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タダでであったので、中山美穂主演のサヨナライツカみたよ原作読んでないから、どんなけはしょっとんねん、といいたいところだが、まあそれは映画だから仕方ないとしよう、それに、私の趣味とは違うので、前半部分は、そりゃ眠い眠い、であり、まあ、それでも頑張って観て、25年後からは、まあまあ面白かったのだが、ラストシーンもありふれた方法をとって、ああ、となるのであるが、何だか、つっこみどころが多くて楽しかったよ。舞台はバンコクで主人公は航空会社社員で、25年後にはチャチョーになるんだけど、そして、中山美穂は特に何もせんと、超大金持ちに離婚されて、フラフラして、ずっとオリエンタルホテルスイートを常宿にしてるって寂しい設定。ボヨーン。ドンムアン空港、あれドンムアンの設定やけど、ちゃうで、と細かい指摘を1人呟く。旧ドンムアン国際空港は、私は国際空港としては、86年までである。87年、バンコクにギリシアから飛んできたら、ドンムアン新国際空港になってた。そして設定は25年後とテロップが出て、スワナントカ空港である。スワナントカ空港は3,4年前に出来て、そのシーンがでてきたので、あれは1985,6年設定で25年後は、2005,6年設定である。オリエンタルホテルは、あんなだったか、といわれると、ごめん、オリエンタルホテル泊まったことどころか、行ったこともありません。その名声は25年前から知ってはいるのだが、今度、いっちょいってみっか。 それにしても、我が家の家のDVD専用機(テレビにはつながってない)から観ると、ああ、画像がよくなって、中山美穂の若かりし頃25年前を描いた多分、20代を想定であろうが、痛い。ほんまの10代のころ、はちきれんほどの美しさと、その細さ?細いかわからんけど、1970年生まれ、やっぱ40歳越すと、ちょっとプクーっとしとかんと、厳しい。というか、痛い。その点、同世代の南野陽子、健康的に今は見えて、世の中、厳しいのお。こんなに自分のこと差し置いて勝手なこと言って。同世代としては、ちょっと気になるんである。オッホン。
2011.02.28
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己と相手を信じるな、過信するなというのが安全運転の極意であるということが、無理矢理見せられたDVDを観るまでも無く、分かったのであった。あと、私に問題なのは、睡魔との闘いである。講習会自体も睡魔との闘いであったが、運転中は、睡魔に襲われてなかなか集中できないのが問題である。 相手をびびかせて、割り込まれたりクラクション鳴らされたり強引なことされないように、戦車とか消防車とかに乗りたいのであるが、それもスピードの問題上、問題があり、あとは、高級車に乗り、パンチパーマヘルメットをかぶり、いかついサングラスと口ひげセットを貼り付けて、走らせるのがまあまあ有効である。おかげで、運転が下手な私に割りと皆さん、友好的に道を譲ってくれ、何かと優先してくれるのは嬉しいことである。 しかし、心は侵されつつあり、一度だけ、軽自動車にクラクションを鳴らされた1年程前、少し殺意を抱いてしまったのは、まさに、小心者の私であった。 今回は、5年更新免許となり、前回か前々回に更新を忘れていて、危うく失効するところであった。確か、半年で失効であり、免許が切れてから、4ヶ月目ぐらいに、偶然免許証見たら切れてたのであった。そんな訳で、世の中、万全の注意が必要である。考えれば、今まで4回車を買い替え、現在に至るが、2回は事故廃車、1回は譲った人が疾走、税金を追徴された苦い思いでがあるので、今や、臆病羊の運転生活を続けているわけで、生き延びるための原則は、ゴルゴ13先生のご信託どおり、ラビットでいることなのであった。バンコックのラビットよ、息を潜めろ、そして、安全な車と格好をし、できるなら自動車事故を避けるために、自動車を手放そう。
2011.02.27
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節操無く、刹那的に。神戸のバニーガールのいる店にいって、ロックで10杯以上飲み、こんなとろで何で働いているの?と失礼な質問をし、連れて行ってくれた大人であるアルバイト先の常務が、人にはそれぞれ事情というものがあるんだよ、と言われ、そうですよね、と情けなくなった。 そこには、反抗的な弱さというものがあって、弱さを見せると負けだなんて生意気なことを思い、役にも立たない薄っぺらな知識を発言しては、ああ、嫌味な感じだと、負けを承認し、更に情けなくなってしまう。 一種の時代錯誤的な暴れの季節なんだろう、今は。あと10年もすれば、大人しい羊になっちまう。 無責任なその場限り主義立場にたち、反省しない、競争しない、混乱困惑状態から抜け出そうともしない。消化も昇華もしない、ただ表面積が広がっていくのみ。 生のエネルギーが低レベルで冷めた安定状態のまま、エネルギー不足なのに、パワーが余っている。あがきが陳腐だ。釣竿を何本ドブに垂らしても何も釣れねえ。20年たてば、何いってんだというか、何を書きたいのか、何を思っているのかも理解できない悪文であることに気がつきました。2005年2月26日セブ島200年2月26日の画像 鹿児島2004年2月26日2007年2月26日の画像2008年2月26日の画像
