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技術の面では、この世紀は規模においても成果においても漸進的進歩の時代で、その前と後の世紀に特有だったような革命的革新は何らもちません。農業は依然として支配的職業で、毛織物が主な工業でした。とはいえ変化はすでにはじまっていました。造船は経済によって改良され、それとともに航海術も進みました。商業の増大と輸送費の低下の結果、ブルジョアジーの問にはるかに広く富が分配されるようになりました。絹やガラスのような珍しいぜいたく品が日用品となり、一方綿・磁器・ココア・タバコなどの東方と西方からの新産物が西欧の市場へ入りはじめました。フランドル派とオランダ派の絵画は、宗教に仕えたり貴族を讃美することをやめて、飲んだり食ったり陽気に遊んでいるふつうの人々の姿を画くようになりまじた。オランダ人が都会の邸宅やいなかの別荘にプルジョア的慰安の標準をつくり、庭園や田園にかなりの金を投じたのは、この時代です。
2025年09月30日
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この産業革命の時代の主導精神と主な受益者は、盛んな農業と漁業によって基づけられたオランダとイングランドの商人です。富は政治権力をブルジョア階級にもたらしたが、それはやすやすと実現したわけではありません。永年の闘争と公然たる戦争の後はじめて、最初にスペイン王〔オランダはその領土だった〕、次いでイングランド王は、自分の下の金持ちのオランダ人やイギリス人を、彼らが利潤を追求することを妨げる封建的条件の下に服従させておくことは、もはや不可能なことを悟らされたのです。この闘争の表面上の理由は宗教的なもので、少なくとも次の意味で正しさをもっていま。すなわち、新しいブルジョアジーの政治的・経済的信念と実践は、カトリックはもとよりルター派のことばよりもカルヴィン主義のことばで無理なく表現されたのです。
2025年09月29日
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イギリスはライバルであるフランスに先んじて産業革命を開始し、フランスに限らず地球上のすべての国々に対して有利な位置を占めることとなりました。言い換えると、七年戦争の勝利によってイギリスは世界システム論における覇権国家の地位を決定づけたのです。1733年から1840年付近までの第一次産業革命と、それ以降の第二次産業革命に大別することも可能です。産業革命において特に重要な変革とみなされるものには、綿織物の生産過程におけるさまざまな技術革新、製鉄業の成長、そしてなによりも蒸気機関の開発による動力源の刷新が挙げられます。これによって工場制機械工業が成立し、また蒸気機関の交通機関への応用によって蒸気船や鉄道が発明されたことにより交通革命が起こったことも重要です。
2025年09月26日
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産業革命(さんぎょうかくめい、英: industrial revolution)は、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と石炭利用によるエネルギー革命、それにともなう社会構造の変革のことです。「産業革命」という言葉が初めて使われたのは1837年、経済学者のジェローム=アドルフ・ブランキからです。イギリスで世界最初の産業革命が始まった要因として、原料供給地および市場として植民地が大きく存在した事、清教徒革命・名誉革命による社会・経済的な環境整備、蓄積された資本ないし資金調達が容易な環境、フランスにもこれらの条件は備わっていたものの、両者の違いは植民地の有無です。イギリス産業革命は1760年代に始まるとされます。七年戦争が終結し、1763年のパリ条約において、アメリカ、インドにおけるイギリスのフランスに対する優位が決定づけられました。植民地自体は以前から存在していたため、1763年の時点でイギリスが市場・原料供給地を得たというよりも、フランスが産業革命の先陣を切るために必要な市場・原料供給地を失ったというべきです。
2025年09月25日
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古い中心での損失は周辺部で埋め合わされてあまりありました。北海沿岸地方、最初にオランダ、次いでイングランドと北フランスは、西欧の新しい経済の中心、そして当時すでに世界経済の中心にさえなりました。そこでは依然として封建的条件にあった他の海国スペイン・ポルトガルとちがって、マニュファクチュアが商業と結合することができたのです。ドイツとイタリアの職人は、いまや支配的地位に上った北方の国家へ移住し、ルネサンスの技術および芸術上の成果をそこへ速やかに普及しました。同時に、オランダとイングランドの増大する人口を養うための小麦と造船のための亜麻・木材・松脂・鉄への要求が、バルト海沿岸の経済的発達を促し、そこにデンマーク、スウェーデン、ポーランド、ロシアが次々に独立国として抬頭しはじめたのです。
