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パンフレットを頂いて読みながら勉強している。先日、国頭村環境教育センター「やんばる学びの森」プログラムディレクター 久高 将洋さんにお会いした。モルジブからの研修生8名の島内案内の依頼を受けていたので、その打ち合わせのために自宅にきてくれた。私のまくし立てる話を、若いのに落ち着いて聞いてくれる人柄に好感を持った。近くの楽園荘に泊まっていると聞いたので、朝食を済ませた頃合を見計らって私のパーマカルチャーの売り込みに行った。これを契機に 交流を深めていければと思っている。チャンスが到来したと 心強く思う。 やんばるとは 他生の縁で繋がっている。今朝起きたら、ツイッターでフォローしてもらっていた。これから アタビーの付き合いをしてもらいたい。 さて、その日は夜は 「奄美群島における交流人口拡大方策検討に関する調査」第6回 与論島ワーキンググループ会議 があった。年度の最終回で とりまとめと、よろん島博覧会 体験プログラムの実施状況と次回にむけての確認のための会合だった。 「奄美群島における一元的コーディネート組織」の基本的あり方の説明をうけて、本音が飛び出した。アンケート調査で、奄美大島に事務所を置き、7人体制が理想であるとの説明には納得がいかない。 私は別のワーキング委員会「与論島観光ルレッサンス計画」にも属している。ルネッサンス計画では「与論島は奄美ではない」を位置づけているのに、奄美大島でコーディネイトされるのは可笑しいと冗談まじりに 本気で意見ををだしたら、主催者側と対立してしまった。 後味の悪い会合を味わったので、明日 観光課に行ってお詫びをして、来年度からの委員を断ってきた。 こんな通信手段の整っている時代にそんなばかな・・・?奄美大島まで人材を派遣して、与論の財政を圧迫するよりも、東京の鹿児島観光物産館(遊楽巻)に奄美の代表を一人置いて、奄美観光連盟を動かせば事足りる。 熱帯果樹アテモヤの売り込みで遊楽館にお世話になったことがあるので、その人員配置も勉強してきた。 隣の わした沖縄、 北海道の物産事務所も・・・。発言にうなづいてくれた、Uさんには感謝している。 時代遅れにならないように・・・、と思う。農政におくれを取っていると観光行政に申し上げたい。 4月からは会費を納入して、協会員として発言権を得たいと思った。 観光元年と定めただけあって、職員、観光協会が頑張っているのが目立ったことも事実である。だから、今こそ 皆が力を合わせるときだ。まとめ役が 誰かをしっかりして 誘導して欲しい。 やっぱり 行政の手腕に頼らなければならない。観光ルネッサンス計画が「第5次与論町総合振興計画」に盛り込まれ、年次計画で達成されるよう町民への周知徹底、島外への情報の発信が待ち望まれる。 「 人文どーやー じんぶん」 親からもらった 持ち頭を生かせ! 習ったものは物真似だ お前は大学を出たのに 何も出来ない と 写真の叔父に言われっぱなしだった。 この叔父は 香山よしこさん? ら と共演した映画も撮られている。 観光は 人 だと リピーターがタヅ寝てきて 思う。
2011.02.18
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たてつづけ、TVと新聞紙上に紹介された。これまでは 変人扱いにされていたのが、急に研究者に変身できた。 ブログを書き始めたころ、一時期 カメレオンと名乗っていたが、R中になったり 郷土研究家になったり熱帯果樹農家になったり海洋壮年したりているが、相変わらず趣味は樹を植えること。「学習の森」を目指してこつこつと、サンゴの石と浜砂を、ありのごとくせっせと運んで積み上げている。 植えただけではいけないので育てる運動もやっていくため、NPOも立ち上げ、なんとか世間にも認めてもらえそうな昨今である。 今年度の総仕上げは第20回記念ヨロンマラソン大会での記念植樹。準備してある苗木を植えてもらう方法を考えているのだが、これまで いい出せない雰囲気を感じる。呼びかけのチラシを入れてもらっているのだが10名足らずの参加で、地元の共感を得られていないのが寂しい。マラソンの関係者にとっては記念植樹どころではないのを承知で何らかの仕掛けをしよう。参加してくれるのは少人数でいいので、確実に育てられる植栽にしたい。 記念植樹の様子をマスメディアに売り込んだら参加してくれる方も増えることだろう。来年からは場所を、保安林内の遊歩道にクロトンとドラセナの並木を作ろうと思っている。去年植栽したオオゴマダラの食草が陽の目をあびることも近い。頑張れNPO,そして 頑張れ自分。 与論島の未来は 窪舎 に期待してる。窪舎会も還暦を迎えた。来年は 私達の番だ。与論中学校20回卒業生 諸君。