2011.02.26
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忙しいが口癖の人は、隙間を埋めたい寂しがり屋さんかもね、って思いつつ、いやはや3時や5時や、明日の朝にはできておらなあかん資料作成や印刷や納品の関係で、忙しかったというより、追い立てられる作業で、考えて忙しいというより、作業でテンパッてただけの日々も、今しがた、全てを中途半端に終焉を迎えつつある。一体何やってんだオレ状態プラス、ネタも考える隙もないままに、気がつけば1月と2月がイニ、逃げ、多分3月も去っていくような気がするのであった。メモ今週月曜8時半、全体ミーチング、9時中座Aミーチング、戻って全体ミーチング、10時別件全体ミーチング。今日は昼間いろいろ中止し、17時よりC会議、20時まで。今週火曜日、朝9時から17時半まで投資研修。それよりD現場検証。今週水曜日、E現場からC現場へ。夕方Gについて社長報告。今週木曜日、午前中CとEの書類を書きまくり、昼から情報漏えい研修後、C現場会議。今週金曜日、F現場にいったあと、E会議が夕方まで。あれれ、書いてみれば、なーんてことないな。でも間に書類作成時間ばかりで、睡眠時間と休憩時間が実はないのが、タマニ傷。そして、その間に、不必要な訪問者たち。訪問者も電話の人も、全然、席にいませんね、通じませんね、といいつつ、「いや、鬱陶しいから「居留守」してるだけです!」と答える。下っ端はいろいろこまごま雑用が多いのが、球に傷。 その合間にメールチェックしたら依頼件数がドバーンとあって、メールを見ているだけで1時間、勿論眺めているだけではない、やり過ごしているだけだ。おまけに、実は、探し物をしている時間に結構時間を取られていて、1日2時間は探し物をしている。勿論、メールのアドレス探しとかパソコンに入っている書類探しも含めて、常に求道者の私は探し物の世界で生きている住民なのであった。今日も、いくら探してもでてこない!くそーっと思ってたら、もう提出済みであるはずもなかったり、最近は書類が増えすぎて、全てデータ保存化に努めているのだが、PDF変換して、保存先を探すのにも随分苦労して時間を割いているのである。そうして、1日が終わるというか、仕事の性格上、結構流されても先に進むというのがあって、どこまで自分が首突っ込むねん、ワレっという部分もあって、振り向けば、終わってたって感じで、あとは任せた外部業者よ、ってな感じなのであった。カックン。2010年2月25日の画像2009年2月25日の画像2009年2月25日の画像2007年2月25日の画像ああ、変わってないな。20歳前後は自己を規定してしまう・・・(持論)
2011.02.25
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先日、バーに飲みに行ったら、ウイスキーボトルにペルリがいた。すでに、酔っ払っている私が、「あ、ペルリだペルリだ、横浜ペルリだ」というと、マスターは、「あ、初めてですよ、いきなりペリーと当てた方。皆さん、西郷さんというのですよ、よくわかりましたね」とカンシンしたが、感激はしておらんかった。そんでもって、一杯頼んだ。 先日、足湯した。足以外がだんだん寒くなってきた。足湯、手軽でいいのだが、あれ、足軽でいいのだが、最高ランクには私の中で位置しないのが、まあ残念というか。・・・前に四国の松山で温泉入ったら、五右衛門風呂みたいで、5分で出て、ビール飲んで終わってもた。そのあと、空港に戻るバスだか何だかを待っていたら、待合場に足湯があって、そっか、本湯でてから足湯するのが正しいわけか、と気がついた次第。鹿児島空港にも足湯があるけど、桜島の麓にも足湯あるけど、家の近所の風呂屋の横に足湯があるのだが、足湯は足湯。おわり。死んだ。
2011.02.24
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その日、ポートアイランドにて、さびき釣りをした。サビキ釣りは、簡単ニイエバ、ド素人でもできる釣りであるが、釣れたらこりゃ楽しいってな感じで、なんぼほど釣れよるねんと笑ってしまう日もあるぐらいだ。釣れる日には100匹は軽く、この日はアジを20匹は釣った。近くの通りがかったおばちゃんとか、横にあったレストランで厨房のオバチャンたち見つけて全部上げて、引き上げる。おばちゃんは、こりゃ、うまそうだわ、ありがとねーとの、ほんまに感謝してくれたみたいで、ちょっと気分もよくなったというか、別に気分が優れなかったわけではなく、いつもくすぶってただけなんだ。手が臭く、どれだけ洗おうと、駄目だ。 それでも、サビキをしたのは数年ぶりで、まあまあ面白かった。その足で、シラーの芝居を見に行った。両隣に知らないオジサンに囲まれて、ぎりぎりについて、翻訳機をもらうのも忘れ、まあ、ドイツ語専攻なので、まあまあ分かるかとおもいきや、芝居は何をやっているか分からなかった。たくらみと恋って、声がよく通るな、照明が眩しいな、ストーリー分からないな、でも楽しかったな、でも手が臭いのが気になるな、そう思いながら、一杯ひっかけて家に向かったのであった。 今しがた、本が崩れてきて、葉書が目の前に落ちた。あ、運転免許更新だ!やば、2週間以内にいかなあかん!とあれから20年後の私は叫ぶのであった。誰が知らせてくれたんだ?
