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二月が今日で終わりました。何だか変にこの日ごろ時間が経つのが惜しまれます。今年は成し遂げたい予定もあって心がせいているからでありましょうか。 二月は冷え込みのきつい季節です。しかし今年は雪が多かっせいか、寒さはしっかり寒かったようですが、冷え込みはたいしたことはありませんでした。実はこの冷え込みが美味しい野菜ができる条件なのですが、私の住むこの辺り、京野菜と何も銘打たなくても、生まれてからいただいていた野菜をお持ちくださるお方があります。わたしはあまり京野菜と銘打つ呼び方は好きではありません。 今日は豊かな、長い葱をたっぷりいただきました。何故か風邪をひかないのは、このお葱のせいかもしれません。お大根も太いです。女性の健康な足のようです。おかげでわたしは健康です。といっていると加茂川の上流の堤などに、つくしが頭を出し、タンポポ、よもぎが生き生き息づきはじめます。今年はうるう年、春もせいぜい長くに楽しみたいものです。一日一首「ふと開く旧き机の抽斗に光る鋏みは死にし子のもの」 今日の一首 「法然上人のみ墓の側にかたじけな妻を在らせて夕山くだる」 川田 順(「妻」抄・昭和十七年)
2008.02.29
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古家の我が家に鼠さんが住み着いたようで、どうしましょうと思っています。そのことで、今日はお見舞いに長女が来てくれました。ご近所さんのためにのんきにしていてはいけないようで、長女に電話をかけたからです。 忌避剤とかを用いていますが、その匂いは薄荷のようで鼠さんは嫌いだそうですが、わたしはそう嫌いではないので助かっています。でも昔は何となく柱の根元の土壁の穴から、ひょいと首を出してたりする様子はかわいいものでしたが。いまはいけません、そういう暢気なことを言っていてはいけないのであります。 わたし、ちょっとノイローゼ気味で、今日、折角、たまたま、またお会いしたお方との会話も、身勝手なことばかり申して失礼なことになりました。はるかにお詫びいたします。 さて鼠さん、あなたはこれからどんなご都合なのでありましょうか。一日一首「みづからの幼き日々の写真など並べてわれは何とせんとや」 今日の一首 「わたつみの沖つ玉藻のなびき寝む早来ませ君待たば苦しも」 「万葉集」巻十二・三〇七九
2008.02.28
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京都市の地下鉄東西線に河原町から乗車、二条城まで。今日のお城には残雪が少し。約束の時間いっぱい、わたしなりの急ぎ足に全日空ホテルまで。この道いい軒並みが続きます。 駆けつけると、はらからがお揃い、なんとも親しみのぬくもりあふれる会です。 雪の空めんどうそうに鴉啼く母音をながくかああー、かあーあと 朝よりは春一番の吹き荒び夕よりはして雪となりぬる たそがれの参道むこうのひとつあかり杉の木の間に見え隠れせり 鴨川の遊歩道の木々に飛びわたる姿よく小さき四、五羽のめじろ 水ぬるみおしどり仲良くくるくると夫と共に歩む道かな イージスかんさいしんせつびといふなれどなぜにぎよせんをたんちできぬか どうしたことか、わたしたち、今日、お互いを、はらからと呼び合うようになってしまっておりました。そんな気持になれたことが、なんとうれしい今日であったことでしょうか。一日一首「まあかきのわが魚なり帰り来て甕の蓋せり雪降るなれば」 今日の一首 「涙涸るるまで水の面(おもて)にかげうつしナルチスは自らを恋ひて死ににき」 上田三四二(『黙契』・「甦る神々」)
2008.02.27
