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日本滞在2日目の30日。ヨーイは朝から超日本式朝食に大感激。今回の日本初滞在を通して明らかになったことはヨーイは和食がかなりいけるらしいということ。味噌汁やご飯、寿司、刺身はもちろんのこと酢の物、沢庵、ひじき、野菜の煮しめ、海藻類、魚介類ほうれん草のお浸し、千枚漬け、田つくり、昆布巻き、和菓子類等々ほとんどなんでもおいしそうに食べていた。食べれなかったものは納豆。これはしょうがないでしょう。だって私も嫌いだもん。話が逸れました・・・。朝食の後は我が家年末恒例の餅つきでした。って言っても最近は機械なんだけれど・・・。それでも餅つき初体験のヨーイはかなり興味深そうに写真を何枚も撮っていました。私の家はとても田舎にあるので現代式の台所とは別に「おくどさん」と呼ばれる薪で火を起こす釜を使って料理ができる昔式の台所があります。その台所を使ってもち米を蒸すのですがヨーイがまたこの昔式の台所をとても気に入ったようでした。今時薪を使って料理をしている家庭は日本ではあまり居ないのではないでしょうか?こういう伝統的な日本を紹介できるという点で田舎に住むのもそう悪くないなと思いました。私の家は田舎式の昔風の日本家屋です。日本庭園があり、床の間も、仏間もあって、客間もほとんどが和室。瓦葺の、完全木造作り。もちろん壁は昔ながらの土壁です。二階の子供部屋と書斎だけは洋間ですが・・・。ヨーイはその30年前の日本紹介のガイドブックから飛び出てきたような古い造りの私の家をとても気に入ってくれたようでした。これまた田舎に住んでいて良かったと実感した瞬間でした。田舎造りの古い家の欠点ももちろんあるわけでヨーイは特にある二つの欠点に日々悩まされました。まずは耐寒性のない家の造り。日本の昔風の家は北ドイツの耐寒性のある造りの家に比べると格段に耐寒性に劣ります。窓ガラスなんかは日本のそれはドイツの半分くらいの薄さなんじゃないだろうか?そういうわけでヨーイにとって日本は外はドイツより暖かいけれど、家の中はドイツより寒い国という印象のようでした。もう一つは鴨居の低さ・・・。これはもう本当に悲劇と呼んでもいいくらいの背の高いヨーイにとっての昔式の日本家屋の欠点でしょう。日本滞在中、何度ヨーイは鴨居に頭をぶつけた事でしょう。冗談ではなく流血しておりました。こんな悲劇も織り交ぜながらヨーイの日本滞在はなかなかの充実振りを見せ初めておりました。
2004.12.31
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とうとうこの日がやってきた。待ちに待ったヨーイの来日。私の生まれ育った場所をヨーイにぜひ見て欲しかった。そんな純粋な想いから始まったこの計画はいつしか両親にヨーイを紹介するという大事となり私たちの関係に反対していた両親の複雑な想いを背負いながらいつしかこの日を迎えた。空港から離れたところに住んでいる私は午前9時30分頃到着するヨーイを空港で出迎えるため朝7時に家を出る。私はとても緊張していた。それは六ヶ月ぶりに彼氏と再会する女性の持つ緊張感というものではなく彼と再会したあとに待ち受けている我が家で展開されるであろう様々なことに対する緊張感だった。そんな緊張感の中、定刻よりやや遅れて到着したヨーイと感動の再会を果たす。再会した後もまだやっぱりとても緊張していた。「両親に会う」「いったいどんな展開になるのか」二人の頭にはその二つのことがぐるぐると回っていた。ヨーイはカンペを見ながら日本語での両親への挨拶を復習。そうこうしているうちにあっという間に両親が車で迎えに来ている駅に到着。こういう時はなぜか時間が早く過ぎる。マーフィーの法則。髪の乱れを気にして直したそうにしていたヨーイだが無常にもゴングは鳴り両親と初対面。「ハジメマシテ、ヨーイ デス。ヨロシク オネガイシマス」詰まりながらもヨーイは日本語で私の両親に挨拶した。自分の愛する人が自分の言葉をしゃべる嬉しさを初めて実感した瞬間だった。その後家に到着後、皆で手巻き寿司の昼食を取りヨーイの土産を開けたり少し話をしたりしてその日は過ぎていった。言葉が通じない壁を感じつつも少しずつ両親とヨーイの間の壁に変化が見え始めていた。
2004.12.29
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今日は朝から色々と忙しくヨーイを迎える準備をした。まず朝から明日の為にクッキーを焼き客室の掃除をして空港までの行き方や時間を調べ家中をもう一度掃除して玄関飾りをお正月用にした。明日の今頃はヨーイがこの家にいてヨーイの隣で眠りにつくことができるなんてまだ信じられない。私は本当に幸せ者だな。ヨーイは今頃飛行機の中。今頃一生懸命日本語の本と格闘しているのかしら?ふふっ。ちょっと遅すぎだよ、いやかなり遅すぎ。明日からはPCはあまり開かないと思うので今日で今年最後の日記になりそうです。次回は多分、年明けドイツからになりそうです。今年この日記を通じて知り合った皆さんそしていつも日記を読んでくれている皆さん今年はお世話になりました。良い新年をお迎えくださいね。来年もマイペースのducklingになりそうですがよろしくお願いしますね~。
2004.12.28
