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今日、ゴルリナは、塾友と一緒に午前中からK女学院の学園祭へ。但し、本人はここを受験する気はありません。でも、塾友と行くのが楽しいようです。学園祭からそのまま塾へ直行。ゴル吉はクラスの友達と、横浜こども科学館へ。子供だけで行くのが急速に楽しくなっているようで、2年生夏休み以降、頻繁に行っています。何度行っても楽しい科学館だから助かります。もう、母は行くのがイヤになっちゃってるからね。自分達で行くようになったという、成長も感じます。お父さんは午前中はゲートボール、午後は1人でお気に入りの水族館へ。母は、途中帰ってきたゴル吉とお父さんにお昼を食べてもらった後は、1人でネットで遊んでいました。そして、みつけました。このところ探していたことについてのキーワード:精神神経免疫学。サイモントン療法のカール・サイモントン博士が精神神経免疫学の先駆者、と、サイモントンジャパンのホームページには書いてありましたが、これって何???状態でした。ちゃんとした学問なんだろうか? ネットで見ていると、がんのイメージ療法というと、怪しいものとして扱う人もあるようです。精神、とつくと、つかまえようのないものに思えてきます。でも、1981にAder、Felten、& Cohenが著した「Psychoneuroimmunology(精神神経免疫学)」という書物が、この学問が出た最初だとのこと。当事の免疫学の権威が書いているとのこと。サイモントン博士がサイモントン療法の基礎を確立したのが1973年とのことなので、まさに先駆者です。精神的な状態が免疫に関係して病状を左右する、ということは、日常には経験することだと思います。でも、がん治療ではそれは過小評価されています。いきなり告知され、まいってしまう患者に、精神的サポートは殆どない。治療の後も、再発の不安を抱えたまま放っておかれるのが常です。改善されてほしいものです。
2006.09.30
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今日はゴル吉の忘れ物を学校に届けに行った時に、校長先生をお見かけしました。で、思い出してしまいました。ゴルリナが、校長先生は塾に二つ行って家庭教師も来て、夜は2時間しか眠らなかった、と仰ったと話していたこと。夏休みに徹夜騒ぎで受験辞めろ騒ぎがあったゴルリナ、最近は11時には寝る生活が続いていましたが、先日は、この校長先生のお話を持ち出し、崩れ始めていました。実は昨夜は寝たのが12時過ぎだったのです。お見かけしたのがチャンス、と思って、校長先生とお話しました。初めてでしたが、ゴルリナのことは覚えて下さっていたようです。校長先生が睡眠時間2時間だったのは、大学受験の時とのこと。やっぱり~~。正確に話して下さらないと、今のことだと思っちゃう子もいるんですよ、もう、と、文句を言いたい気持ちは抑えて、夏休みのことなどをお話し、やんわりと、もう一度話して下さるようにお願いしました。小学生としての普通の生活リズムを守った上で勉強を進めることが大事だとお話して下さるとのことでした。ほっ。やれやれ。校長先生からゴルリナに関してついでお話があったのは、以前書いた、いじめられている子のことです。この子は今、校長先生の預かりになっているそうです。担任の先生と相性が悪かったからかしら。ゴルリナは今日も休み時間にこの子のところに来て、一緒に音楽?に行こうと誘っていたとのこと。クラスも違うのに、よくやってくれる、相手の気持ちを思いやるものの言い方が大人のようです、立派なお子さんです、と言われました。うわわ、家では弟や母に滅茶苦茶な事を言うんですよ、と、家での実態を申し上げておきました。そんなに完璧なお子さんはいませんよ、まだ小学生なんだから、と言われました。そうですよねぇ。家で見ていると、相手の気持ちを思いやる部分が欠けている子のようにすら見えていましたが、そうばかりでもないようです。校長先生の預かりになったということは、上に書いた子はクラスを移動することもあるのかな? 以前ゴルリナが、あの子も私達のクラスだったら大丈夫なのに、今更クラスは変えられないよね??と残念そうに話していたのを思い出します。その子の担任は感情的に思い込むときつくなる先生。実は昨年のゴルリナ達の担任だったのですが、苦労したのを私も見ています。なので、相性が悪いままなら、クラス移動はいい案に思えます。そういうこと、この子はやり遂げてしまうかもしれません。
2006.09.28
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掲示板の方のご質問に答えてセカンドオピニオンを受けに行った時のことを書いたのですが、今になって思い出してみると、あれはすごい出来事だったのかもしれません。準備して、元の病院の先生などとお話して、資料を持って出かけていって、話を聞いて、判断する。なにげなく書いてはみたけれど、すごい、重い出来事でした。あの時の判断が正解だったのかどうか。それは分りません。あの時に、ホントに自分の判断が正解だと思ったかどうか。そんなに、バッチリと分りはしなかった。元の病院の先生の方針の中だと、癌が全部取れるという保障を聞いたことはありませんでした。最初は手術を併用と言っていたけれど、途中から放射線と抗癌剤だけという方針に変わっていました。セカンド先の先生は、きれいに取れますよと言ってくれました。転院を決めた理由として挙げられるポイントは、一応それです。でも、きれいに取れたのだろうけれど、口は開かなくなりました。あごの骨まで折れてしまいました。雑誌には頭頸部ガンを放射線と抗癌剤だけで直すという記事が載っていたりしていました。顔周りの手術は、後への影響が大きいのです。転院していなかったら、今頃死んでいたでしょうか。そうかもしれませんし、骨が折れるなんてことは無しに、今より快適に元気にしていたのかもしれません。ただ、何としても、少しでも確実に、生きたかった。今、多少の不自由はあっても、生きていますから。多分、セカンドオピニオンを受けた時に、何となく、移った方が生きられる、という、直感的なものを感じたのです。目の前におられた先生の、お話と、お話以外の雰囲気も、前の病院の先生方のお話と雰囲気も、全部込みにして。それ以前の段階でも、必死にいろいろ考えました。元の病院の主治医にも、それ以外の検査の先生とかにも、いろいろ聞きました。恐がられていたかもしれません。主治医から、若い先生達に、Aさん(私のこと)は理系だから聞かれたら詳しく答えるように、と話があったそうで、何やら緊張して説明してくれたのを思い出します。私は理屈張った人間です。告知の時には夫に居てもらいましたが、入院後は子供たちを夫に預けて、とにかく子供の面倒をちゃんと見てもらおうと思いました。病気の事は自分で考えました。夫は夫で調べていたようですが、結局何をどうするかは、私が自分で考えた内容を変える事はないだろうと思っていたのではないかと思います。余程的外れなことを言い出さない限り。だから、セカンドを受けに行く時にも、好きにしな、って感じだったのか、まぁ、仕事もあるしで、ついて来てはくれなかったんです。信頼されてたのかな。。。。でも、正直、あの時はきつかった。重い資料を持って、電車で気持ち悪くはなるわで、行き帰りは大変だった。でも、セカンドを受けている部屋に夫がいたら、どうだっただろう。内容は同じだったと思いますけどね。私がどう決めるかを、夫は受け入れてくれただろうと思いますが。セカンドオピニオンを受けるご本人が高齢だったり、付き添いの人の方が状況に詳しいという時、その場でベストの判断ができるかどうかは、もっと複雑なのでしょう。転院は家族にも大きな影響を与えるから、家族も判断に加わる方がいいですよね。うちの場合も、転院して、遠いので、夫は病院に来るのが非常に大変になったのです。何も言わずに、タマには来てくれましたけど。子供を連れて。うちでは基本的に私の思うようにさせてくれたのです。でも、私がこうだと思ったら聞かない人間だからです。告知の後は考える時間もなく慌しく大変ですが、家族がよく話し合うことも大切だと思います。あと、できるだけ家族が付添って出かけてあげて下さいね(当たり前か。1人で行かせるなんて、うちだけだったかも。)
2006.09.27
