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28人のパンフィロフ戦士公園Panfilov heroes parkに行くと、やたらめったら、花嫁花婿軍団が合同結婚式を実施しているが、教祖様は見当たらない状態である。18ヘクタールの公園に、矢鱈滅鱈花嫁とそれに金魚の糞のように、花婿、カメラマン、親戚一族、友達がひっついているのである。ああ、そういえば、山崎浩子と結婚してたテッシー、東大卒は私の同輩の友達だが(証券会社の同僚だった)、人柄も良く性格もよく、成績優秀で、しかし、社内でまったく勧誘活動もなく、合同結婚式でいきなり知ってびびたらしい。その後、マスコミに追いかけられたが、会社は優秀すぎる彼を首にはできず、商品開発部門で、今もやっているらしい。勿論、成績優秀だった彼の正体を知った会社は顧客を調べたが、統一教会関係者はいなかったらしい。その友達とは、この前のみに行った。すすめ!まあ、私も若い頃は勧誘されそうになったよな。この公園の名前の由来は、第二次世界大戦(しかし、ロシアでは、そのことを大祖国戦争というが)時に出兵して戦死した戦士を記念しているそうだが、それと結婚式とはあまり関係なさそうである。昔は、ロシアのプーシキン(詩人)の名をとってプーシキンの庭といわれていたらしい。この形は、なんとも、旧ソ連の地図形になっているようである。そう見ると、ここアルマテイは中央兵士の足元あたりじゃん。こりゃクレムリンの壁だね。どがいやねん、ってな感じで登場。かなり大げさでファシズム建築ってな感じ。良く見ると、アジア系ってか、おもろい顔や、ジジイや、顔がカクカクな人もおった。寂しく楽器を奏でる方々。公園入口には、オマエラ入るなよ、と我々を威嚇している。そうだっか。公園の一部は、スプリンクラーの水を浴び、鳩が沐浴しておりよった。公園の中には、おもちゃ色をした釘を使っていない木造のゼンコフ正教教会。ソ連時代は博物館やコンサート会場にされていたそうだが、今は、また教会として使用されておる。ソ連の前の帝政時代の建物は1911年の大地震でほとんどなくなってしまったようで、この建物強しということである。俺には分からないが花嫁姿が花嫁姿に出会ったら死ぬほど恥ずかしくないか? 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.31
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肉弾反共韓国にもドルメンがあります。てかドルメンって一般用語だったんですね。世界のドルメンの半数が朝鮮半島にあるらしい。巨石達の散歩・・・朝鮮戦争のとき、朝鮮半島南端のプサンまで北が来たってすごいねえ。別に来るつもりなかったけど、また来てしまいました。臨津閣イムジンガク、軍事境界線から7キロ。この前会社で大声で電話でしゃべる社員が、やたら「チンマンチンマン」といっているが、話の内容から賃貸マンションの略であることが判明したが、神聖な場所でびびかさんといて欲しい。要は、ここには、手続きなしに来れる最北端というわけである。公園は広く、朝鮮戦争で使われたヘルメットを溶かしてできたモニュメントや世界各国の戦場から集めた石があるというが、まあ、暑いので無意味方向に歩いてむやみやたらに探すことは不可能である。しかし、日本の戦後の発展の大きな要因のひとつに朝鮮戦争特需があるわけで、そいつを忘れてはなるまい。まあ、韓国もベトナム戦争特需いわゆる漢江の奇跡ちゅうのもあったけど。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.30
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以前、ハギャソフィア(アヤソフィア)と、スルタンアフメットジャーミー(ブルーモスク)については、披露した経緯がある。1年半前である。 イェニジャーミィーガラタ橋を渡ったところにある。リュステムバシャジャーミー1561年にリュステム・パシャ(スレイマン大帝の娘婿・宰相)のためにミマール・スィナンが設計したジャーミー赤・緑・青を基調としたイズニックのタイルは16世紀の半ばから約70年間だけ製造されていた特に赤いタイルは、現在では製作方法がわからなくなったシュレイマニエジャーミーこのモスクの入口が、これは分かりにくいが偶然、簡単に発見。右側の階段を上がっていく。ちょうど、祈りの時間なので、祈りが終わるまで中には入れない状態であり、数名の異教徒らしき観光客がぼさーっとしている。しかし、それにしても、、モスクってこの涼しさと荘厳さ、何と心地良いのであろうか。この風の流れはどうやって設計しているのか、私同様、歩き疲れた旅行者も、絨毯の上でぼさーっと休んでいる。好みにもよるが、このタイルと(専門家ではないが)、隠れ家的なところで、イスタンブールで一番好きなモスクである。現在は天井から照明を吊り下げているが、昔は暗かったのだろう。夜は。それに、昼間は、ピアノ線みたいな線が景観を少し悲しくしている。でもそれは、旅行者の旅愁。あたしは、本当に闇雲に通過点として、どうせまたいつでも来ることができるよという後ろ向き勢いで訪ねているが、そこに日本人の老夫婦が来て、旦那が本を開きながらこのタイルの素晴らしさを解きつつ、やっと来たんだという感動を、残り少ない最後に訪れるであろうトルコに全身の思いを、相方に伝えている。おばあさんは若干鬱陶しそうだけど、仲は悪くなさそうで、嫌ってもいなさそうで、ハイハイと興味なさそうに聞いている。美しいは難しい。シュレマニエジャーミースレイマン1世は高校の世界史にも出てきたぐらいのオスマン帝国最盛期のスルタンである。1557年。ミナレット4本。モスク(ジャーミ)はたいてい無料だが、トイレに行くので、喜捨していく。スレイマンのモスクは無茶苦茶にでかく、救貧院、病院、神学校、霊廟、クルアーン(コーラン)学校、隊商宿とかを併設している。(一部レストランに)シェフザーデバシュジャーミィー1548年4大ドームは18.42メートルに休まれた。 噴水の列16のドーム12の中庭有。 2つのバルコニー、二重のミナレット。別名王子のモスク。墓もあるんだね。ラーレリジャーミー18世紀半ばの建立。ドームやアーチには、白や青、茶色など多彩な大理石が用いられており、華やかな印象。ターキッシュ・バロックの傑作だそうだ。でも、もう飽きてきた・・・ゴメン。ビェズットジャーミー完成1506年(建設期間5年)ミナレット2本。最古の部類。・・・アヤソフィア最初は360年、コンスタンチン大帝がキリスト教聖堂として。これだけは、1000年も古いんだねえ。ブルーモスク1616年。ミナレット6本。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.29
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板門店の帰りのバスにて・・。川沿いに張り巡らされた有刺鉄線と見張り小屋を見ながら、諜報活動のリクルートや部下選びの酒飲み試験について、読んだことを思い出した。ぐでんぐてんに飲むと吐いて意識失う前に、2種類の人間がいる。一つは気が大きくなり、セクハラしたり暴言はいたり喧嘩したりするやつだ。そしてもう一つのタイプは足腰が立たなくなりウンコを漏らすやつだ。スパイや諜報活動など命に関わる仕事でタッグを組み時には、人間的に信頼できるほうと組みたいはずだ。勿論、化けの皮のはがれた醜い姿を他人にさらして迷惑かけるのはどちらも同じだが、信頼性はウンコもらしのほうにあるらしい。 大きな声では言えないが、小さな声でいうと、ウンコ野郎少し救われた気がした。帰ってから、もう一回、韓国往年のヒット映画「JSA」を見直そうと思った。見直したところ、イビョンホンが若いということが分かったが、板門店がリアルであった。しかし、85パーセントの大きさで作られているということだったので、次回比較検討のために行ってもいいかなとちょとだけ思うのであった。 前に見たのが、公開後すぐだったので、10年近くたっているが、シーンは数シーンしか覚えていなかったが、物語としてはありえないが、フィクションなので話としては面白い。メッセージは、南北の分断の不条理の是正希望というより、俺たちを分断した奴ら、もうこれ以上ほっといてくれという感じであった。(中立部隊の厳しい追及がなければ登場人物2人死なずに済んだのにてな感じ)韓国では、そういうわけで兵役義務(18から30歳までの間に2年間)があるが、タイの徴兵は、なんとくじ引きなのが平等というかわらっちゃう。それで、やたらオカマの多いタイ、最初はオカマは免除されていたのだが、似非オカマが続出し、例外がなくなったという。笑っちゃうんだよねえ。しかし、北朝鮮があれだけの兵士(徴兵期間は13年とか、むちゃくちゃだお、10年に短縮か。)がいるので、人口の少ない韓国では基本全員徴兵せなあかんのやろねえ。 板門店ツアーでも、チェックする兵士の顔がおぼこくて、子供だなあと思ったが、1980年代と違い、ソウルの街中を軍服姿で歩く若者が減ったように思う。しかし、20代前半で、彼女がいて、兵役に行くと、まず、別れるといわれている。ちなみに、彼女がいやがる彼氏の話3位はサッカーの話、2位は軍隊の話らしい。1位は、軍隊でサッカーした話だそうである。 ま、徴兵とか、戦争とか反対だけど、日本も根性叩きのめすためには、それに類する地獄の特訓や強制奉仕活動、強制ボランティア2年みたいなのいいかもね(そんなこといいだしたら老人か。古代エジプトの昔から老人のたわごとは「最近の若者は・・・」である)。ま、根性叩きのめして、おれら老人の意見や思うこと、文句言わずにやらんかいという単なる願望だね。ちなみに兵役中には、韓国人気グループ慰問あるらしいよ。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.28
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4階では、警察憲章、刑事活動、などを紹介しているが、5階では歴史の場である。(6階はシアター)相変わらず、透明人間を大量に採用している模様。戦死、殉職された警察官の方々を紹介するモニュメント、業績を検索できる追悼の空間が設けられている。黒人の方々も採用しているのでしょうか。いろんな制服があり、李氏朝鮮時代から日帝時代、建国初期、朝鮮戦争、そして現在に至るまでの警察の歴史制服や装身具、遺物を映像と共に披露し、制服ふぇちを喜ばせる空間。特殊警察の縮小ジオラマで理解を深める。最後に私には理解不能コーナーもありました。はなくそとかが展示されてます。こんなの日本で見たことないです。(使用した後があるのが気になりました) 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.27