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後二日でヨーイが来日するのだ・・・。思えばここまでの道のりはとても長かった。ヨーイと出会って最初は友達で私はまだアメリカにいて色々あった末に付き合うことになって、遠距離を始めて二人とも意外と(?)お互いへの気持ちが真剣だという事に気づいてこの先どうしようと途方に暮れ何時間も電話口で二人で悩み約一年前、新年をドイツで迎えたときに私がドイツで暮らしてみる事で二人が同意しそれから私の親の猛烈な反対にあいまた電話口で何時間も悩んで泣いて(泣いたのは私)そんな中私は卒論も仕事も抱えていて一時期は卒論も仕事も親も全部忘れてヨーイの元に行ってしまいたいと電話口で泣き崩れたけれどそんなducklingにはドイツに来て欲しくないとヨーイに言われて奮起して卒論をなんとか終え親も一年かかってやっと説得しようやく日本に一時帰国して念願だったヨーイの来日が決定し二人の夢だった日本で新年を迎える日がもう目の前に迫っている。いつのまにか、ここまで来た。一年前、ドイツで一緒に新年を迎えたとき日本で除夜の鐘が一緒に聞きたいけれどいつになるかは分からないね(うちの両親のことがあったので)と二人でちょっと落ち込んでいたけれどなんとかここまで来る事ができた。一応諦めた形で納得した両親はちょっと複雑な気持ちでヨーイを迎える。そしてその複雑な両親の気持ちを知りながら来日するヨーイはもっと複雑な気持ちで日本の土を踏む事になるだろう。そんな条件の中でも「是非君の両親に会いたい」と言ってくれたヨーイに心から感謝したい。新年を皆が笑って迎えることができれば私の新年の願いはもう元旦に叶えられてしまうだろう。
2004.12.27
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子供にとって親という存在はいつまでも「親」であって欲しい。その「親」が突然小さく見えたときそして年老いて見えたとき私の心はどうしようもなく引き裂かれた。どんなにお互いの間に溝があろうと彼らの姿が小さく見えたその瞬間から私は何も言えなくなってしまった。彼らは確実に老いている。当たり前なんだけど、気づきたくない事実。そんな事を考えてみるクリスマスイブ。去年はヨーイの両親宅のクリスマスパーティーに出席した。私はこれから何度となくヨーイとその家族と一緒にクリスマスを祝うだろう。だけど同じだけ私の両親と新年を迎えることができたらと思う。いつもは両親との問題ばかりをヨーイに話しているけれどヨーイが来日した時には私が両親を大切にする気持ちも伝えられたらと思う。
2004.12.24
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彼はいつも戦っている。人生を戦って生きている。そんな生き方しか出来ない人だ。アメリカの東海岸の小さな町で生まれた彼は父親がベトナム戦争帰還後身体を悪くして働けなくなり母親が掃除婦として働いて稼ぐお金だけで育てられた。まさに毎日がその日暮らしだったと言う。アメリカは白人優位社会というがちょっと田舎へ行けば白人でもとても貧しい暮らしをしている人達は沢山居る。本当に貧富の差が激しい国だ。擦り切れるまで流行遅れの服を着せられ遊ぶおもちゃもテレビも何もなかった。マクドナルドで食事をするのが外食だったという。そのマクドナルドにさえ年に一回くらいだけしか行けなかったそうだ。学校では低所得者の子供に与えられるフードスタンプを貰っていた。それを持っていると学校給食が無料で食べれたらしい。だが同時にそれを持っていることは「貧乏である」という証だった。それがたまらなく嫌だった彼はスタンプを使いたくなかったので「僕はお腹が空いていないから」と言って給食を食べなかったらしい。そして実際毎日お昼ごはんは抜きだったらしい。母親は日々の疲れから彼等(彼と彼の妹)につらく当たった。父親は何も出来ない不甲斐なさから見てみぬふりをした。彼はその時から毎日人生と戦い始めたという。そしてその戦いに絶対勝ってやると決めたという。高校卒業後、その小さな町で就職した彼だが紆余曲折の果てに西海岸、ロスアンゼルスに流れ着いた。そして彼の戦いは本格化していく。本来頭の良かった彼は、経済的余裕は無かったがどうしても大学で勉強したかった。そしてその資金を作るために働き、学校に行き、また働いた。その頃私は彼と出会い、戦友となる。私なんて彼に比べたら幸せすぎる人生を送っていたがその時私もある意味私なりに戦っていたのだ。そんなに忙しい中で勉強しているにも係わらず彼は何度も'Dean's List'(優秀な生徒が選ばれる)に選ばれ、奨学金も2度獲得した。そして大学卒業後更に上の目標であった大学院に合格した。彼はいつも真剣に戦っていた。いつも戦っている人生故に、彼の心は少し歪んでしまった。彼は金持ちを嫌った。意味も無く嫌った。ベトナム戦争の後遺症で身体を悪くしたお父さんにほとんど補償をしなかった政府を嫌った。子供の頃から彼につらく当たった母親を嫌った。そしてそうやっていろんな事を嫌っている自分を嫌った。だけどそうやって戦いながら彼はどんどん成長していった。私はそんな彼のパワーに圧倒された。そして彼と居る事で「生きるチカラ」を養っていった。お互いが戦士だったから一緒に生きていくのは無理だった。だけどその代わり生涯の戦友になった。先日彼から大学院卒業を知らせるメールが届いた。彼の待ち望んでいた卒業。私もこの卒業が彼にとってどれだけ大変だったか、そして意味のある事かを知っているから「本当に良く頑張ったね」と直接言ってあげることができないのがとても悲しい。また夢に一歩近づいたね。彼の言葉が印象的だった。「やっと僕の一番最初の目標が達成されたよ。だけどまだ僕の戦いは終わっちゃいないんだ。これは新しい戦いの始まりだよ。君はまた人生は戦ってばかりじゃ駄目だって言うかもしれないけれどこれが僕の生き方なんだ。戦士は死ぬまで戦いを止めない。」
2004.12.23
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ドイツに引っ越してた後、私はヨーイの部屋で同居を始める。そこで心配なのが住み家の広さ。ヨーイの家はキッチン兼リビング、ヨーイの部屋、ベッドルームで成り立っている。そこで私が一緒に住み始めるのだから、当然一部屋足りない。引っ越す事も考えたけれどヨーイは今の部屋を買い取っているので引っ越すとなるとその部屋を売るか賃貸して新しい部屋を探す事になる。ちょっとめんどくさい・・・。ということで、今のところは今までヨーイの部屋だった所を二人で共有する予定だけれど果たして上手くいくだろうか?私達はどちらかと言うと自分自身の時間はきちんと持ちたいタイプなのでそういう自分の時間を相手が居る部屋で過ごすとなるとなんとなく落ち着かない気がする。お金が無いんだからそんなわがまま言ってられないんだけれど・・・。狭い部屋で自分自身の空間を上手く作るには一体どうしたら良いのでしょうか?
