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今週月曜日は、日本総合研究所の理事会・評議員会が赤坂の野田一夫事務所で開催された。私は評議員を仰せつかっている。この日本総研は、現在は野田一夫会長、寺島実郎理事長のコンビで運営されているが、1970年に設立され40年にわたって日本のシンクタンクンの先駆けとして活躍してきた財団法人である。出発時は茅誠司理事長、野田一夫所長という布陣だった。幸い私は野田一夫、寺島実郎という傑出した人物に師事するという幸運に恵まれてきた。野田先生は、毎週友人・知人数千名に葉書通信を送り続けている。自宅に届く「Rapport」を楽しみにしているが、この葉書にはその週の最も印象深いトピックスが名文でつづられている。本日届いたRappot818号は、「親愛なる孫君へ---”忙”は心を亡ぼすこと」だった。親しいソフトバンクの孫正義社長への友情あふれる直言で心を打つ。----------------------------先日、菅首相の横で「、、、あと十年もつづけてください」と笑って叫んだ君をテレビで偶然みかけ、思わずわが目と耳を疑った。三十余年に亘って君に心から敬愛感を抱いてきた年長の友人として僕は、今多くの国民の非難の的となっている”死に体”の権力者に、君が嬉々と接近したことを憂うる。退陣表明後も”居座り”に汲々としている菅首相は、君が突然”自然エネルギー開発”を表明した相前後、それまで口にもしなかった大規模”太陽光パネル”構想を急に打ち出すとともに、「再生可能エネルギー特別措置法案」提出までしようとしている。これは、果たして偶然の一致なのだろうか?自然エネルギーの開発技術が完全に実用化されるまでには予想以上に長い年月を要するはずだ。だから、60歳で引退を公言してきている君が全力を傾注すべき目標は、やはり、わが国の情報基盤(=”光の道”)の完全自由化ではないのか?政治家は概して利己的だから、君の価値は、君の人柄とか理想ではなく、君の名声と財力だ。彼らは人一倍猜疑心が強いから、菅失脚後は、自民党はおろか民主党の主要政治家も君とは社会的距離を置くだろう。そして彼らは非情だから、ひとたび君の落ち度を見つければ、躍起となって襲ってくる。これまでの人生で、僕はそうした例を嫌というほど見てきた。仮に、そういう政治家を手玉にとるだけの知恵としたたかさが君にあったとしても、残念ながら最近の異常な忙しさは、その才能の発揮を妨げるに違いない。長年君を見つづけてきた僕はには、今の君は30年前の大病以来の危機に立っているように思える。あの時の危機は単に肉体的なものだったが、今回の危機は精神にも及びかねない。”忙”の解字は「心を亡ぼす」ことだということをくれぐれも銘記してほしい。------------------------「財団法人日本総合研究所の40年--歴史と未来の接点を見すえて」という冊子が、日本総研の理事会・評議員会で配られた。その冒頭に寺島実郎理事長の「道に迷わば木を伐りて年輪を見よ」というメッセージが載っている。日本総研40年を総括し、東日本大震災を受けて次の20年をいかに創生するかという問題意識を語っている。「地震・津波・原発事故という三重苦の中で、根底から日本社会の構造転換を模索せざるを得ないこととなった。いかに次の20年を創生するのか。JRIも、シンクタンクとしての誇りをかけて、このテーマに取り組まねばならない。」このメッセージの前段に、インテリジェンス機関としてのシンクタンク論が書いてある。シンクタンクマンの心すべきことを語っているのだが、時代に立ち向かおうとするあらゆる人への力強いメッセージのように聞こえる。 問題解決型の情報活動をインテリジェンスと呼ぶ。 世界のシンクタンクにおいて、時代の解析と課題解決に立ち向かっている人間は、生身の人間として実に興味深く、洒脱で魅力に溢れているということである。つまり意見交換を通じて感じることができるのは、論理性や理性もさることながら、人間としての感性、情愛が豊かで、熱い正義感とか問題に挑みかかる情念に溢れているということである。 人間としての素心、つまり豊かな感性が、結局のところ問題の本質を感じ取り、人の心を動かし、問題を解決する基盤であることを示唆していたのだと思う。現実に問題を解決できる人材とは、そういう人物なのだ。 、、、それにもとづく課題解決を求めるには、時代に立ち向かう人間としての筋道の通った問題意識と熱い情熱が不可欠である。私は、JRIの未来を、ここを支える人間の理性と情熱のバランスの中に探究していきたいと思う。--------------------------今日は、会議やゼミの後、夜は京王永山にこの4月に開所したインキュベーション施設「ビジネススクエア多摩」で、ここに入っている入居者と多摩大教授陣との懇親会があり出席した。この施設は多摩市から多摩大学総合研究所が運営を受託している。多摩大側からは、松本、中庭、梅沢、斉藤、金、浜田の各先生、学長室の山本さん、それに私が参加した。各自の自己紹介から始まり、ビールとおつまみで、2時間の懇親となった。この施設は多摩大の出城的に位置付けて、教授、学生が日常的に出入りするようにもっていきたい。その第一歩だ。
2011/06/30
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著者は「教養主義の没落 変わりゆくエリート文化」「日本主義的教養の時代」「立身出世主義--近代日本のロマンと欲望」などの著書がある碩学である。京都大学名誉教授で、現在は関西大学におられる。1942年生まれ。【送料無料選択可!】大学の下流化 (単行本・ムック) / 竹内洋/著大学教師は18万4千人という多さの時代に、教育ポピュリズムの進行が進んでいる。「師の影を踏まずという師弟関係」から「友達のような関係」の間のどこに大学教育を位置づけるか。大学進学率が5割を超えるフラット化、大学のサバイバル戦略とからくるポピュリズム、官僚主義的大学改革、これらの総合的な影響のおとで、大学の下流化が加速されている。このような主張を展開する著者のここ数年に書いた論考をまとめた書物であり、いつものように説得力があり、読み応えがある。「大学の下流化」に抵抗するための提案・提言を拾ってみた。 