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古いファイルを整理している。「人間」というファイルに、イチローに関する切抜きがあった。大リーガーとなって、1年が過ぎたときのインタビュー記事である(日経新聞01/12/21夕)。-(大リーガーの選手は)自分のことを実によく知っている。今のぼくにとって大事なのは、自分をよく知ること。自分が今やるべきことは何かが、しっかりとわかっていることだと思います。-現状に満足してしまっては、それ以上の進歩は望めないわけだし、進歩への努力をしないことは、人間としての魅力を失ってしまう可能性がある。-どんなときでもやっていることが好きでいられれば、もっと上を目指そうとする。そのときの行為、努力、いろいろな要素が人間をつくっていくと思うのです。-好きなものをもっと好きになりたいから必死に練習し、その成果を出そうとする。これだけのことをインタビューで、さらりと言ってのけるのだから、イチローはすごい。特に最後のコメントはすばらしい。本日から2日間は、会社のHPを改良する。今日、明日と娘二人の家族が集合する。賑やかな年越しとなりそうだ。
2006年12月30日
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今日が今年最後の仕事。手帳には、それ以降の予定はない。つまり、今日の仕事が終わると、世間でいう正月休みとなる。いいな、と思われるかもしれない。そんなことはない。顧客とのコンタクトがなくなるだけで、私にはやるべきことがたくさんある。◎佐藤敏幸さんとともに(1)12月20日朝、電話が鳴った。私が出た。親友・佐藤敏幸さんの奥さんだった。その瞬間、崩れ落ちそうになった。声を聴いた瞬間に、すべてを察した。目の前の世界が消えた。敏幸さんとは大学4年間、寝食をともにした。私たちは釧路湿原で有名な標茶(しべちゃ)で、高校時代をすごした。私のほうが1年先輩で、当時は敏幸さんの存在を知らなかった。私が1年間浪人をした関係で、北海寮では同期生になった。震える手で、葬儀の日程を聞きメモを取った。敏幸さんは透析を受けていた。ずっと心配していた。それが現実になってしまった。できれば、葬儀には行きたくなかった。敏幸さんの死顔を見たくなかった。ふるさとが同じだったので、北海寮ではいちばん親しいともだちになった。1袋のインスタントラーメンを、分け合って食べた。新宿や渋谷へもいっしょに行った。まばゆい電飾のなかで、敏幸さんはいつも水先案内人だった。12月23日がお通夜。その間、仕事が入っている。仕事はきちんとこなさなければならない。自らを戒め、笑顔でやりぬいた。心の空洞を酒で埋めた。親友の死。アルコールは、気分を高揚させてくれるものだと思っていた。違った。グラスを口に運ぶたびに、思い出が脳裏をかすめた。
2006年12月26日
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親友の葬儀で、釧路管内標茶町へ行っていた。23日午前10時に家を出て、戻ったのは25日午後3時。長く、つらい3日間だった。故佐藤敏幸さんは、標茶高校の1年後輩。大学へ入って、同級生になった。二人が選んだベースキャンプは、ともに「北海寮」だった。北海道出身の大学生ばかりが、120名で共同生活をした。出身地が同じであり、彼の彼女は新聞局の後輩でもあったので、敏幸さんとは自然に親しくなった。私が失恋したとき、彼は旅行に誘ってくれた。「おれ、金がないけど」と私。「金はぼくが出すから、ヤマは元気を出せ」と彼は言った。南紀を1週間かけて1周した。それ以来、家族みたいなつきあいが40年間も続いた。腎臓を悪くした敏幸さんは、東京の有名漢方店に望みをかけた。山のような薬袋を抱えて、我が家に泊まった。薬を食卓に広げながら、彼は言った。「これでダメなら、透析だよ」と。そして、彼は続けた。「会社の礎を築いてくれた、おやじやおふくろのためにも、この薬で元気を取り戻す」「苦労をかけた淑子(奥さん)に楽をさせてやりたい。だから、この病をこれで止める」「こどもたちや標茶(地元)には、まだまだ遣り残していることがある」「会社を順調な状態で、長男に譲りたい。病には、絶対に負けない」佐藤敏幸さんは、涙を浮かべながら、私にそう言った。にもかかわらず、彼は透析を受けざるを得なくなった。11月3日。北海寮の仲間が22人、札幌に集まった。敏幸さんもいた。彼を元気づけることが目的だった。楽しいひと時を過ごし、彼は私とツインの部屋で寝た。シングルを2つ取ればいいのだが、どうしても彼といっしょに過ごしたかった。たくさんの過去と現在と未来を語り合った。私が小用で戻ったとき、彼はベッドのなかから言った。「ヤマ、小便の音が不規則だぞ。心配だから、一度病院に行けよ」そして、彼は12月20日に逝った。葬儀には500人ほどの人がきていた。北海道新聞には、友人代表として、私の名前が載っていた。涙で、何も見えなかった。
