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・・・だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。 (第二コリント 5章17)自分に失望することはない。あなたは、自分の弱点、固定観念、嫉妬、罪意識、劣等感から抜けだそうと長い間努めてきたのに、うまく成功していないのではないだろうか?それができないのは、自分の力で自分をよくしようとしたからではないだろうか。そんなことは、長く、くたびれはてる、そうして本質的には不可能な計画なのである。しかし、キリストになら、すぐにできることである。キリストに向かい、ただひとこと、「主よ、こんなふうに生きていたくないのです」と告げ、自分も本気でそう考えることである。あなたが、自分でできなかったことも、キリストは、あなたに代わってしてくださる。キリストは、あなたの内部に、変化をもたらしてくださる。「この私を変えてください」と主に願おう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、ノーマン・V・ピール博士の書物「あなたの人生を変える40のみ言葉」(一粒社)より引用。先日の大川牧師のクリスマスメッセージは非常に皮肉めいていた。神の力とご計画をバカにしてはいけない。侮ってはいけない。メリークリスマス、ほんとにそんなことが言えるのか?主に心の座を全て明渡します、そんなことが安々とできるのか、ひとはみな自分が中心の王様でいたいのに。。。主のみ力をほめたたえよう!
2007.12.31
(つづき)そのころ、皇帝アウグストが全ローマ帝国の住民登録をせよと命じました。これは、クレニオがシリヤの総督だった時に行なわれた、最初の住民登録でした。登録のため、国中の人がそれぞれ先祖の故郷へ帰りました。ヨセフは王家の血筋だったので、ガリラヤ地方のナザレから、ダビデ王の出身地ユダヤのベツレヘムまで行かなければなりません。婚約者のマリヤも連れて行きましたが、この時にはもう、マリヤのお腹は目立つほどになっていました。ベツレヘムにいる間に、マリヤは初めての子を産みました。男の子でした。彼女はその子を布でくるみ、飼葉桶に寝かせました。宿屋が満員で、泊めてもらえなかったからです。その夜、町はずれの野原では、羊飼いが数人、羊の番をしていました。そこへ突然、御使いが現われ、主の栄光がさっとあたり一面を照らしたのです。これを見た羊飼いたちは恐ろしさのあまり震え上がりました。御使いが言いました。「こわがることはありません。これまで聞いたこともない、すばらしい出来事を知らせてあげましょう。すべての人への、うれしい知らせです。今夜ダビデの町(ベツレヘム)で救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。布にくるまれ、飼葉桶に寝かされている赤ん坊、それが、目じるしです。」するとたちまち、天の軍勢が現われ、御使いといっしょに神をほめたたえました。「天では、神様に栄光があるように。地上では、平和が、神様に喜ばれる人々にあるように。」(ここまで)
2007.12.25
じつは、もう数日間 風邪気味で微熱状況が続いています。きのうのクリスマスも だからタイヘンでした。土日なく ずっといろいろ動いていて疲労が蓄積していた上、このプロジェクト準備期間内に主なものだけでも大きな出来事が3つありました。1つ 白酒酔いつぶれ事件お客さんの総経理さんのお誕生日に招かれて、そこで 先方の会社の運転手たちによってかかって白酒攻撃を受けてしまいました。ボクはあまりに常軌を逸した白酒攻撃に多少の「憤り」を覚えつつも、神様いざというときは守って下さい、と祈りつつ、飲ませていただきました。浦東で飲み始めたはずなのに、ボクが発見されたのは徐家ホイ。傍らで警察が保護してくれていたそうです。ボクは 何も記憶がありません。タイタイから「禁酒」条例公布。かれこれ2週間経ちますが、禁酒は守っています。2つめ バス引きずり降ろし事件タイタイの仕事契約の暁には、記念に 中山公園の 釜山料理屋で焼肉でも食べよう、と数ヶ月前に約束していたことをすっかり忘れていました。言われて、行くと順番待ち90番目!ボクは ハラぺコだったし、気遣いのつもりで、ケンタッキー(またか)でさっさと済ませよう、と言うや否や、キゲン悪状況。