないので、これが$100以上。次には、また妻が「あれ~、お湯が出ない!」とまた騒ぐ。いつもの勘違いだろう、とたかをくくって調べてみたら、本当に出ない!!家中のお湯が出ず、ただの水しか出ない。なんで出ないんだ?と調べてみたら、なんとガスが止まっているではありませんか。早速ガス会社に連絡したら、なんと前月の支払いがされていないので止めた、と言う。そんなはずはない、クレジットカードに自動的にチャージされているはず・・・と調べたら、引き落とされている形跡がない・・・・。理由は今もって不明だが、結果として、次にガスのサービスが復旧するのに1週間待たないといけないし、またセットアップフィーと称して、こちらも$100以上取られることに・・・日本の被災地の人の状況を考えたら、一週間ぐらいガスが使えない、なんてのは大したことじゃないさ、とやせ我慢をすることにした。しかし、こんなのはまだ序の口だった!次は、先日来、ドアが壊れたり、家の外があちらこちら傷んでいたので修理見積もりを頼んでいた。今日、その見積もりが来た・・・・見ると、最低、家の外側だけで$3500から、内部も全部やると$6000に!!もういい加減にしてくれ、と言いたくなったが、これでもまだ終わりではなかった!さらに、なんと今度は、冷房が効かなくなった! 早速業者を呼んで調べてもらうと、もう機会が寿命です、ということに・・・・じゃ、一番安い奴に交換したらいくら?と聞いたら、$3300!!最後にとどめで、トイレの水が止まらない、というクレームも来た。なんで一度に申し合わせたように、こんなのが一斉に来るんだろう?全部あわせると、最低でも7000ドル(約60万円)から9500ドル(約80万円)ぐらい・・・・こういうのを泣きっ面に蜂、というのか、踏んだり蹴ったり、と言うのか知らないが、なんでこのたった二日間にこんな事が次から次へと重なって起きるのか?よっぽど、日ごろの行いが悪いのかな?しかし・・・・・・・、ちょっと痛すぎる臨時出費(泣)
2011.04.14
コメント(0)
昨日のバイブルスタディーのテーマは「ゆるし」だった。ゆるし、というと、漢字では「許し」と「赦し」があるが、当然この場合の「ゆるし」は後者の「赦し」。しかし、「赦す」ためには「赦す」対象がある。聖書の場合、というか、宗教において、神が「赦し」を与える、と言う場合の対象は、「罪」だろう。つまり、人が犯した「罪」、それを神が、その人の信仰のゆえに、とか言うことで「赦す」という使われ方をする。昨日のバイブルスタディーでは、有名な、イエスが天井を破って運び込まれた病人を癒す時に、パリサイ派の人が「赦しなど、神以外はできないこと」という批判をしたことに対して、それに反論した上で、その病人を癒した、という話の部分についてである。しかし、「赦し」の議論をする前に、その対象となる「罪」の議論がなければおかしい。「罪」とは、聖書においての元もとの意味は「的を外れること」を意味している。それに対する「赦し」??一般に、「罪」という訳語は「悪いことをした」という意味を言外に持っているが、そもそも「的を外すこと」は「悪いこと」とは違う。だから、「罪」を「赦し」てもらうことが、「的をはずす」ことを赦してもらうことだとすると、それは「赦し」よりも「許し」に近いものになる。 古くは、病気・災難は、「罪」ゆえに神が与えたもの、という考え方があったらしく、だからこそパリサイ派の人は、それを「赦す」のは、それを与えた神自身以外にはしてはならない、できないこと、という考え方だったらしい。それをイエスが「神に代わって」癒してしまうことは「神への冒涜」だ、というわけだ。 しかし、もし病気・災難が「罪」ゆえに神が与えたもうもの、ということだとすると、例えば、今回の東日本大震災などは、日本人の罪ゆえに神が与えたもう試練、ということになってしまう。 どこかの都知事が「天罰」などと言って非難され、それを陳謝する、という事件がどこかの国で起こったが、それどころではなく、宗教的にそういった考え方がされていたわけだ。もしかしたら、そうなると医者が病気を治すのも「神への冒涜」になるのかな?いや、話を元に戻して、「罪」があるから「赦し」がある。逆に「罪」が「罪」でなければ「赦し」もない。私が言いたかったポイントはここにある。神が人を作ったのだとしたら、その人間が「的をはずす」ことにより、神に罰せられるのだろうか? いや神が罰したりするだろうか? そして、その同じ人間が信仰により「赦され」たりするのだろうか?私自身は、神を、もし存在するとしても、そんな人間と同じような思考回路を持つ矮小な存在にはしたくないのだが。