2004.12.21
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多分こういう人は結構多いと思うんだけど心の中に何かもやもやするものがある時私は何かを磨きたくなる(そんな人いない?)。鍋、台所周り、風呂、洗面所、靴、窓、・・・・・、とりあえず磨けるもので、磨いている途中没頭が出来て磨き終わって達成感があるものならなんでも良い。中でもステンレス製の物は、磨き終わった時の達成感がダントツなのでできればステンレス製の物が好ましい。ということで、渡独後の事をあれこれ考え込んで煮詰まっていた私は自ら台所と洗面所の大掃除に名乗りを上げた。朝8時位から台所の流し台、ガスコンロ、オーブン、鍋等を黙々と磨き上げていく。中には付け置きしておかなければいけないものもあったけれどD○SKIN社製の優れた磨き粉のおかげで着々と綺麗になっていく台所。磨く時は一心に磨く事を考えている。ただ目の前にある汚れを綺麗にすることだけを考える。付いていた頑固な汚れが落ち始める時何とも言えない‘プチ幸せ感’を味わえる。そういう時私は本当に目の前にある事だけを考えている。私は多分この感覚を取り戻したい為に行き詰まった時に何かが磨きたくなるのだろう。いつもああだ、こうだと先のことばっかり考えて肝心の一瞬一瞬、今、目の前にある大切な事を見逃してしまう私。物を磨くという行為で、実はそんな曇った私の心を磨いているのかも知れない。それにしても私があまりにも黙々としかもしつこく磨いているので母から「もうやめてくれ」とお願いされた。もしかして他人から見ると、ひたすら磨く女の後ろ姿って怖いものがあるのだろうか???台所と洗面所会わせて計6時間磨き続けました♪こんな私の楽しみ(?)が危機にある。なんとヨーイは物を磨くのが好きなのだ。しかも私と同じような理由で・・・。ducklingピンチです。磨くものが無くなってしまいそうだよぅ。もしうちに来て、やけに物が磨かれていると感じたら「あぁ、ducklingもヨーイも心に曇りがあったのね」とご解釈くださいませ。
2004.12.20
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最近ようやくすこ~しずつ日本語の勉強を始めたヨーイ君。メールにもすこ~しずつ日本語を使うように努力しているよう。って言ってもおやすみ、おはよう、げんき?、ありがとうっていう超初歩的なものととっても短い文章だけなんだけれども・・・。使われている日本語が間違っている時は極力直してあげるように心がけている。私のドイツ語もヨーイが添削してくれる。俄か赤ペン先生の私とヨーイ。その中で私が使い方があまり正しくないけれどどうしてもそれを指摘したくない言葉がある。ヨーイはメールの中で最近私のことを「ボクノコイビト」と表現するようになった。これは多分 ‘my Love’‘my Dearest' ‘meine Liebste'っていう意味合いを込めて使っているんだろうと思うんだけれど日本語ではなかなかこの表現にピッタリ来るものが見当たらない。「最愛の人」とかだとちょっと恋愛小説っぽくなっちゃうし・・・。だから多分ヨーイは「コイビト」という言葉を使っているんだと思う。そして私はその「コイビト」っていう響きが非常に気に入った。なんだかその言葉には「彼女」とか「girlfriend」とかとは違った独特の雰囲気があると思うのだ。なんというか、とても温かく楽しい響きがするのだ。だから私はこのままずっとヨーイの「コイビト」でいたいなと思う。
2004.12.19
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昨日から引き続きしつこく「二文字しりとり」のことを考えていた。まあしりとりの事というよりは私とヨーイがお互いの母国語でない言葉でコミュニケーションをとっていることについて考えていたのだ。あぁこの本の良さも、この詩の良さも彼には伝わらないのかと。そんな時アメリカの友人がオンラインになったのでチャットで色々と近況報告をした。そんな彼にこの件についても話してみた。彼はアメリカ人だけど日本語をかなり流暢に話すことができる。話すだけでなくある程度の日本文学の理解能力もある。そして日本の企業で働いた経験もあり、今は離婚したが日本人と結婚していた経験も持つ。彼は元奥さんとは日本語を使っていたそうだ。理由としては元奥さんが英語が得意でなかったからだそうだ。そしてその彼曰く「きちんと自分が誠意をもって相手に接していたら、そしてその言葉を使う能力をある程度持っていたら何語で喋ろうと関係ないんじゃないかと思う」との事だった。「僕はね、言葉って心の伝達手段の一つに過ぎないと思うんだ。だからどんな手段であっても‘心’がしっかりしていないとコミュニケーションは成り立たないんだよ。それが証拠に同じ母国語を共有する人たちでもコミュニケーションが取れていないことは良くあるよね。それにね、もしducklingが自分のパートナーと日本文学の良さを共有することがとても大切なことだと思っているならば君は間違った相手と一緒に居る事になるねぇ。」「僕は日本語が理解できるし日本文学もある程度理解ができるよ。だけどね、前の奥さんとは上手く行かなかった。それは二人の性格の問題だったんだよ。それに君は僕が日本語ができて、日本文学が分かるからって言って僕のことを好きにはならないよね。だって僕たちは異性として惹かれあっていないから。多分ヨーイと君は日本語を抜きにしても惹かれあう何かを持っているんだよ。それを大切にしなきゃいけないんじゃないかな?」彼の言葉には納得させられた気がする。ヨーイは今日本語という未知の世界を少しずつ体験している。私がドイツ語の世界を垣間見ているように。だけど私はヨーイにそれほど多くのことを望んでいない。私の母国語を知ろうとしてくれているだけで十分だと思う。私の両親とある程度の会話ができるくらいになってくれればいいかなと思っている。だけどこれは今やる気をだして日本語を勉強しているヨーイには内緒だけど。
