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Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
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Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2015.09.06
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『精神科治療の覚書 』 と同じく、中井久夫氏による一冊。
 2005年6月から2006年10月まで、兵庫県の 有馬病院 で行われた
 「医師・看護師合同研修会」での講義内容をまとめたもの。
 なので、かなり専門的かつ実践的内容です。

 しかし、そこがなかなか面白い。
 中井氏は、統合失調症(精神分裂病)の治療法を専門分野とする精神科医で、
 日本の精神病理学第2世代を代表する人物。 


   ***

  まず、精神科受診の体験が初めての場合です。
  そのときの患者さんは、あんがい自分は平気だ、大丈夫だ、普通だと思っています。
  したがって私が患者さんに最初に出す情報は、
  「あなたは一生に何度かしかない、とても重要なときにいると私は判断する」
  ということです。
  これにはうなずく方が多かったですね。(p.009)

確かに、自分自身では、そんなに重要なポイントにいることに、
気が付いていないことが多いのだろうと思います。
そのことを確認しておくか、確認しないまま通り過ぎてしまうのかとでは、
その後の展開は、ずいぶん変わってくるであろうことは、容易に想像がつきます。


  私は、予後については「医療と家族とあなたとの三者の呼吸が合うかどうかによって
  これからどうなるかは大いに変わる」ということだけ申します。
  つまり「幅がある」「可塑性がある」「変わりうる」ということです。
  まず私は医者としてはへりくだります。安請け合いはしません。
  たとえば「私が間違ったら、治るものも治らないからね」というふうに表現します。

  「治るものも治らない」という言い方をします。(p.010)

この「希望を処方する」というのは、とても大切なことだと思います。
それは、精神科だけに限らず、他のどの科においても同じですね。

  これについて思いあわせるのは重役室や教授室に置いてあるソファです。
  かならずホスト側は両ひじ掛けのある椅子が二つ並んでおり、
  ゲスト側は長椅子で三人座るようになっています。
  ひじ掛けの有無、やわらかさの違いもさることながら、
  三人かけのまん中に座る人は、左右の人の微妙な動きに対して
  たえず微調整をしなければなりません。
  そのため議論は必ずホスト側が勝つ。(p.095)

これは、三ベッドの中央のベッドの人が治りが悪い、
それは、左右両方のベッドの人に対して気遣いしなければならない、
あるいは両方のベッドから苦情を受けるからという話から展開した言葉ですが、
「なるほどなぁ」と感心させられました。

  私はがんの手術をしてから三年になりますが、
  「まだ去年はがんの影響があった」ということは、
  今年になってみないとわからないですね。(中略)
  異常はそこを抜け出してから振り返らないとわからないんです。
  「あれは、がんの影響だったなあ」というように。
  軽いうつなんかも、きっとそうでしょう。(p.131)

これは、実感としてよく分かります。
たしかに、その時には分からないことで、
そこを抜け出して、振り返った時に、初めて気付くことが出来るものです。
一年後の自分は、今の自分をどのように分析するのかな?

  繰り返しますが、患者が医者に多くを与えた場合、
  その患者の長期予後はよくない。
  それはブランケンブルクのアンネの症例を例に出すまでもないでしょう。(中略)
  すごく精密に病状を教えてくれると私はどうしてもそれをノートしてしまうし、
  膝を乗り出して聴くのでしょう。患者のほうもそれに応えてくれる。
  しかしそういうことを中心にしますと、
  患者の人生はだんだん病気中心になってしまいます。病的体験中心の人生になる。
  医者も、患者すらそれを正しいことだと思ってしまうし、家族だってそう思うのですね。
  だからこれを修正するのはとてもむずかしいことです。
  むずかしいことですけれども、ぜひとも直さなければいけません。(p.135)

これは、本著の中でも特に私の心に響いた部分です。
凄いなと思いました。

  山を下りるというのは山登りよりもエネルギーが必要なのです。
  そして上ったときの疲労は残っているし、
  目的を果たした、あるいは果たしそこなったという目的喪失がある。
  山岳事故は下山のほうが圧倒的に多いのです。(中略)
  回復にはいろいろな段階があります。
  山の山頂は精神運動性興奮状態。コントロールができない状態です。(中略)
  じつはいちばん上の精神運動性興奮の時期が、
  エネルギーがもっとも低い時期じゃないかと私は思います。
  まとまった行動ができなくて、ただ興奮するというのは、
  まとめるエネルギーがないというか要らないということです。
  自分の”知情意”をまとめていく回復途中のほうが大きなエネルギーが必要なんですね。
  それに比べれば、そのへんの物を壊すようなエネルギーはたいしたことないと思いませんか。
  (p.146)

これも、とても興味深い指摘でした。
エネルギーがないから、暴れることしかできないということなんですね。

  よくみると皆にかわいそうと言われ、憐れまれ、やっかい扱いさえされている患者さんが、
  じつは家族がバラバラになることを防ぐ
  キーパーソンの役を演じていることが少なくありません。
  そして当の患者さんは、そのことを重々知っていることが少なくないのです。
  「だから安心して治れない」と。
  自分が病気であるあいだは両親が離婚しないと考えて
  耐えている患者は決して少なくありません。

これは、目から鱗でした。
よく考えてみると、確かに思い当たるケースが、あちこちに……。





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Last updated  2021.02.21 09:47:32 コメントを書く


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