しばらく 言い合い。帰宅方向のバスに乗り込むも、まだ言い合い。とうとう ちゃぶ台ひっくり返し、気性が爆発。ボクは、タイタイの首根っこをつかまえてバスから引きずり降ろし、ほら、早くさっきの焼肉屋で順番待ちしよう、と大騒ぎ。中山公園の永楽電気の前で大喧嘩していた男と女はこのバカ夫婦です。結局 その焼肉店に入って何事もなかったようにたらふくいただきました。3つめ 怒りの開拓新規のお客さんをつかまえるのに、神経遣っているのに、会計主任が もう一歩で契約に至りそうなお客さんに向って電話口で「大喧嘩」。(財務会計上の指導面でらしい)しかし、相手は 神経の細やかそうな女性。担当女性は、今後この会計士に指導されると思うと沙希が思いやられると、総経理に訴えてきたそう。ボクは じぶんの会計主任に怒りました。そして、その会社さんにフォロー。まだ、両者面識もないのに、勝手にケンカされちゃ困るんですよね。結局その後行き来をその日に2回。メールを入れて、きょう もう一回プレゼンのチャンスをもらいました。ま、ボクの怒るって言うのは、言ってるそばから赦しているんですけど(いちおうクリスチャンですから)。以上3つのダサい出来事から検証すると、「怒りは愚行をもたらす」のですが、ボクの聖霊さまに対する挑発攻撃にボクが乗りすぎるところに問題ありそう。ボクは、ますますイエスさまの力にしか頼っていません、察するに これが悪霊は気に入らないのです。
2007.12.24
プロジェクトリーダーH兄と総合司会A兄、ならびに各出し物のリーダーさんや事務局スタッフら合計11名で打ち合わせを開始してから1ヶ月と数日。とうとうクリスマス祝会の本番を迎えました。この日までいろいろな奉仕のチャンスを与えて下さった神様にほんとうに感謝します。また至らぬことで、少し手違いがあったにもかかわらず、寛大な目で見守っていただいた一同にも 感謝します。今回は 運営方法を大胆にチャレンジしてみました。まず、プロジェクトを立ち上げて、事務局を設け、チームリーダー制度を確立したこと。通常 子供たちの劇から始まるクリスマスの定番を廃止して、バンドと 映像によるコラボレーションを試みたこと。総合司会を据えて、全体の流れを重んじたこと。初めてこういう会に来た人でもなるべく わかりやすくありのままの姿を垣間見てもらうことを目指した、こと。第1部礼拝のあと 第2部までの間に 軽食を提供したこと。プレゼントを全面的に解禁したこと。以上、一見大したことないことなのかもしれませんが、まったく違うスタイルで生活し、あるいは信仰生活をしている大勢の人々の同意を得て、異国で 限られた条件下でこれらを実現することは、容易なことではなかったのです。会場の予定人数は130名以内、ということでしたが、120名以上の来場者があって、まったく ごく身内だけの告知でこれだけ来ていただけたのだから、関係者みな 大喜びでした。クリスマスは いまやお寺や 神社でもするところがある時代。本家本元のクリスチャンの集まりが もっともっと幅をきかせて意外な 楽しみをご提供できれば、神の御力が 示されることでしょう。
2007.12.23
いよいよクリスマスのイベントまであと2日。全体の事務局の総合チーフとしてご奉仕させて頂いてきたこの約1ヶ月ちょい、でしたが、非常に この時点で既に 実りの多いものでした。このイベントの目指すところは、「クリスマス感」お金とか間に合わせでつくり上げることの出来ない「ほっこり感」ということをプロジェクトリーダーから依頼されてきましたが、なんせ クリスマス集会の演出は 初めてですからね。言葉では つかめませんでしたが、奉仕者との打ち合わせ、連絡のやり取り、分裂と一致などを繰り返していく中で貴重な経験を味合わせてもらっています。まず、神の国と神の義を第一に求めなさい、そうすれば あなたに必要なものはすべて与えます、ひとにはできないが神にはできる、神は何でもできるからだ、という言葉を何度も何度もかみしめて、自分ではなく 神の御心がなるようにという思いだけで 進めてきました。ところで、いつものように話 逸脱。タイタイさん こんどは天ぷらの「花楽(からく)」さんというお店にご招待されました。ボクは当然知りませんでしたが、事務所スタッフ、訪問顧客さんに 聞いてみると皆さんご存知の有名店らしく、「かなり おいしかった」らしい。オレはきょうどうすんの?の質問に「きのうつくったカレーがあるでしょ」季節柄 これがほんとの「カレー済ます」(激死)つい先日 「きみのつくった料理ほどボクの好きな食べ物はありません」 と中国語のEメールを送ったばかり、だった。しくじった。ちなみに、そのお店かなり高級なのですが、お客さんほとんど中国人の若いカップルで埋め尽くされていたそうです。