2004.12.18
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今までヨーイがドイツ人で日本語が理解できなくてもそれが私の中で大きな影を落とす事はなかった。どうせ私達の会話は99%英語で成り立っているんだし大概の事はとりあえず説明ができる。私の好きな本や詩を彼は日本語で理解はできないが村上春樹とか有名な作家の作品はドイツ語に訳されているのもあるから二人で同時に同じ本をそれぞれの母国語で読んで感想を言い合ったり翻訳者の解釈の違いを見つけあったりしてまあそれはそれで楽しかったりする。日本語の素敵な言い回しや短歌や俳句なんかの凝縮された日本語の美しさもヨーイには分からない。だけどそんなの同じ日本人同士だって感性が同じ人ではないとそういう素晴らしさを共有するのは難しいのだ。逆に私はヨーイの愛するドイツ文学をドイツ語で理解できない。だけど取り合えず日本語に訳されたものとかを読んで理解する努力はできる。だから今まで私の中で言葉の違いはそれほど大きな問題ではなかった。・・・が、今日哀しいほど言葉の違いの壁を感じてしまった。皆さんは「二文字しりとり」をご存知だろうか?相手の作った短い言葉の最後の二文字を取って新しい言葉を作ってしりとりのように続けていくものだ。例えば「昼下がりのランデブー」「ブーゲンビリアの咲くころ」「コロラドの青い空の下で」のように最後の二文字を取って短い言葉や文章を作っていく言葉遊びのようなもの。遊び自体は簡単なんだけれど、いかに創造的又は詩的な短い言葉を作るかを競うと結構面白い。これは詩的感覚のすぐれている人とやると面白さ倍増だ。今日久しぶりにこれをやりたいなぁとふと思いつきヨーイとやったら面白いだろうなぁと思った。私はヨーイは言葉の操作に長けた人であると思っているので。が、・・・・だが、しかしなのである。ヨーイは日本語が話せない・・・。こういう面白い遊びがあるんだよと説明してあげる事はできるけれどこれはいくら素晴らしさを説明してあげても意味が無いのだ。彼が実際に参加しないといけないのだ。なんてことでしょう。duckling、はじめての壁を感じました。こうなったらいっちょ英語版二文字しりとりでも考案してみようか?必要は発明の母なり~。
2004.12.17
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今日また少し部屋の片付けをして小、中、高校生くらいの時の写真が出てきた。その写真を見たらなんだかちょっと哀しくなった。私は大学に入るまでかなりの劣等感と共に生きていた。優等生だった姉に比べられ厳しかった両親からはテストで90点を取るとどうしてこんな簡単なテストで100点が取れないのかと言われ自分の外見にもコンプレックスを持ち劣等感の塊のようであった。それでも周囲からは「いつも明るいduckling」と思われていたようだが今写真を見てみるとどこか笑顔に無理が見える。高校生になってとても素晴らしい友人達に恵まれて大学で専攻していた心理学を学んでいくうちに少しずつ劣等感は薄れていったように思う。だけど以前よりはマシになったと言うだけで今でもやっぱりどこかに劣等感を引きずっている自分が居る。私がまだアメリカに居た時ヨーイが遊びにきて二人でサンフランシスコに行った。その時ヨーイが以前留学していたPalo Alto にある某有名大学院の教授のお宅を訪問した。その教授も奥様も皆とても気さくな人達だったしヨーイ自身特にその大学に行ったことがあるのを鼻にかけている訳でもないのになぜかとても劣等感を感じている自分に気づいた。そして自分自身に腹が立った。私はその時一応カリフォルニアではその学校でしか希望していた勉強ができないから私の通っていた大学院で勉強していたのだ。なのに劣等感を感じている自分を発見し、自分自身いったい何が劣等感に繋がっているのか不思議だった。自分の中に学校名や肩書きでその人の価値を決めるような考えがあるのだろうか?それは本当は私が一番嫌いなことなのに・・・。ヨーイもそういう事を普段の私の言動から敏感に察知しているらしく「ボクはducklingのそういう自分に自信のないところが嫌い」とよく言われてしまう。自分でも分かっているけれど感じるものは感じてしまうから仕方ないノダ。ヨーイと出会ってだいぶ良くなったかなと思う。劣等感が無くなったというよりは「私は私でいいんだ」と思えるようになった。こんな私を「美しい」と思い込みただ単にひねくれているだけの私の変な見解を聞くたびに「なんてユニークで聡明なんだ」と激しく勘違いしてくれるボーイフレンドのおかげで私も少しずつ何となくその気になってきた。周りに認められている事が分かると案外「あっ、今の私でもいいんだ」と思えてくるものなのだ。ヨーイはあげまん(←死語?)だ。そして私はげんきんだ。しかし劣等感は興味深い。あれは今の自分に対する不満から来るのだろうか?それともある一種の刷り込まれた無意識の感覚なのだろうか?今日もまたちょっと劣等感を感じてしまった・・・、そんな師走。
