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古い短歌雑誌を見ていました。 塚本邦雄、なつかしい名前です。阪神間のどこででしたか、彼が来て話しができるというので、まだ小さかった子供たちを置いて、大胆にも出かけた夜がありました。結局は都合で彼は来なくて、笠原さんという方でしたかの話しがあって帰りましたが。 今宵、本箱を何気なくまさぐっていて、塚本による石川啄木論を読みました。中に『一握の砂』『悲しき玩具』の歌集に入っていない、すなわち脱落歌群の中にある秀作の記載をみましたので、少しく抜書きします。 宰相の馬車がわが前を駆け去りぬ拾へる石を濠に投げ込む 暁の街をあゆめば先んじて覚めたることもさびしきものかな ことさらに燈火(あかり)を消してまぢまぢと革命の日を思ひ続くる この世よりのがれんと思ふ企てに遊蕩の名を与へられしかな 真夜中の電車の線路をたどり来て、鶴嘴を打つ群をおそるゝ これらを塚本は、「わたしの胸を摶ち、抉り、痕跡を残す、慄然たるマニフェスト風三十一音律だ」と書き置いています。
2009.01.30
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一月もあと数日、今日、一つの歌会のあとお仲間たちと会場からタクシーで寺町二条まで、降りたところの本屋さんで用事をすませ、しばらくゆたかな気持ちの散歩をお池通りまで。途中、五色豆屋さんで目前のお節分を思いやってお豆さんをもとめてから、お茶で一服、お茶の容器もさりながら、店内の備品の一つ一つに感動、どちらの国のものでありましたか、とつくにの万華鏡の色合いに驚いたり、いい時間を過ごしました。 カンパニュラ青き風雲にふるえてるなつかしき日の富良野の空よ 冬日さす御堂筋沿いの声援の「シブイ、ガンバレ」ランナーに届きしか 初もうでお神酒のふるまい城南宮一寸法師のストラップうれし 寒に入り目の前にひらく木瓜の花、鉢いっぱいに匂へるうらら 上終町(かみはてちょう)終バス降りるひとりの人残るひとりに会釈しくるる この春には、わたしたちの歌会の会誌三号が出来上がります。名実ともに春がくるのです。さあもう、一歩、二歩、がんばりましょう。ちょっと気が早いけれど、昨日川辺の桜の小枝をうかがったら、お米粒より小さい蕾がついていました。蕾と競争みたいです。 今日の一首 「まむかへる欅の木(ぼく)にまつすぐに差す光あり冬果つるまへ」 大谷雅彦(『一期一会』所収)
2009.01.28
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唐突だが前川佐美雄について、前登志夫は「世間の常識に穴をあけるような人物や、日常の価値観をひっくり返すような行動に喝采した。どうしてなのか。みずからのデーモンに脅えるところがあったせいか。佐美雄の美と人生との深い亀裂にさまざまな謎が秘められている。」と。また「終生わけのわからぬ憤怒をぶちまけて生きたが、この上もなく優しく繊細な神経が同居していた。」とも。 こんな文章を写したくなったのも、いささかの最近のわたしの欲求不満からではあります。最近、読めといわれて読んだ短歌雑誌のもの凄いつまらなさにもありましたが。 もう、登志雄も佐美雄ももどってはこない、われわれは本物を探すことを怠ってはならないと思います。 今日の一首 「紅梅にみぞれ雪降りてゐたりしが苑(その)のなか丹頂の鶴にも降れる」 前川佐美雄(『捜神』所収)
2009.01.25
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このごろちょっとした?パソコンの不具合なら、調子を整えることができるようになりました。ほんとかなと思いますが、接続していないところを、接続させることが出来るようになったのですからたいしたもの、理屈は何一つわかっていないのに、体当たりであります。 さて、昨日ちょっとしたアクシデントがありました。午前の予定をすませ、午後の予定の総合資料館へ行ったときのことでした。閲覧室から出たところの広い廊下で靴が適当にすべらなくて、つんのめりました。廊下というところは滑りすぎても危ないし、滑らなくても危ないものです。私の後から歩いてきた人が、そうでしょう、ここはそうなのですよとおっしゃってくださいました。 とにかくその場は異常なく、予定の距離を歩いて諸用をすませ、今朝、念のためになじみの整形医院へいきました。当然ですが骨折はなし、でも、これは先生から教わったのですが、膝小僧には、自然に防備の膜がついているらしく、左足のそれが破れていました。それこそ紙一重のセーフです。わが身はわが身が守ってくれたのでした。ありがとう、わが身よ。張替えは時間の問題でしょう。 午後は、さる歌会の会誌の原稿書きをしました。何事もなし、めでたくもあり、めでたくもなしであります。いや、おおいにめでたくあったのでした。大難が小難ですんだのでした。 なお昨日は午前中、近くのカフエでご紹介した歌集つくりの件、万事、事なきを祈ります。良いご本が出来ますことを祈ります。 今日の一首 「三十円の俸給をもらひ天皇陛下のありがたきことを教え居るかも」 矢代東村(『一隅より』大正3年刊)
