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遺伝子は親や先祖から受け継いだだけでなく、たった今も働いている。遺伝子がちゃんと働かなければ、生きてはいけない。しかし全ての遺伝子が常に働いているわけではなく、多くは眠っている。精神的なストレスによって遺伝子のオンオフが調整されているらしい。精神的ストレスにも様々あるが、楽しい、快い『陽性ストレス』は、眠っていた遺伝子のスイッチをオンにして体に良い影響を与えるようだ。心の働きは、遺伝子を操作するのである。
2007.07.31
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人間全てを全うすることはできない。御用を徹すためには、命がなくなるのかもしれない。しかし御用を徹すためには命を捧げなければならないのかもしれない。人間生きて、最後まで役に立つにはどうすればよいのか。終いの生きざまをどのように過ごしていけばよいのか。意思という心を貫くことが肝要か、それとも成り行きで調整していくことが肝要なのか。道は1つしかない。それを選ぶのは、あなたしかいない。
2007.07.31
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広大なお蔭と言うがお蔭は氏子めいめいの真に映る影のことぞ神様には大きな真を向けてみよ大きなお蔭が身にいただけるぞ影は形に添うと決まったものじゃ
2007.07.31
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大阪大会決勝速報(7/30) 初優勝! 金光大阪 300000001=4大阪桐蔭 100000002=3(金)植松-毛利(桐)中田(4.2)、石田-岡田▽本塁打 石井(金)▽三塁打 毛利(金) 生島(桐)▽二塁打 山口(桐)*安打 金9 桐11*四球 金3 桐3*死球 金0 桐3*盗塁 金0 桐0*三振 金14 桐3*失策 金2 桐0 -------------------------------------------------------------------------------第89回全国高校野球選手権大阪大会(朝日新聞社、府高野連主催)の決勝が30日、大阪市の舞洲球場であり、金光大阪が、昨年の決勝で惜敗した大阪桐蔭を4―3で破って初優勝を決めた。阪神甲子園球場で8月8日に開幕する全国大会に出場する。
2007.07.30
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江戸時代以降昭和20年までの教育は、儒教。特に、武家・エリートは、朱子学中心であった。そのなかで江戸時代は、庶民は陽明学的な生き方を学んだ人が多かった。楽んで以て憂いを忘れるとは、是れ聖人の道此(みちかく)の如くにして、真に戚(いた)む時有る無きなり王陽明楽しんでやってみろ、なんだっていい。うれいを解決するにはどうしたらいいのか。悩みがあるときにはこうしたらいいのかと、いくら心理学の本を勉強しても、なかなか治りはしない。ゴルフでもダンスでも恋愛でも何でもいいから、やりたいことを、汗を流して、楽しんでやってみる。子供たちが遊びようにひたすら楽しんでやってみる。そうすれば、うれいなんか自然にとれるだろう、楽しむことくらい素晴らしいことはない陽明学はこんな考え方である。
2007.07.30
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未熟さはどこまで許されるのか?大人になりたくない子供。大人はみにくく、成熟を拒否する。永遠の子供にあこがれる(ピーターパン??)どこまでも成熟を認めない親子関係。1、勝ち組、負け組・・・子供を勝ち組にするようにプレッシャーをかけ続ける 勝ち組は金持ち・・拝金主義。 2、個性優先、自己主張をはき違えている。・・・自分のやりたいことだけやる。 自己中心的な人間が育つ。わがままを押し通す。 自分のやりたいように社会が動いていると勘違いしているだからこそ、早く社会に送り出して、自立しなければならない。自分のことは自分が決めたいなら、自分を確立しなきゃならない。責任と権限 言いたいことやりたいことやるなら、その結果に責任を取ることである。成熟するってことは、責任と権限を有して、自己を確立することである。
2007.07.30
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信心は家内に不和が無きが元なり父母も子供も共に生まれたり育たねばならない子も父母も
2007.07.30