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前回のカリテがやったらめったら良かったゴルリナ、今回(先週末)のは普通に良い感じでした。本人いわく、"何もしなかったけどスランプを脱した"そうです。そう、すごくお勉強してたわけじゃないのだけど。娘「クラスどうなったと思う?」 母「分らないけど。」 娘「落ちなかったんだよ。そのまま。」そう、一回だけでも、あれだけ良ければね。いつも、クラスが落ちる、落ちる、と言い続けたこの一ヶ月余りだったからねぇ。よくぞ落ちなかったもんだ。でも、努力し始めてからが勝負なんだけどなぁ。たま~に良い成績のことがあっても、苦手分野に自分で取り組むことができなければ、波の無い成績にはできない。でも、そういうお説教は、受け付けない。もう、母は達観してしまった感じで。クラスが落ちても落ちなくてもいい、楽しんで生活してほしいなぁ。ただ、自分にふさわしいものを手に入れる資格があることを感じて、その自分の値打ちを味わってほしい。何を言ってもけなされるように感じさせてしまうようで、母は何も言わないのが一番いいような感じです。でも、何か、伝わってほしいです。 も~、陰ながら応援、て感じです。
2006.09.26
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実は私は、スパゲッティが大好きなのです。でも、手術以来、食べられなくなっていました。飲み込めないのです。手術後は飲み込む力が弱く、最初は家でもおかゆでした。パラパラとしてまとまりのないものはのどを通っていきませんでした。だんだんと普通のごはんが食べられるようになりました。レタスも、刻んだキャベツも全然だめだったけれど、1年以上たったくらいから食べられるようになってきました。麺類は難関でした。細長い麺の、途中までがのどの奥に入りそうになったまま、飲み込めずに、むせてどうしようもない、という状態になるのです。でも、1年半くらいたったら、うどんやラーメンなど、柔らかい麺はのどを通るようになりました。幸せだと思いました。でも、スパゲッティは、どうしてもダメだったのです。おいしいアルデンテのスパゲッティ。固めなので噛めないし、家で食べようとして、はさみで短く切って食べようとしたこともありましたが、のどを通っていかない。ひっかかって、むせて、不如意な思いをすると、ただ食べるというそれだけのことなのに、何で日に何度も、アグアグ、ウグウグ、と、苦しい思いをしなければならないんだろう、不条理だ!、と思ったものでした。行きつけだったおいしいスパゲッティ屋さんの特性ソースも、もう私の人生の中では味わうことができないのだろうか、と、悲しくなりそうでした。それが、ちょっと前、家で作ってみたスパゲッティが、食べられたのです。 もともと、スパゲッティは私の得意料理でした。麺をゆでる時の塩加減をちゃんとすれば、オリーブオイルでにんにくをいためて、好みの具を用いれば色々なバリエーションでおいしく作れます。手間をかけたくない日曜日のお昼の定番だったのです。最近作らないから、台所に、オリーブオイルがず~っと残ったままだったのです。で、ちょっと長めにゆでれば、と思って作ってみたら、けっこう、食べられたのです。それで、先日三田病院に行った日のお昼に、いつもはサンドイッチを紅茶で流し込むのですが、スパゲッティを注文してみたのです。これが、食べられたのです!!! フォークでまとめて、噛む力は弱いので、スパゲッティのしっぽがぶらさがりがちになりますが、何とか口に入れて、噛んで、飲み込みました。よく噛めているわけではないけれど、確かにのどを通って動いていくのが分りました。暫く前までは全然動かなかったのに。万歳!さらに、昨日はちょっとお出かけしたのですが、昨日のお昼も外でスパゲッティを注文しました。今度も食べられました。まとめたスパゲッティを口に入れて、だんだん慣れてきたのか、噛み方が大胆になりました。いつも、手術していない左側だけで噛んでいたのですが、手術した右側の前の方の入れ歯も使ってゴリゴリと、噛み切るようにしました。口の右側を使うと、感覚が麻痺しているので、口の中で食べ物がどこに行ったのか行方不明になるのです。でも、昨日は右側も使っていました。また、スパゲッティが食べられる。私の人生にスパゲッティが戻ってきた! 手術から2年ぶり、いや、入院から数えれば2年半ぶり。 近所に、おいしいスパゲッティ屋さんがあるのです。唐辛子が効いたオリーブオイルの特性ソースをかけると、生命力が湧き上がってくる感じがして大好きなんです。もう行けないと思っていたあのお店、今度行きます!
2006.09.25
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過ぎていっても、生産的なことはやってないなぁ、と思ってしまう日々ですが、最近、ネット上の百科事典の、ウィキペディアに凝っています。ほんの少しでも生産的な感じがして、面白いです。リンクにも載せておきました。今までは調べものをするのに使わせてもらうばかりだったのですが、最近は、記事を書き始めました。ウィキペディアは誰でも記事を書くことができます。書いたら読者の査読が入り、直されるので、誰でも書けるものでありながら、けっこう内容は正確です。また、分り易いものが多いです。家には電子百科事典のエンカルタもありますが、何か調べようとする時、大抵、エンカルタよりウィキペディアの方が役に立ちます。書くとなると、正確な内容を調べなければなりません。勉強になります。読んでいて、ここは付け加えたい、と思う部分を加えていきます。面白くて止まりません。科学にまつわる部分をぼちぼち書いています。ウィキペディアはアメリカで始まったもののようで、英語版があります。日本語版は英語版の日本語訳というわけではなく、独自に編集されていますが、同じ項目については当然重なる内容の記述が含まれます。歴史の長さも違うのだからしょうがないのだろうけれど、英語版を読んでみると、項目数の違いだけでなく、内容も大きく差をつけられています。さびしいことです。工業的には追いつき追い越せで進んできたけれど、自然科学の理解やそれへの姿勢は、十分には身に付いていない部分があるようです。そういう、内容が不十分な所はあります。けど、それは今の日本で、単行本や大学の授業では扱われることがあっても、普通の百科事典には載っていない類のものです。部分的に徐々に載せていくことができるウィキペディアは面白い媒体です。知らないこともいろいろ読めて、へ~~、と勉強になることも多いです。ブログも面白いですが、ウィキも面白い。ネット技術は面白いものを生み出しているなぁ、と思います。
2006.09.23
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昨日は、リハビリで国際医療福祉大学付属三田病院へ行きました。軟口蓋の奥の動きが悪いということについてのリハビリの続きをしました。「あ~~」と言った時、数回に一度はちゃんと鼻への入り口(のどちんこの横)が閉じているとのこと。ちゃんとぶくぶくを家でもやって下さいよ、と言われました。ぶくぶくは今、家では、1日1セットくらいしかやってません。でも、必ず3セットやるようにとのこと。1セットに10回、ぶくぶくと水をストローで吹くのですが、息が続かなくてはぁはぁ言ってしまい、10回やるとクラクラします。鼻へ息が抜けてしまう他に、くちびるの閉じる力も弱いので、くちびるからも息がもれてしまいます。家でのトレーニングメニューには他にも、「パ、パ、パ、パ」、「タ、タ、タ、タ」、「カ、カ、カ、カ」、「ラ、ラ、ラ、ラ」の発音練習などがあります。これだったら、歩きながらでも結構やってるのですが。ぶくぶくはコップとストローと水という道具立てがいるので、3セットはなかなかやれません。でも~、やらなきゃね。それでまともに暮らせるようになるのならば。「パ、タ、カ、ラ」は構音障害でのリハビリメニューの定番のようで、何と、パタカラという名前の唇トレーニング用具が売られていました。器具を唇と歯の間に挟んでくわえて、唇を閉じる練習をするものだそうです。口のまわりの筋肉を鍛え、小顔効果とか、いびきの改善とかに効果があるそうで、美容関係でも売れているらしい。あれ、いいのですか?と聞いてみたところ、いいですよ、是非やってくださいとのこと。市販品で、病院から出すのは会計的に面倒で出していないけれど、薦めますとのことでした。アイスクリームやチョコレートケーキを食べると、閉じない唇からタラ~とこぼれてしまうのですが、これで唇を鍛えればそれも改善するでしょうか。人生は長い。いいものはやっていけば、きっと今よりもいい生活ができるようになる。やらなきゃ衰えるだけだものね。やりましょうか。
