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●マンションが建設されることになっているので、この記事はタイトルにそぐわない内容かもしれない。多分、この問題に関する最終報告になると思う。●結論から先に述べると、今週にも建設工事が始まることになった。●昨日3回目の工事説明・協定書の説明会が行われ、あとは個々人が協定書に署名・捺印するだけになった。●施工業者がなかなか決まらなかった理由は、飯田産業と施工業者との間で工事費などの面で折り合いがなかなかつかなかったことにあるらしい。施工業者は府中市に本社のある三浦組という会社である。●当初、説明会も何も行わないといっていた飯田産業に説明会2回、市役所によるあっせん2回、工事説明会3回を行わせることができた。●住民側には不満は残っているが、飯田産業としては住民に目一杯の譲歩をしてきたのではないかと思う。住民側の追求があって、結果的には相応の「誠意」をみせたということだろうか?●正直言って、住民側には(被害者側だから仕方ないと言えばそれまでであるが、人として)聞くに堪えない言質・要求や無知があり、ほどほどにしてもらいたいとも思っていたので協定書までいきついて、内心ほっとしている。●住民側は選挙で代表を置いているわけでもなく、最終段階でゴミ置き場、大型車通行など幾つかの問題に関して住民側で意見を異にする傾向が見られたので、住民が個々に三浦組と協定書を締結することにした。●あとは協定書を飯田産業・三浦組に遵守してもらうこと、住民側では問題が起きないよう監視していくことになる
June 17, 2007
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●今回は未来社会(エポカの世界)で想定しているような配当システムが導入された場合の意識の変(社会規範)を推論してみる。(1) 利己心や虚栄心は悪の根源か?●前の記事に関連するが、中里介山は『大菩薩峠』の中で机龍之介の夢の中で弁心という盲目の僧侶に「…すべての罪のうちの悪の源は、増上慢心でございます。この世に戦いより男子を救い、罪の淵から女人を無くすためには、何を措いてもまず、この目に見えぬ一切の悪の源である増上慢心を滅ぼさなければなりません…」と語らせている。●社会的諸関係の中で生きる人間にとって利己心、虚栄心、自尊心や嫉妬・羨望感情といったものが万古普遍のものであり、人間性の本質に根ざしたものであるならば(かどうかは分からないとしても)、これらをできるだけ他人に迷惑や悪影響を及ぼさないように、それどころか人や社会のために働けるように誘導することで、これらの居場所を確保してやる必要がある。●全ての人の利己心を満足させる手立てが、機会均等や選択の自由をできるだけ保障することである。不公平なく諸個人の利己心を最大限満足させるにはこれ以外の方法はない。選択の自由を保障してもらうには、他人の選択の自由も認めてあげなければならない。●人や社会に大きな貢献を為した歴史上の著名な人物の内なる原動力は、人一倍強い虚栄心や自尊心にあったのではなかろうか…との推論は間違いであろうか?●利己心や虚栄心を弁心のように悪の根源として断罪するのではなく、善の源泉になるように社会の仕組みが活躍場所を用意してやってはどうかというのが私の考えである。こういった考えはアダム・スミスなどの考えと共通するところがある。●利己心や虚栄心などが悪の根源になるか善の源泉になるかは環境に大きく依存しているのではないかと思う。●道徳や倫理教育のようなものが全く不要であるということではないが、社会の仕組みが悪ければ、熱湯から湯気が立つように犯罪や不道徳行為は後を絶たない。●社会規範には自生的なものと為政者等によって押し付けられたものがある。嘘もマスメディアを通じて繰り替えし報道されれば「真実」となる。権力を手中に持つ政党や宗教によって強制された事柄も集団心理となって社会規範化する。●為政者自身も、主観的には人民のためと考えて社会規範づくりを行う場合の方が多いかもしれない。これと類似した社会規範に、思想や宗教教育によるものがある。「愛に満ちた思想」や「全知全能の神の教え」による社会規範づくりである。道徳や倫理教育も「こうあらねばならない」という社会規範になる。●諸個人の自由から発する自生的な社会規範は、因習のようなものもあるが、社会的・経済的な仕組みを繁栄したものとなるのが自然の成り行きである。