2007.12.21
ボクの一家にたいへんゆかりのある東北の県の代表事務所さんから顧問契約をいただき、来年そうそうその勉強会で「労働契約法のセミナー」を開催することが決定しました。場所は ルネッサンス揚子江というホテルです。その県からの上海進出企業30社ほどが集います。ほんとうは きょう細則が通達される予定でしたが、年内延期 というあいまいな回答でした。当日は細則を盛り込んでの弊所弁護士による説明を行ないます。まるまる一ヶ月半休みなしでクリスマスプロジェクトを準備して、あと3日。仕事もいろいろ連発で 案件をいただいておりますので、感謝です。
2007.12.20
(先日のつづき)さて、父親のゼカリヤは聖霊に満たされ、こう預言しました。「イスラエルの神、主をほめたたえよう。主は来て、ご自分の民を解放し、そのしもべダビデ王の血筋から、力ある救い主を遣わされた。ずっと昔から、聖なる預言者を通して約束されたとおりに。救い主は、私たちの先祖をあわれみ、特にアブラハムをあわれみ、彼と結んだ聖なる契約を果たされた。私たちを敵の手から解放し、恐れず主に仕える者としてくださった。私たちはきよい者、神様の前に立つにふさわしい者とされた。幼い息子よ。おまえは栄光ある神の預言者と呼ばれよう。おまえがメシヤ(救い主)のために道を備え、主の民に、罪が赦され、救われる道を教えるからだ。これはみな、ただ神の深いあわれみによることだ。天の夜明けがいま訪れようとしている。その光は、暗黒と死の陰にうずくまる者たちを照らし、私たちを平和の道へと導くのだ。」ヨハネは心から神を愛し、やがて成長すると、イスラエルの人々の前で公に語り始めるまで、たった一人、寂しい荒野に住んでいました。(ここまで)わたしたちも荒野を長い間 体験しました。これは 厳しい時でしたが、ほんとうに大切な 時間です。主は遅れることなく必ず勝利の右手で私たちを救い出してくださります。これを味わいつづけることに信仰生活の 喜びがあります。
2007.12.18
(きのうのつづき)さて、エリサベツの待ちに待った日が来て、男の子が生まれました。このニュースはたちまち近所の人や親類の間に伝わり、人々は、神がエリサベツをあわれくださったことを、心から喜び合いました。子供が生まれて八日目に、友人や親類が集りました。その子に割礼(男子の生殖器の包皮を切り取る儀式)を行なうためです。だれもが、子供の名前は父親の名を継いで、「ザカリヤ」になるものとばかり思っていました。ところがエリサベツは、「いいえ、この子にはヨハネという名をつけますの」と言うではありませんか。「なんだって!親族にそんな名前の者は、一人もいないじゃないか。」あっけにとられた人々は、父親のザカリヤに、身ぶりで尋ねました。ザカリヤは、紙をくれと合図し、それに「この子の名前はヨハネ」と書いたので、一同はびっくりしてしまいました。とたんに、ザカリヤの口が開きました。また話せるようになったのです。彼は神を賛美し始めました。これには近所の人たちも驚き、このニュースはユダヤの山地一帯に広まりました。だれもがその出来事を心にとめ、「この子はいったい、将来どんな人物になるんだろう。うーん、確かにこの子には、主の守りと助けがあるぞ」とうわさし合いました。(ここまで)
2007.12.17
上海にはいろいろな集りの会があります。たとえば 会員数300名ほどの現地採用日本人女性中心に活動されている「働く女性の会」というのがあります。先日 クリスマスの事務局的立場でお話いただいたI姉などはここでも いろいろ頑張っていらっしゃっています。さて いつも大変お世話になっているS兄が この度晴れて 総経理という立場に昇進しました。彼は「カラオケやらでは社長っ!って 呼ばれてはずっといたけども、実際 ほんまに 社長になるいうのは、けっこう 大変かもしれんけど、うれしいからね。」とご満悦。その奥さん、S姉はずっと 働きたいと思っていたけれども、ダンナさんがこうなって、しばらく また家庭中心でもいいかな、「働かない女性の会」でもつくろうかしら、とおもしろいことを言ってきました。今晩は タイタイともどもA兄 H兄 H姉 その子供さんら、そしてSK姉 M姉 らとともに、「ガス抜き」懇親会。いろいろなお話で 大爆笑の渦の中、夫婦のケンカの話でざっくばらんに心情を吐露。結局なんだかんだ女性の胆の座りっぷりに降参。タイタイ含む女性陣の「わたしたちは『上海ゼッタイに動じない妻の会』でも創ろうか」、という宣言にはダンナ衆 とても頭が下がる思いになりました。
