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その九月一五日が平壌総攻撃の日でした。包囲に気づいた清国軍は戦意がなく、その日のうちに白旗をかかげたので日本軍は翌一六日、やすやすと入城、占領します。その翌日、九月一七日、黄海海戟が行われました。日本の連合艦隊が清国の誇る北洋艦隊に正面から戦をいどみ、艦を撃沈し、定遠、鎮遠などの精鋭艦にも大損害を与えました。平壌占領と黄海海戟で、日本有利の体制ができあがると、これ以後戟争は、朝鮮を離れて清国領に入っていきます。第一軍は一〇月下旬に鴨緑江を越え、同じころ、新たに編成された大山巌大将の第二軍は、遼東半島の花園口に上陸し、一一月六日には金州を、一日には旅順口を占領しました。はじめての本格的な対外戦争とうち続く勝利に、国民は狂喜した。「シナ」が軽蔑の意味をこめて使われるようになるのはこのときに始まります。
2026年02月27日
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実際の戟争は、海の方で一足先に始まりました。七月二五日の朝、仁川に向かう日本軍艦と清国増援兵輸送の護衛に向う清国軍艦とが豊島沖で遭遇し、砲撃を交したからです。それに続いて七月二九日、陸軍が成歓を占領、続いて三〇日に牙山を占領しました。八月一日の宣戦布告のあとは、陸軍の戦線は北へ向います。清国が一万余の増援兵を北から送りこみ、平壌を占拠して保塁を築いたので、日本は山県有朋を司令官とする第一軍を編成し、平壌をめざして進撃させました。そのかたわら、九月八日には、大本営を広島に移すことを決定し、九月一五日には、天皇も広島に到着します。
2026年02月26日
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1894年、朝鮮で東学の信徒を中心に減税と排日を要求する農民の反乱(甲午農民戦争)が起きると、清国は朝鮮政府の要請を受けて出兵しました。わが国も天津条約に従って朝鮮に出兵しました。東学党の乱を鎮圧するため清国軍隊の派遣を要請した朝鮮政府は、一〇年前の日清間の天津条約のことまでは思いが及ばなかったのです。日本の派兵を聞いてびっくりし、清国軍に注文をつけて日本軍を牽制しました。開戟を強く望んでいた日本は、朝鮮政府に次々に難題をふっかけました。なにしろ六月五日、戟争のための大本営を設けてしまっているのです。本国からの強い指示で、出先機関と軍隊は、とうとう七月二三日、王宮を占領、大院君を引っばりだして親日政権をつくります。その政権に清国軍撤退命令を出させ、それを口実に清国軍との戦争を始めようという作戟です。大院君は、七月二五日、清との宗属関係破棄を宣言し、牙山の清国軍を撤退させるよう日本の大鳥公使に依頼しました。これで戦争の口実はできました。
2026年02月24日
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現在の戦略を考えた場合に、わが国は隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はありません。むしろ、その仲間から脱出し、西洋の文明国と進退をともにし、その支那、朝鮮に接する方法も、隣国だからと特別の配慮をすることなく、まさに西洋人がこれに接するように処置すべきなのです。悪友と親しく交わる者も、また悪名を免れません。我々は心の中で、東アジアの悪友を謝絶すべきす。
2026年02月23日
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例えば、支那、朝鮮の政府が昔どおり専制で、法律は信頼できなければ、西洋の人は、日本もまた無法律の国かと疑うだろう。支那、朝鮮の人が迷信深く、科学の何かを知らなければ、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思うに違いない。支那人が卑屈で恥を知らなければ、日本人の義侠もその影に隠れ、朝鮮国に残酷な刑罰があれば、日本人もまた無情と推量されてしまうのです。事例をかぞえれば、枚挙にいとまがない。喩えるならば、軒を並べたある村や町内の者たちが、愚かで無法、しかも残忍で無情なときは、たまたまその町村内の、ある家の人が正当に振るまおうと注意しても、他人の悪行に隠れて埋没するようなものです。その影響が現実にあらわれ、間接にわが外交上の障害となっていることは実に少なくなく、わが日本国の一大不幸というべきです。
2026年02月20日
