『穴沢ジョージのアナザー・ホームページ』
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“Batman Theme (バットマンのテーマ)” the title song of the Batman TV series (1966) 随分お久しぶりですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。 気が付けば、前回「どんつき」のことを書いてから1年以上経過しておりました。 月日の経つのは早いのう、などと呑気なことを言っていられない程いろいろありましたが、まあとりあえず元気です。 今年に入って相次いで二人、高校時代の同級生の訃報に接しました。 そのうちの一人1〜2年生の時にクラブ活動が一緒だったMくんには、高校を卒業してから1度だけ大学入試会場で会ったことがあります。もっとも、こちらは浪人生で彼は大学生。どういうことかというと、現役でその大学の理工学部の1年生になっていた彼は、バイトで会場警備をしていたというわけ。 Mくんの先月の葬儀には、ちょっと遠かったので参列はできず、弔電を打って失礼しましたが、奥様から後日大変丁寧なお礼の手紙を頂き、恐縮してしまいました。最愛の夫を失った悲しみを素直にしたためた、とても感動的な手紙でした。 ********************** 今日いきなりこの日記を書こうと思い立ったのは、もうひとりの同級生でクラスが同じだったTくんの葬儀が今日あるので、それに合わせて彼のことを書かなくっちゃと思ったからです。 彼は長年米国に在住で、先月亡くなり、すでにあちらでの葬儀は終わっていますが、こちらの寺でも葬儀があるとのです。 Tくんとは、高校卒業以来一度も会っていませんでしたので、いわゆる風の便りに噂を聞いていた程度だったんですが、ここ1年程高校時代の友人と会う機会が多く、彼とも会えそうな気がしていた矢先のことでした。返す返すも、生前に会えなかったのは残念でならないですが、今はただ安らかに天国から僕らを見守って欲しいと願うばかりです。 向こうでアメリカ人の奥さんと結婚し、仕事も拠点はアメリカに置いて、日本と行き来をしていたなどと言うと、いわゆる企業戦士のように思われるかもしれませんが、そこがちょっと違う。もっと自由な生き方をしていたようです。ICUから米国の大学を卒業して語学関連の仕事をしていたんですが、90年代に入ってからは、ゲームソフト関連の会社を立ち上げて活躍していました。 高校の時も、特に毎日一緒に遊んだりした仲間でもなく、時々言葉を交わす程度で、卒業後も全然会ってもいなかったし、連絡すら取り合っていなかったのに、いつもどこかで気になっていた・・・。そんな存在の一人や二人、みなさんの周りにもいるかと思いますが、彼はまさにそういう男だった。 性格的には、優しく寡黙で、しかしながら明るくにこやかで、学業も英語は特に優秀でバスケットなど運動も得意だけれど、そのことが鼻につくようなところはまるでなく、ユーモアのセンスも持ち合わせている、つまり人から嫌われる要素が見当たらない、珍しい存在だった。 そんなTくんのことだから、ことさら知識をひけらかすようなこともなかったわけだけど、思わず彼の映画通が暴露される出来事があった。 1966年、2年生の遠足のバスの中で歌を歌うことになり、例によって歌いたがりの連中 (僕も含まれます) がマイクを奪い合うようにいろいろ歌うわけですよ。誰がどんな歌を歌ったのか、自分も何を歌ったのか全く覚えていないが、強烈な印象だったので今でも頭に残っている曲が2曲ある。1曲は、まだ若い体育教師だった担任が『故郷の空』の旋律で「♪誰かさんと誰かさんが麦畑・・・」っていう、後にドリフターズが良く歌っていたやつ。もう1曲が、Tくんの『バットマン』だ! 彼はマイクを持つと、テレビシリーズになっているアメリカンコミックスのバットマンが映画化されたというようなことを手短に説明してから「バットマンのテーマを高速バージョンで歌います」と、例の “Batman!” を11回繰り返す単純明快な歌詞とメロディーを、のばす箇所を縮めて一気に歌ったのだ。 今思い出して歌ってみると、正確には、のばす箇所にも “Batman!” を入れて合計22回 “Batman!” を繰り返すという荒技だったわけで、これが実に愉快でみんな大いに笑ったのだが、僕はおかしいのと同時に彼の幅広い好奇心とアメリカ文化に対する憧憬の深さを知り、ただひたすら感心するばかりだった。また、こういうユーモアのセンスにも大いに親近感を覚えたのです。 当時僕はヒットパレードには興味を失っていたとはいえ、ラジオは聴いていたし、ビートルズ以降の音楽シーンもますますおもしろくなっていたので、一応『バットマンのテーマ』も耳にしていたけれど、映画を見たいと思う程でもなかった。正直ちょっと子供っぽいと思っていたし、そのテーマソングも『ラバーソウル』や『ペットサウンズ』の出た年に僕を魅了するというわけでもなかった。 だが、彼には『バットマン』はきっと永遠のヒーローで、そのテーマソングを聴けばワクワクして一緒に歌い出したのだろう。そのような少年の心は、きっと晩年に至るまで失われることなく彼の心に残っていたことも容易に想像できる。もしかするとゲームソフトを扱うという仕事は、半分は彼の趣味をも満たしていたのではないだろうか。 彼はアメリカで自分のことを Hiro と呼ばせていたようだ。その方が発音が楽だからだろうが、ひょっとすると密かに Hero (ヒーロー) とダブらせて、呼ばれる度に心の中でニヤッとしていたのではなかろうか。もちろんこのヒーローは、Batman その人に違いないだろう。 Our hero Batman sometimes returns for the future of mankind Our friend Hiro doesn't return but he always stays in our minds Forever and ever ********************** バットマンのテーマ、みなさんは誰のバージョンで知っていますか。 66年には、マーケッツやベンチャーズもやっていましたね。 オリジナルのバットマンのテーマ、歌詞付きの画像がありました。 “Batman Theme (バットマンのテーマ)”
2013.02.10
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