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皆様2004年も、今日で最後ですね。本年の2月から、メルマのブログを始め、7月の24日から、楽天のブログをスタートいたしました。そして、さらに8月にはいってからMSNのブログも始めました。たくさんの方々に、読んでいただき、多くの大変勉強になるコメントもいただきまして、大きな喜びとともに励みにもなりました。ほんとうに、ありがとうございます。日々この地球上の、日本という国に住み、仕事したり、本をよんだり、映画を観たり、美味しいものをたべたりして、生きていることを実感しながら、つたない表現の文章を書いてきました。皆様にコメントをいただきながら、表現を重ねていくうちに、皆様とともに共感しあう喜びが生まれてきました。それは、新しいとても嬉しい発見です!2005年度はますます世界の状況もスピードが早まり、変化が激しくなってくるかと思いますが、日々、楽しく、皆様と喜びを分かち合いながら真理の探求にいそしむ事ができるのではないかと期待しています!皆様、本年はどうもお世話になりました。心よりお礼申しあげます。来年もどうぞよろしくお願い申しあげます!よいお年をお迎えくださいませ。
2004.12.31
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なぜか、一番初めに3番目の本である「愛と経済のロゴス」を読んでしまったので、次には2番目の「熊から王へ」と4番目の「神の発明」両方を同時進行しながら読み進めています。我ながら面白い読み方になったものだと思いますが、3を中心に、両側に開いていくような、2と4が、そして1と5が対象をなすようなそんな感じをうけたものですから、本の注文のしかたも変則的です。(笑)このような本の読み方もまた、刺激的!とにかく何度も言ってしつこいですが、とても面白いでのです。中沢新一さんは、「チベットのモーツアルト」以来、その著作を読む機会がなかったのですが、そういえば、「哲学の東北」という文庫本があったなと思い出して、引っ張り出してみました。たしか、これは「おもしろいから読んで見たら」と薦められたのですが、なんとなく読まないでそのままほっておいたものです。どうして読まなかったかっていうと、これといって理由はなかったのですが、今このシリーズを読み出して、初めて積極的に読もうと思える本だったのだなと納得!本にはそれぞれ、読む時期というか、タイミングがあるみたいで、ちゃんとわかるようになるまで、どうしても読ませてくれないらしいのです。(笑)そんな本が、我が本棚にはたくさん積んであって、新たに脚光を浴びる日を待っているのです。さて、カイエソバージュの話に戻ります。どうやら、中沢さんは一貫して、西洋文明の元である一神教の神概念(国家を形成してゆく社会)と、世界の先住民の文化、アミニズムを中心とした多神教的なスピリットの文化(国家を作らない社会)を比較しながら、次に来るべき人間社会の未来を語ろうとしているように感じています。注意深く読んでいるところですが、今までの私の断片的な頭の中の知識が組み合わさっていき、まるでジグゾーパズルのように一つの大きな絵が見えてくるような、そんな頭の中の新しい経験がとても面白いです。この先5冊を全部読むのが楽しみなのですが、その間に、また、いろいろ読み返したい本がたくさん出てきてしまって、どうしようかしらという状況です。また、長い冬休みもあっという間に終わってしまいそうなそんな予感のする年の瀬です。
2004.12.30
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久々に手ごたえのあるフランス映画です。主人公エレーヌ。夫ポールは社長。大学生の息子がひとり。ある夜、エレーヌはポールとディナーパーティに車で出かけます。通りの向こうから、男たちに追われる女が駆け込んできます。「お願い、助けて!」しかし、ポールはドアを鼻先でロックしてしまいます。男たちはポールの車に女の頭を叩きつけます。男たちは逃げ去りますが、女は血だらけで倒れこんでいます。ポールは助けるどころか、すぐ、車を走らせてしまいます。エレーヌはすぐに、救急車を呼ぼうとしますが、事件に巻き込まれるのをおそれたポールに制されます。翌日、昨晩のことが気になったエレーヌは、女が運ばれた病院を探し当て、ポールに内緒に会いにいきます。なぜだか、その女が気になって仕方がないエレーヌは、その日から、仕事も家族もすべてほったらかして、病院に泊り込んで、看病をはじめます。縁もゆかりもない重病の女を誰よりもかけがえのない人として、献身的に看病する一方で、それまで一緒に生活してきた男たちに矛盾を感じはじめます。やがて、女が回復していくとともに、身の上が明かされていくのですが・・・・。エレーヌも人生の大転機を迎えることになります。結婚不和、浮気、果ては、麻薬、売春、宗教問題などを取り上げ、とても、シリアスで重苦しい映画のようですが、なかなか、コミカル仕立てで、女性の共感を誘うコメディー映画でもあります。夫に裏切られた妻、息子に裏切られた母、恋人に裏切られた女、父親に裏切られた娘、兄弟に裏切られた妹。男たちの裏切りの場面は多彩で、とても残酷です。社会的には非力な女性たちを描いていますが、その女性たちが見事に立ち直って、それぞれに、逞しく生きていく様はとても痛快です。反対に、妻、恋人、母親にほったらかしにされた夫と息子の描き方がとても可笑しいです。恋愛の国のフランス映画だからこそ、ここまで、おもしろく、皮肉れるのでしょうか?そして、同じ女性だったら、堪えられないような過酷な状況下で生きざるを得なかった女ですが、「ここまで、徹底すれば、あっぱれ!脱帽!」というほどさかしく、逞しいのですよ。最後の場面のそれぞれの女たちの表情をぜひごらんになってください! 本当、非常に面白いですよ。▼http://www.asome.jp/cgi-bin/db/index.cgi?mode=view&no=20041229
2004.12.29
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今日は多くの会社が仕事納めだったかもしれませんね。皆様の会社はいかがでした?2004年はもうすぐ終わろうとしています。皆様にとってどのような一年だったでしょうか。新潟の地震の記憶がまだ新しいうちに、クリスマスの次の日にはインドネシアで、大きな地震と津波がありました。死者2万人以上といわれる被害、ほんとうに現地では大変な状況が起こっているのでしょうね。津波後の衛生状況で、コレラなどの発生が予測されています。平和な南のリゾート地は悲惨な被災地と変わり果ててしまいました。地球規模の温暖化が進み、世界中に地震がおき、地球規模で自然環境が大幅に変化しているように感じます。自然環境の変化は、自然がそのように変化したのではなく、人間が自らその変化を起こしていて、多くの人々が、その変化に加担したと言わざるをえないでしょう。でも、長い間の宇宙時間から見たら、こんな変化はしょっちゅう起こっていたわけですから、もしかしたら、かつてあった氷河期のように、人類は新たな地球環境の変化を経験し、順応していかなければならないのかもしれません。このたび起きた地震は、阪神大震災の1000倍とも1600倍ともいわれています。「津波」とは、港を襲う大波のことです。地震による津波に襲われ、昔から日本は、津波の研究や対策が進んでいるそうです。ですから、“tsunami”は、国際語として世界に通じるのだそうです。そういえば、どんなに小さな地震でも、津波についての注意が必ず伝えられますよね。吹けば飛ぶような島国日本は、火山の国であり、四方が海に囲まれ、様々な自然と共存してゆく知恵が生まれた国です。その経験から来る知恵がもっともっとうまく生かされて、世界に伝えられたらよいのにと思います。また、地震の被害を何よりよく知っているのですから、どこよりも被災地の人たちの気持ちを汲む事ができるはずです。スピーディーにその共感する気持ちが形となって届くシステムが、一刻も早く実現することを願ってやみません。
2004.12.28
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先日、目黒雅叙園に行って来ました。雅叙園は昭和初期の建物で戦中の空襲を奇跡的に逃れ、今は、国の登録有形文化財(保存建築)に認定されています。通常は一般公開していませんが、今の時期特別に公開されています。年に何回か、一般のお客さんにも見ていただけるようにツアーを組んでいるのです。雅叙園というと、日本発の総合結婚式場で、日本建築の粋を極めた豪華なつくりで有名です。目黒の丘に作られたこの雅叙園は、なんとその初期はお風呂屋さんから始まりました。江戸時代の銭湯は、江戸庶民のサロンでした。お風呂屋さんの二階はお風呂から上がった人たちが浴衣を着て、お酒を飲んだりできる社交場のような物でした。湯女という女性たちが世話をし、一時は吉原に閑古鳥が鳴いたというくらい流行ったようです。創設者の細川力蔵さんは、石川県の生まれです。当時、北陸から東京に来て、お風呂屋さんを営む人たちが多かったようです。細川力蔵さんはたいへん才覚のある方だったようで、鍋島藩の江戸屋敷を買取り、湯場として増改築をしたのが雅叙園の始まりだそうです。100人風呂があったようで、とっても豪華なお風呂だったそうです。現在はお風呂はありませんが、建物のあちらこちらに水がふんだんに使われ、よき時代の湯場の風景がかさなり、なんとも不思議な空間です。実は、この建物はガイドさんによるとアニメ「千と千尋の神隠し」のモデルなった湯場ということです。この絢爛豪華な百段階段は、昔はこの百段階段にお膳を4段重ねて中居さんが運んでいたそうで、千尋が階段を駆け下りていく光景が連想されます。日光東照宮などを始めとする江戸の木工細工は、じつは昭和のこの時期に最も花開き完成された技術だそうです。全国の珍しい木がふんだんに使われ、技術的にも、美術の点からいっても、非常に優れた、面白い建物です。日本画の巨匠、鏑木清方が壁画を描いた贅沢三昧なお部屋もあり、これだけでも見る価値がありますね。是非皆様も、一度いかれてみるといいですよ!
