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大晦日を迎えて今日でやっておかなければ悔いを残すことは まずは お墓参りをして門松をたてること。 祖母の実家に年末の挨拶にいくこと。 お餅の飾りつけと 年始のお酒とピムンを用意すること 庭に 新しい浜砂をまくこと めんまを取り替えること 夕暮れる前に 軽トラックを水洗いすること。 そして 今日中は アルコールを口にしないこと。 出来れば 正月飾りを丁寧につくることと 庭の掃き清め これで 芽出度し愛でたし・・・。
2011.12.31
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好きだから好き 理由はと・・・?聞かれても・・・・、あれこれとありすぎて 。 好きになってくれと 言われてもはい 好きになりますとも 言えない。時間をかけないと 好きになれないこともあるが 一目惚れというのも 理屈ではない。 集落自治を 最近考える。「同胞・はらから」と題した映画を観た。東横線の白楽の駅で降りたところにベニ座とうい映画館があったと思う。日記で確かめればいいが、思い出すことが多すぎて ちょっと 止めた。 古里を思う青年の活動が」題材だった。感動した。与論島に帰省した夏古里盆踊り大会に参加した。何かの想いが重なった。 あれから 三十年過ぎ壮年から 次期 老年期が直に来るここ十年ぐらい 僕の生活から 集落意識が消えているやっぱり 集落自治に帰着する 地方自治は 集落からとの思いは益田教育長が鹿児島の南の先端からと唱えて実行したと思っている。吾が古里から ひゅーどーやーひゅー・ にゃまどーにゃま。 にゃまから ぱじみらん ぷるさとぅから。そんな気がしてならない 年の瀬だ。
2011.12.30
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年末の大掃除のあとがチャンス。リサイクルセンター。粗大ゴミ置き場が整地されている。 最終処分場はどの場所に出来るのだろう。年度末も残すところ3ケ月。 リサイクルセンター敷地内のストックヤードの完成をみてからやがて5年が来ようとしている。粗大ゴミがきれいに片付けされているのを見るのは嬉しい。 捨てる神あらば疲労髪もあり・・・・。 あの事業のおかげで紙が少々灰色がかったが おかげさまで 元気になって 命を燃やし続けることが出来る。
2011.12.29
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ジブリ館をでたあとは井の頭公園を散策した。シモーヌ、木の葉の散った森絵へ行こう落ち葉は苔と石と小道を被ぅているシモーヌ、お前は好きか、落葉ふむ足音を?寄りそえ、われ等も何時かは哀れな落ち葉であろう寄りそえ、もう夜が来た、そして風が身にしみるシモーヌ、お前は好きか、落葉ふむ足音を? どんより曇った空の下池のまわりを回った。弁天堂では何枚か写真を撮った。 ジブリ館の開館までに時間があったので二度目の弁天堂は橋を渡って向こう岸に回った。水生物館はあまり興味あるものはなかった。池の端の茶屋で甘酒とくず餅で昼食代わり孫と娘を連れた家族が隣だった本園は閑散としていて動物などもチジこまって見えた熱帯鳥温室は名ばかり・・サル山の猿の行動を観察したあと彫刻園で北村西望の作品を堪能した野口雨情の童心居は ちょっとさびしい庭だった 携帯が鳴って練馬のUさんからだった。深大寺にも行く予定だったが夕食を予約してあるとの事だったので喜んでお邪魔する旨伝え吉祥寺の駅に向った。電車が無いので駅員さんに聞いて小田急バスで大泉学園前に向った。
2011.12.28