2007.12.16
虹橋花園でのクリスマスCS劇の練習下見に出向きました。2、3歳から参加する子供劇ですが、こんなに大勢の小さな子たちが参加してくれるんですね。歌もしっかり、きっちり仕上がっていました。さて、その後A兄、H兄と 別場所で 打ち合わせ。この議論が今回のプロジェクトの土台。また白熱したものになりました。感謝。その後 夕方から 南京の「宴会董事長」I兄が 幹事になって開催された メンズ主体の忘年会は、合計13名の総経理さんやその奥様らがお集まりになって、遠東国際広場にある 田野(TAYA) 仙霞路299号B棟1F で ちょう盛り上がって行なわれました。幹事のI兄のすごい仕込みのおかげで、次々繰り広げられる余興 ゲームはちょっとした 飲み会の域をはるかに超えてます。ちなみにボクは 「ある事件」(最近あった)のことに懲りてこの席上では ただの一滴もお酒を口にはしませんでしたが、あんこう鍋やら、うどんやら の美味も堪能し、和やかで上気した雰囲気で酔いしれてしまいました。途中で タイタイが「彩寿司」(なんか 最近 常連になってしまっている。。。)から 参加。夫婦の誓いの 宣言を「させられて」しましました。この望燃会はまさにボクらにとってはアメ-ジング・グレースのひとつでした。南京のI兄に非常感謝!
2007.12.15
(前日のつづき)数日後 マリヤはユダヤの山地へ急ぎました。そして、ザカリヤの住む町へ行き、エリサベツを訪ねました。マリヤのあいさつを聞くと、エリサベツの子供は、お腹の中で跳びはね、エリサベツは聖霊に満たされました。エリサベツは喜びを抑えきれず、大声でマリヤに言いました。「あなたほどすばらしい恵みを受けた女(ひと)はいないわ。お子さんが、神様の最も大きな誉れを表わすようになるんですもの。主のお母様がわざわざおいでくださるなんて、身に余る光栄だわ。あなたが入ってきてあいさつなさった時、子供がお腹の中で喜び踊りましたの。神様が語られたことは必ずそのとおりになると信じたので、神様はあなたに、こんなすばらしいことをしてくださったのね。」マリヤは答えました。「ああ、私は心から主を賛美いたします。救い主である神様を、心から喜びます。神様は取るに足りない召使のような私さえ、お心にとめてくださいました。これから永遠に、どの時代の人々も、私を、神様に祝福された者と呼ぶでしょう。力ある聖なる方が、私に大きなことをしてくださったからです。そのあわれみは、いつまでも、神様をおそれかしこむ者の上にとどまります。その御手はどんなに力強いことでしょう!主は心の高ぶった者を追い散らし、権力をふるう者を王座から引きずり降ろし、身分の低い者を高く引き上げ、餓え乾いた者を満ち足らせ、金持ちを手ぶらで追い返されました。主は約束を忘れず、しもべイスラエルをお助けになりました。先祖アブラハムとその子孫を、永遠にあわれむと約束されたとおりに。」マリヤは、エリサベツの家に三ヶ月ほどいてから帰りました。(きょうはここまで)有名なマリヤの賛美の箇所。長々と祈っていない。史上もっともナゾとされる救世主の処女懐胎。クリスマスの出来事はわたしたちの常識とは まったくかけ離れたところからスタートしています。従来 「聖」という言葉これも 人間の常識のレベルともまったく かけ離れたほどの領域。神、そのものにしか用いることができないものとされます。
2007.12.14