2004.12.27
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今日は、ひとつ、皆様にご提案です。以前、結婚についての考察というテーマで書いてみたことなんですが、このテーマは遊女asomeにとって、とても興味深いテーマなのです。たとえば、今の一夫一婦制を変えるとしたら、通い婚も含め、どのような形が考えられるでしょう。また、どのような形が現代の暮らしにあっていると思われますか?今後どのような形だったら、未来に希望が持てるでしょうか。たとえばフランスでは、「ユニオン・リーブル」という同居あるいは同棲 が、法的に認められて様々な社会保障があり、社会的に認知されています。また「コアビタシオン」というのは、もう少し広がりがあり、共同生活を意味します。これは女性同士、男性同士、同性愛のカップルもはいります。そして、ソロ(シングル)としての生き方があり、それぞれの生き方を選んでも、法制上同等の権利を与えるという社会制度のあり方だそうです。日本ではどのような制度を考えたら、より豊な関係をはぐくむ事ができ、子どもたち未来のことを考えてゆけるのでしょうか?制度とまでは、まだ、考えが及ばなくても、どのようにしたら、男女がいい形でお互いを豊にしていけるか、皆様はどのようにお考えでしょうか?個人的には通い婚はけっこういい制度だと思いますが、皆様はいかがでしょうか?ぜひ、ご意見をおきかせください!
2004.12.26
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中沢新一さん「愛と経済のロゴス」を読み終わりました。期待通り、大変有益な本でした。良くぞここまで、という気持ちです!!皆様どうぞお読みください。ぜひぜひお読みください。本来、人と自然の関係の中で、あらゆるものは自然の恵みとして、与えられていました。何もないところから、実りあるものが生み出される自然の豊なめぐみを感謝の気持ちを持って、頂いていたのです。人はその生命の循環のなかで生きていました。その純粋な贈り物として与えられた目に見えない愛や力や霊力を人は交換という手段にすりかえたことによって、背後にあった豊かさはなくなってしまったのです。工業は、何一つ生み出しません。ある資源を加工しているだけで、無から有を生まないのです。本来の与える、与えられるという喜びに満ちた働きかけによって生み出された実りある循環は、分断され、否定されてしまいました。科学という働きかけによって、自然を分析し、資源という名のもとに搾取して加工し、経済という交換の循環をして物と貨幣を作っている現在は、精神の豊かさからは程遠く、まるで荒野に生きているようなものなのです。人間が、自然に対して間違った働きかけをしたために、豊な贈り物を与えてくれる自然が、沈黙を続けています。正しく働きかける仕組みを私達は新しく生み出していかなければならないのです。この本では、贈り物という行為から、洞窟の壁画にみる増殖、貨幣の出現、聖杯伝説、マルクス、ハイデガーなど、ミステリアスに進んでいき、最後は愛と存在を語り、愛ある、純粋贈与の経済の創出を提唱して終わります。経済という言葉のもと「オイコノモス」というギリシャ語は、召使や執事の意味で、主人の家系のお世話や管理するという意味だそうです。召使は、計算を間違えないという能力ではなく、羊や、人間や、穀物に対して信頼と愛と思いやりをもって付き合う能力であったのです。いままで追いかけてきた、神話や経済について、掴みかけていた何かを見事に纏めてくれた感があって、非常に嬉しいですね。最後に中沢教授は、若い学生の方々むけ、「ここでしゃべったことが、何十年も先に、確かな果実をもたらす事になったらこんなに幸せなことはありません、私は皆さんに期待してるのですよ」と締めくくっていらっしゃいました。非常に刺激的で面白かったです。ほんとうにお勧めします!