2011.02.17
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インターネットの初級講習会を受けただけで理屈も内容も知らないで ブログを更新している。使わないスキルはしばらくしたら忘れてしまい、慣れている機能ばかりを繰り返している。 ツイピックがそれで、携帯でのメールが使えないのであまり必要性もないと、ブログをつぶやくのが便利にしている。 光TVの視聴をしているが、映画はみたいが、TVばかり見ているわけにもいかず、生活習慣が乱れる情報の氾濫の渦中にある。しかし、もうネット社会から離れることが出来ずにいる。今朝 アドベの機能をダウンロードして議事録を久しぶりに読むことが出来た。そんなことまでわからなかったのかといわれるそんな初期段階でもブログの更新は何とかできている。暇つぶしと自己満足の時間が出来るのが何よりだ。しかし、これも禁断のRちゅうから抜け出られたお陰様である。取得したパスワードをメモしておこう。メモが多くて 迷ってしまうことも。 門司港駅前 ここで 昼前から 泡に浸っていた。 巌流島にも渡った。 新聞に写った写真が 年寄りじみてたみたい。 本物は これだ。 左は 社会人1年生 こいつは たまーに ブログ覗いているみたい。 元気してるか・・・・? 写真挿入を トップにもってくると 文章が消えてしまうみたいだ。 めがねのロケ中の写真3枚をアップしてみよう。 寺崎海岸と紹介されているが 浜名(ぱまなー)は 「とぅまい」と呼ばれているようす。
2011.02.16
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夫も 裸で逃げ出す 辛口 唐辛子 よろんもずくそば ヨロシク。
2011.02.15
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1976年のこと、写真にはプレアデス星団が輝いている。与論着15:30、吉村兄のキビ刈り手伝い。 新幹線鹿児島ルートがやがて開通する。そのイベントの一環として、「花・緑豊かなまちづくり」協働事業をいただいた。 赤佐公園の整備をさせてもらったのは活動の拠点ができ幸いであった。楽しみながら ぼちぼち形を作ろうと行動しているがあれこれと忙しすぎて なかなかに 進まない。 「76星日記」によると2月9日 横浜駅発 17:00 はやぶさ 鹿児島へ 10日 鹿児島着 14:40 姶良友人宅泊まる 11日 サイクリング、蒲生の大楠など見物 12日 鹿屋高校へ 恩師をタヅ寝る、鴨池港から垂水港フェリー 13日 エメラルド奄美にて 鹿児島港発 18:00 汽車で鹿児島まで26時間40分 船で与論まで 21時間30分 今では考えられない 贅沢な旅である。 16日 ひかり丸にて 名瀬へ 与論発 13:00 名瀬着 21:30 17日 H県議に面会 あやまる岬観光 18日 ひかり丸にて 与論着 15:00 カボチャの収穫手伝い、炭素病にて収量激減 離島の交通事情がわかる。 与論空港が5月に開港された。 翌年の4月に役場に採用され、与論空港管理事務所勤務を命じられた。飛行場勤務の3年間を青年団活動で燃えた頃が与論島観光ブームの終わりに近づいていた。今、思えばのこと・・・・。 たいしたことはできないと思っていても記録に残して置くということはささいなことであっても 研究者にとってはとても大切なことであることが多いと感じている。 天然記念物の「シマチシズノリ」の新聞の取材をうけて、記録、メモも大切さを強く感じている。何となく書いているこのブログなのであるが、記録として残る、環境の変化の記録写真になることはままあること。そう考えると稚拙な文であろうとも載せてみることは いいのだと 又もいいわけしてる。 チョコレートをいっぱいいただいた縁ある人の 記念植栽 新幹線ルートにむけて 赤佐公園の グリブー 見てね。 うんにーまい うんとは芋 まいはご飯 芋とご飯をこねくる(にー) 練って作る。 沖縄のお芋御殿は 昔ながらの食材から発想されたもの。 芋タルト。 ムラサキ芋は 高貴な味。 「どぅーしーまい」 オジヤを発想してみては・・・、PCDA とは ぷらん・どぅー・しー・あくしょん。 あっせー わかゆんげーら・・・、 野口 げーら げら。コースタルリゾートの新利用計画案 頑張れ。 どぅーしー舞に ならないように! お終い。
