K
子さんという中学生の生徒が、小学5年生の時、先生から受けた対応がいまだに許せないという。
K
子さんにはこんな体験がありました。
昼休み、トイレのそばで2年生らしい女の子がシクシク泣いていたそうだ。
「どうしたの」と聞いても、何も言わずシクシク泣いている。「どこかイタイのだったら、オネエサンが保健室に連れて行ってあげるから」と言っても何も言わずにシクシク泣いている。
その子は両手で両目をふさいでいて、顔がわからないものだから、私は両手で、その子の両手をつかんで、「ドレドレ」という感じでその子の手を離そうと思った。
ところが、その子どういうわけだか、とてもがんこで、手をギュッとかたくして顔から離さない。
私も少しがんこになって「どうしたのよ」と強い声で言ってしまった。
とたんにその子、大きな声でウエーンと泣きだした。
そのとき、運悪くとても短気で、女の子でもぶつという D
先生が通りかかった。
D
先生は、いきなり、「こら、2年生をなぜ泣かすのか」と言うと、私の頭をゴツンとぶった。
D
先生は、「ちょっと来い」と私のそでを引っ張って、その2年生には、やさしい声で「どうした、何をされたんだ」と聞きながら、私と一緒に職員室に連れて行った。
職員室で K
子さんがどんなに理由を説明しても D
先生は聞いてくれなかったという。
担任もやってきて、「いじめたのなら早くあやまってしまいなさい」などという。
おまけに、他の先生に「この子は、強情なところがあって」とか、「勝ち気だから扱いにくい」などと言っている。
私は「もういいです。私が泣かしました」と言って、私も泣いてしまいました。
この件は、 K
さんは今でもシャクにさわるという。
私の言うことをアタマから疑っていた担任の先生も憎らしい。
だから卒業してからも、小学校なんかには一度も行っていない。
(叱り方 うまい先生 下手な先生 関根正明 学陽書房 175ページ)
Kさんにとってこの理不尽な出来事がトラウマとなって今でも苦しんでいます。
先生がKさんの話に聞く耳を持たなかったというのが一番問題だと思います。
一方Kさんは先生の理不尽な対応を受け入れることができませんでした。
被害者意識でいっぱいです。
被害者意識を持つと相手と敵対するようになります。
でも大人である先生にかなうはずもありません。
自分を責めた先生は担任の先生まで味方につけているのです。
何とかやり返したいという気持ちでいっぱいですがどうにもできません。
反論できていないので、その時のトラウマが解消できていないのです。
その時先生の対応をあるがままに認めることができたら、忌まわしい記憶としていつまでも苦しむことは避けることができたかもしれません。
難しいことですが事実を否定しないできちんと向き合うことです。
事実が正しいか間違っているかという是非善悪の価値判断をすると、被害者意識が益々膨れ上がり大人になっても思い出すたびに許せないということになります。
事実にきちんと向き合うと、自分の言い分を先生に分かってもらうにはどうすればよいかを考えることができるようになります。
この場合自分ではどうしようもないことですから他人の助けを借りることになります。関根先生のような先生に事実の詳細を話してみる。
友達に話してみる。家に帰って親に事の顛末を話してみる。
親から校長先生や教頭先生に相談してもらう。
PTAの役員さん、教育委員会に対応してもらう手もあります。
きちんと対応していれば理不尽な対応をした先生と和解できたかもしれません。
そうすれば大人になってトラウマで苦しむことはなくなっていたと思います。
事実に蓋をしてしまうと、一生涯理怒りに振り回されてしまいます。
AIの活用をどう見るか 2024.09.08
自分を愛するということ 2024.09.02
「ありのままの自分」で生きていくという… 2024.08.22
PR
Keyword Search
Category
Comments
Calendar