2004.12.25
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イエス・キリストの誕生日について、聖書には12月25日だなんてどこにも書いていないのに、この日になってしまったのは諸説があるそうですね。その一つは、ミトラス教のミスラ太陽不敗神の誕生日が12月25日だという説です。ミスラ神とは、キリスト教が流布される以前、ペルシャからローマに伝来して、ローマ社会で広く信仰を集めていたゾロアスター教の傍系の神様です。冬至を過ぎた太陽の復活をあらわすものだったそうです。当時、ローマ帝国のローマ人たちの信仰や習慣に合わせようとした迎合精神からきたものだということです。ミスラ、ミトラ、ミトラスともいいますが、流布されるうちに、ミロク(弥勒)になったんじゃないかという説もありますね。ミスラは「征服されざる太陽の誕生日」である12月25日に、太陽神とその母との結びつきにより、また一説には天界の父が下した稲妻によって感応した創世の岩から生まれたといいます。これは羊飼いと、捧げものを携えてきた賢者(マギ)によって目撃されました。また、病人を癒し、盲に視力を与え、足萎えを歩かせ、死者を甦らせました。天に戻る前に黄道十二宮にあたる十二人の弟子と晩餐を取り、これを記念してミスラの信者は十字の印のあるパンの聖餐を取るようになりました。これらの特徴の多くが、後にキリスト教に取り入れられているということですね。もう一つの説は、昔、テレビでC.W.ニコル氏が「その時期は一年で最も光が少なくなる時期なので、光をよびこむ御祭が北欧で古代からとりおこなわれていた」という内容でした。数年前の11月、ノルウエーに位置する北極圏の街トロムソに行ったことがあります。この時期のトロムソは昼の2時過ぎると、もう、すっかり夕暮れの極寒で、気分もたそがれてきちゃいます。毎日がこうだと、光をよびこむ御祭をしたくなる気持ちは充分に理解できました。いずれにせよ、12月25日を祝うというのは、太陽、光とのかかわりが大変深いみたいですね。
2004.12.24
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一目見し人に恋ふらく古代の恋は、偶然からはじまります。道で出会ったり、野に遊ぶときにちらりと見てしまったり、垣根から見えてしまったり。そしてほとんどが、一目見ただけで、恋ひ焦がれるのですね。そういえば、たしかに、神話の神々も、目と目が合えばすぐに心を交わし、供寝してしまいます。現代のように「お付き合いしています」「デートしました」みたいなお話はありません。もちろん、女性の家の前で中に入れてもらえずに帰されることもありますが、中に入れてもらったら、もう、承諾済みということですから、すぐに結ばれてしまいます。凄くスピードがありますよね。また、一目見る前からすでに夢にでてきたりする場合もあります。出会い自体に神々の意志がはたらいており、一目見て恋ひに落ちたら、それはもう魂と魂の恋ひだということだったのですね。また、音に聞く恋ひ もありました。見たこともないのに、人の噂に聞いて恋ひしてしまうのです。昔の人の噂とは、実は神の意志でもあったのです。誰が言いだしたのか、わからない正体不明の噂話を人々は神の意志と考えたのですね。「目利き」などの「きく」は、本来の「聞く」と同じ意味で神の意志を感受し判断するということだったのです。このように、古代の人々の情報は、すべて自然や神の意志からくるものとして捉えているのですね。神の意志は、音に聞こえ、目に見え、匂いとして感じるものだったのです。男女の恋ひもすべて神のご意志。恋ひも結婚も、だからこそ確信にみちて速いのですね。古代人の恋歌のやり取りは、神の意志による出会いを現実に確かめあう恋ひの成就の手段ですが、生きている瞬間瞬間、五感、六感を働かせて神の情報を感受していることが、そのうつくしい言葉に表れていますね。現代人は男と女が出会ってから、お付き合いをしたり、家族に紹介したり、面倒な手続きがあって、結婚するまでは契約書も作らないとなりません。非常に長い道のりがあります。昔の人がそのことを知ったら、どのように感じるでのでしょうね。(古代人の恋愛生活 古橋信孝著 NHKブックス 参照)
2004.12.23
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中沢新一さんの大学での講義「比較宗教論」の講義禄を、学生さんたちの協力によって5冊の本に纏めたものです。(カイエ・ソバージュとは「野放図な思考の散策」という意味合い)中沢さんが非常に楽しく、学生さんたちとセッションし、作り出されたこの「思考の流れ」を纏めた雑記帳(カイエ)はとても刺激的で、最初の出だしからもう、面白くてたまりません!これは5冊全部そろえよう!と久しぶりに張り切ってしまいました。まず最初に手にしたのがこの「愛と経済のロゴズ」です。何と言っても惹かれたのがこのタイトル。知的好奇心をそそられるタイトルです。だって、遊女asomeのテーマにピッタリではないですか。愛と経済とはまさに反対の意味合いのように感じるけれど、経済というのは合理的に見えて、全く合理ではなく、人間の深い欲望から生まれる活動であります。「暗い生命の動きにまで、奥深く根をおろした一つの全体性を備えた現象」であり「その全体性のうちの深い層の部分でわたしたちが「愛」と呼んでいるものと融合しあっている」のです。そして「ロゴス=世界を全体として捉える力 愛と経済を一つの全体にとりまとめる力である」という事なのですね。「本当の豊さとはなにか?」「男性性と女性性」「愛と資本主義」を探求しつつ、「純粋な贈り物」から見えてくる経済の本質を探究するのです。ね、面白いでしょう!こんな講義を学生時代に受けたかったと心から思います。時代が変わり、あらゆる目に見えるものの限界がおとずれ、目に見えない力、たとえば、人間の関係に生まれる「愛」の力や、精神、魂など、目にみえない世界の存在を理解していける時代になっていくのでしょうね。この本のシリーズは何回かに分けてご紹介していきますね。どうぞお楽しみに。人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ1熊から王へ カイエ・ソバージュ2愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ3神の発明 カイエ・ソバージュ4対象性人類学 カイエ・ソバージュ5
2004.12.22
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「風が吹けば桶屋が儲かる」の前書きを読んだだけで、漠然としていたおカネというものが少し見えてきました。風はカネ。桶を作っておカネを儲けるということではなく、カネが吹くから桶が儲かるということなんですね。日本人は、モノを作って経済が発展してきたので、よいモノを作れば売れて儲かると、どうしても思いがちです。実際は、この市場経済の中では、よいモノを作ろうとしても、おカネがなければよい商品として売れていかないのが現実のようです。「カネが先でモノが後」という市場経済の実態は、見えないモノで動いていて、この見えないモノを構造化して、どういう条件のときにおカネが動くかを解っていかなければ、・・・続きは遊女あそめのページヘ⇛ ・・・・・
2004.12.21
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古代の婚姻形態は今とは全く違うものでした。通い婚といわれる古代の結婚では、女の家に男が通います。男が通う事によって子供が出来ても、子供は母方の子供となり、財産は女性に相続されていきます。現在の一夫一婦制から考えると、いつも男を待っているだけの女は哀れで、地位が低いようにおもわれがちですが、実際はそのようなことはないのです。「古代の婚姻という形態を考えたときに、そこには社会が持つ世界観が男女の対に反映されているので、今とは違う婚姻形態であった古代の人々の世界観がどのようなものだったかということが見えてくる。」「生活自体が宇宙観に支えられている」という視点で、「古代の恋愛生活」という本を古橋信考さんが書かれています。「古代の世界観とは、かんたんにいえば、世界は神々の体系であり、人間はその一部にすぎず、神々の意志に従って生きているということである。」「たとえば、女に恋をするのはその女の側にやむにやまれず、こちらをひきつける不可思議な力があるからと認識した。花の美しさにみせられるのも、花の側の力が寄り憑いてくるからだ」(「古代の恋愛生活」より引用)実感としてはその通りですね!まさに超越的な、神秘的な何かが恋や結婚には働いているのです。結婚にまつわる言葉として次の言葉が挙げられています。今も使うことばもありますが、「えー」そうだったのか、と思わず納得。ヨバフ男が女の名前を呼びつづけて相手の気持ちを向かせる 求愛の行為(夜這いはかつては「呼バフ」だったのですね。)ツマドフ (妻問う)婚姻が成立して、男が女のもとへかようことマグアフ(目合)目と目を交わし、心を通じ合わせ、その後供寝に行き着くクナカヒ(婚ひ)・トツグ(交ぐ)性交の意味スム(住む)マグハヒが成立してツマドヒがつづく状態(夕方女のところにきて朝帰る状態でもスムという。女の元にいる状態のことをスムといいます)「通う男にとって、両親と暮らす家よりも、女のもとがスム場所なのである。つまりその男にとって女のもとこそがいきていく活力を生み出す場所であり、子を生産して未来を創りだすスミカだった」古代では恋と結婚が非常に曖昧ですね。制度が今のような嫁取婚ではなかったからですが、出会って惹かれてマグアフということ自体が結婚とイコールだったのですね。個人の恋や結婚にまだ制度が介入していなかったということなのでしょうが、私にはこの古代の通い婚は非常に合理的なやり方だと思われます。(笑)皆様はどのように感じられますか?