約束。わたしたちの世界にはいろいろな約束事がありますが、新約 旧約この 神様との約束をとても大事にするメシヤ信仰。イエス・キリストのお母さん、マリヤにも神様はまず 約束からお与えになりました。(きのうの続き)マリヤへの約束その翌月、神は御使いのガブリエルを、ガリラヤのナザレ村に住む、マリヤという処女のところへお遣わしになりました。この娘は、ダビデ王の子孫にあたるヨセフという人の婚約者でした。ガブリエルはマリヤに声をかけました。「おめでとう、恵まれた女よ。主が共におられます。」これを聞いたマリヤは、すっかり戸惑い、このあいさつはどういう意味なのだろうと考え込んでしまいました。すると御使いが言いました。「こわがらなくてもいいのです、マリヤ。神様があなたに、すばらしいことをしてくださるのです。あなたはすぐにみごもり、男の子を産みます。その子を「イエス」と名づけなさい。彼は非常に偉大な人になり、神の子と呼ばれます。神である主は、その子に先祖ダビデの王座をお与えになります。彼は永遠にイスラエルを治め、その国はいつまでも続くのです。」「どうして子供ができましょう。まだ結婚もしておりませんのに。」「聖霊様があなたに下り、神様の力があなたをおおうのです。ですから、生まれてくる子供は聖なる者、神の子と呼ばれます。ちょうど半年前、あなたのいとこのエリサベツも、「子供のできない女」と言われていたのに、あの年になってみごもりました。神様の約束は、必ずそのとおりになるのです。」「私は主の召使にすぎません。何もかも主のお言いつけどおりにいたします。どうぞ、いま言われたとおりになりますように。」マリヤがこう言うと、御使いは見えなくなりました。(きょうはここまで)いよいよマリヤの登場。なかでも注目すべき言葉は「恵まれた女よ。主が共におられます。」「神様の約束は、必ずそのとおりになるのです。」そしてマリヤの従順。「私は主の召使にすぎません。何もかも主のお言いつけどおりにいたします。どうぞ、いま言われたとおりになりますように。」
2007.12.13
・・・彼はぶどう酒や強い酒は絶対に飲みません。生まれる前から聖霊様に満たされており、やがて多くのユダヤ人を神様に立ち返らせるのです。昔の預言者エリヤのように、たくましい霊と力にあふれて、メシヤ(救い主)の前ぶれをし、人々にメシヤを迎える準備をさせます。大人には子供のような素直な心を呼び覚まし、逆らう者には信仰心を起こさせるのです。」 「そんなことは信じられません。私はもう老いぼれですし、妻もすっかり年をとっているんです。」 「私はガブリエル、神様の前に立つ者です。神おん自らが、すばらしい知らせを伝えるために、私を遣わされたのです。この知らせを、あなたは信じませんでした。その罰に、あなたは神様に打たれて口がきけなくなります。子供が生まれるまで話すことはできません。その時が来れば、必ず私の言ったとおりになるのです。」 外の人たちは、ザカリヤが出て来るのを、今や遅しと待ちかまえていましたが、なぜそんなに手間どっているのか不思議でなりません。ついに出て来ました。ところが何も言わないのです。しかし、ザカリヤの身ぶりから、きっと神殿の中で幻を見たのだろうと考えました。ザカリヤは残りの期間の奉仕をすませ、家に帰りました。まもなく、エリサベツは妊娠し、五ヵ月間家に引きこもっていました。エリサベツは、「主は、私に子供を与えて、恥を取り除いてくださった。なんとあわれみ深いお方でしょう」と言いました。(きょうはここまで)先日I姉と時間とってお話した時、ヨハネの存在は大きい、ということで熱がこもりました。「荒野で叫ぶ声」がヨハネ。注目すべき箇所はたくさんありますが、天使ガブリエルの「逆らう者には信仰心を起こさせる」はスゴイ預言。「大人には子供のような素直な心を呼び覚まし、」はクリスマス会で必ず目撃できることでしょう。。。
2007.12.12
きのうからクリスマスカウントダウンということで、黙想中に思い立った聖書の一部ルカ福音書の中からイエスはどういうようにしてお生まれになったのか、を引用(「リビングバイブル」より)してみたいと思います。 ザカリヤへの約束 私の話は、ヘロデがユダヤの王であった時代にユダヤの祭司をしていた、ザカリヤという人のことから始まります。ザカリヤは、神殿で奉仕するアビヤ組の一員で。妻エリサベツも祭司の家系でアロンの子孫でした。この夫婦は神様を愛し、おきてを忠実に守り、心から従っていました。 しかし、エリサベツは子供のできない体だったので、夫婦には子供がなく、二人ともすっかり年をとっていました。 さて、ザカリヤの組が週の当番となり、彼は神殿で祭司の務めをしていましたが、祭司職の習慣に従ってくじを引いたところ、聖所に入って主の前に香をたくという光栄ある務めが当りました。 香がたかれている間、民衆は神殿の庭で祈るのです。大ぜいの人が集っていました。 ザカリヤが聖所で香をたいていると、突然、御使いが現れ、香をたく壇の右側に立ったではありませんか。ザカリヤはびっくりし、言い知れぬ恐怖に襲われました。 しかし、御使いは言いました。「ザカリヤよ。こわがることはありません。うれしい知らせなのだから。神様があなたの祈りをかなえてくださったのです。エリサベツは男の子を産むでしょう。その子にヨハネという名前をつけなさい。その子はあなたがたの喜びとなり、楽しみとなります。また多くの人もあなたがたと共に喜びます。その子が、主の前に偉大な者となるからです。 (きょうはここまで)