2009.01.23
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今日は午前中からさる大学の学生会館の食堂で、一つの短歌の会の会誌の校正をしました。何につけましても、ものをつくるという作業、特に本をつくるという作業は楽しいことです。たいそうな言い方であってもなくてもですが、この世でたった一つのものを作るのですから楽しいかぎりです。 作品もさりながら、目次にに力を入れることも大切、お互いにそのスタイルに苦労を重ねました。いい本ができましたら、一挙ににどこかに吹っ飛ぶ苦労ですから。 午前中に大方がすんで、お昼は上の階の食堂で上等のお食事を頂きました。このような作業でしたら、いつでも伺わせていただきます。ところで、京都というところは常は擂鉢の底から見ているような視線しか持ちませんから、改めて高い所から眺めますと三方は山、南は開いて便がよく、始祖、桓武天皇は流石に優れておいでであったことがわかります。 午後はしばらく作業を続けて、帰路は雨模様でありましたが、自宅までどうにかたいしてぬれることもなくありがたいことでした。持ち帰りました校正と、宿題の原稿は頑張ります。しかし、そのことも楽しいことに思われてきます。 今日の一首 「見廻せばわが身のあたり草莽の冥きがなかにもの書き沈む」 岡本かの子(『深見草』没後歌集・昭和15年)
2009.01.22
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早速ですが、思いますと短歌は何故、現代の表現でありながら、完全な口語脈を使おうとしないのか、改めて思うことでもあります。また逆に言うと口語脈でありながら文語脈を自然にとるときもあるという屈折した事情を考えこむときがあります。 特別に意識しているわけではありませんが、文語は、口語の文脈にあって、その表現全体が短歌たることを歴然と示す音韻的役割をなしてくれる、いいかえれば五・七・五・七・七という定型につづけて、文語は短歌を支える重要な要素なのであると。 仮名遣いについては、口語脈でありながら、旧仮名使いをとるという屈折した作品も近代にはまかり通っています。しかし、そこには現在と伝統が混在した不思議な音律の世界が広がっていることを思わないではおられません。 ところで話はかわりますが、歌会の席上などで、貧しい自分の短歌を上手に、それは音律的にでありますが、読んでくださるお方があるとうれしいものです。自分の貧しさを棚にあげておいて、思わず深々と最敬礼してしまいます。それはお読みいただいた方の素養の高さのせいなのでありますが。 今日の短歌 「書(ふみ)の上に寸ばかりなる女(をみな)来てわが読みて行く字の上にゐる」 森 鴎外(明治42年5月「スバル」掲載「我百首」より)
2009.01.19
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今朝は早くから、お台所の片付けに精出しました。台所仕事は何となく祖母や母のことを思い出します。 実は一昨日、1人の友が来まして、いつも書棚の上に置いている父母の写真を誰とも知らず、尋ねたものですから父母だと応えたのですが、それからいろいろ父母の話になりまして、いま一枚の写真を出してきましたら、この二枚を並べて置くといいのにといってくれました。なるほどそうであったかもしれません。一枚は二人が並んでいますが、まだわたしは生まれていません。もう一枚の二人は六十歳過ぎてからのものにて二人の最後の写真でした。 友だからこそ言ってくれた言葉とわたしは嬉しく、その通りに並べて書棚の上に置きました。今朝もお台所を清めてから、その二枚に見とれています。 さて昨日はわたしどもの短歌の会でした。その後は、しばらく病床にあった方と、昨年よりのあたらしい方とのための楽しい食事会となりました。 輪飾りの稲穂ぬすみて飛び立てる雀叱るな新玉の春 手術室の自動扉の閉まるなか手首を振りて継母(はは)は消えゆく かすれ気味ボールペン手に気が滅入る芯を入れ替え気持ちももどる ため息の不意にふかくて寒々し百合根穴子いれ茶碗蒸ししよう 独り呑む酒を求める新年はお宅気分で丑年乾杯 冷蔵庫の方が外よりあたたかい最高マイナス二十度の日日 提出歌は全十八首、「冷蔵庫」の歌は最高マイナス二十度の地に住まう綾ちゃんから。こころ熱い新年の会となりました。誰もが同じ志向の作品であっては面白くないと思っています。 今日の一首 「刷り間違えし忌中はがきの束なども焚火にくべて温みつつおり」 浜田康敬(『望郷篇』昭和49年刊・塚本邦雄解説より)
