遊心六中記

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茲愉有人

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2018.03.08
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カテゴリ: 観照
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七条堀川の交差点から堀川通を北に歩むと、通りの西側には興正寺、西本願寺が並んでいます。東側には西本願寺に面して「龍谷ミュージアム」があります。さらに少し北に上がると、冒頭の 「井筒佐女牛ビル」 が見えます。 このビルの5階に、平安時代を感じる博物館があります。

この風俗博物館は 「源氏物語六條院の生活」をテーマに、平安時代の衣装風俗や宮廷生活・諸行事が源氏物語の場面を介して再現されています。

『源氏物語』に関心を抱き、地の利を活かして、宇治市源氏物語ミュージアムで企画された源氏物語関連講座を聴講し始めたころに、この風俗博物館を知りました。
現在の場所にリニューアル・オープンされる以前を含めて数度訪れています。既に当時の展示をご紹介していますが、 2018年前期の展示が始まりましたので、久しぶりに訪れました 。「興正寺細見」というまとめでご紹介した探訪日に、こちらも併せて訪れてきました。


今回は、平安時代の「年中行事」がテーマとなっています。
エレベータで5階のフロアーに入ると、


目の前に 「祇園御霊会」 が具現展示の場面として再現されています。
「祇園御霊会」は、「疫病除けの祈祷の御利益を受ける夏の年中行事」です
現在まで継承されている伝統行事である 「祇園祭」の起源となるのが「祇園御霊会」です 。疫病の流行しやすい旧暦の5月から8月にかけて、京の都だけでなく各地で無病息災を祈る祭礼が行われてきました。「祇園御霊会」が行われた平安時代には、山鉾は未だ登場しません。山鉾が登場するのは鎌倉時代末期から南北朝時代の頃になります。

上掲の画像に写っていますが、展示場面のそれぞれには写真入り説明パネルが置かれています。予備知識がなくても展示されている場面と内容が具体的かつかなり詳しく説明されています。説明パネルを読みながら展示を眺めると理解しやすいように工夫がされています。

これは上掲場面での説明パネルの一例です。 この後のご紹介には、当日いただいた展示案内資料や説明パネルなどを参照して、ご紹介します。
時間のゆとりを持って訪れられることをお薦めします。

手許の一書には、「祇園御霊会」について次の説明があります。
(資料1)


眺める位置を変えて、この行列を眺める当時の人々の様子を撮ってみました。

この 「風俗博物館」は「COSTUME MUSEUM」という英文表記をされています 。「約400年という長きに渡った平安時代の服飾の流れ」を具体的に展示するということ、当時の「衣装・衣裳」それ自体に重点を置かれています。衣装を当時の生活文化、風俗の中で生きた形に具現展示するという主旨です。それが源氏物語の六條院の生活に仮託されて表現されていると言えます。


この最初に眺める行列部分の先頭には、意匠を凝らした風流傘(ふりゅうがさ)を侍者に差し掛けられた 「巫女 (みこ) 巫女は唐衣裳 (からぎぬも) をつけた正装の十二単衣姿です

巫女の後には、 「葱花輦 (そうかれん) 」と称される「神輿 (みこし) が続きます。ここでは午頭天王( ごずてんのう :素戔嗚尊 すさのおおのみこと )の妻であり、 祇園社の祭神の一柱である「頗梨采女( はりさいにょ :櫛稲田姫命 くしなだひめのみこと )の神輿」 だそうです。
宮主(祇園社の神官)

神輿の後には、 「細男 (せいのう) 」と称される覆面をした芸能者 が続き、鼓を打ち楽を奏でて、死者を弔う舞を演ずるようです。最後尾には、稚児舞として 「延年の舞 花折」を舞う稚児 が桜の花の枝を手に続いています。

尚、現在では、細男の姿を奈良県の春日大社若宮おん祭りで名残として見ることができ、「延年の舞 花折」は平泉に伝わるそうです。補遺もご覧ください。




この具現展示の先頭で騎乗するのは 「乗尻 (のりじり) 」と称される競馬 (くらべうま) の乗り手 です。乗り手を 「右方 (うかた) 」「左方 (さかた) と呼びます。左右に分かれて2頭の馬を馬場で走らせて勝負を競ったそうです。それが御霊会の奉納として行われたとか。


