ポーランド北部のコルゼニェボ近くに約2万人のNATO軍兵士が集結し、軍事演習「ドラゴン-24(DR-24)」を実施した。参加国はポーランド、フランス、ドイツ、リトアニア、スロベニア、スペイン、トルコ、イギリス、そしてアメリカだ。
NATOは「ステッドファスト・ディフェンダー-24(STDE-24)」と名付けられた約9万人が参加する一連の演習を実施しているが、DR-24はそれに含まれる。ロシアからの攻撃に備えての演習だとしているが、NATOの東への拡大(新バルバロッサ作戦)、そしてウクライナにおけるクーデターという流れはNATOの攻撃的な意思を示している。
RTのマルガリータ・シモニャン編集長は3月1日、ドイツ空軍のインゴ・ゲルハルツ総監や作戦担当参謀次長のフランク・グレーフェ准将を含む軍幹部4名がリモート会議している音声を公表した
話し合いは38分に及び、その内容からウクライナでNATO軍の兵士が活動していることも確認された。すでにNATO軍はロシア軍と戦争しているということであり、STDE-24は防衛が目的だという弁明に説得力はない。攻撃の準備、あるいは威嚇だ。
長距離ミサイルを供給し、NATO軍をウクライナへ入れることはビクトリア・ヌランド国務次官が1年ほど前から要求していた。イスラエル軍によるガザでの住民虐殺はイラン攻撃を実現するチャンスだとも彼女は考えていた。そのヌランドをアントニー・ブリンケン国務長官は解任した。
ヌランドは一時、国務副長官の候補者として名前が挙がっていたが、実際にはカート・キャンベルが2月12日に就任した。ネオコンが1992年2月、国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で作成した世界制覇プラン(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)に基づき、日本は1995年にアメリカの戦争マシーンへ組み込まれたが、その際、キャンベルは重要な役割を果たしている。このドクトリンではドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れ、「新たなライバル」の出現を阻止するべきだとしていた。
アメリカの戦争マシーンに組み込まれることを嫌がった細川護熙政権は国連中心主義を打ち出して抵抗、怒ったネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはキャンベルを介して国防次官補のジョセイフ・ナイに接触、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。
このレポートを日本に実行させる上で重要な出来事が1994年から95年にかけて続く。例えば1994年6月の松本サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件、その直後には警察庁長官だった國松孝次の狙撃だ。8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われるスターズ・アンド・ストライプ紙が日本航空123便に関する記事を掲載、その中で自衛隊の責任を示唆している。
1995年には日本の金融界に激震が走った。大和銀行ニューヨーク支店で巨額損失が発覚、98年には長銀事件と続き、証券界のスキャンダルも表面化した。証券界は日本経済の資金を回すモーター的な役割を果たしていた。つまり証券界のスキャンダルの背後には大蔵省(現在の財務省)が存在していた。大蔵省を中心とする日本の経済が揺さぶられたとも言えるだろう。
その後、日本はアメリカに従属する軍事国家へと突き進み、韓国とも軍事的なつながりを強め、台湾やフィリピンとも連携しつつあるが、こうした動きに対抗、中国やロシアは朝鮮とのつながりを強化、アメリカやその属国からの揺さぶりは効果がないようだ。