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農協観光のツアーだったたろうか・・・? 「援農隊」を世話したり受け入れをしたことがある。体験民宿の係をしたこともあって、観光協会から紹介されたので自分のところで手伝ってもらうことにした。4日間ほどだったろうか・・・、登録された体験民宿に宿泊された5名の方を送り迎えする。昼食は民宿で弁当をつくってもらうらしい。こちらは10時と3時のお茶を出すだけ。農作業の経験がある方たちだったのでたいていの作業はこなせるようだった。人手の要る時期の農家にとってはとても助かる制度だった。がしかし、雇用を経験したことがない農家にとっては迷惑だったのか次の年には断られてしまった。その後どうなったのだろうか・・・? 先日、定年になったので、与論島に移住したい夫婦がおみえになった。家庭菜園をしながらゆったりと過ごしたいみたいな・・・、余裕が感じられた。家もあるというので、別荘的というか、息子夫婦に譲って隠居暮らしとみたいな感じに思えた。余裕がある人だったら住む所や農地を世話してもいいと思った。農地制度の枷があり移住者が農地を取得するのが難しいので、私の土地を一定期間の契約で貸してあげることを条件で移住をしてもらう。之を 会社方式で移住計画を立てたらどうだろうか・・・?第二の古里移住計画「田舎暮らし半自給自足」 リバイバル/老春~還暦を迎える また 馬鹿なこと考えた。
2011.12.26
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平成10年ごろのことだったと思う、農村(与論島)から新しい風を起こそうという大きな構想があった。新農業構造改善事業がそろそろ大詰めにきていたようだった。農協がからんでいたのだろうか・・・? と思うむきもある。何故かと 考えてみると、弟が農協で管理部長の職にあって、一緒の会合で彼の手元にあったパンフレットに目を通した。 私は集落営農には関心をもっていたので、地域農業を確立するための手法を模索していた。サトウキビの機械化には限度が見えていたし、政府の買い上げ価格の保障は続かないことは予測できた。この頃から急激に畜産が伸びだしてきたのは、後継者が帰ってきたことと国の補助事業の導入で機械化が図られたことにある。 地域複合農業は糖業(サトウキビ)+畜産(繁殖肉用牛)+輸送園芸(いんげん、さといも・花き)で確立された。販売額で一千万以上の農業は家族経営で可能になった。 与論島では従来の農業基盤整備事業で面的整備が進み、あとは灌漑対策事業を残すのみとなった。着々と農業基盤の整備は進み、島が小さいことと農地委員など農業関係者の理解と推進で遅れて取り掛かったにもかかわらず現在は完了まじかになっている。 その頃、自分が農業を後継するにあたって考えていたことに自給自足を目指そうとおもったことだ。定年後のことであり、父も健在だとおもってのことであったが・・・・。自給率を高めるにはやっぱり米作がなければならない。 水田を復活させて二期作や二毛作とあわせて藁を飼料につかうこと、サトイモ等の連作障害の対策をと思った。水田を復活させるためには集落営農しかないと思ったし、今でもそれを考えている。現在の圃場整備はいつでも水田に復活できるような畦の立て方をしているので地下水が得られる場所は簡単にできる。小規模の機械化に適している面積でもある。農事組合法人による管理をしながら自給的米の供給をしたら与論島での半自給的な暮らしが出来るのではないだろうか・・・。 こんな農業政策を掲げて移住者を誘致するのはいかかがなものかとふと考えてしまった。
2011.12.26
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東京農業大学 造園学科指針より 転記。・・・。 奇しくも同じ1972年の2月、花森安治は、暮らしの手帖16号で長詩「みなさん物を大切に」を書いた。物を大切にしようという心は、浪費の否定であり、ここに主張した「変わらないもの」に対する価値観に通ずる。この長詩の最後の小節をここで読もう。 