2011.04.12
コメント(3)
先週、日本の仙台を中心に復興支援に行っていた教会の牧師さんが帰米し、今日の礼拝は、いつもの説教の代わりに、募金などに協力したいただいた皆さんのために、と、日本での活動報告をやってくれました。たった二週間ちょっとでしたが、ほとんど寝る間もないほどの忙しさだったようです。彼の目的は、日本のバプティスト連盟が今後被災地の復興を支援していくための調査と、海外からの支援部隊受け入れの窓口の双方があったそうです。とにかくインフラが寸断されているのと、被災地域が非常に広範囲にわたっている為、今のところ、どこから、いや何から手をつけていったらいいのか、という糸口さえも明確になっていない地域がたくさんあるそうです。そうした地域を、支援物資を配りながら、避難施設をまわり、被災現場を視察し、今後のボランティア派遣の土台を作るのが彼の使命だったようです。 その被災地を中心に300枚以上撮ってきた写真のうち100枚程度を見せてくれながら、その地域、地域の状況、人々の状況、そして協力や支援に懸命になっている人たちの姿などが写されていました。 そのどれもが、新聞などで見ている写真同様、いやそれ以上に、悲惨な状況をありありと伝えていました。 その牧師さんが一番感銘を受けたのは、そういった被災者の方々、特に避難生活を余儀なくされている人たちの間から、「私たちはまだいい方、もっと過酷な状況に居る人がたくさんいるから、そちらを是非支援して欲しい」と言う言葉をたびたび聞かされた、ということだったそうです。牧師さんにおっしゃるには、そう言った当人達も、寒さと食料不足に、あるいは家や財産を失った悲しみに押しつぶされそうになるのを必死にこらえているように見えたとのこと。そうやって自分自身を必死にこらえながらなお、他の人たちのことを優先してくれ、という言葉に、たびたびなんとも言えない悲惨さを逆に実感したそうです。これからこの復興は長くかかるでしょう。写真でみた瓦礫の山と化した町並み、あるいはほとんど使い物にならなくなった家々、そういったものを片付けるだけでも一仕事。そこから、本当に元に戻そうとするなら、相当な時間と資金が必要です。継続して、自分達に何が出来るのか、考えていかなければなりません。
2011.04.11
コメント(0)
もう時間がありません。いえ、アメリカのTAX RETURN、つまり日本でいう確定申告・・日本の方は両親と自分の分を含めて、2月に2週間日本に行ったときに終わらせましたが、アメリカの方は、やはり「いつでも出来る」という気があるので、ついつい延び延びに。そしてあと一週間、という今になって、やっと60%ぐらい終わった、というところでしょうか。今年は、娘の大学入学申し込みのためにも必要になるし、息子の奨学金の再申請にも必要。これがないと何も進みません。ということは、何ヶ月も前からわかってはいても・・・「明日できることは、明日に」という性格なので、せっぱつまらないと何も始まらない・・・昔からの一夜漬けの試験勉強のくせが未だに直っていないと言う、いわば「三つ子の魂百まで」みたいな・・(笑)まあ、とにかく、時間がない。ここ2,3日で片付けなくては・・・
2011.04.10
コメント(0)
なにかちょっとしたことが、次々と連鎖反応を起こして、全然関係のなさそうなところに影響を与える、ということを言う言葉に 「風が吹けば、桶屋が儲かる」というのがある。また、言葉にはなっていないが、アマゾン川で蝶々が羽ばたいたのが原因で、ついには大戦争が勃発する、という話もある。同じような話で、ある人がバナナの皮ですべって転んで、その結果、核戦争になる、というのもあった。「風が・・・」の方は、単純で、 1.大風で土ぼこりが立つ 2.土ぼこりが目に入って、盲人が増える 3.盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来) 4.