2007.12.11
クリスマスが近づいてきて、 慌しい日々の中にあって、 移動中に電車で瞑想していると、 ひとつの考えが浮かんできました。 それは、これから数日の間、 ブログに 少しずつ 聖書をそのまま 書き写していこうと 思いました。 用いる聖書は「リビングバイブル」(新約) (いのちのことば社)です。 箇所はルカ福音書の イエスの誕生の前後。 クリスマスの 本来の意味を 少しでも 触れていければ、と 思う次第です。 箇所 「ルカの福音書」(医者ルカの記録) 解説) 快復の見込みのない病気で絶望している人。 社会的地位も低く、人からいやしめられ、 軽蔑されている人。 人々に訴える力も、権力もない弱い女たち。 社会の片隅に追いやられ、 存在すらも認められない、 そのような人たちの心を、 イエスは大切になされました。 そして、つらい思いでいる人々の気持ちを理解し、 やさしい励ましと、慰めのことばを 一人一人にかけていかれたのです。 そういうキリストの姿が、 医者ルカの目を通して生き生きと描かれています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 神を愛する親愛なる友へ。 イエス・キリストの伝記は、 最初からの目撃者であり弟子であった人たちの証言をもとに、 すでに幾つかでき上がっています。 しかし私は、すべての記録を、 もう一度初めからチェックし、 徹底的に調査した上で、 あなたのために順序正しく書いて差し上げたいと 思うようになりました。 それによって、教わっていたことは みな正確な事実であるということが、 よくおわかりいただけると思います。 (きょうはここまで)
2007.12.10
クリスマス事務局の ご奉仕のおかげで、 ひとりひとりの 参加者と 以前にはなかった 交わりのチャンスを 与えられております。 今回出し物は 7つ。 そのひとつ 男性だけの歌の練習に参加。その後は バンドの練習の 様子を見学しました。 特にバンドの仕上がりは 上出来で、 キーボードのS姉、 ベース初登場のS兄の 手腕がみるみる うちに 上級者の腕前に。 総合演出、舞台効果など 多くの責任を 受け持つボクの役割ですが、 これだけ 個別出し物のレベルが高いと、 コーディネートが ますます楽しみになります。 23日の本番までに どれだけ さらに積み上げるか、 非常に期待できます。 写真はスタジオ内での参加者の様子
2007.12.09
私の国で重要な公職についている人が、私に尋ねたことがあります。「マザー・テレサ。私のために祈っていると仰いましたね。正直なところをお聞かせください。私がキリスト信者になることを願っていらっしゃるのではありませんか。」私は答えました。「人は、自分がとても大切にしているものを持っていれば、自分の友人と、それを分かち合いたいと願うものです。私はキリストへの信仰を、この世で持ち得る最高の宝と信じています。私がキリストを愛しているほどに、皆もキリストを知り、愛してくれたらと願っています。あなたについても同じことを願っています。しかし、信仰は神からの賜物で、神が与えたいとお選びになった人にお与えになるものなのです。」 (マザー・テレサ「愛と祈りのことば」PHP文庫;渡辺和子訳) ※太字 小生マーク冒頭の今週の聖句に、「謙遜」についてのマザー・テレサのことばを用いました。ボクは 相当な傲慢者で、「謙遜」からは対極に位置するものです。信仰を持ったら、どうなりますか、立派なひとになるのですか?いつも 喜んでいるのですか?いつも へりくだっているのですか?ボクは 瞬間的にカッと 頭に血が上り、相手が どんな人であれ、ちゃぶ台をひっくり返すように大喧嘩を始めてしまうことがあります。これでも、愛してくれる人っているんでしょうか?タイタイだって何度 このボクの性分で 苦しんでいることか.。。。信仰は、ボクみたいに近眼なものにはいつも欠かせないコンタクトのようなものと、なっています。見えていない状況のことが当たり前であったら、あまり問題ではなかった、しかし、こうすればこう見えるんだ、とわかれば、それを外すわけにはいかなくなる。ボクらだって、信仰を持ちたい、と思って中国まで来たわけではありません。そして、最初あるクリスチャンから「あなたのためにお祈りします」と言われても、「同情するならカネをくれ。たのむ、気持ち悪いから祈らないでくれ。」と正直思いましたもの。。。そういう世界があるんですよ。