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雨よりは雪のほうがいいなと思いまいます。何故か雨は冷たいだけ、雪は何故か冷たいだけではないような、わたしにはそのように思えます。だから雪のほうが好きです。そんなふうに思いながら今日は、一日を暮らしました。 外出先はご町内の郵便局と古書屋さんだけ。古書屋さんには、知人に頼まれていた「九条武子の歌集『薫染』をもらいにいきました。わたしは書籍は当時の初版で読むのが好きです。昔、そのマニアと出合って、その味を知らしめられました。何故と問われれば手触り、誰かが読んだ後の読み痕、そんな言葉があればそうです。時間の柔らかさみたいなものがいいです。 今日手にした『薫染』には、一枚の古はがきが挟まっていました。年度が読めない、切手、これは、東郷平八郎ではないでしょうか、5銭切手が2枚はられています。発信は東京、受信は青森の人、これは、たまたま、まだお知りではありませんが、お金を出して買った知人のものですから大切にお預かりしておきましょう。世の不思議、おもしろさです。 今日は白い雪と違って、色も無い何も無い冷たい雨の一日でした。あしたはまたどんな日が楽しみでございます。一日一首「ふりむけばただ濡れ痕が残りいる雨とはさみしきものにありける」 今日の一首 「年代記に死ぬるほどの恋ひとつありその周辺はわづか明るし」 上田三四二(『黙契』昭和二六年から二九年)
2008.02.26
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短歌のお仲間Aちゃんからメイルが来ました。一人でアメリカへ行ってしまったAちゃんは、二ヶ月経って、余裕が出来たのでしょうか、わたしにもメイルがきました。うれしいことです。でも少しさみしいらしいけれど、大学での研究は楽しいとのこと、何よりです。よかったよかったと思います。 短歌はいつもいい架け橋になってくれます。短歌はご挨拶の言葉として一人と一人の間に機能してくれます。Aちゃんとの間にもそうでありました。三年の間でしたか四年の間でしたか、そうしたお付き合いの時間がありました。 短歌は短歌として一人歩きさせてもいいし、家持の時代からの地域、環境の違うもの同士の共通レベルのご挨拶の言葉として生かしていってもいいしと思います。それを「歌の徳」というようです。そうしてAちゃんも、お仲間みんなも、うんと「得」をしましょうよ。 短歌はご縁の始めと思います。一日一首「われらがなかたのもしきものあるごとしこの春の岩梨の花の薄紅」 今日の一首 「恋ふることなぐさめかねて出で行けば山も川をも知らず来にけり」 万葉集(巻十一・二四一四)
2008.02.25
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昨日、北白川近辺に吹いた雪おこしの風のため、今朝、我が家のガスが止まってしまいました。そのことに気がつかず、朝からガス台の電池が切れたのかと、雪の中を買いに走ったりしましたが駄目。考えれば、ガス湯沸かし器も駄目でしたのに。そこで、元が止まっているのだと、メーター盤を見に行きましたら、案の定、赤電気が点滅中。早速、説明書を読み直し調整、開通しました。 お湯は電気のジャーで沸かしましたが、お味噌汁は昨日の残りの冷たいままでいただいたりして、いろんなことを考えてしまいました。こうでなければならぬと、当たり前だと考えている生活を。温暖化だって、誰かがしているみたいに思っていたり。 しかしこの騒動の元は突風のせいといえば、何故と思われるお方もあるでしょう。それは我が家の門口の内部横の塀に、メーター盤が取り付けられていることに問題があったのです。その塀は古くて、風に弱い、この辺に吹いた昨日の突風に塀が揺れたのでした。でも、なんだか、わたしは、そういうことはうれしいのです。何か自然に近い気がして。「風が吹けばガス屋が儲かる」かも知れません。一日一首「繋ぎたるものに繋がれさりげなくわがルネサンス厨くりや)には薔薇」 今日の一首 「訛り濃き愛の表白 送話器へのびあがり声を殺す少女の」 岡井 隆(「詩人の首」)
2008.02.24
