森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2015.12.31
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森田理論の学習とその応用は車の両輪であるという。全くその通りである。

肝心なことは同じ大きさであるということだ。同じ大きさだと、前に向かって進むことができる。

ところが森田理論学習は深まっているのに、森田理論の活用や応用面の進捗度合いが停滞すると問題が起きる。
理論の車輪がトラックの大きさなのに、実践・行動・体得の車輪が自転車ぐらいだと想像してみてほしい。
するとどうなるか。言うまでもないことである。前には進まない。
自転車の車輪を起点にして、トラックの車輪がぐるぐるとその周りをまわり続けるようになる。

こうした状態になると、症状が改善することはない。
むしろ悪化の一途をたどることが十分考えられる。

またそれを自信たっぷりに吹聴するものだから、周りの人はたまらない。

森田原著の学習に熱心なあまり、一字一句正確に理解しようとしている人は、この点十分に注意をしておく必要がある。
また時々、「頓悟」と言って、急に目の前の深い霧が無くなり、視界が開けてきたと言って喜ばれる人がいる。これも理論と実践のバランス面からいって問題があるように思う。

行動・実践・体得が「森田の達人」レベルに達している人が、森田理論を人間学的に深く研究していくことはとても意味がある。
あるいはそう言う人が「悟り」の境地に達することは素晴らしいことだと思う。

それでは、理論に見合った行動・実践・体得とは何か。
これは神経症が治るというそれぞれの段階に対応していればよいのである。
まず、初歩的な段階。
規則正しい生活ができている。日常茶飯事、雑事を大切にしている。ものそのものになりって行動している。好奇心の発揮。一人一芸を身につけている。物の性を尽くしている。
自分、他人、時間、お金等持っているものを活かしている。無所住心の生活をしている。変化対応の生活ができている。等である。

次の段階。「かくあるべし」の弊害がよく理解できて、思想の矛盾が打破できていること。

特に他人を自分の意のままにコントロールしたいという気持ちが乗り越えられていることが重要である。
そして、行き過ぎたときでも、すぐに現実、現状、事実に立ち戻り、そこから再出発できる人。そして一歩一歩目標に向かって努力している人。

さらに上の段階がある。自分、他人、出来事を是非善悪で価値判断しなくなった人。
自然の流れのままに身をゆだねて、自然と一体となった生活を送っている人。
そして、人の為に役立つ行動をとれる人。

それから外れていては「森田の達人」とは呼べないのである。






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Last updated  2015.12.31 07:05:48
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森田生涯 @ Re[3]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ 今の生活は日中のほとんどが…
stst@ Re[2]:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、返信アドバイスをしていただ…
森田生涯 @ Re[1]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ コメントありがとうございま…
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