2011.02.23
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昼飯にトンカツやで、肉以外定食を食べていたのだが、その中にコロッケがあり、そのホクホクのサクサクコロッケを食べた瞬間、ガキの頃、時々30円で一個駅前で買い食いしていた三ツ輪屋のコロッケの味を思い出した。 子供時代に、自分で稼げるお金はお小遣いしかなく、それも1ヶ月1000円とか500円だったような気がする。駅前で友達と、身を削る思いでコロッケを買い、ハフハフ食べ、その横のどぶ川に架かる橋の下で遊び、そこに、友達の親父がババタン(警察官が乗っているような黒いカブのようなバイク)で迎えに来て、「橋の下で遊ぶような子と友達になてはいけない」と諭され、こちらは、バルタン星人みたいな親父を、オメエも一緒に遊んでいた口だろ!と罵り返したものであった。油が重要だなあ。食べ過ぎると胸が悪くなるからなあ、と今日、思った次第。今じゃあ、スニーカーなんて気取った名前で呼ぶけど、要は運動靴!滑り止めが効いて、ドブに落ちたりしないんだぜ、それに、もう小学校高学年、前ゴムは卒業や。
2011.02.22
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寒空の中、青空を眺めていたらふと、思い出した。パキスタンのラホールで道に迷ってしまい、とりあえず道端の掘っ立て小屋のチャイ屋に入る。その店では、初めての外国人だったのだろうか。そこで働く6歳にも満たない子供に値段を尋ねた。その子は、はにかみながら、指を2本だし、「2ルピー」といった。勿論、1ルピーであることは、どの店でも凡そ同じで、そうでなくても、彼がウソをついていることぐらいは、彼の顔を見れば一目瞭然であった。私は、子供に、文句をいうのもどうだか、と思っていると、客として座っていた隣の老人が、静かに怒り、子供を叱り、私に1ルピーですと告げた。子供は、ウソをついたことに今にも泣き出しそうだった。ラホールの道端は喧騒であったが、その日は、青空であった。
2011.02.21
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のうせいまひぶらざーずのうせいまひぶらざーずやばいな この前、東京にはテオヤンセンを見に行ったのと、芝居も見に行ったのであるが、どうやら、私は、汚い言葉結構平気なんだが、イラついた言葉が嫌いらしい。芝居というのに、いらいらで罵る台詞に非常に気分が悪くなってしまうんだった。中味は、ナンセンスでストーリー性の薄いものであったが、そういう内容は好きなのだが、もしかして、やはり、20年近くなると、20歳代のやっていることが分からなくなってきて、理解不能でも面白い!ではなく、理解不能でいまいち面白くないという状態に陥ってしまい、私の世代格差のせいか、少し悲しくなりながら(といっても、ネットでの評判もまあ芳しくはなかったのだが)、寝起きのように会場を後にしたのであった。関係ないけどマクドの原価
2011.02.20
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最近、今年の正月ごろ、私がチュニジアに行ったことが、その後の政権変更ですっかり、ちょっとした「有名人」となり、チュニジアンと呼ばれて困惑している。最近、4ヶ月ぶりに散髪したので、訪問者が代わるがわる「短くなりましたですん」というので、「朝起きたら、はげてまして」とアホの一つ覚えで返していると、目が引きつるはげの取引先の方がおられた。最近、珍しく、バタバタしていると、よく相手先からつかまらなくって、やっと捕まったと思ったら、どこあそびにいってるんですかとまず言われる。なぜ雲隠れしているのがばれたのか分からないが、遊んでないよ、寝るのに忙しかっただけです、とプンプン怒る。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.02.19
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なかじまみかがゾンビになったところそして、ハルジ氏がころされたところ。スコープ越しに。
2011.02.18
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昨晩、午前中に印刷にかけるという印刷物のチェックをしていて、送付すると朝の5時であった。眠いというより、気が張ってくるので、そしてハイな状態にもなってくるので、最後のほうの訂正は「●●にしてくれたらうれしいなあ」とか「こんなかーんじの表現に変更してくれい」と訂正文章自体おかしくなってくるのであった。多分、午前中にはいろいろ私が有休で休みで昼まで眠ることを知らない業者や、送付した広告代理店とかから電話があるだろうと思い、携帯電話を枕元に置いて朝方、仮眠する。そして実際に何度か電話があり受け答えしたのだが、それが夢の中にまででてきて、何らかの指示をしたと思って、1時間後ぐらいに起きて通話履歴を見ると、あれれ、電話かかってきてない・・・あ、あれは、夢だったのか、と相成り、ま、いっかと再び眠り、また電話があり、●●にアポイントとらせてもらえませんか、と夢の中で見ていて、起きてから履歴を見ると、本当に電話がかかってきていて、あれれ、いつの日時でアポとったんだろうか、と忘れてしまったというか、現実にかかってきていたのだったな、と気がつく次第であった。 そうやって多少寝ぼけることもあって、特に昼寝をしていて、起きたらシンガポールだったとか、起きたらパキスタンだったということもあり、そのあと、フラフラ散歩をすると、意識も足元も宙に浮いたような感覚で、楽しいと同時に何故か寂寥感が漂うのであった。