ぼくらよ いさささか おっちょこちょいで 虫けらの ごとき ぼくらよ ぼくらのこころのなかから 急速に失われて いったものを いまやっと ぼくらは知った それは 物をいとおしむこころだ 物のいのちを 大切にするこころだ ぼくらは ついうかうかと 言いなりになって 買っては捨てていたのだ 捨てていたのは 物のつもりだった 危ないところだった 捨てていたのは 捨てさせられようとしていたのは じつは こころだった でも まだ間に合いそうだ みなさん 物をせつに これらの一連の思想は、進歩のしゅうせんというべき思想でもある。進歩という名の思想、価値観が芽生えるのは、ここわずか200年のこのかたの歴史にすぎない。産業革命と共に生長した若い価値観にすぎない。今私たちは、眠っている他の価値観をゆり起こさなければならない重大な転換期に立ったのである。 この本を手にしてから35年が経った。造園原論の江山先生と 樹木の林先生のことは 公園を歩くとき 空気の中に感じとれる。武蔵野と丹沢山系を歩きながら・・・ 思うことである。
2011.12.25
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足柄山の金太郎 熊にまたがりお馬の稽古 はいしどうどはいどど はいしどどはいどど・・・・・。 東京品川の宿、二日目は日帰り旅行を計画していた。朝食は「ななかまど」かつては食べられないバイキングの優雅な食事をすませ部屋に戻ると、行き先を丹沢に決めた。小田急にするかJRにするか迷ったが新幹線に乗ることにして入場キップを片手に駅員さんに小田原行きのキップに切り替えてもらった。最初に来た急行のぞみに乗り込んだ。ドア口の右手側に立って景色を眺めてている・・・、大森、蒲田そして多摩川を渡る・・・、懐かしい景色とともに走馬灯のように学生の頃が思い出される。小田原には停車しないので新横浜で乗り換えるつもりでいた。天気がものすごく良くて丹沢山系の向こうに富士の白雪が見えていた。携帯の着信・・・、川崎を通過して横浜に向う旨連絡。乗り換え時間の間手持ち無沙汰だったので息子との余韻のハイボールとツマミをキオスクで求めた。小田原駅までは座席でくつろげた。駅に降りたら開成の駅から山登りのハイキングでもと思ったが小田原のお城に上っていなかったことに気がついて観光案内所に立ち寄り地図をもらった。地図を頼りに城への道を歩いた。時間はたっぷりあるので迷い道しながら歩いていると神社前に交通整理の叔父さんがいた。二宮尊徳さんに出会えてので早速記念の写真を撮った。「至誠と実行」 ことばを かたちにする・・・、をメモった。尊徳の歌は 祖父母から教えてもらった。親孝行 手本は二宮金次郎子供の頃は与論小学校の門に 尊徳と犬のチンの西郷ドンの銅像があった。 神社に参拝したあとだらだらと坂を登りきった。小便をこらえていたので入り口の茶屋で場所を聞いて駆け込みセーフ。お礼のつもりで店に入って注文したのは泡のたつものであった。店員さんに地元の特産品を紹介してもらいながら観光地の様子を学ぶ体裁をつくろった。時間がはやすぎたので観光客はぽつぽつだった。子供達(小学生低学年)の集団が数組やってきて観光客が並び始めたので二杯を飲み干して入場券を求めて外人の子供達に紛れ込んで入場した。歴史にはあまり興味がなかったが武士の生活用品や武具には目を惹かれた。天守閣で箱根山などの写真を数枚撮って大満足して次の目的ち足柄を目指して駅のほうに向って歩いた。資料館の玄関に入ったら 閑散として公的な機関は やっぱりなー ・・・、のおもいを持ちながら公園を横切ったら5~6名がたむろって朝から小田原表情をやっていた。年のころが同じだった。還暦祝いに小田原見物に来たといったらお前は面白い人だといってくれて仲間にいれてくれた。沖縄に出稼ぎに行っていたという人もありどこからか来たのか仲間が増えていった。お土産に買った塩辛を提供して四方山話を30分ほどして 予定変更して海老名の駅で降りることにした。
2011.12.23