2004.12.16
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自分らしく生きるってなんだろう?私は後で挑戦しなかったことを悔やむ人生は送りたくない。どちらかと言えば挑戦して悔やむ人生のほうがいい。私らしく生きるというのはそう言う事だ。だけど私らしく生きようとすると親からは「親不孝者」と言われてしまう。「わがまま」とも言われてしまう。「親を見捨てる冷たい娘」とも言われてしまう。そしてそれらは大方当たっているのだ。いくら心の中で両親の事を考えていても物理的に離れて暮らしたら実行に移せない事が多い。老後の世話などが良い例だ。海外に移住すると言う事はある程度両親に老後の自立を求める事になる。(他に兄弟姉妹等が居る場合は別だけれど、うちは姉も結婚して家を出て行っているので・・・。)田舎で暮らす両親が近所の井戸端会議で「近所の○○さんお家は息子さんが結婚して家を建ててくれたらしい。これで老後の心配はいらないねぇ。」と言う話を聞いて「家の娘は薄情に私達を置いてやりたい放題している。あぁ、私達は子育ての方法を間違えたのか」と嘆いていても両親を責める気にはなれない。反論する気にもなれない。ただじっと聞いているしかない。両親はそういう文化で育ってきたのだ。この一連の私の両親の気持ちを最初ヨーイはあまり上手く理解できなかった。親が老後の生活を子供に頼るという習慣があまりないドイツの国の人であるヨーイは私の両親が「見捨てられた」と感じているその気持ちが理解できていなかった。今でも頭で理解していても心では理解していないかも。私が生まれ育った田舎の文化ではいくら私が「両親のことを考えている」といっても両親にとって私は結局わがままで冷たい親不孝娘なのだ。しばらく田舎を、そして日本を離れていた私は彼らの文化とは違う文化の中で生きはじめてしまったようだ。私は私の生き方や考え方を変えることが出来ない。両親が彼らの生き方や考え方を変えることが出来ないように・・・。
2004.12.15
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今日は神戸に行ってきました。目的は今年10年目を迎えるルミナリエを見に行く事。母と何気なく広告を見ていてとても安いバスツアー(と言っても往復のバス以外は全部自由行動)を見つけて何気なく行ってみようかと2週間くらい前に決めた。お決まりの北野異人館や(中には入らなかったけれど・・・。)南京町で中華を食べたり、カフェでお茶をしたり。久しぶりに母と二人で楽しい時間を過ごした。私は神戸は小さい時に行って以来だった。10年前の震災以来テレビの映像では色々と見ていたけれど自分のこの目で街を見て初めて人間のチカラってすごいなぁと思った。自然のチカラを侮ってはいけない。だけど人間のチカラも侮ってはいけない。神戸ルミナリエはとても素敵だった。光の彫刻とは正にその通り。言葉で表現するにはちょっと難しい美しさだった。初日と言う事でとてもたくさん人だった。今日が初日と知っていたら違う日に言ったんだけどナ。でもとてもおいしいものを食べ、美しいものを見た充実した一日でした。
2004.12.13
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この日記を書くときはなるべく横文字を最小限にしようと思っているのだけれど今日のお題の「パーソナルディスタンス」はこれが一番伝わりやすい気がするのでこのまま使ってみたいと思います。普通パーソナルディスタンスと言うと自分と他人との物理的距離をあらわしますよね。例えば他人と同じ部屋に居てどれくらいまで相手に近づく事ができるか?又は相手が近づいてきても良いか?一般的にパーソナルディスタンスは一番親しい人との間が一番狭い。例えば家族や恋人を一番親しい人だとするとその人達とのパーソナルディスタンスが一番狭くて友人や同僚といった順にパーソナルディスタンスはだんだん広くなっていく。私は心にも同じようなパーソナルディスタンスがあると思う。どこまで自分の個人的意見や感情を相手に伝える事ができるかによって心のパーソナルディスタンスは決まると思う。私にとって心のパーソナルディスタンスが一番狭い人はヨーイだ。多分ヨーイも私と似たようなもんだと思う。私達は付き合いだした頃に「思っている事は心の中に置いておかずに全部相手に伝えていこう」と約束をして、それを忠実に守っている。だから結構率直に相手に対して意見するし、喜怒哀楽もほとんど隠したりしない。不安な事は不安だと、気に入らない事は気に入らないと、何でもぶっちゃけるのが私達流。心や頭で色々と考えるのが苦手な私はこのやり方が結構気に入っている。が、最近になってちょっと私達の心のパーソナルディスタンスは近すぎるかもと感じる時がある。自分の感情を相手にぶつけることで自分は楽になれるんだけれどぶつけられた方にそれを受け止める余裕が無い時はもしかしたら自分の中に収めて置いたほうが良かったんじゃないか?と思ったりする。今日はヨーイがメールで自分の感情をぶつけてきた。私達のメールは大きく分けるとお気楽お笑い系メール語り系メール日報系メール業務連絡系メール感情露出系メールに分類される。そして今朝疲れていた私はお気楽お笑い系メールを期待してメールを開いた。が、そこにあったのは正に感情露出系メール。私のテンションは一気に下降。こういう彼自身の心の動きを常に教えてくれるのは嬉しい。だけどあまりにも直球で来られると私にその用意が無い時はその球を受け止めてあげる事ができない。もう少し彼の心の中で整理をしてから伝えてくれても良いのに・・・。ふと私も同じだと言う事に気がついた。いつも自分の中で整理する前に彼に直球で自分の感情をぶつけている。ヨーイももしかしたら同じように思っているのだろうか?う~ん、こういう事も気になりだしたら聞かずにはいられない・・・。