2011.02.17
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大学の山合宿というのは、1回生は、簡単にいえば奴隷か召使かポーターのようなものであった。35キロの荷物を背負い、1人ばてたらテン場到着4時の予定が8時となり、そこからテントを貼り、よくわからなかったため、そこから人参やタマネギ、缶詰めの肉を取り出して、まな板の上から切りまくり、大なべにぶち込んでいくという作業が始まり、先輩方(別名2回生平民、3回生幹部、4回生天皇)がはやく飯を作って寄越せ!との怒号を無視しながら、大雨も降ってきて、狭いテントの中に鍋を持ち込み、我々奴隷どもが体操座りしてスペースのかけらもない床を水が流れる。しかし、その香ばしいカレーのにおいにたまらなくなり、つまみぐいしては、ウメー、グエーと声にならない奇声を発したところで、大雨に消されて隣の大幹部様へのテントには声も届かず、作っていくうちに量も自動的に減っていく感じもするのであった。高度と湿気のためカレーはなかなかできず、完成は午前0時となり、キレを通り越して疲労し尽した我々は、飯を待つのに疲労し尽した先輩どもに、これやるの惜しいなあといいながら、「飯ができました!」と叫ぶと、テントからバールを持った手だけが出て来た。食い物の恨みというか、殺意というものは案外簡単に発生するものだなと思いながら、「おかわり」との天の声がした。殺意は更に本気度を増していくということを学びながら、カレーのお代わりを差し出すと、もはや我々の食べられる量は1杯分しかなかたのであった。そして、この時の教訓によりカレーはレトルトにしような、覚えておこうな、ということであった。そして、何故か、前日買出しに2回生の平民先輩といったとき、皆で集めた金だからといって、やたら高い肉の缶詰を買っていた真意をうっすらと思い出した。 それから1年という月日が流れ、遂に、私も平民である。しかし、心配事は、テン場が2700メートルの燕岳であったことだった。心配は的中した。「オラオラオラー!飯できたか!」と心の中で叫びながら、スパゲティを受け取る。「なんじゃこりゃ」沸点が低く、超アルデンテ、別名輪ゴムであり、一口で返却、お菓子を食べた。他人に期待するな!という人生訓を学びつつあった19の秋であった。
2011.02.16
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大きな声では言えないが、偶然10年ぶりぐらいにプぅ先生にばったり出会った。大きな声では言えないが、ぷう先生は、私より10歳年上で1970年代からの放浪者であった。旅行先で出会ったことはないのだが、1987年に、大理で出会った私の大学時代の同級生の女の子と恋愛に陥り、帰国後、関東からトラックを借りて引っ越してきた人であった。ぷぅ先生は若い頃に懸命に働いて、利尻かどこかに移住してノンビリ暮らすという壮大な夢を持ちながら、若いころにプラプラ旅行ばっかりしていたので、今もノンビリできるはずがなく、懸命に働いておられるようである。 思えば、震災の日、、友達とぷぅ先生はアパートの2階に住んでいたのだが、あおの瞬間に2階が1階になり、1階のおばあちゃんは亡くなり、一番危なそうな家だったので、電話をかけまくるが音はすれど誰も出ないという不安な状態を保ちつつ、親父の家の食堂に毛布を敷いて寝ていた。 家を整理するというので、手伝いにいったな。数々の渋いレコードが出てくるのだが、もうこれ以上は危険と判断、というか友達が、もうあんたこれ以上危険なことしないで、と奥に入っていくぷぅ先生を引きとめ、プう先生は、寂しそうに笑いながら、崩れて原型のない家に手を振った。私も意味のない半笑いで、手を振った。 それからぷう先生ご夫妻は、家を2回変わり、生むつもりの無かった子供を震災を期に2度作り、2度目は双子であり、何度かホームパーティに出席しつつも、徐々に疎遠になっていったのであった(年賀状は毎年行き来しているが)。 偶然、ばったり出会い、ビールを3杯、ワインボトルを2本空けて、特に次会う約束も無いまま、じゃあねと終わった、また10年後ぐらいにばったりどこかでか出会うだろう、それか葬式か、そんな感じ。
2011.02.15
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昨年末にできた、国際空港ターミナルにちょっと寄ってきた。やっぱり空港は立地であり、地元利益よりも、国益考えないといけないよね。施設は、まあ、こーんな感じで特筆することは、特にないです。ともあれ、韓国や台湾のヒガエリツアーが組まれたり、向こうから日帰り医療ツアーが組まれたり、徐々に私に近づいているのではという感覚を持ったのであった。
2011.02.14
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興味があったので一滴た。ああ、うごいとる結論、外、現地で見なければ駄目だな。ということがわかった。コレデモかなあカックン、と来た人は、私以外に9割を超えるのではないか、まあ、入場料1200円と比較してだが、適正価格は600円とみた。満足するには、飛行機代かけて、オランダまで見に行くことか。オランダ、行って見たいなあ。
2011.02.13