(2) 配当システムのもたらす規範●未来社会(エポカの世界)で想定しているような配当システムに関しては、何度も(下記の場所で)説明してきたので、改めて解説することはしない。関連記事未来社会の仕組みを考える(2)未来社会の仕組みを考える(3)未来社会の仕組みを考える(4)『未来からの伝言』◆談話室 三種類の配当『未来社会の構造』◆経済の仕組み●この段階では、当然ながら相続制度が廃止されているものとする。●基本配当は現代社会でいう育児、教育、失業、医療、年金など全てに関わる社会保障的な配当である。社会保障制度が充実すれば、人間から経済的な世知辛さが少なくなる筈である。地球温暖化問題に対する対応の違いを見ても明らかなように、おそらく北欧の国々の人々は、平均的米国人や日本人よりも、人や自然にたいする思いやりに富んでいる筈である。●未来社会では、相続制度が廃止されることとこの基本配当による社会保障制度によって、働くことの意味が現代社会とは全く異なったものになることは社会の仕組みと意識の変化(2)で述べたとおりである。●政府が遺産処分によって得た財源を一元的に管理して運用するのではない。投資配当は官僚主義・計画主義・社会主義的に運用するのではなく、全ての人に公平に分配して運用するようにしたものである。●投資配当は、直接自らの消費ために使用できる「お金」ではない。利息を期待して貯金できるよう「お金」でもない。人や組織に「投資」又は「寄付」しなければならない「お金」である。●繰り返し述べるように「寄付」は「贈与」ではない。「寄付」は社会的活動を行う人や組織への支援である。「投資」は社会的に有用な財やサービスを生産する人や組織への「出資」である。出資を受けた人や組織は利益がでれば謝礼を出資者に支払うが、「出資」は株とは違って売買できるものではない。●投資配当のような「お金」を手にした時、人はどのようにこの「お金」を使おうとするであろうか? 十全な生活保障があって相続制度がない場合、へそ曲がりで無い限り「よりよい使い方をしていますね」と誉められるような使い方しかしないであろう。●これらの投資配当によって得られるものは、「投資」による謝礼としての収入や「寄付」に対する謝意である。いずれも配当を有効活用したことの結果であり、これらが社会的ステータスになる。社会的ステータスに無頓着な人には関係ないことかもしれないが、これらに拘りを持つ人の利己心や虚栄心も少なからず満足させられる。●人は投資者として、打算的なものや功利的なものであろうとなかろうと、人や組織に寄付や投資をせざるをえない。逆に投資や寄付を受ける授権者としては、人や社会に貢献する活動を行わざるをえなくなる。●徳が大きければより大きな寄付や投資が得られる。欲があっても徳が無ければ収入(授権配当)が得られない。徳と得が同義であるような社会では、虚栄心や自尊心は徳というステータスによって安住の地を見出すことになり、悪事に向かうことは少なくなる。●人は主としてどのような動機で行動するか、どのようなことを考えて行動するかという視点から人の社会的意識について書いてきた。とはいうものの、人の心がこんなことで全て説明がつくはずもないのは勿論である。社会や経済の仕組みがどれほど人間的なものになろうとも、男女間や親子間など人と人との間には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈する精神世界が残るように思える。
June 14, 2007
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●友人から中里介山の『大菩薩峠』を読むように勧められた。●私の『大菩薩峠』のイメージは長編の大衆小説といったところである。映画では日活(大河内傳次郎)、東映(片岡千恵蔵)、大映(市川雷蔵)、東宝(仲代達矢)といった具合に時代劇の大御所が主役を演じている。●著者の中里介山は社会主義やキリスト教にも関わっていた人物であったようだ。●『大菩薩峠』は20巻もあるので、読破するには相当の覚悟がいる。それ以上に自分にとって意味のあることであるのかが問題である。しかしこの本ではユートピアを大きなテーマにしているとのことなので無視はできない。ということで、まずは解説本から概要を把握しようと思って下記の2冊を読んでみた。大菩薩峠を読む今村仁司著「大菩薩峠」論成田龍一著●前者の『大菩薩峠を読む』の方が私の問題意識にあった整理や解説になっていた。以前、この著者(今村仁司)の『貨幣とはなんだろうか』という本を読んだが、問題意識が同じようなところにあるためかもしれない。