ビル・クリントンが大統領だった当時、彼の特別顧問を務めていたマーク・ミドルトンが5月7日に死亡したという。アーカンソー州の農園で首を吊っていたのだが、その胸にはショットガンによる傷があったとされている。
この出来事が注目されているのは、ミドルトンがクリントンとジェフリー・エプスティーンを結びつけるキーパーソンだと考えられているからだ。エプスティーンはクリントン政権時代、ホワイトハウスを17回訪問しているが、そのうち7回以上をミドルトンが招待しているとされている。エプスティーンは未成年者を世界の有力者に提供し、寝室などでの行為を映像などで記録して脅しに使っていたと言われている。
フランスでモデル事務所を経営、多くのモデルを発掘したというジャン-リュック・ブルネルが2月19日にラ・サンテ刑務所で「自殺」した。この人物はニューヨーク、マイアミ、テル・アビブに事務所を持ち、エプスティーンから融資を受けていたという。
世界がCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動で混乱し、アメリカがロシアや中国との緊張を高める直前2019年7月6日にエプスティーンは逮捕され、8月10日に「メトロポリタン矯正センター」で死亡している。常識的に考えると、彼に弱みを握られている人びとの意向を受けてのことだろうが、証拠を全て回収できたかどうかは不明だ。
エプスティーンは首吊り自殺したとされているが、彼が死んだ房のシーツは紙のように弱く、首をつることは困難だという人もいる。しかも死の前日に同房者はほかへ移動、問題の瞬間における監視カメラの映像は利用できない状態で、エプスティーンが死んだ時に担当の看守ふたりは過労で居眠りしていたのだとされていた。エプスティーンのパートナーだったギスレイン・マクスウェルは2020年7月2日に逮捕され、裁判が続いている。
ジェフリーとギスレインが知り合ったのは1990年代の前半だとされているが、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経験のあるアリ・ベンメナシェによると、ふたりは1980年代の後半から知り合いだったとしている。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)
このふたりが行っていたことが問題になったのは、有力者へ提供されたするバージニア・ゲファーの告発があったからである。そのゲファーに対し、 連邦判事のロレッタ・プレスカは証拠を「破壊」するように命じた 。事実を明らかにするなということになる。
有力者とは巨大資本の利益に関わる政策を決める立場にある人びと。ドナルド・トランプ、ビル・クリントン、アンドリュー王子、ビル・ゲイツといった名前がエプスティーンの「友人」として名前が上がっているが、「顧客リスト」は明らかにされていない。
しかし、全くわかっていないとも言えない。2009年にエプシュタインの自宅から少なからぬ有名人(顧客)の連絡先が書かれた「黒い手帳」をある人物が持ち出し、手帳を5万ドルで売ろうとしたのだ。その時にエプスティーンが行っていた「ビジネス」に関する情報の一部が漏れている。ビル・ゲイツがエプスティーンと親しくなるのはその2年後だ。
未成年の男女を有力者へ提供したとしてエプスティーンは以前にも逮捕されたことがあった。2005年3月にフロリダの警察を訪れた女性が14歳になる義理の娘のエプスティーンによる不適切な行為について訴え、13カ月にわたって捜査、家宅捜索も行われている。
その時に事件を担当した地方検事がトランプ政権で労働長官を務めたアレキサンダー・アコスタである。アコスタによると、その時にエプスティーンは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたとしている。
この「情報機関」をイスラエルの情報機関「モサド」だと解釈する人が多いようだが、アリ・ベンメナシェによると、エプスティーンとギスレイン、そしてギスレインの父親でミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルの3名はいずれもイスラエル軍の情報機関(アマン)に所属していた。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)
結局、エプスティーインは有罪を認め、懲役18カ月の判決を受けた。通常、こうした犯罪では州刑務所へ入れられるのだが、エプスティーンはパーム・ビーチ郡の収容施設に入れられている。軽い刑だと言えるだろうが、2019年のケースは違う。ネオコンとイスラエルとの間に亀裂が入ったのかもしれない。
エプスティーンが逮捕されて間もない 2019年7月31日、ニューヨーク・タイムズ紙は彼がニューメキシコの牧場で自分のDNAによって複数の女性を妊娠させる計画を持っていたと伝えた 。著名な科学者をエプスティーンが招待していることから、優生学的な実験を行おうとしていたのではないかとも言われている。
5月31日にはコロンビア特別区(ワシントンDC)連邦地裁で陪審員はマイケル・サスマンに無罪の評決を出した。サスマンは2016年のアメリカ大統領選挙でヒラリー・クリントン陣営に参加していた弁護士で、虚偽の情報をFBIに伝えたとされていた。
この争いの核には「スティール文書」がある。クリストファー・スティールが作成した文書で、ドナルド・トランプとロシア政府に関する話が書かれていたのだが、問題は中身が事実でなかったことにある。スティールはMI6(イギリスの対外情報機関)の元オフィサーで、1990年から93年までMI6のオフィサーとしてモスクワで活動していた。