2006年12月25日
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更なる欲。よい言葉だと思う。人間だれにでも、欲はある。出世したい。もっとお金をもうけたい。マンションを買いたい。欲があるから、がんばれる。でも、通常の会話では、欲は封印される。「あなたの欲は何ですか」などと、質問されることはない。欲って、醜いものだとの風潮があるためだろう。意欲は、日常会話のなかによく登場する。やる気。「あいつには意欲がある」などと用いられる。意欲はモロモロの動機のなかから、あるひとつを達成しようとする意思のことだ。欲の方は、冷たい扱いを受けている。「欲張る」「欲が深い」「欲に目がくらむ」でも、更なる欲は違う。何かを達成してから、起こるのが更なる欲だからだ。もっと上を目指そう。これが「更なる欲」の正体である。成功者にだけ、実感できるのが「更なる欲」なのだ。残念ながら、私には「更なる欲」がない。国内マラソンで、ずっと優勝できなかった人がいた。幸いにも、その人はオリンピック選考会で優勝した。意欲的に練習したからだ。インタビューを受ける。「今度はオリンピックで優勝することです」と、その人は答える。これが更なる欲なのだが、多くの人はそのことに気づかない。
2006年12月18日
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迷惑メールの洪水に、ついに根負けした。メールアドレスを変更する。1日50件くらいだったのが、最近では100件に迫りはじめた。いちいち「迷惑メール禁止」のフォルダーに入れると、毎朝1時間ほどのロスになる。会社勤務時代は、IT部門がガードしてくれていたのだろう。零細企業には、IT部門がない。だから、迷惑メールが土足で入ってくる。「冗談じゃないよ」とつぶやきながら、消しまくる。疲れた。そして、アドレス変更の道を選んだ。何だか、会社のメールアドレスとは、ほど遠いものになってしまった。「これでは携帯のアドレスですよ」と大井さんに笑われた。半年ほどたったら、元に戻そうと思う。愛着のあるメールアドレスだったのだから。従前のメールアドレスは、すでに消えた。今朝は受信メールはない。その代わり、大切な商談も失っているかもしれない。私とコンタクトしたい方は、ブログへの書き込みかHPの掲示板を使っていただきたい。新しいアドレスをお知らせします。朝のストレスがなくなり、仕事が順調になった。静かでさわやかな朝。久しぶりだ。
2006年12月13日
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昨日はロシュ時代の同期忘年会に参加。9名が顔を揃える。1期上の金子さん、久富さんが飛び入り参加してくれ、いつもよりも賑やかな集いになった。メンバーに定年の足音が迫り、退職後の人生設計についても話がおよぶ。定年退職を迎えた人に、日本人は「長いこと、ご苦労様です」と頭を下げる。刑期を終えた、ヤクザの親分にかける言葉と同じだ。ところがヤクザの場合は、またいっしょに悪道に励みましょうのニュアンスがある。サラリーマンの方は、これで働かなくてすみますね、本当にお疲れ様という感じがする。これって、寂しすぎないか。日本ロシュでは、定年退職をハッピーリタイアメントと呼んでいた。これから新たな人生を送るのですね、がんばってください、との響きがある。つまり、終わりではなく、はじまり。だから当然、賑やかに送り出す。若いころは、この光景に違和感を抱いていた。傷に塩を塗るような印象だったのだ。それが独立してみて、やっと理解できるようになった。そう、定年退職はハッピーなことだった。真っ白いキャンパスに、思いっきり未来を描く。20年先まで見通せる夢を活写するのだ。
2006年12月08日
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