2009.01.18
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阪神の震災から14年がたつたといいます。わたしの短歌の友人はその後、数年がたってから亡くなりました。生きていけなくなられたのでした。生きていけなくなったということについてはいろいろの意見があるでしょう。わたしはその人の私生活については何も知りません。ただ生きていけなくなられたそれだけ知っていれば充分であります。それは友達だったからです。そうならそうで、わたしは、貴女に拍手を送りましょう。がんばったねと。わたしもそのときまでがんばりますから。それが病気であろうと、自分の意志によるものであろうと。 あれからピアノは買えたのでありましたか、そのことが重い負担となったのでありましたか。今そんな憶測を彼女は笑うでしょう、いや、失礼でありました。 でも、あのとき逢ったチャンスに、ショパンを聞きたかったな、それだけ、そのことだけなの心残りは。友よ!!! 服白くよそおう朝はモナリザのかたちに分ける髪に癖なし 『白鳥の涙を見たか』 致死量を知らぬでもなし雨の夜の鏡いちめんふかき銀色 昭和50年刊 夏衣うすばかげろう葉のそよぎおのれしずかに詩を捨てにゆく 『風景は翔んだ』 愛するというこの傾斜からまっすぐにひらきて海はるいるいとせり 昭和55年刊 口ぬらし葡萄の種子を吐く瞬時、救われがたき肉欲なども 『火の流域』 風の日のわかき男の凄き目にうるしもみじのまたちりぬるを 平成元年刊
2009.01.16
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しばらく、ほんのしばらく止めていた朝の配達の牛乳を、またいただくことにしました。なんですか、時に急に飲めなくなることがあって去年の暮れがそうでした。飲まないと、どんどん牛乳瓶が冷蔵庫にがちゃがちゃ溜まりだして大変です。これは駄目と思って止めてもらったのでした。 わたしは配達の瓶入りの牛乳が好きです。幼いときからそれでしたから。早朝、自動車が静かに止まって、かちゃ、かちゃとささやくような遠慮がちなその配達の音が大好きなのです。その音には、祖母や母の愛の声が聞こえます。「栄養やさかい、のまなあかんのえ」そんなふうにいわれて、肺門リンパ腺炎を患っていた幼少のわたしを、祖母や母はどんなに大切に育ててくれましたか。よく風邪をひいて、首にはいつも湿布の白い繃帯を巻いていました。ありがとうございました、わたしは、こんなに元気で生きました。ありがとうございました。祖母も母も知らない、ブログというものの上からお礼を申します。 今日の一首 「繃帯を干せばたちまち暮れゆきて小庭(さには)さながら湖底のごとし」 田中保子(『晩夏百首』2008年刊・所収)
2009.01.13
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琵琶湖疏水白川分線に近く住んで、数十年、毎年末、近くの教会のクリスマスツリーを見ています。それは教会だからこそに見られる清らかな静かな輝きのツリーでありました。はじめての冬の夜、それを見て、うあーっ、ラッキーだと思いました。いいところに越してきたと思ったのでした。依頼毎年、楽しみにしています。 今日はその輝きを写真に出したつもりです。ちょっと、まずいわけがありまして、上手に出ましたらお慰みでございます。 これもまた訳がありまして、今日はパンをたくさん買いました。実は一番お腹が減っている時間に、大好きなパン屋さんの近くへ行ってしまったからでした。行ったからといって買わなくてもいいのにとわれながら思っています。ところは出町柳、古くからある店です。出町は二つの川の出合いのところ、柳は昔から仲良し二人の出合いの目印であったそうです。 さて今日はそういうわけで、朝から晩までよくパンを食べました。おいしかったです。食欲があるのは元気の印、さあ、今年もがんばりましょう。 今日の一首 「我魂は幾とせ昔さすらひの旅路に出でて今日もかへらぬ」 白蓮(『幻の華』大正8年刊)
2009.01.12