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農業博物館の道路を横断し、右に歩いて5分程度のところにある。農業と警察のセットでドドーンと。あるいは、地下鉄5号線クァンファムン(光化門・Gwanhwamun)駅7番出口を出て、ソウル歴史博物館の前を通り、そのまままっすぐ100mほど行った右側にありますよ。入場は、ドドーンの無料であり、生粋のデートコースである。母親が連れて来たガキどもぐらいしかいないのであるが、大賑わいである。運営は、ドドーンのほんまもんの警察であり、気合の5フロアーである。過去の韓国警察の歩みと活躍ぶりをよりよく振り返り、望ましいあるべき警察像を確立しつつ、市民と警察が出会うふれあいと歴史と文化の空間を醸し出すことにより、より市民に身近な治安サルビスを提供するための試みなのである。1階。歓迎の場。観覧のガキのために、景観の制服を着て記念撮影ができるコーナー。(さすがに大人は着替えていない)パトカー、白バイに乗車可能なのである。(しかし、そのまま乗っていくことは禁止されている)2階、体験の場みて触って感じて理解する12の体感コーナーがドドーンと目白押しであり、このコーナーを通じて秩序と法令順守の意識を学ぶ空間であり、まずは、ジェイルに入れられ、留置所体験を通じて被疑者の気分を味わう。特に法を犯している訳ではないので、冤罪で身柄を拘束され屈辱と怒りの気分になれる。交通整理ができるようになっている。彼女の次に私も挑戦してみたのだが、5秒程度で車が渋滞、クラッシュ、トホホである。手錠をかけよう、のコーナーでは、犯人扱いされて屈辱的な気分になりながらも、それをするりと抜く訓練も行える。犯罪に対する対処方法をパソコンから学べる。ここでしっかり、学ばなかったために、数日後、キルギスで暴漢(カツアゲ)に遭遇してしまったのであろう。シュミレーション射撃場では、11歳以上なら撃ちまくることができます。その他嘘発見器や、112通報センター司令室体験や犯人を捕まえろ仮想犯罪者追跡逮捕シュミレーションゲームも完備。。指紋体感コーナー、とはいいつつ、ここでガキの指紋を採取しておいて、将来の犯罪に備えデータバンク化します。モンタージュつくりできます。難しいです。これは郡山ハルジさん(変質者風)これは、放浪の達人さん(そそのかし風)こちらは、私自身。(詐欺師風、いや優等生風)さて次は4階です(3階は事務空間で、ロッカーとかがあるだけ)。警察の様々な業務を分野別に紹介し、各種機能別に装備を興味深く展示し、その活動内容を紹介しつつ、啓蒙してくれる階である。征服ふぇちにはたまらないかもしれないが、ここで新しい試み、透明人間を見学することも可能だ。あるいは、透明人間を警察は採用しているのかも知れないのであった。(誰も楽しみにしてないけど、続きを待て!)PSb有事で何もでけんかったどころか国民を惑わせた海江田はないだろー。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.26
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地下鉄5号線ソデムン(西大門・Seodaemun)5番出口を出て、道なりに進み、横断歩道を渡って、100mもしないうちに右手に見える。地上出てから信号無視して徒歩1分。入場は、ドドーンの無料であり、生粋のデートコースである。家族でやって来たガキとか、ガキを連れてきた引率の先生とかぐらいである。農業博物館では、韓国での昔からの農作業風景や、農作業で使用された道具、先史時代から現代に至るまでの農業の発達について詳しくご紹介されるって按配だけど、まあ、そんなことどうでもいいじゃん。それにしても、ソウルの地下鉄は侮れない、出口まで、泣いちゃうほど遠い時があるから要注意だ、しかし、問題は注意しても仕方ないことだ。入口にて写真撮ったら、無料ながらに受付の女性の方が走ってきて、これから先は写真駄目よ、といわれ、イエー、アンニョンハセヨと言った。しかし、セクシーねーちゃんに関してはHAMAKIさん大好き白い人、その誘惑には耐えられないのである。無料なのでお得感は少なからず倍増するのであった。すんげえ農業リアルジオラマが渋いのである。ガキどもも、透明床に大喜びだ。多分、35年たっても、俺みたいに素直に喜ぶままだろう。蛾とかキリギリスとか、結構リアルに表現、これ無料って結構お得感をひしひしと感じ始める。昔の農機具2000点、毎日600人の来場らしいで。というか、1960年代後半に生まれた俺は、生まれたときから、テレビも電話も車もあり、その他今で言えば仕様は変わったとはいえ、パソコン、携帯電話、DVD(ビデオ)以外は、まあ、既にあった。 しかし、1980年代の韓国を訪ねた私からすれば、日本の戦後を濃縮して見たような気がする。それより後進国だった国や地域(中国やインド)は、途中がない。テレビがbない村や街にいきなり、衛星テレビやネットが入り込んだ。日本で言えば1950年代が、インドの2000年代にいきなり2010年になった感じなんだ。少なくとも、我々の時代を30年中間省略している。インフラが違う、しかし、韓国は、日本を少し遅らせた感じだったので、多分、ラジオ、白黒テレビ、カラーテレビ、ビデオ、と日本に似た順を追ったような気がする。韓国の40歳以上のソウルなどの都会に住んでた人以外は、子供時代、基本電気もガスもなかったんだよな。20年の差が日本とあった。(今はネットなどは日本以上)そんな感じで、多分ここに来るおっさんとかは、懐かしいやろなあ。押忍!勉強になります。時に及んで勉強すべし歳月人を待たず状態である。1階歴史館、2階生活館、地下広報館ってな感じでよろしく。お前、農業の何キャラじゃい?昼ごはん、って朝も晩も同じぐらい多いんだけど。さすがだ。韓国ってさ、ホテルは高いんだけど、生活水準から考えるとメシ代が不当に安い。食べるたびに心配になる。?トイレの標識もシブイ韓国の家畜はサイケさて、次だ。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.25
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地下鉄3号線アングッ(安国・Anguk)駅2番出口を出て直進し、小学校の交差点で左折。緩やかな坂を上り、緩やかに下りながらアートセンターのようなものが前に見える手前で、170度ぐらい曲がり、坂を上りきったところにソウル教育資料館がある。駅から10分以内。入場は、ドドーンの無料であり、生粋のデートコースである。家族でやって来たガキとカップルと、もうソウル行くとこなくなったよというような西洋人1人がうろうろしている。入口では、いかついおっさんが、ニコヤカに迎えてくれるのである。こんにちは。先生さようなら、みなさんさようなら、そんなこと小学校低学年の頃、あったように記憶する。百済時代の教育はもっぱらテコンドーでした。高句麗時代の教育はもっぱら虎狩りでした。現在は、遊園地にて課外授業も盛んです。キンパやビールや卵が小学校では提供されるようです。陶山書院での両班ども。新羅の時代になっちゃうと、もっぱら座学のみ、頭でっかちです。日帝時代の成績表。ご家庭への注意事項。朝鮮戦争時代の青空教室(天幕教室)。共産圏の脅威を紐解きます。女子高生は天蓋、小学生のガキは屋根なし。老けた学生ですが何年生まで学校に行くのでしょうか、43年生ぐらいです。田んぼ的光景。ところで、日本と同じ愚作だと思うのだが、1970年前から入試競争が弊害だということで、抽選にもなった、韓国はスゴイ受験社会である。さしずめ、今ならサムスン入るのが天皇コースやろ。運動会も物売りに精を出す先生。何か今の制服はAKBみたいね(右端)征服一覧教室風景学校の掲示板には「裸でいよう」のポスター有り。(おまけにインジェクション)今は夏休みなんでしょうねえ。誰もおらん、太極旗が光る。教室では弁当を提示しなければなりません。キムチ汁指定。ケランチムか、違う。デート最中でしょうか。韓国指定学習ノート駄菓子屋。文具は1000点、教具は2900点、服は750点、図書類は5000点とかあるでー。日本も韓国も、放浪の達人さんみたいな人がいました。(そういうのを無視して真面目に掃除しているようなトイモイのような人もいました) 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.24
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共同管理地域ていうのかね。あっれ、賞のまよってこんなんやったっけ。あっれ、矢上順子ってこんなんやったっけ。あっれ、竹内マリアってこんなんやったっけ。ウム、小泉強固ってこんなんやった、あれ、2,3年後やったけ。ウム、五大後ってこんなんやった。ウム、ジュディ恩具ってこんなんやった。ウム、栗金ってこんなんやった。キルギスから5時間程度でイスタンブールに到着したものの、時計はそこから3時間戻り、案外、ロングキューにて、外に出たのは8時前であった。荷物を空港にて750円で預け、急ぎでもないのでリムジンバス500円で街中に(タクシーなら2000円程度なので4人いればタクシーのほうがいいのに、満席であった)30分程度でタクシムまで出る。去年来たときは20年ぶりだったので、さっぱり覚えてなかったが、まあ、去年は4時間ぐらいしか滞在時間がなかったのに対し、今回は16時間あるので、一通り、町中を歩いて行って見ようという算段である。何せ20年前は、部屋でくすぶってただけなので、イスタンブールどこ見てん?どっこも見てないやないかと20年ぶりに思い出すのであった。結局、初めて歌ったカラオケ曲、享年大学3年生。目的は軍事博物館であり、地下鉄に乗って一駅、オスマンベイで降り、地下鉄が来た道を戻る。そして到着したら、月曜は休みで、ナニイとカックンとなる。トルコは親日的とはいうが、それはロシアを打ち破ったからというのもあるが、昔、和歌山でオスマンの軍艦がチンポツして、命がけで漁師が自分たちの食料もあまりないのに、救ってくれただけでなく、山田寅次郎が義捐金を持ってトルコを訪問したからだとも聞いている。トルコでは貿易商とか士官学校の先生となったらしいが、教え子に建国の父、ケマルアタチュルクもいたとか。その後、トルコは恩を感じていたようで、イランイラク戦争で、イラクのフセインが24時間だか48時間以上たってからイランの上空を飛ぶ飛行機は無差別に打ち落とすと宣言し、日本政府は、イラン在住の200人を助け出せずにオロオロしていたところ、確か数時間前にトルコ航空がテヘランに日本人救出臨時便を出したのであった。(日本政府は、軍隊を法律上出せないといい、日本航空は安全上出せないと言った)アヤトリアダ教会 ギリシア教会。 そんなこんなで、トルコに感謝しつつ、イスティークラール通りを下っていく。アールヌーボーととるやん。アンティーク調のトラムヴァイ(路面電車)地下ケーブル。始発から終点まで1分。世界一短い地下鉄とされるが、歴史も古い。ユーラシア最古の地下鉄とか。 それにしても、ガキの頃、ミッドナイトエキスプレスの印象が濃かったトルコ(俺だけか?)、やはり記憶のどこかにあり、20年前の訪問も、今も、トルコは同じにおいがする気がする。・・・そういえば、20年ぐらい、卵割ったら黄身が二つの双子(いわゆる、ニコタマ)見てないなあ。昔結構あったような・・・人間は2種類に分けられる。気持ち悪いと思うか、ラッキー感を感じるか?勿論、ガキの私は、ラッキーポンチ派だったわ。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.23