2004.12.20
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男(を)(士・男・夫・雄・牡)男「をと(若)こ(子)」若く盛んな男 勇壮な男性 男としての価値 (新潮口語辞典)男(だん)は田と力 農耕地の管理者を示す言葉(字訓)士 (し)は王とおなじように鉞の頭の部分で武士階級を表すことば。夫 (おっと) 妻に対しての夫この漢字の意味を考えてみると、やはり男(おとこ)は昔から、戦いに明け暮れ、女性を所有し、管理をしてきたという歴史がうかがえますね。別のいい方ですと、丈夫(ますらを) 雄々しくすぐれた男の意味 「勝す」「益す」(ます)「ら」はその状態をいうのです。オスは競争に勝つために生まれてきた生き物なのですね。丈夫(ますらを)に対応するのは「手弱女」(たわやめ)です。現代は 丈妻(ますらめ)に手弱男(たわやを)なのかもしれませんね。(笑)意外だったのは、ひらがなの「をとこ」は「をとめ」に対応する意味合いの「かな」なのです。意味的には漢字の男が、女と対応するのでしょうか。女は地位の低い、人権のないような存在だということが、その漢字の意味するところでわかりますよね。管理する男とひざまずく女。昔から男と女は支配あるいは所有関係となってしまうのですね。あいにく、女(め)のような発見が 男(を)にはありませんでした。どなたか「を」の真の意味を知っている方がいらしたら、どうぞ教えて下さい。男(を)の音の意味合いがわかったら、きっともっと素敵な男と女になれるような気がするのですが・・・。
2004.12.19
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さて、昨日に続き、今日は“woman”について調べました。“woman”という単語にはすでに”man”と言う単語がついていますが、この”wo-“はどのような意味を持つのでしょう。woman O.E. wimman (pl. wimmen), alteration of wifman (pl. wifmen), a compound of wif "woman" (see wife) + man "human being." The formation is peculiar to English. Replaced older O.E. wif, quean as the word for "female human being."http://www.etymonline.com/index.php?search=woman&searchmode=noneまず、最初に書かれているのは”alteration of wifman.” このalterationとは「変更」と言う意味を持ちます。ですので、”wifman”が”woman”に変わったという意味を持ちます。では、この”wifman”はどういった意味だったのでしょうか?“compound of wif (see wife)+ man “human being.”とあります。“compound”は「混合」などと言った意味を持ちます。で、何を混合しているかと言うと、”wif”(see wife)と”man.”この”wif”の横に(see wife)というのが書かれているのにお気づきでしょうか?そうです。”wife”=妻。ですので、”wifman”’(woman)とは”wife”と”man”をくっつけた言葉。「男性の妻」と言う事ですね。そういえば、創世記にもこのようなことが書かれています。Gen 2:22 And the rib, which the LORD God had taken from man, made he a woman, and brought her unto the man.http://www.blueletterbible.org/kjv/Gen/Gen002.htmlこれを簡単に訳しますと、「神は男からとった肋骨より女を作り、彼女を男のもとへ持っていった」と書いてあります。英語のベースとなっている聖書の創世記によると、女は男の肋骨より作られたとされています。その影響により、「女」を表す言葉は”women”、”female”、”lady”などと「男の存在があってこその女」という形になってしまったのかもしれませんね。そもそも、「女」は「女」として作られたのではなく、「男」の一部から作られたという点に男女差別を感じるのは私だけでしょうか?2日間にわたり、英語においての「女」と言う単語について書かせていただきましたいてきましたが、「言葉」と言うのはやはり面白いですね。一つの単語を調べるだけでも、その国の歴史、文化、価値観などを感じ取ることができます。
2004.12.18
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11月18日のブログで、「遊女asomeを英語に訳したら・・・」にて色々なコメントをいただき、ありがとうございました。英語では、「女」を表す言葉には "women"や"female"などと、すべて「男」と言う単語がつくという驚くべき発見がありました。皆様から、"wonderful lady"や "vigorous ladies"、 "Lady Joker"をご提案いただきました。私の"lady"のイメージは、レディ・ダイアナや、マイ・フェア・レディのような身分の高い淑女が浮かんできますが・・・。この"lady"とは、いったい何なんでしょう?見たところ「男」を表している単語はなさそうです・・・。とても気になったので、またまた調べてみました。Lady M.E. lafdi, lavede, ladi, from O.E. hlafdige "mistress of a household, wife of a lord," lit. "one who kneads bread," from hlaf "bread" (see loaf) + -dige "maid," related to dage "maker of dough" (see dey (1); also compare lord). "woman whose manners and sensibilities befit her for high rank in society" is from 1861 http://www.etymonline.com/index.php?search=lady&searchmode=none少々長い文章ですが、簡単に訳してみますと、"lady"とは、"mistress of a house hold."mistress=主婦、household=家庭ですので、「主婦」と言う意味ですね。次の "wife of a lord"の"wife"=妻、で"lord"=主人、権力者、またはキリストですので、「主人の妻」または「キリストの妻」と言う意味として使われていたようです。"lady"という単語は決して「女」と言う意味ではなく、あくまでも「主婦」や「妻」と言う意味として使われていたのですね!やはり、男(主人)があってこその"lady"、「妻」、「主婦」と言うことなのでしょうか?次に使われている意味は"one who kneads bread" "kneads"=こねる、で"bread"は「パン」ん?「パンをこねる人」・・・「パンを作る人」?「女性」は「パンを作る人」だったのでしょうか?そして、次の意味は少々、不愉快に感じますが、"maid"=お手伝い「お手伝いさん」という意味だったのです!1861年からやっと現在使われているような意味を持つようになりました。英語の世界では「女」というのは「男」の存在があってこそ「主婦」、「妻」であり、「パンを作り」、男を「手伝う」存在として捕らえられていたようです。日本語のように「女」そのままを表す言葉はなかったようですね。もし、「女」をそのまま表す英語をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えてください。明日は"woman"について調べたいと思います。
2004.12.17
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め(牝・雌・女・妻)のお話です。現代の女(おんな)という字は、「人類をニ大別して、子供を産む能力のある方」「成熟して性的特徴を表した女性」 (新潮国語辞典 現代語・古語)という二つの意味合いに使っています。生物学的な意味合いでの「女」、ジェンダーを含む意味合いでの成熟した「女」身分のある人には用いないこの「女」という文字は、「婦人がつつましくひざまずいている形で、両乳をつけると母となり、髪飾りをつけると妻となる」(字訓)とあります。微妙に中国の風習や女性観を表しているような気がしますね。「奴め!」という「め」は、「女」から来ているそうです。さて、日本の音では「め」というと 目(メ)芽(メ)愛(メ)女(メ)などが挙げられます。天(アメ)雨(アメ)などにもメの音が使われますね。日本語の音では「女」は、生まれ育つ命、その命をはぐくむものを表すのではないかと思われます。「女」(メ)の音には、春、いっせいに芽吹くときのあの萌たつような力が含まれているのです。言葉には歴史が刻まれています。日本語は中国から漢字が取り入れられたときに、中国の文化や慣習が同時に入ってき、また、明治以降には、それまでに無かった英語圏の概念が、翻訳語として造語されました。私達が今使っている日本語は、このように歴史とともに様々な他国の文化が交じり合って変化してきました。しかし、言葉の真の意味合いは、その一音一音の音に含まれています。この音の意味に、あるときふと気が付くと、そのときから、まるで言葉が生まれ変わったように、生き生きと輝きだす気がするのです。
2004.12.16
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大河ドラマ「新選組!」最終回、ラストシーンにおける近藤勇最期の言葉は、放映前から、どんな台詞なのか?と密かに話題になっていました。三谷幸喜氏は「ラストの台詞は好きなように演じるように」と近藤勇役の香取慎吾君に一任したそうですね。台本を読んだ香取君が「そうきたか!」と、驚いたと聞き、わたしも楽しみにしていました。三谷「新選組!」の最期の台詞は「とし」と一言。罪人として、振り下ろされる刀を前に、遠く孤軍奮闘する盟友土方歳三の愛称をおだやかに呼びかける近藤勇でした。近藤勇亡き後、その志を継いだその後の土方歳三の壮絶な生き様を知っている人間は、この台詞に込められた気持ちに胸を熱くしたに違いありません。最近、「人生の残り時間」「死ぬまでにしたい10のこと」や、「新選組!」と、やたら、人生の最期を考えさせられます。それは、50年先かもしれませんし、明日かもしれません。最期のときに、人生の思い出が走馬灯のようにかけめぐるという終わりに、はたして、わたしは誰の名を呼ぶのでしょう?あるいは、誰の名を呼ぶともなく「助けて」と叫ぶだけかもしれません。何も感じずに、眠るように息をひきとるのかもしれません。しかし、その最期のときに、誰かの名を呼ぶことを許されるのなら、その人とともに生きてきた楽しかったこと、一緒にのりこえた苦しかったこと、実現してきたことを、一瞬にして思い巡らして、その気持ちを一言にして、誰の名を呼ぶのでしょう?今、振り下ろされる刀を前にして、最期の時に、誰の名を呼ぶのでしょうか?