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午前中、もう20数年お世話になっており、わたしの日常も、健康状態も何もかもお見通しの内科の先生のところへ行きました。女性の先生です。あらっと思ったほど、今日は髪をショートになさって、思わず可愛いといってしまいました。先生も可愛いですかと、にっこり。わたしはこの先生にお任せしています。身体のことは先生のご指示通り、おかげさまで何の心配もなく、己の日常に励めます。 帰路は馴染みのお花屋さんに立ち寄ります。お花屋さんも心得たもので、こちらの都合をよくご存知、今日は仏さんのお花ですねと包んでくださる、こちらも20数年のお付き合い、そして、疏水の流れに沿って帰ります。並木のニセアカシヤの剪定時期なのでしょうか、植木屋さんのトラックが止まっており、高い梯子が伸びて、鋏の音がしていました。桜の木には黒い固い小さい花芽が見えていました。夕刻からはまた、雪でしたが。一日一首「蜂蜜の蓋の硬きをもてあましひそかに小湯をわかす夜の庫裡」 今日の一首 「オルゴールの暗部に動く小さき歯車(ギヤ) 歯車のめぐりの薄ら明るむ」 葛原妙子(『薔薇窓』昭和48年編集)
2008.02.23
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今日は大きな苺をいただいて嬉しい日でした。幸せでした。苺の赤は苺色、どんな赤とも違います。昔々同じ姓の親戚が宇治に農園を持っていました。わたしは、そこで苺をいただいてから、そのときがこの世で一番初めに苺をいただいた日と、何故か思い込んでいるのです。打ち消しても、打ち消してもそうとしか思えません。 わたしはそのとき大声を上げた、そんな記憶まであるのです。農園の青い草、赤い苺と白い牛乳の何と素晴らしかったことでしょう。わたしはそのとき大声を上げたのです。素敵なメルヘンの絵本を見ているように、いまでも、なんどきでもその中に還れるわたしなのです。 それからわたしをよく知っている人がありまして、その人はきっとわたしの好きなもの、そのシーズンの好きなものをもって来てくださいます。苺はその一番です。わたしはそれだけでどんながんばりも出来ます。こんなことを叫ぶように書いているわたしは変ですか。そうなればわたしは変な人でいいです。これからの人の世をわたしは昔の広い青い、そして苺が赤い農園に立ち戻って生きてまいりましょう。こころはこんなに自由に神様はお作りになりました。ありがとうございました。一日一首「アフリカよりロンドンに帰る空よりはキリマンジャロに人を見たりき」 今日の一首 「いなづまの差しつつ澄めるテレヴィジョンかたむきて瑞西の郵便車ゆく」 葛原妙子(『啄木鳥』)
2008.02.22
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時間の経過を思わせる深い趣の寂光院の写真を見る機会がありまして、先代のご門跡小松智光尼をなつかしく、恋しくに思い出しました。 それは1987年の秋のことでありました。京都のさる雑誌社からの依頼で、わたしは当時の寂光院ご門跡小松智光尼をお訪ねしました。智光尼が寂光院へ入られたのは小学校4年生の春、名にし負う汀の桜が咲き匂う季でありました。得度は翌年11歳のときでしたが、おかっぱ頭をくるりとまるめて職員室へご挨拶に行かれたとき、一人一人の先生が「かわいい、かわいい」と頭を撫でてくださったのだそうです。小学校は勿論、大原小学校です。 女学校は川端一条の精華高女、寂光院から八瀬まで歩いて、そこから叡山電車で出町まで、お通いでした。雪の日の大原は、人っ子一人見えず、まるで高天原(たかまがはら)を歩くようであったとお話しなさったことが印象的でした。 ところで、尼様になりたいと思われた動機は、お里の滋賀県伊吹町の付近へは富山、福井から托鉢に来られる尼僧が多く、お母さんが供養の食事を出されると、手をあわせ、お経をあげていただかれる姿が、まるで天上の人のように安らかに見えたので、「わたしも、そういう人になりたい」と思われたからでありました。 ご門跡はその後も幾度か親しくお会いくださいました。思い出して、当時のノートを手に、少し記録いたしました。一日一首「ふと触れし尼のをゆびのきよらかさ一椀の湯をすすめ給ひぬ」 今日の一首 「ここに来れる一息(ひといき)のことば支ふべくわが結界にまなこほろぶる」 山中智恵子