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あなたが部門長であるとする。きばって全部自分でやろうとすると、大きな抵抗にあうか、やる気のないイエスマンに囲まれることになる。決して何十人の部下の仕事は1人ではできないようになっているのだから...。部門長も挫折した消化器系に持病のある方になれるか、なにも知らない振りをする裸の王さまになれる。
2007.07.29
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ちからのある言葉伝える言葉の強い思い全ては相手へのあなたの強い思いがあり、意思があり、なんとかしたいと思うから伝わるのである。沢山の思いの中であなたへの気持に集中していくことが大切である。
2007.07.29
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知らない事は恥ではない不自由である人には、して良い事 悪い事がある言うて良い事 悪い事がある悪い事をしていながら居直る人もいる幼児の段階から善悪が身につくと言う
2007.07.29
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ちからのある言葉 伝える言葉の強い思い 全ては相手へのあなたの強い思いがあり、意思があり、なんとかしたいと思うから伝わるのである。 沢山の思いの中であなたへの気持に集中していくことが大切である。
2007.07.27
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内に改まり 正しければ外に現われる事正しい自分の徳が神と同根なり人の上に立つ人は絶えざる批判に晒されそこからよくなる
2007.07.27
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戦前の人々の持っていた死に向かいに合ってのしたたかさは、…。 死を視ること帰するが如し。~日本人の死を畏れない民族性は、霊魂信仰、魂はこの世とつながって存在しているという揺るぎない信念が、縄文時代からの大切な死生観であった。これにより、死を覚悟しながらも生きることに心を傾け、生涯の仕事と決めた一事に集中して、心静かに死を迎えた。 いまは、自分は死なないと思って生きている。長生きする欲だけ。 80歳を超えると三分の二はボケて死は考えない。なんだかわからないうちに一生が終わるのである。 まあ霊肉二元説のキリスト教の病院では、生命の灯が消えた時から遺体は彼でも彼女でもなく、ITと呼ばれる。そこには魂なんかない。
2007.07.26
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誰でも、悩みの袋小路に入ったら、出口がわからなくなる。 気が付いたら入口もないかもしれないと不安になり、同じことをぐるぐる考えるようになるのである。 そんなときは自分の原点に帰ってみることである。 自分は何をしたくて、いま悩んでいるのか? 悩んではなにも解決しない。解決できる相談相手を探すのもよいかもしれない。 日にち改まる気持ちを大切にするというのは、その袋小路に入りこまないように、道を教えてくれることなのかもしれない。
2007.07.26
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お道の御用に大・小 重い・軽いの区別はありませんいずれも大切な御用ですお役に立つとか立たぬとか向うにばかり 目をやらず御用を通して自分がどうして助からして頂くか 手元を見て行くことが大切である
2007.07.26
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がまん 【我慢】 感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。(1)〔仏〕 七慢の一。実際には存在しない我が自己の中心にあると考え、それを根拠として行動する思い上がった心。おごり高ぶり。「-邪慢の大天狗ども/太平記 18」(2)我意を通すこと。わがまま。強情。「和御前がやうなる-愚痴(ぐち)の猿智恵を/浄瑠璃・出世景清」(3)〔彫るときに痛みを我慢することから〕入れ墨。〔[二](1)が原義〕しんぼう -ばう 1 【辛抱】 (1)たえしのぶこと。じっとがまんすること。「奉公へ行つた積(つもり)で-するもんだ/土(節)」(2)がまんして働くこと。「長年-した甲斐があって、やっと店をもてた」〔一説に「心法」からという。「辛棒」とも書く〕くろう -らう 【苦労】 物事がうまくいくように、精神的・肉体的に励むこと。逆境にあって、つらいめにあいながら努力すること。また、あれこれ心を用いること。労苦。「親に-をかける」「-しただけあって人情の機微に通じている」「大島田に、埃(ほこり)がかかるを-にして/当世書生気質(逍遥)」我慢は続けられないが、辛抱は続けられるのか?苦労は買ってまでするべきなのか?否。目標のためには辛抱しても、自分の感情や欲望のままに行動することはとめられないのである。苦労を苦と取らず、自分をねぎらう楽しみを持つのがよい
2007.07.24
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親祖先を大切に致せ根を断ちて枝葉の栄えた例しはあるまいぞ信心する人は木の切り株に腰をおろして休んでも立つ時には礼をいう心持ちになれよ
2007.07.24
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元々は新鮮な見聞だから、新聞。しかし今は1~2ヶ月も前から準備する。そうするときょうの表情が伝わらない。和魂洋才が敗戦でだめになり、無魂洋才もバブルでご破算になり、無魂はダメだとさとり、洋魂洋才でいけとなったがキリスト教路線には進めない。韓国のようにキリスト教国にもいけないわけです。かと言ってグローバルスタンダード(世界標準?)路線でアメリカの言いなり路線には変われない。根っこの感受性てか魂は、そんな簡単には変わらないのである。
2007.07.23
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迷いは欲からおこる欲をはなすと決断がつく役に立つ時は人が大切にする役に立たなくなると人が相手にしなくなる
2007.07.23
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人間が意欲を持って動けるには1、実現可能な目標2、利益実感が必要というらしいですが、目先の利益だけで人がヤル気になるとは、たいした志ではない。でも食えないからしょうがないと思うでしょうでも人間は食うためだけに生きているわけではないし、その為だけでは虚しい。だが日本人は既に食うためだけに生きているのではない。楽しい目標を持つことで自己実現することで、満足できる心への充実感を体感していくべきである。
2007.07.22
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体だけ休めても心が安らかでないと安静とは言えない安心もわが心心配つくるもわが心
2007.07.22
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自分が狂っていると告げる人間は、実は狂っていない。『いき』も似ている。自分の事を自賛できない言葉である。...さっぱりとした気立てで、垢抜けがしており、色気があること。『意気』からの転用。『意気』とは、気立てやあふれる元気をさす他人にこのような印象を残す人間を『いき』な人、と呼ぶのである。あくまで素直に、さっぱりと垢抜けていること...これが現代の『いき』である。chicという『いき』のフランス語。米国語でdandyとか?しかし日本語の『いき』は少しさっぱりと、人肌の温もりを感じるものかもしれない
2007.07.21
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平成19年7月21日(土)07041 1,金光教とは、神と人、人と人、人と社会が、共に助かり、立ち行く世界の実現をめざしています。 1859年教祖金光大神(こんこうだいじん)様は、天地金乃神(てんちかねのかみ)様からのお頼みのまま、人の願いを神様に、神様の願いをひとびとに取り次ぐようになりました。教祖様は、一人ひとりの苦悩や願いを神様に祈り、人その人の実情に合わせて助かりの道を示しながら、世界の助かりを祈り続けました。 金光教は、神様の大いなるみ恵みの中で、つながり合う私たち一人ひとりが、幸せで実りある人生を築いていくことを願っています。2、霊神様(みたまさま) 教祖様は、人間は死んだらどうなるか、という疑問に対し、「自分もまだ修行中で、死んだ後のことまでわからない」と率直に言われました。ただ、人間は、生まれる時、神様の「分けみ霊」をいただいてきているのだから、体は、土の戻り、み霊は神のもとに帰ってゆき、神様のもとに納まっていくものである、とみ教えになっていたことが明らかになりました。教祖様は、「死を恐れるな」「この世でしっかり働いて、徳を積んでゆけば、死後を恐れることはない。この天地の親神様には、死後もお世話になっていくのであるから、生きている間はしっつかり徳を積んでように」とみ教え下さっています。「死」を恐れることなく、死後、神様に一層お世話になっていくのであるから、安心して死ねるようにと諭されました。また、死は忌み嫌うものではなく、死は、めでたいものだ、とすら教えて教えておられました。3、祭典とは 祭典は、取次を現したものであり、個々人のお礼やお願いを祭主が祭詞をもって神様に取り次ぐことを中心とした儀式をはじめ、儀式のあとに行われる教話等を総称して言います。 祭典は、神と人とのかかわりを、あらためて確かめるものであり、信心を進める私達にとって欠かす事の出来ない大切なものであります。 祭典では、信心する者同士が一堂に会し、この道のご神縁を頂き、ここまでのおかげを受けて来ていることを喜び合い、ともに神様へ霊神様へお礼の気持ちを現します。さらに、ご神願を担う私達として、世界の平和と人々の助かりを願っていきます。 儀式のあとに、神様にお供えした食物を、おさがりとして頂き、神様の恵みや、霊神様の立ち行きを語り合う信心神習の機会にさせていただきましょう。4、助かっていく 本教の良さの一つは、個々の難儀(問題や課題等)を神様と信奉者間を教師があいよかけよで取り次ぎ取り次がれる関係にある点である。 教祖様の神様を敬い敬愛していく中で、神様との生き方を実践され、それを生活の中で習うことが信心である。 勢をそろえた信心も大事ではあるが、一人信心、自立した信心が大切である。なにが起こっても人間の心がわからなくなっている世の中、幸い信心生活を営んでいる自分の言葉で自分の信心を芯となる「信心の自立」をキーワードに、人に伝えるお役に立たせていただきたい。5、先代教会長仲井昭夫先生の言葉・とかく今の日本人は、自分に利益があるかどうかを先にたてて、物事を考える習慣がある。どこかでこれを乗り越えていかないといけない。・天地の命につながる命と共に助かっていく生き方を身近な暮らしのなかで求めるのである。・儚(はかな)い命、難儀、さまざまに起る事を、他人事として考えず、自分の身に起ったならどう考え、行動させていただくかを考え、思いやりの心を持たせていただきたいものです。・はき違えの人生を進むと、とかく気づいたときには手遅れだと思ってしまうものですが、手遅れと思うのは自分が決めているからそうなるだけです。手遅れは人心、神様が先回りして待っていてくれているのであるから遅いと言うことはない。・年末、式年、祭典日、日々のあらたまりの祈念は、気持ちを新たにする節として大切にしていきたいものです。・人間は一人一人その人だけにしか作れない人生を作り上げる為に生まれ来たりとさえ思える。・耐力を養う。苦しさこそ人間の機能を活発にする活力を与える竹のようにしなやかに耐力を養うこと。・情緒に流されず注意して実体を見極め、言葉の意味を慎重に吟味し。しっかり考える習慣をつけること。・リーダーの実務的な実行力もさることながら一人ひとりの豊かな想像力が組織の血液となって真のヒューマンな組織となる。・悠々としていなくてはならない。・人間はぎりぎりの処に立ったときに決まる。・人生の悲激は親子に成ったときに始まる・元日に限らず一日一日を大切にしてお蔭を受けること。・豊富な体験を基にして老いてからでないと理解できないこと、見えないことがある。
2007.07.21
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体だけ休めても心が安らかでないと安静とは言えない安心もわが心心配つくるもわが心
2007.07.21
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自分に関係があれば現実だが、関係なければそれは思想だと言う思想の持ち主である。聞く事、見ること、考えたことはすべて現実であり、思想である自分には思想がないと言う思想は、一番経済的な思想である1,自分が何を信じている(いない)のか、わかりやすい。2,どういう中身を信じたらいいか、考える必要がない3,仮に何かを信じたら起りうる『だまされた』という問題を避けることができる。信じなきゃ、だまされない。思想という言葉は、哲学や宗教についても同様である日本人の無思想、無哲学、無宗教とは、実際はもっているが、それをそうだと思っていない~日本人は無宗教だ!ではなく、宗教はあるがそれを宗教だと思っていない~のである。実は日本人は信心深い~初詣、お盆に故郷に帰るなんていうのもそうである~ただそれを宗教だと思っていないのである。
2007.07.20
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人の心を助けたいという欲。人と関わり、人に立ち入り立ち入られ、人間関係のるつぼの中に生き人を愛し、人にふれあい、人に生きる人の心を助けるには、自分がいつも充分でないと何も出来ないそのために自分は精進すると言うことである
2007.07.20
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人はなぜ相手を傷つけてしまうのかこう言うと傷つくと思いながらも、言いたくなる、意地悪な気持ちがある~相手から傷つけられた為か。人間の攻撃性なのか、自分の弱さの露呈を避けるために、相手を責めたり、相手から逃げ出してしまうのか人は弱く、弱いが故に虚勢を張ろうとする素の原因を解決せずして、攻撃性を転換できない 相手をとことん信じて、それを裏切らない事であるだけど散々裏切られ、裏切ってきた。こうと決めたら、相手を守り信じ通していくしかないと思い今まで来た自分の弱さをさらけだし、相手は信じて貰えないのに、相手を信じたままに生きるのは、変な生き方かもしれない
2007.07.20
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一種の厳正な、ドラマであり、ショーである。ドラマとは劇的な流れをもつ、起承転結がある。ショーとは、人々がこぞって一つの目的に向かって力を合わせるイベントである。こぞって力を合わせてというのがミソで、同じ目的意識を持つ集団の行為なのである。悲喜こもごもの中に、振る舞いも規定されている。祝儀不祝儀は、人生のどの場面よりもドラマチックで、かつ荘厳なものである。参加することで人の世の営みの奥深さを感じる。冠婚葬祭は、人間だけが、この行為を『儀式』として仕立て上げたのだ。動物とは違う人間が人間であるための宣言なのである。だからこそ、今の日本に選択肢が沢山ありそしてそれがにわか信者になりお金ばかりかけて、内容のないものにしている。精神性を第一にした儀式と余計な行為のない心からの呼びかけが大事なのである。折り目正しい行動規範と心からのセレモニーに対する参加意識が大事なのである。形よりも、真心をこめてやるべきである。
2007.07.20
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若者には学力も大切だが明朗性 責任感 仕事には情熱を傾けてちょっとやそっとではへこたれない自信を持つ人になること
2007.07.20
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今は、脳至上主義の時代である。しかし、人間の主体はどこにあるかというと、からだの全ては免疫の体系が決めている。体のどの部分も脳すらも、取り替えたら免疫体系は、それを非自己だと認識し、拒絶する。臓器移植では脳が死んだら即、臓器移植するが、無理矢理延命のために、免疫を人工的に抑制し続けなければならないのである。脳は、身体ぜんたいによって支えられている存在なのである。重要ではあるが、特殊な器官ではないのである。自我とは免疫の基本的な最大命題であるが、寛容性を合わせ持っているのである。~寛容性とは、例えば、胎内の胎児は非自己でも自己と認識して拒絶はしない。
2007.07.19
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がまん 【我慢】 感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。(1)〔仏〕 七慢の一。実際には存在しない我が自己の中心にあると考え、それを根拠として行動する思い上がった心。おごり高ぶり。「―邪慢の大天狗ども/太平記 18」(2)我意を通すこと。わがまま。強情。「和御前がやうなる―愚痴(ぐち)の猿智恵を/浄瑠璃・出世景清」(3)〔彫るときに痛みを我慢することから〕入れ墨。〔[二](1)が原義〕しんぼう ―ばう 1 【辛抱】 (1)たえしのぶこと。じっとがまんすること。「奉公へ行つた積(つもり)で―するもんだ/土(節)」(2)がまんして働くこと。「長年―した甲斐があって、やっと店をもてた」〔一説に「心法」からという。「辛棒」とも書く〕くろう ―らう 【苦労】 物事がうまくいくように、精神的・肉体的に励むこと。逆境にあって、つらいめにあいながら努力すること。また、あれこれ心を用いること。労苦。「親に―をかける」「―しただけあって人情の機微に通じている」「大島田に、埃(ほこり)がかかるを―にして/当世書生気質(逍遥)」我慢は続けられないが、辛抱は続けられるのか?苦労は買ってまでするべきなのか?否。目標のためには辛抱しても、自分の感情や欲望のままに行動することはとめられないのである。苦労を苦と取らず、自分をねぎらう楽しみを持つのがよい
2007.07.19
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『さわやか』で、かつ『さっぱり』した状態を言う。自己規制があり行いを正しくさせるパワーがある。水のように淡白で、かつ透明な様子である。さらに知識や崇高な精神を拠り所にするのが重要な点である。無垢な行いを、磨きあげた知性と精神で裏打ちするのである、車の両輪のように。自らの固有文化への自負があり、文化継承のための日頃の鍛錬を怠らずに、自信を持ち合わせていたのである。
2007.07.19
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生命は天地の神の造り下されたものである天地の心を心として御神意の侭(まま)に事実をあるが侭に見て何事も大切にすること
2007.07.19
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ラコニカ 不言実行型だったスパルタ。口数少ないスパルタはラコニア地方にあるのでいまだに『口数少ない人』をイタリア語でラコニカというらしい説得するには、歓ばせて、いかに心地よく口説くかって言うことである。相手の意地悪な質問に、いちいち真面目に答えるんじゃなく、その方がニャーッとするようなこたえ方をする。知らないことを知らないと言わないように、相手にも知らなかったことをわからせないように話を進めていく。真理は、言葉で言い尽したなかに生まれていくものである。人を強く惹き付ける魅力を豊かな表現力や言葉のもつ美しさを発揮すると、好き嫌いを超えて惹きつけるものとなる。雄弁こそ命がけ。
2007.07.18
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人間無理もしなきゃいけないときもあるし、無理をするところもある。だが、大切なのは、『ほどほど』ってことです。たとえば、『肩が凝る』というような身体のサインにはちゃんと従うべきである。
2007.07.18
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他人にわずらわしいこと 気に入らぬことを辛抱させるような 不徳なことでは人徳はいただけぬぞ
2007.07.17
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世界には、大人と子供の区別する文化と区別しない文化がある。時代にもよるのかもしれない。子供が高級なレストランとか高級なお鮨屋さんというとこに連れていく。今の日本は区別しない国になった。まったく文化の喪失である。あり得ない。少し前までは、厳格に区別し、お客さまと食卓をともにすることも絶対できなかった。子供はいつか『いつか大人になって!』って思いつつ育つ。親は、わざと子供は子供扱いして育てていく。たとえば、自動車の乗り方でも異なる。家族で父親が運転席、助手席には誰が乗るのか?例えばイタリアでは助手席は絶対に母親、子供は後席。日本では、しばしば子供が助手席で、母親と小さい子が後席へ座ることが多い。日本では子供ができた瞬間に家庭内の優先順位が子供に傾き、妻からお母さんになり順位が下がるのである。日本では、そのお母さんが主人を見下し子供に接すると、順位が、1子供2母親3父親となる勘違い親子がいる。不思議な順位である。それなら子供が働き、父親は養われなければならないことになる。何をどうしたいのかよくわからない。お好きなように…。不思議な親たちは、結局は自立出来ない依存したアダルトチルドレンを作ったり、人を見下す人間を育て、自分達も見下されて生きていくのである。
2007.07.17
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新たな1日に向かう昨日は忘れ、今日を喜び、明日を楽しみに生きていこう人がMailに書いた事や言ったことは確証がないといつまでももたない。結局は、現実に起こった事、肌で触れたものしか人は信じられなくなる。最後は面授である。それが偽りない、人と人の心のふれあいである。
2007.07.17
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人情をはなして 神心となり神心をもって 人情を尽くせ
2007.07.17
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あたりまえの事って、人それぞれなんですね今、こんなの当たり前だと思っていたことが通じないんですね。言葉で示し、態度で示し、行動に出るとき、受け止め方が違います当たり前の意味や定義の統一をはからないと言葉や態度や行動が通じません。 排他的な、独りよがりな人はこれを説明したり、違いを理解しようとしない。さらに教えることもない
2007.07.16
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人間は、まず自分を責むべきであって、世の中や時代を責めるべきではない。世の中が悪い、時代が悪いというならば、そういう時世に対して、一体自分はどれだけ役に立つのか、それをどう解釈し、どういう信念、情熱を持っているのか、自分を責めるがよい人のせいにしても、何も解決しない。自分を知ることが一番大事である...なかなか難しいが。
