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日本ではこの春公開予定の「ナイト・ミュージアム」(Night At The Museum)という映画の中国名物廉価DVDを路上の5元(約 75円)で買ってきて、鑑賞しました。 http://movies.foxjapan.com/nightmuseum/話は いたって単純で、博物館の夜間警備係りの仕事に採用された主人公が、深夜になると動き出す博物館の陳列品と「格闘」する、というものです。大雑把に説けば博物館の品々は「死んだもの」ではなくて、「生きたもの」なんだよ、というようなメッセージでしょうか。ただ、ボクのような「聖書カブレ」がこれを観ると、この映画でさえ、いたるところにキリスト教社会の影響があるのではと勘ぐることができるのです。映画の中で博物館の入り口を映し出すシーンがあってそこには「知識(knowledge)」と大きく書かれてありました。博物館にあるような品々は、歴史の遺物だし、後世の人々によって考証されて、そこにあります。これはギリシア哲学のアリストテレス思想の流れからくる知識の分類を象徴したものです。死んだものや過去の遺物には何も魂は入っていないのでしょうか?確かに そこに 現世では生物学的に あるいは 社会システム的に生きている証拠は見出せないかもしれませんが、登場人物の誰かが「多くの犠牲ナシには、今の時代は成り立ち得なかった」というようなことを語っていました。ボクたちは 知識を過去のモノとして捉えてばかりいて、現代に続いているものと了解できなくなるのです。また、 この 博物館とは実は 形骸化されている「アメリカの教会」を指しているかもしれません。あまりにも伝統的、歴史的あるいは教条的になりすぎたり、長老派の動きが強すぎて(老人3人はその徴?)生き生きとした霊の成長を とどめている、そんな 解釈もできました。とにかく 「復活」 「復活」 という単語が たくさん出てきますし、主人公が 異言を語るシーンもあるくらいで、さらに 最後はアメリカ映画 おなじみのみんなで 歌って踊って賛美するようなシーンも盛り込まれています。これは 独自の解釈ですが、もし そんな見方でもしなかったら、CGのオンパレードで ああけっこう 面白かった、 だけで終わる映画かもしれませんね。(日本語の字幕が入っていましたが、恐るべきデタラメ「日本語になっていない」でした。こうなったら むしろ無い方が親切ですね。)
2007.02.27
・・・私は、信仰と教会への関心のゆえに、経営管理に関心を持つようになったのです (ピーター・ドラッカー)「経営学の父」と呼ばれ、20世紀の産業・社会に大きな影響を与えた2年ほど前に逝去したアメリカの経営学者ピーター・ドラッカー。1989年アメリカの季刊誌「リーダーシップ」に掲載された彼のインタビューには こうあります。インタビュア: 「あなたは、経営管理の研究を続けている中で、なぜ今 教会の働きに注意を向けているのですか?」ドラッカー: 「私は それは『逆』だと考えています。私は、信仰と教会への関心のゆえに、経営管理に関心を持つようになったのです」ドラッカーはウィーンの名家で生まれ、ルター派主義の家庭に育ち、19歳でデンマークの神学者であり哲学者であるゾーレン・キルケゴールの著書に出会いました。原典のキルケゴール著書を読むために、独学でデンマーク語の勉強を始めるほどの熱の入りようで、ドイツで働いていた彼は、ナチズム世界の中にあっても、このキルケゴールの著書群によって、明確なクリスチャンとしてのビジョンを持ち続けることができたといいます。その後、IBM や GM の社内調査、執筆などを通じて、35冊の著書を著したドラッカー氏。インタビューには このような発言もあります。「教会の牧師は 会社経営システムで言うところの最高経営責任者(C.E.O.)の立場と、ある程度通じるところがある。