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2月11日という朝、当地は、今年初めての雪が降り積もり、誰かの詩に、「太郎を眠らせ太郎の屋根に雪降り積む、次郎を眠らせ次郎の屋根に雪降り積む」ってあったよなあと思い出しつつ、ああ、それ三好達治だったな、好きに解釈してもイイヨな、何であのとき先生は解説したんだろうと思い出した。 子育てに疲れた人がやっと、太郎を寝かしつけて、次郎も寝かしつけて、ああ、やっとゆっくりできるわ、雪も深々と降ってるわあ、雪かきいやだあな、ってな感じだろうか。 まあ、そういうことは置いといて、電車も遅れることなく、この前雪見たのは、正月のブルガリアだったよな、でも、雪積もっているだけで、寒くて溶けてないだけだったよな、雪降ってて積もっているのは初めてだよな、今年と、新たに認識したのであった。 教は仕事もなかなか重要な日であり、結構今日まで疲れたので、帰りにマッサージに寄った。勿論、家電量販店のコーナーである。そして、今日は休日ということもあり、何故だか、おばちゃんがスタンばっていた。非常にやばい雰囲気が漂っていたのだが、ここは果敢に挑戦しようとしたところ、おばちゃんによる商品説明の猛攻を受け、上海万博で出展したマッサージ機に挑戦したのであるが、これが、またマッサージ機というより、ストレッチ機であり、面白いとは思ったに思ったのだが、おばちゃんの説明が鬱陶しくて、一番の課題であるリラックスが出来ず、肩凝った。マジでマッサージ機を予算30万円で購入しようかと考えているのであるが、そのような気持ちがなくなっていく自分を発見したのであった。 ふと、雑念を振り切ろうと、目を閉じるが、どうも、旅行気分が抜けず、手元に置いてある荷物やコートが盗まれないか心配になってリラックスもできないままに、そういえば、おじいちゃんが死んだ時に、大部屋に親戚関係者一同が集まったのであるが、そこに、マッサージ機が一台あり、ラッキと思ったのだが、思ったのは私だけであったようで、数時間独占状態となり、親戚一同の中で、私だけが肩こり人間だと判明したんであった。 しかし、私は、邪悪なものを遠ざける性格があるようで、久しぶりに強力なおばちゃんに出会ったのであった。
2011.02.12
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プラハはゲイに優しい町ってか、なんだか、基準があってゲイで今のところに住めなくなって、それを受け入れるという方針をとっていているらしく、しかしながら、その方針が、ゲイビデオか何か見せて、股間にセットしたものが反応すればゲイと認定されて、晴れて住める(まあ、そんな単純なものじゃないけど、ここでは、その他の厳しい基準は別にして)ということらしい。 私も、ヘテロのままなので、そんな装置をはめ込んだところで1ミリも反応しないか、といわれれば、全く興味はないにせよ、それはえろいものだと脳が一応気持ち悪いと思いながらも呼応するかも知れないとは思うのであるというか、何らかの刺激には反応するものなのかも知れないと危惧する。 というのは、大学のころであるが、やたら実験的な先輩がいた。心穏やかで一度も怒ったことのない心優しい先輩であるのに、ある日、飲みに先輩の下宿にいくと、ノートが開きぱなしで、そこには、激しい文章が書かれていたのであった、がまあそれはどうでもよくて、その先輩が、完全なヘテロにもかかわらず、自己を律するために?敢えてホーモー映画館に興味もないのに行ったのであった。 そして、キンパ地先生みたいな先輩は、「興味もなんもないけど、すれあって、こすりあって、なめあって、というのを観ると、性差を超えて、気持ち悪いと思いながら、その刺激作用に、勝手にコカンが反応した」といっていた。緩やかな反応であり、性的な興奮ではなかったのだが、ヤらシーことをしているのだと脳が勝手に解釈して、海綿体が勝手にボーチョーして、そんな自分にビビッタと言っていた。 1000円払ってでも実験もしたくない私ではあるが、刺激というものにはここまで人間は弱いものだろうか、と私は思いつつ、前にも書いたけど小学校低学年のころ、ウルトラマンとかの正義の味方が負けそうになるシーンをみては、ボッキーしたことのある自分を思い出したのであった。
2011.02.11
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というか、前にも同じことを書いたはずなのだが、今日は経について付しておくのである、というか、月曜日は、もうリーマンブラザーズ生活の大半を朝一は会議に費やしているのである。何故だろう。それは、よくはわからないのだが、世間はそういう事情なのである。 今日も8時前に出勤しようとしたのだが、前日3時半ごろまでうだうだ、自分の趣味のために目を食いしばって起きていたので、目覚ましごときではビクともせず、スヌーズってやつ?5分おきに目覚ましが鳴り続け、仕方なく、予定起床時間より15分多く眠り、無理矢理の起床である。この前の健康指導で知ったことなのであるが、朝に軽く何か体にいれとかないと、体の中が太るという忠告を思い出すのだが、食べていると遅れるので、食べる暇がないどころか、食べ物が非常食しかないので、8時15分には会社に無事胃袋に何も入れないまま到着した後は、世話しなくアツアツ珈琲をギンギンに冷蔵庫に冷やしたカップに注ぎ、一挙に冷やしつつ、ぐい飲みしながら、コレがいけないことなのだが、メールのチェックに返信が30分ぐらいかかるのである。 9時には会議が始まり、その前に会議準備をしつつ、用意周到に会議を30分で終え、10時からまた12時過ぎまで会議であるが、やたら滅多ら内職をしつつ、何だか、パソコンいじっているのである。