2007.12.05
先日の守部氏の 最近の中国福音伝道事情。 中国は広大ですけど、 今回も守部さんは 北から内陸を周って 上海に辿りついてきました。 正確に書ききれませんが、 守部兄の報告によると、 今回 ものすごい 恵みに触れた、と言います。 それは内陸のある 貧しい農村。 そこはかつて旧日本軍が 侵略した地。 それを知りつつ 日本からの「聖書運ぶ」 運動を6年前から 間接的に 手伝っているそうです。 今回6年ぶりに訪れて かつて1000人ほどの 群れだった信徒が 2万5千人に 膨れ上がっていた、ということ! 最初 守部さんは かつての日本軍のあやまちを 謝罪しようとした、のですが、 逆に 感謝され、 主を知らなかったことに対する 「放蕩息子」 の謝罪をされた、とか。 ハレルヤ! すばらしい恵み。 友人のLG牧師も 強調していましたが、 韓国の牧師も アジアの多くの教会では 日本を愛す、という 示しが強く与えられ、 そのために いろいろな準備が始まったり、 実際動き始めています。 今回 ボクも クリスマスの事務局を お手伝いさせていただいて、 主にある喜び、 そして 信徒の一致、 これを 大変深く学ばせて頂いております。 また、日本人が どうして主に立ち返らず、 憎悪の連鎖が 止めどなく 続いているのか、 これを 考えるきっかけにも なっています。 主にあって 愛することの 偉大さをしみじみ感じます。
2007.12.04
歴史を振り返りますと、なかなか感慨深いものもあります。そして奇異な出来事に遭遇することが多々あります。日曜日は 上海日本人教会の創立メンバーのひとりH兄をお迎えして、メッセージをいただきました。Hさんは香港・広東に数年、上海に数年計12年に渡って一企業の駐在員として在住され、2004年に帰国以来、(ボクらと入れ替わりみたいに)実に3年半ぶりに上海に戻ってこられました。献身を示され、退職され日本に戻って、神学校に入り、あと3ヶ月で卒業という段階で上海に来てくださいました。卒業後は福島県のいわき市内でご活動されるとのこと。主が足を強めて下さいますように。Hさん、上海にいた頃には弊所の弁護士にかなり世話になったことがあるのです、と仰いました。おもしろいつながりです。この日は 創立メンバーのE兄もおり、I兄も南京から参加してくれました。そろってのショットは大変感慨深いものがあったようです。とともに、この日はいのちのことば社の守部喜雅兄をお迎えして、中国での福音伝道事情を述べて下さいました。 守部さんは、9月に実業之日本社(日本で最も古い出版社とも言われる)から「知れば知るほど 聖書」という本を出されたばかり。ボクは 9月に一時帰国した際に、日本で購入していました。それで 本の扉にサインをしてもらいました。「主よ、この地は あなたの慈しみで 満ちています」 (詩篇119章64節)守部さんは 昨年8月のボクたち夫婦の同時洗礼にも立ち会ってくださいましたし、非常にご縁があります。この本の出版は昨年今頃に ある人の紹介から話がまとまり、なぜか 上海の日本人メンバーを想定して一挙に書き上げたといいます。(ボクはその話を聞いて瞬間 背筋がピンとはりつめたような気持ちになりました)実業之日本のような出版社ではこういう本を出すことなど今まで全くなかった、そうですが、やはり 時代が求めつつあることのひとつの現象なのでしょうか。実業之日本社は初代顧問が 新渡戸稲造。創業者は 増田義一。早稲田の創立者 大隈重信も協力しています。(写真参考)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「知れば知るほど 聖書」 (実業之日本社) 守部 喜雅 執筆 もりべ よしまさ1940年中国上海生まれ。慶應義塾大学卒。1977年から97年までクリスチャン新聞編集部長99年から2003年までキリスト教信仰雑誌「百万人の福音」編集長。ジャーナリストとして、四半世紀にわたり、中国大陸の迫害下にあった家の教会を紹介した「中国、愛の革命」(いのちのことば社)「レポート中国伝道」(クリスチャン新聞)がある。現在、クリスチャン新聞編集顧問。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・知れば知るほど歴史のつながりもおもしろいところを感じます。