しかし、会社では軍隊システムや上下関係に則った命令システムで多くの組織を統率し経営することができるが、教会ではそれが十分にはできない。(教会の働き人には、信頼関係による)パートナーシップが必要だ」「礼拝でのメッセージは非常に重要だ。世の中の動きを要約し、そこに神様のビジョンを語り伝える20分でなければならない。世の中の動きに無関心な教会は批判されなければならない」「教会は、(会社経営システム的に分析可能な)この世の中の価値観に完全に従わない唯一つの組織である」「経営学の父」と称された巨人が、牧会(教会運営)に対する真摯な気持ちから、近代経営学を構築するきっかけになったのは、まことに興味深いです。つまり、今 特にアメリカでは、GEなどに関わったマクスウェルなど有名な牧師が企業コンサルに携わるケースが引く手数多なのですが、もともと礎は ドラッカーであり、その源は 教会運営を極めようとした産物だった のです。
2007.02.21
「あなたはできる 運命が変わる7つのステップ」(Your Best Life Now7 steps to living at your full potential)という本が PHPから出されています。全米で400万部を超えるベストセラーで、すでに世界20数カ国で出版されているようです。この著者は米ヒューストンのレイクウッド・チャーチの代表をつとめているジョエル・オースティーンという今 アメリカで最も注目されている若手牧師です。現在、同教会の日曜礼拝の出席者数は3万人以上で、(日本国内の教会の平均出席者は 40名前後です。)昨年は「アメリカで最も影響ある牧師」に輝いています。書店めぐりとご無沙汰生活をしていますので、この本そのものを手にしたことはありませんが、ネットで目次だけを 「ざっと目を通し」ました。(中国語では「走馬看花」と言います、勉強したばかり・・・) これだけを読みますと、今まで出版されている 自己暗示系のおびただしい自己啓発本とほとんど変わらない、と感じました。ステップ1 視野を広げるステップ2 健全な自己イメージを育むステップ3 思考と言葉に潜むパワーに気づくステップ4 過去を捨て去るステップ5 逆境のときこそ強くあれステップ6 与えるために生きるステップ7 幸せを選び取るこの本は7つのステップをさらに32章、全部で77の小節に区切ってあるのですが、あくまでも「自己啓発本」に仕上がっています。この手の本が 広告ほど 日本の読者にあまり馴染まないのは、読んでいる方が「できない注文」の洪水にあって溺れてしまうからではないか、と感じることがあります。また、お決まりのように引き合いに聖書の御言葉(たとえばマタイの福音書〇章とか)を添えられていても、ふだん 全く 触れていない人にとって、一体それが 何の関係あるのか わからない、カチンとこない のが実態だと思います。牧師の説教は 本来ただの「自己啓発」とはちょっと違います。でも 日本の商業出版のベースで売り出す場合、キリスト教の奥義や キリスト信仰がなくとも読ませるようにしないと、いけません。この辺が 難しいところなのかもしれません。ボク自身が こういう類の本を 若い頃から うんざりするほど斜め読みし、また 取り扱ってきた経験から、土台に 十字架信仰の意味や 人間の罪の問題自分の弱さ などなどよくよく痛感した上でないと読者にとってはかえって こころの負担になるのではないだろうか、と「翻訳」出版の難しさを感じました。原題は Your Best Life Now日本語に変わると 「あなたはできる」と叱咤激励調になります。でも 牧師の伝えたいメッセージの要諦は『わたしにはできない』なのではないでしょうか。絵は 信仰の父 アブラハム 100歳の時に 最初の子 イサクを授かりました。
2007.02.20