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去年は、どんどん過去になって行きます。昨日、10日にようやく去年を全部やり遂げたばかりという気がしますのに。 何度か繰り返して、一部分が幾度か二重、三重になったりします。自分の日々の暮し方としてです。郵便局が二軒おいて隣にありますのに、何度も考えることが繰り返されて、結局、出そうと踏み切ったときは、連休で、バスに乗って本局まで行く羽目になるのです。 短歌を詠む作業もそれに似ています。郵便物と同じです。書き上げて、玄関に置く、それは、一つの覚悟みたいなもので、よし、出すぞという決意の自己表現なのです。今夜も玄関に置いた出来上がりがあります。郵便物もふくめて。明日の朝、それがすっ切り持ち出せればめでたしめでたしですが。ああ、明日のカレンダーの日付は赤い色になっています。二軒おいて隣の支局はおやすみでした。 今年もこんなふうに、ドンに暮しつつ、やらねばならないことはうやらねばなりません。しかしながら躊躇ということは悪いことではないと心得る、これは横着者でありましょうか。もし、それで、自分に正直な答えが出せるなら、わたしは横着者になりたいです。 今日の一首 「放ちやりし犬が鎖を置きゆけり見つつ鎖はしづまりがたき」 初井しづ枝(『冬至梅』1992年復刻版発行)
2009.01.11
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9日のブログを書きます。ただ、現在どこかが変で、写真は残念ながら出すことが出来ない状態です。写真は趣味があったわけでもなく、ただ出すものだくらいの気持ちで始めましたが、小さな写真機をバックに入れて歩いていますと、自然にカメラアイとでもいいますものを向けている自分に気がつく次第です。 さて昨日は綾部の歌会の日でした。会場は山際のお寺、会員さんのお寺です。仏間の左手、庭に面した歌会の部屋は蝋梅と水仙の香りが満ちていました。うっとり!!、皆さんの体臭かとも思い、また、ついうっとり。 除夜の鐘里人たちの搗きつなぎ煩悩あまた果てなく続き 陽のあたる枯山ながめ正月四日紅茶たのしみむいつものカフェに 長いのや短いのあり炬燵から身の丈伸ばして初夢見てる 夫と娘と友に手を振り手術室待つ間の長さを我は眠りて 神戸港、黒き船舶の向う側卵黄色の夕陽が沈む 父の日記「運よく暮らせと願いこめ一美と名づく」吾は七十路 ひさかたに子と天仰ぎオリオンを辿りて昴さがす正月 正月もすぎてもとの一人居はやつ手の葉のつゆ光るをみており 一日のことで、今日は積雪50センチとなりましたとたよりあり。里人はよきと、またより愛(は)しきとさえ申したく。 今日の一首 「原野にて雪降る野にてひとりとひとりの出あひはおそろしからむ」 葛原妙子(『原牛』昭和34年刊・所収)
2009.01.10
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本年初頭の歌会の日。お着物の方もあり、美しいことでした。 もう散らす葉もなき欅冬空のひろきに繊(ほそ)き枝えだをさらし 小さな手吾が目の前を交差する寄せ植ゑの鉢午後の日溜り カルデラ湖身内にありて水たたえ冷めた水面に青空映す 締め縄を飾るのき下はなやいでくる年願ふ大つごもりに 今はただあるがままにと思えども気負いの抜けぬ不器用者よ 御幸町で手押し車のばあさまの笑顔におうた師走の十日 日常が悪いのではない、ただ、折角の表現のチャンス、しかしながらわれわれには日常しかない、ならばその日常を今一度の目で、見直してみてもよかろうかと思います。例えば青空が必ずしも希望の表現ではないことのように。ただ作歌に対するその人の覚悟のほどに勝負はかかりますが。器用さは百害あって一利もなしとわたしは心得ます。当歌会は121回目になります。 今日の一首 「ひややかにざくろ傳ふる透徹をたなそこに惜しめこころゆくまで」 葛原妙子(『橙黄』昭和25年刊・所収)
2009.01.07
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今年の新春の喜びは、お煮しめが綺麗になくなったということであります。買物は全部出町でしました。平素はやや落ちぶれたさみしい商店街と思っておりましたが、歳晩に縁あって通りかかり、ことしはここで買おうときめ、三度、市バスを利用して通いました。一軒、いいお魚屋さん、乾物屋さんがありました。 八百屋ものもなかなかでした。特に海老芋は大成功、棒鱈との炊き合わせもうまくいきました。黒豆も上々。育ち盛りの1人の青年はどんぶり大の器にいっぱいの黒豆を食べました。わたしは一人娘でわがままで、お煮しめの炊き方を覚えようとしたことなどありませんでした。祖母らも教えようとはしませんでした。 でもやはりこころでございますね、こころの伝統が生きていたのでございます。わたしも孫子になにひとつわざわざ伝えようと思っておりません。いつかの日、また家族たちは。今年の新春のような集いを繰り返すことでございましょう。それが目に見えるようでございます。 赤い重ねの酒盃など、抱きしめる思いで仕舞いました。いつまでも、またの日にねと。 今日の一首 「仮死のごとく春を眠れば夢もなしおのれの顔もなまえも忘れ」 山口美加代(『クリスタルミラー』より)
