これまでもイスラエル政府はパレスチナ人を不当に拘束、拷問してきた。ハマスをはじめとするパレスチナ系武装グループが10月7日にイスラエルを攻撃してからも少なからぬパレスチナ人を拉致しているが、イスラエルの新聞ハーレツによると、 スデ・テイマンやアナトットの軍事施設で拘束されていた27人が殺された という。
拘束された人びとが長時間にわたって手錠をかけられていることは保釈された人の手首などに残る傷跡などで明確になっている。 UNRWA(国連難民救済事業機関)の報告書 によると、ガザに解放された被拘禁者は殴打され、衣服を剥ぎ取られ、性的暴行を受け、医師や弁護士への面会も妨げられたという。ナチスの強制収容所を彷彿させることがイスラエル軍によって行われているのだ。
勿論、イスラエル軍は収容施設の外でパレスチナ住民を虐殺し続けている。殺された住民の数はすでに3万数千人と言われ、そのうち約4割が子ども、女性を含めると約7割に達し、その中には約300人の医療従事者も含まれている。現地の状況を取材しているジャーナリストも狙われている。
ガザでは病院が包囲され、爆撃で破壊され、36病院のうち「部分的に機能」しているのは11病院のみ。「戦争の巻き添え」で子どもや女性が殺されているのではなく、イスラエル軍は意図的に子どもや女性を殺している。
ハマスが10月7日にイスラエルを攻撃した直後、「ハマスが赤ん坊の首を切った」というすぐ嘘だと発覚するような作り話には飛びつき、扇情的に伝えた西側の有力メディアだが、現実の悲惨な状況をきちんと報道しているとは思えない。「パレスチナ人は残虐だ」、「イスラエル人は人道的だ」というストーリーに合う材料を彼らは探しているだけであり、そのイメージを広げることには成功した。
そのイメージを利用してイスラエル軍はパレスチナ人を虐殺しているのだが、そうした残虐行為を可能にしているのはアメリカやイギリスをはじめとする西側諸国に他ならない。
そもそもイスラエルはイギリス支配層の戦略に基づいてシオニストによって作られ、アメリカを後ろ盾としてにしている国である。そのイスラエルはパレスチナ人虐殺の口実に使っているハマスはイスラエルの治安機関であるシン・ベトによって創設された。
シン・ベトはムスリム同胞団に所属していたシーク・アーメド・ヤシンに目をつけ、1973年にムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を、そして76年にはイスラム協会を設立させ、87年にはイスラム協会の軍事部門としてハマスは作られる。
バラク・オバマ大統領は2010年8月に「PSD (大統領研究指針)11」を承認、「アラブの春」を仕掛けたが、この同胞団の創設にはイギリスが関係している。
ムスリム同胞団は1928年に ハッサン・アル・バンナが創設したが、その源流は汎イスラム運動にあると言われている。イギリスの情報機関や外交機関の人間がペルシャ系アフガニスタン人の活動家と1885年にロンドンで会談したのが、その運動の始まりだという。帝政ロシアに対抗する汎イスラム同盟を結成が話し合いのテーマだった。
エジプトのムスリム同胞団は1930年代に戦闘員を訓練するための秘密基地をカイロの郊外に建設したが、教官はエジプト軍の将校が務めていた。第2次世界大戦の際にムスリム同胞団は秘密機構を創設し、王党派と手を組んで判事、警察幹部、政府高官らを暗殺していった。
1945年2月、そして48年12月にムスリム同胞団はエジプトの首相を暗殺、49年2月には報復でバンナが殺された。その直後に同胞団のメンバーは大半が逮捕され、組織は解散させられたのだが、アメリカとイギリスの情報機関は組織解体から2年半後に復活させている。CIAが新生ムスリム同胞団の指導者に据えたサイード・クトブはフリーメーソンのメンバーで、ジハード(聖戦)の生みの親的な存在だという。こうした1940年代に同胞団と密接な関係にあったひとりがアンワール・サダトである。
エジプトでは1952年7月にムスリム同胞団を含む勢力がクーデターで王制を倒して共和制へ移行、自由将校団のガマール・アブデル・ナセルが実権を握った。イギリスはこの体制を好ましくないと考え、倒そうとしたが、CIAは自由将校団を利用してコミュニストを抑え込もうとしている。
権力構想でナセルに敗れたムスリム同胞団は1954年にナセル暗殺を目論む。その暗殺計画で中心的な役割を果たしたひとりはサイド・ラマダーン、同胞団を創設したハッサン・アル・バンナの義理の息子だ。ナセルはラマダンからエジプトの市民権を剥奪したが、この計画の黒幕はイギリスだと見られている。
ラマダンはサウジアラビアへ逃れ、そこで世界ムスリム連盟を創設、西ドイツ政府から提供された同国の外交旅券を使い、ミュンヘン経由でスイスへ入った。そこで1961年にジュネーブ・イスラム・センターを設立した。この当時、スイス当局はラマダンをイギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAのエージェントだと見なしていたという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
ムスリム同胞団の創設にはイギリスが、ハマスの創設にはイスラエルが関係しているわけで、 2009年に首相へ返り咲いたネタニヤフがハマスにパレスチナを支配させようと計画した のは不思議でない。そのために彼はカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたと言われている。
しかし、時の経過とともにハマス内部に変化が生じ、2017年にはムスリム同胞団から脱退したとされている。ベイルートでハマスの政治部門における第2代司令官のサレハ・アル・アロウリがイスラエル軍によって暗殺された。彼はムスリム同胞団に反対し、カタールから追放されていたというが、ハマスの全幹部がムスリム同胞団と関係を断ったわけではない。
そのハマスを殲滅するという口実でイスラエルとイギリスはアメリカと同様、パレスチナ人を虐殺している。ウクライナでロシア系住民を弾圧、消し去ろうとしたのと同じだ。ガザやヨルダン川西岸からパレスチナ人を消し去るつもりだろうが、ウクライナと同じように裏目に出る可能性もある。