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支那・朝鮮の二国をみれば、今の文明東進の情勢の中にあっては、とても独立を維持する道はない。幸い国の中に志士が現れ、国の開明進歩の手始めに、われらの明治維新のような政府の大改革を企て、政治を改めるとともに人心を一新するような活動があれば、それはまた別である。もしそうならない場合は、今より数年たたぬうちに亡国となり、その国土は世界の文明諸国に分割されることは、一点の疑いもない。なぜならば、麻疹と同じ文明開化の流行に遭いながら、支那・朝鮮の両国は伝染の自然法則に背き、無理にこれを避けようとして室内に閉じこもり、空気の流通を遮断して、窒息しているからだ。「輔車唇歯」とは隣国が相互に援助しあう喩えであるが、今の支那・朝鮮はわが日本のために髪一本ほどの役にも立たない。のみならず、西洋文明人の眼から見れば、三国が地理的に近接しているため、時には三国を同一視し、支那・韓国の朝鮮で、わが日本を判断するということもありえます。
2026年02月17日
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日本の国土はアジアの東端に位置しますが、国民の精神は既にアジアの旧習を脱し、西洋の文明に移っています。しかし不幸なのは、支那、朝鮮という隣国があることです。この二国の人民も古来、アジア流の政治・宗教・風俗に養われてきたことは、わが日本国民と異なりません。だが人種の由来が特別なのか、または同様の政治・宗教・風俗のなかにいながら、遺伝した教育に違うものがあるためか、日・支・韓の三国を並べれば、日本と異なり支那・韓国はよほど似ています。この二国は、自分の身の上についても、また自分の国に関しても、改革や進歩の道を知りません。交通便利な世の中にあっては、文明の物ごとを見聞きしないわけではないが、その見聞は心を動かすことにならず、古くさい慣習にしがみつくありさまは、百千年の昔とおなじです。現在の、文明日に日に新たな活劇の場に、教育を論じれば儒教主義といい、学校で教えるべきは仁義礼智といい、一から十まで外見の虚飾ばかりにこだわり、真理や原則をわきまえません。そればかりか、道徳さえ地を掃いたように消えはてて残酷破廉恥を極め、なお傲然として自省の念を持ちません。
2026年02月16日
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近代西洋文明が日本に入ったのは、嘉永の開国が発端です。国民はそれを採用するべきことを知り、しだいに活発の気風が生じたものの、進歩の道に横たわる老害の幕府がありました。幕府を保存しようとすると、文明は決して入ってくることができません。なぜかといえば近代文明は日本の旧体制と両立するものではなく、旧体制を改革すれば、同時に幕府も滅亡してしまうからです。だからといって、文明をふせいでその侵入を止めようとすれば、日本国の独立は維持できません。世界文明の慌しい情勢は、東洋の孤島の眠りを許すものではなかったからです。ここにおいて、わが日本の人士は、国を重く、幕府を軽いとする大義に基づき、また、神聖なる皇室の尊厳によって、断固として旧幕府を倒し、新政府を立てました。政府も民間も区別なく、国中が万事、西洋近代文明を採り、ただ日本の旧法を改革したばかりではありません。アジア全域の中にあって、一つの新機軸を確立し、主義とするのはただ、脱亜にあります。
2026年02月13日
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世界中の現状を観察し、文明の東漸への抵抗が不可能なことを知る者は、世の移りにあわせ、共に文明の海に浮き沈み、文明の波に乗り、文明の苦楽をともにする以外にはないのです。文明とは全く、麻疹はしかの流行のようなものです。目下、東京の麻疹は西国の長崎地方より東に進み、春の暖気と共に次第に蔓延するもののようです。この時、流行病の害をにくみ、これを防ごうとするにしても、その手段はありません。有害一辺倒の流行病も、その勢いにはなお抵抗できません。いわんや利益と害悪がともない、常に利益の多い文明はなおさらです。これを防がないばかりではなく、つとめてその普及を助け、国民を早くその気風に染ませるのが知識人の課題です。
2026年02月12日
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1885年、福沢諭吉は「脱亜論」を発表し、アジアを脱して欧米列強の一員となるべきこと、清国・朝鮮に対しては武力をもって対処すべきこと、を主張しました。これにより日本と清国との間は次第に緊張が高まることになりました。世界の交通の道は便利になり、西洋文明の風は東に進み、至るところ、草も木もこの風になびかないことはない。西洋の人物は古代と現在に大した違いはないのだが、活動が古代は遅鈍、今は活発なのは、ただ交通の機関を利用し、勢いに乗じるがためです。ゆえに最近、東洋に国がある民のために考えると、この文明が東に進んでくる勢いに抵抗して、これを防ぎきる覚悟であれば、それもよいと思えます。