2008.02.21
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朝、出町へ出かける用事がありました。出町は京の出口、入り口、何となく人懐かしいところです。この辺り柳がたくさんあって、何本目の柳の下でとか、江戸時代から待ち合わせの場所でもありましたとか。高野川と加茂川、川までがここでは出合っています。 川の出会いのちょっと西に妙音弁財天のお堂があります。わたしは今日はちょっとそちらへ立ち寄りました。蝋燭は一本30円、お線香は一本10円です。お賽銭箱に40円入れて、両方をいただき、火をともしました。人間って、小さな火を、ふっと、ともしてみると心が落ち着くものですね。 お堂の柱に弁財天の「真言」を書き記した紙が貼ってありました。漢字で書きたいけれど難しいです。「おん そらそば ていえい そわか 」と唱えるのだそうです。出町はまた日常のお台所の買い物をする町です。お豆腐やお葱やらを持ちながら、一服するのに弁天さんはいいところです。こちらの弁天さんは昔、南北朝時代、北山第、現在の金閣寺の池畔にあったお堂、妙音堂の弁天さんです。一日一首「生涯のひととき過ぎつつきさらぎの弁天堂に椿は赤し」 今日の一首 「あをやぎのまゆにこもれる糸なれば春のくるにぞいろまさりける」 中納言兼輔(和漢朗詠集・春)
2008.02.20
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阿波の徳島、志和岐、父の生まれ故郷のわたしの従兄弟から嬉しい便りがありました。結婚前か直後か、まだ少年と少女のような父と母の写真を送ってきてくれたのです。当然のことにまだわたしは生まれていません。少年のように、でも凛と立つ父に優しく純に寄り添う母、我が家では見ない写真でした。整理していたら出てきたからと、従兄弟も生まれて始めて見た叔父さん叔母さんだったといいます。 僕の家にあるより貴女が持っているほうがいいでしょうと。ほんとうにありがとう、娘たちにも見せて、我が家に大事に伝えましょうと、お礼状を書きました。その父も母もいまはもう亡き人、従兄弟の手紙にはありました、貴女のお母さんには中学生のときに一度会いましたと、そのときお小遣いをもらいましたと、それから、貴女のお母さんのそのときの声を覚えていますと。貴女に似ているけれど、貴女よりすこし、か弱い声でしたと。いまはもう聞けない母の声を覚えていてくれる人がいたなんて嬉しくてなりません。わたしもこれから、もう少しやさしい、母のような、か弱い声で語りましょうと思ったことでした。 母は着物のよく似合う、ほんとうにやさしい京女でした。わたしはどうも阿波の国の女性であるらしいです。一日一首「わが母の声を記憶すと人のいふわれよりか弱くやさしかりしと」 今日の一首 「世をはなれ人を忘れて我はただ己が心の奥底にすむ」 西田幾多郎
2008.02.19
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16日と17日のブログを書きます。書き継いだ文章全部を抹殺される深夜のメンテナンスとか称する行為は全く心外。予告があるのか、前もって知らしめる手段をわかりやすくに提示していただきたく。両日、かけての「BOU」NO49合評会の概要記事を以下に。 