2025年09月24日
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経済的にはこの世紀を支配したのは航海の累積的効果で、航海は当時すでに西欧の古い内国商業に匹敵する商業を包含していました。この世紀にとくに目だったことは、アメリカの銀の流入によって物価が大きく上昇したことです。西欧とくにオランダとイングランドでの封建制の束縛の打破は、土地をもたない人民を市場に投げ出し、同時に、雇傭労働者の実質賃金を著しく押し下げました。これは、物価の上昇と市場の増大の時期に生産物の原価をひき下げ、同時に工場主に豊富な労働力を提供することに役立ちました。その結果、新しい大洋通商路により新資源に頼り新市場に販売することのできる商人と工場主の富がかつてなかったほど増大しました。しかし通商路の変化と戦争の影響が重なって、一六世紀初期には西欧の最先進地域だったドイツの経済は荒廃しました。
2025年09月22日
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この科学における革命期問は、新しい観察的・実験的研究の最初の大勝利を含んでいます。それは、コペルニクスによって太陽系がはじめて暴露されたことにはじまり、カソリック教会の非難にもかかわらずガリレオの仕事によってそれがしっかり確立された時をもって終わります。この範囲の中には、ギルバートが一六〇〇年に地球を一つの磁石として説明したこと、ハーヴィの一六二八年の血液の循環の発見が含まれます。またこの期間には、眼にみえる白然界を大きく拡げた二つの器械、望遠鏡と顕微鏡の最初の使用がおこなわれました。
2025年09月19日
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さらに調査では社会的、宗教的世間体のために本当のことは答えられない。本人にも自分の感じていることに無意識のバイアスをかけてしまっているなどの行動経済学の質問紙調査とも共通の難点も起こります。だが科学を研究すること、科学的思考で世界を見る行為をしているときの、そしてヨブ記を知ったときのクオリア(赤い色を見たときの赤い感じ、歯が痛いときの痛みの感覚など他人と比較できない「感じ」のこと。感覚質と訳される)はどうなのかということを(定義からしてできないはずなのですが)知りたいのです。科学のクオリアが、 日本人と西欧人でどう異なる / 異ならないのか、を研究 しなくてはなりません。世界に普遍法則があり、その原理通り物事は生起する。その真理を見つけ出す。しかも単純に幾何学的に、高い立場から鳥瞰的な理解をしたい。それらが、満足されたときのうっとり感、高揚感、安心感、そしてそのような理解を求める感じの日本人と西欧人の違いを考察するのです。
2025年09月18日
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道徳認知についての研究で、最近、実験哲学ということがよく言われます。社会心理学でよく使われる質問紙調査法を、たとえば交通事故の発生経緯のヴィデオなど、経緯を変えたヴァージョンを見せて、どちらに共感するか等 質問するのです。通常の哲学では思考実験をするのですが、思考実験では思考実験をする研究者の感覚がおおいに影響してしまいます。それを避けて、実際の人々の感性を測定しようとするのです。このような場合、変数としてどのようなものが適切なのでしょう。数量化理論で分類するならどのようなカテゴリー変数を採用すれば良いのでしょう。感性、追求したい方向性等ということをどう調べたら良いのですしょう。いくつかの例を挙げて選ばせるなどというのはすでに、調査者の感性という強い制限で縛られた調査となって意味 が薄いでしょう。
2025年09月17日
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カルヴァニストの信念は、日本人には理解不能です。また、ヨブ記の方でもどんな酷いことをされても、そして救済など無くても信じる、等ということ はあり得ないでしょう。実際、ポルトガルのリスボンで、1755 年に壊滅的大地 震が起き無辜の民が大勢死にました。なぜ、神はこのようなことをなさるのだろう、なぜこの世に悪があるのだろうという疑問が表面化して、啓蒙主義思想家ボルテールも大いに影響されました。ヤハウェはイスラエルの敵に力を与えて自らの民イス ラエル人を負かすという前歴も持つ神で、多神教の互酬性思考だったらとっくに捨てられている神です。我々にはたぶん理解しがたい感性ですが、この感性が科学の思考とどのように関わり合っているかを今後考究していきたい。カルヴァニストの勤勉か、ヨブ記問題についての感じ方、特に西欧の人たちと日本人でどう違うかということを研究したい。
