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2019.02.15
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カテゴリ: 観照
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風俗博物館(源氏物語六条院の生活)では、2月から「平安時代のスポーツ-2020年東京オリンピックの寿ぎ-」というテーマで2019年が始まりました。
展示が始まったところです。今年も出かけてきました。記録の整理を兼ねて、ご紹介します。

展示フロアーに入ると、手前に朱塗りの反り橋があり、 六条院春の御殿の寝殿前東側で「蹴鞠 (けまり) 」が行われています。

反り橋の架かる小川には水が流れていて臨場感を演出しています。



准太上天皇となった源氏は41歳の3月末に、六条院の春の御殿で蹴鞠を行いました。

前年に朱雀院(源氏の異母兄)の愛娘・女三の宮が源氏の正妻として六条院に降嫁し住まっています。 御簾の陰から蹴鞠を覗き見ていたのは、この女三の宮でした その姿を柏木が垣間見る ことになります。
これは『源氏物語』「若菜上」に描かれる場面です。


西から東方向に簀子を眺めたところです。簀子に何かが居ます。


御簾の端が跳ね上がったのは飛び出した子猫に付けられた綱のせいでした。



実は、 大きな猫にびっくりして、子猫が御簾の端から飛び出てしまったのです。

「若菜上」には、次のように記述されてています。
「唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きな猫追ひつづきて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人々おびえ騒ぎてそよそよと身じろきさまよふけはひども、・・・・猫は、まだよく人になつかぬにや、綱いと長くつきたりけるを、物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこじろふほどに、御簾のそばにいとあらはに引き上げられるをとみに引きなほす人もなし」
最後の部分は「綱がとても長くつけてあったのを、物にひっかけたのに巻きついてしまったので、逃げようとして引っぱっているうちに、御簾の端が、内部のまる見えにまるくらいに引き開けられられたのを、気づいてすぐに直そうとする人もいない」 (資料1) と訳されています。


                          この説明パネルが掲示されています。

猫は元々日本には存在しなかった そうです。奈良時代に中国から経典が輸入される際に猫が乗船していて、経典とともに来日したと言います。日本に将来される経典が渡航中にネズミに囓られるというような害から守るために猫が使われたためだとか。
平安時代の猫は中国から輸入された舶来の「唐猫」 で、高級な愛玩動物として宮中や上流社会で飼育されていたそうです。多くは綱をつけて家の中で飼われていたと言います。 (資料2,パネル説明)

有名な一条天皇の飼い猫「命婦のおとど」は五位に叙されて殿上猫となったのです。
『枕草子』第六段の冒頭に、「上にさぶらふ御猫は、かうぶり得て命婦のおとどとて、いみじうをかしければ、・・・・」と書き出されています。「上」は一条天皇のこと。かうぶり得て」は五位に叙せられること。「命婦」は五位に叙せられた女房の称で、「おとど」は婦人の敬称」です。この続きに、猫の世話係として、「乳母の馬の命婦」という名前が記されていて、「命婦のおとど」をおどかすつもりで、翁丸という犬にこの猫をかめと命じるというおさわがせが記されています。その結果馬の命婦は世話係から外されるという話すらでてくるエピソードです。 (資料3,パネル説明)

上掲の説明パネルには、第84段に猫に付けられた綱の事についての文章が引用されています。


        この桜の木、リアル感がすばらしい!

この場面を飛び出してきた猫の側から目線を移していきましょう。





 御簾を少し巻き上げて、十二単衣(唐衣と裳)を少し簀子側に出してその美をみせつつ、階に腰掛ける公卿と語らうという場面です。


白地臥蝶文・桜かさねの直衣に冠の姿は 夕霧(右大将) です。

                 一段低く階に坐るのは、 柏木(衞門督) です。
柏木ははからずも女三の宮の姿と貌を垣間見たのです。源氏にとり因果応報となっていく事件のきっかけがここから生まれていきます。

「若菜上」には、女三の宮を垣間見た柏木について、次のように記しています。
「ましてさばかり心をしめたる衛門督は、胸ふとふたがりて、誰ばかりにかあらむ、ここらの中にしるき袿姿 (うちきすがた) よりも人に紛るべくもあらざりつる御けはひなど、心にかかりておぼゆ」と。
(なおさらのこと、あれほど宮に心を奪われている衛門督は、胸がいっぱいになって、あれは宮以外のどなたでもない、大勢の女房たちのなかではっきり目立つ袿姿からあみても、ほかの誰と見まちがわれようはずもなかったそのお方のお姿など、心にかかって離れようがないのである) (資料1)

なぜその判断が可能なのか? 
袿姿は「貴族女性の平常の装いでくつろいだ姿で女主人だけに許された姿」 (説明パネル) だからなのです。女三の宮に仕える女房たちは、所謂十二単衣の姿、つまり礼装でお仕えしていたそうです。礼装では袿に唐衣と裳が加えられることになります。この違いを識別して、柏木は心を奪われている女三の宮を偶然にも見る機会をえたのです。それは一層柏木の恋心・思いをかき立てることになるのです。


寝殿の東側から室内を撮ってみました。
当時は長い艶やかな黒髪が美の象徴の一つとなったようです。

寝殿を飾る襖絵もミニチュアサイズできっちりと描かれています。
几帳と唐櫃

                        寝殿内部を垣間見した景色です。
これらがどのあたりの展示かを当館にてご覧ください。

それぞれの場面で、詳細な説明パネルが備えてあります。その説明が当日いただいたパンフレットにほぼ盛り込まれています。

これがもう一つの説明パネル事例です。当館でじっくりと読みながらこの場面を鑑賞すると、源氏物語の世界に一歩深く誘われることは間違いありません。

それでは、女三の宮がひそかに眺める蹴鞠の方に目を転じていきましょう。
つづく

参照資料
1)『源氏物語 4』(若菜上~幻) 新編日本古典文学全集 小学館 p140,p142
2) 当日入手したパンフレット「平安時代のスポーツ -2020年東京オリンピックの寿ぎ-」 風俗博物館
3)『新版 枕草子 上 付現代語訳』 石田穣二訳注 角川文庫

補遺
風俗博物館 ​ ホームページ  
風俗博物館 ​ 旧ページ    
  ​ 袿姿 ​ 
  ​ 院政時代の公家女房晴れの装い
  ​ 公卿夏の冠直衣
若菜上 本文 ​  :「源氏物語の世界」
    ​ 現代語訳
源氏物語絵色紙帖 若菜上 詞菊亭季宣  :「文化遺産オンライン」

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Last updated  2019.02.28 11:34:50
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