中国の爆竹と花火を侮ってはイケマセン。日本国内でイメージする爆竹と花火の概念領域をはるかに越えております。タイタイは中国 最初の夏に 大家さんに対して「中国には 花火大会 はありますか?」と つたない質問を投げかけました。大家さんは「ありません。でも春節には花火があります。」と返答しました。知らない、というのは平和なものです。中国には夏の花火大会はないかもしれませんが、花火そのものはウンザリするほどあります。そして、春節の花火は それをイヤというほど思い知らしめてくれます。爆竹に至っては 日本人の認識では「そういうことをしてはいけない」と絵に描いて禁止されるようなことを堂々と惜しげもなくしてしまえる、公然の 火遊び と化してしまいます。この いわゆる 「大人気ない」バカ騒ぎも中国の中にありますと、お釈迦様の手のひらの上の ママゴトみたいに 感じられてしまうのは不思議です。今年はタイタイと アパートの中から二人で作った水餃子を食べ、白酒を 少しだけ すすりながら年越しをしました。華僑のXさんにはわざわざ日本料理の美味しい「しゃぶしゃぶ」屋さんにご招待されたのですが、ひきこもりも大切な時間の過ごし方です。
2007.02.19
この年明け日本のメディアを席捲した「パワーフォーリビング」(生きる力)というキリスト信仰普及書をお借りしてきたので、タイタイと交互に一気に最後まで 朗読しました。どうして今 聖書なのか、どうして イエス・キリストなのか、どうして 聖霊を受け入れ聖霊に満たされないといけないのか、についての核心的なメッセージがほとんど網羅されていたので、実に驚きました。きっと多くの ノンクリスチャンにとっては 全く関心のない話かも知れません。(日本人の99%)でも、あまり積極的で派手な宣伝をしてこなかった福音伝道のためのこういうガイドブックが今一般メディアを通してキリスト者人口1%の日本において大大的に頒布されたことは、深い意義があると思います。こういうガイド書は一般にトラクト(小冊子)と呼びますが、この書物が際立っている点はただの小冊子ではなくて、成長したいクリスチャンにとっても非常に示唆に富む内容であったことです。ボクたちは どういうわけだか日本を離れて聖書に没頭できる環境を与えられました。かつて 東北No1の教会がある米沢にいながらそれに カスリもせず、中国にキリスト信仰があるなんていう環境も、ましてやイエス・キリストを思うことなど全く考えたこともなかったのに、上海で キリスト信仰を与えられました。これまでのプロセスも真に 起伏に富んだものですが、この 世界をいったん受け入れますと、「たとえ死んでも生きる」(ヨハネ11;25)となり、この生涯は闇から光へ移行します。
2007.02.18
毎日ラジオでFMを聞くようになり、雰囲気が 日本のFMと全然変わらないので、最近 あ、オレって中国にいたんだっけ、と わけがわからなくなることがあります。商売で古くから28(にっぱち)と言って 2月と8月には閑散期があって、それを乗り越えるのが一苦労だ、という周期がありました。業種にもよりますが、今はあまり当てはまらない、のではと思います。特に この中国では完全に これは 当てはまらない、でしょうね。なぜなら、 中国においては年中 最大の消費シーズンがおそらく この 春節の かかる2月なのですから。ちかくの「楽購」(ラゴウ)という大型スーパーに買出しに行きました。レジが「70台」もあるんですよ!!!!レジにずらっと消費者が並ぶのは上海では 珍しくない光景ですが、この巨大スーパーのどの販売通路も 人が 埋まっていて渋滞して動きが停まってしまうほどの人ごみは おそらく 初めて来られた日本の方々はぶったまげてしまう、と思います。この旺盛な消費意欲を横目にして、どうにか この国と ますます関わって生きたいと 感じるほどです。ここで ボクらと一緒に受洗した仲間(キリスト教会では 兄弟 と呼称します)U兄の証言をもって 中国で生き抜く原点をお伝えします。U兄は 外資系の会社で頑張っていらっしゃいます。ホンコンに長く住まれていて、上海に転勤されてきました。彼が 最近 仕事で スコットランド人とお付き合いする機会がありました。