2025年09月16日
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カルヴァニストは次のことを信じています。ある人が救われるか否かは、その人が生まれる前に神が決めている。その決定はその人がどんなに善行をしようが、悪行や放埒 三昧であろうと変わらない。しかし、善行することが出来るというのは、神が救うことを決めている人であった可能 性が高い。善行が出来ないというのは神が地獄に落とすことを前もって決めていた人である可能性が高い。このように考えて、カルヴァニストは誰が見ていなくても(神は見ているが、神もその救済の決定は変えられない)、何の効力も無いはずなのに勤勉に働くのである。これは、遡及因果的思考の例として、論理実証主義哲学者 A.エイヤーが言及したものであるが、現実の事態例で もあります。
2025年09月12日
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ヨブ記とは旧約聖書にある話です。ヨブは裕福な人で財産も家族も名声もりました。ヨブの信仰を神はいろいろな試練を与え試しますが、ヨブの信仰は揺らぎません。神は悪魔に命じてヨブの財産を奪ったり、ヨブを傷つけたりしますが、ヨブの信仰はそれでも揺るがない。3人の友人がやってきて「神は善人に罰は与えない」「罰せられるのは悪人だけだ」などと慰めますが、合理的説明は出来なく議論になります。神に訴えることは可能なのかとか議論される。最終的には神は友人を戒め、ヨブは健康を回復します。カルヴァニストの勤勉とは、ヨブ記の最後の部分がないような理解不能に近い話ですが、現実社会で起こっていることです。
2025年09月11日
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モーセがシナイ半島で出会って、ユダヤ人と契約したのが地方神ヤハウェだというのです。だがその後ユダ ヤは多神教に戻り、国を失ったバビロンの捕囚の時に、モーセの神ヤハウェが再び選び取られたのです。このようなことがなぜ起こったのか。また、一神教三兄弟のイスラームは、ギリシャ思想を西欧に伝える結果となったという大きな役割を果たしていますが、近代科学には結びついていないのはなぜでしょう。そして、よく言われるユダヤ人の科学者、数学者、経済学者などによる人類への貢献はどうして可能だったのでしょうか。そのような職業しか出来ないという差別から来ているのか。それとも宗教上の何かが、思弁的理論に向いているのか。知りたいことはたくさんあります。多神教世界の日本人にも、ほんの少しかもしれないが、一神教の歴史に関して仮想体験的な思考実験が、ほんの少しかもしれないが、出来るでしょう。しかし、日本人としては、たぶん全く理解不能な事があります。それはヨブ記やカルヴァニストの勤勉などのことです。ヨブ記をはじめとする事どもが、科学の思考とどう関係しているのかは、今の段階では一概に主張できませんが、これからの重要な研究課題です。
2025年09月10日
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西欧とはもちろんプロテスタントとカトリックという、大きく言えばローマ教会に発する流れのキリスト教世界です(東欧からロシアの辺りはギリシャ正教会に発する流れでありかなり異なります)。一神教が科学の思考の生みの親と言われます。唯一神を信仰するのだから統一的普遍法則を発見したがります。多神教世界では、出来事ごとに別の神に祈り、うまくいかなかったら別の神に鞍替えしても良い。何事にも原因があるというのは、全ては神の意思で生起することだからです。キリスト教の元であるユダヤ教の神ヤハウェはユダヤ人固有の神ではありません。フロイトによれば、エジプトで革命的一神教を創始したファラオ、アクエンアテン(アテン神をあがめるもの)の時代の出来事が旧約聖 書のモーセの事跡に反映していて、アクエンアテンの死(暗殺)後、エジプトが元の多神教の神アメン神に戻った とき、エジプトを脱出した一神教徒の指導者がモーセだと いいます。
2025年09月09日
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このように、もう一つの科学はいろいろありましたが、それらが現実生活に役立つか、すなわち実用的技術の基礎となり得たかは、これからの研究に待たねばなりません。我々日本人としては、日本人の精神世界が近代西欧科学的世界観と相容れるかどうかを知りたいのです。構造主義文化人類学者レヴィ=ストロースのいう野生の思考(カイエ・ソヴ ァージュ。未開人のそれなりに合理的な世界理解)も未開人が生きる上で役に立ったものでした。日本人の多神教的、アニミズム的な、そして言葉がそれ自身動き回るような世界観の占める立場も、カイエ・ソヴァージュと同じようなある有効な役割を果たしているのでしょうか。
2025年09月08日