気の抜けた炭酸水の向こう側黒のネクタイ締める手あり 籾殻がいられる中をバス走る待ち合わせにはもう間に合わず 則子 白き蛇ちろちろ舌を動かして暑さ遠ざかる石段の上 月山は雲を肩にのせそびえ立つ山査子の実は赤く色づき 雅代 一〇〇%オレンジジュースの酸っぱさは十代最後の夏のようなり 元恵 マキャヴェリの賞賛したるボルジア家ヒ素の毒にて敵を陥せり 一司 風なくに黄色なる葉々揺れ落ちて目白三つ四つ庭に来る朝 明美 幼目が初めて見たる父の国 真白きクラゲ長崎の海 俊郎 これがもう最後かと思いつつ笑顔にて秋の約束交わし 淑子 洞窟の壁のマリア様ほほえみてペンチの旅人も吾に会釈す 久美子 気がのらず化粧ものらずドタキャンのメールにどこかほっとして 綾 北山や西山の端に光差す例会開始は定刻午後四時 晴美 くちびるの回りだけ剃っただけあごヒゲ残し出かける休日 豊 絵葉書を手にして迷うデパートの美術ギャラリー画家の名も知らず 加代子 あつあつのうどんに玉子ひとつ割りいそいでまぜるこれぞ釜玉 徹 虫の音の遠くから聞こゆ長月の夜蝉の残した声と何やら響く 真智子 稲刈りを済ませた夜の雨の音ポルカを聴ける心もちする マツノ 今度は踏み切り小屋に人も居て貨車の動きも待つのも同じ 智恵子 身の廻りあらゆることが多けれど気づかぬ事の何と多きか 敬三 ふるさとの屋久杉われに辿り来て囲むテーブル酒が染み入る 武夫 我が友と集いつどいて歌を詠む夢を描いてのびのび暮らす 玉野 ギャーと鳴きアオサギ帰る山の上犬と眺むる日の入りの後 啓子 みんなから可愛がられる黒猫は錦上るを不定住する 照美 この夏も出で入りなせる電気屋がからたちの繁るをいひてかへりぬ 保子 近江の海刻はやさしく留まりぬ白波をひき帆船は過ぐる 美智代 資料より抜粋、NEXTAGEにて。16日6名、17日8名出席歓談。両日雪模様。 今日の一首 「暗緑の林がひとつ走れるを夕まぐれ見き暁(あけ)にしずまる」 岡井 隆(「土地よ、痛みを負え」)
2008.02.18
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ちょっと早いけれど、知人の家の梅のややにほころぶを見て、好きな一文で今日の凌ぎを。 「梅」 梅林の尽くるあたり、更に一層山深いところには、西鶴の浮世草紙に書いてあるやうな、 みづから世の辛酸を嘗め尽くした艶隠者が、今でもゐるのではないだろうか。さう思って 梅を見てゐると、自分までがさういった隠逸伝中の人のやうに思われてきた。 今日の一首 「梅の梢見上げて思ふことのあり山日だまりに仰寝(あふね)すわれは」 吉井 勇(『短歌歳時記』梅)上記文章「梅」も。
2008.02.14
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おかげで今日まで、この冬は風邪を引かずに過ごしてきました。幼いときの習慣に救われているところが少なくないと思います。外出から帰ったときの手洗いと嗽です。当たりまえのことでしょうが、勉強しなさいと叱られた覚えより、手洗いと嗽を欠かすときつく叱られた覚えの方が多いようです。 そうして、わたしはとにかく大きくなり、現在に至りました。思えば何も出来ませんが、とにかく健康であることに感謝しています。健康であることの原因のもうひとつは、父と母が若くしてわたしを生んでくれたことであったと思います。この上は自分が、この尊い賜り物を大切にしていくしかありません。 恥ずかしいようなことを記しています。しかし、これが今日の自分の気持ですから。反省。一日一首「爪きりの刃の鋭さをよしとしてたわたわ広き浴後のタオル」 今日の一首 「知りそめて十年ばかりははや過ぎぬ時計の針の一時がほど」 白蓮(『幻の華』竹久夢路画1919)
2008.02.13
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このごろ、こんなことをしていてよいのかという考えがしきりに自分に来ます。力はないけれど、立ち上がらねば、いいしれぬもの、形なきものへの挑戦としても。それは己と思うときがもっとも恐ろしい。でもとどまらずに。一日一首「立ち上がり雪をふみゆく馨しきわが枇杷の木の闇の下まで」 今日の一首 「石(いわ)そそく垂氷(たるひ)のうへのさわらびの萌えいづる春になりにけるかな」 志貴皇子(「和漢朗詠集」巻上・春)