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真っ暗な中、市内のホテル(CLUB HOTEL DOSSTUK 6000円)から30分ほど車を走らせるが、街を出てから、両脇に何も民家や光のないところをひたすら走り続けるが、何も言わない運転手に、襲われるのではとビビル心配もなく、これで警察を巻けたなと安堵の気持ちのまま、いきなりマナス空港に着いた。不思議なことに、だいたいどこの国も空港に近づくと雰囲気や空港看板表示や道路標示があるはずなのに、何もない。急に左手に空港が現れ、旧ソ連時代から秘密にされてて、いまだ面倒なので秘密みたいな状態になっているのかも知れない。 空港建物から外を見ると、ウエルカムキルギスタンの看板がひとつあるだけで、国名も91年にソ連からキルギスタンとして独立、93年にキルギス共和国に国名変更したのに、キルギスタンのままである。あれま。 それにしても、早く着きつぎて、空港も古いままで、ソ連時代という感じで、建物は大理石とか使って豪勢だが、何もないのであった。いや軽食できる店が6,7店あり、どこもほとんど客は入っていない。 最期に残った札を両替して余ったお金でこの金でどのビールが買えるか聞いたらこれ買えるよとのことで、最期の晩餐とする。 本を読んだり、分からない言葉で話しかけられたりする間に、出発90分ぐらい前になり、入ろうとするが、チェックがあり、搭乗者が印刷された名前とパスポートをチェックしている。私の前に並んでいたカナダ人が超ヘベレケであり、パスポート出せといわれると、フラフラしながら、かばんを開けだした。荷物の中身を全部調べだし、お前はもう向こうで探せと端に追いやられる。何故か、カバンを開けたときの鍵を私に渡し、ちょっと持てってとニヤリと笑っていたのだが、追いやられるときに返すと、何だ君、こんな鍵知らないよ、というようなことを言っている。 私の番になると、ガガーンと、リストに名前が印刷されておらず、またそれはおかしいよ、という話になり、結局、ちょっと待ってろとヘベレケ君(まだ荷物ごそごそして、シャツや書類1枚ずつめくっている)と二人横に押しやられたのであった。 とにかく、トルコ航空職員呼んでよ、ということが通じたのか、職員が出てきて、チケットを見て、リストにないけど、チケットあるし、空席もあるから来てもいいわよ、と何とか遅れること10分、セキュリティを抜け、カウンターに入った。しかし、その職員は、ちょっと全員チェックインするまで後ろの席で待ってなさいよ、最終受付は出発35分前だから、あと40分ぐらいそこに座ってなさいといわれ、急に不安になってくる。いや、もとから不安であった。 遂にカウンター業務が終わりだし、衝立が取り払われ始め、俺、忘れられているんじゃないか、ここで、カウンターに行こうか、と思い始めた頃、例の職員(責任者であった)に手招きされ、それが笑顔だったので、これは確実に乗れるなと確信に変わるのであった。 チェックインを済ませ、出発まであと30分となり、ビジネスクラスラウンジチケットまで貰ったのだが、既に、皆様、飛行機に乗り出し、私も、トイレだけ行って直ぐに飛行機に遅れまいと乗り込んだのであった。 窓から外を見ると、USフォースの飛行機が3機並んでいた。キルギスは不思議な国で、国内にロシアとアメリカの軍隊が駐屯している世界(多分)唯一の国である。そういうことを思い出した。ここからアフガニスタンへの総攻撃の輸送拠点地になっているのだから、おっかないのである。こんな国際的な親子はおらんじゃろ?まあ、そんな訳で金をたっぷり米国から「ふんだくって」インフラ整備させて、期限くるからバイバイ、ってどっかの思いやり予算のある国とはちょっとちゃいますなー。まあ、ロシアとのバランスというか後ろ盾があるんでしょうが。 飛行機がゆっくりバックし始めると、その真下で人が歩いていた。うわ、危ないと思ったのだが、この給油係と思われるおっさん、ゆっくり飛行機に平行して歩いている。 やがて、おっさんは取り残され、飛行機が前進し始めると、また驚いたことに、空港が真っ暗なためか、曲がったときに気がついたのだが、車が先導していたのであった。おまけに滑走路はガタガタで、今までの国際空港(首都の空港)で一番ボロイかも知れないなあと思ったのであった。 3時50分、6時間、飛行機は飛ぶ。さすがに夜中、飯もそこそこ、気を失ったようで、読みかけていた本の内容が夢の中で出てきて、気がつけば着陸態勢であった。帰国しようとしているのに、何故か日本から倍も遠くにやってきてしまってるのにぜよ。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.22
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ビシュケクに着いて早々に悪徳ポリにケチョンケチョンにヤラレタ私は、生まれ持った小心者の性格が、立派に表に開花して、飛行機の離陸に合わせて、夜の23時にタクシーで空港に向かうことにしていたのだが、それまで元々の計画は、昼前にチェックアウトし、23時までバーヤレストラン等でブラブラしてからホテルに荷物を取りに戻るという経済的計画を、安全第一を重視し、暗くなってからは不良じゃないので出歩かないということに決め、急遽、ホテル代をケチることを中止し、交渉の末、半額にて23時チェックアウトにて暗くなる頃から狼が密かに隠れて傷を癒すように、臆病なラビットのように、鈍間で間抜けな亀のように、羽ばたく鳥が夜目のため止まり木でじっとしているように、ホテルの一室にて夕方により、アルコールを大量に買い込んで時を待つのであった。とにかく、夜にうろうろすつのが性癖の私も、本来の性格のチキンぶりを大いに発揮し、既に言動共にレームダック状態である。 運のいいことに、ネットはつなぎ放題だったので、ネットサーフィンもしながら次に行くところの情報を取りつつ、あまり大きなことは言えないが、仕事のチェックもしながら、おまえどっから仕事の依頼しトンねん、とばれない様に、メールを送りつけ、日記のネタまで書きつつ、テレビをつけると、テムジンの映画をやっており、日本語でその後でロシア語が続くという聞き取りにくい二重同時音声でチンギスハンの映画を、ちょっとだけモンゴルから離れたところから鑑賞しつつ、先ほど市場で購入した偽物かもしれないケンゾーのワイシャツに着替え(500円)、23時にチェックアウトするのであった。それまでに時間が近づくにつれ、4階から窓の外を見、真っ暗な中、時々、前をタクシーが通り過ぎるのを確認しながら、ホテルからタクシーがゆっくり走ったり停まったりしたら猛ダッシュでタクシーまで走り、パトカーに見つからないように細心の注意を払いつつ、屈伸運動なども怠らなかったのであるが、フロントで、チェックアウトを申し出ると、タクシーを呼ぶかと聞かれて、空港まで(35キロ離れている)いくらか聞くと400コロン(640円)だというので、お願いすることにした。2,30分待ってくれといわれたが、5分でタクシーはやってきて、下に下りるけど、彼がガードしながら行くよと、言われ普段なら結構ですというところを何故か「ハイ」と答えて下に下りる。ホテルの前の道端には、一般の車に数人の人が溢れていたので、何だ、びビラなくても良かったなと思いながらも、ガードマンに1ドルを握らせ、タクシーに乗り込む。フッ、ちょっとびびりすぎたで、今宵はこの辺で勘弁シトいたるわ、と気障に呟くのであった。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.21