●『大菩薩峠』には、一つならず二つのユートピア建設の話が出てくるそうである。駒井の海洋王国とお銀の胆吹王国である。前者は統治者も被統治者もいない個人の自由を基礎にしたものであり、後者は絶対者(お銀)による啓蒙的なものようである。●いずれのユートピアにも反論者が出てくる。前者は西欧文明の堕落に絶望して逃れてきた先住民、後者は机龍之介である。「大菩薩峠」論ではユートピアは容易にディストピアに移行するという。特定の思想や宗教に基づくユートピアは、その思想や宗教に同意しない人にとってはディストピアに違いない。社会主義はディストピアの最たるものかもしれない。●ユートピアと称するものは、その思想を体現する具体的な社会の仕組みを提案している。しかし、如何に理想的な社会・経済の仕組みであっても、心の問題は残る。『大菩薩峠』では虚栄心倨傲からの解放を訴え続ける弁心という僧侶がいるとのことである。●これらの解説書から判断すると、どうも『大菩薩峠』は社会や人生のあり方そのものをテーマとしているような気がする。ユートピアの話は、トマス・モア、カンパネッラやウィリアム・モリスなどのように思想そのものを論述するよりも、肉感的な人間を登場させドラマを通じて彼らの口で語らせる方が理解し易いのかもしれない。●なにはともあれ、インターネットで注文した全20冊が今日届いた。暫くは暇つぶしに事欠くことがなさそうである。
June 10, 2007
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●今回は、相続制度が廃止された場合、人間の意識や社会規範がどのように変化するかについて推論してみる。(1) 相続制度廃止の意味●相続制度の廃止は私有財産制度の消滅であろうか? 殆どの人は「相続制度の廃止=私有財産制度がなくなり資本主義社会ではなくなる」か「社会主義になる」と考えるのではないかと思う。●しかし、相続制度が廃止されたからといって私有財産が消滅するわけではない。資本主義の定義はいろいろあるようだが、我々が思っているような資本主義社会でなくなることは確かである。●完全共有社会というものも空想としては考えられるが、全ての財産が共有になれば、なにかと不便なことになる。私的に専用する土地、日常生活で私的に使用する家や家財道具も全て共有というのは不自然である。基本は共有で、これらは専有になるのであろうか? 相続制度が廃止されても、私的所有は残ると考えるほうが社会システムとして自然ではないかと思う。●相続制度の廃止というのは、全ての私有財産がなくなるのではなく、自らが稼いで手に入れたものは自らの所有物となり、死んだ時に遺産が血縁に相続されるのではなく社会に還元(寄贈)されると考えるべきであろう。●生存中のみ私有を許されるような相続できないモノは私有財産とは言わないというのであれば、生涯専用権とでも言っておこうか。この方が紛らわしくないかもしれない。●相続制度はなくなっても、生前譲与のようなことは相続と同じことなので、このような譲与は許されないようにする必要がある。しかし、寄付や投資は必要である。それでは贈与と寄付や投資とはどう違うのかということになり、紛らわしい場合も起こりえる。このへんの仕組みについてはよく考える必要があり、『未来からの伝言』三種類の配当で提案している。●相続制度を廃止することなどできるのだろうかということになるが、前回低税率・競争社会VS高税率・高福祉社会で書いたように、相続税の累進率をアップしていけば、相続を廃止した状態に近づいていくことになる。それでも容易なことではない。待ち遠しいかもしれないが、想定しているのは500~1000年後である。●「結果の平等は悪平等である」との主張はもっともであるが、機会の均等が無ければ、結果の平等は必要悪になる。相続制度は差別システムの最たるものであり、人生のスタートライン(競争条件)を同じくする(イコールフィッティング)ためにはこの廃止が不可欠である。●相続制度の廃止に伴って、死んだ人の遺産は社会還元されることになる。国家の所有物になるということでは決して無い。おそらく、ハイエク信奉者からは「私有財産を国家が巻き上げるようなことになれば、大きな政府になったり、計画主義になったりする」と言われるかもしれない。その懸念はもっともであり、官僚機構の意のままに処分を許されるものであってはならない。いずれにしても、この遺産が機会均等を図る財源になる。●相続制度を廃止するには、伴侶や親が突然死亡しても不都合が起きないようにしておく必要がある。