読書マラソンのかわりに新聞ジョギングを。 大学内書店に大学がテコ入れして品揃えを多くしてはどうか。 自校出身教員は無形の財産。 「コア科目」を第三者機関による資格認定試験にする。企業は採用時にコア科目の成績を指定する。 歴史教科書は対立する史観を両論併記し、生徒に考えさせることがあってよい。 嗜みとしての教養と教養としてのユーモア、つまり「感情の教養」はこれからの教養を考える大事な視点だ。高等教育が人口の15%までがエリート型、15%を超えるとマス型、50%を超えるとユニバーサル型と言われる。1955年は10.1%。1960年は10.3%。1980年は37.9%。2005年は51.5%。第三章「全共闘の時代」では、学生運動があそこまでなぜ爆発したかを論じている。団塊の世代では高等教育進学者は20%近くになっていた。エリートと大衆の狭間に位置していた。竹内は全共闘運動は教師に対する家庭内暴力であり、依存的反抗だと受け止めている。小熊英二は団塊の世代を、幼少期を発展途上国状態で過ごし、青年期に高度成長社会を迎えたと言っている。その団塊は、バブル時代は企業の中堅でモーレツ会社員として働き、バブル崩壊後はその余韻の最中に管理職になり、失われた20年で企業の低成長の中で苦しみはしたが、その後半に無事にリタイヤしている。団塊世代の軌跡と、全共闘運動は私自身いずれまとめておかねばならないテーマだ。「教員と教師」というコラムもある。趣旨に同感である。教員という言葉は員数、つまり数としてしかとらえていない言葉だ。教師という自覚の復権がまず必要なことではないだろうか。「師」とはお手本である。学校の先生は教師であろうとすべきであるし、社会に出ても自らの師を求めて働くべきだろう。この本を読んでいるうちに私の名前を発見して驚いた。「東京赤坂の野田一夫先生(「多摩大名誉学長)の事務所で、先生と久恒啓一多摩大教授とともに懇談。久恒教授は全国の人物記念館をたずねて、その事績を収集し、わかりやすく、人々に伝達するユニークな仕事をしている。近著「志」(ディスカバー・トウェンティワン)をいただく。」2008年に京都で行われた藤原勝紀先生が主宰するラウンドテーブルで、「偉大な人物像の世界に想いを馳せて」というタイトルで私が発表したとき、次のような好意的なコメントをいただいたことがある。「偉人伝。渡辺崋山の絵本。人物伝を学ばなくなったのは不幸だ。マルキシズムの悪影響は社会科学を法則科学にしたこと。人間のない歴史。人物で時代を語る。大宅壮一の人物評論。九鬼隆一の評伝の書評。二流人物評伝。異人伝。前尾繁三郎、学問の下流化。」この本のテーマである「学問の下流化」はこの当時に書いていた論考だったようだ。また、「二流人物の生の軌跡こそ人間学の適切なテキストになる」というこの本の中の主張にもうなずけるところがある。あちらこちらに傷のある二流人物評伝にはほっとするところがあるからだ。一流人物にも実はそういうところがあるのだが、評伝では省かれることがある。私は多摩大学に赴任して以来、生の人物の生きた軌跡を大学で講義しているが、人間学の大事さを改めて確認しているところだ。気になった場所。 松本市の旧制高等学校記念館読みながら気になった本。 佐藤卓巳「歴史学」(岩波)。「言論統制」(中公新書)。猪瀬直樹「ジミーの誕生日」(文春)。太田尚樹「東条英機 阿片の闇 満州の夢」(角川)。----------------------午後、日本総研の佐藤さんらが大学にみえる。「就職を機に人生を考えるサイト」というプロジェクトの進捗状況を聞いてアドバイスをする。
2011/06/29
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サントリー美術館「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」展。自家の客間に亀井南冥の「吐鳳」の書がある。「鳳」とは何か、を探るためにこの展覧会を覗く。鳳凰は優れた天使が世に現れる兆しを示す空想の高貴な瑞鳥である。帝王の善政を称え天下の泰平をもたらす瑞鳥。鳥の王。蛇、魚、亀、鶏、龍などを組み合わせ。五彩を備えている。獅子はライオンが原型の威厳のある霊獣。「桐に鳳」「唐獅子にボタン」。四瑞として尊ばれたのは、麒麟・亀・龍、そして鳳凰。獅子は仏教の教えを大切に守る動物として仏教において重要な動物。獅子は華麗な舞を舞う、祝儀にふさわしい動物。近代歌舞伎の「鏡獅子」(平櫛田中作品)のイメージ。この鳳凰と獅子は用いられた工芸のジャンルが広く、古代から現代にいたるまで行き続けてきた息の長い意匠である。 獅子の児おとし(歌川広重) 平等院の鳳凰。 金閣寺の鳳凰。1950年の金閣寺放火の際、修理のため屋根から下されていたため火災を免れた。 伊藤若冲の旭日鳳凰図は、あでやかな色彩で鳳凰の姿を生き生きと描いた作品。華麗で細緻な羽毛の描写は本家の明画をしのぐ。同じく若冲の樹花鳥獣図屏風の「鳥尽くし」の中心は鳳凰で、「動物尽くし」の中心は白象。------------------富士フィルム写真歴史博物館「幕末・明治の写真師 内田九一」展。内田九一(1844-1875年)は、明治天皇の「御真影」を初めて撮影した写真師、「東都随一」と称えられた写真師として記憶されている。32歳で早く世を去ったため、写真の上野彦馬、下岡蓮杖ほど知られてはいない。第二部「肖像編」は、明治天皇、方安芳(海舟)、五代目尾上菊五郎、、など明治の元勲や歌舞伎俳優などの著名人の写真が展示されていて興味深い。長崎で生まれ、蘭医ポンペの舎密学、松本良順を通じて福岡藩士・前田玄蔵に写真術を学ぶ。1865年に大坂に写真館「九一堂万寿」を開業。後に横浜・馬車道と東京・浅草で開業。1872年の明治天皇の西国巡幸に随行。三度にわたって明治天皇の公式肖像写真を撮影。この流れをくむ内田写真株式会社は創業140周年を迎えている。-----------------ニコニコ生放送で東電株主総会と民主党両院議員総会を見る。東電は社長の業績説明と監査役の報告が終わったところで放送は打ち切られた。民主党両院議員総会は無気力な会だった。
2011/06/28