2006.09.20
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カリテの結果がマイニチに出ていました。昨日出ていたのかもしれません。最近あんまり一生懸命見なくなってました。が、見てみたら、何で??、あり得ない、信じないよ、って言ってしまうような、他の人のと間違えられてるんでは??、というような、好成績。マイニチには答案用紙のコピーも載るので、見てみましたが、どうもゴルリナの筆跡ではあるような。たった今も、行きたくない、どうせクラスが落ちる、と言いつつ、やっぱり行ったところでした。母は、やめるならやめてもいいよ、って、思いつつ、口には出さなかったところでした。行ってみてびっくりするかも。この成績が本当ならば、席がぐ~んと前になったはず。どういう風に接してやるのがいいんだろう。知らなかったフリして、出方を見て、程よくびっくりしてやるのがいいかな。あんまり本気で喜んだら、またかえって反発するのでは。ま~、この子には暴風雨のように振り回されてきているので、この一回で天に昇るわけにはいきません。醒めちゃってる母がいます。でも、自分の可能性を自覚して変わっていってほしいなぁ。ま、まだ、間違いかもしれないという気が。塾の集計のミスなんではないかしら。ところで、昨日は敬老の日で、お休みでした。ゴルリナ、午前中は偏差値表とにらめっこしながら、何やら過去問を解いていました。このくらいの偏差値の学校だと、このくらいの感じの問題、とか、検討していたようです。塾でやるように言われたのかなぁ。母がやらなきゃいけないかと思っていたような課題でしたが、やってませんでした。自分でやってるとは、感心。で、午後は、運動会の打ち上げでした。6年生のけっこうな数のお友達が集まってやった模様で、娘が呼びかけセンターの一翼を担っていたのか、うちの電話が情報取次ぎセンターのようになりました。お友達から次々と電話がかかってきました。それだけ色々なお友達に恵まれているということは、母は嬉しいです。女子も男子もいました。そして、ひとしきり色々な子からかかってきた後の、最後の方で、ち~さな声の、女の子からの電話がありました。あぁ、と思い当たりました。以前ブログに書いたことのある、いじめられているという子です。やりとりしてみると、その子の担任の先生がじれったくなるのが分るような、と~っても気の小さい感じの子です。クラスの大半の子と先生が、本人のせい、と言ってクラスに入れない雰囲気を作ってしまったということも、ゴルリナ達のグループの子が、放っておけない、あんなクラスじゃいけない、と思ったということも、両方理解できる気がしました。でも、その子も運動会の打ち上げに引っ張り出すことができたわけです。よくやった。あの子も変わってきている、とゴルリナは言っていましたが、そうなんでしょう。ちょこっとだけ気になるのは、打ち上げのメンバーに、塾の子たちは居なかったこと。勉強してたのかな。順風満帆の塾生活ではないゴルリナの母としては、不安一杯ですが、ゴルリナなりのバランスで、塾と学校生活を両方やっているようです。今回の成績が集計間違いでないことを祈ります。
2006.09.19
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夕べ色々書いたのに、消えちゃいました。昨日はゴルリナ、筋肉痛だぁ、と言いながらも、早起きして塾友と一緒に電車でいつもと違う教室へ行き、カリテ+日特。帰ると見直し+国語の過去問+算数の過去問、但し算数の過去問はボロボロだぁ、と言って途中で挫折した模様。いずれも、やりなさいとも言わないうちにいつの間にか自分で始めていました。取り組んだ自主性は見上げたものですが、但し算数挫折後の落ち込みも大。自主性が続くか危ういけど、母からは何を言っても怒られる。付き合いきれないのですぐに黙っちゃいました。でも母の布団の上に座っている。お互い静かに読書して、寝ました。
2006.09.18
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運動会が無事に終わりました。朝早くおきて家族4人分のお弁当を作ってゴル吉の最初の出番に間に合うように行くつもりが、ダウン。へばりました。子供たちとお父さんを送り出した後、昼寝して鋭気を補充して、自分の朝ごはんはラコール(流動食)を飲んで、お弁当を仕上げて、学校へ。4人分は重かった。午前中の山場はやはり、ゴルリナ出場の騎馬戦。白熱でした。立派に総大将の役目を果たしました。子供2人いると出番はけっこう続きます。遠目であまりいい写真は撮れないけれど、やっぱり撮らずにはいられません。最後の種目のリレーでもお姉ちゃんは活躍。ゴル吉も徒競走は3位、ダンスはかわいい。よく頑張りました。PTA役員は一応担当の競技があるのですが、形だけ。腕章をつけてウロウロするだけでした。全部子供たちが役割分担してしっかり進行してくれました。終わったらPTAも、手分けをしてお片づけ。お父さんも活躍。終わって帰ってきたら私はまた昼寝。今日は晩御飯作るの、サボろうっと。
2006.09.16
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確かめてみたら、今日はちょうど2年前に手術をした日でした。ばんざ~い、無事に術後2年を迎えました。正確に言うと、今現在再発がないのかどうかは、来月の主治医の検診を待たねば分りません。でも、ま、大丈夫でしょ。術後2年で、免疫チェックの数値を全部正常にして、リンパ球の値も上げて、次の5年の節目を目指す、というのが理想でしたが。数日前に書いたように、この夏ちょっとサボりがち。予定の寿命はあと最低30年。ネットで買ったサプリも1個は到着して飲み始めました。もう1個も発送したというメールはもらいました。気力と相談しながら、セレブレックスももらいに行かなくちゃいけないし、また血液検査もしてもらわなくちゃ。刺絡も実はサボっています。まぁ、あんまり細かく気にしないということも大切なようだし。と、適当だけど、がんばろう。
2006.09.14
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掲示板の方でご質問があったので、主治医についての経験をまとめておこうと思います。まず、主治医についての一般的なこと。主に治療をうけた癌研病院での経験を書きます。癌研病院で最初に診察を受けたのは、セカンドオピニオンを受けた超有名なK先生でした。後から知りましたがブラックジャックと呼ばれる先生だそうです。前の病院での検査資料を見て下さって、私ならこう治療します、というお話。前の病院での方針と聞き比べて、転院、治療をお願いしました。その時に、先生が手術して下さるのですか?と聞いたのです。転院してどうなるか、気になりますから。結構深いので私がやるかもしれませんが、うちの医師たちはN人はもう10年以上の経験がありますから、誰がやってもきれいに取れますよ、と言われました。信頼できると思い転院しましたが、実際入院した後、K先生には一度もお会いしませんでした。癌研病院では主治医は1人でなく、主治医チームでした。中心の主治医が1人と、他の病院から研修などに来ている医師が2人で、合計3人でした。この3人は私の手術の現場で執刀に関わっています。研修と言っても、それぞれに元の病院での大先生であるけれどさらに研修しているという方々です。チームの中心の主治医はずっと固定で、残りの2人は半年で変わります。入院後K先生にお会いすることは無かったのですが、折々の治療方針の検討には加わって下さっていたのではないかと想像しています。入院後にリーダー主治医から、治療方針の説明がありました。紙に書いて下さったけれど、字が読めない。夫と2人で聞き、帰ってから読み仮名をつけながら解読しました。最初に告知を受けた病院でもメモを取ったり、聞き取れない用語は先生に書いてもらったりして、夫と2人で解読し、必死で勉強しました。治療がおわるまでずっとそれの繰り返しです。というのは、順を追って内容が変わるのです。主治医が1人でなく3人だったのは助かりました。リーダー主治医に一番お世話になるのですが、この方はものすごく忙しいのです。後の2人の方が病室に来て下さる時に、気になることを質問することができました。私は抗癌剤と放射線でガンを小さくしてから手術、という手順だったので、手術範囲もどれだけ小さくなったかで変わりました。