2004.12.15
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昔から自分の「気持ち」や「考え」が自分の中にたまりすぎてしまうと、それを整理するかのように詩を書く習慣があります。普段、「詩を書いてください」などと頼まれても決して書けないのですが、一度書き始めると、自分でもびっくりしてしまうほど、いくつもの詩を書いてしまう事があります。不思議ですね。意図的に「書こう」とするとまったく思い浮かばないのですが、自分の「感情」などで胸が一杯になってしまったときは溢れんばかりの言葉が次々と生まれてきます。先日、二十歳くらいの時に書いた詩のノートを見つけました。その時の「苦しみ」「悲しみ」そして「喜び」などが二十歳なりの私の言葉でたくさん書いてありました。自分の詩を読むことは何処か恥ずかしいところがありますね。まるで昔書いたラブレターを読んでいるよう。笑 詩は昔の自分と今の私を「詩」という形を通して再会させてくれます。自分が忘れかけていた大切な気持ち、せつなかった気持ちを一気によみがえらせてくれます。そして、「こんな時から、こんな事を感じていたんだ」と驚かせてくれる時もあります。私は、昔から「言葉」というものにとても興味があったようです。ある時の詩には、自分の気持ちを言葉にすることにより、まったく違うものになってしまった切なさが語られていました。そしてある時は言葉から生まれる感動、そして希望について何ページにもわたって詩を書いているのです。色々な意味で私はこの「言葉」により助けられ、この「言葉」により苦しめられてきました。それでも、私はこの「言葉」の虜になってしまいます。笑面白いですね。「人間としてこの世に生まれて本当に良かったなぁ」とふっと感じる今日この頃です。
2004.12.14
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安藤組組長の安藤昇といえば、実際に本物のやくざの親分で、しかも50本以上の映画に出演している非常に迫力のある俳優さんです。64年に組は解散しましたが、いまどきこういった、本当の男気を語ってくれる人はなかなか少なくなりました。「ダンディズムとは、男気のことだ。器量と置き換えてもよい」なかなか素晴らしい!なにしろお書きになった本のタイトルが「女にもてたきゃ男を磨け」ですからね。女を口説くのに必要なのは、たった一言「俺と1回やらせてくれ」この台詞を言って様になるだけの修行をつめと・・・。かなり直接的な表現もあるので、この本を読むのに抵抗感がある方もいるかもしれませんが、非常に面白かったです。「ただのすけベなおじさんじゃない」と思うなかれ。一貫して男の哲学があり、また女というものを知り尽くしている経験から来る非常に貴重なお話を面白おかしく読むことができます。私の好きなもう一人の色気ある男として武智鉄ニさんをご紹介します。能や歌舞伎を非常に愛した評論家としてよく知られた方ですが、「性の花伝書」という本をかかれています。日本人の性を非常にデリケートに自らの体験をもとに纏めており、花伝書の如くにその奥義が学べるという、大変な名著です。日本では、少し前まで、このように、女性との関係性を極めた達人が何人もいたのですね。現在は、遊郭などの男の遊び場所が環境的になくなり、男の人たちが、女性との粋な付き合いを学んだり、性の修行したりする場がなくなってしまったことは、女性にとってもある意味不幸なのではないかと思います。過去の男性達は、プロの女性たちと遊ぶ事によって、女性を喜ばせることを修行し、学んでいたわけですからね。現在は、そういった修行が非常に少なくなってしまって、伝統的な、日本男性の男気も色気も風前のともし火となってしまっているようですね。女にモテたきゃ男を磨け 安藤昇著 二葉文庫性の花伝書 武智鉄ニ著 祥伝社
2004.12.13
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実は、大河ドラマ「新選組!」を一度も欠かすことなく、見ていました。おまけに、恥ずかしながら、そのクサイ演技に泣いたこともありました。今日は、涙の最終回でした。新選組の隊士のほとんど武士階級の出ではありません。それでも、「武士」より「武士」らしく、「誠」の旗のもとに集まった、若い、アラクレどもでした。そう、みんな若かったのですよ。人望厚いカリスマ局長近藤勇は35歳。役者のように眉目秀麗な鬼の副長土方歳三は35歳。天才剣士沖田総司は27歳の短い生涯でした。彼らが活躍したのがわずか5年です。怒涛のように幕末を駆け抜けたのです。新選組と聞けば、「暗殺集団」「人斬り」などと、悪名高いですが、本当は「討幕派」が横行する京の治安を守るためのおまわりさんの役目だったんです。公務で殺害した人数は、以外にも少なく、池田屋事件も含め、20人ほどでした。歴史とは残酷なもので、そんな彼らのひたむきさも、未来もすべて取り込んで、大きくうねり、新選組はとても、とても、悲しい結末を迎えることになります。大河ドラマ「新選組!」は、史実と全然、ちがうなあというところも多々ありました。しかし、一方で、こんな小さなエピソードまで、ちゃんと、ドラマに描いてある!という、嬉しいこだわりも随所に見られました。視聴者が新選組に贔屓したくなるように、あくまで、新選組の立場から見たストーリー仕立てでした。喜劇の帝王三谷幸喜氏が、悲劇の新選組をいかに、エンターティメント性を高めていくかに、苦心されたそうです。その甲斐あって、近藤局長はじめ隊士たち、ひとりひとりのキャラクターが、非常に面白く書かれてあり、感情移入しないではいられませんでした。この大河ドラマ「新選組!」で、今までのイメージや偏見がかなり払拭されたに違いないでしょう。本来ならば「武士」になれない身分で生まれながら、「武士」とはなにかを考えながら、正直に生きてきた若者たちでした。武士としての生き方を貫いて、死んでいったのです。勝海舟が、近藤勇が武士としての切腹ではなく罪人として打ち首になることについて、 「どう死んだかではない、どう生きたかだ・・・」近藤勇の武士としての生き様を高く評価した台詞は印象的でした。その武士として生きようとした純粋な志。現代の私たちが忘れかけた日本人としての生き方を思い起こしてくれたのではないでしょうか。わずか5年の「誠の旗」は永遠に生き続けるのでしょう。
2004.12.12
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昨日の皆様のコメントを読んでいて思い出した映画がありました。その映画の題名は「アントニア」。女主人公の名前がタイトルとなっています。アントニアが、自らの死を迎える数日前に、家族や、かかわりのあった親しい人たちを呼び集め、共に最後のときを過ごすシーンから映画はスタートします。娘や孫との静かな語らいの中で、アントニアの胸には、半生の出来事が次々と思い浮かんでくるのです。その様々な出来事が、また非常におもしろいのですね。ヨーロッパに伝統的にある、キリスト教文化以前の太母の逞しさなのです。ゴットファーザーならぬ、ゴッドマーザーのようなアントニアの女性としての生き様は素晴らしく、彼女の周りに集まってくる人々のエピソードはどれも人生の機微にふれるエピソードなのです。非常に真面目な哲学的なテーマを扱いながら、本当に心から笑ってしまうという、出来栄えのよさ。この映画に出てくる女性たちは、逞しく、生きる知恵をもち、豊かにのびのびと生きています。どんな困難にも負けずに、物事を明るい方向に解決していくのです。4世代にわたるヨーロッパ母系家族の「男に頼らない見事な生き方」を描き、底抜けに明るい女性性を表現してくれた、珍しい映画なのです。男と女のかかわりとしても、この映画に描かれているテーマは非常に根源的だと、私は思いました。男性とは本来非常にセンシティブな生き物であるとわかります。最後の死の場面でも、自分の死を共に過ごすために集う人々との対話が感動的です。このように自らの死を受け止め、次に生きる人々のために見事な最後を共に迎える、という素晴らしい生き方をしたいですね。古い映画ですし、オランダ映画ということもあって、もしかしたらおいているビデオ屋さんも数が少ないかも知れませんが、一度は見ておかれるといいですよ。遊女asomeご推薦の映画でございます。http://www.sankei.co.jp/mov/yodogawa/97/970617ydg.htmlアントニア (アントニアの食卓) 1995年 オランダ・イギリス 合作映画