昼ごはんは駆け込むように、ズボリと約15分で木の葉ドン定食でばっちり決めた後は、1時から会議をしつつ、それが15分で終了後、始まっている会議に途中から参加し、2時半までみっちり会議をするのである。そのような時間が流れつつ、2時40分からはまたもや、会議が始まり、外部業者との打ち合わせのようなものが始まりつつ、3時半には終えるのであり、ここで一発、ブレークタイムという按配と思いきや、まあ、そういう訳でもなく、書類を3本書き上げると早々に5時になってしまい、外部業者一同と会議であり、それが3時間になるのである。2時間以上はホエエとなるのではあるが、仕方ないのである。そんな訳で8時を過ぎ、何だか仕方ないうちに、地味処理を、確かに地味な処理の事務処理をしていると、あっという間の10時となり、はっとして、還らなければ、深夜残業に突入とされ上席にこっぴどくやられるので、帰るのであった。
2011.02.10
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服屋や車屋に行くと緊張する。でも怖いもの見たさに、一度ベンツの店に行ったことがある。緊張するためにか。(新車の国産の店にも行ったことがないのだが) 車に着いては、詳しすぎて披露する暇がないくらいだが、接客されると非常に緊張するというか、この場に似つかわしくない感が漂うので、10分程度で終了したのであった。車は今まで3回ぐらい買ったことがあるが、どれもなんと言うか10分程度で、これください、と決めたような気がする。そうこういっても、あの時あんな買い物したから今苦労している、今生活に困窮しているという場面に合ったことがないというのは幸いである。しかし、今回、革靴を仕事用に買ったのだが、足が痛い、慣れない、えらい損した気分である。以前、コンタクト買って1週間がんばったけど、痛くて諦めたときの悔しさに似る。欠陥商品という訳ではないだけに、つらいものである。個人日記なのに、個人的なこと書いてゴメン。
2011.02.09
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質問:エンジンかけるときは、イグニッションキー回すの?回答:いいえ、室内の空調とか効かしている予備エンジンみたいので、ジェットエンジンかけるの。その予備エンジンみたいのは、整備士がかけるんだよ。質問:どの飛行機を運転するのが好きですか?回答:機種によって免許が違うから、トリプルセブンの人は777しか運転できないんだよ。まあ自動車運転免許でいえば、機種の違いが、普通、大型、自動二輪、牽引、トレーラーとかぐらい違うんだよ。客室乗務員も同じだよ。勝手が違うからね。質問:国内線と海外線の違いは?回答:違いはないよ。その持っている免許の機種が海外にも飛んでいたら、海外にも行くんだよ。質問:どのくらいで飛ぶの? 回答:時速800キロだよ、機種に寄るけど。でも上空はすごい気流だから、その気流が時速100キロとか200キロとかあるから地上から見た相対時速は600キロだたtり100キロだったりするんだよ。だからアメリカやヨーロッパ往復したら行きと帰りが、3時間も4時間も違うこともあるんだよ。質問:何で飛んでおるの?リッターいくら飛ぶ?回答:ケロシンだよ、灯油の一部だよ。1万メートル上空飛ぶから凍らないやつね。リッターは一概にはいえないけど、65メートルぐらいかな。ということは、1秒間に3リットルは使うね。だいたいヨーロッパならドラム缶800本ぐらい、それも翼に積んでいるんだよ。まあ、満タンにはして飛ばさないけどね。重いから。質問:どんなペンを普段使っているの?回答:PILOTだよ。
2011.02.08
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まあ、ゲイリームーアに限ったことじゃないんだけど、いやはやここ2,30年ぐらいで知ったり陶酔したりファンになったり好意を持ったりはまったりした方々が、流石に徐々に毎年のように亡くなっていく。ゲイリームーアも、高校の時に、まあ、時々聞きながらカセットテープも一通り他人から借りて録音完了ってな状態で、ずばりコンサートにも行きました。ああ、でも60歳か。シンリジィにも参加してて、覚えてないけど、それでシンリジィのテープ持ってたのかなあ。逆かなあ、それは高校時代の秘め事。でもないか。多分、行ったのは、初来日の絶好調1983年だったような気がする。高校生だったし。イアンペースいたし。 とにかく、あの早弾きには恐れ入った。次にイングウエイマルムスティーン(アルカトラズ)が出るまで、そら現場で見ても、手が神業の速さで正確で、コンサートというのに、レコードを聴いているようであった。その前に見たレインボーなんか、何の曲を演奏しているか分からないぐらいだっただけに、ホヘーと食いいるように眺めたものであった。またに、ギタークレイジー。それでも当時はロッカーに似つかわしくない短髪と、健康的な笑顔(顔に意味不明の傷あったけど)、ちょっと気に入らなかったけど。 その後、私も大学に入り、それは関係ないけど、チットも聞かないうちに25年の歳月が流れ、ゲイリーがブルースとかにはまっていたことを今日、ここに書くに当たりネット検索で知り、そうだったのかと思った。泣け、泣くがいい・・・と「伊藤正則」が解説したことを思い出したが、それはアルカトラズのことだったわ。ははは。泣くがいい。声をあげて泣くがいい。 その涙は新しい時代を呼ぶ水晶となって、 アルカトラスの許に届くことだろう。 この感動こそがロック新時代突入の証なのだから…黙祷。ユーチューブで25年ぶりに聞いた。すごい時代だねえ。みんなイアンペイス含めて古い顔!