2011.02.15
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本町の農業は国や県の基本的な農政に守られて零細ながらも上手く機能しているとおもっている。耕・畜産連携、即ちサトウキビ作と肉用牛・野菜と花が、限られた耕作面積(千百ヘクタール)を分けあっている。高齢化は進行しているが農地の賃貸借も上手くいって、遊休地もほとんどない。さらに国の補助政策指導でサトウキビや畜産部門の機械化も進んでいる。農協との連携も強固で県から褒められてもいい農政の展開だと私は高く評価している。 堆肥センターの設立、利用促進で環境保全型農業もサトイモやインゲン作農家で普及している。 町としては国の政策を強力に推進するために担い手農家を認定農業者として育成するとして、私も果樹農家として、認定農家の一人である。 認定農家は他の産業と同等の収入を得ることが出来る農業経営を目指す農家を育成するのが目標だ。農業技術だけでなく 経営能力を求められる。その最たる手段が確定申告をキチントできるかにかかっている。 中断・・・、車を取りにいってこよう。それでは また。 稲刈りの風景 7ヘクタールほど今でも散在しています。 自給米です。 集落営農については いずれ・・・。犬と散歩してきたら 今日の予定を思い出すしてしまった。何時か 3・3・3・1の農業政策論を提案してみたい。 熱帯果樹 アテモヤを特産品として生産拡大したい。 スタートだ ダッシュだ・・・・。 頑張れ ヨロン○!
2011.02.14
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環境ビジネスが目立つようになっている。クローズアップ現代だったか、中国における水不足を取り上げていた。下水道事業の農村部への進出をとりあげていたが、食料生産は、究極は水資源の有効活用にかかっている。 繰り返しがえし肝に命じなければならないのが いつまでも あると思うな 金と水 溜めて蓄え 日照りしのぎに幸いに与論での農業用水の確保は溜池の整備により着々と整備されてきた この蓄えた水を いかに 有効に活用するかが農政の大きな課題だと思える。タイトルにもどるが、各地で有機農業や自然農法が流行である。その手の活動がNPOのホームペイジで紹介されているが、長続きしてない団体が散見されるのは心痛い。 理想郷を打つ立てる活動は最初は成功したように見えても、続けることがなかなか困難である。燃えやすく 覚めやすい性格の人の集団であることがままあるからだろうか・・?私も 「私のパーマカルチャー」を掲げて取り組んで10年近くなる。すこしづつ すこしづつ と自分に言い聞かせながら熱帯果樹栽培と半自給自足を目指している。主食の米の自給ができればわけないことであるが田んぼの条件整備ができていない。 エコビレッジ構想は主食のお米の栽培を基本にしなければならない気がする。米あまりのこの日本においてそして与論農業 水田がサトウキビに転作されている現状において半自給自足さえも困難に近い。そこで、水田と野菜の二毛作や輪作体系を何とかできないかと考えている。 そのためには農政に発言できるような試作の成功事例を作りたく思う。そのためにも 人手が欲しい。WWOOF制度を活用しようと、今日登録申請書の請求を送ることにした。小さな小さな 私の村(屋敷)つくりから 始めたい。
2011.02.13
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かりゆしバンドとジャズの共演のチケットを買った。案内にはフルート大使 Miya とフリージャズ界をリードするピアニスト スガダイロー により、2010年に結成。トランサイトとは「超越、越境」を意味し、独自の直感的音世界を表現している。東京ライブシーンの新たな風として注目される新感覚ユニット。 入場席80名がほぼ埋まったが、半分以上が旅人(タビンチュ)であるのは仕方ないと思った。ただで見たり聴いたりする習慣になっているせいもあろうし、ジャズ音楽に触れる機会を持たない島文化である。 