Uさんは そのスコットランド人にこう 話し掛けました。「Mr.〇〇、 あなたは 中国語を勉強していますか?」「というか、U どうしてあなたは中国語を勉強しないのですか?」Uさんは 基本的に英語でビジネスができる中でやってきましたので、不意を突かれた気分だったそうです。「U、 私たちスコットランド人にとっても国を離れて ビジネスを勝負するのは 大変なことなんです。特に、中国という大海に投げ出された私たちは中国語という丸太を必死に掴んで、救命艇が来るのを漂流していないといけないのです。」確かに ビジネスには ある場合英語も必要だろうし、全く 外国語が要らない場合だってあります。ですが、中国という巨大市場に立ち向かっていく場合、中国語は 何よりもまず さらに深く、さらに高度に身に付けていく必要があると、U兄は目を覚まされた感じがしたそうです。そこに大切なメッセージが散りばめられているわけですからね。ボクも この話を聞いてハッとしました。伝えたい道があるのなら、もっと磨かないと。。。
2007.02.17
ボクたちキリスト者にとってワクワクすることは、いつも隣に神さまがいらしてくださると実感できること、ではないでしょうか。専門用語で 「三位一体」 と言いますが、父、御子、御霊 の神が無条件の愛で支えてくれていることに本当に触れた時、確かに今までと違った「わけのわからぬ」喜びが溢れてくるのです。韓国オンヌル教会にハ・ヨンジュ牧師という大きな働き手がいらっしゃいます。ついに全世界に向けて衛星放送の権利を取得し、24時間年中伝道のためだけのテレビ番組を始められております。韓国には国会議事堂の真ん前に教会員80万人を抱える教会を建て上げた主の器 チョ・ヨンギ牧師が特に有名ですが、ハ先生も、聖書に忠実に純朴ですが 力強いメッセージを伝えてくれます。そのハ先生らが主体となって、この夏 日本で 大伝道集会が行なわれる、という計画を聞きました。韓国から2000名以上の奉仕のスタッフ、それに大物芸能人などを動員して埼玉のスタジアムが開催予定地です。日本の教会の現状では、総動員しても 大きなスタジアムに人をいっぱい動員できるほどの勢力はあまりない、と思います。やはりリバイバル(聖霊による信仰復興)先進国韓国に主導してもらわないと、大きな大会は開催不能だと思えます。ハ先生のメッセージに「理性 合理性 常識 は不信仰 を生み出す」というものがあります。日本でキリスト信仰が僅か人口の1%なのは、理性と合理性、それに常識で築き上げられた教育にどっぷり浸かっているからだと感じます。ボクらのように尻に火がついた人が信じやすいのは、予め決められた事柄です。写真は オンヌル教会 ハ・ヨンジュ先生
2007.02.16
タイタイが「Rさんの会社の洗面所の鏡でじぶんの顔を見たら、前と随分変わった感じがした」と自認してきました。ボクが ずいぶん顔が変わったよ、と 幾度言っても、なかなか認めようとしなかったのですが、自分でナットクしたようです。人の考えていることや状態は、案外 表情でわかるものだな、と最近 感じるようになりました。ボクは 昔 最初に就いた仕事が(いま話題になっている)N証券会社でした。入って一緒に研修した同期に、半年後 また合同研修で再開した時、「ずいぶん人相が悪くなったよ」と面と向って言われたことがあります。人間の俗欲が強い 証券業などの世界では 特に人品が失われやすい、ということは感じました。昨年までほんの僅か手を染めていた中国投資の仕事とは、じつは昨年暮れに 決別しています。それは ご察しの通り、「お前に必要なものは ただ聖書だけだ。神の義と、その御国を まず第一に求めよ。必要なものは全て それに加えて与える」という啓示を受けたのと、同時期 オバサン伝道師画家のGさんに、「証券会社に出入りすることは 辞めなさい。もっとも低俗な霊が漂っているところに今は出入りする時ではない。あなたの命は お金によって得られるわけでもないし、それで得たお金は すぐに失うからです。実は人生は ほんの少しのお金で生きていけるのです。」という助言を受けて、ボクは その週のうちに全て引き払いました。お金を増やした人が 求める行動はさらに 増やそうということです。こういう行為に何の疑いも無く生きてきたのですが、いまの生活においてバンバン天国メッセージが来るのですから、もう「ソドム」の方に顔を向けることはしないのです。