それで術後の生活は大きく影響を受けます。抗癌剤や放射線の副作用で全身に湿疹が出たり、食べられなかったりしながらも、ガンは小さくなったので、その途中途中でどう治療を進めるのか、チームで検討して下さっていたと思います。その経緯は全部は患者に情報が来ないのです。後から分った、ということも多々ありました。でもそれはある程度しょうがない。主治医はものすごく忙しいのです。私自身も夜中に出血して血だらけになったことがあるし、危険な状態の方を夜通し見ておられる、ということもありましたし、実際、いらした方がいなくなった、ということもありました。大病院では主治医とじっくり話をする時間は、とってもらうのは難しいかもしれません。チームの1人の先生がこっそり?最新情報をリーク?してくれることもありました。今思うと、主治医の説明を聞く時には録音をさせてもらうと良かったかと思います。一回で理解するのは難しいことが多いと思います。メモでは内容が尽くせませんから。 ボイスレコーダー。いろいろあります。ラジオつきだと入院中も役立つかも。あと、主治医って、病院の中では偉い立場だけど、命を預けるのだからこちらも譲れないものがあり、付き合いに配慮が要ったりします。患者も主張すべきはしなければなりませんが、偉いという立場を尊重しなければいけない場面があります。そう思ったことが2回ありました。1回めは、最初の告知を受けた病院から、他の病院へセカンドオピニオンをもらいに行った時。最初の病院での主治医が、一対一で説明をしてくれる時にはとことんこちらの立場を尊重してくれる人格者だったのに、周りに看護士さんや研修中の若い医師がいる時には威厳を保つ事の方により気を使っていると見て取れました。セカンドをもらいに行きたいという決意を主治医に告げるために周りに誰もいない瞬間を作る努力をしました。うまくそれができて、ラッキーでした。このことは前にも書きました。2回目は、移った病院で、手術の後の傷の治りが悪かった時の主治医の行動でした。リンパ節郭清の傷の一部の皮膚が壊死してしまって、首の動脈が露出しそうになっていたのです。注意深く見ながらひたすら肉が盛り上がって来るのを待つという治療。それを、主治医はでっかいガーゼで大きく首周りを覆い続けるという方法で、チームのごくわずかの医師以外に対して隠しました。外科の先生は、「傷の治りがきれいだ」ということにとっても満足されるようなのです。だからかどうか分らないけれど、他の医師に見られて他の処置をされたら、まずい、か、いやだ、と思っていたようです。ああいう時、信じて隠されているしかない、のかどうかは分らないけれど、私は信じて良かったと思います。昼も夜も気にかけて処置して下さいました。退院後も延々とお世話になったガーゼ。プロテーゼができる前の口の傷、首の傷、足の植皮の傷に使いました。病院にはどっさりありました。退院後、すぐに主治医たちが三田病院へ移動してしまいましたが、執刀チームの1人の先生だけは癌研病院に残られたのです。お陰で退院後も癌研病院に通い続けることができました。この先生は故郷に帰られ、私も元主治医を追って三田病院へ移りました。治療が終わってからもガンはずっと経過観察を続ける病気ですから、主治医とのつきあいは一生ものです。私の場合は、主治医が超いそがしい癌研病院から、三田病院に移られ、かなり勤務に余裕ができたという印象です。以前よりも話を聞いて下さるようになりました。主治医との関係を悪くしてしまう例も聞くことがあるのですが、切っても切れない、というわけではないけれど、切らない方がいい縁ですから、アンラッキーだと思います。主治医は神様ではありません。できる範囲でのベストを尽くして下さっていると思います。足りないと思う部分は、自分で他の病院なり薬なり、方法なりを、補充すればいいのです。私も良さそうな事は何でもやってみていることは、ブログに書いている通りです。こんなところでしょうか。
2006.09.13
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下手な伴走を許さない中学受験生のゴルリナ。伴走の下手なダメ母は、自分の瞑想の(迷走の?)世界に逃げ込んでいる状況。娘に注目しない方がいい感じがして、最近は娘のことを書いていませんでした。成長が嬉しい楽しいだけでなく、苦しさも伴ってくるのが6年生という年代なのではないでしょうか。それなりで頑張っています、自分の足で。塾に通いだして、子供らしい貴重な時間をスポイルしてしまうのではないか、折角の元気娘の長所を損なってしまうのではないか、と危惧したものでしたが、6年生でも運動会のリレー選手の地位はキープしました。それは母にとっては嬉しいニュースでしたが、さらに、花形競技の騎馬戦で上に乗る役になったよ、という知らせと、それに続いて、総大将になった、とのニュース。なんだか、とっても嬉しい。ゴルリナらしさを6年生の運動会でしっかり発揮してくれる感じです。いじめられているお友達との関わりについて以前書きましたが、ひきつづき励ましている様子です。そのお友達が学校に来ることが嬉しいから、体調が良かったら来るように、と、朝一緒に行ったりして数人のグループで働きかけています。そのグループはうちの子以外は全員、受験しない子です。その子の担任の先生と、いじめている中心の子とが、運動会のキーになる役員になっているために、クラスに入っていけなくなっていたようですが、ゴルリナは他クラスながら体育関係の委員なので、他の子よりも見えることやできると思うことがあると思っているのかもしれないです。母も近所の仲良しのお友達のお母さんと会うと話題にしたりして、関心を持ってもらうようにしています。偉いねぇ、ちゃんと考えていて、と褒めて頂きましたが、お互いに受験生の子供を持っている同士なので、勉強してくれないことについての愚痴と慰めあいになりました。お友達のことをきちんと考えられるのだから、勉強の方にもそのしっかりした考えがいずれ及んでいくでしょう、と励ましてくれました。そうであってほしいけど。自分の成績のことでも悩んでいるようだけど、悩み方が目の前の一つ一つの課題のことは跳び越してしまっている感じ。進歩はしています。母の助言は徹底的に嫌うのですが、自分でやる時にはやるようになりました。勉強は苦手な子でしたが、夏休み最後の方で朝勉強した時には、がっぷりと長時間取り組むということを、数日ですが、やりました。多分、あれだけやってみたのは初めてだったと思います。その前の夜中やってた時の事は知らないけど。それで、その時に恐らく、無理にやってはみたけれど集中力は2時間も3時間もは続かないということを、やってみて初めて自覚したのです、この子は。後期の塾の授業が始まったら、タイマーをかけて1時間勉強し、休憩を入れ、また1時間やる、ということを自分で始めました。で、最近はそれを毎日やると疲れる、内容も計画通りには進まない、ということを、自覚したところのようです。小説も相変わらず書いています。読ませてはくれませんが、今回は最後まで書けたよ、最後の方をすごい勢いの内容で書けたから面白かった、なんて言ってました。成長していると思うけど、中学受験というレールに乗っているかというと、疑問。でも、言いなりに勉強するより、自分で自分を育てていく方法を身につけてくれることの方が、生涯の財産にはなる。と、思わなきゃね。それが、大学受験とかで役立てば、いいんだわさ。夏休み前にクラスアップして、上には上がいることを初めて知ったゴルリナ。クラス落ちはしていませんが、まだ、自分の力や実績を過小評価する傾向が続いています。騎馬戦で総大将をやらせてもらえる体力、気力と、皆さんの支持があることの幸せをじっくりとかみ締めて、小学校最後の運動会を楽しんで欲しいです。その価値を、塾の成績が思うようにいかないことで値引きしないで欲しい。そして、自分の可能性をしっかりと受け止めて欲しい。たゆまぬ努力ができるように、なるかどうか分らないけれど、ゴルリナにはゴルリナの神様がついている。きっと御守り下さると思います。も~、神頼みの母でした。
2006.09.12