三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される 5.ネコが減ればネズミが増える 6.ネズミは桶を囓る 7.桶の需要が増え桶屋が儲かるという原因⇒結果なのだが、一部にちょっと(だいぶ?)無理っぽいところがあるので、この「風が・・・」の言葉は、よく「こじつけ」の代名詞のように使われる。 また前置きが長くなってしまったが(本当は、ここから「複雑系」の話になるのだが、それではますます長くなってしまうので割愛。笑)、今の私の状況は、 「春なので、ピアノの練習ができない」という馬鹿げたもの(笑) その原因⇒結果は 1.春だとスプリングブレークで学校が休みになる 2.学校が休みだと、親も休みを取って、あちらこちらに行く人が多い。 3.人が家族であちらこちらへ出かけるので、塾も生徒があまり来ない。 4.生徒が来ない時に開けていても仕方がないので、塾もこれに合わせて休みを取る。 5.塾が休みだと、当然、そこで働く人も出勤の必要がない 6.私の妻は、塾を手伝っているのだが、こちらも出番がない。 7.出番がないので、一日中家にいる 8.私がピアノの練習をしようとしても、いつも妻が居る 9.妻が居るので、なかなか気兼ねして、ピアノの練習ができない。という、リンロン家の「風が吹けば・・・」でした。(笑)
2011.04.07
コメント(0)
なにか、前にも同じテーマで日記を書いたような・・・・。もう歳かな??(笑)先日、賃貸の家をお世話した方から、生活設営のお手伝いも依頼を受け、今日は半日、それに走り回っていました。アメリカはクレジット社会、と言われますし、実際にそうです。その「クレジット社会」とは、日本では「国民総背番号制」と言われているような、個人の納税者番号(ソーシャルセキュリティー番号と言います)が全員与えられていて、すべての経済的な情報がそこに集約されることを指しています。この「情報」は、例えば何かのローンを借りた、返した、遅れた、クレジットカードの支払いがどのくらい溜まっている、過去に破産の経歴やローン破産の経験がある、などなど、個人の信用に関する情報が、このソーシャルセキュリティー番号についてまわり、本人の許可を取ることにより、その情報を誰でも閲覧できます。当然、何か契約をしようとすると、その会社は、この契約者の信用情報を参考にします。必ずソーシャルセキュリティー番号を聞かれ、その内容を精査してもいいか、と聞かれ、契約者は、そのサービスを受けるためには、その要求を飲まざるを得ません。もしソーシャルセキュリティーの番号を言わなかったり、情報公開を拒否したりしたら(やれば出来ますが)、電気もガスも電話もTVも契約できません。つまり生活できないわけですから、当然、その信用情報は相手側に閲覧され、その結果として契約できたり、セキュリティーデポジットという名の保証金を前金で支払わないとサービス契約できません。そういう意味で、アメリカはクレジット社会なのですが、この日本からの新規赴任者の方のような場合は、このソーシャルセキュリティー番号がまだ申請中で、相手から要求されてもまだないわけです。そんな人がいろいろな生活インフラの契約をするのは、通常の人よりも手間隙がかかります。その作業を、私の方でお手伝いして、2,3日で生活設営を完了する、というサービスを受託しているわけです。電気、ガス、水道、電話、インターネット、テレビ、ごみ収集、などなどの申し込みと交渉を本人に代わって行い、こじれた場合の後始末までやるわけです。だいたい、この作業に2日ほどかかります。しかし、ここまでクレジットできちきちに契約関係を担保しないと、どんなことになるかわからない、というのがアメリカという国です。いろいろな人が居ますから。郷に入れば郷に従え、ということでしょうか。
2011.04.06
コメント(0)
