本当にそうなのでしょうか。
ある人が会社の採用試験を受けた。
会社は経理に精通し決算書が作れる人を求めていた。
その人は簿記の資格を持っており、やり方を教えてもらえれば、何とかなるだろうと思って、「できます」と答えた。そして運良く採用された。
ところが決算時期を迎えて、目的が果たせなかった。
結局は会計事務所に依頼することになった。その人は解雇されたという。
この方は作成能力がないのに、採用されるために安請け合いをしたのである。
入社後死に物狂いで、決算報告書の作成、税務申告書の作成方法を勉強すれば何とかなったのではないかと思う。
入社できたことが最終目的地で、その後の努力を怠ったので経歴詐称を働いたと思われたのである。
森田先生が今の慈恵医科大学の前身である慈恵医学校で、「精神病学」の講義をするようになったのは、東京帝国大学卒業後9か月目です。
その当時、1時間の講義をするのにその準備に8時間も要したのです。
この時に、「自分はまだ講義をする実力がないから、1年先に延ばしにしてもらいたい」といったところで、オポチュニティーは頭の後が禿げているから、決して後ろから、つかまるものではありません。
(
森田全集第5巻 535
ページ 要約引用 )
森田先生はイエスと答えたあと、その期待に応えるために、必死に努力精進することが必要だと言われている。
自信のない事、能力不足なことを引き受けるからには、責任を果たすための覚悟と努力が欠かせないということです。
もしその覚悟がなかったとすると、軽はずみで、信頼のおけない人だと判断される。
大きな行事に参加申し込みだけして、そのうち気が変わってドタキャンする人がいます。
主催者は宿泊や食事の手配、交通費の手当てなどの準備をしています。
ドタキャンは主催者に迷惑をかけ、無責任な行為になります。
あるいは運よく仕事にありついても、与えられた仕事をこなさないでさぼりまくる人もいます。
イヤな気分に振り回されて、なすべき事から逃げてしまう人です。
こういう人は「迷った時はイエスと答える」を安易に実行すると、信頼をなくして相手にされなくなってしまいますので注意が必要です。
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