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板門店と言えば、実は、何を隠そう、大学時代のクラブでは、何故か1回生のとき(18歳とか19歳のときに)に見に行くのが恒例となっており、私たちの世代だけが、韓国に誰も行かず、おまえ板門店も行っていないのか、とハミゴ世代となっていたのであった。別に気にしてなかったけど。その後19歳や20歳の頃に韓国に寄ったのだが、結局板門店とは個人では行けないし、草履で行ってはいけないし、ジーンズでは行けないので、ケッ、そんなので金払ってまで行くはずねーだろ、バローと無視続けること20年の歳月が経過し、遂に、私もロマンスグレーの素晴らしい年季ジジイの域に達してきたというか、会社の帰りに韓国来たので背広なんだよね、ということで、出国前日、日本から予約したって按配。ここ数年で行こうかなとは思ってはいたのだが、日曜はやってないので、今回は木曜ということで、このチャンス生かしてやろうではないか、なんやお前板門店も行ってナインかといような、古いタイプの左翼先輩や右翼先輩を、ノンポリの私が、遊びでいったるがなって按配であった。昔は、拡声器でお互いの悪口や亡命そそのかしをガンガン鳴らしていたという平和な時代だった(2004年合意により中止)。(北朝鮮兵) 結局、板門店ツアーって多分、4社共同の1社が独占していて、そこがどこから申し込んでもその代理店に通ずといったローマ道状態なのであり、値段もコースによるが、まあ一緒である。まあ、申し込んだ瞬間にメールで代金振込みよろしくだったよ、てか振込み期限が3時間しかないじゃんていうか、申込みしたのが24時間切ってたからねえ。いずれにせよ、メールの発達でスゴイスピーディな時代だねえ、それで、俺も訳の分からん旅行コースを今実現させてるんだけどねえ。「今から行きます」おまえ、旅行代理店やホテルや飛行機、友達か、ってな感じで。非武装地帯DMZは国境2キロを挟んであるってわけ。バスの中では朝鮮戦争の話がガイドにより1時間以上披露される。 ちなみに、ここは韓国人は来れないというのが、不思議だね。外国人のみに解放されている。 とにかく、ロッテホテルに集合である。日本人バスと、その他英語チームバスの2台で板門店を目指す。名簿は事前に軍部に報告され、服装チェックもあり、軍事エリアに入ると、軍人が乗り込み、我々を監視する。ガイドは、「私が言いといったら写真とっていいです、それ以外は撮ってはいけません、今から」そいいうと監視係の軍人が叫び「あなた今写真撮りましたね、それ消してください。消したら軍人さんにカメラ消したか見せてください」とおっさんに諭していた。招待者バッチも渡され、胸に付けちょっと緊張感が走り、でも操り人形みたいやんけ、と思いつつも、何や、背広着てるの俺だけやんけ、と思いながらも、30名近くに、一人参加が3名いたことを書いておこう。(めしのときに、プルコギが出て、一人様以外は鉄板焼きで一人の方はお皿ですということであった。一人だからって、どうもー、なんていちいち紹介しあわないのが、ほとんど日本にいる「感覚」と変わらないからだったのからかもしれない。(まあ、俺もおっさんに話しかけられても疲れるだけだったからよかったけど。あ、おれもおっさんか。) 一応、ガイドさんによると、毎日どのようなコースになるかは軍部から連絡があるので、滞在時間など変わってきますのでよろしくお願いします。普通の観光と違いますので、十分歴史も配慮お願いしますということであったが、1980年代、先輩たちに見せてもらった写真は結構物々しかったなあてな感じで、今は、まあ、ポップじゃんと思いながらも、ガイドが、昨日にミサイルが韓国に飛んできたので今日は、まあ、あまり期待しないでください、とせかされる感じで期待感を削ぐような発言を連発し、それでも緊張感を煽り、我々を楽しませてくれるのであった。 イムジン川を越えると、橋はジグザグに障害物が置かれ緊張感が走りつつ、ここから以降に済む農民は兵役義務も納税義務も免除されており、娯楽はないが、年収が1500万ぐらいになり、結構危険の代償として金持ちであり、すれ違う車がベンツかBMWとなるのである。(あとは軍部の車か観光バスのみ)水田の向こうに林がありその向こうが北朝鮮ということで、なんだかはっきりしていないとのことで、畑作業中は軍人が見張りに出て、夜間は外出禁止であり、遊びに行くときは泊りがけになるとのことであった。まあ、俺には農民のことは分からないが、危険代償の特権階級となっちるようだ。まずは、パスポートを提示、専用バスに乗り換えるのだが、その前に洗脳ビデオを見せてくれるのだが、まあ、それはいいんじゃねえか、ガイドも皆さん起きてくださいよといっていたが、最近の観光客は真面目な方が多く、誰も寝てなかったのがあまり面白くなかった。みんな真面目なんだなー。俺も、牙を抜かれて今はマジメーだけどねえ。多分。いやはや、真面目しかとりえがなくなたよ。国境の両国の国旗の高さ競いが子供の喧嘩に見えるぐらい俺も大人になった。(低草地域が韓国内で、後ろの木々が北朝鮮。何か殺戮かいざこざがあったのか忘れたけど記念碑)ガイドさんの注意事項は続く。バスから手を振らないでください。北が、助けてというシグナルで新聞や広報に使うかもしれません。決して指をささない下さい。挑発と受け止め、いつ銃弾が飛んでくるか分かりません。そのような行為をして、その場は収まっても、帰国してから、あなたのところに関係者が訪ねる可能性がありますよ。今日は、残念ながら面白くなかったのは北朝鮮側からの観光客がいなかったことだ。青い軍事小屋は韓国側北朝鮮側と交代で見学に入るのだが、ちっとも北朝鮮側に人がおらん、何だか昨日ミサイル落とされたからか、ガイドが急かすということで、その瞬間は直ぐに終わってしまった。北朝鮮の見張りやぐらをひょいと見て、バスは通り過ぎる。帰らざる橋もちょいとバスから見て、はあ、ほう、で終わり。捕虜交換の橋で、向こうは北朝鮮。橋の真ん中で一度だけどちらか対岸までいけるという「決断」のシステムであった。参加者で撮った全体写真も1500円で、あ、もっと高かったかな、みんなすごいよね、俺以外全員買ってたんだよね。いらんだろ、そんなの。ま、イランヤツ代含めた値段設定だけどねえ。前々から思っているんだが、心情としては同じ民族なので統一は悲願かもしれないが、自分ごとにしてしまうと、静岡あたりで日本が分断されていて東側が今の北みたいな状態だったら、統一したいだろうか。どんなけ西ドイツが酷い目にあったか。それに東ドイツはソ連より酷い目にあった。ソ連は国土を減らしてロシアになった。しかし、東ドイツは国がなくなった。国がなくなって最愛の人がシュタージュ(秘密警察)だった。なんて悲劇。何せドイツ人は真面目、ソ連のKGB以上に規律に厳しかった。私の見立てでは、韓国は、旅行してみて分かるのだが、ホテル代は確かに高いのだが、その生活水準からして物価が安すぎる。それは、日本人だから対ウォンに対してそう思うのだが、これって、ちょっと説明不足の飛躍なんだが、アメリカやヨーロッパの家電製品が日本製品を圧倒して韓国製品つまりソムスンが売れているのは、技術力ではなく、PPT(関税をなくす協定)でもなく、不当にウォンが安いために起こっている現象と思われる。ヨーロッパで韓国製品は安いってサムソンだけだ、とうかウォン安を背景にした国家=サムソンなのだ。 まあ、鼻息荒くなるからここで終わりにして、そういえば、JSA、割と良かったよな2回見てるから。共同管理地域ていうのかね。でも、結局ふうにんさんの北からの板門店ツアーのほうがおもろいやろねえ。しかし、今日は会議場、兵士一人か・・・。ソレニシテモ、「グー」はテコンドー?マイクは実は常にONとか・・(そういう説明はなかったけど)サングラスしてるのは、北にメンチきられたらまけるからである。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.20
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乗り合いタクシーでアルマトイから国境を越えて5時間半でビシュケクに23時に到着した。(国境超えに1時間かかる)タクシーも予約したホテルを見つけることができずに、市内を回る。ここに違いないとやっと到着したのが、暗いソ連時代の建物で、ホテル名もディストクと書いており、私の予約したクラブホテルと違い、心配となるが、ここだと言い張られて、建物の前においていかれる。暗い。アパートのような所に入ると、5階に行けと警備員に言われ、5階にいくと、一角にフロントがあり、ダメ系ホテルの気配がする。 しかし、フロントのにいちゃんは親切で、部屋に入ると前面改装されており、綺麗で、ネットも無料で無線できるようになっていた。 もう23時半で、窓から外を見ると真っ暗で郊外のホテルかと思い(あまり町の中心部はなく23時で繁華街はない模様。中心から500メートルも離れてなかった。)、とりあえずバーか何かビールでも飲んで飯でも食えるところを探すかと外に出た。いつもは全財産持って行くのだが、何となく、荷物に鍵をかけ、30ドル分だけ現金を持って外に出る。出るときに、どこかの航空会社クルー一行様が入ってきたので、ああ、一応ちゃんとしたホテルだったんだと安心する。 見回すと、3箇所ほど明かりがあり、歩いていくと、3分もしないうちに一番近いところが24時間スーパーで、ラッキーと思い、ビールと弁当(韓国系味付け細めん)を買い込んで外に出る。外の道脇には娼婦がたむろしており、そこをすり抜けてホテルに戻ろうとすると、すごい体格のおっさんが私めがけて走ってきた。警官だった。「しまった!これはやばい、これはうわさに聞く悪徳警官に違いない!娼婦を買ったと難癖つけてくるに違いない、目的は俺のビッグマネーだ!」と私は咄嗟に気がついた。中央アジアではパスポート携帯が義務付けられているらしいが、それをネタにかつ上げするパターンだ。近年は減ったということらしかったが、ほんの一瞬ホテルをでるときにそのことを思い出したのか、キルギスマネーのみ持ち(いつもはホテルを信用してないので全財産持つ)出かけていたのであった。「パスポート出せ、ポリスだ、すぐことらに来い」「いや、ここでいい、ホテルはあれだ、俺は買い物だ」と2方向を指差す。「ダメだダメだ」のようなことをいえわれ引っ張られる。無理矢理ポリスカーに乗せられ身体検査開始。「ダメだダメだ、日本大使館に連絡だ、それに明かりをつけろ、それまでポケットの中身は見せない」というが、当然英語も日本語も通じず、パスポートを見て、「ビザがない」みたいなことをいい難癖つける。「じゃあ、お前の名前は何だ、あした警察に報告するから」とバッジを見ようとするが、書くものを忘れた。そもそも通じていない。おまけに、ビールを見て夜中に酒を買うのは禁止だ、みたいなことを現地の言葉でわめいている、3対1で密室だ。まったく分からないふりをするが、もう堪忍するしかない、友達になる懐柔作戦に変更し、「おまえら、おれと一緒にこのビール飲もうぜははっはあ」と笑ってビールを取り出し勧めるが、目がまだ怒っている。駄目だ、分かる言葉もニエットだけだ。仕方ないと、あれだせこれ出せにいろいろ1ポケット一回ずつ見せる。デジカメ、財布、カードケース、マップ。それだけだ。デジカメはどうやってみれるんじゃいと怒っているが、どうせ金だろ、これは写してはいけないと難癖をつけるだけだろ。そして、財布を調査される。すぐに、財布の中身を数えてたようだが、取り返したときには日本円にして1600円がなくなていた。(財布の中身は3000円ぐらいだった)すぐに気がついたが、ここは開放されることが第一と考え、これで金を払ったから、あとは、何かあるごとにグッバイ、とサンキューバイバイを繰り返し、30分ぐらい押し問答が続き、カードケースの中を綿密に調べられながらも、もしものときに挟んでいた20ドル紙幣もうまく見えないように調べさせ、やっといいぞとなったとき、すなわち、やっと、3人に悪徳警官が笑顔になったとき、ドアをあけて、「ところでおれの財布にあった1000コロナ返してくれ、知ってんだぞ」、とポリスカーを降りてからいうと、あほな警官、取ってないと尻を上げてしょおもないゼスチャーしやがった。