2007.12.03
2004年12月からブログを書いていますので、過去に書いたことを検証することができます。キリスト信仰の話が中心となっているいまと違ってもっとイケイケ調だった時のものに「ブス・ユニバース」なるタイトルのものがあります。(2005年4月3日筆)この中でボクは 当時携わっていました日本語学校での授業内容を紹介しています。こんな感じ。。。「・・・授業中、わたしは中国にはミス・ユニバースに選ばれる潜在的美女が最低20万人はいます、と話した。中国の女性の人口は約7億人でしょ。まあ、赤ちゃんからご老人まで含めての数字だから、14歳から26歳くらいまでの条件下の女性はたぶん1億2000万人はいる、と思うんです。このうち、すれ違ってハッと思わず振り向いてしまう容姿の子が100人に1人と見積もっても、120万人。もっとハードルを高めにして、300人に1人としよう。これで40万人。ここまで絞っても、40万人もいる。むかしの川崎球場の年間入場者数だ。ミスに選ばれるのは、見てくれだけでなく、ある程度の教養も品も選考要素だろうから、この半分にしよう。で、20万人。根も葉もない仮説。」こうやってフィーリングだけで書いたつもりでも、今回ミス・ワールドに大会史上初めて中国代表が選ばれた、ということで上記のふとした「思い」は証明されたような気もします。ところで、こんな感じで中国の美女は実にけっこうレベルが高いから、今後は中国国内で勝てば、だいたいベスト8から優勝候補に挙げられる、要するに中国国内での選抜は、高校野球における神奈川県や大阪府などの県予選みたいなもので、そこで勝つことの方が実はよっぽど大変という、ことになりそうです。選挙みたいに人口割りだったら、10人以上中国から参加させないといけないとするならば、おそらくずっと中国勢が勝ちつづける可能性がありますね。
2007.12.02
Gくんは ボクの中国語の家庭教師の先生。 現在 美術大学の大学院生。 専攻は 彫刻。 友人の中国人G教授夫妻の 推薦で 彼をボクに紹介してくれて かれこれ半年。 ひじょうに素直で クレバーな青年。 この度、G教授の紹介で 香港の企画制作会社と作品の契約を結ぶことができて収入の道が開かれました。彼は キリスト信仰に 関心はあるけれども いま 一歩踏み込めない、 その理由に、 「束縛」を尋ねてきました。 というのは 師匠格にあたる G夫妻のご主人で 美術大学教授のGさん の作品を見ていると、 キリスト信仰以降 「作品が鳥の籠の中のようです」 と言ってきました。 確かにGさんの作品は 新生以降、 ほとんど天の国が メインテーマ。 以前の人間の心の闇を 表すような作品は消えてしまいました。 Gくん 「信仰を抱くと、ゴルフやカラオケ、 酒やタバコ、女性 こういった ごく普通の 人間の様相とかけ離れてしまって、 思考自体は否定はしないけれども、 世界から離れて 自由を取られている感じがします。」 こういう主旨のことを 語ってきました。 じつは、ひじょうに 深い問題で、 安易な回答は避けましたが、 「真理はあなたがたを自由にする」 という聖書のみ言葉を 出す前に、 人間の罪の問題を 話す必要があると思いました。 彼だけでなく、 ボクも 自由を束縛するものから 解放されたい、 それは 当然の心理でしょう。 この「解放」というのは かなりキーワードだと思っています。 形式主義や 体裁だけで 解決できないから、 聖書の真理が 与えられているのに、 これを学ぶことによって かえって 自由から束縛されてしまっては、 本末転倒です。 ボク個人の問題でもあるので、 今後も一緒に 本物の自由への解放に 向けてこの 「芸術家のたまご」と 話し合っていければと思います。 (中国語だし)
2007.12.01
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