娘は今、高校3年生。日本で言えば高校2年。アメリカの場合、入試というのはないので、今年の秋ごろから来年の春にかけて、入りたい大学へ願書を提出し、その評価結果が早ければ今年末、つまり高校4年になってすぐ、遅くとも来年の春ごろにわかって、入学先が決まることになる。入試がない、と言っても、高校の成績、あるいはSATとかACTなどの全国共通テストの結果と、与えられたテーマで書くことになるエッセイ(論文)、そしてアメリカの大学ならではの成績以外の活動、たとえばボランティア、教会、ボーイスカウト・ガールスカウト、音楽やスポーツなどなどへのかかわり方など総合的な結果で入学の可否が判断される。ただ、だいたい大学によって、そこに入学するのに最低限必要な高校の成績やらSATやACTのスコアというのは分かっているので、どこに願書を出してもいい、というものでもない。出してもいいが、結果はある程度見えているので、無謀なところには出すだけお金の無駄、ということになる。そして、ある程度、進学希望を固めるために、各大学が催すキャンパス・ツアーというのに参加し、学校の雰囲気、あるいは学校の実際の教育現場などを見ることが出来る。 娘は今週一週間は高校の春休み。この休みを利用して、都合三つの大学のキャンパスツアーに参加する予定だ。今日は、アトランタの中では最も大きな大学のひとつであるジョージア工科大学。兄貴の方がすでに通っているので、娘はいやだ!と言っているが、いやもなにも、入学が許可される成績にも達していないので、そんなえり好みを言える立場でもない(笑)しかし、今後SATなども頑張れば手が届かない、というほどでもない。それに、やはり州内の大学へ行くほうが経済的には絶対有利だ。このジョージアテックでも、州外の人は年間費用が約350万円、州内の人は約200万円、ということで、授業料の部分で年間150万円も違う。逆に、うちの娘が他州の大学へ行くと「州外」扱いなので、州立と言えどもかなり高い授業料を払わなくてはならない。 それに私立ともなると、例えば、ここアトランタの私立で最大のエモリー大学は、年間約500万円。アイビーリーグ系の大学だったら同じようなものか、もっとだろう。こうなると、奨学金なしにはとても子供を大学へやれない。4年で卒業したとしても総額2000万円!! 卒業するときには、大きな借金(奨学金返済)を背負っての卒業となるのが普通だ。 さて、このエモリー大学もキャンパスツアーの予定なのだが、見て気に入ったとしても、あるいは、申し込んで「万一」入学を許可されたとしても(今の娘の成績だと、とても入れるレベルではないのだが・・・・^^:)、この経済的な制約は大きい。 しかし、娘は、他の「ジョージア州立」大学はいいところがない、嫌だ、と言っている。困ったものだ。最後には、成績と経済状況の二つから妥協せざるを得ないとは思うが、そこはやはり娘の一生を左右するものでもあるので、最善の選択を最後まで追及したいとは思っているが・・・。
2011.04.05
コメント(0)
今日も日曜日で教会へ。ところが、牧師さんは日本で救援活動中、その代理として、90歳を超えた前の牧師さんが説教をすることになっていました。ところが、この牧師さん、一昨日肺炎を患い、急遽入院してしまいました。そこで、今日は、教会員の人がそれぞれ、自分の信仰、あるいは最近の信仰生活についての話をすることになりました。これを「証し」と言います。 その中で、一人(というか、一組)の方が夫婦で、先般までのお礼を述べました。実は、この方、男の子2人のお母さんですが、今度3人目をさずかり、それが女の子だ、ということですごく喜んでいたのが昨年。予定日は3月21日だったのですが、そのはるか前に、20週で早産してしまい、期待が大きかった分、落ち込み方もひどく、つい一ヶ月前までは教会にすら来れない状況だったようです。その方が夫婦揃って、今回のことについて、お祈りをしてくれた皆にお礼を言うと同時に、今回の「受難」についての、今の受け止め方を、信仰を基本において話されていました。その時に、生まれてすぐ、もう息もしていなかったこの女の子の写真を持ってきていました。その写真を後で拝見させていただきましたが、それをじっと見ているうちに、不覚にもなぜか涙が出てきました。彼女(この子供)のことが哀れで悲しい、というより、その衝撃に長い間苦しんできた、この方とご主人の心境を考えていたら涙が出てきてしまった、という感じです。一方で、日本では連日、東日本大震災での確認死者数が増え続けています。この世に生まれる命、生まれてから今回の日本の災害で落とすような命もあれば、このように生まれる前に逝ってしまった命もある・・・・それぞれの「命」には、それぞれこの世に生まれてくる、あるいは生まれてこようとする「意味」がある、と考えるのがスピリチュアルの考え方です。