死ねと思ったが、ああそう、前のポリにに渡してたの見えてたわいボケ!カズ!といってドアを思い切り閉めて、走った。(思い切り閉めて怒り出さないか、急に心配になったもので)一連の連行を見ていた娼婦の方々に哀れみの目をされ、なぜか、やられちまったよ、と私も彼女達に眉毛への字型ポーズをとり、ホテルに戻り、即、明日の12時のチェックアウトを延長しもう一泊でいいから明日の23時チェックアウトに変更してくれというと、半値で承諾してくれた。すごくいいフロントマンだった。英語は下手で親近感が沸くけど、それ以上になんだか、俺の友達の弟に似てたんだ。君はいいやつだ、きっと皆言いやつだ。悪いやつはポリ公だけだ、もうケタックソ悪いこの国には二度と来ないから、サイナラだ! ホテルの部屋の鍵を閉め、足音がすると、また警察キヤガッタか!と自意識過剰になり、ビール1リットルが15分ぐらいでなくなり、しまった!でも追加買いに行く勇気ねえ!と弱気に思うのであった。フテ寝だ!朝、起きたら、景色にびびった。それは、はっと息を飲む。そして教訓を得る。外に出るときは貴重品もなんだが、メモ用紙と筆記用具を用意することだ!と悟ったのであった。しかし、圧倒的な不利な状態でまあ、20ドル分で済んでよしとするかと代償規制を働かせるのであった。 天山山脈7000メートルであった。
2011.08.19
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カザフスタン、アルマトイ15時、今日中に5時間先のキルギスのビシュケクに行けばいいやと軽く考えていたが、ふと、もしかして陸路の国境って夕方に閉まるのではないか、そんな過去の経験からその可能性もあるような気がしてきて、至急焦りだした。 急いでホテルに戻り、バスターミナルに行こうか、と思ったが、少なくとも役人の17時には断然間に合わない。24時間オープン国境であることを願うしかないのではないか、と思うことにはしたものの、バスは頻繁に出ているとはいっても、向こうに夜中に着くようなバスはないかも知れないとも思いつつ、何だか悪いことばかり考え始め、急いでタクシーを捕まえてホテル荷物ピックアップ経由でバスターミナルに行くことにする。 しかし、この国は車の天井にタクシーマークつけたりボディにタクシーと分かる文字や色のタクシーが少なく、適当に道端で手を出して、走ってくる車が止まってくれるのを待たねばならない。それも、何だか、ヒッチハイクなのか、ヒッチハイクシステムで多少の銭っこを払うのか、ほんまにタクシー運転手なのか、分からないのだ。明らかにカップルの車が手を上げた人の前で停まったり、先ほど私が乗ったタクシーも私が乗っているのに同じ方向に行きそうな人を探していた(まあ、それは韓国他よくある話ではあるが)。 走ってくる車を止めて地図出してというのも、説明するのも大変だし、停まっている車にも結構人がぼんやり座っているので、車の中に人がいるのを片っ端に、「あなたはタクシーか」と聞くと、そのうちの一人がそうだといい、まあ、本当にタクシーなのだか、適当に乗せているのかよく分からないまま、地図を広げここに寄ってここに行くみたいなことを言って、人のよさそうなおっさんだったので、値段はこれでいいかと札を見せるとうなずいた。多分、結構、多目だったおかも知れない。(実はその前にも俺もタクシーだといわれた車もあったのだが、小心者の私、その車がぴかぴかのベンツだったので、遠慮した) バスターミナルに着くと、バスはどうやら、もう最終便が行ってしまったのか、よく分からないが、ビシュケクを叫び続けると、皆が指差す方向に歩いていくと、端のほうにたどり着き、キルギスの国境までしかないぞとか言われながらやはりそうかと落胆しつつ、一人かおまえといわれ、連れて行かれると、さあ荷物を乗せろというので、値段を聞くと3000テンゲ(1600円ぐらい)といわれ、バスなら1000テンゲなのだが、このヴァンでいくことにする。私が乗るとすぐに出発、後ろには5名の人数が乗っており、出発時に3000ずつ金を集めた。ぼられてはないが、1万円の商売か・・・と物価から考えてまあまあだなあと思いつつ、出発する。多分、学生時代ならそういうことも調べたであろうが、今は、時間を金で買う極悪サラリーパーソンなのだ。 市内は暫く渋滞だが、その後草原地帯を走り出すと、景色がすごく、ついつい、雪のないチベット高原を思い出した。ヤクがいたらそのままだなと思いながら羊や馬が放牧されていた。イスラムの墓も見える。後ろの3人家族は、「シナ?コリア?」と聞いてくるので、「ニッサン三菱トヨタジャパン」と答える。その後ろの若いカップルは、ジロジロと私を見る眼光が鋭い。(といいながら荷物を見てくれた)4時間程度で国境に到着し、人があふれ、押しくら饅頭状態の罵声(順番抜かした抜かされただの)の微笑ましい状態の中、1時間かかって出国する。3人家族のおばちゃんが、「私に着いて来なさい!しっかりと!」といいながら、どんどんスルリと抜け、前の方に行ってしまう。私の出国の番は、皆と違い、長く長い尋問、というか、まったくロシア語が分からず、オーオーといっている間に、スタンプが押される。キルギスの入国は、5分程度。それも、お前は別室だ、といわれ、別室に行くと、部屋に入るなとパスポートだけ取られ、3分ほど待つと、はいよ、とパスポートを渡される。入国カードも何もなかったんですけど。スタンプ押されてるのか、確認すると、「あ、薄っ!」となんだか押されているんだか分からないものがあった。運転手と車はまだであり、ゴロゴロ歩いていると、同乗者のおばちゃんがここよ、皆荷物固めてるわよ、といい、荷物を預けると、同乗者おじちゃんがビールを飲んでいたので、私も両替して、ビールを買いに行く。荷物を見張ってくれるカップル。その横で、ごめん、ビールぐびぐび。闇に隠れて立小便も。 30分ほど待つと、やがてヴァンが国境を抜けてきて、30分も走るとビシュケクの街に入ったのであった。途中でおばちゃん一家3人が降り、若いカップルがバスステーションで降ろされ、残り私は一緒にホテルを探してくれた。運転手はトルコ人だそうで、暗い街中をぐるぐる回ってやっとホテルらしき?場所で降ろしてくれたのであった。結局時速100キロを超える爽快な道を越えてでも、5時間半かかったが、90分は国境超えに時間を要したので、実質は2,300キロを4時間かけて走ったという感じであった。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.18
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チェックアウトして、目の前の道路に出る。目の前には路面電車が走っており、それに乗ったら町の中心部までいけるので乗ろうとするがなかなか来ない。どこから乗るのか駅もよく分からないので、まあ、30分歩けば町の中心部に着くので、線路沿いに歩き続けることにする。 歩いて30分、割と遠かったな。 歩いて1時間、何だかとっても遠いな。地図上では3キロ程度だったんだけどなあ。 歩いて1時間半。線路が折れ曲がった。おお、ついに、ここかと地図を見る。じゃあ、あと1キロないな。 歩いて1時間45分。道がなくなる。どうも、先ほどから郊外化していって、町がきっと急に開けるのだろうなあと思っていたのに、道の終点が自動車整備青空市場状態。まるでカイロでぼーっとしてたらバスが終点まで行ってしまったときの光景だ。まるでソウルでぼーっとしてたらバスが終点まで行ってしまったときの光景だ。荒れた感が漂い、郊外のすさみ度が悲しみを呼ぶ。 それに市庁舎がみえるはずなのに、ない。急に気がついた。何の疑いもなく歩き始めたが、そもそも、南北逆だったのではないか。しまった!今頃気がついた!ショックだ、2時間近く反対方向に歩いてきてしまった。なぜもっと早く気がつかなかったのだ。おかしいおかしいと思いつつ、まさか自分が間違えているとは思いもしなかった。ショックである。すぐさまタクシーに乗ると、予想通り元来た道を走り出すのであった。このみちはーいつかきたみちー、と頭の中を駆け巡ったのであった。アルマトイは、ロシア語読みのアルマアタから変更された名。カザフスタンはロシア、カナダ、中国、アメリカ、ブラジル、オーストラリア、インド、アルゼンチンに次ぐ国土の大きさを誇り世界最大の内陸国である。この国土の広さ、人口の少なさ、資源の豊富さで、実は今後注目すべき世界大国になる潜在力を持った国である。私はそこに賭けた、いや金も投資もかけてないけど、見てみようという気に急になったのだ。もしかしたらあと20年すると、アルマトイは世界の中心のひとつになるかも知れない。しかし、今は、ウーン、何もないぞ。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.17
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韓国インチョン国際空港からアシアナ航空が6時間かけて時差で3時間戻りカザフスタンのアルマトイに到着したのは22時過ぎであった。入国カードは、初めてのことだが、パスポート番号記入欄がなかった。どちらかというと、招待者は誰か?そんなの知らないので、取りあえずビザの発給者の名をパスポートみながら書く。カザフのビザは、無料だ。1回入国は簡単だが、マルチプルは難しいらしい。しかし、申請時に2回入国と申請すればOKとなった。キルギスに行って帰ってきますからと申請書に書いたのが良かったのか。空港。どこでも同じだが、タクシーが寄ってくる。全部交渉だ。空港から市内までは15から20キロといったところで、近いのだが、またホテルのありかが分からない。ホテルの予約をしたとき、ついつい値段と(アルマトイのホテルは全体的に日本並みに高い)、変わった外観に見せられ、中心部まで3キロほどあるがまあいいかと思いネット予約したのであるが、ホテルがないのである。通り名はあっているのだが、ようやくディスコがホテル名と同じ名前だったので、確認すると、その4階に行くとホテルであった。長い廊下に両脇に8部屋ずつあり、一番手前の部屋がフロント兼従業員事務所である。従業員といっても、一人女性がいるだけで、ハイ、鍵と渡されて終わり。部屋はまあ、普通なのであるが、ホテル名の看板もないし、その人一人でずっとやっているみたいで、これは朝食付とかいってたけど何もないわな。1階はディスコに来る着飾った人々であふれ、横のエレベーターで上がるシステムだ。何だかよくわからないまま、ビール飲んで寝ようかと雑貨屋みたいなところがあったので行くと、荷物の搬入をしていて、営業時間は終わりとおばちゃんに断られる。商売気ないなあ、自分の店じゃナインか?と思って、ビールを冷蔵庫に戻す。 朝8時半にノックされて寝ぼけて空けると、例の従業員が朝食を持ってきた。ああ、部屋で食べるシステムかと少し感心しながら、飯を食いチェックアウトすると、違う部屋で従業員が部屋の清掃をしていた。荷物を預けて(従業員の部屋に置くだけ)外に出たのであった。外観、こりゃホテルじゃないわ。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.08.16