私も 二人の演奏のリズムにはのれなくて、ただ 音の洪水と 森の中をさまようようなイメージでフルートの心地よい音色と、ピアノを叩くような激しい動作に驚き、鍵盤の音に 耳をかっぽじて 聴いていた。 かりゆしバンドとの共演で馴染みの曲が演奏されてようやく会場が熱くなった。私もリズムにあわせて身体や腕を揺すって、たちあがり踊りだしたい衝動を抑えていた。 共演のなかでピアノやフルートのソロのパートをもっと長く聴きたかった。 以前にMiyaさんのフルートとの共演を聴いてファンになったのだが、与論のかりゆしバンドのリズムを世界中に発信してもらいたいと強く感じている。かりゆしのリズムは 本物だ。アルコール抜きで 酔いしれた。 ありがとう てっちゃん。そして バンドの皆さん。 先日の修学旅行生の応援隊 ゆんぬエイサーの準備風景
2011.02.12
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中学生の時は徳之島の二泊三日だった。初めて島を離れる船に乗ったのは、あけぼの丸(467トン)に揺られて、船酔いで胃液までも洗面器(カネダライ)に吐き出した。豚や牛もいっしょに隣につないでいたので、臭いだけでも酔ってしまう船の印象が長く続いた。 二度目の船は波之上丸(1,401トン)で二日目になって船酔いになれて起き上がれたのは足摺岬の沖だった。東京湾の晴海埠頭での歓迎と見送りが印象深い。 二度目の東京見物は上級生との合同の修学旅行だった。鹿児島・京都・東京一泊の船と汽車の旅で、一番印象に残っているのは、木島のりおモーニングショーの撮影のため、急いで建物に飛び込んだところスタジオの玄関のガラスを割った騒動だ。ガラスが透明だったので気がつかなかったからだけれど、普通の人間では割れることがないはずのものをそいつ(友達)は けがもなにもなくやってのけたのだった。あとのことは記念写真でしか思い出せないが、鳩バスにはも一度乗りたいと思う。 修学旅行生の受け入れをする時に、自分らのこと思い出して、一生の思い出に残るようないいことをしてあげたいと思う。 友達はあの失敗でめげるようなこともなかったようだ。弁償もしなくて良かった。先生とか スタッフとかのだれかれの心配りがあったことだろう。 小野高等学校の修学旅行の受け入れも第7回になったようである。一回生がツイッターで「もう一度与論島へいきたい・・・」とつぶやいてくれた。嬉しい。 自宅訪問を受けているので、与論島が好きになって リピートしてくれるのを楽しみにしているから。逆に 接遇が悪くてもう二度と行きたくない と思われないようにと気を使うこともあり内心不安を持って受け入れている家庭もあるだろう。 マンネリ化してあきられたり、接遇が適切でなかったりしているかもしれない。ここいらで、意見交換会をしてみたらどうだろうかと思う。今後の受け入れの構想を練るのもいいけれど、現在の状況を把握しておくことも大切であろう。昨日のエイサーの発表会を見て、応援隊の出席が少ないと思った。歓迎の挨拶や、講評など、心打つものを応援隊として生徒と共感したい。
2011.02.11
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自宅の桜も満開です。メジロとヒヨドリが蜜を吸いにやってくる。春ですね。
2011.02.10
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実際にあったと思われる。 漁師のジレーが海で遭難し、ハンヌ島に流れ着いて生き延びて、7年ぶりに与論島に帰ってきた。いつもの漁に出た浜にきてみると、自分そっくりの男の子に出会い、家につれていってもらったら、まさしく、自分の家だった。妻も元気にくらしていたが、ハンヌ島の食事に慣れた今としては与論に住むことが出来ぬと別れを告げた。 私が生きてる証として、椰子(ビロウ)の葉っぱで作った草履を海に流すから浜辺に草履が流れ着いたら 私が生きていると思ってくれ・・・・と。 妻と子は 長らく浜辺で草履を拾って歩いていたがいつしかなしに 草履が浜にこなくなった。 妻と息子のデールは海辺に塚をたてて偲んだという。ナータイジレーが漁から陸にあがり水浴びした、水岩壷がある。ここは神聖なばしょとして、旧暦の3がつ15日にゆかりの親族3~4戸で祀られているとのこと。 浜名を聞き取ったら「なうだわとー」という。意味はわからなかった。 ひょっとしたら 教えられない・・・、という意味かもしれない。 水が溜まる岩壷は聞き知っていたが 今回は 陸にある神聖な場所を写真に収めることができ 与論初公開の 民話の検証写真。
