全5件 (5件中 1-5件目)
1
先週、出席簿を作ったが、今朝見ると登録人数が増えている。急いで出席簿の作り直し。
September 29, 2011
コメント(0)
午前10時から、弥富学区広報誌の校正午後3時から、一宮でギリシャ語勉強会時間が足りない。印刷屋に勤めていた頃、あるいは学生時代に駅員のバイトや本屋の店員をしていた頃は、仕事の時間は即ち勤務先にいる時間だった。製本をするのも切符を切るのも、書棚に本を並べるのも、会社にいないとできない仕事だった。だから家にいるときは仕事はなかった。牧師や教員という仕事は礼拝堂や学校にいる時間だけが仕事ではない。説教や授業というのはその時間にその場所に行けばいいというものではない。予め用意をしておかなくてはならないし、それにかかる時間は、かければいくらでもかかって限りがない。学校に関しては非常勤講師なので、授業の時間に学校にいればいいのだが、授業の準備は授業時間とは別に家でしている。その他、訪問や面接という仕事もあるし、尋ねてきたり電話をかけてきたりする「かもしれない」人に備えて待機している住職ならではの仕事もある。で、「次回の礼拝説教のための勉強」というのはあまりしたくない。そうではなく、一般的にというか常に学んでいる必要があると考えている。…のだが、私はあまり勉強家ではない。そこで、他人にぶら下がって勉強することにしている。ギリシャ語の勉強会などはまさにそうで、独学などとてもできないので、ギリシャ語を勉強する仲間にくっついて勉強するのだ。今日はローマ8:18~39ということになっていたので、予め読んで、主要な単語と文法的なことをチェックしておかなければならないのだが、昨日は夕方から夜は妻の運転手で岐阜まで往復し、今日の午前中は地域の広報誌の校正作業、校正作業をするということは、その前に誌面を作っておくことを意味するのだが、朝6時半から作業を始めて何とか9時過ぎに作り上げ、それから教会の会計の件で銀行へ行って、定刻の10時にコミュニティセンターへ。幸い校正作業は1時間足らずで終わったので、帰って来て修正点を処理。それからギリシャ語の予習を始めたのだが、丹念に読んでいる時間はない。とりあえず、本文のコピー&ペースト、単語集のコピー&ペースト、そして紙にプリントアウト。当たってからその場で考えるといういつものパターンになってしまった。今日は初めて参加する年配の方(ネットを介して我々の勉強会を知ったという方で、初めてお会いする)がおられた。その昔、大学で2年間勉強しただけというのだが、しっかり用意をしてこられていた。ちょっと恥ずかしい。一宮へ行くときに携帯を忘れてしまった。帰ってきたらAHIの会報担当職員から留守電が入っていた。今日午後、校正をするので、できれば来てほしいという内容だったが、できないってば。修正して欲しい点はメールしておいたのだが…。さて、明日は午前中に今日の午前校正した弥富学区広報誌の印刷をする。そしてお昼は名古屋学院大学のチャペルアワーの担当。明後日の朝は金城学院大学のチャペルアワーの担当。そして昼前から高校の授業だ。二つの大学のチャペルは、それぞれ印刷物になる可能性もあるので、同じ原稿で済ませるわけにはいかない。明日は新約から、明後日は旧約を選んでおいた。どんな話になるんだろう?大学のチャペル用にはちゃんとした文章を用意する。実際に話すのは文章から動く可能性は大きいのだが、特に金城は時間が短いので脱線している余裕はない。たぶん、用意した原稿の通りに話すことになるだろう。
September 26, 2011
コメント(2)
今日のみ言葉は使徒10:34~48。「聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」。ベトロの説教に耳を傾けていた異邦人求道者たちに聖霊が降った。神さまは人(教会)よりも早く、神を求める人を受け入れてくださる。
September 19, 2011
コメント(0)
おはようございます。台風の影響で荒れ模様の天気です。今日のみ言葉、使徒10:9~33より。「ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」ペトロは昼の12時、空腹状態でお祈りするために屋上に上がります。そんな状態で祈るから祈りの中でも食べ物がちらつきます。普通なら「祈りを妨げる雑念」となるところですが、この場合は神さまの大きなご意志を示すものとなりました。律法で食べることを禁じられた汚れた生き物が容器いっぱいに入って、料理して食べなさいという声が聞こえました。ペトロは断りましたが、今度は「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」という声。そして「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」という聖霊の指示。私は「神がきよめた」という言葉と、「ためらわないで」という言葉に注目します。人は律法という規準できよい、きよくないと判断しますが、人がきよくないと「見る」ものでも神はきよく「する(変化させる)」ことができます。自分の判断(過去の知見)に捕らわれず、神が行ってくださることに信頼し、大胆に行動することが必要です。心をかたくするなかれ。御声を聞かば今すぐに御霊のいえるごとくせよ(聖歌414 ヘブル3:7)
September 17, 2011
コメント(0)
おはようございます。祝福がありますように!今日のみ言葉:使徒8:4~25より。 「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。…ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」 洗礼を受けただけでは十分ではない。聖霊も受けるべきである。カトリックや聖公会が洗礼だけでなく、堅信を必要としているのは、元来この理由だろう。福音宣教者フィリポが洗礼を授けたが、使徒の按手によって彼らは聖霊を受けた。堅信が主教によるのもこのためだろう。 「シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください」。」 魔術師シモンは自分の魔術よりもすばらしいキリストの力に接して、単純に驚いたのだろう。そしてキリストを信じた。 キリストを信じたけれども、まだきよめられてはいなかった。自分の全てを神に明け渡すのではなく、自分の欲(必ずしも悪とは言えない高邁な理想かもしれないのだが)を満たすために神の力を借りようとした。そこに彼のつみがある。 洗礼を受けたクリスチャンでもこんなものなのだ。たたし彼は使徒に厳しく叱られ悔い改めた。
September 10, 2011
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1