2007.02.15
ボクたちがそうであったように、普通は世と世にある物事をある時は何も考えないで、ある時はなるべく理性に則って、もしくは習慣に従って判断するものです。その判断の枠から、信仰の道に基づいて歩みだす時、いろいろな妨害が出てくるのです。そのことが如実に現れました。タイタイが、日本語出張授業させていただいている台湾人の生徒さんの会社に出向きました。彼は本土立ち上げ期からの台湾系大手メーカーの総責任者で、現実的に いま 順風満帆な 人生街道を歩んでいます。授業後、台湾へ帰国する彼に対して、タイタイは 中国語の聖書を手渡そうとしました。「Rさん、これは私からのプレゼントです。いまのRさんには全然必要ないと思います。でも、この先 もしいろいろな問題や 失望を感じた時、この本を開いてみてください。」それ以上何も言わないタイタイにRさんは 不思議がったようです。シツコク 信仰を持てなどと、言うと思っていたようでした。ですが本物の福音伝道は 時が与えられるまで、こちらが何をどう勧めようと、導きがないと伝わらないのです。タイタイが 聖書を手渡した瞬間、胃のあたりに強烈な痛みを感じはじめ、息ができないと感じるほどの突然の苦しみが与えられました。彼女は授業を終え、息も絶え絶えに家に戻ってきました。顔面蒼白で、事情を聞くと、突然の不明の現象だったので、「きっとサタンの攻撃だ」とボクは思い、床に横にさせて、祝福と癒し、それにサタン退去の祈りを捧げました。30分後 表情が戻って 正常に戻ったタイタイは、「こんなことは初めて。本当に 不思議。締め付けられるような痛み。聖書を彼に渡した瞬間から。」と述懐しました。タイタイにとって生涯初めて他人に聖書を渡した瞬間、つまり福音伝道の記念すべき第一歩だったわけで、この時に サタンは 何としてもちょっかいを出したかったのでしょう。彼はすぐにその聖書を開くことはないだろうけれども、一粒の麦が地に落ちて、豊かに実を結ぶ可能性は全くないわけではない、抵抗があったからこそ後で証しが始まるのだと感じます。こういう行動をGoして下さった神ご自身はヨブと同じように、サタンすら用いて、タイタイの信仰を持って福音を伝えることを許され、試され喜ばれたのだ、と感じました。
2007.02.14
「問題は祝福の泉」この言葉は ボクが思いついた標語です。「祝福」とは ただの成功や 幸せではありません。願い求めたものと違うかもしれないけども、それに勝って余りある 大いなる喜びを言います。「細木和子 魔さ斗の結婚祝福」とかニュースでよく用いられますが、「祝福」とは普通 こういう時に使わないのが本来の用法です。細木和子は 神さまではないからです。成功の判断は 何によって決まるか客観的にはわかりません。若い事業家、もしくは投資家などの意見を聞いていますと、まず1億キャッシュを作って、とか 具体的な金額などを掲げて、それから自由に仕事を選びたい、とかいう考えの人が案外 います。それでマネーを運用するなどに力点を置いたりします。ボクもそういう傾向がありました。でも、そうなるかならないか、そうなったとしても、人生は その後も 次々にいろいろな問題が出てくるし、ふつう 思ったとおりに 進むばかりでもないです。今 時代は新たなリーダーを求めているように思います。コタツで煎餅かじりながら、テレビを見ているような感じの人たちが多い中で、問題に真正面からぶつかり、孤独な中でも、確信を持って歩める人を実は求めている、と感じます。当座は 苦々しい思いしかできないのが、リーダーのサガですが、確信は 恐れを 駆逐します。いま300億あっても 1万円しか持っていないような生き方をしている人もいれば、いま1万円しかなくても 300億ある人よりも豊かな生き方をしている人もある、のです。そういう世界がある、ことがわからなくていろいろ出回っても「祝福」は ないものです。「問題」はいつも自分にあるからです。