2011.02.07
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ソ連には衛星東欧諸国があったが、ソ連とのつきあいもいろいろで、ブルガリアなんかは政府はかなりソ連寄りなだったということで有名である。アレクサンドル・ネフスキー寺院ブルガリア正教の教会。1878年の戦争でトルコ支配を終わらせたロシア皇帝に感謝して1912年に完成した教会で、名称は13世紀にカトリックの侵攻を救ったロシアの英雄の名をつけてるって、ソ連ではないのか、従属的だったのは。高さ60mで、12の金色のドームがあり、聖堂は、ブルガリア総主教の本拠地として機能し、世界最大級の正教会の聖堂であるとともに、多くの観光客が訪れるソフィアのシンボルともなっている。 中に入って座るけど、どの国に行こうが、教会の中ってのは、神聖な空気が流れつつも、よそ者カ感覚があるといってアジア諸国の仏教系に行ってもやはり、よそ者感があり、いや、日本でもそうだな、宗教に興味がありつつ、やっぱ、宗教って、脳内で考えていたり洗脳されていたりってことで、こいつがこの宗教心が、いつも戦争をおっぱじめているというのに、いや、多分そんな事情が、どうも好きになれないのかもしれない。まあ、無信教も、宗教のうちか。聖ニコライロシア教会、宗派違うからねえソフィア大学公園 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.02.06
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僕は今日集団検診にいきました。1年に一回3時間ぐらいかけて、うだうだ検診するのです。その前にネットで問診があって、今年も、仕事をいよくてきに取り組んでいないと診断されましたが、ストレスは少なく問題ないでしょうとのことでした。僕には仕事が向いていないのかもしれないなあ、と何となく思いました。 それから、眼圧や聴力は正常でしたが、体重が去年より3キロ減ってました。体重計に乗るのは、1年ぶりなので、特に、何もしていないので、何か運動とかされ始めましたかという質問には、まあ、5キロぐらいなら増えたり減ったりするもんじゃないですか、と白衣を着たエライ先生に口答えしてしまいました。すみません。そんでもって、十二指腸に、良性ポイぽりーぷがあるから検査しましょね、って、それは面倒だよ。医者いくの。無理矢理予約させようとするんだから、親切なんだけど・・・。胃カメラいやだ。
2011.02.05
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大きな声では言えないが、その後、公立中学に入ってしまったとはいえ、次は私立高校の夢は消えなかったのであった。ちなみに、当時の関西高校事情をお答えすると、付属の国立をちょっと置いといたら、頂点クラスの私立、公立高校がズラズラ、そしてそのあとに私立高校というヒエラルキーであった。公立高校の間に入る私立は、2,3校しかなく、まさしく、私立に挟まれたハンバーガー公立高校といった按配であった。 という訳で、またしても、更に難関になった私立を目指そうと思うのだが、中学で無理だったのに、高校から入るのは更に無理ということが早々に判明し、公立のトップを目指すことに中1半場から決定するのであるが、これは内申書というのが非常に強く、また意味の分からない先生によるえこひいきというか無視というかそういうのも存在するのであった。 そんな訳でオトナと同化も日和見も出来なかった私は、いじけ根性でいうが、同じ90点のテストの点数をとっても友達は5で俺が3という成績を知ってから、更に、鼻血がでたような気がする。最後の最後に、希望していた高校からワンランク下の高校にすると担任に言うと、深刻な顔をした先生が顔を上げ満面笑顔となった。自分のクラスの担任は若造で、やはり、ふたを開けると、他のクラスより、少し行く高校のレベルが低かった。古だぬきの権力先生が、生徒の駒をチョコチョコいじったんだろう、クソっと思ったのであった。高校に入ると、テストの点数がそのまま、成績に反映されたので、メキメキと、私は成績をあげるというあまり、威張れるものでもなく人間性も感じられないが公平さに満足するのであった。
2011.02.04