2004.12.12
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「出産しない女性はオニババ」という何とも興味深い本が話題になっているようだ。私はまだ読んでいないのであらすじしか分からないがどうも出産の高齢化や出産をしない女性達へ出産が女性にとっていかに重要な物であるかを説明しているようである。同書からの一文;「日本の昔話に出てくるオニババは、社会の中で適切な役割を与えられない独身の更年期女性が、エネルギーの行き場を求めて若い男を襲うという話だったのではないか」なんとも興味深い考察。私はあまり賛成できない考察だけれど。確かに母子の健康面から行くと出産は若いうちにするほうが良い。10代後半から20代前半が母親の身体的にはベストだそうだ。そして子供の健康のためにも出産は早いほうが良いという。母親が40才を過ぎてから出産した子供の障害発生率は統計的に見ると高くなる(特にダウン症)。だけどそれは若い方が良いというだけで30代で子供を生むのが悪いと言うわけではない。色々な経験を経てから子供を産むのはそれはそれで利点がある。現代においてどれだけの女性が10代後半から20代前半に出産ができるだろうか?もし女性が四年制の大学に行くとすると卒業後すぐに結婚しなければならない。就職なんてしていたらあっという間に20代後半になるだろう。出産後も仕事を続けたい女性にとっていつ出産をするかは重大な問題になってくる。出産・育児に関する社会制度があまり整っていない日本で取り合えず産んでしまえという勇気のある女性がどれくらあるだろうか?また日本では育児はまだまだ女性の仕事としてとらえられているから出産をしてやはり一番自分の時間を取られてしまうのは女性だろう。もちろん出産後に仕事を続けようと思っていない女性はそれでいいのだと思う。だけどもちろん仕事を続けたいと思う女性も当然居るわけでそういう女性が子供を産める環境が整っていない日本社会で子供を産んでいないからという理由で肩身の狭い思いをするというのはどうかと思う。これは結婚の話にも繋がっていく。日本にはまだ結婚適齢期なるものが存在すると思う。そしてある一定の期間を過ぎた女性の多くがそういった周囲の心無い声に肩身の狭い思いをする。今は昔のように結婚できなくて結婚できなかった人達よりも自分の意思で結婚をしていない人が多いにも関わらず結婚をしていないことに対して何となく言い訳をしなくてはならないような風潮がある。もちろん結婚したいと思う相手とたまたま結婚適齢期までに出会ったという人もたくさん居るだろう。そういう人たちはそれで良いと思うのだ。だけど結婚適齢期だからと言って結婚するのは本末転倒のような気がしてしかたがない。日本には皆と同じ物差しで生きていない人を容認できない所があると思う。私は同じ物差しで生きている人も素晴らしいし、違う物差しで生きている人も素晴らしいと思う。そういうのは駄目なのだろうか?いわゆる結婚適齢期も出産適齢期も過ぎつつある私。こういう事を書くと「負け犬」とか言われるのかしらん?
2004.12.10
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つくづく日本はサービスの国だなと思う。久々に帰国して納得した。まずスーパー等の店員の態度。皆にこやかに「いらっしゃいませ~♪」と言いレジ係りも性格で手際よい。あるスーパーで目にしたんだけれど店員が売り場から従業員用の部屋へ出て行くときわざわざ、いちいち一礼をしていた。これはちょっと怖かった・・・。これは電車に乗った時もそうだった。改札に来る車掌さんが車両ごとの入り口と出口で一礼をしていた。う~ん、物事は礼に始まり礼に終わるということなのだろうか?思わず私も礼をしてしまいそうになった。アメリカのスーパーはかなり違った。皆が笑顔で「いらっしゃ~い」というのはあまり見かけなかった。もちろんそういう店員もいたけれど。そしてレジ係りが皆おしゃべり。レジ打ちながら仲間や客と喋ったりしているから打ち間違いもとても多かった。何度クレームに行ったかわからないくらい。だけど何度も同じ店に行って常連のようになると親しく話し掛けてくれたりして「週末は何したの?」とか「(私が購入した物を見て)これはどうやって料理するの?」とかゆっくりと話しながら買い物が出来た。これは後に結構長い列ができている時でもそうだった。列に待っている人も会話に入ってきたりしてそれはそれで楽しかった。これって違った意味でのサービスだと思った。クレームの電話等の対応も日本は素晴らしいと思う。