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こんな言葉に出合いました。それは入浴をすませてベットに入る前、ふと開いた吉田彌壽夫の書籍からです。 そこには「類型的な表現から性格的な表現に~、一言で述べると、詩的なものから劇的なものへの発達であって、それに応じ言葉の種類や形式よりも、その機能と用法に重点が移っていき、言語はデリケートになり陰影を加え、語句の形式よりも文の構造が重んぜられ、散文が独自の作用を発揮すると共に、無韻詞が完成するにいたる。」とありますが、同時代に育ったものには同感するところであります。 今日の一首 タイルに月射してをり手術台水平にありて半開のドア 葛原妙子(「氷とぶだう」より)
2012.01.30
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一人立ち、女性というものはそれが終生出来ぬものか、そうは思わない、当然でしょう、しかしながら、出来ないのではなくて、その影にかくれる妙技を心得ていると思はねばならないことはたしかではあります。 人ごとを申し上げようとしているわけではない、己のこととして申し上げるわけ、そのとき自分は自分を見ますか?。余年少ないいまながら、自分に問いたいのです。 そのしじまわれはのぞきつ椅子の人めがねの下にめつむりてをり 點血を眼鏡の端に置きつつまどろむ外科医ふいにひらめく 葛原妙子(『葡萄木立』より)
2012.01.28
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今日は、お友達の短歌を書こうと思っています。写真がありませんと寂しいので注意書きをよく読んで、順番に用意している写真を出してみようと思います。もし無礼がありましたらお許しください。 今年もみんなで、純心な心構えで短歌を楽しむことが出来ますように。 久々に訪ぬる今朝の直指庵 まんりやうの赤 新春を告ぐ 高峰の上から見ゆる奈良の町夜のとばりにティンカーベル流る しんねんに あらためてしる せいちやうの かたあげもだし ぬいあげもおろし ひとの死ぬることの不思議に将之(まさゆき)の応制歌あり雪のけものの 不安なくベストを尽し投げ抜くとダルビツシユ・有投手、テキサスへ シナモンやカルダモン入れあたたかきマサラティー飲む朝の食卓 初春の会はお一人のお方をのぞきお揃いでした。お一人も弥生にはお出ましと楽しみはゆたかにゆるりとお待ちしています。
2012.01.27
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何時のことでありましたか、塚本が今夜、あらわれて話をするということで、どのあたりでありましたか、それも夜のこと阪神方向に車、自分の車を飛ばしたことがありました。子供達を置いてです。昭和40年代のこと。 待てども来なくて、わたしどもを呼んだ一人が謝りの言葉を述べました。そしてその人の話というか、講演がありまして、また夜の道を飛ばして帰ったわけですが、以来、彼の出版物があると知らせが来るようになりました。生涯、彼に会う機会は持ちませんでしたが出版物はいかほどかあります。それがいいことだというわけではなく。 無茶苦茶に若かったと思います。でもそれでよかつた、いろんなことも、人も見えましたから。わたしは何時のときも、ものを掴みたかったら、走れと思います。自分のつかみたいものがある方向へと思います。損得を考えずに、考えるということはそれだけ、抜けている空気があるからということ、まあそれでもいいですが、自分で埋めれば。 今日の一首 草に寝て飛行機の影、目に追へば矢となりて飛ぶプラズマ 栗木京子(昭和50年・8月「短歌」)
2012.01.24
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おはようございます。夜明けがまだ遅いですね、でもこのメイルを終えます頃には明るくなりますでしょう。わたくし今日明日に小学校時代の友人を訊ねてきましょうと思っています。長い時間に折々、ちらちらと合いましたけれど。歩き方、走り方に絶対、特徴のある友です。この間もわたくし、バスの中から、やや急いで歩いている一人を見て、あっ彼女だと咄嗟に判断したのでした。 両手を腰のあたりでぺらぺら振って走るんです。早く走れるわけありませんが、それが彼女です。さてその後、今月中に出会わねばならない人があります。歌集を編むと言っているお仲間です。ありがとうです、うれしいです。嬉しい時間を過ごしましょう。今日も、明日も、そして毎日。 今日の一首 この道を通る理由を告げてゆくとなり家の少年の声変はる日々 百々登美子(「短歌研究」年刊歌集より)
2012.01.23
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写真はしばらくやすむことになります。自分の意志ではありませんが。近頃の機械の様子がわからないためです。そのうちにまたおのずからに・・・・・・。 そんなことを書いていますと、写真の話になんとなくなってくるようですが、いま、たまたま机上に一枚の写真を置いています。何とわたくしが小学校一年生の時代の写真!!。場所は京都側の比叡山の中腹、八瀬です。 わたしはその頃、肺門りんぱせんを病んでいたらしく、療養のためでした。そんなに大事にされて幸せなことでありました。本人は痛くも痒くもなく元気いっぱいの療養です。ふり返って、なんですか人生の一番楽しかったときのような気がします。 その場所は今でも人里はなれて素的なところです。現在住んいますところから、電車で八瀬まですぐ、ケーブルに乗ると行き過ぎますから、歩いて登ります。というわけで、わたしはその時代からあまり生長していないようであります。それがわがままですけれど、わ、た、し。 今日の一首 山盛りの卵よりひとつたまごとる卵の翳をうごかさずとる 山形裕子(『かぱれっと』より)
2012.01.21