2011.02.09
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子供の頃は大便にいくのが怖かった。幽霊の物語をきかされていたので、夜中に外にある便所に独りで行くのは勇気がいることだった。完全に、独りでいけるようになったのは小学校3年生だったと思う。それまでは祖母と祖父の間で寝起きしていた。小便所は母屋とトーグラの間の渡しの部分にあった。 中学生の頃に茅葺からトタンの屋根に改修工事がありそのときに内便所ができたが、それまでの豚小屋に併設した便所はコンクリートでできていた。その頃は近代的な便所だった。 祖母の家の便所はビロウの樹の隣に、小屋はなく、たてかけがすこし。ふたつの平べったい石がおいてあり、うんちは畑に直接流れる仕組み。紙のかわりにユーニャの葉っぱをちぎって使うのだ。ユーニャの木がおしりを隠してくれたので恥ずかしいことはなかった。豚は一頭しか飼っていなくて、その一頭を数戸で分けあって正月を迎えるのだ。ウジンヤーといわれるような粗末な家に親子で暮らしていたが、遊びにいくと ありったけのご馳走で迎えてくれた。 中学校の頃には人並みの家に建て替えられたが兄妹なのに境遇で、こんなにも違うのかと、今でもこころの奥にしみついて消せない情感がある。学生の頃、年金からだとお小遣いをもらったりした・・・。 家の豚小屋は、後方は石垣積みだったが、枠組みはコンクリートでできていて、敲きには2枚のフタがあり、その上には豚の餌台(とーにゃ)が乗っていた。後ろ側の便所にしゃがんでいると豚が騒ぎ出すので、おしりをなめられはしないかと怖かった。人間のうんこを豚に食べさせる構造の豚小屋もあった時代である。 正月豚を殺す風景 豚の種付けをする為に大きな豚(200キロ?)がよたよた歩く姿 豚の去勢とか豚の餌の芋を洗ったこととか 子供の頃の情景を思い浮かべながら ウワーヌマキ付近の崖のサンゴ岩を渡り歩いた。 それでは 写真です。上は シゴー浜 下が ウワーヌマキ 石囲いが名前の由来
2011.02.07
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安寿と厨子王 の話を時々思い出す。幼い頃の思い出のなかに母方の祖母の歌声がある。祖父は度外れの音痴で 母はまともに遺伝した。叔父は祖母に遺伝したのだろう、口八丁手八丁で歌や三味線、絵画なども上手かった。 頭を離れない 寂しい歌声は「いちじょう つんでは ひとのため・・、にじょうつんでは・・・」あの世に行く道の歌のように聴いていた。 そのとき思い出す場所は決まっている。トラ兄の家の後ろの空き地で遊んでいたら、富山の薬ウリがやってきて風船をくれた。そのとき、「あんじゅとずしおう」の絵本をみていた。現在も残っている、コンクリート造りの水タンクの基だった。 話は変わって、昨日も 浜辺の写真を撮ってまわった。地質的にも特異なハキビナ付近に古生層がむきだしになっている。この景色をみるにつけ、祖母の歌った「賽の川原」を思い出すのである。怖いという感覚はないのだが異様な感じがする。与論では庭石などに使われるが私の趣味にはあわないので避けている。タイトルのことをイメージさせるからであろう。 古い建物が壊されるところに出あった。商工会が移転したが、この建物は元奄美大島信用金庫だった。ここに美人のお姉さま(トラ兄のおばさん)が勤めていた。このお姉さんの部屋でよく遊んだものだが白粉の香りがして とても好きだった。ちゃきちゃきした お姉さまだった。子供のころは このお姉さまたちの用心棒(おもちゃ)で青年達の遊びの場所につれていってもらったものだった。 今日は失敗しないぞ、写真アップ。これはどうだ・・・。もういちど 海が写っているといいなー・・・。
2011.02.06
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久しぶりに晴れた。瀬良(しーら)海岸を散歩してたら朝日にでくあわせた。あわててデジカメをとりに走った。では・・・。
2011.02.06