「大幣 (おおぬさ) という祓 (はらえ) に用いるものが続きます。これに疫病を移して大路を回るのです。

大幣の後に、 「童 (わらわ) が続きます。大幣を持つ者も同様ですが、 この童の額には、祓の姿である「額烏帽子 (ひたいえぼし) 」がつけられています。
童は威儀物の神矢をさしかけた榊の折枝を捧げ持っています。常緑樹である榊の枝は神の永遠の力を表しているそうです。

右側の もう一人の童は邪気払いの太刀を榊の枝につけた形で捧げ持っています


「剣鉾( けんほこ :四神旗)」 を掲げた人々が続きます。
剣鉾は悪霊を祓うとされるものです。その剣鉾に、天上の四方の方角を司る神、青龍(東)・朱雀(南)・白虎(西)・玄武(北)のそれぞれの旗がつけられています。

余談ですが、「四神旗 (しじんき) 」は、「朝廷で、元日の朝賀や即位礼などのさいに大極殿・紫宸殿の庭に立てられた」 (『日本語大辞典』講談社) とのこと。



その後に、 「鳳輦 (ほうれん)」 の神輿 が続きます。屋根の中央に金銅の鳳凰を据えたのが鳳輦と称されます。 この神輿は祇園社の祭神・牛頭天王(素戔嗚尊)を乗せたものです
ここでは具現展示されていませんが、祇園御霊会では、もう一基、八王子(八柱御子神)を乗せた神輿を合わせ、3基の神輿が登場しました。
現在の祇園祭でも神輿渡御には3基の神輿が登場しています。そして、四条通の御旅所に3基が鎮座した姿をみることができます。これは祇園祭の一環で既にご紹介しています。

当日いただいた資料によると、「神の乗り物としての神輿の起源は諸説あるが、奈良時代の聖武天皇の頃、東大寺の大仏鋳造にあたり、天平勝宝元年(749)に宇佐八幡神を勧請した際、紫の輦輿に乗って奈良の都へ渡御したことに始まるといわれている」そうです。

『続日本紀』によると、天平勝宝元年11月19日の条に、「八幡大神は託宣して京に向かった」とあり、11月24日と12月18日の条ではその行路の状況が記録されています。それに続く12月27日の条に、「八幡大神の禰宜尼・大神朝臣杜女<分注。その輿は紫色で、天皇の乗物と同じである>が東大寺に参拝した」という記述があります。 (資料2)


(はらえ) に用いる 大幣を持っ者、薙刀を携えた狩衣姿の随身 が見えます。

白馬に跨がっているには 「馬長 (うまおさ) です。馬長とは「祇園の神事に宮中から遣わされ、馬に乗って参列する小舎人童など。」 (『大辞林』三省堂) と説明しています。華やかな衣裳を着た騎乗の小舎人童が行列を作って大路を進んだとすると、「馬長は、御霊会における騎馬行列で、御霊会の目玉だった」というのが理解できます。

内裏の蔵人が中心になって馬長を調進 (=調達すること) していたそうですが、院政期に白河院が祇園御霊会を積極的に支援するようになると、白河院が中心となり馬長を寄せる様になったとか。白河院は院の殿上人だけでなく、内裏・女院の殿上人や摂関家にも馬長の調進をさせるように拡げて行ったと言います。「飢饉となり疫病が流行した時は、その分多くの馬長を寄せ、盛大な御霊会を行うことで御霊(疫神)を慰撫した。しかし、飢饉が続き貴族の経済力が低下していくと、馬長の調進は貴族にとって多大な負担となり、貴族達は馬長の奉仕を何とか逃れようとしたという」状況にもなっていったそうです。逆にみれば、馬長はそれだけ見栄えがする御霊会の目玉になったということでしょう。




そして、 編木 (びんさらさ) や鼓・太鼓を演奏する「田楽」の集団 が続きます。田楽には笛を吹く人も加わります。元来は田植えの前に豊作を祈る伴奏と舞踊が行われ、田楽は豊穣を祈念する意味を担っていたのですが、 鎮魂の意味もあった そうです。そこで、 水干姿に飾りの藺笠を付けた田楽の集団が、御霊を慰撫する疫病退散の祈願に役割を果たす のです。そして、社寺で行われる田楽を行う職業芸能者が生まれて行きます。 田楽は平安中期頃に成立し、中世にかけて流行した芸能です。