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根津権現かいわいは古い家屋が残っていた。氏子が宿泊したと思われる家には中に入ってみたかった。うどんやの前には人が並んでいたが神社が近いことがわかった。鳥居をくぐると最初に息子に連れられて来たときのことを思い出した。珍しくお賽銭をいれて拝んだ後与論島出身のIさんに会えたらいいなとおもいながらお札を求めに行った。後ろから年配のご婦人のかたがいらして先にお札を買った様子をみてた。 運がいいことにIさんが座っていた。ご婦人に話しかけたら与論島を知っていらっしゃるとの事・・・、気持ちが高揚した。根津神社と書かれたお札をしまい鳥居をでて帰りかけたが名残惜しいのでお土産でもと 金太郎飴やさんに立ち寄った。若い女の子が二人飴を買った。私も二袋を買って、赤門の場所を尋ねたら物腰柔らかな対応で「浪漫ちっくマップ」を開いてせつめいしてくれた。 東大の赤門の前の学生用のお店で昼食を捕った。本郷通りから御徒町駅を左に曲がり上野駅からJR西日暮里駅で降りて日本エコツーリズムセンターに電話して時間に間に合って事務所に着いた。 書けなかった 色々な思いがよみがえってくるそ日の出来事は失くしたデジカメのかわりに脳裏にきざまれている。そういえば学生時代反射式望遠鏡を抱えてアパートにもどったのは本郷通りだった。今はその望遠鏡を思い出すこともなくなってしまったが星座の位地を確かめる肉眼が備わっている。昨夜は那間自治公民館で還暦の出し物の練習をした帰りオリオンをみた。正月まで 飲まないをつづけよう。
2011.12.21
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谷中の散策を途中で引き返してJR西日暮里の駅前をうろついた。日本エコツーリズムセンターの住所を探し出したので、駅前交番所前に立っていた若い警察官にきいて、案内板で駅のすぐ近くあることを確かめた後、上野駅で降りて公園を抜け不忍池を渡った。スズメに餌を与えている老人の姿などを気にしながら通り抜けて、旧岩崎亭への坂を登らないで右折した。弁当を買って池之端で食べるつもりでいた。 商店街には行き着かず、日陰のビルの間を歩いているうちに道に迷ってしまった。池に戻るのが先決だと、右に右にと歩を進めているうちに西口に着いた。コンビニで東京バナナと飲み物を求め、日当たりのいいベンチに腰掛けた。池の正面の遠いところにスカイツリーがくっきりと見えた。いい被写体を携帯で撮った。田舎者に見えたのだろうか、隣に腰掛けた老婦人が話しかけてきた。母の命日だったのでお寺にお参りしてきたところで、私は苦労してきたけれど、こんなに長生きできたのは仏様のおかげです・・・、云々。身の上話を話し始めた・・、時間に余裕があったので、私も神様を信じている・・、などと話を合わせた。神社の話が出て、根津神社が近くにあることを知った。時間つぶしの目標が決まった。不忍通りを抜け根津小入り口までやってきた。前回上京したとき息子と歩いた通りだった。神社への入り口を確かめるため学生らしき若者に声をかけたら丁寧に教えてくれた。東大生だろうか・・・? 赤門にも行って見よう。最高学府の入り口だけでも・・・・。
2011.12.20
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NPO法人日本エコツーリズムセンターの事務所を捜してJR西日暮里駅で下車した。会議は午後の三時からだったので、界隈で時間を潰しながらの下見だったが時間は朝の9時、あまりにも早すぎた。 駅前の交番横の案内板を見たら道潅公園があったので坂道を登っていたら、ぼくよりも少し年配の方々が地図を片手に散策しているのに出くわした。断っていっしょに連れてもらった。 「坂道が取り持つ路地の縁」・・・・、谷中・根津・千駄木。10名ほどの男だけのグループだった。ツーリズムの参考になると有頂天になって歩いていた。目の付けどころの説明に納得、感心しながら谷中の街文化をカメラに収めながら統一された看板通りを下っていった。急に携帯が鳴って、用件は町役場からの不本意な問い合わせ。ちょっとムットしたが気を取り直して、みんなのあとを追った。下りきって右折したところに花屋があった。