キリスト教においては、そういった「意味」の代わりの「神のご意思」という捉え方をするのかもしれませんが、それをやっと本人も、ご主人も、受け止めることが出来るような心境になれたようです。この場合の「意味」というのは、当然、本人はまだ「この世」に生を受けていないわけですから、その「意味」は当然このご両親に対するものだったはずです。このことを通じて、精神的、霊的に成長する、それこそが、この生まれずに逝ってしまった「魂」の、この世に対する「意味」だったのでしょう。逆に言えば、それを悲しんでばかり居たり、それが原因でその後の生活や、他の二人の幼い子供たちへの愛情や世話に影響してしまったら、それこそ、この子の魂は浮かばれません。でも、とにかく、この事態を、こうやって人に話すことができるようになった、ということだけでも、その「成長」を認めることができるんでしょう。そうは言っても、この「哀しみ」「悲しみ」は、そんなに生易しいものではないでしょうが、ぜひ彼女の分も精一杯、「今」を生きて欲しいものです。
2011.04.04
コメント(0)
今日、先日から書いていた日本からの赴任者の方と始めてお会いし、あらかじめ押さえてあった物件へと案内。先日ここでも載せた家なのだが、実際に見てご本人も気に入られて、その場で賃貸契約書にサインをしていただく。もう4月に入ってしまったが、これで「今年初の契約」です。不動産屋をやっていると、通常いくら働いても、いくら時間をかけても、結局は契約がとれないと一円にもなりません。今年は、年初から、賃貸のお客さんが一人と、売却のお客さん一人、そして購入のお客さんが一人、と3人もお客さんがいて、これだけで結構な仕事になるなあ、と思っていたら、確かに仕事にはなったのだが、契約はこれが初めて2ヶ月に一つぐらいの割で契約をしていければ、年初に立てた今年の「目標」に届くのだが、4ヶ月で一件では、ちょっと苦しい。売却のお客さんは、たぶんもうダメなので、あとは購入のお客さん。この方に最適な家を5月ぐらいまでに探して、なんとか、半年で2件にはしたいものだ。
2011.04.03
コメント(0)
今、ゴルファーの石川遼は、マスターズに参加するため、ここジョージア州のオーガスタに居る。その石川が今日、東日本大震災に対する彼の「募金」について発表した。その内容は、なんと「今年の獲得賞金全額と、バーディー一つに付き10万円を寄付する」というもの!昨年、一昨年、彼の獲得賞金は一億円を超え、バーディーの数も300を超える。単純に昨年並みだとしたら、それだけで1億3000万円だ。それでも、彼は「2億円」を目標に!と言う。 しかし、私がすごいなあ、と思ったのは、その金額とか気前の良さにではない。彼としたら、若干20歳前後でこれだけの収入があるのだから、このくらいは同年代の人と比べたら何でもないだろうし、もっと言えば、彼の場合、コマーシャルなどの副収入がそれ以上にあるので、痛くも痒くもないのだろう、とうがった見方も出来る。そうではなく、私がすごいなあ、と思ったのは、この募金、彼の努力次第で多くも少なくもなる、そういう募金の仕方を考えたことにある。彼が頑張って、バーディーを奪い、そして多くの大会で上位に食い込めば食い込むほど、彼の復興支援への貢献は高くなる、という、そういう「募金」の仕方を思いついて、実行する、という点にこそ、私は素直に「すごいなあ」と思うのだ。自分へのモチベーション、そして、バーディーを取るという、一つ一つのホールでの頑張りが、10万円づつとは言え、彼の「募金」を増やしてゆく。その一打一打を大切にしてゆく結果として、トーナメントの結果が付いてくる。復興は長丁場になることは必至だ。彼は、その長丁場を、自らの努力で継続して「募金」をしてゆく道を選んだ。こういった災害やそれに対する募金も、時間が経つとだんだんと忘れられ、日常の中に埋没してゆく。それを彼の場合は、こういった思い切った方法で、「継続」することを選んだのだ。金額はともかくとしても、そういった「募金の方法」を考え付く、というのが、素晴らしいことだと思う。
2011.04.02
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1