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スカンやマゲランといった町で、何度かバスやコルト(乗合バン)を乗り換え、ライステラスの横を走る。最高時速五十キロに満たないバスが、椰子森を抜けてボロブドゥール村に着く。観光するは、私だけで、他の乗客には生活があった。何百年と火山灰の中で眠っていた巨大仏蹟。ユネスコの大復旧事業。アンコールワットと同様、高校の教科書で習った名称。結構感慨深いものがある。そして、実はボロブドゥール村にはちゃんと生活が隣り合わせで進行していた。千年の歴史に思いを漂わせる、といった芸当はできなかった。ほんの数年前の歴史の教科書という手の届く範囲の歴史のことを思っていた。家事もせず、奉仕もせず、本も読まず、ただ記憶力だけの受験勉強で人を蹴落とす為に、覚えた単語に過ぎなかった。シャイレンドラやマジャパヒト、シューリービジャヤといった単語を。そして、今、現実、目の前にある、覚えて報われた、甘くもそんな気がした。先日もそうだった。 スマトラバスは、夜中に古都の赴きさえ残していないパレンバンに入り休憩となる。夜中、数件しか開いていないドライブウェイ。道の一番外れの店に行ってみた。他の店と違い、裸電球ひとつで、数少ないモノが静かに置かれていた。おばさんが背中を向けたまま座っていた。バスで一緒だった青年がミネラルウォーターを持って何か叫んだ。しかし、おばさんは振り返らず、何か諦めきった背中を見せつけたままであった。青年は、静かに定価の分からぬ金を置き、私にへの字型眉毛を見せて、バスに戻っていった。まだおばさんは動かない。 歴史的に有名な町パレンバンで、シューリーヴィジャヤ王国の首都時代の昔を偲び、想起し、心を漂わせるという気になってみたかったが、高校歴史の教科書には一行どころか、単語しかでなかったような気がする。いかにヨーロッパと中国辺りを中心にしか世界史を学習しなかったし、当時は西洋から見た世界観としての歴史しか教科書には書いていなかった。パレンバンの地に立ち、「マジャパヒト王国に占領された地」としか呟くことができなかった。今一番強い地域が過去の歴史を作るのだろうか。それとも、文字を残すのが偉い歴史なのだろうか。異常に記憶のいい民族だったので、口頭だけでおおよそ伝承されていったという歴史を持っていたり、はたまたテレパシーのようなもので以心伝心していた民族もいたのかも知れない。高度な文明は辺境から出てくるのかも知れないぞ、と息巻いたところ、バスは出発の合図をしたので「何かよく分からなかったぞ。パレンバン」といいバスに乗る。ジャングルカーブは続いた。ボロブドゥール入場料百ルピアに対し、一万ルピアを差し出すと、切符売りのおじさんは、そんな大きなお釣はないといい、暫く眉間に皺を寄せて考えた後、急に笑顔になり、「行ってもいいよ」と合図してくれた。見えてきた。見えてきた。しかし、走りだすな。寺院に徐々に近づいていく状態を楽しむのだ。噛み締めるのだ。もったいないぞ。机の上で苦しんで覚えた名前の報いを貧乏にも小出しに享受せよ。そう、インドのあのときもそうだった。 その日、正午タージマハル正門前で集合、と約束したのが一ヶ月前であった。その日、正午、私はまだバスの中にいた。 午後三時。アグラ。酷い観光都市だ。料金交渉決裂で二度リキシャーを乗り換え、正門前に参上。そこにいたのはインド人下男。ひたすら友の名と私の名を書いた紙を持ち、入場する日本人らしき人に紙切れを見せていたらしい。私はその宿の下男に付いていった。 その後、シャージャハンが王妃のために二十二年と国家が傾く程の天文学的費用をかけた大理石の墓。ゆっくりゆっくり噛み締めるようにその墓に近づいて行った。これでもかこれでもかと一瞬圧倒されるが、五分後には芝生に寝転がる。権威を無視する優雅さを知る。栗鼠が這うのを眺めた。 タージマハルの裏に流れるヤムナ河を大理石に座り、見ていた。水牛の群れがいた。すぐ裏ではやはり人々の生活があった。 翌朝、タージマハルから朝日を見ようと約束して、来たのは私だけであったし、そのせいで風邪をひいたのも私だけであった。ボロブドゥール寺院は、礼拝の場ではなく瞑想の場だ。小宇宙。最上段から見渡せる一面に広がる椰子の森の濃淡な黄緑色に、たまらなく魅了され、寺院見学もそこそこに、森の中へと消えていった。 椰子の森の狭間に道があった。べチャ(人力車)の男に出会った。「ボロブドゥールに行くかい」「いや、今、そこから出てきて森を散歩していたところだ」「そうか。君はチャンディ・ムンドウッドを見たか」「知らない」「君は仏教徒か」「一応、形はね」「それなら、君は釈迦が始めて説法した場所を知っているか」「ああ、インドのサールナートだ。ヒンドゥの聖地の近くだ」「そのチャンディは、サールナート派の流れを組む寺院だが、安くしとくから乗っていかないか?」「サールナート派?うーん。そうか。じゃあ、君が座席に座り、俺が自転車を漕ぐから、もっと安くしてくれるか?」「分かった。行こう」バラーナスの近郊、サールナート。乗合いタクシーの運転手に声をかけられて、乗り込むと、定員いっぱいになるまで、タクシーは出発しなかった。野菜を大量に持ったおばさんや子供と一緒で、ブディスト四大聖地の一つに向かうという雰囲気ではなかった。実際サールナートは村であって、記念公園らしき芝生の広場に、そう大きくもないストゥーパ(仏塔)が二つあり、私も芝生に座り、静かにリスの動きを見たり、鳥のさえずりを聞くことぐらいしかすることがなかった。ここは、仏陀が初めて説法した時、相手は人間五人の他、鹿等の動物もいたという。そんな雰囲気が二千年を超えた今でも何となく感じることができる。それは、そういう地だからという錯覚かも知れないし、地面のパワーが特に強いのかも知れない。同じ様に分からないのが、日本やタイ(でさえ)「仏陀のことば」をじっくり読むのは集中力が必要で、しんどい作業なのだが、インドでは不思議にすっと読めてしまう。地のパワーか、私の感傷のためか。そうやって、芝生で寝転んでいると地元高校生らしき集団が話し掛けてきて、冗談なのか本気なのか、私の荷物を勝手に詮索しだして、盗むような仕種をする。「俺はまだ、悟っていないんだ。所有の精神がまだ抜けないんだ」と情けなく呟き、「それにしても、ここは聖地なるぞ、この地で盗みとは何たることだ」と叫んだ。集団は、気分が高揚し、蜜柑の皮や牛の糞を私目掛けて投げつけてきた。空気は悪かった。私は退散した。痩せ我慢いっぱいに、歩いて退散した。私はチャンディ・ムンドウッドを見学した。小さな石窟霊廟であった。見学は五分程度であった。べチャの男は、腕を組んで、「帰る私」という獲物を待っていた。べチャはインドネシア独特の人力車で、乗客が前に乗るようになっており、眺望は約束されるが、事故死亡率は高そうな乗り物なのである。どこの国でもそうだが、大都市に職を求めてやって来ては、取りあえず職に手のない者は、運転手になってしまうという構図なのだ。彼も眠って客席でくるまって寝ている運転手の一人なのだろうか?私はある運転手とその日のことを思い出していた。早朝、インドのオールドデリー駅を出ると、予定通り、駅前にたむろするリキシャーワーラー(人力車夫)が数人寄ってきた。外国人は外国人価格があるのも仕方のない。皆、結託談合して一律価格を口々に叫ぶのも、まあ、しようがない。その中で、一人高杉晋作似の若者が、ウインクし、ガムチャ(万能布)をフラリと肩に回した。皆の言値より一ルピー安く行くことをいとも簡単に承諾した。同業者の揶揄には、余裕の照れる様な笑顔で半分無視するのが印象的であった。明日のジョーの力石徹の様に目をつぶって口の両脇だけが上に上がった。ガムチャでサドルを拭き、「人の心をちょいっと揺さ振るコツは知ってるぜ」という様な顔をして、ペダルを漕ぎ始めた。四キロ離れたニューデリー駅で、私は交渉値に二ルピーをプラスして渡した。彼は「してやったり」とした笑顔で、お金を持った手を上に挙げた。列車は行き先によって、出発駅が違う。大都市では外国人は専用事務所で切符を取ることができるのだが、この時は、少しでも同化してやる、といった浅はかな意地を持ってして、列に並んだ。一時間並び、順番が回ってくる。「今日は満員で無理だな。あの列に並びなさい」あの列に並んで、約一時間。「そっち行きの切符は売ってない」「仕方ない、長距離バスで行くか」妙にあっさり引き下がった私は地図を頼りにバススタンドを目指した。が、道に迷い、二時間後、何故かオールドデリー駅前に来てしまい、早朝の振り出しに戻る。今度はオートリキシャー(三輪バイクのタクシー)で行くことにしたが、途中、交渉値と違うことをいいだし、喧嘩を始め、途中で降りて、そこまでの料金払う払わないで三十分間、言い合いをする。はっきりいってかなり疲労度が高まってきていた。どこで降りたか分からないが、見渡すと銀行を見つけ、そろそろ両替しなければならないことを思い出し、銀行に入る。こちらの銀行員は横柄な方を多数見かけるのだが、彼も例には漏れていなかったようだった。「現金は駄目駄目。トラベラーズチェックだけしか受け付けないけんね」といい、「おい、机の上にバナナを置くな」と注意され、「パスポート」と仏頂面で怒鳴られ、パスポートに挟んであった使用済み航空券の裏の広告をしげしげと眺め、「おい、この電気剃刀はいくらぐらいするのだ。おまえは持っていないのか」と質問され、「ところで、インドはいい国だろう。我々は何でも持っている。映画製作本数世界一だ。それに…」とお国自慢が始まった。「そうね。原爆だって持ってるもんね」と皮肉のひとつでもいってみたが、「そうだ」と逆に自慢され、オンステージを引き伸ばす結果に終わってしまっただけだった。