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裏庭の藤棚の繁りの隙間から今朝の光が見えます。広くは見えないけれど、この光の加減では、今日も雨模様でしょう。でも何だか京都はありがたいと思います。 太平洋戦争の時代のことでした。京都は他都市、特に広島、長崎、沖縄の苛酷な戦禍からは逃れることができました。わたしはそのことを思いますとき、今もって申し訳ない思いから逃れられません。特に沖縄の女子学生方に戦後お会いするのがつらいでした。京都の女子学生は友禅の着物をへらへら着て居たのと違いますか、そんなにいわれるうわさを聞きました。 ごめんなさい、わたしたちも及ばずながら、動員学徒として大阪に近い山中の火薬庫で、何とも知れぬ長い筒に黄色い粉をとんとんと日夜つめていました。激しい匂いがしていました、爆弾だったでしょうか。ふと思うとき、今の命が不思議でなりません。 ただいま午前5時半、徹夜の仕事が少しはまとまりました。山は越えたと思うとまた立ちはだかります。自分に課したこの仕事、自分なりの精いっぱいの表現の業を命のかぎり続けたくに思っています。 今日の一首 「せつかちに鳴く烏のろまに鳴く烏二つが今朝は連れ立ちてゆく」 早川洋子
2008.06.30
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一仕事の山がようやくに見えてきました。自分が望む理想の頂へ、こころ静かに歩き続けます。思えば至福のときであります。そんな感懐に浸っていましたら、こちらがお留守になりました。第4水曜日の記録をいたします。 二条城前の定例歌会、いつもながらのやさしさと秘めたる熱意に燃えて。 青しぐれ紫陽花の葉に水の玉ころころころがり手にも飛び散り ダンボール さらにとつては たからもの おうちになつたり くるまになつたり 大垣が「奥の細道」の結びの地と初めて知りし大垣駅頭 家具を出しガランとなりしわが家の庭石の上一匹のヤモリ 亡き母の火ばちに張りたる水のなか清らに咲けり白き睡蓮 歌うということは、みずからに深く深く沈潜すること、そうしてその眼で四方をみるときに、一匹のヤモリが見えます。それは或いは自分では計り得ない自分の心の景色であったかも知れません。やがてゆるやかに今一度四方を見回すと、そこは家具も出し、みずからも発ちゆかんとする状態のときでありました。歌はなんでありましょう、自分では思いもしなかった自分に出会う、見えなかったものが見えるといえるかもしれません。表現とは待つこと、見えるものをといいましょうか。一首「とほき日に来たりしことのあるごとし風の涼しき青桐の下」 今日の一首 「いつ持ちてゐたるか街をゆく時に背中のわが子がラッパを吹けり」 早川洋子
2008.06.27
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本日のわが会は出席3名。1名のときもあったのですから、3名なれば話は出来ます。鼎談義というものは、それぞれの持ち味も鮮明に、本音も聞かれて、なかなかおもしろいものでありました。 いつもながら、iさんは「左側のべットの患者退院し剥き出しのマットレス闇夜に浮かぶ」とこの人の自然な知性が鋭敏に。nさんは「気いつけてゆっくりゆっくりと呟きつつ母はくり返しリハビリ励む」と持ち前の優しさとゆったりとした落ち着きが表現にあらわれて。 ところで、最終時間帯に1名参加、当会の名をもじって「無謀の会」としてもええなあという意見も出て、出席者、喜んで賛成、無論わたしも大賛成。 今日の一首 「今日という日よりうきあがる歩道橋足ふみだせばどこまでも墜ちる」 黒崎由紀子(『アジタート夏』より・1983)
2008.06.22
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日々パソコンを使っていますと、自分の性格の欠点がありありとわかります。わたしは所謂、「苛ち」、苛立ちやすい性格、これがパソコンには一番いけないようですね。そういうことからパソコンはわたしの一つの修業台です。 今朝からも今、ただいまの、自分の精神状態をテストしています。昨夜は晩くまでかかって、短歌50首ほどをなんとか、整理することが出来ました。何度か苛ちミスを繰り返しながら。思えば精神修行です。 「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」いま、ふっとこんな言葉を思い出しました。これ短歌なんですね、リズムが。リズムとは何でしょう、変に忘れられない、忘れても思い出させる力のあるものですね。 それどころではありません、今日の仕事に掛かからなければ、そういうところが、またわたしの欠点、パソコンは張り切っても駄目なんです。一首「瀬を歩きゐたりし鷺が深みにてふいと飛びたり水にそひつつ」 今日の一首 「写生する夫に日傘さしてゐて見廻す四方(よも)の飛火野の藤」 早川洋子(早川幾忠夫人『臘梅』より)