2004.12.11
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突然死を宣告された23歳のアンが、限られた時間のなかで、死ぬまでにしたい10のことを実行していくという物語。なかなか透き通った感受性で描かれたとても素敵な映画でした。17歳のときニルヴァーナのコンサートで出会った男性と結婚、夫は現在失業中。アンは23歳にして2児の母親、夜間のアルバイトで大学の清掃員の仕事をしています。何も物事を深く考える暇もなく、駆け抜けるような毎日を過ごしていた彼女に、突然の死の宣告はあまりにショッキングな出来事でした。残された時間のあまりの少なさに愕然とする彼女の頭は、高速で回ってゆきます。唐突な目覚め・・・。今まで自分は生きていたんだろうか? アンは深夜のカフェで、死ぬまでにしたい10のことをノートに綴りました。アンは書いた10項目を実現するために、次々と行動に移すのです。「二人の子どもたちに20歳までの誕生日のメッセージを録音すること」、「子どもたちにも気に入る新しい母親を捜す」、ちょっと面白かったのが、「思ったことを言う」、「夫以外の男性と付き合い、夢中にさせる」「髪型をかえ、爪を長くする」残された時間のないアンは非常にアクティブに、どんどんと自分の気持ちを満たしてゆきます。その潔さ、決断力の速さ、直感は素晴らしい。非常に正直に生きはじめるのです。そして、愛する人々たちへの溢れる気持ちを発見し、喜びを見出すのですね。人はいつも死を念頭に生きていたら、自分の気持ちを生かして、本当に素敵に生きられるのに、なぜそのように生きないのでしょうか。人は、何時死ぬかは本当にわからないのですよね。限りある有限の命を自覚した時、人は初めて本当の自分で生きられるのだ、ということに気付かせてくれました。自分がもしその立場だったら、どのように生きるだろうか、と私も考えました。実はこの映画にインスパイアーされた日本の作家10人が、死ぬまでにしたい10の事を書き綴ったエッセイがあるらしいのです。これがまた、面白そうですね。
2004.12.10
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月一度の社内会議でのお話です。人生の残り時間について、部長が話し始めました。部長は、お父様が病気で倒れた事をきっかけに、自分の人生の残り時間を考えてみたそうなんです。実際に計算してその日数を見ると、思ったよりもずっと少なくて、驚いたそうです。そして、次に、会社で働くであろう日数を計算してみたそうです。この残り時間で、自分の人生の目的を達成できるだろうか、自分が描いていた人間になれるだろうかと考えると、ほんとうに持ち時間を無駄にはできないと実感したそうです。このお話を聞いて、私も残りの人生をあと何日生きられるのか、あとどのくらい仕事ができるのか、と計算してみました。実際にその数字をみると、やはり、思った以上に少ないのですね。この日数で何ができるんだろうかと、焦りました。毎日を漠然とすごしていると、ただ、今の忙しさに忙殺されてしまい、問題を先送りにしてしまいます。先は長いように感じますが、物事を逆算して考えてみたとき、今やらなければならないことが、おのずと見えてきます。既に今年もあとわずか、師走の風の中、来年に向かってもう一度、自分の人生の目標や、計画をきちっと考え直さなければと感じました。さて、あなたの持ち時間は残りあと何日?
2004.12.09
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善良な市民であります私にとりまして、とても、危険な香のする題名でした。裏帳簿→脱税→犯罪 なんとも、あやしい雰囲気を醸し出すこの本、いけない、いけない、と思いつつ、気になるので、買っちゃいました!中小企業の経営者または、これから経営者になりたいという方には必読です!みんな、裏帳簿をつけよう!という、名著です。笑さて、岡本氏のいう「裏帳簿」とは、経営者が自分の会社経営の実態を把握するための決算書を意味します。自分の経営する会社が実際のところ、どれくらい、儲かっていないか?という本当は見たくもない恐ろしい現実を直視するためのものです。この本はその決算書を作るための、実践書です。日本の中小企業の70%が赤字。5社のうち4社は地方税の定額分しか払われていないという現状、もはや、税制は「とりやすいところからとる」方針だそうで、会計士に丸投げにしていると、まんまとその罠にはまってしまうそうですね。企業に対する税金って、非常に過酷なんですね。決算書を鵜呑みにすると、黒字なのに、お金がなくなってしまうというしかけだそうです。といっても、岡本氏は脱税をすすめているわけではありません。しかし、現状の決算書では税務署と銀行のための数字しか、読み取れないということです。経営者が自らの指針となる数字が書かれていないため、経営者にとっては、あまり役に立たないそうですね。その上、岡本氏が勧めるような経営者のための「裏帳簿」をわざわざ、自ら、作成くれるような親切な会計士なんて、皆無なわけです。まずは、自ら学ぶしかなさそうです。そして、惨憺たる経営状態に、気付くこと。すべては、そこから、始まるそうです。この状況下で、岡本氏の顧客のほとんどは黒字だそうです。氏の根底に流れる経営哲学にとても、心惹かれました。経営とは芸術なのだ。それは総合芸術に近い。そして、映画音楽のように「数字の美」がBGMを奏でる。そのとき、経営は芸術として完成する。経営は美しくあるべきなのだ
2004.12.08
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日本でも、世界でも、太古においては、神=蛇体 であったということが解ってきました。世界中にある蛇信仰は、エジプトに起こり、アジア大陸、アメリカ、アフリカ、そしてヨーロッパ、と世界を一周するそうです。何時の時代に日本に入ってきたかということは定かではありませんが、縄文時代からの信仰であることは間違いないようです。ギリシャ神話のメヂュサーの神話でもご存知のとおり、蛇は邪悪なものとして表現されていますね。ユダヤ、キリスト教でも、イヴを誘惑する悪い蛇として登場します。しかし、太古の時代には、それぞれの場所で、地球を取り巻く宇宙エネルギー(光のような存在)であり、インドでは「世界蛇ナーガ」(世界を支配する蛇)であり、中国では「那迦」から「龍」となって、神聖な存在でありました。そして、自分の尻尾をかむウロボロスは天地創成神話やグノーシス派で用いられ、万物の中に住み、万物を結びつけるもので、「一にして全なるもの」「生命の継続=時間」「永遠」などを象徴したのです。日本では蛇は、山であり、流れる川であり、自然の脅威そのものでもありました。この蛇が象徴する太古の自然神は、世界のそれぞれの神話の中で、時代が移るごとに邪悪な蛇、龍(ドラゴン)という存在となり、英雄伝説の中で、滅ぼされてゆく存在となります。太古の生命を生み出す女神が同じ道を経て醜い姿に変えられたように、男根の象徴としての生命エネルギーの化身である蛇も、ボロボロに滅ぼされ、太古のエネルギーに満ちた男女は抹殺されてしまいました。26時間に及ぶ交尾をするといわれる蛇に象徴される男女の性の真理は、世界中で失われていってしまったのですね。
2004.12.07