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やっぱり 不思議だ。 慎重に 操作したつもりだけれど文章の部分が消失した。 神がかり・・・。そんな馬鹿な。 この写真のお墓は 旧暦の3月29日にしかお墓参りすることになっている。しかもシニグの年は隔年、今年はシニグ年なのでお墓参りができる。それ以外は たちいってはいけないといわれてきた。私は 断りをいれて歴史の検証の案内をさせてもらっていますが、見世物ではないことを前もってお断りしておきます。 重要な遺跡であると思っていますが文化財には指定されていないようです。何が重要かと申しますとこの場所は 風葬のお墓と儀式の場所が遺跡として石積みの形式で残っていることです。沖縄でも めったに見られません。沖縄の門構え、今帰仁城の門の切石の形状が 特徴です。これより 立派な切り石積みは隣の沖永良部島世の主の墓にみられます。この石積みは 調べてみる価値があると思います。与論島に 四箇所みつけました。与論島には まだまだ歴史的に面白いものが発見できるか みんなで 宝探ししようではありませんか。 あぶどーる ダムニク ほりまく えりまくわれとともにきたりて さがしてみたまえ あーさーだー・・・。
2011.02.05
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「琉球王国の歴史」 月刊沖縄社を飛行場の売店で買った。写真をふんだんに使った、短い説明がついていて読みやすく、私程度の者には手ごろな薄手の冊子である。 それによると、首里城最初の王は「源 為朝の子・瞬天」との説。神話と伝説は日本開闢にもみられるが、ここ琉球の土地でも、又之に似たように、按司根津栄神社にも伝わっている。 この伝説に興味があり、自分の祖先とのつながり、いわゆるルーツを確かめる為にもNPO法人「琉球新開」に教えを受けたことで私の生き方に渇を入れてもらった。R依存症になりかけていたのを、医者に頼らずになんとかしたいと思って訪ねたのがきっかけだったが、為朝伝説からたどる琉球の歴史、そして精神修養が主要な目的になった。それは、子供の頃から先祖崇拝を教え込まれ、跡継ぎとして育てられた者としての当然の修行にも思えた。世間になんといわれようとも十二支廻りは成し遂げようと思った。三年ぐらいかかったのだろうか・・・。最初に出会ったのは十五年ぐらいも前になるかと思う。 そんなことから与論島と琉球のつながりを求めているところである。結論としては私の家系が 伝説の人々の末裔ではないといえることが確かめられた。ただし確かなことは按司根津栄神社の氏子であり、根の土地に生まれた民であったことは確かめることが出来た。それゆえにこころから先祖を敬い、できることは尽くしたいとおもっている。もちろん、この気持ちは長男にも継がせたいと思い、暗に教育しているつもでいる。 琉球王が伝説の子ではないにしても由緒ある琉球王国のゆかりがあるとしたら名もない民のうまれであろうともささやかな誇らしさがわいてくる。 そんな気持ちで歴史の検証ができるのが楽しい。
2011.02.04
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ニホーバッタイ か ナホーバッタイなのか文字が読み取れない。 旧暦の大晦日に偶然にクジラに遭遇したことを記念して本気で 浜名(ぱまなー)について聞き取りをしておこう。手元の資料は 滝正夫氏から頂いたもので、70箇所に名がしるされている。コピーなので読みにくいので、写真とともにきちんと残しておきたい。昨日は品覇から北まわりで宇勝海岸の東隣の浜、タッチビまで写真に収めてきた。曇り空ではあったが、干潮時の春の海が撮れた。品覇を起点として、ニホーバッタイ、イチャジキバマ、ブチンダ、ジャリバマ、ナードゥンダ、イーウアワーチ、ウワーチ、タッチビと記されている。観光客用に名前がついたと思われるメーラビの浜名が地図に記されていない。聞き取りで 新記録にしたい パマナーである。めがねのスタッフがたそがれた浜田。宿屋の はまだも これからか・・・? 一昨日クジラをみたあとの興奮冷めやらずの帰宅途中、面白おじさん田畑則雄氏に会って四方山話をしてるなかで、宇勝墓地の造成のため通行できない浜のことを聞き取った。地図で調べたら、ナードゥンダと呼ばれる浜と思われる。地元の人に聞き取るのが一番だ。発音やいわれなども正しくききとることに心がけよう。 次回からはまるごと博物館の四季の便りのコーナーで写真アップしてみよう。 穴を抜けたら また浜になっている。 次の浜から撮影した 穴です。
2011.02.04