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最近読んだ本の刺激を受けた箇所。「ベートーベンの生涯」(ロマン・ロラン著、片山敏彦訳)より。「ジャン=クリストフ」「魅せられたる魂」を書いた作家ロマン・ロラン(1866-1944)は、少年時代からベートーベン(1770年生れ)の音楽を生活の友とし、その生き方を自らの生の戦いの中で支えとしていた。そのロランのベートーベン讃歌。私自身は音楽には縁が薄いのだが、電車の中でつい聴いてしまうのは、ベートーベンの「第九」になる。これは素晴らしい。 音楽は、一切の知恵・一切の哲学よりもさらに高い啓示である。、、、私の音楽の意味をつかみ得た人は、他の人々がひきずっているあらゆる悲惨から脱却するに相違ない。 私のいつもの作曲の仕方によると、たとえ器楽のための作曲のときでも、常に全体を眼前に据えつけて作曲する。 私は作曲が一度できあがると後からこれを修正するという習慣を持たない。私が決して修正しないのは。部分を変えると全体作品の性格が変わるということは真理だと悟ったためである。 ヘンデルとバッハとグルッグとモーツアルトとハイドンの肖像を私は自分の部屋に置いている。それらは私の忍耐力を強めてくれる。 勇気を出そう。肉体はどんなに弱くともこの精神で勝ってみせよう。いよいよ、25歳だ。一個の男の力の全部が示されるべき年齢に達したのだ。 僕の最も大切な部分、僕の聴覚が著しくだめになって来たのだ。、、、僕の仕事では、これは恐ろしい状況だ。 おお、僕がこの病気(聾疾)から治ることさえできたら、僕は全世界を抱きしめるだろうに!、、、少しも仕事の手は休めない。眠る間の休息以外には休息というものを知らずに暮らしている。彼は音楽家中の第一人者であるよりもさらにはるかに以上の者である。彼は近代芸術の中で最も雄々しい力である。彼は、悩み戦っている人々の最大最善の友である。(ロマン・ロラン)---------------「吉川英治の世界」(吉川英明・編著)より。長男英明はNHK勤務。家族の証言は日常がわかるのでなるべく読むようにしている。 父は親鸞という人に、よほど惹かれていたのか、 父の全集が出ている。全53巻だが、、、、。、、33歳のときだから、死ぬまでの37年間、文字通り、机にしがみついているような毎日の連続だった。 父の晩年の楽しみの一つにゴルフがあった。60歳を過ぎて始めたゴルフだから、勿論うまくはない。辞bぬんでも、「健康法の一つさ、、」などと言っていた、、。 一日80本---父の喫煙量である。とに角、大変な煙草好き、いや、喫煙壁だった。 鳴戸に父の碑がある。 広島の音戸の瀬戸に、父の文学碑がある。30歳、東京毎夕新聞営業局長に推され家庭部に勤務する。翌年処女作「親鸞」が単行本になる。その9月に関東大震災にて社屋焼失。社業再開の見込みがたたず、全社員解散。やはり関東大震災は、多くの人の人生に大きな影響を与えている。---------東日本大震災に関連して瀬戸内寂聴(89歳)のインタビューを聞いていたら、作品は、「300か、400近いわね」と言っていた。この人の仕事量も半端ではない。寂聴はこのたび世界文化遺産となった平泉の中尊寺で得度している。
2011/06/27
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「漱石の思ひ出」は、夏目鏡子述・松岡譲録である。夏目漱石の妻が語る内容を松岡が記録し編集した本だ。漱石が亡くなってもうすぐ13回忌という頃に、妻・鏡子の眼に映じた人間漱石、家庭における漱石の日常がつづられている。通読した印象は、漱石は常に「頭がわるい」状態であったことだ。鬱病だろうか、そういうときには突飛なことを言うし、疑い深くなり、そして感情の起伏が激しくなる。そういう状態をこの妻は何とかしのぎながら子育てと来客の世話をしながら、漱石の執筆活動を支える。漱石は難しい男だった。貴族院書記官長であった父のすすめで「余りぱっとしない中学教師風情」に娘をやろうとしたからには、見どころがあったのだろう、というのは鏡子の述懐である。漱石30歳、鏡子20歳の時に結婚する。 「もう17年たつと、これが18になって、俺が五十になるんだ。」 おれは生涯どんなことがあっても、そんな称号(博士)は決して貰はないつもりだ、 予の周囲のもの悉く皆狂人なり。それが為予も亦狂人の真似をせざるべからず。故に周囲の狂人の全快をまって、予もよう狂をやめるもおそからず---気味の悪いたらありませんでした。 大概は学校から帰って来て、夕食前後十時頃迄に苦もなく書いてしまふ有様でした。 此の頃の印税いふのがたしか1割5分だったやうですが、、金には執着の少なった人のことですから、、 教授になった、その代り内職はまかりならぬとあっては、第一あがきがつかない。それにいつまで教師になっていても仕方がない。 一体に夏目は涙もろい質で、人の気の毒な話などにはすぐに同情してしまふ方でした、、 人との関係で気のつくのは、恐ろしく几帳面なことでございました。 一体芸事でも何でも、上手下手はともかくとして、やりかけると中々熱心にやる方なので、、 一体自分が頼まれて引きうけたことはき几帳面にする代りには、自分から人に頼んだこと、そして中へ入って人に引きうけさせたことなどには、極めて厳格で責任をもて貰ふことを要求して居ました。 「辞令書を受領せらるると否とに拘らず、発令後の近日に於て、貴下は既に文学博士の学位を有せらるるものと認むる外無之候。(文学博士の称号を辞退したときの文部省の返事) 非常に渋好みの癖に大のおしゃれ 中々のハイカラでしたが、さうかと思ふと変なところで非常に旧弊で、頑固で可笑しい位のことがあった 話でも非常にむっつりしているかと思へば、調子にのると案外の軽口で、駄洒落や皮肉をかっ飛ばして面白がるといふ風で、生粋の東京人のさうした一面をよく表していた、、 一体頭さへ悪くない時には、随分の子煩悩で、 岩波さんが、、、時々お金の融通を私どものところへ頼みにいらっしゃいました。 女の子の方は放任主義、、、男の子が小学校に上がるといふ段になったら、、 自分が悪いと思へば後ですぐに改める質の人でした。 小説ばかり書いていると頭が俗になって堪らないとか申しまして、小説がすむと午後から漢詩を作るのが、この夏あたりからの日課、、 「夏目先生の脳は平均よりは少し重かった(平均1350g。夏目1425g)、。解剖上重量以外に脳の能力を判断するもう一つの重な標徴は脳の回転であります、、非常に能く発達して居る、殊に左右の前頭葉とろ頂部が発達して居る。(解剖所見・長与又郎博士) 文献院古道漱石居士