とぼけたおばあさんが、どうしてお店があいてないのかなー」と言ったので、「隣で売っていますよ」と言おうとして思いとどまった。そのとき、町並み探検隊の方から名詞と案内の概要を戴いた。自分の名詞を渡すためにバックをおろして名詞入れを捜すため左手に持っていたカメラを地面に置いたようだ。ちょっとしたやり取りのあと移動して30メートルほどでカメラを持ってないことに気がついた。一緒に行こうかと言われた連れを断って、花屋の横まで引き返したが 残念。落ちていなかったかを聞こうと思ったが失望で勇気がでなかった。 でも [まちナビ倶楽部]との出会いは良かった。頭脳に焼きついている。そして体感・・・。小田原・海老名・ジブリの森館・井の頭公園・石神井公園・富士山。 出かける前に書いた生前の遺言・・・、との組み合わせ、自分の命の身代わりになった映像だったかもしれない。
2011.12.18
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東京行きの目的は「田舎で働き隊」の勉強会でした。これまでに経験したことのないような 意見の交換会を体験した。日本エコツーリズムの震災ボランティアの取り組みが議題だった。ちょっと 頭を整理しないと書けない内容だった。会合は4時間ほどで自分が手を上げて発言できるレベルの話ではなくて感想を聞かれたのに答えただけだった。 しかし とても磨かれた。あとの 熊鍋を囲んでの雑談がとても心地よかった。肩を組み合って歌ったりした。私が歌った「あさとやユンタ」が滑り出しだったのも嬉しかった。また会いたい いい顔ぶれに出会った。こんなの 久しぶり 感動 と感謝。 与論でも こんな出会いもあった。 情熱的な人との出会い。人的な資源を大切にしたい。
2011.12.16
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ご無沙汰しております。 みな あいかわらず のらりくらりと暮らしております。 役場の仕事 新年度から戸籍住民係から 環境係に配置がえしてもらいました。 学生時代から 環境には興味をもっていたのでなにかましな事はできないかと思い考えているところです。 昨日は 新しくできた火葬場周辺の 緑化と 防風対策について 検討しました。 気の合う仲間どうしで のんきにやっています。はなし違って・・・、 納骨堂(骨の収納場所)は 玉盛じいさんが建立してあるので 自分としてはそれを大切にしたいと 考えています。 いまの納骨堂はもう 満杯(8体)なので エクばあちゃん 玉盛じいさんの納骨場所がないので 一工夫必要だと思っています。現在のよろんでは 甕のなかに納められているお骨を火葬にする家庭が多くみられます。まだ これといった決まりがなく 家主が思っていることがそのまま実行に移せることができると思います。 父、正起はあれこれと言うことがないので 叔父さんや叔母さんの考えを聞かせてください。自分で思っているのは 納骨堂の上の棚にある ハタサー(頭蓋骨)はそのまま残し足や手などの骨は火葬にして骨壷にまとめてもらい 船倉墓地に再び埋葬する。空いた空間に下の段をつくり 祖父母のハタサーを祀る足などの骨は火葬にして 骨壷で納骨する。 などなどと 現在には考えています。できれば叔父さん叔母さんが与論島にお越しの祭にいっしょに拝めればと思っています。 先日 墓石やさんに囲いのブロックが壊れかかっているので中国産の石で 玉垣(囲いの石積)と入り口の石柱家紋入りの墓碑をお願いしたところです。私としては 墓の中に 白い砂を残したいしまた あのくすんだレンガ色の甕が好きなので僕なりの造作をして先祖崇拝の精神を子供たちに残したいと思っています。 雑文集(南の島での 日々(ピービー)の暮らしから)をおくります。 お体を大切に。 H.16.4.15 竹 酔 人
2011.12.12