2026年02月06日
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冷戦終焉後のこのような周辺諸国の日本に対する敵対的な行動を眺めて、日本は国家概念覚醒の時代に入るかと思いきや、事態は逆の方向に進んでいます。「ポストモダニズム」という蒙昧なる思想が日本の知識人の頑に棲み着いてしまったのです。現代はヒト、モノ、カネ、情報、技術が国境なきがごとくに行き交うグローバリゼーションの時代です。旧来の国民国家という空間(領土)も国民国家が紡いできた時間(歴史)もその意味を失いつつあり、つまりは空間的、時間的な「境界」概念が希薄化してきました。問題は、ポストモダニストがこの事実を「善きもの」と捉え、覇権国家体制や国民国家体系の「無効化」が新しいアイデンティティの確立にとって不可欠だと考えていることにあります。
2026年02月05日
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完全な平和を維持できた理由の一部は偶然ですが、理由の大半は日本が日米同盟の一方的な受益者であったことです。六〇年余の平和の中で日本は再び国家概念を希薄化させました。皮肉なことに、冷戦終焉は日本を「敵対国」とする周辺諸国の攻勢をにわかに活発化させました。中国の「歴史認識問題」による対日糾弾、潜水艦の領海侵犯、日中中間線近傍のガス田開発での挑戦的行動は誰の目にも明らかです。中国は空前の軍事力増強の真っ直中にあり、日本国内の米軍基地や大都市を標的とする弾道ミサイルはすでに数十基に及び、空母の南シナ海配備もされました。韓国における「親日・反民族行為真相糾明特別法」の成立と施行、竹島問題をめぐる対日非難、その一方での北朝鮮融和姿勢はいかにも異様です。この状況の中で韓国では半島有事の際の軍事指揮権が米軍から韓国軍に移管されました。米韓同盟の脆弱化です。北朝鮮のミサイル連続発射実験、核実験の敢行。現在の極東アジア地政学は開国維新から日清・日露戦争開戦前夜の明治のあの頃に「先祖返り」したかと思わせるほどに酷似してきました。
2026年02月04日
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日本は巨大なユーラシア大陸の東端に位置し、波高い対馬海流に守られ、古来、中華帝国、ロシア帝国の侵略を受けることの少ない「海洋の共同体」でした。日本において国家概念が希薄なのは、孤立した島国の中で長らく平和を維持してきたという、はるか遠い昔から刷り込まれてきた民族遺伝子のなせるわざです。日本が国家たりえたのは古代律令国家と明治国家の二つだけでした。律令国家は唐・新羅連合軍との本土決戦を想定して建設され、明治国家は日清・日露戦争にいたる緊迫の極東アジア地政学の中から生まれました。開国維新の時代に淵源をもつ国家の観念は第二次世界大戦の敗戦にいたるまで持続しました。第二次大戦の後、日米同盟が結ばれました。自衛隊という大兵力を擁しながら海外への軍事出動はなく、日本の兵士を一人たりとも失わず、外国の兵士を一人たりとも殺害することのなかったほどの完全な平和を六〇年余にわたり享受しえた国が日本以外のどこかにあったでしょう。
2026年02月03日
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新警察制度創設の中心人物の川路利良は、明治五年九月、欧州に旅行して各国の警察制度を調査し、六年九月、帰国して意見書を政府にだしたが、その冒頭にいわく「夫レ警察ハ国家平常ノ治療ナリ、人ノ養生ニ於ケルガ如シ。是ヲ以テ能ク良民ヲ保護シ内国ノ気力ヲ養ウ者ナリ。故ニ古ヨリ帝権ヲ盛ンニシ版図ヲ広メント欲スルモノハ、必ズ先ズココニ注意セリ。一世『ナポレオン』是ナリ。方今『プロイセン』ノ四方ヲ切り従ユ威武ヲ世界ニ蹄カセシモ、警察ヲ以テ能ク内外ヲ治メ、常ニヨク外国ノ事情ヲ探レリ。故ニ『フランス』ノ我国モ終ニ破ラレタリ。然レバ国ヲ強クシ海外二接スル必ズ先ズ此ノ設ケナカルべカラズ」と。かれは欧州各国の例にならい、司法と行政の両種を分かち、内務省を設け、内務卿が全国の行政警察の長となり、首都の警察は内務省直轄とし、各府県の警察は府県長官の指揮下に置き、司法警察は司法卿が全国の長となり、その指揮のもとに各裁判所の検事が管内の司法警察権を行なうようにすべきであるとしました。
2026年02月02日
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