2011/06/26
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九段サテライトで、インターゼミ(社会工学研究会)。夏合宿での中間発表に向けて、ターゲットが定まってきて、各チームとも走り出した。
2011/06/25
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著者は、青年期の9年間を柳田国男(1875-1962年)から指導を受け、壮年期の14年間を梅棹忠夫(1920-2010年)の身近で仕事をするという稀有な幸運に恵まれた人である。この書は、一国民俗学を構築した柳田と比較文明学を構築した梅棹を比較しながら、両者の業績と特色を整理している。 梅棹は、科学には3つの要素があり。実証的事実の蓄積(実証性)、その内的関係をみやぶる洞察力、発想力(仮説性)、全体をおおう論理的体系化(体系性)だ。二人は実証性と仮説性の中にいていつも緊張状態にあるという。両者が強くない体系性を論理と読み替えて、「つらぬく論理」と「つらなる論理」があることつらねる論理で学問するためには、論文をたくさん書く必要があり、そのためには長生きしなければならないと言っている。 「通文化」は縦につらぬくこと、「連文化」は横につらなること。諸文明をつらぬく理論と、諸文明をつらねる理論によって構築されるものが比較文明学である。 日本文明の基本的文法は、折衷と置換の拒否であり、習合、融合、混合を認めず、並列、並存、共存というやり方で処理することである。 梅棹は、拙速を避ける。決断をすると不退転の決意でのぞみ、形勢不利になると即座に撤収する。 梅棹は、芸術家のリーダーと芸術のプロデューサーであった本阿弥光悦(1558-1637年)を理想とした。学問の世界における「光悦村」を目指し、成功した。 人文系の論文の弱点を指摘した文章が辛辣だ。「問題がはっきりしない。方法の記述がじゅうぶんでない。事実と解釈との区別が明瞭でない。他の研究者の説と自己のオリジナルな主張との区別があいまいである。表題が不適切である。文献のとりあつかいが粗雑である。文章が難解である。用字・用語にあやまりがおおい。そのほかあげだしたらきりがない」。 研究業績展示用の書架の設置、広報誌に刊行物一覧の掲載、館長室の書棚に著書、というように研究業績を公示した。 大阪市大助教授時代に、自宅の「金曜サロン」で自分を助けてくれる有能な人を育てた。----------------- 両者とも、欧米直輸入の「借り物の学問」を排除し、揺るぎない「自前の学問」の構築を目指した。 60歳を迎えた時期を境に、両者ともライフワークとなる一国民俗学と日本文明論に本格的に取り組んでいる。柳田は農村を中心とする近代日本、梅棹は都市を中心とする現代日本に焦点を絞った。「お祝いなぞしてはならん。これを機会に共同研究をやるならよろしい」。還暦祝賀会は「呑気な江戸の町人隠居のやること」(柳田)梅棹の還暦記念として比較文明学シンポジウム「文明学の構築のために」が開催された。梅棹は「生態系から文明系へ」という基調講演を行った。37歳の「文明の生態史観」から20年経っている。 「柳田国男全集」全36巻・別巻2。「梅棹忠夫著作集」全22巻・別巻1 柳田の世界は、1960年後半から80年代前半にかけて注目された。梅棹文明論は、まだ本格的な議論はおこなわれてはいない。未開拓の分野になっている。----------------------柳田国男は、東大法科を出て農商務省農務局に入り、全国の農山村を歩く。貴族院書記官長を44歳で辞任。1923年の関東大震災を契機に本筋の学問のために起つ決意をした。1945年の敗戦にあたって、固有信仰を明らかにすることによって、日本人の文化的アイデンティティの拠り所を再確認しようとした。民間伝承の学問を一国民俗学と呼び、「自らを知る」学問と規定した。書物というものは問題を解決するヒントを得るためのものであって、民間伝承のなかに問題解決の鍵がひそんでいる。成城大学民俗学研究所柳田文庫。長野県飯田市美術館の柳田国男館。国主外従経世済民とは「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」こと。「明治大正史 世相編」(1931年)「木曜サロン」1951年に文化勲章。斉藤茂吉と武者小路実篤と同時綬章。----------------------------柳田国国男記念館、兵庫県福崎の柳田国男・松岡家記念館。茨城県北相馬郡利根町の柳田国男公苑。成城大学の柳田文庫、飯田市の柳田国男館を訪問したい。
2011/06/24
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本日のリレー講座の講師は、一橋大学の米倉誠一郎イノベーションセンター長。「創発的破壊と日本のパラダイムチェンジ」。 日本のガラパゴス化の進行 原発事故で大打撃 世界は日本の経験に関心。敗戦からの見事な復興。加工貿易、良港による貿易立地、大マーケットの存在。大きなパラダイムチェンジだった。 構想:脱原発、脱炭素社会のリーダーに成れる。十分の一のエネルギー消費という新しい暮らし。それを世界に輸出する。 ビジョンに根拠は要らない。できるかできないかではなく、やるかやらないか、だ。 カリスマ的リーダーは必要ない。 ピーク電力は抑えられる。エアコン一度ダウン、テレビの輝度20%ダウンなどをすると電力料金を1割引きにするなどの工夫。スマートグリッド、エコシティなど需要サイドの技術はある。 日本のGDPは500兆円。関西は94兆円でカナダ並。中部は75兆円でオーストラリア、九州48兆円でデンマークより大きい。北海道はスイス。首都圏200兆円。 道州制の採用で問題を解決できる。北海道はロシアと。九州はTPPの実験、、、 太陽光発電、インターネット、ロボット技術、、。 日本の内向き志向は深刻。世界とアジアとのネットワークが大切。------------------リレー講座の始まる前に、学長と打ち合わせ。リレー講座の終わった後はホームゼミ。プロジェクト別の活動。図解ゼミ。そして4年生の就職指導。4年のゼミ生の半分の10人が集合。状況確認とアドバイス。
