コロガリ コロガル

コロガリ コロガル

PR

プロフィール

おうじょ

おうじょ

カレンダー

バックナンバー

2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月

コメント新着

おうじょ@ Re[1]:16歳(07/10) マイヒトさんへ 読んでくれてありがとう!…
マイヒト@ Re:16歳(07/10) ただ読んでいるだけのこっちまで笑顔にな…
おうじょ @ Re[1]:再会と告白(07/21) マイヒトさんへ 読んでくれてありがとう!…
マイヒト@ Re:再会と告白(07/21) 久しぶりに読んだけど、改めてすごい文章…
ようこ@ Re[1]:勝敗を越えて(05/05) mayumiちゃん コメントありがとう。ほんと…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2008年02月27日
XML
カテゴリ: いつか来た道
私の周りには、平均よりかなり高い割合で聖職者がいる。

ちなみに旦那も一応カトリック教徒(幼児洗礼の為本人その自覚なし)
お義母様もカトリック。
結構濃い方ではないか。
それまで、そういった方々にはあまり接したことがなくて、
「禁欲的、清潔、善良」なイメージをおぼろげにもっているだけだった。

そもそも、私自身は幼稚園こそ(たまたま)キリスト教系で
あったものの、いわゆる、初詣に神社に行き、葬式は仏式という

だから、「修道女」とか聞いても、昔に読んだ「キャンディキャンディ」を
思い出すくらいの、無知さである。

正直、結婚するという段になって、そういう世界に抵抗が
あったのは否めない。
実際、抵抗もした。(キリスト教式は嫌!とか)
でも、宗教問題はそれこそ、戦争まで引き起こすデリケートな
問題。到底話し合いで簡単に理解しあえるものではないので、
これは、時間をかけよう、と腹をくくって、(泣く泣く?)
キリスト教での式を挙げることになった。

一口に教会で式といっても、いろいろある。
いわゆる「チャペル式」で女の子に人気!というアレね、

いわゆるアレの多くはキリスト教でも「プロテスタント」らしい。
「カトリック」の方でも、またいろいろ宗派みたいな
のがあって、まずはその宗派の教会でしか
式が挙げられない、と言われた。
こういう派閥みたいな話が大嫌いで私は既存の宗教に抵抗があった


そして、最低半年ほどの聖書の勉強が必要と。
ここはまあ、知らずに抵抗するのもなあ、と
まじめに受けた。
ちなみに、いわゆるチャペルのアレは大概一回くらいの講義さえ
でれば、式を挙げさせてくれる。まあ、商業主義でしょう。

そんなこんなで、小さな抵抗をしながら式の準備をしていたら、
修道女である伯母さんから、結婚の祝いが届いた。
祝いのカードと一冊の本。
文庫本に似合わぬ手作りの豪奢なカバーがついていた。
「あなたの中の秘密のあなた」遠藤周作 著
「秘密」って・・・確かに引っかかったけど、
それまでの、宗教独特の押し付けがましさに辟易していた私は、
中をめくることなくその本を本棚の端っこに押し込んだ。
押し付けられると、ますますうんといえなくなる厄介な
私の性格。

そうして、式当日。
式のまとめに神父様の講話があった。
「えーそもそも結婚指輪というのは、
裏と表がありまして・・」というところから、
延々人間には裏の部分、弱さ、ずるさ、汚さがあって
表のきれいなところばかり愛してはならぬと。
いろいろ結婚式に出たけど、こんなに夢のない話は
初めてだわ、と思いながら、
仕方なく参列者一同頭の冷える話を聞き入った。
これがどうだか、式後「いやあーあの神父様の話はよかった」と
既婚者、おもに年配の方には大好評。
門出の二人としては、ちょっと冷めたけど、今思えばよかったのかも。

それから、数年後、アホな夫婦はドタバタの大戦争を巻き起こし、
闘い疲れたとある日私はふと、本棚に似合わぬブックカバーに
目を遣った。
そういえば、修道女様にもらった本。
一気に読めば、これまた頭もクールダウン。
「結婚生活、互いに裏を持て、腹黒く行け」と。
神父様も、修道女様もとにかく、人間「裏、裏」。
「弱いの、汚いの、ずるいの、そこに目をむけよ」と。

このあたりから、随分私のカトリックへの見方が変わってくる。
極めつけは、義妹。
結婚式の招待状が来て、参列してくれとのこと。
もちろん、喜んでと思ったら、相手は「神様」だと。
どうして宣教師になったのか、彼女に聞いたとき、
彼女が言った言葉を思い出した。
「人間の愛は不完全、裏切り、妬み、蔑むでしょ。
だから、どこまで行っても満たされない。その点
神の愛は裏切らない。完全なる愛でしょう?」

しかし、私は彼女に言いました。
「確かに、人間の愛は不完全。それどころか愛なんて
なんだか私には語れることすらできない。
でも私は、そもそも完全な愛なんて求めてないのよ。
むしろ、裏切りも、妬みも、蔑みも味わいたいくらい。
それが、生きてる人間の特権でしょ。」
以下平行線。
ホント宗教的な話は難しい。
言葉で説明できない部分が大きいから。
つまりは、彼女は「完全なる愛」を求めたということなんだろうな。


(以下、私の現時点での個人的意見)
そもそも、宗教は魂が求めるものであって、
他人から押し付けられるものではあってはならない。
組織化、派閥化している既存の宗教はやっぱりどこか
人間の作った宗教組織にしか思えなくて、
私は触手が動かない。
ただ、人の手の届かないもっと大きなものの存在(それを
神というのだろうが)は確かに感じて、そういうものを
信じる心を宗教心と呼ぶことはできるだろう。
そういう意味で、私には「自分の宗教」みたいなものがある。
だから、既存の宗教を求めてはいないのかもしれない。
今のところは、だけど。

ところで、「完全なる愛」を求めるって、
私にはとっても強欲に思えるんだけど。
でも、きっとそれを求めた時点で神様以外に応えられる相手は
いないんだろうな。
そして、確実にそういうものを求める人々が世界には沢山いて、
だからこそ、こんなにも宗教が必要とされ存在している。

お近づきになって、「聖職者」のイメージが変わったのは確か。
温和で清潔なイメージから、「人間の裏」から逃げようとした
人達なのでは、と思っていたが、
もしかしたら、誰より人間の「裏」を知った人達なのかもしれない。
でないと、日々の質素な生活、神様との結婚(つまりは子も持たない)
と、そこまで沢山のものを捨てられる訳がない。
やっぱり「裏」まで味わいたいとか言ってる私の方が強欲なのかしら。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008年02月28日 00時31分15秒
コメント(4) | コメントを書く
[いつか来た道] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: