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知らない事は恥ではない不自由である人にして良い事 悪い事がある言うて良い事 悪い事がある悪い事をしていながら居直る人もいる幼児の段階から善悪が身につくと言う
2012.06.29
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人は苦労に鍛えられて深みの出る人と苦労にねじふせられて曲がってしまう人とがある物が豊かになる程ものを粗末にする人が多い
2012.06.28
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何程神信心するとも神の力にかなわぬ事もある悪なりと思う事は何事もなすことなかれ上に立つ人にも聡明な人と愚かな人がいる
2012.06.26
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みな、病気の名前や病気のもとは不思議によく知っているが、おかげの受けられるもとは知らない。病気のもとよりは、おかげのもとを訪ねてみよ
2012.06.24
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今生きている者は、親先祖の無いものはいない。必ず親先祖がいて、その特徴が備わっている。例えばモンゴロイドと呼ばれるアジア人の特徴は幼児の時にお尻が青いことだ(蒙古斑)。親子の記憶があろうとはなかろうとも、遺伝でどこか、子は親先祖の外見的な特徴を持ち、性格や気質を持っている。さらに親の生き方を見て成長することで、子供は親はこういうものだと定義されて見本となり、手本となる。子は、良くも悪くも、そういうものだと当たり前を決めてしまうので、後年その親を基本に自分も親となる。あんな親になりたいこんな親にはなりたく無いとか。教祖様は、親から信心するようにと育ち、周囲の寺社仏閣にお参りすることを条件に養子に行かれた。後も熱心に信心された。その信心する気持ちが、周囲の人の心を動かし、ああなりたい、見習いたい、こんな生き方がしたいとなって行ったのである。こうして願う氏子が、農家の教祖様の家に参るようになり、神様に願う事(ご祈念)、教祖様は話を聴き話をすること(お取次ぎ)で、お蔭をうけている自分のことに気がつき、授けられたお蔭を大切にする生き方にあらためるのである。示し申すことで、ここに神様が産まれるのである。神様と氏子がお互いに助け助けられながら、あいよかけよで立ちゆく道を進むことが大切なのである。お道では生活が信心の稽古場所である。今生活している中で信心して、お蔭を授けていただいている自分に気がつくことが大切なことなのである。
2012.06.24
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親先祖を大切に致せ根を断ちて枝葉の栄えたためしはあるまいぞ信心する人は木の切り株に腰をおろして休んでも立つ時には礼をいう心持ちになれよ
2012.06.24
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迷いは欲からおこる 欲をはなすと決断がつく 役に立つ時は人が大切にする 役に立たなくなると 人が相手にしなくなる
2012.06.23
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体だけ休めても心が安らかでないと安静とはいえない安心もわが心心配するもわが心
2012.06.22
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神も仏もないような世渡りをしてそこ結果が現れてくると神も仏もないものかと言って泣いています初めからないように扱っていて居るから無いように現れて来る
2012.06.21
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若者には学力も大切だが明朗性 責任感 仕事には情熱を傾けてちょっとやそっとではへこたれない自信を持つ人になること
2012.06.20
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生命は天地の神の造り下されたものである天地の心を心として御神意の侭に事実をあるが侭に見て何事も大切にすること
2012.06.19
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他人にわずらわしいこと 気に入らぬことを 我慢させるような 不徳なことでは 人徳はいただけぬぞ
2012.06.17
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平成24年6月16日(土)12253 金光教荻窪教会 教会長 1、神人あいよかけよの生活運動 立教神伝と天地書附立教神伝金光教では、以下の神示を受けた日を立教の日とし、この神示を立教神伝(りっきょうしんでん)としている。安政6年(金光教祖 46歳、西暦1859年)10月21日の神示、このときの金光教祖の神号は金子大明神である。 その内容は 「この幣切り境に肥灰(農業)さしとめるから、その分に承知してくれ。外家業はいたし、農業へ出、人が願い出、呼びに来、もどり。願いがすみ、また農へ出、またも呼びに来。農業する間もなし、来た人も待ち、両方のさしつかえに相成り。なんと家業やめてくれんか。其方四十二歳の年には、病気で医師も手を放し、心配いたし、神仏願い、おかげで全快いたし。その時死んだと思うて欲を放して、天地金乃神を助けてくれ。家内も後家になったと思うてくれ。後家よりまし、もの言われ相談もなり。子供連れてぼとぼと農業しおってくれ。此方のように実意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ。神も助かり、氏子も立ち行き。氏子あっての神、神あっての氏子、末々繁盛いたし、親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き」 である。解釈は、「客観的には、天地の親神の教祖に大命委託の神意を明らかにし、主観的には、教祖立教の首途の覚悟を示すもの」「本教全体の根本義を説き示され、本教の出発点であると共にその帰着点である」という解釈の上で、すすめていた。天地書附 神と人との関わり、信心する者の姿勢が端的に表現されたものです。 その内容には「生神金光大神様のお取次を通して天地金乃神様に一心に願いなさい。おかげは和賀心(和らぎ喜ぶ我が心)にあります。今月今日で(今日をかけがえのない日として)頼みなさい」と、私たちが信心して助かるためのあり方が示されています。 今回の生活運動は、立教神伝と天地書附を含めた教祖の生涯を立教の根本義であるとし、生神金光大神様のおかげの世界に目覚めていくこと。神人の道を開くことを取りすすめる生活運動である。2、我慢と辛抱 我慢は、自ら望まないことや、外からの環境、影響に対し、仕方なく耐え忍ぶことだと思います。 これに対し、辛抱というのは、自ら望んで、外からの環境、影響に対し、将来のために耐え忍ぶことだと思います。 我慢は、否応なく起こること。受け身でするが、辛抱のほうが、未来の目的のために今を耐え忍ぶ為に、前向きに捉えています。 3、暗示を掛け合う世界 「情報化社会は、民衆が互いに強力な感情的暗示を掛け合う社会であるという。健全な心身を得られる暗示は歓迎しそうでないものは拒む。そういう選択と防衛が可能な社会になって欲しい」と作家、沖方丁は語る。 病は気から。病気は気持からなるという諺がある。 気分と胃腸は関係が深いともいわれ、各自にも心当たりが有りそうである。 心は体調を動かし、体調は心を動かすのだ。 病気はなりたくてなる人はいないはずだが、生活習慣病と呼ばれるくらい結果として、なるべくして病気になる人は多い。 利己的な欲得ばかりではなく、自分の心身にそった生き方をしてみたら、こんな楽なことはないと思います。 病は気から、自分から病いになることはないと思います。 微笑みを絶やさない生活を送りたいものです。4、後悔 後悔とは、やらない事である。何故やらないのか問う事に意味がある。
2012.06.16
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愚痴不足 勝手考え 取り越し苦労どれを一つ持っていてもおかげの断りになります
2012.06.16
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時の信心より常の信心時の追肥より常の地肥時のお百度参りよりはその日参りにお蔭を受けるがよいぞ
2012.06.15
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埼玉県越生で行われている、教区教師集会に参加さしていただいております。今年よりが始まった、神人あいよかけよの生活運動の理解を深めこれから10年の運動について、具体的な実践について考えを深めていくためです。
2012.06.14
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不平不満 怠け心 身勝手な事が身につくと不幸になる悲しい事 苦しい事に出会った時に避けて通る心では不幸になる人間の価値は物により裏付けされがちであるが自ら切磋琢磨することにより培われる豊かな心に価値がある
2012.06.14
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辛抱は徳を積むもとである苦難に負けてはならんどんな難儀にも根気と元気と活気とで耐えて行くこと人は試練に耐えた強さだけ成長する
2012.06.13
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あわてる時がお蔭を頂く時じゃあわてる時に慌てるならばこれまでの信心はなんにもならぬ人を動かすのは 正しいとか間違っているとかの主観的な主張でなくそれがわかる資料を示す事である。この信念がいる。
2012.06.11
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好きな事ばかりやっていると段々後に嫌な事ばかり残る不自由をお蔭と喜んで不自由させて頂いているといつのまにか不自由がなくなる
2012.06.08
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なんぼう学問がある理屈がよいというても御信心のことは解っただけでは役に立たぬ事に当たって実際に出てこねば神様のお徳にはこうむれぬ
2012.06.07
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氏子忙しければ信心せよ 壮健なれば信心せよ とかく 氏子は反対をするから 眞のみかげが受けられぬ
2012.06.05
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考え方の美しさを身につけることが大切である。素直にうける心のゆとり自分にあわない人をきらう傾向があるやさしく話せば理解する
2012.06.02
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日に参っては日を頼め月に参っては月に頼め道は人が開けお蔭は神が授ける
2012.06.01
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