2011/06/23
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調布市深大寺に総務省消防庁所管の消防大学校がある。ここでは国及び都道府県の消防事務に従事する職員並びに市町村の消防職員、消防団員に対して、幹部として必要な教育訓練を実施している。この消防大学校で「幹部科」の学生に対して年間四回の講義を行うことになった。本日はその初回。f:id:k-hisatune:20110622144652j:image北海道から沖縄まで、そして被災地である岩手県、宮城県、福島県からも参加している。総勢58人。41歳から52歳まで、平均年齢は48歳。階級は、消防指令、消防司令補、消防指令長。役職は、予防係長、通信係長、警防係長、主幹、副主幹、庶務係長、救急係長、危険物係長、署長補佐、総括司令、消防署次長など。皆さん、キビキビしていて気持ちがいい。こういう人たちが国民の安全を守っているのだなと実感する。f:id:k-hisatune:20110622152617j:image事前に調べたところにでは、国民一人当たりの出火件数は、英国80件、フランス60件、ドイツ25件、アメリカ25件、韓国7件に対し、日本は5件と群を抜いて少ない。日本の消防行政はレベルが高い。また消防という仕事には、消火にあたる警防、負傷者の救急、救出を担当する救助、そして予防という分野がある。たとえば救急は病院への搬送という厳しい仕事になるのだが、医療との関係で難しい判断を迫られるようだ。日本の消防は、江戸時代の1629年の奉書火消に始まる。1643年の大名火消、1658年の常火消では大岡越前時代の「め」組が有名だ。その後、明治になって警察消防、戦後の警察からの独立による自治体消防、それに2次大戦に警防団から独立した消防団の二つが主役となる体制に落ち着く。東京消防庁のホームページでは、今回の福島原発事故で出動したハイパーレスキュー隊の緊迫した様子がうかがえる。f:id:k-hisatune:20110622153702j:image午後1時から午後5時までの4時間を使った研修だが、消防という仕事に従事する人たちの気概、仕事の中身、考え方などがよくわかって興味深かった。組織の中核を構成する幹部たちだけに、人柄も態度もよくこちらも気持ち良く講義と研修が行えた。日本の消防行政に少しでも役に立てるなら嬉しいことだ。終了後、災害時の図上演習を行う部屋も見せてもらった。次回はここを使ってやることになった。f:id:k-hisatune:20110622153711j:image------------------「平家物語」の冒頭部分に出てくる「沙羅双樹」は、夏つばきだということを知った。この花は朝咲いて夕方には散ってしまう。毎朝の散歩時によく見かける美しい花だが、花弁は和紙のような肌合いだ。f:id:k-hisatune:20110622074447j:image祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
2011/06/22
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渋谷で井の頭線からの乗り換え時に、岡本太郎の「明日の神話」を見る。この絵からは見るたびに活力をもらえる。昼過ぎに原宿の太田美術館に着く。この美術館は浮世絵専門の美術館。「破天荒の浮世絵師 歌川国芳」展を駆け足で観る。国芳(1767-1861年)は、広重と同年生まれ。63歳で亡くなるが、年譜を見ると48-52歳の間が最も仕事が活発だ。午後は、市ヶ谷のJICA(国際協力機構)で「専門家の派遣前研修」の講師。『「図解思考」を用いた国際コミュニケーション力の向上』がテーマ。30人。28歳から58歳まで。中央省庁、自治体、国立大学法人、独立行政法人、社団法人、JICAなどの所属。赴任地は、タシケント、ビエンチャン、北京、カトマンズ、ジャカルタ、ナイロビ、カンパラ、サヌア、ギザ、カンビア、ドドマ、ヤウンデ、マプート、ルサカ、ハノイ、マニラ。などの途上国。指導分野は、人的資源開発、鉱物資源、薬物耐性、結核・トリパノソーマ症の診断開発、法・司法分野人材育成、ダム計画管理、建築政策、税関機能・情報管理、衛生、高速道路管理、洪水管理行政、地滑り・水害、、、、など、国造りの分野の多様性を改めて感じる。全員がこの6月から8月にかけて赴任地に出発する。「英語版にリバイズして使用してみたい」「現地(サモア)で活用します」「現地でも使用させていただきます」「自分が何をしに行くのか、何が明確になっていないかがクリアに見えてきました。英語に直して現地の自己紹介で活用したい」終了後、昨年度受講生で現地に派遣されている人たちへの活用状況アンケートのまとめをいただいた。研修時のアンケートで前向きな発言をしていた人たちが対象。「図解思考を仕事で使ったことがある」という問いに対しては、約半分が「ある」と答えている。活用の割合は割と高い感じがする。 先方政府のモニタリング評価システムに関して、こちらの理解を共有し、先方の確認を得るために図解して提示した。(ガーナ) 研修や器材調達の流れをカウンターパートに説明する際に図形とフローチャートを用いた。(インドネシア) 視察にきた日本人に対してプロジェクトを説明する際に利用していた。(バングラデシュ) プロジェクトの方向性と目標を一枚の図に集約し、カウンターパートへの説明の際には必ず用いた。訴訟手続きをフローチャートにすることを検討中。(ラオス) 何度か改定作業を行ううちに非常に洗練されたものになってきた。(ラオス) 担当プロジェクトの目指す方向性と主要な活動を盛り込んだ図を使い、複数の支援対象機関にプロジェクトの説明を行った。図一枚で話をするほうが、はるかにイメージの共有がしやすく早かった。(ラオス) 双方が現地の司法制度を正確かつ迅速に理解するのに非常に役立っている。(ラオス) 研修の構成を考える際に、教育と労働市場の関係を図解を用いて整理したが、自分自身の考えをまとめるために、「図解思考」を使った。(ヨルダン) プロジェクトの全体像を説明するときに用いた。(インドネシア) データベースにあるデータと、実際のデータを照合する際の関連性について、図解で説明したところ相手の理解が得られたように思う。(フィリピン)今後の研修の際のヒントでは、「実際の国際協力の現場で活用された事例集やサンプル」や「図解思考のマニュアル」が欲しいとの声もあった。この点は次回以降に活かしていきたい。途上国での国際協力の現場でどのような場面で使われているかが少し見えてきた感じがある。夜、予約していたiPad2aがようやく入ったということなので、ケーズ電気に取りに行き、自宅で使い始める。
