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●分業は生産力を増すとともに人間を経済的・文化的に豊かにしてきた。専門バカがいなくなれば、人は全面バカに戻ってしまうのではないかとの意見はもっともである。●人がそれぞれ専門バカ化していることに異議を唱える訳ではないが、強力な経済的動機が薄れたとき、人は多様性を回復するかもしれない。いろいろなことをやってみたいという人も多い筈である。例えば、自社製品の販売だけを職業とする一生が、本人の本心からの望みとは思えない。●確かに、皆が皆好きなことをやっていたら社会的分業が成立しなくなり、経済は破綻するかもしれない。このため、辛いことであっても感謝され収入になることが必要である。●未来社会は、どのようなことであれ人に感謝されることが収入になるので、職業という概念そのものが薄れている。家庭内の家事や育児も収入になる。これらを職業というのであれば、複数の職業をもつことが一般化する筈である。●人間の専門バカ化は人間の勝手であるが、自然の専門バカ化は深刻な事態を招く。●人も自然環境も多様な潜在力をもっている。資本主義経済に取り込まれ、地域の農業は大規模にモノカルチュア化することで労働生産性はアップするるかもしれないが、自然力は失われる。●大規模なモノカルチュアは、世界中の小地域の自然を活かした自給自足経済を破綻させる。●農業は最大の環境破壊産業かもしれない。しかしこの環境破壊無しに、食料を得ることはできない。とすれば、できるだけ環境破壊の面積や程度を小さく抑えることが必要である。或いは、循環系としての生態系を涵養し、その豊穣を利用すべきかもしれない。●国境もない世界で地域経済や自然資源・環境を保全するには、ゲゼルの唱えた自由土地・自由貨幣やその先の未来社会のようなシステムしかないように思う。●土地や資源の公有化は、化石燃料の採掘を禁止し、天然資源の再生・保全を義務化するであろう。●減価貨幣は、利潤のための生産から交換のための生産に様変わりし、拝金主義から解放することによって地域経済を活性化し、地域内でのモノの循環を促進する。●国や地域といった境界の存在は排他性の原因になる。関税を設けることで地域経済を守ろうとするのはアナクロニズムである以上に、人と人との間に危険な垣根をつくる。●利子貨幣は複利での経済成長、幾何級数的経済成長を要求する。この要求は、人に取り付き、本人の意志となり、人を専門バカへと駆り立てる。(勿論、自身の内的意志でるある場合も多い)同時にこれは物財の大量消費、自然破壊のプロセスともなる。●未来社会の基本配当のシステムでは、賃金(とは言わないが)格差を利用した安価な生産物(商品)による地域経済の破壊(例えば、海外の安価な農産物の輸入)が無くなる。モノの海外移動が少なくなり、地域内での消費が多くなる。●資本主義は自然を人工化・単純化し、社会システムを複雑化するが、個々の人間は単純化・単機能化する。未来社会は自然の複雑性を回復し、社会システムを単純化して、本人の望みに応じて個々人の全体性(多様性・多機能性)を回復する。勿論、単機能化が自らの望みである人も多数いる。
February 17, 2007
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●資本主義経済システムによるグローバル化は世界や人間、自然を単機能化していく。●工業製品の高い生産性によってもたらされた平均所得水準の上昇は、労働力の価格を押し上げ、相対的に農業生産物の価格を押し上げる。各国政府は、低生産性の農業分野の関税障壁を取り除くように要求する。●このような経緯を通じて、農産物に関する関税障壁が撤廃されるに伴い、自国の農産物は外国の農産物に駆逐される。政府も経済学者も農家に集約的農業や高付加価値農業への転換を説く。消費者ニーズに無関心であったかもしれないが、駆逐される原因をつくったのは旧態以前の生産を行っている農業者自身にあるかのような言い方をされる。●住宅建材のために、国内にもありあまる森林があるというのに、東南アジア、カナダ、中国で空気も森もタダ同然とみなして大量の木材が伐採され、森林資源が破壊されてきた。アマゾンでもモノカルチュアのために大量の森林が伐採されてきた。●自然の生態系というのは、多種類の生物の意志が複合されてできたものである。●それでは、人の場合はどうであろうか? 現代世界は単一目的(利潤追求)、単一作物化によって、人間も自然もその有り様を決定されつつある。というよりも既に大部分決定されてしまっている。●専門性を極めることが多くの人にとって人生の目的である人も多い。日本一とか世界一を目指して日々切磋琢磨している大勢の人がいる。●多様性を犠牲にして専門化した単一性・単機能性によって、人は人格的にも豊かになったと言えるのであろうか? しかし、少なからぬ人が、それが自らの望みであると答えるであろう。●確かに、殆どの発明・発見は専門バカの所業である。人それぞれの人生ではあるが、専門性の獲得は多くの場合、他の諸能力の棄却、多様性・多機能性の喪失でもある。●多くの人が専門性を求める背景には、利潤追求動機がある。市場経済では何らかの職業分野で他の人よりも秀でることが求められるので、選択した分野でのプロを目指すことになる。●分業は生産力を増し、人を専門バカ化し、自然を人工的にし、大地をモノカルチュア化にする。資本主義経済の利潤追求動機はこれを極限まで進める。自給自足のための大地は、利潤を稼ぐためだけのものに作り変えられていく。地球環境問題もこの一環に過ぎない。●これらは自然と人間そのものにストレスを加え、エントロピーの流れに逆行している。●資本から見た人間の資質や資源の最大効率化は、人間や生態系の自然諸力の喪失である。人は、専門性の獲得を自身の望み(意志)としているが、この意志は多くの場合、資本主義的経済に突き動かされてのものである。
February 11, 2007
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