2007.07.16
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言葉では伝えられない。思い込みをとめることも、理解して貰うことも。一度思い込んだら、なにを言おうがナニを書こうが止められないのである。こうと決めたことは、自分の中では筋書きが出来ていて、人からは事実や理屈では理解できない。感情だけがひとり歩きするのである。聞く耳を持たない人に近くことは出来ないのである。
2007.07.16
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愚痴不足 勝手考え 取り越し苦労どれを一つ持っていてもおかげの断りになります
2007.07.16
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月例祭教話 平成19年7月14日(土)07040 1、首都圏交流教話(武蔵小杉教会長)教題「祈られている私」 2、いい人 人格者とは、 『志が高く私心にとらわれない』という積極的な意味合いと、 『性格が弱く自分を主張できない』という消極的な意味合いと、2種類のある。 マイナス面が現れれば現れる程、『いい人=ダメな人』ドウデモいい人になる。 温厚で腰が低く、面倒見がよくても、いうべきことは、相手が誰であれ、いつも同じことを同じ態度で示す。 耳が痛いことを言われても、筋が通った指摘ならば、人は肩をすくめながらでも従うのである。 言いにくいことを親身になって言ってくれる人に、煙たくても、一種の敬意を感じるのである。3、今社会が要求しているのは? 今日本人は、安ければ何でもとびつくと考えられている。そのため、今会社で最優先されているのはコスト削減である。~安全や品質等を二の次にしている。 コスト削減は誰でも目に見えるため手っ取り早く儲けるための近道である。 安全や品質のように専門家しかわからないようなものはどこまでも削ぎ落とされた。 材料の質を落とす。粗悪なものに替える。とにかく安ければ良い、安い所から買う。 耐久テストとか将来への安全の投資は手を抜いて、とにかく早く市場に出す。 設計の手抜き、安全運行の手抜き、欠陥隠し、事故、食品の安全もない、品質も落とす。~食材でないものでも混ぜて食品として売ってしまう。 とにかくコスト削減と利益拡大だけで、残りは淘汰されてしまう、更にリストラで慢性的な人員不足にしてあるから、現場は一触即発の危険な状況なのである。 経営者の常識である『日本人は安全と水はタダで買えると思っている』と同じように『社長は安全と品質は現場がタダで自動的に保証してくれている』と思っている。 なにか事故や不祥事が起こるたびに、『こんなはずがない』と盲信して、危機管理は何もしていなかった、取引先とか他人に押し付けていたかしていたことが露呈するのである。 世の中は、どんな場合でも相反する~二律背反の状況であるので、二者択一の判断が必要なのである。 その時、商売は単なる金儲けだとし、他のすべてのものを切り捨てようとするのが現代の常識になってきている。~毎日の新聞、テレビのお詫びの回収改修記事やコマーシャルはひっきりなしである。 本来は、今だけではない将来へ続いていく継続的な商売として考えて行くべきである。 商売はさせていただく心になって謙虚にいかなければ楽しくない。ただやらされているのでは、流されていくだけである。 本来あるべき姿を見据えた商売をして、今を評価して進んでいく所を大切にしていかなければならない。 どんどん進む今の格差社会では、安く悪いものでも美味しくいただける人が大量に必要となってきているのかもしれない。~目指しているのはそんな社会かもしれない。 現代に立ちゆく道を模索して、貫いてこそ楽しい時間が過ごせるのである4、天職? 天職=生まれながらがら身についている職務こう思っている人は『天職』という言葉に目がくらんでいるだけである。 『天職=その人が満足して従事している職業』であり、今の職業で精一杯愛し、必死になって働けばよいからだ。 満足して働いて得る充実感こそが天職を得たということなのである。5、心を枠にはめる 人間は、いつでもだいたい自分で『以上未満』の範囲が決められていると思っている。 皆、枠にはまって生きているのである。 いつもそうしていると、枠組みがないと生きていけないように思い、自分で自分に枠を決めてしまうのである。だが枠を自分にかすと不自由である。不自由さに慣れてしまうと、自分への気楽さ、考えない心を育み、流されていくのである。 物事にとらわれない生き方が、本来の生き方であり、自由な心を持てるのである。
2007.07.15
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時の信心より常の信心 時の追肥より常の地肥時のお百度参りより その日参りに お蔭は受けるがよいぞ