2008.06.20
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近くの京大の北グラウンドの西南方向に立つ樹木、センペルセコイア(いちいもどき・すぎ科)と、その位置から西に向かって左に立つインセンスシーダー(おにひば・ひのき科)の確認に行きました。20年くらい前から短歌の素材にしているためにです。15年くらい前でしたか、センペルセコイアは落雷を受け幹が裂けるという傷を負ったことがありました。実にたくましく立ち直るその様子も見守ってきました。今日また久しぶりに眺めて、自分の経た年月に重ね感慨を深くしています。凄いです、大きいです、そして見事なその翁ぶりとも思える雄姿にしばらくうっとりしたのでした。 今日の一日の仕事でありました。名前のことなど今一度、作品に訂正を加えねばならないところもあります。「空暗しセンペルセコイア立ち覆う、ここよりわれは歩みゆくべし」 今日の一首 「君たちのことを思っていたのだよ雲湧く窓に盃を揚ぐ」 福島泰樹(「蹶然」2008・5)
2008.06.18
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お昼、昔、お世話になっていた出版社の編集長と約束していたお昼をするべく出かけました。約束は650円の天丼をご一緒することでした。やや気温が上がっている真昼、二人はパラソルを差して出かけました。言い遅れましたが編集長は女性です。 それが、何と店の前まで来て、本日定休。がっくり。しかしお互いにあまり顔には出さず、やや離れた山手の中華四川料理店へおもむきました。そこは無事パスでほっ。しばらくご無沙汰の話を楽しく交わしながらご馳走様。編集長は今月末タイ国へいらっしゃるとか、わたしが原稿を預けっぱなしてアフリカへ旅立った昔話もして。 帰路の道のべに時計草が繁茂していました。もうそんな季節なんですね。一日一首「口に吹けば回りだしそうな時計草こぼれ落ちなん夏かゆきつつ」 今日の一首 「僕の犬が吠えるので先をゆく女が夕立に消えかかりながら振り向く」 松平修文(『蓬』)
2008.06.16
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本日の特筆、わたしにとってではありますが。一人の男の子に単純に60ワットの電球買ってきて頂戴と頼みました。帰ってきて、早速つけましたら、何と、これ何、全く驚きの光の色合い、わが家の座敷に幽霊が出そうな光り具合でした。後に聞くとそれは蛍光球(電気屋さんによりますと)というものであったらしいです。電球といったら白熱電球と思っていた自分の注文の仕方が悪かったことにも気がついて、男の子にごめんなさいをいったら、取り替えてくるといって彼は走りました。 彼は彼なりに電球に種類があったことに再認識したようでありましたが、思えば今は電燈といいましたら、それは蛍光灯なのですね。わかりました。しかしながらわが家は白熱球の灯りを、好みとして使っております。 わたしにとっては当たり前のことでしたが、男の子にとりましては、改めての認識であったようです。そしてわが家に点けた白熱球の光を見て、あんぐり口をあいて、「へーえ、これええなあ」といいました。わたしはどなたさまが、どうであってもいいことで、幼少時から慣れた光で生活しているだけでございます。一日一首「大人なんかになれなくつていいと思つたことほんとだつたね」 今日の一首 「好きでいたこともあったよ中指の黒子や肩の手術痕など」 江戸 雪
2008.06.15
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突然ですが、皆さんブログの紙面?にはどういうことを書いておられるのでしょう。わたしはあまりよそ様は覗かないのでわかりません。真似をすることもありませんし、まあこのまま、独り言を記すことにいたします。 さて、苦あれば樂ありと申しますが、どうやら今日は楽が廻ってきたようです。そう思っている幸せ者かも知りません。一つの理由があって一つのことをしたいのですが、どうしたら成し遂げられるかわかりませんでした。それが、ぱーっと夜が明けるように解決しました。しかし、これからが本番、努力の始まりながら、道が開けたつもりでおります。 というわけで、ここまでで今夜はやすみましょう。こんなんばっかりのようですが、とにかく今日はここまで。一日一首「家鳴りすれ古き我が家は隅々に現実(うつつ)はみちて現実越えたる」 今日の一首 「縁反りし古き華瓶(けびやう)の欠けたるをつなぎ終ればわれも眠らむ」 生方たつゑ 「
2008.06.13