2011/06/21
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日経キャリアマガジンの取材を受ける。発売は7月12日。この雑誌は20代から40代の社会人向けのビジネス情報誌で、毎号テーマを決め深く掘り下げているワンテーママガジンである。今回のテーマは「知識を知恵にする大学・大学院」で、特集テーマは「日本をリードする 師事したい教授25人」。社会人が学びたいと思う教授を紹介する企画にノミネートされた。● 質問事項 1. 先生のご専門の分野について教えてください。最近のトピックス、キーワードはどのようなものですか? 2. 先生のご専門の分野で、学生に読んで欲しい本を1冊教えてください。 3.先生はどのようにして、情報や知識を手に入れていますか?(本、ネットの場合具体的なサイト名、媒体名) 4.身に付けた「知識」を、社会で使える「知恵」に変えるためにはどのようにすればよいでしょうか?(一問一答用) 1.国内外を問わず、注目している「企業人」はどなたですか? ※ご専門分野に関連してもしなくても。 2.国内外を問わず、注目している「識者」はどなたですか? ※ご専門分野に関連してもしなくても。 3.最近の日本人の学びについて、海外と比較すると違いはありますか? 4.ビジネスパーソンに必要なこと(力)を3つ教えてください。一時間半ほどの取材、本棚と個人写真の撮影があった。今回登場する25人はどんな人たちか。神戸大の金井先生、サンデル教授の相棒をつとめた早稲田の先生などの有名人、原子力など最近のトピックスに関係する先生などが取材を受けているとのことだ。、
2011/06/20
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東武鉄道の総帥・根津嘉一郎が残した美術品を中心のコレクションを保存展示している根津美術館で、「肥前磁器の華 伊万里 柿右衛門 鍋島」展がか催されている。庭の木に残った真っ赤な柿の木を見て赤で文様を描きたいと工夫した酒井田柿右衛門の逸話は、子供頃の教科書で知っている。その柿右衛門というブランドとその技術を担う職人が何百年にわたって続いているということに興味を持って訪ねた。柿右衛門は、白磁に華やかで優美な赤い花模様が素晴らしかった。鍋島は藩主や将軍などへの献上品であるだけに、格式の高い美しさだった。伊万里は日本で初めて焼かれた磁器であり、文禄・慶長の役(1592・1597年)で肥前につれて来られた朝鮮陶工からの製磁技術導入で始まった。その後、中国の模倣ではなく日本独自の和様を追い求めたのは、柿右衛門様式であり、古伊万里様式だった。1660年頃からは、輸出品としての需要があり、オランダ商館からバタヴィアなどでオランダ無向け、イギリス向けに売られており、ヨーロッパでは濃厚な色彩と文様は人気があった。肥前の磁器は、最初灰白色であったが、陶器との違いをはっきりさせるために白色となり、次に赤、緑、黄という色絵磁器に発展していった。根津美術館に寄贈されたこれらの美術品は、山本正之(1920-2000年)が集めたコレクションだった。この人物は兵庫県生まれの実業家で、丸西タイル株式会社の創業者である。今はマルニシテグラ株式会社となっている。山本は全国タイル業協会会長として活躍した人物で、日本建築学会文化賞も受賞している。優れたタイルをつくるべく、世界のタイルと陶磁器を蒐集していた。「オランダ・タイル―正方形の美術 (INAX booklet)」という本には著者紹介として、「業務と研究を兼ねて、一年の三分の一は海外。今年の正月休みにも、タイルのルーツをたずねて中東へひとり旅、戦火があまりに近く案内の運転手も音をあげた、とか。他人が天井画や壁の彫像を見ている間にも、床に眼を向けることを忘れない。その材料を見れば、時代や産地が判断できる。モノの化学もわかるのが、並みの陶芸愛好家と違うところ。したがって、どんな小さなカケラでもおろそかにしない。「おかげでカケラの山に囲まれて暮しています」」との文章が載っている。タイル・レンガ・石工事という本業の周辺でライフワークを掘っていった実業家の姿を垣間見ることができる。
2011/06/19
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大震災で打撃を受けていた東京江戸博物館が再開し、今は「五百羅漢」展を開催している。幕末の絵師・狩野一信(1816-1863年)というあまり知られていない画家の百幅の絵が増上寺にあるが、それをすべて公開するという画期的な企画である。この企画は法然(1133-1212年)の没後800年を記念した企画だ。羅漢は仏教の聖者を指す。江戸時代中期以降に、羅漢信仰のブームがあった。精密な百幅の仏画を一挙にみてその偉業に驚いた。狩野一信は30代半ばで構想し、39歳からこの制作に没頭し、あとわずかで達成という96幅まで描いたところで48歳で没する。鬱病にかかった一信は70幅あたりから加速度的に筆力が衰え、絵が精彩を失っていく。その後は、遺志を引き継いだ妻・妙安と弟子・逸見一純が続けた。名相、浴室、授戒、布薩、論議、剃度、伏外道、六道・地獄、鬼趣、畜生、人、天、神通、龍、虎、龍供、堂伽藍、七難、震、風、羅殺、悪鬼、刀杖、賊、伽鎖、盗、四州、、、、。迫力のある、愉快で、恐ろしい、そして精密な絵である。確かにこのプロジェクトを完成することは大いなる偉業であることは間違いない。三千両(数千万円から一億円程度)に及ぶ費用を出した亮廸は、「日本一の美術」と記している。この二人は本所の五百羅漢寺、鎌倉の円覚寺、建長寺、そして光明寺、称名寺などを訪ね、羅漢の木像や画像を調査している。そして全百福の前例がないことを確認したかった。一信は羅漢それぞれの名前、得意なこと、成したことを詳しく調べて描いている。