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手術して上アゴを切除した後、口の中は前も後ろも右も左も分らないような混乱状態でしたが、まず、口に水を含む練習をしました。ちょこっと入れても、だらだら~~、とこぼれてしまうけど、それで一応、うがいになります。それができると、結構すぐに、「歯磨きしなさい」と言われました。右の上の歯は一番前以外は切除でなくなっているので、今思えば一応、左側上下と、右の下の歯です。ええぇぇ、??? 何もしたくない、触りたくもない、触れない、と思ったけど、やっぱり汚れたらいけないわけで。まだ水を飲むことも、もちろん何も食べることもできない(食事は鼻から流動食でした)けど、形だけでもと歯磨きをしました。と言っても、綿棒でです。癌研病院では口の中の消毒薬は使いませんでした。水でうがいするのが一番いいんだ、ということでした。他の病院ではイソジンなどで消毒をするように言われることもあるようですが、と~~っても痛いようです。そんなことはしないで済んだのでラッキーでした口から流動食をとるようになったのは術後20日からで、そうすると、歯ブラシで歯磨きするようになりました。と言っても手術した側は口の中も外も触れたもんじゃないので、気持ちだけみたいなもんだったと思います。この時は普通の歯ブラシでした。あと、気管孔が空いていたので口の中にしょっちゅう痰がたまるので、病院では自分で吸引していました。上アゴを取った傷跡にはでっかいガーゼの塊の固めたものが詰めてあり、とってもじゃまでしたが、なかなかこれを取ってもらえなかった記憶があるけど、いつ取ってもらえたのかは忘れてしまいました。固めた塊を取った後は、毎日の診察で主治医がガーゼを取り替えてくれました。しばらくしてから、自分自身でガーゼを丸めて傷跡に詰めるようになりました。こんな塊が??というようなでっかいガーゼの固まりを、ろくに開かない口から押し込み、押し込んでしまえは傷跡の穴にすっぽりと入ります。やり始めたらわりと早くに自分で上手にできるようになりました。退院とほぼ同時に、仮作りのプロテーゼを使うようになりました。切除した上顎部分がくっついたでっかい入れ歯です。癌研病院で仮に作って、あとの調節は歯科の専門の他の病院で行い、傷が落ち着いたら本作りのプロテーゼを作るように、とのことでした。退院後通った横浜市立大学付属病院では、本作りの入れ歯を作る前に、開口訓練のリハビリ中に下顎の骨が折れてしまい、入れ歯の改善は無期延期になってしまいました。その後、この春に国際医療福祉大学付属三田病院でプロテーゼを作り直すことができたことについては、既に書きました。横浜私立大学付属病院では、口の中の消毒をするように言われました。これは口の中の傷の消毒と言うよりは、虫歯予防のための消毒。下顎が放射線性の骨髄炎で折れたので、虫歯になったら治療すると炎症が起きるため治療ができないとのこと。フッ素入りの歯磨き剤も紹介されました。フッ素が落ちてしまわないように、使った後うがいをしないようにします。でも、切除した側はろくに歯磨きはできませんでした。だって、痛いんだもん。内側も、外側も、ちょっと触るとびりびりと刺激が走り、不快感で耐えられない感じでした。顔もろくに洗えなかったし、お化粧なんてこともできませんでした。それができるように、触れるようになってきたのは、術後一年半くらいたってからです。今は、ごりごりとマッサージとかしても、けっこう平気です。手術した側はほっぺたがつっぱり、下の歯にへばりついているので、はがす努力をしています。普通の歯ブラシは入らないので、とびっきり小さい、毛束が1個の歯ブラシを使います。あと、口の中は上あご切除で鼻に通じてしまっているので、普通の口の掃除の他に鼻の奥の世話もしなければなりません。おっかなびっくりで触ってみると、けっこう汚れているのです。いいのかなぁ???と思いつつ、触ると、汚れの塊があります。普通言うところの鼻くそが、内側から触れてしまうのです。術後数ヶ月はまだ口の中から血が出ていましたが、いつのまにか、触れる所には触って掃除をするようになりました。気になるんだもの。鼻の内側なんて普通は触れないところで、粘膜なわけですが、徐々に触っても平気な所が増えてきました。口につながっているから食べ物も入ってしまうし、鼻汁もあるしで、結構汚れています。奥の方は指は届きませんが、勘に頼ってスポンジ棒で掃除をします。介護用品としていろいろ出ているようです。触ると刺激があってヒリっとしたりしますが、三田病院の看護士さんによるとやっているうちに皮膚が鍛えられて大丈夫になるそうです。長期間口の奥の掃除をせず、よごれが石のように硬くこびりついて取ることができなくなる人もいるそうです。ばい菌がつくのではないかとか、触るのにしり込みする部分もありますが、触っちゃって掃除をした方がよいようです。やりすぎて血を出してしまうこともあるので、ご注意。あと、デンタルフロスとかは普通の口腔ケアと同じです。どなたかのお役に立ちますように。
2006.09.11
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口腔癌の手術をして退院した後、統合医療ビレッジ(リンクにあります)に通い始めました。保険ではカバーされないけれど、免疫治療をしてくれるところだからです。よそではしてくれない免疫関係の血液検査をしてくれて、その結果に応じてサプリメントの処方をしてくれます。私はいくつかの項目が悪く、3つのサプリを処方して頂いて、以来飲み続けていました。悪かった項目だけ数ヶ月ごとに再検査して、徐々に、値は良くなってきていました。この夏休み前くらいまでで、正常値でないのは1個だけになっていましたが、まだサプリは飲み続けるように、ということでした。でも、夏休みはハードだった。小学生二人家にいると、都心の病院に行く気力が湧かなくなっていたのです。このところ、サプリを飲んでいませんでした。自覚症状として体調が悪いわけじゃない。目の前の日々を暮らすことの方に追われて、そのままにしていました。だけど、夏休みが終わって子供が学校に行き出して、なんだかどよ~~~んと、疲れが出ました。サプリを飲んでないせいじゃないかもしれないけれど。以前、サプリをさぼった時にやはりダルくて、飲み出したら力が湧いたということはありました。でもその頃よりは、体力の自力がついてきている気はします。だから単なる、遅めの夏ばてかもしれないけれど。今月末で、術後丸2年になります。主治医の話しでは、再発する人の9割は、術後2年までに再発するそうです。ここを越えれば、再発の可能性はぐっと減ります。やっぱり今しばらくは真面目にサプリを、と思ったところ、何と今月中の土曜日は運動会やら祝日やらで、行けないではありませんか。いつも土曜日に見て頂いているのです。遠いので、明るいうちに家に帰れるのは土曜しかないのです。行っても、どうせ今までと同じサプリを処方されるだけよねぇ、と思い、試しに検索してみました。すると、あったんです、同じサプリのイミュトールが。しかも、この病院の薬局で買うよりも、安い。買っちゃいました。イミュトールは、アガリクスなどきのこ系のサプリと同じくベータグルカンが入っていますが、パン酵母から抽出しているそうです。もう一つ飲んでいるサプリは、抗酸化作用のピクノジェノールのサプリ。なんと、これもありました。値段は、病院で買うのと殆ど同じ。これは、抗酸化はアンチエイジング効果があり一般的な癌予防という意味と、放射線による骨髄炎の進行抑制のために処方されています。ピクノジェノールは美容にも健康にもよい、驚異的な抗酸化力をもつそうです(今回知りました)。そして、3つ目は、セレブレックス。これだけは、サプリメントではなく、米国製の正真正銘の薬です。これはお医者様の処方箋がなければ買えません。さすがに無いだろうと思い、実際普通のお店には無かったのですが、なんと、個人輸入代行業で、輸入は可能なのですねぇ。実は、一つだけ残っている免疫関係の検査結果が良くならない項目は、セレブレックスに関係した項目です。PGE2とかいうヤツの値が悪いのです。癌細胞が、自分を守るために出す免疫力を示す値だと説明されました(という記憶があります)が。それに関連するCOX2というのを、抑える効果がある薬がセレブレックス。米国で人気の薬だそうですが、まれに心臓疾患が出るということで、日本では認可されないそうです。去年の暮れには認可されるだろう、そしたら保険の適用になる、という話だったのですが、今は製薬会社が後ろ向きで、まずは認可は不可能だろう、という話でした。私は途中で心臓の検査もして頂いて、その後セレブレックスの量を増やし、その後PGE2値が正常値にぐんと近づいたということがありました。PGE2値が悪いということは体の中に癌細胞があるの??とかいう不安を覚えたこともありますが、癌細胞って、病気じゃない人の体でも毎日生まれているらしいですね。でも免疫機構によって増えないから癌にならないのです。ネットで検索したら、抗癌剤としてのセレブレックスの記述もありました。http://www.hadaclinic.com/drug.html当たり前かもしれないけれど、確かに効くものを処方して頂いていたようです。でも、先生に黙って自分で個人輸入して使う勇気はないなぁ。海外の医薬品の輸入は完全に本人の責任ということで、輸入代行業者の記述には薬効についての内容は一切無く、自分の責任で飲んでねということです。日本で認可されていない薬だものね。セレブレックスは保留にしました。けど、次に統合医療ビレッジへ行けるまで、サプリ2つはこれでつなぐことにしました。処方の紙なしにネットで買っても年末の医療費控除になるかしら。セレブレックスは、効果があるんだから、早く認可して保険になってほしいです。