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年間2回、夏、冬号発行、次号50号にて25年になる歌会誌をここ数日見直しています。25年やってきた、そのような傲慢な考えが無きにしも非ず、いえ、今の今まである程度そのような気持ちがありました。 しかしながら、1号1号を振り返り見直してみるとき、創刊号からどれだけのお方々のお世話になったことかを、己の身をつねり反省しております。わたし自身の至らなさからか、また志の方針をかえぬ頑固さからか、退会なさった方々も少なくありません。お許しください。 ただいま50号の準備を、また、皆様のお世話になりつつ進行しております。同じことを繰り返すこと、わたしにはそれしか出来ません。それが自分の一生であるようです。一日一首「街に青き日暮れの到りわれのゆくバス待ちてをる街路樹の下」 今日の一首 「歌は甘しうたえば更に花房よりこぼれて落ちむ色かすみする」 松谷繁次(「能登人間」より)
2008.06.12
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またふかく夜に刺さりてわが生はくらきみどりの葉ずれに満ちて 乳房のあひだの谷とたれかいふ奈落もはるの香にみちながら 岡井隆の『禁忌と好色』からの歌と思われるこのような作品について、上田三四二は次のように書いています。「私的な背景がわかれば解けるような謎ではない。コード化された私的な言葉でなく、このような、いわば人間という存在の謎にむかう深々とした言葉を、私はたっとぶ。」と。 今夜はこれ一つを記してやすもうと思います。古い雑誌を読んでいて、いい遭遇をしましたから。今日の幸運として。 今日の一首 「子を押し出す遮二無二のちからいづこより御しがたく炎となりて突きくる」 松平盟子(「短歌」1983・7より)
2008.06.11
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いつの夏のおわりであったでしょう、家の近くの御蔭通りの一軒の家の前庭にある樟の大木、幹は直径1メートルもあるように思われます。この辺り、開かれて住宅地になっていますが、80年前は林であったと言います。 わたしは折にふれてその木のそばへ行きます。近頃、自分の短歌作品を整理しておこうと思ってノートをくっていましたが、その木のそばで詠んだ作品が出てきました。そこには、その頃熱心に読んでいた本のことがうたわれています。小林秀雄の「無常といふ事」(百花文庫)です。実朝の一首に次のようなのがありました。 紅のちしほのまふり山のはに日の入る時の空にぞありける 小林はそこに「何かしら物狂しい悲しみに眼を空にした人間が立ってゐる。そんな気持のする歌だ。」と書いています。ページをすすめて「彼は殺された。併し彼の詩魂は、自分は自殺したのだと言うかも知れぬ。」とも。 今日の一首 「世の中は鏡にうつるかげにあれやあるにもあらずなきにもあらず」 実朝
2008.06.10
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自分のために短歌作品の推敲、拠り抜きの一日でした。それをすませて、散歩に出かけようとしていたら、表に飛び込むような声がして、親密な友人画家さんの来訪。ああうれしいこと。その人は一年に一回来るか二回くるかの人、それもいつも突然。思えば今日は半年振りでした。それでいいの、わたしたちは無駄には会いません。 彼女、そう彼女は女流画家、選抜展の案内をくれました。わたしたちはそういう間柄、わたしの何かがあると彼女は必ず来てくれます。私も負けずにがんばらねば、彼女に捨てられます。わたしは、ふいっといいました。慈姑ありがとうでしたと、えっと彼女はいいました。忘れてる、ほんに彼女は多忙です。父君の介護をしながら大作を描いています。でも思い出してくれて、あああれ、そして、ぽつんと、慈姑は綺麗だね、慈姑の色の服が着たいなと。同感!!。一日一首「人間にあらざるものの橋わたる一匹の猫ふりかえりふりかえり」 今日の一首 「女てふ男てふてふがあそぶ夏日をひくくよぎりゆくてふ」 河野愛子(「月光の潮」)
2008.06.09
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一日、数通の手紙を書いて過ごしました。綾部で頂いた手漉きの紙が実に気持ちがよかったからです。わたしはご挨拶を書くのが下手です。すぐこころを熱くしてしまうからのようです、やはり成長しておりませんね。こういうところに現れてしまいます。 夕刻前、それらをまとめて本局へもっていきました。明日、近くの局が開くまで待てないのです。それも未成熟。散歩はそれからです。短歌もそうですが、同じところに見慣れたものしか詠めません。いつも見ているものしか駄目と言うことです。 でもとにかく今日はすることをすませて、あすの自分のするべきことに繋げることができました。一日一首「まなぶたの酔ひてゐるごと時ゆきてひぐれは水のステンドグラス」 今日の一首 「奪はれてゆくべき月を見てをりて動揺もなき夜の運河なり」 生方たつゑ(『紋章の詩』より)
2008.06.08