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暖冬な年の瀬に入ったと思っていたら昨日から急に寒くなった。この季節になるとなんとなくもの悲しくなる。 年を越したらまたひとつの老いがかさむ。あと何年生きられるだろうかなどと考えると時間が惜しくなり目が覚めてついつい早く起きてしまい昼前には眠くなるを繰り返す 与論島では見られない紅葉を都会で過ごしたビルの谷間のカラカラと音をたてて転がっていく落ち葉に自分の姿を映してみる 数日後に東京に行けると喜んでいたが息子と上手く意思疎通ができなくてちょっとふさいでいる。 なるようになるさとあきらめの心境で会ってみよう。もとより放り出しているような暮らしをしてきているのであたりまえは あたりまえだ。 来る正月に還暦を迎えるので自分の身の振り方を決めようと思っている今回の東京の旅はちょうどそのチャンスだ。郊外の街をたそがれてみよう あと何年生きられるか之まで生きたことをどう活かせるかをじっくりと自問自答する これは之まで自分が人生を考える手法である 孔子の言葉に人生の区切りを決めた己の欲するところに従い 矩をこえずの道は遠い が 長生きしてその境地に達することは やはり目標にしたい まどろみとねむりの間をさ迷うごとくの 今の心境だ 今日も忙しくて 悩んでなんかいられない 楽しく 明るく 強く 生きよう 今日も元気だ!
2011.12.10
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三階の小会議室でのこと与論島サンゴ礁再生・保全のための活動計画(案)の閉めにかかった。質疑の時間は予定時刻にあと15分を残していた。 議長が質問がなかたら原案可決しても・・・・、誰かが口を切るのを待っていたので「待ってください 」と申し出た。出席者は僕もいれて22名、内2名が退席。遅れて出席したなかにmaru長がいた。その方が最初にいなかったのが不満だったので特に気になっていた。 事務局だった前任者は会議中に電話が来て呼び出されたのか30分もしないうちに退席。申し合わせたのかと思えるぐらいのタイミングにははらただしさというかをこえて空しさを覚えた。 新しい事務局の担当の熱心な説明は資料で紹介し、専門的な知識や実際本人が取り組んできた経緯など他の会議ではめったにみられないような高度な技術と巧みな弁舌だと感心しながら聴いていた。 一番後ろの座席をふりむくと 自然保護監視員と並んだ方が居眠りどころか おやすみらしい。 質疑の口火を切った方が新自然保護監視員とのこと、サンゴ再生にむけての本人の希望的所見を述べたあと世界サンゴ会議の行方について事務局に質問した、矢先に プロジェクターの先に立ててあるスクリーンが風に揺られガタンと音を立て崩れてきたあわやを 先頭座席の課長補佐が取り押さえた。 多分、物音でお目覚めになったことあろう。買い次第の本日の位置づけ によると9月15日 役場内関係部署長との打合せ(活動方針案の打合せ)すでに おわかりであろうが この会議には費用弁償も報償費もでない農家等の民間人が多数を占める。職務中に出席してる役場職員が眠り込んでいる状態は好ましいものではない。 会議の席で小言して座をまずくしたくなかったがあえてここで言いたい。 私も元役場職員だったので疲れて会議中に居眠りすることもしばしばあったろうが眠りつくまではと すこーし 行き過ぎだと思う。 出席したかたは誰かはご存知だろう。本人が気がつかなかったら 回りの方が注意してもらいたい。管理職を部下が注意することができないだろうから町長に申し上げたい。シンクタンクと呼ばれた職員の奮起を期待したい。また職務怠慢といわれないように 頑張ってもらいたい。会議の運営体制の第一に 運営に必要な人的資源の解消をあげている。 こんなんで いいのだろうか・・・?「パナウル王国の環境憲法」~与論町環境総合計画~ 2002~2011 今年が最終年だ。ゆんぬまちづくり委員会の名簿に自分の名前を見つけてしまった。この冊子は ダイジェスト判で全戸に配布されていると思う。 まだ保存されていたら再読をお願いします。 PDCA 役場職員なら ご存知でしょう。 そして ほうれんそう。 朝の朝礼で 耳だこだった。 今日も元気で 頑張ろう。