2006.09.10
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お日様が大事、って、前に書いていましたが、大事だけれどろくに見ることもできないものなんですね。灼熱の太陽。太陽は過酷。朝日か夕日か雲を通してくらいしか、見ることはできない。昼間の日常をあんまり真正面に真剣に生きようとすると、厳しさに耐え切れなくなって、ひんやりとした夜の月の世界に逃げ込みたくなるのかもしれません。お月さんならいくらでも見ていることができます。昼間も、焼け焦げない程度に生きるのがいいのでしょう。夜は、お月さんにちょっと挨拶して、やっぱり寝ることにして。ずっと見ていたらオオカミ男の仲間になっちゃう。灼熱の日の光を適度にさえぎってくれる雲や木や屋根が大事ってことかな。ゴルリナの屋根か雲か、木になってやるのがいいのかな。親が灼熱の太陽になっちゃ、だめなのね。木漏れ日程度に。
2006.09.10
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本物の満月は明日の夜だそうです。中秋の名月。今回もセアロの満月瞑想に申込みました。さっき息子と散歩に行ったら、もう殆ど丸いきれいなお月さんが見えてました。食べる不自由、しゃべる不自由がありますが、口の半分を中心に顔半分が動かなくもなっています。でもね~、手術の前には、目の周りも動かなくなる、って言われていました。垂れ下がったままで、まばたきができなくなると。実際には、放射線治療のお陰で癌が小さくなって、予定より少ない切除ですんだそうで、目の周りの動きは正常です。病院で同室の方はまばたきができなくなっていました。ドライアイになって治療を受けていました。私も、目と鼻をつないでいる鼻涙管がつまる危険性が高い、って言われて、術後しばらくは鼻涙管に管を入れていましたが、結局鼻涙管も大丈夫でした。目は全体的に正常です。これって、けっこう大きな違いです。放射線治療はきつかったけど、この点でのQOL向上には寄与していると言うべきでしょう。アゴの骨は折れちゃったし、他のダメージはあるけど。笑うと、目は笑うことができます。口は半分だけ笑います。でも、鏡を見ると、半分でも、むっつりした顔よりも、笑った顔の方がいいようです。なるべく笑うようにしています。あと、三田病院でリハビリを始めてみて、顔の筋肉も退化していたと思いました。リハビリのメニューに、口を「い、う、い、う、」と大きく動かす動きがあるのですが、練習でだんだん、マヒした側の動きが出てきているような気がします。術後に病院で、ウィンクしてごらん、と言われて、ちょこっと動いたのを見て、目の周りを動かす神経は切れていない、と、主治医は満足そうでした。でも当時、自分では思うようには動かせなかった。でも、ほぼ2年たって、今はあの頃よりは動くという気がします。動かさないと退化する。動かさなくちゃ。手術した側のほっぺたは、放射線の影響もあって、中で縫っている所が縮んでつっぱり、下の奥歯の横にはりついています。歯磨きができない状態だけど、これも、指を入れて力づくで動かすと、だんだんとはがれてきました。諦めるもんじゃないね。やれば効果は出るのですね~。歯ブラシが入る所まで行けるかどうか分らないけれど、大進歩。この前、息子が言いました。「口紅しな。」甘えんぼのくせにこれだから、かなわないです。
2006.09.07
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一昨日、国際医療福祉大学三田病院に行きました。リハビリです。私の障害は、「構音障害」というそうです。言葉の音を作るのに不自由があるということ。上アゴを半分切除していて、切除しなかった側まで、軟口蓋の奥が動かなくなっています。サ行やバ行を発音する時にはのどちんこの横が上に上がって鼻と口の間を塞ぐのですが、私はこれができずにスースーに通じているため、サはタに、バはマになってしまいます。魚は高菜に、万全は漫然になっちゃうわけ。話す時にそんな所が動くなんて、自覚していなかった。動かない、って言われたって、動かないということを自覚することも難しいです。今回はさらにリハビリの先生のチェックで、舌の奥の動きも悪いということが分りました。カ行を発音するする時には舌の奥が上がって、軟口蓋の奥とくっついて口の奥を塞ぎますが、舌の奥が上がらないのです。キリキリがヒリヒリになってしまう。使わない機能は退化するそうです。舌の先の動きは良いし、手術の内容から言っても、切除していない側の軟口蓋や、舌の奥を動かす神経は傷ついていないそうです。なのに動かないということは、手術の後ず~っと口の機能をろくに使わない生活を続けていて、退化したのかしら。手術直後は、いったい私に何が起こったの??という感じで、口の中の前も後ろも、どちらが右なのか左なのかも、分らないような感じでした。痛いって言うより、何が何だか分らなかった。息ものどに空けた気管孔からしていたし。話はできずに筆談で暮らし、食事は鼻から胃へ管だったし。口を全く使わない生活が続いて、途中から気管孔には栓をして、口から食べる練習をし、不自由ながらも話せるようにもなりましたが、日記をみてみると、気管孔を閉じ始めたのは、手術の5週間後。これは安全対策だったようで、気管孔が開いていれば少なくとも息はできる、ということで、なるべく長く空けていたような感じもあります。気管孔のピンホールが完全に閉じたのはさらに5週間後だった。そんな中で、のど周りの違和感から、無意識に口先だけ使って話をするようになっていたのかもしれない。使わないで退化した機能は、使えば戻るのかなぁ。今回はリハビリ担当の若い先生だけでなく、その上のドクターの診察もありましたが、術後の早い時期のリハビリの方が大きな効果が期待できるけれど、もう約2年たっているので、急激な効果は予想できないが、少しずつは良くなる可能性がある、とのこと。どこにどんな風な障害があってどうすればいいか、って、もっと早くに分ればよかったなぁ。癌研病院でも横浜市大病院でも、そんな診察はなかったし。手術後のQOL(クオリティオブライフ:生活の質)を重視します、って、癌研病院でも謳ってあったけど、手術の時にひどい損傷にならないようにします、っていう意味であって、術後の生活のケアは飲み込みの練習くらいだった。食べなければ暮らせないものね。最低限の生活ができるようには見てもらったわけです。ま~、手術の時にはとにかく命がなくなるかもしれない、って思っていたわけだから。今、再発していないんだし、先生の手術の腕が良かったことに感謝しないといけません。三田病院に来なかったら、きっとずっと分らなかった。早く来なかった自分が悪いと思うべきか。三田病院で私のリハビリを担当して下さっている若い先生は、国際医療福祉大学で、言語や聴力のリハビリを専門に勉強されて、大学院まで行かれているそうです。医療と福祉とがあって、国際、がつくなんてすごいですね、と言うと、大学院まで行くと国際的だ、と教えてくれました。そういう先生がおられる病院も、きっと多くはないんでしょう。そこに通うことができる私はラッキーなんでしょうね。この春から三田病院のそばで幾度となくモンシロチョウを見ました。どこで生まれるんでしょう。
2006.09.06