結局、百ドル両替するのに一時間を要したのであった。そこからリキシャーに乗り(これは無事に)、バスステーションまで辿り着き、ラジャスタン州ジャイプル行きの窓口を見つけ出して切符を買おうとしたが、「うーん。その切符の販売は二時間後だからね」と優しくいわれ、その近くのベンチにへなへな座り込む。バスのクラクションがキチガイの様に、常に同時に鳴り響いていて、こちらも気が狂いそうになる。靴磨きセットを担いだ子供が何人か、お客を探してうろうろしている。そのうちのひとりが、新聞を読んでいた隣のおっさんの靴を勝手に磨き出した。おっさんは特に怒る様子もなかったが、一度も子供に視線をやらず、新聞を読み続けたままポケットから一ルピーを出して、子供の足元に落とした。次に子供は、私の足元を見たが、表情を変えず、また次の客を探して歩き始めた。私は、草履だった。二時間が経過し、窓口に行くと、担当が変わり「何だ。その切符は売ってないぞ」といわれる。デリーに着いてから八時間が経過していた。もう、笑うしかなかった。そして数秒は笑ってみたが、この状況を打破すべく、私は窓口で大きく宣言した。「ジャイプール行、スーパーデラックスシート一番高い奴、一枚」切符は難なくとれ、一時間後、指定された番線に行き、バスに乗り、余裕のまま、念のため、隣のインテリ風おじさんに切符を見せて確認すると、インテリ風おじさんは驚愕し、「これは違うバスだ」と大声で叫び、バス中が愕然となり、バス内の有志数人がバスを手分けして、手分けして探し始めてくれた。バスはあった。私は何度もお礼をいい、バスに乗り込んで、一分少々でバスは出発した。車内では、一人の女性を兄弟で奪い合うといった内容の踊りアクションありのインド映画が上映された。「インド映画は世界一面白い」といった銀行員の顔を思い出し、「私は貧しいインド人達に、束の間でも夢を与え続けているのよ」といったインドの名女優スリデビのことばを思い出していた。ピンクシティと呼ばれるジャイプルには夜遅く到着した。 ボロブドゥール村には、ぶらぶら歩いて戻った。そして、古都ジョクジャカルタを目指した。
2011.08.10
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2011.08.09
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資源を大切にしようという崇高な考え方は大切だ。子供心をうまく操作していいことしている気分にさせる、という教育も大切だ。いったいどのくらいのペットボトルが回収され、レサイクルやリユースされているのか、割とブラックボックスだ。一時期に比べ買い取り価格が100分の1とかになって、まったく商売として成立しなくなったからか、中国への輸出って、それもレサイクル換算にいれているが、それを禁止する国際法には批准していない。税金どこまで使ってどうしているのか、特定業者だけがいい目あっているのではないか、そういったことを学校で教えているのだろうか。ペットボトル持ってきなさいといっているのか、できるだけペットボトル商品を買うのはやめましょうといっているのか、まあ、私は知らない。勿論、ちゃんと、蝋燭の蝋を取ってからリサイクルだすんだろうね。キャップを集めるキャンペーンもあるよね。小さなことをコツコツやるのは大切だね。エコキャップはこんなに集まっているんだね、2007年8月から40億個。しかし、収入が分からないね。いくら寄付したか書いているけど。40個で1円と書いてあるが本当かどうか分からない。0円よりはいいかも知れないが、会社でもキャンペーンとか1回してたけど、1週間やっても10円ぐらいじゃん、直接寄付したほうがいいような。そういう趣旨じゃないか。しかし、送ったり、キャンペーンはる人件費も結構なもののような気がするなあ。ウキペディアでもその問題点が指摘されておる。正直報告すると活動が停止させられかねないんだろうなあ。
2011.08.09
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体だけでなく、心も癒されたい?時々聞く言葉だ。心地良いことはあるし、楽しかったり、気持ちよかったりすることはあるが、何か受身的な癒されるという感覚が良く分からない。疲れが取れる、すーっとするというのとは違うような気がするし、寝るというのとも違うだろうし、快楽でもないだろう。お前はクタクタになってないからだ、他人やモノに頼らないからだ、癒すような人格者になれ!ストレスねえのか!ってことだよねー。 1980年代、90年代に頃は、癒しという言葉はまだ登場したばかりで、癒すというより、ヒール、ヒーラーとか呼ばれてたよね、まだまだ、元の意味である宗教的な語源から、どちらかというと、呪術医とかと結びついたような言葉だったような気がする。何でもそうだけど、流行ってきて、なんだか分からなくなったり、親しくない取引先や友達がそんな言葉を使い出したらもう終わりだ(えらそうなことをいうけど、一度も聞いたことないような言葉を聞くほうが多いが) ちょっとしたストレスを様々なアイテムやパワースポットみたいなところでほんわかほんやりちょとだけ緊張をほぐすって商売の一環に巻き込まれた頃、もう、ケッ、と思ってしまう自分ですみません。 つまんね言葉になっちまったような気がするよ。ははは。ぷちぷちでもやときな。
2011.08.08
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その前に昨日は節電なんかするかい!と言ったものだが、嘘つきで寝る前に1時間タイマーで冷房かけました。すまん。みんな適当なこといいやがってといいながら、そういえば計画停電したときも、火力発電わざと止めてたクセニ、原発ないと駄目だキャンペーンほんま怖いねえ。その火力発電で福島分なんかまかなえたのに。なんでそういうことをマスコミはいわないんだろうね、まあ、理由は分かるけど。結局フリーライターとかが質問せんと出てこない答えだったわけで、ふと、中国も最近、いつもどおり酷いな人権も何にもあったもんじゃない、言論の自由も何にもない、と酷い国だと思っていたが、日本も負けず劣らず酷い状態であることを露呈したと思った。だって、中国の報道は、ニュース流すほうも、聞いてる方も、どちらもこれは政府のプロパガンタだから、基本的に信用できないものだよ、と双方分かっている。確信犯的なところで、非難するもなく、誰も国がいうことなんか嘘にきまっていると信じていない。しかし、日本では、まだ新聞とテレビが多くの特に年配の人にとっては主力な情報源であり、本当のことを言っていると思っている(中国版ウイッター的なウエイボーなどは2億人が2年で参加。中国列車事故では1000万人がつぶやいた。当局が消しても消しても追いつかない。ついに既存メディアまでが当局に厳しい追及してましたね、もう日本ではない姿ですな)。ましてや、大手メディアも麻痺して自分が広報していることが本当だと思っているかもしれない。それはただ政府や電力会社の言ったままだろ。信じられているだけに、まさに、洗脳である。中国はとっくに洗脳から冷めている。日本のほうがヤバイんじゃないか。中国では政府の言うこと無視して、金持ちは高い食料を輸入してでも食っている。金と自分と身内しか信じられない、まあ、昔から中国はそうだったからね。日本人は助け合ってきたからね、つけこまれちゃってるね。正直者が騙されるという無茶苦茶な時代だ。びわのたきかずらばしちっとも怖くない。なぜなら、ワイヤーが見えてるから。3年ごとに架け替えられてるから、安全!映像
2011.08.07
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そんなこといわれんでも、お金がもったいないから、多少我慢して昔から節電ぐらいしている。墓穴掘っといて何だか何言ってんだという感じがするのは、電力会社が民間企業だからだろうか。食べ物も衣類も不動産も電車も車も広告も、民間企業が、これ以上買わないで下さい!っゆうか。何故言わないかというと、それまで切磋琢磨して同業者と戦ってきたからであり、利益団体だからである。電力は、国を挙げて異業種の電力参入をできるだけ阻んできた。電気料金は必ず一定利益とっていいよと安定された中でヌクヌクしてきた。そして取り返しのつかないことになって、消費者に迫る、電気料金値上げも視野に入れている。 それにしても、仕方ないことだが、電力会社など向こう側は隠蔽するか嘘をつく、政府や国のいってることも嘘、マスコミもまさにマスゴミ状態、いったい誰を信じたらいいんだ!となる気持ちは分かりますが、といいつつ、体系的に本当を把握している人間や機関はなく、本当に何が正しいか知っているものはおらず、根本的に全てを隠していて自分たちだけが安全にしている、といった集団もない。しかし、ちょっとでも、その特権階級のおこぼれに預かろうと、ネットを渡り、海外の意見や近くの人の意見を取り入れようとしている。神のみぞ、俯瞰し、全部知っているが、知ったこっちゃない。がんばろう日本!一体となって、って、前から言ってるけど、地方分権するチャンスじゃん。家族が一緒になってる、身内が一緒にいるのが一番とかいいだして、楽しい無縁社会せっかく作ったじゃん。無縁でいられるほど豊かになったのに。証拠に災害にあえば、無縁でいられないじゃん。皆助け合わないと。昔のドラマや映画や小説では、自由になりたい、いいなずけは不要好きな人と一緒になりたい、しきたりから逃れたい、集団から逃げ出したいって主張してるね。そういえば、孤独死って言葉が寂しいけど、風呂の水張りっぱなしとか電気つきっぱなしとかテレビついたまま何ヶ月で死んだのが発見されるパターンが多いけど、これって突然死だよね。死んだ姿は見るも無残だが、寂しい悲しいといって死んでいったのではなく、ぽくり逝ったってことだよね、ほっといてくれってことだよね。これ以上いうと、いじけているみたいだからやめといたるわ。でも、豊かだから無縁社会になってんだぜ。お、そんな話じゃなかった・・・本題もわすれちまったよ。でも人口減ってるから、国力弱っていくの当たり前だよな・・安全とか、補助金が出るとか、教育費が無料になるとか・・・それでは子供は増えないだろう。政策では無理だよ、人間だもの。 そんでも、政治家選んだのは国民だし(俺は、民主党入れてないよ)あれが、我々の総意なんだよね。電力会社も、技術者だから分かりやすく説明しろといわれても、会社員で上からあれこれ指示され余計なことはいうなといわれ、自分は専門的な言葉しか説明できないし、たどたどしくおどおどしていうのは、まあ、あまり他人事って感じもしないのが、まあ、私が厳しく突っ込めないヨワーイ部分なんだよなー。カーン。
