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5日目は作業はせず、帰るのみ。今回のメンバーは、全部で11人だがいくつかの特徴がある。知多半島の阿久比(アグイ)の教会から女性3名、うち2名は何回も来ているベテラン。同じく武豊(タケユタカではなくタケトヨ)の教会から女性1名。岐阜県の北方(キタカタ)の教会から女性1名、以前にも参加している。その他の6名は日本基督教団で、金城教会、名古屋中央教会の女性信徒各1名、男性は愛知教会の吉澤牧師、愛知守山教会の鎌田牧師、金城教会の木下牧師、そして私だった。木下先生は当初から木曜夜、新幹線で帰ることになっていた。ところが鎌田先生も教会関係の方が亡くなったため木下先生と一緒に新幹線で帰ったため5日目に帰るのは9人。ベテランの知里さんに前回は何時に出発したか尋ねたら、7時発だったというので、今回も7時発とした。TEFのメンバーの宿泊先はYWCAとなっていたが、女性の部屋が手狭で、日本基督教団東北教区センター「エマオ」に泊まっていた。そこで、吉澤先生と私がエマオに行き、彼女らと合流して帰ることにした。YWCAには駐車場がないので毎日すぐそばの仙台ホサナ教会に車を置かせてもらっているのだが、ついに牧師にご挨拶するチャンスを作れなかった。ホサナ教会にはエマオで活動する男性のボランティアたちが宿泊していて自転車でエマオとの間を往復していた。YWCAに多数の男性が宿泊し、YWCA(を拠点にするJIFHのボランティアがエマオに宿泊し、エマオで活動する男性がホサナ教会に宿泊している…ややこしいが、とにかく助け合ってボランティアを受け入れてくださっている。教区センターエマオの隣に教会があるというので見に行ったら、日本基督教団仙台青葉荘教会だった。この教会の牧師島隆三先生はよく存じ上げている。学会でもご一緒させていただいているし、東海聖会に講師として来てくださったこともある。(楽天ブログでも!!)金曜日の朝、女性陣との待ち合わせの7時よりちょっと早く着いて教会の方を見に行ったら、牧師館のドアが開いていて、信徒らしき人と牧師夫人が会話していた。その後、「おはようございます」と挨拶し名乗ったら、島先生が出てきてくださった。吉澤先生と礼拝堂の中を見せていただいた。20年前に建てたものだが、地震ではほとんど被害を受けなかった。ただパイプオルガンの音が出なくなってしまった。しかし、すぐに修理に来てくださって直ったそうだ。教区センターの隣ということもあり、教区総会はここで行われる。今は10数名の女性ボランティアが教会に宿泊しているとのことだった。エマオの入口で記念写真。「まるでエマオでボランティアしてきたみたいだ」といいながら。3人が新幹線で帰ることになったので、私の車は仙台駅へ行くことになった。国見SAで他のメンバーと合流して帰った。所要時間は往路よりもだいぶ早く9時間で一麦教会に到着。全員が無事に帰ってくることができて感謝だった。
August 27, 2011
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4日目は3つに分かれた。1 牡鹿半島 3名2 物資倉庫 3名 若林区の運送会社の倉庫の一部を借りている。3 亘理 5名 私は前日の亘理で体調が悪かったため、なるべく多くの所を見たいと思い、牡鹿半島へ行くことにした。生活必需品を届けて被災者の命を繋ぐということよりは、今回9回目のボランティア参加となる知里さんが、以前活動したところ、お目にかかった人を訪ね、現地の声を聞くという、関係を保つという点に重点のある活動なので、持って行く物資は多くないし、これがないと生活が困難というようなものではない。倉庫組を同乗させまず倉庫へ。代わりに積み込んだものはドライフルーツ、パンに塗るなどのペースト(ドイツ語で書かれていた)などなど。石巻の家電店で要望のあった掃除機を3台買い込み、食事のできる地元の店を探しながら牡鹿半島方面へ向かうが、道沿いの建物の1階は軒並み浸水し、閉じたままの店が多い(帰りに開いているラーメン屋を見つけた。)。結局イオンスーパーセンター(この名前は初めて聞いた)石巻東店でランチ(お弁当を買って店内で食べたんだけど)。石巻市折浜(おりのはま) まず折浜。ここは浜辺の4世帯が被災し、うち3世帯は建物が流れたり潰れたりして、峰耕寺を避難所としていたが、最近仮設住宅ができて移ったばかりだ。浜辺にあるAさん宅は1960年のチリ地震津波を想定して、30年前に父親がこだわって頑丈な家を造ったため、ビクともしなかったが、2階の天井近くまで水が上がった。家は修復すれば使えそうな様子だが、この場所に住むことはできないかもしれない。行政が決断しないとAさんも先へ進めないが、落ち込んではいない。