2008.02.12
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数日来、万年筆で仕事をしています。昨日は夢中でしていて、ふと後を振り向いたら雪が次から次から降っており、小さな庭はいつもと違った静かなこんもりとした雪景色になっていました。 だれもいない家、だれもいない雪景色で、だれも知らない感触の仕事をしている、なんと快いことでしょう。だれもだれもとは、だれとだれか知らないけれど、それは、きっと好きな好きなだれとだれかもしれなくて、最高のわたしの雪牢獄と思いました。これは昨日の日記。 今日は雪が解け始めて、こんな日はまただれもだれもが、出るな出るなと申します。だれもだれもに大切に思われて、でもだれもだれもいなくていい気持ち、一日万年筆と遊びました。一日一首「梳きかへすセロのごとき音(ね)庭草の下よりたたん雪の夜更けは」 今日の一首 「蕗のとう花とたけたる朝庭にふとしも眼(まなこ)見ひらきにけり」 館山一子(『新風十人』昭和15年より)
2008.02.10
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京都ホテルはわたしが子供だった頃から、仕事のため内モンゴルにいた父が京都に帰ってきたときの定宿でした。父は仕事関係の接客にその場所を使うためでした。その頃ホテルには脇さんというベルボーイのいいおじさんがおられました。父は脇さんをとても信用していました。わたしにはとてもやさしいおじさんでした。ホテルというものはお洒落をして行くだけのところではなく、その名前にもあるとおり家族的な雰囲気が大事なところだと思います。脇さんはベルボーイ一筋54年の勤務であったと後になって知って驚いています。 昨日は京都ホテルでの歌会の日でした。気心許した月に一度の楽しい集まりです。 「亡き王女のためのパヴァーヌ」床を這う流れなかった涙の疲弊 雪どけの水豊かなればみづうみの深き呼吸をよびさますとふ 白きものゆくりおつるは如月の吹雪けるよりも心にしみて 車窓にはあまた筋ひきゆく雨の雫となりつつ耐へきれず落ち 見上げればおおいぬ、こいぬ、オリオン座首星は冴えて冬の大三角 静寂(しずか)なる粉雪舞い散る大堰川黄金(きん)のさざ波ゆらゆら揺れる 娘らの桃色タイツが街を行く水辺がお似合いフラミンゴさん 今日の一首 「人の世はめでたし朝の日をうけてすきとほる葉の青きかがやき」 佐佐木信綱(『常盤木』大正11年)
2008.02.07
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電話、福砂屋のカステラ、勢いづいた原稿、きょうは三点そろいの一日でした。しんどい時はしんどいと言えばいい、倒れそうなときは倒れればいい、でも、やると決めたことはやり続けることです。 底に残っている双目糖(ざらめとう)が今日のカステラには余計にたっぷりに感じられました。出来立てを証明するようにです。いい気なものです。もうあと三日のがんばりを見ていてね、双目糖ちゃん。一日一首「限りなくよりくるものよ闇のなか闇より暗きそのものが見え」 今日の一首 「わが前に下りたる鳩の羽風に地(つち)なる落葉しばし舞ひ立つ」 岡野直七郎(「都塵に立つ」昭和17年)
2008.02.05
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夏目漱石の「京に着ける夕」の冒頭から少し書かせていただいて、今夜は眠ります。 「たださえ京は淋しい所である。原に真葛、川に加茂、山に比叡と愛宕と鞍馬、ことごとく 昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつく して、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。数えて百条に至り、生きて千年 に至るとも京は依然として淋しかろう。」 今日の一首 「あくがれて山ゆきしかば壬生面の狐の母は髪(ほの)かにすぎつ」 山中智恵子(『みずかありなむ』)