2007.02.13
ゴスペルとは もともと天地創造の神と御子主イエスに対してのラブ・ソング(男と女という次元ではない)のことです。誉めた称え、賛美するものです。エルビス・プレスリーはグラミー賞をゴスペル部門で3度も受けたほど、イエスとゴスペルを愛していました。デビューのきっかけも母へのプレゼントとしてゴスペルを吹き込んだのが最初です。「ゴスペラ-ズ」という人気男性ボーカルグループがおります。ボクは前からけっこう好きで店内でかけていたFM山形などから流れているメロディーに気を留めていたものです。彼らの歌曲はミュージックシーンのポピュラーな路線にあるので、本来のゴスペルソングとは整合しないと思いつつ、彼らの経歴に目を走らせていたら、リーダー格の「村上てつや」さんと「黒澤薫」さんが出身校の後輩だということがわかりました。ゴスペルを歌い始めたきかっけは、学校の文化祭でそれを歌った時 受けたのが、最初だと言います。彼らは おそらくキリスト者ではないかもしれませんが、ぜひ、 いずれ「ゴスペルシンガー」として世界中を渡り歩いてもらいたいですね。ボクが聖霊さまに満たされたら、彼らに福音伝道したいなぁ、と感じました。「父がご自分の権威をもってお定めになった場合や時期は、あなたがたの知るところではない。あなやがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」 (使徒言行録 1:7、8)
2007.02.10
結婚して13年目を迎えるボクたちですが、子どもを授かる機会も無く、新築以来ほとんど住んでもいない千葉のイナカの家に子ども部屋を2つも作ったのは何とも可笑しな人生設計でした。だけどもそんな中でイエスさまは昨年秋口 台所に立つ家内に「お前は本当に子どもは要らないのか?」とお声をかけて下さいました。家内は驚いて「え、イエスさま ですか?」と聞き返すと、そのお声は「そうだ」と応答なさいました。家内は「御心のままに」と応えさせていただきました。子どもがいただけなかった原因は、ボクが 結婚後 数度も 雇用先が倒産し、生活が不安定だったこと、そんな中で 自営を初め、今度は仕事が忙しく、家庭を築こうという気持ちよりも経済的な繁栄を求めるほうに力が入りすぎたためです。ですが、そんな環境でもイエスさまは その家内にお気遣いをかけて下さいました。家内はもともと子どもを育てることに あまり興味が無く、だけれども 年を重ねていくだけなので、特に上海に来てからは、ほとんど諦めていました。そこに 神さまから 直接 確認のお声とも言える お言葉をいただいたのですから、寝耳に水、のような感触だったようです。聖書では 高齢出産は 当たり前に書かれています。信仰の父アブラハムと妻サラが特に有名ですが、神がなさることは現時点では科学的には不可能なことでも 実現します。ところで、高齢出産で ニュースになった日テレのアナウンサーが、病気を苦にして 自ら命を絶った、というショッキングなニュースがありました。人には言えぬ悩みや苦しみがあります。彼女は 光塩女子学院 → 立教大学という キリスト教系学校出身でした。学校で 福音には触れていたと思います。PL学園にいれば、みなPL教団、創価学園にいれば、みな創価学会員というわけでもありませんが、キリスト教系の学校におられる方が案外 キリストの福音に触れていない、触れていても 信仰を持っていないことを クリスチャンになってから初めて知りました。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失うものは、それを得る」「自分の命を憎んで、これを捨てるものは、かえって永遠の命を得る」という聖書の御言葉があります。