一信は亮廸の支援もあり、39歳からの10年間はほとんど仕事場からは出ないで、この壮大な仕事に邁進する。10年で百福だから、1年で10幅。ひと月で1幅でこの精密画を構想し描くということは恐ろしい速度だということが理解できる。一信より15歳年下の河鍋暁斎(1831-1889年)「その技量にいたりては、多く恐るるに足らず。ただその精力にいたりては、吾ともがらの及ぶ所にあらずとて、常に之を称しき」高村光雲「画才はむしろありすぎるいふくらいありますが、ただ惜しむらくは人格が貧しい、それで重くは用いられなかったが、腕はなかなかあった」逸見家伝来資料によると、安政の大地震に関する生々しい記述がある。また、浦賀に来港した黒船のスケッチも残っている。そういう時代に狩野一信は生きたのだ。この画家は、今から注目度が上がっていくだろう。---------------午前は、多摩キャンパスで教授会。午後は、湘南キャンパスで学長講演とインターゼミ。私の担当の「震災と日本再生」チームの方向が決まった。
2011/06/18
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2年生以上を対象とした授業で、多摩大総研で運営している永山の「ビジネススクエア多摩」を支援していただいている「BS多摩クラブ」のメンバー企業の社長さんのHP上のメッセージを図解するという趣向で先週やった。そのアンケートがまとまったので以下に掲載する。図解する過程を経ることによって企業に対する理解が深まっていることがわかる。<京王電鉄> 主な2つの方針は、「安全性向上」と「信頼のトップブランド確立」である。図解を描く前はあやふやだったが、書いた後は、はっきりと分かった。 京王電鉄のように、グループ企業を多く持つ会社は、会社間での相関関係が様々で図を書いていておもしろかった。 とても安全性に気を使っていることが分かった。だんだん図にするスピードが速くなってきた。 理念などを知ることができて、違う目線で電車に乗れる気がする。 耐震補強・バイアフリー化など安全性について自分が普段見ていなかったサービスをしていた事に気付いた。 全駅バイワフリー化のために工事していることを知った。 図解することで、「自分が地域を作っているんだ」という責任感がありとても面白い魅力的な会社だと思った。 図にすることで、京王電鉄のしていることしたいことが見えてきて面白かった。図解の腕も上達したと思う。 中期5カ年計画と言う大きな目標をかかげて、安全性とサービスの向上、沿線の活性化に取り組むそうです。 沿線まで手を伸ばし、安全性の向上お第一に図っていることを初めて知りました。 新会社を設立するなど知らないことばかりだったので、図解を書く力とともに知識が深まった。<KDDI> 10周年を迎えて新たな時代のために大胆に変革をすすめなければならなく、3つのコメットメントの実現を目指している。 図を書くにつれ、社長の考えや、どのように経営していきたいか明確に分かり理解しやすかった。 社会貢献にかける気持ちの大きさを改めて図解することで実感(認識)した。 企業の根本的なコンセプトに基づいて、現代の流れに乗って行こうとしていることが分かった。 見せてもらった人の図は、自分と全く違っていてびっくりした。 変革や3つのコミットメントを行われているのが分かった。また、変わらない使命などもあり企業理念がしっかりしている会社だということが分かった。<JUKI株式会社> グローバル企業をめざしている。すごく書きやすい記事だった。 目標に対する具体策が明記されていなくて書きづらかった。 目指している事が分かった。今後の方針までも知れた。 目標や思考が非常にしっかりしている会社だと思った。コーポレート・スローガンもとても好感を持つことができた。 JUKIを知らなかったが、どのような会社か何をしようとしているのかが分かった。 しっかり目標を持って企業を大きくしようとしている、目標に向かって前進しているのが伝わった。 何の会社か分からなかったので選んだ。 お客様を大事にして共に成長していると思った。 知らなかったが、「こんな企業なんだ。面白そうだ」と思った。<日本電気> どの文章を使うか難しくハードルが高かった。図解には文章を読み取る力が必要だと思った。 どのように書けば分かりやすく伝わるか?ということを考えると、難しかった。 文章が分かりづらく図が難しかった。 文字で見るより、図解した方がとてもわかりやすくできた<ミツミ電機> 詳しく事業内容があったので書きやすいと思った。 色々な機器を販売しているが、それを図にするのは、とてもたくさんのアイディアが必要と感じた。<京西テクノス> 企業が社会に対して行っていることが、ミクロ、マクロ視点で理解できた。--------------------本日の授業 10時40分からマネジメントデザイン1の10回目の授業。本日は図解広告がテーマ。 13時からプレゼミ。先週から与えているテーマは寺島実郎学長の震災後の構想の全体像。 18時半から品川の大学院で「実践・出版プロジェクトマネジメント」の5回目の授業。ゲストは成美堂出版の仁科さん。
2011/06/17
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出版と言えば「紙」の本と決まっていたが、スマートフォンや専用機で読める電子書籍や、アイフォンで聞けるオーディオブックという新しい書籍のスタイルが出現してきた。今回は、ディスカヴァー・トゥエンティワンから出した拙著「KOKOROZASHI 志」(2009年7月発刊)がオトバンクからオーディオブックとして刊行された。試聴もできる。この音書を耳で聴きながら散歩するのはいかが?また、三笠書房から出した拙著『通勤電車「超」活用術』が電子書籍として刊行された。この電書は電車の中で読みましょう!まだいくつか進行中のものもあるのだが、出版も新しい時代に入ってきていることを実感する。-------------------------音書(オーディオブック)「KOKOROZASHI 志」を刊行。http://www.febe.jp/product/88108織田信長から松井秀喜まで、偉業を成し遂げた方の言葉から、心を強くする「志」を学びましょう。