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お父さんが海外出張に行ってしまいました。ほんの一週間だけど、夏休みが終わってからで良かった。難しい子供二人、夏休みだったら無事に過ごせなかったかも。後遺症でとにかく食事に時間がかかるので、子供の世話ができない。けれど兎に角下の子は、際限なく一緒に遊びたがります。家での時間が多い夏休みは、タイヘンなんてものじゃなかった。夕方お父さんが帰ってきてくれてやっと生活のリズムが成り立つ状況でした。上の子の塾のリズムもタイヘンだったけれど。学校があると、ラク。でも、娘が塾へ出かけて息子と二人、まともな夕飯を作る気力が沸きません。退院後のこの息子との道のり、くっきりと思い出します。お父さんとお姉ちゃんと三人で頑張って、保育園にも行けなくなっていた。毎日おんぶして通って、小学校へは通えるようになったけれど、教室で手を動かすことができず、極端に作業が遅く、挙げ句にできたプリントをごみ箱に入れたり、作品を真っ黒に塗ったり。友達とのトラブルも攻撃的と言うよりも自傷的。子供の目とは思えないような絶望的な目を何度となくしていました。でも、段々とそんな目はしなくなってきました。少しずつ、癒されてきてくれていると思いました。最近は学校での課題は進めることができるようになってきているらしいです。でも、家ではまだまだ甘えん坊全開。もう、だっこも、おんぶも、重い。いつも要求を受け入れてやるのがいいとも思わないから、半分くらいは拒否します。私の体も保たない。但し、夏休みを経て、息子の表情がさらに柔らかくなったような気がします。私の入院前のような、無邪気な子供らしさが戻ってきたよう。それを喜ぶところまでが精一杯で、宿題をやらせる気力が出ない。すっかり、宿題はお父さん担当になっています。私がやらせようとすると、暴れだします。幸い、今日は宿題は無い様子。多分息子の心の中では、まだ赤ちゃんを卒業していません。お父さんの前や学校では二年生として振る舞えるけれと。カメさんです、息子は。優しい子です。疲れたな~。冷凍のタコ焼きでもあっためて一緒に食べよう。
2006.09.05
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ここ数日、"趣味の宿題”のレポート(自分宛)を書いてきましたが、この課題にとりくむ時間ときっかけを与えてくれたのは、ガンになったことでした。ガンになって、サイモントン療法で、宇宙の叡智にどうするのがよいか聞いて生きるように、とか、細胞の一つ一つに宇宙の叡智の愛情が注がれている、とか、いう言い方に接してきました。本来、元々、正常細胞や自分の免疫力の方が、自分を見失っている脆い癌細胞よりも強い、と。健康に生きるためのベースとなる理解、と言うには、ラズロー博士の理論はあまりにスケールが大きいけれど、矛盾はしていないことが嬉しく思われます。創造する真空(コスモス)の中にもちょこっと出てきます。精神的なプロセスが自分自身の身体に変化をもたらす。さらに、自分自身だけでなく他人の身体に影響を及ぼすヒーラーや呪医の効果まで出て来るのだけれども、ひとまずは自分の身体についてが、私にとっては重要です。まだおもいっきり消化不良ではあるけれど、創造する真空(コスモス)は私にとって、健康に良い本でした。般若心経も。
2006.09.05
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昨日の続きです。アーヴィン・ラズロー博士の創造する真空(コスモス)で描かれている量子真空場は、宇宙の今までの全ての情報を保存している場です。宇宙はビッグバンから始まったとされていますが、昨日も書いたように、ラズロー博士の理解によれば、ビッグバン後に物質が生まれた時、そこでは既に生命が生まれるための条件が織り込まれており、生命は偶然ではなく量子真空場との相互作用によって導かれながら進化してきました。とするならば、なぜビッグバンの時に既に生命が生まれるための条件が織り込まれていたのか、という疑問が起きますが、ラズロー博士は、それは量子真空場に、それ以前のビッグバンによる宇宙の記憶が引き継がれているから、と説明します。そのようにして、何度もビッグバンと宇宙の進化を繰り返し、量子真空場自体が、情報を蓄積しながら進化してきたというのです。般若心経の内容がラズロー博士の理論と一致する点を昨日書きましたが、また、般若心経には、三世(過去・現在・未来)諸仏は全てが無であるという般若波羅蜜多によって、無上・最高の正しいすべての知恵の集まりを得た、とあります。宇宙の全ての情報が量子真空場に保存されている、という内容と、また、一致しました。まるで、般若心経はラズロー博士のこの著書のレジュメなんじゃないかと思うくらいです。但し、ラズロー博士は注意深くあらゆる宗教についての言及を避けています。科学は宗教の世界には手を出さないということのようです。哲学や心理学には何度も言及されていますが。宗教って、何なのでしょうね。確かフリーマン・ダイソンはどこかのインタビューで、あと200年もすれば宗教も科学によって解明されるだろう、と言っていました。現代の宇宙論くらいでは、宗教についてはまだ分らないらしいです。だから、昨日、「科学が宗教に追いついた」と書いたのは、浅はかな間違いだったのでしょう。宗教とは分離した科学の成果として、これだけのことが理解できるということ。21世紀は今までと同じではない世界観を育てていくのでしょう。
2006.09.04
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以前柳澤桂子さんの般若心経についての本のことを書きました。中学受験の論説文に関連してです。柳澤さんは著書生きて死ぬ智慧で、般若心経現代語訳をされました。柳澤さんは生物学者で、科学に基づいた観点から般若心経の新しい理解を示されました。すべてのものは原子でできているから、人間も宇宙も同じでつながっている、原子があるだけだ、ということに基づくと、色即是空、空即是色が理解できることを提示されました。昨日ラズロー博士の著書創造する真空(コスモス)について書きましたが、これを読んだ上で般若心経の柳澤さんの訳について考えてみると、色即是空、空即是色は、全ては原子でできているからというより、全ては量子でできているから、と考えたくなります。アインシュタインがE=m×(Cの2乗)で質量はエネルギーと本質的に同じだということを示した時、それは色即是空ということを示したと言えるのかもしれないし、高エネルギーの粒子によって真空から粒子と反粒子の対を生成することができるということは、空即是色ということを実験的に示したと言えるのかもしれません。確固とした物質の存在は量子力学の成立によって崩れてしまっていますが、その事自体が色即是空という、現れている現象にもはや確固たる地位を置かない立場を導くし、宇宙も人間も全て量子でできているから同じで、固定的な実態はない、という解釈は、柳澤さんの原子でできているから、という解釈からそのまま置き換えることができます。もっと何か新しく理解することができないだろうかと思って、柳澤さんの上述の本に載っている般若心経をまた読んでみました。般若心経には、五蘊みな空なり、とあります。五蘊とは、色(物質)、受(感覚)、想(表象)、行(行動)、議(知識)で、これらはみな空なりと知って、観音様は一切の事柄について悟りを開かれたそうです。この空は、ラズロー博士の量子真空場だと読めてしまいます。この真空は創造する真空であって、そこから物質が生まれ、生命が生まれ、生命にとっての感覚が生まれ、生命の意識(表象)が生まれ、生命の行動が生まれ、生命の一つである人間の知識が生まれました。博士の論は物理学に基づいて、生物学も精神科学も含んでいますから、きれいに対応しているのです。菩薩は一切の事柄について空であることを知って涅槃を極めつくす、とありますが、量子真空場は涅槃であると読んでみると、ビッグバンから様々な元素を作り、生命を作り、人間の意識まで創造してきたこの場の、存在全体への慈悲のようなものが、涅槃という言葉とぴったり合います。この般若波羅蜜多は無上の、宇宙の生命の源に呼びかける真言、とありますが、何千年も前から、般若心経を読むことによって人々は量子真空場に呼びかけていたと言えるのかもしれません。21世紀間近になって、科学は宗教に追いついてきたのかもしれません。
2006.09.03