2009.01.06
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この時間、本当は年末締め切りのエッセイを書いておりました。もう限界、明日仕上げに許していただきましょう。好きな仕事にしんどなしでございますが。 五、六年前に比叡山の秘所、横川(よかわ)への道程を歩いたときのはなしです。夏の巻ですが。 「横川(よかわ)は低い位置にあるのだなと思っていましたら、右手の谷から、突然、何ともわからず湧き上がる大きな響きがありました。それは響きとしかわからず、おそろしささえ感じました。しばらくはうろたえました。 ようやく心を静めて聞くと、それは鳥の声のようでありました。さらに聞くと、まことこまやかなさえずりのかたまり、やさしい声なのに、かたまるとこうなることがわかりました。 どこから発しているのかはわからず、うゎーんと湧いては、消えるのです。同じ種類の鳥の集まりであることはわかります。はじめての体験でした。何とすばらしい天の声、この道を歩いたゆえのたまものでありました。」(「比叡を歩こう」その一部より)おやすみなさませ。 今日の一首 「公園に青いボールの残りいる われも残りたるものなれば見る」 江戸 雪(『DOOR』より}
2009.01.04
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わたしは耳が悪いのでしょうか。昔から耳鳴りといったものではなく、夜が更けますと何か不思議な力あるものがそう遠くないところでゆっくり廻っている音が聴こえます。若いときはそんな音を地軸がまわっている音などと気障な言葉に表現したものでしたが、いまはそんなことはいえません。 頭でつくり出さない、そういう心がけもございます。そんなことを考えながら、聴こえるわけもない音を聴いています。今日も近親ですが客人がありました。そういう時、わたしはすぐに、はしやぎます。一番は娘がお年玉をくれましたことが嬉しかったのですが、生活費などと夢にも思わず、娘の苦労のその大枚で楽しみごとをと考えます。 お金では買えないことはわかっていますが、今夜また聴こえる音を、より楽しくキャチするにはと悪巧みをします。たとえば素敵なお枕を用意するとか、寝台をかえてみるとか。いえ、ああ、そうでした祖母の箱枕はいかが?それなら、押入れの奥の下にありますし。何かしら耳が埋もれなくて、首筋もすっきりして。 万葉集でもかたわらに今宵はねむりましょう。 昔の人は何と美しいやすみ方をしていたのでしょう。発見でした。 今日の一首 「夕闇や心に止めて聞かざりしその物の音の思ひ出づるよ」 柳原白蓮(『幻の華』所収・1919刊)
2009.01.03
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あけましてめでたいことです。一日遅れの元旦のブログです。この年の時間の自分を去年よりさらに大事にし、励ましていきたいと思っています。 昨日は午後に、カナダの人の妻となった孫娘が、夫とともに来訪、一泊していきました。予定のことでしたので、用意したお煮しめとお屠蘇で歓待、たのしい時間をすごし、今日の昼前、こんどは孫娘の両親の家へと発っていきました。向後、半年、日本に在留しますので、またブログにも登場さすかと思いますが。 さて、この際、わたしが悔しく残念に思ったことは英語の素養がまったくないことです。己の不勉強を棚にあげておいてですが、現在の子供たちの環境を思うとき、わたしは国家というものを全く信用できなくなります。何が良くて、何が悪いのか全く国家は、そのときの施政者の方針により、如何様にでも変えていきます。子供の頃の自分が馬鹿であったと思うばかりですが、自分の一生は自分で考えて生きるべき、施政者のなすがままになっていてはならないという一例として、自分の人生を振り返っています。 今日の一首 「西へゆくいや東(ひんがし)のかの川へ慙愧の涙なんだどうした」 福島泰樹(『夕暮』1981刊)
2009.01.02
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