2011.08.06
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その前に、原爆が広島に落とされた日、勇気を振り絞って戦争体験を語ってくれる戦災被害者の方々。それは貴重な意見であり、拝聴するに値するのだが、だから戦争に反対、悲惨な目にはあいたくありません、には説得力がない、残念ながら。被害者にとっては、自然災害と同じだ。やはり語らせるのは、絶対出てこないだろうが、戦争加担者たちに語らせることだ、無理矢理公の場に引っ張り出して。当時の権力者だけでなく、戦争を応援していた奴らだ。敗戦して、ころっと被害者面しているやつらだ。戦争を煽った新聞や先生どもだ。当時大人だった人は、戦争反対なんか言える雰囲気でなかった、勝てると思っていた、騙されていたといつの間にか自分の記憶や行動自体をすりかえてしまった人が多く存在する。戦争に加担していた人、人殺しをした人々に語らせるべきなのだ。大歩危小歩危その周辺には妖怪伝説が多いらしい。 今まで何度か、キャンプはしたことがあるのだが、夜、キャンプで一人テントしていて怖いのは、山の中ではない。ビーチとか、都会の中のひっそりしたところに隠れるようにしてテントを張る場合だ。お化けや自然にある眼に見えない何かが怖いのではない。人が怖い。子供の頃、妖怪で怖かったのは、逆さ男だ。まあ、妖怪図鑑の絵の描き方によるんだけど、変だったんだよなあ。後は、子供心に怖かった絵は円山応挙だよねえ。あとは、蛇女ゴーゴンか。それでも、子供の頃ってのは、何かと、目に見えないものや不可解なものが怖くて、親にも、何故怖くないのか尋ねたりしたものだが、だんだん年をとれば、そういうこともあるだろう、世の中ほとんどのことは分からない(人に聞いたり、調べても分からないこと)と思うようになってから、その諦めが大人かもね。まあ、結局、おばけよりこええのは人間だよ。ボブデイランのライクアローリングストーンをストーンズがカバーしてんだねえ。昔から絶対やってるよなあと思ってたんだけど、やっぱやってたか。ははは。
2011.08.05
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1980年代後半インドのどこでも聞かれた曲、マイネイムイズラカン!安宿でくゆらしていたら、音の割れたこの曲がよく流れてきたおでき偉大なり。私はおできとよべるような偉大な目には遭遇したことはないのだが、どうなんですか?その壮絶な戦いは。しかし、体内の秘密展っていっても、秘密じゃないよな。でも学研でも俺が子供の時には宇宙の秘密とか地球のひみつとか体内の秘密とかで、図鑑やマンガを何であんな毎日見てたんだろう。でもベタだけどシリーズに女体のひみつはなかった。。クイズゲームを日本語に訳しきれない(時間がなかった?)ゲームもあり、英語であるが、先生らしきおばちゃんがせっせとゲームに挑んでいた、おかげで順番待ちを15秒ほどしたけど、熱中症のおばちゃんにあたしの姿など眼中に入らない、男の色香など鼻柱にも入らない。さて、いよいよ胃を抜けてもっと下に。幾許か、私の人生もサイケな迷路に見える単なる曲がりくねった綺麗な舗装された道だ。行く手を阻む障害のように見えるものも、するりと抜けるイジリィライフ涅槃ぞ、と輪廻の外に出たと思ったら、校門から出ただけだった。気分はブッダにやられた孫悟空。このまえ、スリランカで見てきたよ。散々。人は、うんちを語らせれば、みな、ながいながーいストーリーを持っている。多くは子供時代の笑い話であり(修学旅行で寝静まったときに誰かが「うんち」と言ったり、パンツ汚して、パンツ乾かしながらその横でブランコしてるやつがいたりとか)、大人になると、深刻がゆえに後日笑い話になったり(屁かと思ったら実が出たとか、車内で脂汗かいてこの世の終わりかと思ったとか)、さわやかな話題であるがユーモラスであったりするのである。(食べ物の原型をとどめたまま排泄されたとか、外国で川や海に排泄したら魚や豚が寄ってきたとか)さて最期はゲームでもするのである。ベストショットにて有終(憂愁)の美を飾る。エンディングテーマは1980年代後半フィリピンで流行っていたシェイクボディダンサーだ!
2011.08.04
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日本の校則を笑いながら書いたことがあるのだが、世界にも目を向けようという安心な試みである。 1、 お子様が無断長期欠席された場合、保護者が起訴される場合がある。(イギリス政府規則)まあ、ヨーロッパじゃ、結構、親のバカンスに合わせて子供連れてっちゃうからじゃないの~?2、 学校でセくスしたら退学!(サンパウロの公立高校校則)ああ。そう。3、 教師になるか学校でボランティアをする場合指紋押印すること(テネシー州、サンフランシスコ市、他)さすが、テロの国、誰も信用できず、自分で壁を作り、周りを敵にするんですね。4、 カンニングは男子ムチ打ち女子4日謹慎、そして0点と保護者への通知。(シンガポール中学校)逆でなくて良かったよ。5、 教師の質問に答えるときは教壇から1メートル以上はなれて、大声で返答すること(ハノイ市中学校)敬うという意味でしょうが、他の国でも先生に危害を加えない意味でも必要かもしれませんね。6、 マイナス18度以上なら休み時間は外に出ること。(フィンランド小学校)まあ、授業中は部屋の中だからね、いいんじゃない?7、 授業中廊下に出る生徒は許可証(ホールパス)が必要(あめりか)さすが、テロの国、誰も信用できず、自分で壁を作り、周りを敵にするんですね。8、 休日に宿題をしてはいけない(ドイツ全土)勿論、仕事もしたらあかん。9、 とう撮、罵詈雑言、差別用語発言は微罪ではなく、刑法201条に抵触する。(ドイツ)ドイツに法律とか警察とか、何か怖いよ。10、 国家非常事態時には生徒会の効力が無効となる(ソウル中高)さすが、順戦時体制国家。でも、いわれなくてもそうじゃないのか?11、 人種、家計、出身地、肌の色、民族的起源、シチズンシップ、宗教、ジェンダー、性的思考、年齢、障害に関わらず他者を敬い、公平に接すること(カナダ、オンタリオ州全般)さすが、ハルジさんが住みやすいとする州。
2011.08.03
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子供の頃、ピンボールにはまりました。でもこんなデコラティブなのはしたことないです。そういえばこの映画(トミー)のティナターナーかっこいかったなーそれにこの映画にはクラプトンもでてたよねえ。英語のまま訳し忘れも時々展示してあるのはご愛嬌だ。親しき仲にも礼儀がないのは日本ぐらいか?まあ、おれはいかなる人の前でも屁は我慢する紳士だ。(不可抗力や無意識や思い掛けず除く)これ、天職の人もいるのかもね。臭くはならないだろうが、万年裸足だと足が凍ったり釘踏んだりします。ただし、万年裸の民族だったイリアンジャヤの人々の肌は、要は万年外気にさらしている顔のようであったと書いてあり、足の裏の皮は死ぬほど分厚く靴のようだったと「ニューギニア高地人」に書いてあった。ゲーム感覚で臭ったら気分悪くなった。自分のなら平気なのに、どうしてだ、この不浄感。それぞれ、足の裏、うんこ、脇の下、口臭が嗅げるよ。お前が死んだら、骨を拾ってやるよのシュミレーションコーナー。でも、内臓類は焼いてから取ろうな。
2011.08.02
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前回に続き、大きな声ではいえないが、地獄をみたあとは天国も紹介しないとという思いに駆られるのであった。外では、昔は結婚式場とかもあったらしい。なんと、天国とは地獄の反対側にあり、表裏一体なものであった。外では、寂しげに猿が、何となくいた。でも洞窟って夏は涼しくて冬は暖かくて大昔の人には完璧だよね。何でも感でも崩れ感がよろしい。閻魔さん、さようなら、ちょっくら天国にいってきます。こちら天国の入り口になってます。昔は、冷気喫茶店になっていたようですが、寒さで体故障者続出か、閉鎖に至ったようです。配置が閻魔さんと変わらないようにみえますが、仏様です。作った方の金言が示されています。そら金あれば楽しいよなー。これが、作者の天国の世界だったのでしょうか。イスラムの世界では、砂漠の国なので、水が流れている、確かにオアシスが天国ではある。天国って何だ?加味の100パーセント支配するところか?管理社会か?社会じゃないか?まさか退屈なパラダイス?健康や経済の心配がなく、温和な気温で快適な住まい、喧嘩や争いやいがみ合い嫉妬何もない世界、快楽?ブッダが生まれるときも、動物たちが城に集まったり(シャダルタ族の王子様だたから)、光が注いだり、涅槃のときは沙羅双樹が一斉に花を咲かせたり栴檀の粉末がブッダに降り注いだりという奇跡が起きたというが、それは後世の言い伝えかもしれない、しかし、特別な人には、そうあってほしい、あるいは何かがあるに違いない、と思うものであろう。ブッダが29歳で城も嫁子供も捨て出家し、悟りを開いたのは、35歳頃といわれ、修行と共に、その後80歳の入滅まで伝道していった。ほとんど、忘れてしまったのだが、インドにはブッダの言葉を持っていき、何故か日本では読めなかったのに、暇と雰囲気にのまれ、ちょこちょこ読んだ。人々への教えというのは、なんと言うのだろう、宗教とは何かということもあるのだが、奇跡や超自然現象や不可解なこと非合理なことを信じろ、信じるものは救われる、というようなことはいっていない。死んだらどうなるのですかという質問には口を閉ざす。霊的なもの、宇宙的なものには口を閉ざす。(その沈黙は、無記という。論証不可能なことは言わないのであった)つまり道徳っぽい面があるのか、盗みをしたら地獄にいくとはいっておらず、単純に盗みをするなと言っている。こうこうこう戒律を破れば地獄にいくではなく、単に追放とだけ言っている。天罰などいわない。その分かりやすさというか明快さが2500年も続いているのかも知れない。その後、地獄や天国や葬式や儀式が加味されてね。インドの発掘されて数年の最大級ストゥーパがるケッサリアいってみたいな。ボロボドゥールよりでかいらしい。
2011.08.01
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