先日インターネットの調子が悪くてプロバイダーに電話した。今直接の担当者が不在なので一時間以内に電話しなおしますと言われきちんと一時間以内に電話が掛かってきてすぐに担当の者をお宅に行かせますと言われその担当者はその日の午後一番でやってきて見事にインターネットは復活した。これがアメリカやドイツではだいぶ事情が違う。(一般的、の話です)クレームの電話をして担当者が居ないから掛け直しますと言われて待てど暮らせど電話が無くってこちらから催促の電話をしてやっと担当者が出て、直しに来て貰うことにしたら2週間先まで来れないと言われしょうがないから2週間待った挙句にすっぽかされるなんて事になりかねない。(すでに経験ずみ in U.S.A.)やはりこれは日本人の性質なのだろう。私は日本人は言われたことを忠実に、迅速にそして正確に実行する能力にかけては世界で一番だと思う。そしてその能力が戦後日本の経済を世界第2位まで押し上げたのだろう。だけどそれが日本人の「働きすぎ」に繋がっているのが何とも寂しい限りだ。そんな日本にも変化が起きているらしい。最近の若者の中で「ニート;NEET」と呼ばれる人達が増えているそうだ。NEET = Not in Employment, Education or Trainingということらしい。要するに就職しない若者が増えてきているのだそうだ。自分の本当にやりたい事が見つからないあくせく働くなんて自分の性に合わないと言って就労を拒否するのだそうだ。じゃあ彼らはどうやって生活費を稼いでいるのだろうか?ちょっと前までは「ワーカホリック」と言われていたと思えば今度は「ニート」だそうだ。なんだかもうちょっと中間で収まるといいんだけれど。
2004.12.09
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彼女は私の幼なじみ。小学、中学とほとんど毎日のように彼女と時を共に過ごした。保守的で厳格な家に育った私に対して彼女は開放的で自由な雰囲気の家で育ちよって私たちの性格は見事なまでに違った。だけど私たちは不思議と馬が合って休み時間や放課後など始終二人でおしゃべりをしていた。交換日記には二人だけの秘密があふれていた。多分彼女と居なければ今の私はないと言って良いくらい影響を受けた人物の一人だ。彼女の天真爛漫な性格はいつも私の憧れだった。私に無い彼女の奔放さがとても眩しかった。今日本棚の整理をしていて中学を卒業する時に彼女から貰ったカードがでてきた。そのカードには「ducklingは素直じゃないよね。いつも強がり言ってるけれど心はそうでもないのにね。それは恋についても言えるよ。だけど私はそういうducklingが好きだけど。」と書かれていた。15歳にして彼女はきちんと見抜いていたんだと思った。ヨーイ以外にそういう私を知っているのは多分彼女くらいだろう。いや私を知っていたのは、と言うべきだ・・・。今から約5年前の春彼女は交通事故で突然この世を去ってしまった。別々の高校に入って以来会える時間は少なくなっていたけれどいつ会っても昔のままの彼女だった。その彼女の死の知らせを聞いて私の身体は震えが止まらなかった。不思議とその時涙は出なかった。お通夜に行ってしばらくしてもなんだか信じられなくてやっぱり涙は出なかった。お焼香の番が廻ってきて遺影に手を合わせるためにご家族に挨拶をした時彼女のお母さんと目が合った。その瞬間彼女のお母さんが嗚咽して泣き崩れてしまった。それを見て私の涙も堰を切ったようにあふれ出た。その瞬間彼女はもうこの世に居ないんだと実感した。あれ以来二人の秘密は永遠に二人だけの秘密になった。
2004.12.08
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昨日姉と話していて姉は何度も「うらやましい」を連発した。私がドイツに住む事になったのがうらやましいと言うのである。姉は小さい頃からピアノやビオラやフルートをやっていて大学も音楽科で、今も音楽関係の職業に就いている。姉にとってドイツ、オーストリアは憧れの地であったそうだ。大好きなベートーベンの生まれた国。沢山の音楽が生まれた国。そういう彼女は何年か前にドイツ・オーストリアを訪れている。その時に強く「こういう国に住みたい」と思ったという。ドイツ語も少し勉強したそうだ。昨日もいきなり私が知っているよりも難しいドイツ語を話し出したりしてびっくりさせられてしまった。ヨーイには是非黙っておいて姉と初対面の時には姉にドイツ語を喋ってもらいヨーイには大いに驚いていただきたいものだ。そして私は海外で暮らすことには興味があったもののドイツという特定の国に興味があったわけではなくなんとなく成り行きでドイツで暮らすことになって成り行きでドイツ語も勉強している。もちろん私もドイツは好きだ。私はどちらかと言うと質素な人間だし、結構頑固だし環境に気をつけるのは良い事だと思うし実用性を好んだり、理論を重んじる性格なんて結構自分でも「ちょっとドイツ人っぽい性格かも」と思うことがある。だけどやっぱり全部成り行きなのだ。成り行き任せの人生・・・。でも人生ってそんなものなのだろうか?姉だって今は昔想像していたのとはかなり違う人生を送っている。人生ってそんなものなのだろうか?成り行きで勉強し始めたドイツ語。姉が昔勉強していてくれたおかげで沢山の教材を手に入れることができた。これで準備は整った。後は始めるのみ。(?)