この真理は、 苦しい中でこそ、自分を捨てて、主に立ち返れ、ということです。アナウンサーという一見華やかな花形職業だからこそ、病に伏せて、その影を見せたくないという気持ちは ただ「傲慢」から来るのでは、と 残されたお子さんのことを考えた時に、淋しくなりました。「女性は産む機械」ではなくて、本来 女性は産む苦しみにあって、「信仰を生む機会」が与えられるのです。聖書の中にある「地の塩 世の光」 という言葉からつけられた名門女学校 出なのだから、イエスさまに 栄光を帰して欲しかったですね。ザンネン。(光塩女子学院はボクが子ども時代を過ごした東京杉並区高円寺にあります。)
2007.02.09
日本における大衆伝道の第一人者で数年前天に召された本田弘慈牧師のご著書(「日々のキリスト」)の中で「熱狂を慎む」というご題の内容に感心しました。「神に恵まれながら、常軌を逸した行動を私たちがするとき、人々は私たちを、気が違ったと見るでしょう。ジョン・ウェスレ-は、熱狂は“自負心の娘”であると語っています。霊に燃えて奉仕することは大切ですが、他を顧みない、気が違ったようなことばや行動は慎む必要があります。そうしたことばや行動が、周囲の人々のつまずきとなることがあるからです。どのようによいことでも、聖霊の導きから離れたことばや行動は、主の栄光とはなりません。それはかえって、主の栄光を傷つけ、主の御名を汚すことになるでしょう。自分が恵まれ、満たされているからといっても、周囲の人々を批判したり、さばきはじめるとすれば、それは熱狂に陥っているしるしです。熱狂に注意しましょう。」さすが元熱狂元祖 本田先生。 いいご助言です。熱狂は 周囲をつまずかせるとともに、実は自分を苦しめることにもなります。兄弟のK兄は、ボクから見てもちょっとモーレツ奉仕気味。彼は、先日中国人牧師夫人のLさんの家で 一緒に 彼女の健康回復のために祈ってくれました。ボクがイエスさまより示されたのは、「行って、手を当てて祈って、帰るだけ」でしたが、彼は もっと交わり(交流)したいと長々 話をしてしまいました。Lさんの家は家庭教会ですので、いろいろな霊がひしめいています。ましてや、彼女は 悪霊に苦しめられているのであって、大胆に主の言葉をもって祈れば、万事解決するなんてことはないのです。(熱狂のあまり、信仰が自己陶酔に摩り替ることがあります。自分が全面に出たとき、主の力は発揮しません。))この奉仕に関してボクに示していただいた主の御言葉を断じて軽んじてはいけません。あれから10日過ぎて、K兄は 突然 声が出なくなってしまいました。仕事で電話をかけることも、声を出して祈ることもできなくなってしまいました。しばらく彼には可愛そうですが、これは神さまのご教育だと、わかって欲しいです。彼は「熱狂的」に ご奉仕をする傾向がありますし、会社でも どこでも 神さまを大胆に伝えます。ですが、それが上手く伝わらない。それを彼は自分で悲しんでいることがあります。主は お用い下さる器を 整えられます。砕かれつくした器から 主は 自らお建て上げ下さります。K兄よ、 決して人に取り入れられようと ムリに努力しないで、 あくまでも主にへりくだりましょう! お祈りしています。
2007.02.08
中国人の友人Yさんの家に週一回定期的に集っています。彼女の家に着くと、きょうGさんが来ますよ、とYさん。Gさんは、何度かブログでも書いたことがありますが、元専業主婦でイエス・キリストによって劇的に新生された中国画壇注目の「画家」であり、いまは その主の栄光を巷に伝えている伝道者でもあります。Gさんは ボクたち夫婦に向ってこうメッセージをくれました。「もう あなたたちは 必死になって祈らなくともよい。もう あなたたちの祈りは良くわかっている。むしろ、毎日短い 宣言をしなさい。」と 教えてくれました。ほか いろいろ助言をしてくれたのですが、それが一段落した後、今しゃべっていたのは全て聖霊さまです、イエスさまは あなた方2人をとても愛しております、と伝えてくれました。