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摩訶不思議、 またもや 文面が消えた・・・。 アップしようとした映像が問題か? 金城先生 どうなってるの・・・・。 岸本の遺跡をもう一度アップ挑戦 与論町史の P1265 を読みながら書きました。 野口 才蔵氏の稿です。
2011.02.03
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写真アップにとまどってしまった。 沖縄のうたきの写真をのせるつもりだったが 消えてしまった ので代わりに・・・。 そんな馬鹿な、 もう一度挑戦。 中城城内のうたき と 城壁 与論城址を中心にした城集落近辺の散策路が整備されつつある。昨日も先日にひきつづき、墓地付近から旧道のシニグ道の写真を撮ってきた。観光業の再生にむけての大作業のおかげで遺跡の重要性をアピールする機会が得られたと嬉しく思いながら、今ここで歴史の検証を呼びかけるチャンスだとも考えている。 「辺戸岬から与論島が見える」初版は1997年6月、改訂版が2009年9月に自費出版されている。この竹内 浩著作は私の歴史の教科書的存在として、ことあるごとに取り出して年代の検証に役立てている。築城の年代を1405年頃と年表にしるされている。琉球との関りがおおきいことから、琉球王朝の影響が大きいことは築城形式から納得できる。 私は自分の先祖のことが知りたくて按司根津栄神神社の氏子であることから、それにまつわる遺跡やシニグ祭りについて調べている。島内のことについては町史などに載っているぶぶんについてはほとんど探し回って確かめてみた。故 竜秀文さんからの聞き取りで岸元のお墓のことや、屋敷やチンバーのことについても色々と教えてもらった。 それで、歴史の検証を城跡周辺に留まることなしに、先代の西区・朝戸の周辺、ひいてはアマンジョウ周辺のノウシュク城あたりまで広げてもらいたい。 為朝伝説から生まれた琉球の初代王瞬天浦添按司について興味があった。特に義本王の生き方について知ってから10年ぐらい・・・。 酒びたりなって、とうとう神頼みに妻に連れて行かれたのがNPO法人「琉球新開」だった。神がかったようなこの集団といっしょに3年をかけて、源為朝伝説ゆかりの地を訪ねまわった。琉球のうたき信仰の教えを受けたのである。私はその信仰に はまることはなかったのであるが、祖神崇拝 私が代々受け継いできた信仰であるということに安堵して今を平穏に生きている。 そんないきさつから、琉球の歴史から紐解く与論の按司時代の検証を早く手がけて欲しい。石積みのパンタに与論島の歴史の謎が隠されている。発掘調査が欲しい。 与論郷土研究会の活動が止まってしまった。やることが多すぎるせいもある。
2011.02.01
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城壁 伏龍の頭の部分 築城主 おーしゃんの墓だとも? 気にしていた城跡の伐採箇所を見てきた。NPO法人(とーとぅがなし)が周辺を切り開いて、史跡を案内するために大掛かりな作業をしているのを楽しみに眺めていた。 見てびっくり、歩いてみて感動、胸わくわくの連続だった。 今帰仁城の世界遺産の延長として登録運動をしてもいいと思うぐらいに感動。作業にあたったかた、陣頭指揮をした方に敬意を払いたい。旧道の復活をと随分前から 思っていたことが現実に。 城跡の旧道を再生させたことに大きな意義があると思う。専門家を招聘して 復活や調査のと為の ノウハウを教えてもらうのがいいのでは・・・? 勝手に復活させようとすると」よけいに、貴重な遺産がうしなわれてしまう恐れがある。観光用の遊歩道が それだ。 ギリシャ風の建物は近代風に市街地を飾るとして(すんだことなので)、 琉球の原風景を残す景観、本物は城跡からシニグ祭りの発生地周辺に発掘してもらいたい。 写真を撮ったので何度かに分けて思いつくままに書いてみよう。 世界遺産はその土地や風土に合ったもの、ありふれてあふれているものが多く見られる。だとしたら、さんごのかけらと砂が身近だ。こつこつと集めて、珊瑚と砂の庭を与論島の庭の参考としたい。雑木の庭つくり構想の一端だ。 これ以上に むやみにいじりたくない。植栽は慎重に 専門家の意見も入れたい。すでに 二次林を証明している赤木の群落。
2011.02.01
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