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ちょっと写真が怪しいようです。ナンバー通り出ませんので心配ですが。いずれにしましても、よくもここまで、わからぬものを操作してきたものぞと思いますが、ここまでとは何処までぞでございますが。 でもしょうことなしにやっておりますのは、こういうことが嫌いでもないらしく、剥げて字が、見えなくなったキイを、やみくもにたたいていますが、見えると間違うところが、感覚でたたいていると間違はないところが、またおもしろうございます。 さてと、今夜の歌は、遠い昔の恩師の歌でございます。お正月の「応制歌」でございます。それは天皇さんにお頼まれして書いておさし出しする歌、歌会はじめのでございます。我が家は元旦の床にいまだかかげておりまして、ごめんくださいませ。 あさはれの雪山にしてけだものの通ひゆく道リフトより見つ 加藤将之
2012.01.20
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午前6時3分前、たったいまの時間であります。あっという間に1分前、本月本日、まだ夜は明けません。でもこうして時間はドンドン過ぎてゆく、われわれは何をなそうとしているのか、何がなせるのか。凡人はこうして、あっあっと思いながら時間の過ぎ行きを見ているしかない、しかしこんな歌を詠んだ友人もいました。早くの若くの自死でしたけれど。 その人が残した歌を今朝は三首書いておきましょう。朝の時間には似合わない作品ですけれど。でも彼女はもういないから。朝には何故というほど似合わぬ歌ですけれど。 風のわく所に居よう手のひらのくぼみにいつも鬼火もたせて 夜となりてまだ鎮まらぬ風のなかわがふる髪は鬼火のごとし くらがりへあの暗がりへ誘うのか鬼火の燃ゆる青き草むら MR
2012.01.19
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序詩 この世を去る日まで空を仰ぎ見て 一点の恥もなきことを 木の葉を揺らす風にも わたしの心は痛んだ 星をうたう心で すべての逝くものたちを愛さなくては そしてわたしに与えられた道を 歩まなければ 今宵も星が風に吹かれた 『尹東柱詩集・空と風と星と詩』から 深夜です。明朝までに書き上げねばならない原稿を書く前に書きたくなった彼の詩でありました。「今宵も星が風に吹かれた」!
2012.01.17
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今朝の寒さ少し違う、少しましだ、自分って勝手ですね、自分のご機嫌のよさで、天候までよく感じています。それとも昨夜から「モーラスRパップ30mg」を背中に貼っているせいでしょうか、シャンとしています。表現といいますものは、まず自分の思ったとおりを自分の言葉で正直にいっちゃうこと、それが当然、敵はまず、上手に詠もう、つくろうとする卑しさにあると思います。 と、いうところで今朝は元気です。 今日の一首 許すべし許されるべし朝あけの胸かけめぐる血は風のいろ 蒔田律子(『白鳥の涙を見たか』より「もの憂き鬼と」)
2012.01.17
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この項をふたたび書きたいと思ったことには、わたしなりの、感動と責任のような気持ちがありました。時間をへてふたたび自分のものとなりますように願っています。 今夜といいますか今暁といいますか、手元には『新風十人』八雲書林出版を用意しています。それはたまたまでしたが、そこには遠い日の恩師の作品が見られます。哲学青年でいらっしたというお方の。さらにそこには「歌論の立場としては、素朴な写実主義を脱却して主体的な実存の把握につくことを目ざしている」とあります。好きな言葉です。 今日の一首 六階で読めぬ洋書を買ひたればクレヨン帳を地階に求む 加藤将之(「花の概念」昭和15年)
2012.01.15
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夜明け前です。この時間が書きものをするのに一番いいです。昨夕は雪、外出には一寸きびしかったですが、それもまたよきこと。雪が降りますとひとりになれていい、どこにいましても。そんな昨夕を書いておきましょうか。 むかしむかし、始めて見た映画というものがありました。いまごろにそれを思い出して、歌がたくさんできました。時間というものものは面白いなぐさめ、面白い真実であります。それがおはなし。 今日の一首 朝狩りにいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく 岡井 隆(昭和37年7月『短歌』の作品から)
2012.01.04
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午前零時を過ぎました。今日のタイトルには、4日の数字を出してくれるのか昨日の3日のままなのかわからない、おもしろいところです。そのわけはわかりません、そのおもしろさもあってこその時間に書き始めています。 ところで、いつの間にか1月4日の午前2時前になりました。ところで、どうでもいいことに気がついてどうでもいいことを書いています。そんな暇にいま一つ。唐突ですが、「歴史は悲劇にとっては、名前の目録にすぎず、われわれがこれらの名前を、ある性格に結びつけるのは、ふつうことである。」と何だか面白そうなことを言っている人があるようです。そして「芸術作品は、その性質上解釈されるべきものではない。」とも、また「そこには解釈すべき何物もないのである。」とも。 今日の一首 捉われの虎が卑屈に唸る声轟きわたるあわき状況 佐佐木幸綱(現代短歌70「動物園」より)
2012.01.03
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真夜中ですが一月三日、でももうおめでとうございますとは挨拶できない気持です。普段の意識がもどっていますから。この年をしっかり生きていくつもりです. さて、昨年ぎりぎりに出しましたわたしの短歌作品の題は「雨ぞ降る」でした。どうしてそうなったか、極めて自然でしたがそれが自分でわかりませんから、その名の由来であるところの映画『雨ぞ降る』を調べました、いえ、調べてもらいました。それを知りまして少しは自分を知った思いであります。 今日の一首 なしなつめきびにあはつぎはふくずののちもあはむとあふひはなさく 万葉集(巻十六、作者不詳)
2012.01.02
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