田楽人の背景には、貴族達がズラリと観覧しているのが見えます。

今回の場面ではこの建物が 「祇園御霊会」を眺める貴人たちの「桟敷」に見立てられています 。祭の見物のために、貴族達は競って道の脇に見物席、つまり桟敷を設けたのです。『年中行事絵巻』などの絵画資料には、様々な桟敷の様子が描かれ、臨時の仮設的な桟敷とともに常設的な桟敷もあったといいます。


儀礼に威儀を添えるために甲冑姿の武者が続きます。「随身の大鎧」です。






大路では、桟敷が設けられる他に、 牛車で観覧に来る貴人・貴婦人たちも います。

『源氏物語』で有名なのは、賀茂祭の折の混雑の中で、六条御息所と葵の上との間で引き起こされた「車争い」の場面です。

この祇園御霊会の場面では、向かって左端に網代車の一種で、車の屋形や袖などに八葉の文様をつけた 「八葉車」 が置かれています。右端には染め糸で屋形を覆い飾り、その上に窠文を付けた 「糸毛車」 が置かれています。 (資料1)





左に置かれた牛車、八葉車を観察すると、屋形の側面にある 物見を通して、内部の女性の姿 が垣間見えます。立ち位置を変えて眺めると、 扇をかざした女性の顔 も垣間見えます。そのしぐさを眺めると、屋形の中には複数の女性が乗っていることがわかります。細かな部分まで、緻密な具現展示が行われています。

装束衣裳という服飾に重点を置いた博物館ですので、それぞれの人形の衣裳、装束は実際の衣裳の精巧なミニチュア版として制作された布地から再現されたものです。一つずつじっくりと観察していくというミクロレベルの楽しみ方もできるところです。

この5階のフロアーには、『源氏物語』に登場する光源氏の「六條院・四季の町」のうち、 春の御殿の宸殿と東の対(対の屋)の部分が1/4の縮尺で再現されている のです。
その建物を時計回りに巡りながら、様々な場面が具現展示されています。

今期の企画のテーマでは、七夕・文月(七月)と仏名会・師走(十二月)の年中行事の場面が具現展示されています。その間にサブテーマが組み込まれています。

つづく

参照資料
*当日頂いた展示説明資料と館内展示の説明パネルを適宜参照
1) 『源氏物語図典』 秋山虔・小町谷照彦編 須貝稔作図 小学館 p72,p176
2) 『続日本紀(中) 全現代語訳』 宇治谷 孟著 講談社学術文庫 p91

補遺
年中行事絵巻 ​  :「コトバンク」
年中行事絵巻 ​  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
京都大学文学部所蔵 『年中行事絵巻』 ​ 所蔵巻一覧のページ
毛越寺・延年の舞 花折 ​  民俗芸能アラカルト :「ウチノメ屋敷 レンズの目」
春日若宮御おん祭 お渡り式・御旅所 ​  :YouTube
「春日若宮おん祭」お渡り式 奈良市 ​  :YouTube
2015年 奈良・春日若宮おん祭・お渡り式(先頭から大名行列まで) ​:YouTube
  細男座(5:50)、田楽座(7:37)、馬長児(8:03)が含まれています。
2010年 春日大社 若宮おん祭より「細男(せいのお)」部分 ​ :YouTube
2012年11月3日 春日大社 萬葉雅楽会 細男(せいのお) ​  :YouTube

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

観照 風俗博物館 2018年前期展示 -2 十二単の変遷とかさね色目 へ
観照 風俗博物館 2018年前期展示 -3 七夕・文月の年中行事、局・女房の日常 へ
観照 風俗博物館 2018年前期展示 -4 平安時代の遊び、仏名会・師走(十二月)の年中行事 へ

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
探訪&観照 風俗博物館(京都) -1 移転先探訪・紫の上による法華経千部供養
  4回のシリーズでご紹介しています。
観照 [再録] 京都・下京 風俗博物館にて 源氏物語 六條院の生活 -1
  3回のシリーズでご紹介しています。(こちらは旧所在地での探訪記録)
観照 祇園祭点描 -1 神輿渡御・八坂神社御旅所・冠者殿社
観照 [再録] 祇園祭 Y2014・後祭 宵山 -11 日和神楽と御旅所
探訪&観照 祇園祭 Y2017の記憶 -19 神幸祭 神輿渡御 (1)
  4回のシリーズでご紹介しています。


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Last updated  2018.03.13 11:09:41
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