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見る、見かけることはあっても、社会人として働いてから、旅先で知り合った日本人と飯を食ったことがない。勿論、同じ宿に泊まったこともない。2,3の言葉をかけることはあるぐらいだ。 そういう暇がないのもあるし、年齢を重ねると偏屈になり、見知らぬ他人と一緒なのが苦痛になるのかもしれない。そういえば、スエーデンのマルメからドイツまでの深夜列車の相席は偶然日本人だったが、中国人と思い、終着駅寸前で、気がつき、少し挨拶したぐらいであった。こんなことで、団体ツアーに参加できるのであろうか・・まあ、考えたことないけど。でも、興味深さで、なんとかかんとか6000円カに食べ放題バスツアーとか1度参加してみて後悔してみたいという気構えはある。 勿論、効率的なツアーには参加したことがある。グアテマラ火山ツアーとか、ウイーンカタコンベツアーとか、あれ、もう思いつかない。 ところで、寒さは、やっぱり風の体感温度だろう。いやはや、寒い、家の中でもコートやジャンパーは欠かせないものである。外も歩けば、風が吹いてカナリ寒い。直ぐ暖かいところにいくつもりなのか、気合が足りないのか・・・寒さがこたえる。フィンランドの北極圏でマイナス35度の中、ぶらぶら歩いた時は、風も少なく、完全防備で気合も入っていたような気もする。あ、気もしただけか・・・さむ。
2011.02.03
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お母ん、俺もう、普通の別勉(塾のこと)辞めて進学コースにいくわ。 そうか、それはどうして? だって、6年になったら本格的に勉強していい大学いきたいから(だって、公立中学行ったら丸刈りせなあかんからとは言えないからな)(国際都市神戸はこのころ中学生になると強制丸刈りさせられていたのであった。国際的なので、軍隊画一化方式が尊ばれていた時代であった) そうだねえ、まあ、あんたが好きなことしたらええやん。 そう、じゃあ、そうするよ、まずは、今日から夜更かしの勉強するわ。 何だ、ただ起きているだけか?そりゃそうだよ、今までみたいに11時に寝てたら取り残されてしまうよ。それに、受験コースが終わるのは11時だぜ。それに週6回だからね。あ、そう。という訳で、オレは、本格的に、分厚い参考書、自由自在や応用自在を買い込み、それを枕にするはずもなく、差別的なエリートコースまっしぐらの勉強に入ったのであった。そして模擬試験を受けるも、一向に成績が上がらないことに徐々に苛立ち始めてもいたのであった。何せ、髪の毛を切らなくてもいいのは、難関校の灘中や甲陽中学であり、東京ではそうでもないのだろうが、関西ではほんの一部の受験に勝った奴ガその辺りに行き、お坊ちゃま中学か残りかす中学しか私学は残されていないのであった。いや、あるには2,3校あるのだが、(六甲中学とか白陵とか)それは、丸刈私立中学であり、それでは意味がないのであった。オレは広いデコを他人様に晒したくない!中学に行くのが嫌で憂鬱であった。しかし勉強しても、この覚える量と記憶力の悪さが、今の受験体制には、不利であることを子供心に悟り始め、親の学歴や頭の良さを考慮に入れると、そして何よりそんな勉強しなくても出来るやつは同じ時間に出来てしまうとか、コツや要領が異常にいいやつとか見ていると、そういう訓練をするか、親の賢さを呪うか、まあ、アザトイ小学校6年生のオレはもがくのであった。(大きな声ではいえないが、時代背景と経済背景もあるが親父は中卒である) そうこうして、成績も上がらないうちに、受験シーズンが近づきつつあった。オカンは初めて私に深夜飲み物サービスを提供してくれたのであった。私はこそばかったのである。オカンは、初めて、オレに声をかけた。結局、あんた何処受けるの?と。何せ、家族の方々は、11時にはもう既に寝る時間だったので、俺が塾から帰ってきた12時には、ちゃんと、御飯が用意されていおり、ちゃんと、その横に、ガス、電気、戸締りカードが置かれており、寝る前には裏返してから寝るような素晴らしいシステムが構築されていたのであった。 4月、オレは、丸刈りになっていた。屈辱の春であった。ふうにんさんのモトネタ
2011.02.02
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大袈裟に言えば観光した。と思う。バーニャバシジャーミヤ。オスマントルコ時代のイスラム建築、そんなに残ってない模様。バーニャとは、大袈裟に言えば、風呂のことである。威圧感ある共産党本部。強そうで、のっぺりで、ムッソリーニのファシズム建築みたいな感じ。町の中心はどこなんだ、よくわからない。右側部分だけシェラトンホテル。聖ペトカ地下教会。半地下で、掘り出されたものなのか、はじめからそう作られたのか、未確認。中でおばあちゃんが英語で説明してくれたのだが、中もキリスト教的装飾で満たされている。ここを中心に取り残されるように避けるように地下道やショッピンモールが並ぶ。セルディカ遺跡。共産党本部のすぐ前の地下鉄工事どきに発見されたとのこと。しかし、普通の地下鉄の通路が何だか遺跡になって、歩く人もまったく見回る様子もなく、まっすぐ歩いていく。国立民族博物館公園建物聖ネデリヤ教会。ブルガリア正教。観光、「へー」で終わるが、その2に続く。(と思う) 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.02.01
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