●夫婦間には性による分業がある。夫の稼ぎも妻の内助の功によるところが少なくない。従って、子供に相続させないことは理解できるが、伴侶への相続は仕組みとして残す必要があるように思う。●ということで、夫(又は妻)が稼いだ資産は夫婦の共同資産と考えるか、夫(又は妻)だけのものと考えるかによって、以下のように分配方法が変わることになる。(A1)夫婦の資産は共同資産で、何れかの死亡によって生き残った伴侶に引き継がれる。●子供にも相続されないのだから、夫婦とも死亡して初めて資産が消滅する…と考えるのは不自然である。夫に先立たれて生活に困窮するような場合には手厚く社会で対応するのが筋ではないかと思う。(A2)夫婦の資産は共同資産で、何れかの死亡によって半分は消滅する。●単純に半分にすると、自分で稼いだものが減る場合があるので、次のようにせざるをえない。・自身の資産>夫婦の資産計の半分 → 自身の資産・自身の資産<夫婦の資産計の半分 → 夫婦の資産計の半分●上記(A1)と(A2)のどちらでも良いが、これらは次の未来社会の中途段階でのことになる。(B)夫婦の資産はそれぞれのものであって共有ではない。何れかの死亡によっていずれかの資産が消滅する。●私の考える未来社会はこれになる。家事や育児も社会的に不可欠な労働であり、その労働に対する報酬が無い方が問題ある。家事や育児でも収入が得られる未来社会(エポカの世界)では、夫婦の財布を別にできるので、共同購入財産のみが折半の対象となる。この方が仕組みとしてシンプルである。●ところで、シルビオ・ゲゼルは自由土地の地代収入を子女の養育費として主婦を扶助することを提案している。私の考える未来社会では、遺産は機会均等を図ることや社会保障のための財源として考えている。(2) 意識の変化●このようにして相続制度が廃止されると、以下のように家族関係が現代社会とは全く異なったものになる。・性の分業に基づく男性による女性支配(男性優位)の歴史に終止符が打たれることになる。夫が「主人」であるのは、生活費の稼ぎ手であるからでる。・子供は自主的に親への経済的依存から自立しようとし、親もそのことを手助けするようになる。・遺産相続を巡る骨肉の争いがなくなる。・経済単位としての家族の機能は小さくなる。親による妻や子供の経済的支配はなくなり、家族の絆は血縁に基づく愛情のみになる。●相続制度の廃止、機会均等化と社会保障の充実は、減価貨幣と同等あるいはそれ以上に、人が必要以上に利潤追求動機を持つ必要をなくさせる。貯蓄性向が減少し、消費性向が増大することによって、貨幣の回転速度が速くなり、景気変動もなくなる。●人の活動動機や生き甲斐は、次のように現代社会とは大幅に異なったものになる。・蓄財や金儲け目的で働くということが少なくなり、自身の楽しみと同時に、社会に貢献して喜ばれることを活動動機とする人が大多数を占めるようになる。・死ぬ前(生存中)に、自らの蓄財を社会に還元しようとする。かくして、金持ちであることは社会的ステータスではなくなり、ステータスはその人の行為や行為の結果で表現されるようになる。・現代社会は手段(おカネを稼ぐこと)が目的になり、人生を楽しむことは二の次にならざるをえない。こういった目的と手段の本末転倒がなくなり、人生の目的を取り戻すことができるようになる。・私有財産社会の価値観は、一般的には「資産価値の大きさ=幸福の大きさ」、「交換価値>使用価値」、「客観的価値>主観的価値」である。相続制度の廃止は資産価値・交換価値よりも使用価値に重きを置くようになる。例えば、芸術作品も資産価値ではなく、自身の精神的満足度(感動価値)に重点が移る。●かくして、減価貨幣の場合と同様に、金にまつわるギクシャクした人間関係、騙しあいやトラブル、犯罪が少なくなる。財産、遺産相続をテーマにした小説、ドラマや映画がなくなる。●ところで、ハイエク信奉者でなくとも「私有財産を持てなかった社会主義国ではこんなことはなかった。相続制度の無い市場経済社会というが、相続税の廃止そのものが計画主義ではないか。こんなことは戯言に過ぎない」という批判もあると思う。未だかつてこのようなシステムが存在しなかったのであるから、このような疑問や批判はもっともであり、与えられたフレームを条件とした推論に過ぎないといえばそれまでである。関連記事◆格差解消は相続税で◆未来社会の仕組みを考える(3)『未来社会の構造』◆経済の仕組み
June 1, 2007
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