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丹波路、里山の合間合間の田には何処にも早苗がそよいでいました。綾部駅から仲間の自動車で、今日の会場へ、途中、綾部に今、盛り上がりつつある養蚕の話しなどを聞きました。 会場は仲間の会員さんのお寺、曹洞宗の上品な境内には大山蓮華の香りが満ちていました。かたわらの鐘楼がこころに音を響かせてくれました。 野菜畑支柱の先に色靴下履かせば蝶のつがい止まりぬ 五月の風肌身に寒く母の声さむやひもじや苗代どきはと 糠床に昨夜漬けたる小丸蕪蛇口に洗ひてかぶり立ち食ふ 綾部グンゼは蚕で世界に名をとどろかせ再び蚕まゆで町おこし 娘より送られし本「老いじたく」も少し先と云いたくもあり 家人らの留守をかこちて家猫は網戸の穴の吾が指に来る 折々に庭の小山の奥で啼いていた鶯が、みんなが立てる笑い声につられて、連続して啼きしきります。鶯も一緒に盛り上がった歌会でありました。それに、何故かしら今日は蝶のつがいにはじまって、誰も誰ものたのしい「つがい」のお話になりました。一日一首「六月のわが首飾る白銀(しろがね)は大西洋の海馬とぞいひ」 今日の一首 「打楽器はごんぼごんぼと闇を打ちアフリカの月膨張しはじむ」 永井陽子「短歌」1983
2008.06.07
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怠けながらですが、今日はどうにかしなくてはならないことがややはかどりました。 何故か裏で鴉がよく啼いています。鴉の声もいいものです。そんな余裕です。辛いときはいらいらするその声も、何と勝手なものでしょう。家族なのか、しきりに話合って今一緒に去りました。彼らも今日一日のことを何とか成し遂げたのでしょう。よかったことです。これも何と勝手な解釈とあきれながら。 今晩のご飯は豆ご飯と台所の隅にあったお大根と人参と、こんにゃくと椎茸の炊き合せでした。おいしかったです。全く勝手なもの。なんで、ちょっとしたことがこうも満足につながることか。でもそんな自分を幸せに思っています。こういうふうに考えられるのは祖母の教育のたまものです。 祖母は近江商人の娘として生まれて京都へ嫁した人です。始末に始末を重ねて、生活していた姿を思い出します。しかしながら、いざというときにはどちらさんにも引けをとらない振る舞いをした人でした。一日一首「生きるとはなにごとならね顔濡らす雨に打たれてポストまでゆく」 今日の一首 「はてなし、とつぶやきねむりゆく夜にいちにんさがす夢をまたみる」 江戸 雪(「果無峠」より)
2008.06.05
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河原町御池のホテルの最上階、広がる京都の景観には、比較的高層建築が少なく、民家の瓦屋根が穏やかに続く様子が伺えます。その部屋に一つの歌会「ふくろう」が催されました。互いが互いを鍛えあうといいますか、自己意識の高い集まりです。 空重たく竹の葉きりきり散る朝に不発弾処理老犬に命ず 晴天に行列に出会いバスの中 真近に見える斎王代が 図書館の利用登録まず終えて新茶を啜る新参市民 濃密に緑の微粒子降りそそぐあおもみじの下木もれびの中 目をつむり金属の音耳もとに遠き時空の真紅(あか)をみていた モノトーンの秩序は失せて若葉風昼間のワイン生ハムチーズ 鏡台に冬の光の差しいりて吾のうつるなり少しととのえる 解散後、わたしは二条の絵書さんを訪い、カナダの孫への贈り物、祇園祭の「長刀鉾」と「大文字」の短冊をもとめました。一日一首「かかわりもあらずに顕てりアフリカのマサイの老いがホテルの階に」 今日の一首 「雨季ながし葉ざくらの幹に寄りかかりゐるあれは幾百歳の宣長」 永井陽子(「山椒魚」その後)
2008.06.04
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指名された何名かの者が、予め集められた短歌作品を批評し、それに対してまた聴衆からの論議に応えると言う、いわば研究会に、あらかじめ指名されたものとして出席してまいりました。 現在はある意味で、短歌表現も飽食の時代にあるのではなかろうかと、ふと、そのような危機感が頭をよぎりました。飽食は人を奢らせます。恐ろしいことでございます。 帰りまして、あらためてこの机辺を出るべからずにと、お臍に力を入れています。 お話しは変わりますが、一つことに精出すと言う意味で、ちょっと姿をいただいたケーキ屋さんの「べべ」さんも、お臍に力をいっぱい入れてがんばってください。またその入り口のドアーを押してお邪魔できればいいなと思っています。一日一首「帰り来て机の上に尾の長い狐のブローチ置きてしばらく」 今日の一首 「スターリンはペンネームらしペンネームの人に粛清されるつて 鬱」 レイモンド飛田
2008.06.01
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