2008.02.04
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エッセイの書き出しがどうもうまく出ません。昔の文章を取り出して反省しきりです。この頃の自分はどうなのだと。同時にパソコンのせいにしたりして、不様なことです。 今一度、反省して、明朝からと固く自分に言い聞かせて眠ることにします。歌も同じに言葉に走っております。もどることの難しさを思いますが、とどまることはなおいけません。 夕刻の外出の帰路、いま構想の出町の妙音弁才天さんへお寄りしてきました。お玄関で声をかけさせていただきましたら、出てきてくださった女性が、お留守番のお方をいま探しているのですがとおっしゃいました。全てを置いて、こちらの弁天さんのお守りをさせていただこうかしらと、ふと思いました。辞して加茂川の橋を東へ歩いていましたら、うしろから、カメラを差し上げて、忘れもの~っと叫びながら、弁天さんの女性がわたしを追ってきて下さるのでした。一日一首「夜の硝子の向こうに見えて部屋の灯りとどくすべなきそのうつくしさ」 今日の一首 「ガラスの鐸(すず)鳴らして家族を食事に呼ぶはかなかる日のわたくしごとと」 葛原妙子(『飛行』昭和28年)
2008.02.03
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午前中、今日は総合資料館で用事をすませ、午後、吉田神社へ去年の神符をお返しに行き、去年と同じくに後水尾上皇宸筆「疫神斎」をいただき社前を去りました。 帰路は、吉田山を越え白川道へ出ました。道々、エッセイは母乳のしたたりと教えてくださった一人の人の言葉を重くに思いつつ歩きました。かって母乳を子に与えたことはあっても、それは神のなせる業でしかなかったことにうなだれます。一日一首「かろかろとかろき神符を手持(たも)ちつつ落葉道ゆく己が重たさ」 今日の一首 「世の蔭に春も霜おく道ながら一筋つけばわが往かんのみ」 阿部静枝(『霜の道』・昭和25年)
2008.02.02
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綾部に近づくほどに「山も野原も綿帽子かぶり♪」でありました。綿帽子とはもともとは真綿をのばして防寒用のかぶりものとしたもの、それが装飾用となり花嫁の顔を覆う白い布をいうようになり、ひいては、雪をかぶった風景の形容ともなったのでした。 ついつい昔の童謡を口ずさんだばかりに説明が長くなりましたが、今日は「じねんじょ」歌会の日。作品を下記します。 南極にスキーで立てる女丈夫は次は結婚うふふとわらふ 受験家族残して二男は帰省する待ち受け料理にオオ母ちゃんの味 起き抜けにカーテンくれば驚きて立ってしまえり雪上の鶯は ゆったりと湯船にひたり深呼吸冷えし体にゆずの実寄り来る ゴミ処理場への道切り開かれて閉ざされし雑木林あり蝶の子育つ 愛宕山あすは火祭り雪積る村人雪かき参拝者を待つ 初春の海はかすみて岸壁にじゃ島からす島飽かず見ている 待つ人のない夕暮はどうにもならぬ淋しきことは言わず茜雲 こうして並べてみると、みんなしっかり、あっさり、飾り気がないところが気持ちがよく思われます。帰路の列車は、わけがわからず止まり止って、遅れ遅れて、何となく不安でした。状況説明のアナウンスがさっぱり要領悪くて。「じねんじょ」の人だったらその状態をなんと歌うでしょうか。一日一首「気がつけば雪の小駅にまた止まる列車の窓に息をかけみて」 今日の一首 「五百年前に別れしこいびとにどんぐり拾う指が似ている」 江戸 雪
2008.02.01
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