2016年の選挙キャンペーン中、ヒラリー・クリントン陣営やDNC(民主党全国委員会)の法律顧問を務めていたマーク・エリアス弁護士がフュージョンという会社にドナルド・トランプに関する調査を依頼、同社は2016年秋にネリー・オーなる人物にドナルド・トランプの調査と分析を依頼した。その夫、ブルース・オーは司法省の幹部だったが、その直後にブルースは司法省のポストを失い、フュージョンはクリストファー・スティールに調査を依頼することになった。(The Daily Caller, December 12, 2017)
スティールの作成した報告書は噂を集めた代物で、根拠が薄弱なことはのちに本人も認めている。事実がひとかけらもないと言う人もいるほどだ。その怪しげな報告書に基づいて2017年3月に下院情報委員会でロシア疑惑劇の開幕を宣言したのがアダム・シッフ下院議員。そして同年5月にロバート・マラーが特別検察官に任命された。
マラーは2001年9月4日から13年9月4日かけてFBI長官を務めたが、長官就任から1週間後にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されている。この攻撃では詳しい調査が実施されていないため、事件の真相を隠蔽したとマラーを批判する人もいる。
このスティール文書を受け取った民主党はFBIへ携帯電話のメールで連絡する。その担当者がサスマン。つまりサスマンはクリントン陣営の代表としてFBIに接触した。そこから「ロシアゲート」は水面下で始まる。
その時点で民主党は困った問題を抱えていた。2016年7月にウィキリークスがヒラリー・クリントンの電子メールを公表、その中に2015年5月26日の段階で民主党の幹部たちがヒラリー・クリントンを同党の候補者にすることを内定していたことを示唆するものが含まれていたのだ。
民主党がクリントンを候補者に選ぶ方向で動いていたことはDNCの委員長だった ドンナ・ブラジルも認めている 。彼女はウィキリークスが公表した電子メールの内容を確認するために文書類を調査、DNC、ヒラリー勝利基金、アメリカのためのヒラリーという3者の間で結ばれた資金募集に関する合意を示す書類を発見したという。
その書類にはヒラリーが民主党のファイナンス、戦略、そして全ての調達資金を管理することが定められていた。その合意は彼女が指名を受ける1年程前の2015年8月になされている。
公表された電子メールは内容だけでなく、ヒラリー・クリントンが機密情報の取り扱いに関する法規に違反している疑いを生じさせた。捜査の結果、彼女は公務の通信に個人用の電子メールを使い、3万2000件近い電子メールを削除していることをFBIはつかむ。ジェームズ・コミー長官は彼女が機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性を指摘、情報を「きわめて軽率(Extremely Careless)」に扱っていたと発表した。
この「きわめて軽率」は元々「非常に怠慢(Grossly Negligent)」だと表現されていたのだが、それをFBIのピーター・ストルゾクは書き換えさせられていた。後者の表現は罰金、あるいは10年以下の懲役が科せられる行為について使われるという。
コミーがヒラリー・クリントンの電子メールに関する声明を発表した5日後、DNCのスタッフだったセス・リッチが背中を撃たれて死亡している。警察は強盗にあったと発表したが、金目のものは盗まれていない。その発表に納得できなかったリッチの両親は元殺人課刑事の私立探偵リッチ・ウィーラーを雇った。
ウィーラーはDNC幹部の間で2015年1月から16年5月までの期間にやり取りされた4万4053通の電子メールと1万7761通の添付ファイルがセスからウィキリークスへ渡されたとしている。
ちなみに、ウィキリークスの創設者であるジュリアン・アッサンジは2012年8月からロンドンにあるエクアドル大使館に閉じ込められる形になる。そして2019年4月11日、イギリスの警察はエクアドル大使館へ乗り込んでアッサンジを逮捕、イギリス版のグアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所へ入れた。
ビル・クリントンはジョージタウン大学時代の1968年にローズ奨学生としてイギリスのオックスフォード大学へ留学、反戦運動にも参加したという。1969年にはモスクワを訪問している。
一見「左翼」だが、CIAの高官だったコード・メイヤーはクリントンがオックスフォードで学び始めた最初の週にCIAは彼をリクルートしたと語っている。ジョージタウン大学でCIAとの関係ができた可能性もあるのだが、それはともかく、モスクワ訪問の目的はフルシチョフの回想録を入手することにあったという。(Jeremy Kuzmorov, “There is Absolutely No Reason in the World to Believe That Bill Clinton Is a CIA Asset,” CovertAction Magazine, January 3, 2022)
しかし、ビルより怪しげなのはヒラリー。マデリーン・オルブライトやビクトリア・ヌランドといった好戦派と親しく、本人も戦争ビジネスをスポンサーにしてきた。そのヒラリーの友人で1993年に大統領副上級顧問に就任したビンス・フォスターは同年7月20日に自殺している。