家内は感謝の気持ちで 泣き崩れ、ボクは 冷静に自覚しました。さて、Gさんを通して聖霊さまから示していただいたポイントは大きく2つありました。1)人的尽頭 就是 神的開頭2)個性老自我包囲着我イ門阻神1)は 「人の力ではもう限界 という場合こそが 神の始まり」 要するに 自我を捨てきりなさい、ということ。2)は 「古い自我、個性こそが神の働きを阻害している」 1)同様に 古い自分を捨て去り、神をお迎えしなさいというものでした。ちょうど 2人で感じていた今時点の信徒としての成長にふさわしい指摘と、実際的なアドバイスでした。このタイミングに GさんをYさんの家に初めて送り込んでくれたイエス・キリストのご慈愛、憐れみに感謝してひれ伏しました。G(高琳)さんについては以下のサイトで大きく報道しています。中国語を解される方は、ぜひお読みになってください。http://xqs.sh333.com/xw/200612/t20061215_1217410.htmhttp://www.han-yuan.com/hanyuanhualang/huazhan/gaolin/gaolin-01.htmhttp://www.artscn.com/news/2006-5-23/2006523135932.html上海のアート街と呼ばれる泰康路での個展はもちろん、アメリカでも個展を開いていますが、日本からもオファーが多くあるそうです。「高琳無標題超感覚画」という上海文化出版社から出されている画集は ぜひ チャンスがあればご覧になってください。息を呑む色彩感覚です。
2007.02.06
韓国に行くならすぐ気づくことですが、夜 飛行機で空港に降り立つ時窓越しから見える光景は、赤く輝いた十字架、十字架、十字架・・・。街は 数百メートルごとに教会、という有様です。日本にたくさんの牧師先生を送ってくださっているのも、韓国であるし、国会議員の半数がキリスト信者、というお国柄。日本最大の単一教会大川牧師の大和カルバリーチャペルの会堂建築にも、韓国人の方(パチンコ屋さん)が大きな寄付をされていますし、ボクのパートナーLGさん夫妻も日本で韓国人牧師の教会で救われました。上海に住む日本人K兄弟の元実家は都内の一等地 新宿御苑にありましたが、ご実家の事業が破産してしまい、いま そこは韓国人教会になっているそうです。ハレルヤ!!さて、聖霊さまの働きが本格的になると、想像できないほどの資金が動くということは よく聞きます。かつて、中国でもこのような大きな動きがあったそうです。1885年上海。ある祈祷会に英国の青年が出席しました。中国に福音を伝えるために召命された宣教師のハドソン・テーラーは、その英国の青年が提案した申し出に、驚いてしまいました。青年は何と宣教団の本部建設敷地購入に必要な経費の全額をささげたいと申し出たのです。中国に来て、まだ数日しかたっていなかった青年が、献金するに当たり唯一つけた注文は、決して自分の名前を出さないということでした。当時の40万ドルと言いますから、今ではおよそ4千万ドル、日本円にして50億円近くになります。青年は英国にいる伯父から莫大な資産を相続していたのです。その中から、中国奥地伝道団の本部建設資金として、まず今の日本円で約1億円をささげました。この無名の青年は、その後も相続した財産を中国宣教のためにささげ続け、結局、自分のためにはその浴びるほどの財産を何一つ使わなかったのです。敷地購入の資金提供を申し出たその翌日から早速 この青年アーチバルト・オアーユーイングは、ハドソン・テーラーと共に、北部中国へ出発しました。ハドソン・テーラーが300とも言われる中国の教会を設立できたのも資金的には主の聖霊が青年に下ったからでしょう。主の計り知れない御業を賛美します。
2007.02.04
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