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新しいカテゴリを作りました。趣味の宿題(宇宙、地球、健康、etc.)。自分にとって、宿題みたいなものだけれど、仕事とも、勉強とも言えない、趣味みたいなものだから。宇宙や、地球や、健康について考えていることです。何度か、映画の『地球交響曲』のことを書きました。 DVDボックスについてと、満月瞑想に関連して。 その中で、アーヴィン・ラズロー博士のことを書きました。ラズロー博士は幼少より天才ピアニストとして活躍し、さらに物理学者であり、システム哲学者であり、現在はユネスコ総長の顧問をされているそうです。天才的にスゴイ人、世の中には実在しているのです。そのラズロー博士の著書「創造する真空(コスモス) 最先端物理学が明かす<第五の場>」を、やっと読み終わりました。すごい本です。科学観、世界観が、変わります。というか、今まで誰も明確に述べてくれなかった現代科学に基づく世界の理解を、説明しようとしてくれています。現代科学に基づいている哲学みたいな、野心的な書物です。生物学も、心理学も、含まれています。ニュートン力学の頃の機械的な世界観は、全宇宙を説明してしまいそうであったのに、量子力学が成立して乗り越えられてしまいました。しかし、その結果どんな世界観がもたらされたのか、誰も把握できていないかのようでした。アインシュタインも言いました。「神はサイコロを振らない。」確率論に基づく量子力学の基本原理を最後まで受け入れませんでした。あり得ないことだろうと、信念を持ってEPRのパラドクス(アインシュタイン・ポドル不スキー・ローゼンのパラドクス)を提示しました。しかし、何と実験が、EPRのパラドクスはパラドクスではなく実験事実として正しいということを示しました。そこで、科学に基づく世界の『理解』という作業は、放棄されたかのようでした。実験事実は、観測という行為が瞬時にして量子力学的な状態を変えることを示していました。何十年も、理解ということを抜きにして、とにかく波動関数が示す量子力学の結果が実験と合うということに基づいて、科学技術は進歩してきました。どう理解すればいいのか、大学でも教えてくれませんでした。理解を求めることは禁句であるかのように、私が目にした観測の理論を語る先生は学会でも冷淡にされていました。ラズロー博士の立場は、多くの人々がそうであったように、遠隔作用は認めないという立場です。そうすると、観測によって瞬時に波動関数の状態が変わるというEPRのパラドクスを説明するには、今までに受け入れられていた以外の次元が必要になります。瞬時に別々の場所の状態が変わることはあり得ないけれど、第5の次元(場)においてはつながっている場所であるならば瞬時に状態が変わり得る。ラズロー博士はその第5の場に、素粒子論のゼロ点振動場(通常、真空と呼ばれるもの)を想定しています。驚くべきことに、その量子真空のゼロ点振動場を博士は、生物や意識が相互作用して情報を取り出す海のようなものとして想定しています。そのように考えないと、生物が存在していることや、地上で実際に起こってきた生物進化が、説明できないそうです。生物は、お互いに、また、その環境と相互に、情報のやり取りをしながら進化しているというのです。この考えによれば、霊視や祈りの効果まで、あり得るものとして肯定されています。ゼロ点振動場が第5の次元として情報を伝えているためにEPRのパラドクスが生じているのかどうか、人間の立場で直接に証拠をつかむことはできるかどうか分りませんが、生物進化の軌跡に示された事実の謎もそれによって解けるというのなら、そこまで含めた枠の中で、信じるべき考え方なのかもしれません。さらに驚くべきは、このような世界の理解は、現代科学に基づいて語られる以前に、古代インドからのヨガや、禅や、老荘思想でも用いられていたものに含まれるということです。ユングによって唱えられた、全人類の集合的無意識も一例として挙げられていました。生物が回りと相互作用するということは、人間もそうしていて、感度の高い昔の人は、ちゃんと宇宙から必要な情報を取り入れていたということのようです。さらには、物質、素粒子も、その意識を持っている、というのです。だからこのように意識を持った人間が生まれるように宇宙は進化してきたというのです。にわかに受け入れ難いような、しかしどうも本当らしいかもしれない話だと思うのですが、実は同様な最先端の議論は多く見られるようなのです。ラズロー博士も書いておられるように生物進化については、進化の導きとなる場、または型の存在を想定する著書がどうやら複数あります。また、実は今日知ったのですが、5次元についての実験は来年行われるそうです「未来への提言」理論物理学者 リサ・ランドール~異次元を語る~。尤も、ランドールさんが5番目の次元を生物学と関連付けているかどうかは分りません。1996年出版、邦訳平成11年、って西暦いくつだっけ。1999年でした。21世紀近くなって哲学が科学に追いついて来たと言えるかもしれない、すごい本だと思いました。
2006.09.02
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昨日は、昨日書いたいじめられているお友達について、聞いてみたらゴルリナ達の活躍について少し教えてくれました。昨日の朝、そのお友達が保健室登校していたそうですが、そこへその子の担任の先生がやってきて、声をかけたけれども、トゲトゲとしていて、保健室の先生にお願いしただけで出て行ってしまったそうです。そこで、ゴルリナともう1人のお友達とで、その子を説得し、なんと、教室に戻らせることができたとのこと。さらに、「防災訓練にも参加できたんだよ~~。」と、嬉しそうに教えてくれました。昨日言っていた『初めて笑った』というのは、その間のことらしい。よかったね。さらに、その子のクラスの中での、いじめている中心の子には、また別の生徒が意見をして、担任も含めて涙ながらの話し合いがあったそうです。でもまだクラスの雰囲気は変わらないんだよね、と言っていました。いじめられている本人の方は変わろうとしているので、クラスの方も変わって欲しい、と思っているようす。すごいね、よく頑張っているね。どうやらゴルリナだけでなく、複数の生徒でなんとかしようとしているようなので、いい方への流れができていくかもしれません。やれやれでした。ジャスパー(酸化鉄を含んだ石英):太陽エネルギーと共鳴して大きな保護力があるとのこと。アフリカ産で、さすがにお日様のパワーをたっぷり閉じ込めたようで、小さな太陽みたいです。
2006.09.02
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ゴルリナは、学級改革をするそうです。いじめられているお友達のクラスについて。状況もどうやら正しく把握している。お友達や先生の性格も、どうやらほぼ正しく把握している。判断も、どうやら正しい。おそらく、この子には行動力もある。ゴルリナが言うように、ゴルリナ達が何かをしなければその子は救われる見込みがないのかもしれない。5年の時にもあったっけ。その時には、いじめる困ったチャンのお友達がいて、孤立したその子の側に立った先生をも含めて、クラスの子供たちの多くが関わったごたつきがありました。ゴルリナ達数人が先生と対立しましたが、今はそのごたつきは沈静しているようです。母が聞いた限りでは、その件については順当な状態に落ち着いたようです。それで済んだかと思っていたのにね。学校の夏休みが開けて数日は午前授業でした。午後、勉強もせずにお友達と遊んでいましたが、そんな相談をしていたわけです。多くの子供は、特に受験を控えている子は、静観組みだそうです。無関心で冷たい、なんとかしなくちゃいけない、と、言っています。改革組みの味方になりそうな子の調査を含めて、それなりの情報収集をしています。それだけの状況把握力、判断力、行動力を持つ大人度を持っていながら、なんでもっとお勉強はしてくれないんだろ。。。あわわわぁん。。。何て愚かな母なんだ。。。。クラスの(塾での)秀才さん、秀才君達は確かに普段から、そんな俗事には関わりませんといったスタンス。意識のあり所が違うのが、見ていても分ります。わが子は俗事にどっぷりつかっております。どちらがいいとは言えませんね。むしろ、あっ晴れです。お母さんは良く分らないけれど、担任の先生に相談しなさい、と言っておきました。ゴルリナも、そこから始めるつもりのようです。どうか、状況が良い方向に収まって、そのいじめられている子も元気になりますように。そして、すっきりして受験生の生活に集中して欲しいなぁ。 お日様のペンダント(インド)とお日様のキャンドル(インドネシア)
2006.09.01
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