2011.12.09
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やっと連れて帰った山羊が再び脱走。昼食が終わったところに青色の軽トラックが止まった。外にでてみると養蜂家のNさん親子だった。予定通りの来宅、蜂箱の配置の段取りを聞いているところに研修生のなっちゃんが子山羊が逃げ出して親が追いかけていった・・、と。大変大変・・・、なっちゃんは午後の仕事の手伝い。 一人で捕まえにかかった。追いかけっこを続けてやっとつかまえた。 子山羊との持久走は私に軍配が上がった。雨靴を履いていたので何処其処おかまいなく追っかけられたのはいいが母の後からついて必死で逃げる子山羊をみていてかわいそうになった。リードがついていたのでなんとか捕まえることができた。そろそろ親山羊を持ち主にかえさなければならない。生き物を飼うのは大変がつきものである。 廃品利用で 蛙を飼うことにした・・、 蛙の丘 5年ぐらい前
2011.12.08
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昨日突然アーリーさんが訪ねてきてくれた。沖縄でパーマカルチャーしている仲間を連れて与論島でキャンプを張るのだが2時間ぐらいワークショップができないかを検討しているとのこと。 引き受けますと言ってしまった。初めての経験だが勉強してなんとかこなしてみたい。 エコツーリズムセンターの協力を得ながらエコカフェも来年2月ちゅうに開催できるよう打ち合わせたい。 神様から試されている気がする。 健康が一番だ。
2011.12.07
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鹿児島県で最初にカンキツグリ-ニング病が発見・駆除されたのは与論島でした。小さい頃に遊んだみかんの木が切り倒されるところです。門司港が懐かしくて途中下車してみました。巌流島にも立ち寄りました。
2011.12.05
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仕事を無事終えてホテルに帰る途中、 公園の片隅でたむろしている集団に出会った。小雨が降ったのでビルの狭い駐車場で酒盛りを始めようとしていた。7名ぐらいのなかに女性が二人、浮浪者とはいえない ちょっとした酔っ払いの感じ・・・、昼間から飲む心境を聞きたくて・・・、というより仲間に加わって飲みたくて、5千円会費を払うから一緒にさせてくれと頼んでみた。お金をくれるというから大歓迎だということでカンビールに手をかけた矢先パトカーがやってきた。それも二台やってきた。若い警官が命令口調で立ち去るようにいわれたので、ムっときてしまった。自分の金で酒を飲むのんで何が悪のかとくってかかった。近所から苦情がきている、ビルの駐車場を無断使用することは迷惑だと諭す。 なるほどと理解できたが、その高飛車な態度に納得がいかない。小雨が降ったので、公園から雨宿りで移動したとの事であった。結局追い出されてしまった。あたりまえだったが・・・、そのごリーダーのお宅にお邪魔して仏壇の前で飲みなおしした。 名瀬の市民の生活事情を垣間見たような・・・、公園に屋根のついた雨宿り場所をつくってくれるような議員さんが・・・。 近くの緑の憩いのトイレが工事中だった。以前 そこでたむろしていた集団かもしれない。 朝、大島支庁に行く途中に礼拝堂に入ったら なぜか追い出されてしまった。浮浪者と間違われた・・・?僕も浮浪者 そのものだったのか。 以前にも そこのキリスト様は私には冷たかった。神様や仏様は弱いものの見方だとおもっている。司法や行政がわるいわけではないがなんとかあたたかくしてくれないだろうか・・・。 温かい人たちにもであった 師走。 来年も 会いたいものだ。
2011.12.05
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