2004.12.07
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日曜、月曜と姉の家に泊まりに行ってきた。姉家族に会うのはこの前日本に帰省していらい三年ぶりだった。最近建ったばかりの姉の家はまだ新しい木や畳の香りが漂っていた。三年ぶりに会ったけれど姉も義兄もあまり変わっていなかった。変わっていたのは3歳半になる姪だけだった。この前会った時はまだ赤ちゃんだった姪はもうすっかり大きくなってしまって言葉もとてもしっかりしているしちょっと目を離すと走り回ってすくすくと育っているようでとっても頼もしかった。アンパンマンにはまっている姪にとってこの世の悪は、ばい菌マンとどきんちゃんらしい・・・。いいよなぁ、この世の悪がばい菌マンみたいにすっごく分かりやすい存在ならばさぁ・・・。なんて思いながらアンパンマンごっこやお店屋さんごっこ、絵本読みなんかを何回もして(子供の特技ね、何回でも同じ事を繰り返し繰り返しできるのって)時間はあっという間に過ぎた。一緒にお風呂も入ったりして姪さながら、私もとても楽しい時間を過ごしました。すっかりAuntie Ducklingとなりました。海外に暮らすことの寂しさはこういった姪の成長なんかにあまり接することができないことですね・・・。おばちゃん(実際はおねえちゃんと呼ばせてるケド)また遊びにいくからねぇ~。
2004.12.06
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友人の夫婦関係の話を聞いた。彼女曰く、夫の事を愛しているんだけれど最近喧嘩が絶えなくてもうかなり限界にきているそうだ。だけどお互い別れたい訳ではないからどうしたらいいだろうと、一応心理学を職業とする私に相談をしてきたのだ。こういう時のアドヴァイスは色々ある。まず本当にお互いが関係を続けていきたいと真剣に思っていることを確かめ合わなければならない。片方だけがそう思っているのなら相手にそう思わせるような努力も必要だろう。それでも無理ならばはっきり言って、その関係は成り立たない。今回はお互いが関係を続けていきたいと思っていると仮定しよう(私の友人の場合もそうだった)。大抵関係が悪くなっているカップルの話を聞くと相手の悪口しかでてこない(私のセラピストとしての経験上です)。そして相手に対する要求。「彼にはこうして欲しい。」「彼女にはここを変えて欲しい。」「相手が変わってくれないから、関係がだんだん悪くなっていく・・・。」相手の悪口を言わせるとお互い止まらないのにじゃあ相手の良い点を教えてと言うと沈黙してしまう。良くて2、3点を上げれたら良いところだろうか。理論的に言ってお互いがこういう風に考えている限り関係は発展しない。相手が自分の事を非難し続けていれば、その相手の事を非難したくなるのは当然なのだ。こういう時の私のアドヴァイスの一つは「毎日なんでもいいから相手の良い点を見つけて一日の終わりにそれを報告しあう。そしてなるべく相手の悪い点に目をつむる。」そう言うと大抵「そんなこと出来ない、だってそんな良い点なんてないんだから」という反論が来る。でも相手の良い所例え一つ、どんな事でもいいから見つけると言うのはそれほど難しくないことなのだ。例えばただ旦那さんが新聞を取ってきてくれた事とか奥さんが洗濯物にアイロンをかけてくれたとかそんな日常当たり前になっている事でいいから相手を褒めあい、ありがとうを伝える。そんな些細な事から始める、それが大切なのだ。最初は難しく思える事だけれど慣れ始めると今まで見えていなかった相手の良い点が見えてくるから不思議。雪だるま式に相手の良い点が探せるようになる。そして何より、もっと相手から褒められるようにと自分自身で自分の欠点を直すようになるのだ。そして自分の為に相手が悪い点を直そうとしている姿を見る事はプラスにこそなれ、マイナスにはならない。人間関係って本当に不思議。いつも怒ってばかりいる人の周りに笑いは少ない。反対にいつも笑顔の人の周りには自然と笑顔が生まれる。「最近彼はいつも怒ってばかりいる」と思うような事があればそれは案外自分自身の鏡なのかもしれない。
2004.12.03
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私は基本的に冬よりも夏派なんだけれど冬の夜は何故か大好きだ。ピンと張った空気、冷たく、そして澄んだ星満天の夜空。そんな外とは対照的に室内の照明やキャンドルの光で暖かい室内。そして暖房の暖かさと外の寒さの対照的さがたまらない。室内の暖かさで曇った窓ガラスをふきふきして外を眺めると深い夜の静けさが途絶えることなく永遠に続いているようだ。(この表現で私がどういう田舎に住んでいるかが、かなり明らかですね)こういう時間を持てることは、または感じれる事は本当に幸せな事だと思う。昨年の今頃、ヨーイがアメリカに一枚のCDを送ってきてくれた。CDと共に添えられていた手紙には「これはボクが冬の夜にはピッタリだと思うCDでぜひducklingにも聞いて欲しくて送ったんだよ」と書かれていました。そのCDは私がイメージする「冬」を歌った曲が詰まっていた。その旋律は美しく、だけど少し哀しく、心を清らかにさせる。彼女(歌手)の澄んだ歌声は、冬の夜空から降ってくるようだ。それ以来、冬の夜の定番のCDになりつつある。と言っても今年でまだ二年目なんだけど・・・。今はそのCDを聴きながらヨーイのクリスマスプレゼントのためのマフラーを夜な夜な編んでいる。(←はいっ。ベタなクリスマスプレゼントです。)私は今こういう時間が大切でたまらない。ちなみにそのCDは"To Drive the Cold Winter Away" by Loreena Mckennitt です。静かな冬の夜におすすめです。
2004.12.02
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これは私の両親がかつて(今でもたまに)私に良く尋ねた質問だった。「この世の中に男性は幾らでもいる。これからまだ出会いも沢山あるだろう。それなのにどうして彼でないといけないのか?」ここで「運命を感じた」とか詩的な表現でその理由を言う事ができるといいんだけれど正直運命の「ビビビッ」光線はあまり感じなかった。それは彼も同じ印象らしい。最初しばらくの間お互いに別のパートナーがいて普通の友達だった期間があったせいかお互いをゆっくりと知っていく過程で相手に徐々に惹かれていった気がする。以前日記にも書いたけれど何故か私とヨーイは陽と陽の関係で一緒にいるとお互いを上手く刺激し合えるようだ。私たちはよく自分自身を植物にそしてお互いの存在を「太陽と雨」に例える。時には温かく陽の光を降り注ぎ時には厳しい、だけど不可欠な雨を降り注ぐ。だから私はヨーイと、ヨーイは私と居ることによってぐんぐん健康的に成長できる。多分この「太陽と雨」のバランスを保てるのはヨーイ以外にいないんじゃないかと思う。少なくとも今まで出会った人にはいなかった。これって彼じゃなければ駄目な理由になりえるだろうか?なんだかこういう風に書くとすごくパーフェクトな関係のカップルに見えるけどこれはあくまで彼じゃなければ駄目な理由を探すとこういう事に行き着くというだけで普段は喧嘩もし、欠点もいっぱいで無鉄砲な事ばかりするバカップルなのでそこのところをお間違いなきよう・・・。まあそうやって喜怒哀楽をさらけ出し合ってバカップルを続けていける事こそが彼でなければ駄目な一番の理由でもある気がするけれど。
2004.12.01
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