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さて、今日は古事記の中にも出てくる山の神のお話です。古事記研究とはまたちがった立場で、蛇や山の神について研究している吉野裕子さんという研究家が書かれた 「山の神」人文書院 という本があります。日本の神話には、男に対してもつ女の力と祖霊として絶大な力を持つ山の神の力と二つの大きな力がありました。「同腹の女姉妹」はその男兄弟に対しての守護神となるという信仰があります。守護神である「オナリ神」に守られていたヤマトタケルは、その守護神から与えられた剣を持たずにいたところ、その虚をつかれ命を奪われます。ヤマトタケルの命を奪ったのは息吹山の山の神です。山の神は呪力をもたない人間を襲います。生殺与奪の力をもつ大変力の強い神ですが、そこに対抗できるのが、男性を守る女の力、「オナリ神」だったのだそうです。この絶対的存在、山の神の正体はじつは蛇なのですね。蛇信仰は古代から世界にありました。エジプトからおこり、世界に及びます。縄文時代の土偶には蛇が顕著に表れているそうです。その蛇が信仰された理由は1外形が男根相似 (生命の源としての種の保存者)2脱皮による生命の更新 (永遠の生命体)3一撃にして敵を倒す毒の強さ (無敵の強さ)この生命力の強い、絶対的な強さをもった蛇がとぐろを巻いている姿を山に見立てたのです。蛇身=カミであり、山の神なのですね。日本の蛇信仰の名残は現在でも日本の祭り、神社に必ずあり、しめ縄や、藁蛇の姿で日本人の暮らしの中に浸透しています。奥さんのことを山の神といいますよね。山の神であり、この世界の古代信仰の元である蛇にまつわる謎をおいかけてみたいと思います。
2004.12.06
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【ブリティッシュ&ヨーロピアン アフタヌーンティーへのお誘い】「電車男」で、話題になったベノアティーなるものを、一度味わってみたいと思い、行ってきました。ご存知ない方のために、「電車男」からベノアティー説明を抜粋しました。■ベノア 「19世紀からの創業という、伝統のあるイギリスの高級食品会社。 (正式に発足したのは、1910年)「パパ・ベノア」と呼ばれたフランス人の名シェフが創業。 実は、イギリスでは王室や高級レストランなどへの卸売りのみで、小売りは一切していないんだとか。 世界でも、日本でのみ小売販売をしてるらしいです。 品質管理が厳しいことで有名で、英国王室御用達商のなかで、3つの紋章の使用が認められれている数少ない会社の一つ。 」高級紅茶らしいですが、「電車男」で話題になって男性客が殺到、売り上げが1.5倍になったそうです。高級、高級と騒ぐものだから、少し緊張して、銀座松坂屋4階へ。満席でしたが、すぐに案内されました。内装は普通の喫茶店です。客層も普通です。ただ、アキバ系の男性は少し勇気がいるかしら?サイドメニューも多彩ですが、ここは、定番スコーンセットAを注文しました。好きな紅茶を選べて、スコーン2種類がついて1260円。紅茶は、「電車」さんも飲んだダージリンにしました。友人はケーキセットを注文。ケーキはお好みでショコラケーキ、紅茶はセイロン・ウバを注文。これも1260円。ちなみに紅茶の単品だと、ビスケットがついて、800円から1100円くらいです。砂時計が落ちるのを待って、一口。たしかに、美味しい。くせがなく、上品なお味です。ミルクも出されてありましたが、今日はストレートでいただきました。カップはRoyal Doulton。どちらかというと、セイロン・ウバの方が好みですね。スコーンは2つ食べると、お腹一杯になりました。ショコラケーキも濃厚なお味で、まずまずでした。私たちの座った席は窓際。ここが、イギリスなら、レンガ畳を歩く上品な英国紳士でも眺めるところなんでしょうが・・・・。なんといっても、ここは、松坂屋婦人服売り場!赤や紺などの谷間を飾る下着が高々とディスプレー!笑 高級な雰囲気を味わいたいなら、奥の席をお勧めします。そこに、ひとめで、「電車男」を読んできたアキバ君とわかる男性がいったり、きたり。どうして、一目でわかるかですって?大きなリュック、メガネ君、おひとり様!こんなナリの男性が、婦人服売り場にあるティールームにわざわざ来るでしょうか!やはり、入りづらいのか断念したようです。また、別のアキバ君がやってきました!今度は、店内に入る様子はなく、入り口にかがみこんで、紅茶を吟味しているようでした。お持ち帰りようでしょうか。「電車男」を読んで、べノアティーを手に入れるために、ここまで足を運んでくる行動力は、喜ばしいことですね。地価1階でも買えますが、やはり、ティールームで、本格的なティーポットから注いで味わっていただきたいものです。普通の喫茶店ですから、お気軽に。だけど、あの大きなリュックには、いったい、何がはいっているんでしょう??
2004.12.05
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古事記と日本書紀はとても似ていますが、大きく違いがあります。古代、様々な人たちが流れてきて暮らし始めたこの日本の国を統一することが必要となり、そのつばぜり合いのなかから一つの統一国家が生まれました。日本書紀は統一国家日本という国の起原を描いたものですが、古事記には、統一前のかつての原日本人のことばや伝承などが少しずつ残されている形で纏まっています。さて、あまり語られることのない原日本人とはどのような人たちなのでしょう。かつて縄文時期に生きた人々は、狩猟採集によって暮らしていました。縄文時代、人々が暮らしていた北の地には蝦夷の人々を始め、元々この地に住んでいた人々がいました。この北の地の人々はまつろわぬ人々としてヤマトタケルによって、成敗されてしまいます。この蝦夷人や、アイヌ民族に伝承される自然観(アミニズム)は縄文の人々の生き方にとても近いのではないかと私には思われます。狩猟採集の生き方は、自然を何も損ないません。自然の生命循環の中で、人間もその自然の一部として、一つとなって生きています。ところが、牧畜も、農耕も、実は自然を傷つける行為なのです。稲作は母なる大地を傷つけます。自然の生命連鎖に人が手を加えるのです。牧畜は野に生きている動物を囲って、飼ってしまうのです。人々はその行為が自然に反する行為という事を知っていました。自然の、神の怒りを静めるためには「生け贄」が必要でした。神と人の間に対立が生まれたのです。童女や美しい乙女を生贄に捧げるという物語は、稲作によって自然への侵犯という根源的なタブーをおかして生きる人々が、その負い目として、神(自然)に童女を捧げるというとらえ方なのだそうです。母なる大地を傷つける罪を償うには、自分達の身を切るような傷みの伴う捧げ物が必要なのですね。神話にある人身御供のお話は、人身御供が行われたということを説明しているのではなく、神や自然と人との間に起こった対立関係を伝えているということなのです。ヤマタのオロチの櫛稲田姫は、人々に食される稲田の女神であった同時に、神様にも食される身であったのですね。しかし人の手を加えた稲作もまた、自然の力なしには豊な実りは得られないので、神を祭りの場にまねき、神と一つになり人もまた自然の一部であるということを確かめるのです。アイヌでは、イヨマンテという祭りがあります。神がクマの身にやどり人間界に降りてきて、一定期間人々とともに暮らし、遊び、そして充分楽しんでもらったら、その肉体を置いて天に帰る。人々はその身を神の贈り物であるととらえるのだそうです。神が喜んで天に帰るという祭りなのですね。このとらえ方は、稲作が始まった弥生時代よりまえの狩猟採集民族の神と人のよき関係性をあらわしていると思います。人々が増え、自然に人の手を加えずには生きてこれなかった人々は、その自然(神)の傷み、怒りを恐れました。そして何よりも自分達の犯している罪を知っていました。共に生きてゆくために、自然(神)との関係を良くするため様々な努力をしていました。現在の私達はどうでしょう。人間が中心となってしまい、身を削っている自然(神)の身になるということを全く忘れてしまっているのかもしれません。(参考文献 古事記の読み方 坂本勝 著 岩波新書/ ウレシパモシリへの道 ポン・フチ著 新泉社)
2004.12.04