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これらの、もう一つの科学と近代西欧科学には、何かの区別できる違いはあるでしょうが、それは本当に実感できる ものでしょうか。もっと近くでは、1970 年頃のニュー・エイジ・サイエ ンスがあります。老荘思想や仏教に影響され、ベトナム反戦運動とも共鳴し合ったものでしたが、魅了された人は多かったし現在でもいると思います。東洋医学自身ももう一つの科学といえるかもしれません。量子力学建設の大立て者シュレディンガーも、古代インドのヴェーダンタ哲学に影響された心の哲学を主張していました。正統派西欧科学の枠内では、20 世紀後半にマンデルブローのフラクタル理論、トムのカタストロフィー理論、カ オスに関する諸研究など、要素還元論、決定論に反省を迫った事があったといえます。
2025年09月05日
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科学の思考とはどのようなものなのか、そして西欧の文化に固有なのでしょうか。近代西欧科学の欲望についてはすでに述べましたが、それとは違う「もう一つの科学」がたくさんあります。有名なのはロマン主義科学というべき、文豪ゲーテの色彩論です。ニュートンの色彩論に対して、それとは異なる色彩世界理解の道を主張しています。20世紀に入ってから始まりその世紀のうちに終わったソ連では、推奨される物理学も西側とは異なった特殊なものです。また生物学ではその時点での遺伝学を否定し、多くの生物学者が粛正されたルイセンコ事件に現れているように、あり得ない理論がイデオ ロギーに伴い権勢を振るいました。ドイツではナチが、実証的アーリア物理学、思弁的ユダヤ物理学を峻別して、その結 果(だけではないが)多くの物理学者が英米に亡命しました。
2025年09月04日
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経済、王権、宗教、労働・生活時間、居住地域などいろいろな面で棲み分けがされていた所で科学は生まれました。要素還元論との結びつきが示唆されます。以上の他にもいろいろな要因がいわれますが、それらは相関を示しているのにすぎないわけで、「科学と何々の因果関係」を、メカニズムから究明しているわけではありません。それはつまり、ホットケーキを焼いてみた経験など無いのに、ホットケーキを焼く手順、味や食感の善し悪しの評判、材料と味についての評判、値段の関係、などなどについて 詳細に論じている文明評論家のようなものである。我々はもちろんまだ解明されていないそのようなことどもを知りたい。しかし、もっと知りたいのは、実際に食べてみたホットケーキの味のうっとり感であるとか、焼く手の技の体感であるとか、どうして本人の感覚として料理人を志すのかということなのです。科学の場合でいえば、それは一神教 の思考という文化と密接であると思われます。
2025年09月03日
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封建制と戦争が科学のインセンティブです。工夫や改良して良い生活が出来るのでなければ研究しようという意欲が生まれません。戦争はその機会を与えます。封建制ではない中央集権的帝国では、命令されずとも改良しようということにはなりません。宗教界の権威と世俗の権威の並立するところが科学の揺籃地で、同じ西欧(の辺境)であってもロシア帝国には 科学は生まれませんでした。東ローマ帝国(ビザンティン) の後継者を自認しますが、皇帝権が宗教的権威を従えて しまっています。西欧では、ローマ教会と国王たちは並立しています。フランク王国の末裔の西欧はイングランドを除くと、フランク王国の後継 国である、フランス、ドイツ、イタリアです。実質上そこで科学は生まれました。シャルルマーニュの統治 法がその後の西欧の歴史に(科学の精神にも)甚大な 影響を与えています。
2025年09月02日
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貨幣経済が村落の中に入り込んでくる、市場が身近に成立しているようなところで、科学も資本主義も成立しました。もちろん、プロテスタントの勤勉ということも共通です。一神教の精神性が科学を生む 統一的一者による支配。原理原則の優越。また大西洋三角貿易などによる経済力も、科学研究の資力となるが、むしろ資本主義で生きていこうとする精神性と科学探究の精神性が並行的です。ヘレニズムはイデアに実在を感じます。ヘブライズムは ロゴス優越の合理主義です。ヘレニズムとヘブライズムの融合から科学が生まれました。しかし、イスラームは科学を保存したが、近代科学には結実しませんでした。一方、ユダヤ教は科学との関係が特殊です。
2025年09月01日
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