2007.07.15
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今日本人は、安ければ何でもとびつくと考えられている。そのため、今会社で最優先されているのはコスト削減である。~安全や品質等を二の次にしている。コスト削減は誰でも目に見えるため手っ取り早く儲けるための近道である。安全や品質のように専門家しかわからないようなものはどこまでも削ぎ落とされた。材料の質を落とす。粗悪なものに替える。とにかく安ければ良い、安い所から買う。耐久テストとか将来への安全の投資は手を抜いて、とにかく早く市場に出す。設計の手抜き、安全運行の手抜き、欠陥隠し、事故、食品の安全もない、品質も落とす。~食材でないものでも混ぜて食品として売ってしまう。とにかくコスト削減と利益拡大だけで、残りは淘汰されてしまう、更にリストラで慢性的な人員不足にしてあるから、現場は一触即発の危険な状況なのである。経営者の常識である『日本人は安全と水はタダで買えると思っている』と同じように『社長は安全と品質は現場がタダで自動的に保証してくれている』と思っている。なにか事故や不祥事が起こるたびに、『こんなはずがない』と盲信して、危機管理は何もしていなかった、取引先とか他人に押し付けていたかしていたことが露呈するのである。世の中は、どんな場合でも相反する~二律背反の状況であるので、二者択一の判断が必要なのである。その時、商売は単なる金儲けだとし、他のすべてのものを切り捨てようとするのが現代の常識になってきている。~毎日の新聞、テレビのお詫びの回収改修記事やコマーシャルはひっきりなしである。本来は、今だけではない将来へ続いていく継続的な商売として考えて行くべきである。商売はさせていただく心になって謙虚にいかなければ楽しくない。ただやらされているのでは、流されていくだけである。本来あるべき姿を見据えた商売をして、今を評価して進んでいく所を大切にしていかなければならない。どんどん進む今の格差社会では、安く悪いものでも美味しくいただける人が大量に必要となってきているのかもしれない。~目指しているのはそんな社会かもしれない。現代に立ちゆく道を模索して、貫いてこそ楽しい時間が過ごせるのである
2007.07.14
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不平不満 怠け心 身勝手な事が身につくと不幸になる悲しい事苦しい事に出会った時に避けて通る心では不幸になる人間の価値は物により裏付けされがちであるが自ら切磋琢磨することにより培われる豊かな心に価値がある
2007.07.14
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不祥事の前には、たいてい前兆がある。こまかな話から噂がある。そんなときに不祥事の芽を摘めば大事にはいたらないのだが、当人が優等生だったりすると、評価も指導も甘くなるのだ。小さい問題は誰でも起こすが、大きな間違いは、えてして、上司の秘蔵っ子とよばれるような優等生が起こすのである。
2007.07.13
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余計なことを言うな→余計なことも大切なことも言わなくなる。君の意見など聞いていない→なんでも聞きにきなさいなんていう人がいうと誰もついてこなくなる。職場のホエレンソウと言われる(報告、連絡、相談)をやるひとはいなくなるのである。ほかにやることがある。→逃げ言葉である。あなたを相手にはしないと宣言しているのであるから、話すだけ時間のムダなのである。上司としての禁句、部下の心を傷つけ、その後のCommunicationに決定的な悪影響を及ぼすことになる。対処方法は、どんなことを言ってきても、とっさに『それはおもしろい!』と心の中でつぶやくのである~単なる条件反射としてでもよいから…。そうすると、受け入れて貰えなくても、きちんと対応してもらえたという爽快感はのこる。誠実に対処してくれれば、心の絆は切れないのである。意見の賛否ではない。口に真を語りつつ心に真のなきこと。では、最初の日だけはごまかせても、継続したつき合いの中では心が見えてしまうのである。結局、こういうノウハウは、その場限り、コンサル的には有効だが継続しない。
2007.07.13
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辛抱は徳を積むもとである 苦難に負けてはならんどんな難儀にも根気と元気と活気とで耐えて行くこと人は試練に耐えた強さだけ成長する
2007.07.13
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