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皆さんは飛び込み営業をなされたことがありますか?基本的に弱虫なので、飛び込み営業やテレアポなどといったようなことはとても苦手な方です。苦笑飛び込み営業が苦手な方が大半かと思いますが、アメリカでは幼いころから飛び込み営業らしき事を体験させ、その楽しさ、そしてお金の大切さなどを教えています。アメリカでは、小学校のころから楽しい行事がとても多いのです。例えば、学校全体でのアイスクリームパーティーだったり、高校にもなれば、自分の所属しているクラブなどでお金を貯め、「コンクールに出場」という名目でクルーズに乗ってメキシコに行ったり、それはそれは楽しい内容のものばかり!しかし、どの行事もお金がかかります。日本の学校でしたら、親が払ったり、学校がお金を集めて払ったりするのがほとんどですが、。アメリカでは違います。子供自身にそのお金を稼がせるのです。えっ?小学生にバイトをさせるのは違法なのでは?と思った方もいるかと思います。決してバイトをさせるのではありません。基本的にアメリカでは(確か)16歳ぐらいにならないと社会で働くことはできません。では、いったいどのようにお金を稼ぐのでしょう?アメリカでは “fund raiser”をするのです。ファンド・レイザーとは「n. (福祉事業や立候補者のための)預金調達者; そのための催し.」http://jiten.www.infoseek.co.jp/Eiwa?col=EW&pg=result_e.html&qt=fund&sm=1&lc=12&lp=0&svp=SEEK&item=MAIN,NODE,68587例えば、小学6年生の子がScience Camp(日本でいう林間学校のようなもの)に行く為に、$500必要だとします。その子は$500を稼ぐ為に、fund raiserに参加することにします。(基本的に学校で、そのシステムは提供してくれます)今回のfund raiserでは1つ$5のチョコレートを売ることで、その子のアカウントに$2.50入るというシステムです。その子は、なんとそのチョコレートを売るために飛び込みをするのです。もちろん、最初は親戚や近所の人などに売ったりするのですが、時には、母親に車で少し離れた住宅街まで運転してもらい、一つ、一つの家のドアをノックして売っていくのです。「僕の所属している吹奏楽部でメキシコにて開催されるコンクールにでるので、fund raiseをしているのですが、ご協力いただけませんか?」などといったふうに。チョコレートだったり、クリスマスカードだったりと様々のものを私の家にも売りにきていたのを覚えています。そのころ、私は英語もあまり話せず、かなりの弱虫でしたので(今もですが 苦笑)親が基本的に払ったりしてくれていました。本当に今から思うと、あの時、無理やりにでもやらせてくれていれば良かったのにと思います。あの頃は、あまりにもこのfund raiserが当たり前だったのでなんとも思っていませんでしたが、今になって考えると、これはかなりすごいですよね?しかも、fund raiserに参加する事によって、売った数が多ければ多いほど、ご褒美ももらえるシステムなのです。特に小学生の場合、10個売った子にはご褒美としてアイスクリーム。20個売った子にはウォークマンなどの、豪華な賞品が贈られます。これだったら子供もやる気が出ますね。アメリカではこのように幼い頃から、「自分がやりたいことをする為のお金は自分で稼ぐ」という事を教えているのです。もちろん、自分が一生懸命飛び込みをして貯めたお金ですから、お金の大切さもわかります。アメリカはお金に関しての教育はとても上手ですね。私もアメリカで小学校6年生にして、「株の売買」を学んだのを覚えています。もちろんお遊びですが、ニセのお札を$10,000ほどもらい、自分で新聞を見て好きな企業に投資するのです。もちろん新聞に記載されている値段で。そして、2~3日に一度、学校で新聞を読みながら、自分が投資した株がどれだけ上がっているか、または下がっているかを折れ線グラフにしてつけていくのです。そして、2~3ヵ月後に一番儲かった生徒にはまた素敵なご褒美が待っていたのです。このようなすばらしい環境で、世界的なビジネスマンが生まれてきたのですね。正に「金持ち父さん」マインドですね。ロバート・キヨサキさんもこのような環境に育ったのでしょうか?本当にうらやましいばかりです。笑
2004.12.03
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さて、「美しい花がある。花の美しさという様なものはない」これは小林秀雄さんの有名な命題だそうです。このように、かつて日本では西洋のような抽象的概念で花の美しさをとらえるというような言葉や概念は無かったのです。「美」は無かったのですが、「美」に似た概念がありました。それは「わび」「さび」「もののあわれ」などということばで表されていました。「あわれ」とは見るもの、聞くところ、触れるものにたいして、こころが感じて発する嘆息の声ということだそうです。非常に体験的ですね。日本語では「美の概念」がさきにあるのではなく、そのことば一音一音の意味に実は、自然の理が含まれていると言われています。日本のことばは、漢字渡来(大和王朝成立)以前、はるか昔の上古の時代から日本独特のことばとして伝えられてきました。カタカムナという象形文字が、古代カタカムナ人によって伝えられたのです。その象形文字は、宇宙の物理がその形によって表されているといわれています。それがカタカナのもととなり、そのカタカナからひらがなができたのですね。日本人が、虫の音や川のせせらぎの音を左脳で聞き分けられるという、世界でも珍しい脳を持っているということは非常に有名な話ですが、このように自然の声をそのまま言語脳で理解するということも日本語ということばの成り立ちが影響しているのですね。
2004.12.02
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さて、西洋の美の概念を語るには、私はあまりに勉強不足ですが、非常に哲学的でありながら、とっても優しく「美」を体験させてくれる本があります。「美は世界を救う」ロロ・メイ 著 誠信書房 著者である心理学者、ロロ・メイさんはまだ若い時期、ギリシャで神経衰弱になってしまったのですが、あるときひなげしの花の美しい丘で風に揺れるひなげしをみて、ふとスケッチがしたくなり、ひなげしの花を描き始めました。その時、スケッチしながら自分の内面の声に耳を傾けはじめたことがきっかけで、病んでいた心は回復に向かいました。ひなげしの丘でいったい何が起こったのでしょうか。彼の内面の声は「美について」話しかけてきたというのです。それ以降、人間のことについて学ぶ人文学、心理学を深めながら、美についての探求がはじまります。そして、この本は、ドストエフスキーが書き残した「美は世界を救う」という言葉に対してソルジェニーツィンがノーベル賞の受賞の講演にて「美によってだれが救われたのでしょうか?」と問うた答えとして書かれたものです。その問いを聞いたときに、ロロ・メイさんは、「他の何者も私達を救う事はできない」と考えます。「美は、人間の心情と精神のなかにまで深く入り込む形式なのです。美は、人間のあらゆる気分を、だれでもが理解できるような感情や洞察や、感覚的体験に翻訳してくれるものなのです。美のなかでは他人というものがいません。人間の魂に深く食い込むほど、それが自分自身の魂であろうと隣人の魂であろうと、自分が他の国の人々とも、鉄のカーテンの向こう側の人々とも、ひとつになっていることにきづくでしょう。美によってこそ私たちは、人類の全ての人と理解し合うことができるのです」美は、ソクラテスの時代から、多くの哲学者によって語られ探求され、そして多くの芸術家によって表現されてきました。美は多くの人々によって探求されてきた普遍的な概念です。しかし、たくさんの美を語る言葉のなかで、私は「美は、喜びの感覚と平和の感覚を同時に与える経験」であるというロロ・メイさんのこの言葉をこよなく愛しています。世界を回って書いたスケッチと、たくさんの人たちの美の体験により表現された詩をよみながら、「美」から語りかけられる、そんな本なのです。
2004.12.01
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