被災した家の裏は斜面になっており、その上に何軒もの家がある。それらは津波で被災しなかった。しかし地区の一体性を大事にして全世帯が仮設に移ることにしたという。そのあたりのことはどうもよくわからないのだが、何か違うような気もする。ただ、現実の危険としては、石垣に津波が襲いかかった結果、石垣の内側の土がかなり流出し危険な状態ではあるようだ。石巻市給分浜(きゅうぶんはま)給分浜災害本部の安藤さんに物資を渡す。給分浜についてはhttp://inochikirameku.net/story/が詳しい。石巻市渡波(わたのなみ)牡鹿半島から戻って石巻市渡波の阿部船長を訪ねる。知里さんが阿部さん宅の場所を正確に覚えていなくて電話したところ、喜んでわかるところまで出て来て迎えてくださった。自宅には「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の緊急災害対策拠点という看板が出ていた。被災者の現況、復興策の実態、被災者の甘えなど、かなり厳しい意見を聞くことができた。そこへ「め組JAPAN」のヒマワリチームの人たちがやって来た。ヒマワリチームは被災地の人たちとひまわりの種を蒔き、その後は成長の様子を見に回りつつ、被災者の話を聴くというチームだ。彼らからも被災者支援の情報を得ることができた。知里さんはまだまだ話したそうだったが、時間が迫ってきた。食事を済ませて8時のミーティングに出席したい。ちなみにめ組JAPANは4時で活動終了、7時からミーティングだそうだ。彼らが阿部さん宅に来たのが既に4時だった。ガソリンスタンド折浜に着いた時点で既に燃料警告灯が点灯していた。警告灯が点灯した時点で残り9リットル。まだ100キロ以上走れる計算だが警告灯を点灯させて走るのは精神衛生上よくない。が、営業しているスタンドが目に入らず給油せず戻ってきた。阿部船長宅を出て国道398号にに入ったところにあるスタンドで給油した。このスタンドも被災して仮営業中。営業時間は5時で終わり。5時を数分過ぎてしまっていたが入れてもらった。屋根の赤いラインの中央付近まで水没したそうだ。東名(とうな)松島あたりの温泉に入って帰ろうと思っていたのだが、温泉はあきらめて、その代わりゴールデンウイークに泥出しをした東名へ行ってみた。瓦礫は撤去されていたが、コンビニも中華料理店も手を着けていなかった。前と同じように、チラホラと住んでいる人がいるが、多くは空き屋になっている。これも行政が決めないと前に進めないのだろう。
August 27, 2011
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TEF(東海福音フェローシップ)の第14回ボランティアのメンバーとして東22日から26日まで仙台YWCAに泊まっている。月曜日朝、9人で名古屋を出て、夜8時に仙台に着いていきなり会議。さまざまな団体と個人で来たボランティアが日本国際飢餓対策機構のコーディネートで活動している。毎晩8時から、本日の活動を報告し、翌日の活動を割り振る。火曜日は、二手に分かれ、TEFの9人中5人は石巻の料理屋で食器の泥落とし。この日はようやく食器を終えて調理台の掃除にかかった。私たち4人の行き先は5月にも来た石巻の教会で物資配布の手伝い。前回同様物資配布と炊き出しがセットになっている。われわれTEFは食中毒を警戒して夏場の炊き出しをしていないが、他の団体が行っている。石巻キリスト教会の現場を取り仕切っていたのは「3ヶ月限定の副牧師」だった。主任牧師は仙台の教会との兼牧で忙しいので、臨時に副牧師が派遣され、石巻の被災者支援を担当している。この日はさまざまな団体から来たボランティアが25名ほど。遠くは沖縄からも来ている。物資配布のやり方などだいぶ改善されたが、来る人も増えているので時間がかかる。 160名が12時からの物資配布に集まり、全員が必要なものを探し終えたのは3時過ぎだった。後片付けと物資の整理でわれわれが教会を後にしたのは4時半すぎ。水曜日はTEF全員(2人増えて11人)を含む20数名で亘理へ。現在亘理で活動しているボランティアはTEFだけである。作業内容は荒浜中学に近い数軒のお宅の泥出し。私はK氏邸を担当。床を剥がし床下に入った泥を取り除く作業だ。最初は調子よくやっていたが、やがて疲れてしまって、バランスを崩して根太から足を踏み外し、腕をすりむいてしまった。ただちに腕を流水で洗って消毒薬で消毒。破傷風は怖いからね。それにしてもスタミナの落ち込みは著しい。4時で終了。途中でお風呂に寄ってYWCAへ。明日木曜のTEFチームは牡鹿半島、倉庫、亘理の3ヶ所に分かれて活動する。
August 25, 2011
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