時空を超えて勇気と元気を与えてくれる、珠玉の名言集です。本オーディオブックでは、著者が2005年より始めた「人物記念館の旅」で実際に見て触れたモノを皆様にお届け致します。何が彼らを動かしたのか。上杉謙信から松井秀喜まで偉業をなしとげた人々に、今こそ学んでみましょう。自ら志を立て、志を育み、志を磨き、「私の仕事」を高いレベルで遂行していった人々が語る珠玉の名言。何かを決断する時、何かに迷った時、何かを始める時、人生の節目節目で自らの力になってくれる名言が凝縮しています。また、それぞれの人物記念館の詳細もダウンロード可能です。3時間6分。1575円。出版社ディスカヴァー・トゥエンティワン。製造元オトバンク。ナレーター佐々木健。-----------------------電書(電子書籍) 『通勤電車「超」活用術』を発刊。 http://galapagosstore.com/pc/book/detail/sstb-B043-1043000-ms000122シャープガラパゴス向けだけに配信。追って、各社の携帯電話向けに広く配信予定。通勤時間の使い方で、一生が決まる――片道1時間として、1年で500時間になる通勤時間。この時間を漫然と過ごすのか、自分を高める時間にするのか。たとえば、「通勤電車の中でシミュレーションをする」。著者は30代の頃から、「一生のスケジュール」を立て、毎年その更新・改良を重ねている……。果たしてその効果とは!本書では、そうした久恒流・成功ツールの実践的な使い方も紹介。やるべきことは、非常にカンタン。ただ、そのノウハウを信じて「継続」していけばいいのです!通勤という“継続の力”を最大限に活用するノウハウと考え方をすべて公開!出版社三笠書房。577円。----------------------------地域活性化マネジメントセンター会議。学長室ミーティング。知研・八木会長と昼食。多摩大総研ミーティング(中庭先生・松本先生)。学長と打ち合わせ。学長訪問の経営者と面談。ホームゼミ(プロジェクト・図解ゼミ)。金先生。
2011/06/16
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ここ一両日に読んだ本の記録。伊集院静「大人の流儀」(講談社) 自分のことを棚に上げて、正義を振りかざす輩を嘘つきと呼ぶ。 喧嘩ははじまったらやめないことである。大人の流儀白洲正子「日本の伝統美を訪ねて」(河出文庫) きまりはたしかに守られていないわ。守られなくてもいいのよ。いちど、そういう時代がくるんです。それからまた、正しい時代にかえるの。かえらざるをえなくなるの。日本ってそういう国だわ。 なぜ骨董屋に行くかといと、つまり古いものというのは、安い高いにかかわらす、いいものをみんな大事にして残してきているわけですよ。だから自然古いものの中にいいものが多く残っているわけ。新しいものじゃそうは行かないですよね。御厨貴「近現代史日本を史料で読む」(中公新書) 「木戸孝允日記」。木戸は几帳面なのか、一日もかかさず、その日のうちに(少なくとも翌日までには)日記を執筆している。、、、「大久保利通日記」が事務的かつ淡々とした記述であるのに対して、「木戸孝允日記」は記事が詳密で感情の起伏が表明されている点で対照的であり、、、。 徳富蘇峰「終戦日記」。「71年に及ぶ活動期間の長さ、300冊を超える著作数と読者の多さ、、」 「石橋湛山日記」。こうした政治抗争の記録だけではなく、石橋湛山その人の日常生活について、記すところも面白い。 「鳩山一郎日記」。評伝も意外に少ない。、、 「佐藤栄作日記」。日記が刊行されたのは没後22年を経た97年であった。、、佐藤の場合には淡々とした記録の集成という点に特徴がある。、、、楠田は「夜、部屋をお訪ねすると本を読んでいるか、ベッドの上に胡坐をかいて日記をつけられていた」と、、、、。久保田崇「官僚に学ぶ仕事術」(マイコミ新書)ーーー(私の著書の引用をしてくれています。) そのようなビジネスマンにとっては、通勤電車が、最も有効に読書ができる時間ではないでしょうか。多摩大学教授で「図解」シリーズの著書で有名な久恒啓一さんなどは、「通勤電車で寝てはいけない!--通勤電車と成功の不思議な法則」(三笠書房)の中で、通勤電車で読書を進めるために、わざわざ職場から遠く(始発駅近くなど)に住むことを提唱しています。
2011/06/15
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池波正太郎「青春の忘れもの」(新潮文庫)が実に面白かった。先日、ギリークラブの「浅草、池波正太郎記念文庫訪問~人物記念館、訪問の達人久恒啓一氏と共に~」でご一緒した新潮社の高橋さんから送っていただいたこの本は、確かに池波正太郎の原点がわかる本だった。http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20110606池波正太郎(1923-1990年)。東京・浅草生まれ。下谷・西町小学校を卒業後、茅場町の株式仲買店に勤める。戦後、東京都の職員となり、下谷市役所等に勤務。長谷川伸の門下に入り、新国劇の脚本・演出を担当。1960年(昭和35年)、「錯乱」で直木賞受賞。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の3大シリーズをはじめとする膨大な作品群が絶大な人気を博しているなか、急性白血病で永眠。以上がこの文庫の右扉に載っている公式の著者紹介である。裏表紙には次のように書いてあった。非公式の著者紹介ということだろう。池波正太郎という稀代の小説家が出来上がるまでの青春の記録である。この小説家の本質はここにある。関東大震災の年に生まれ、小学校卒業後すぐに就職。勤め先を転々としつつ、芝居見物を楽しみ、美食を覚え、吉原にも通う早熟な十代を過ごす。戦時中は旋盤工として働き、やがて海兵団に入団。戦後、脚本家への道を歩み始める。両親や親族との思いで、友人や恩師との出会いを懐かしく振り返る清々しい回想記。時代小説「同門の宴」も収録。 この父の「なまけもの」の血と、母の「はたらきもの」の血の両方を私は受けついでいる。 13歳のときから今まで何度も仕事を変えたが、いやな仕事は一度もしたことがない。 叔父も歌をやるだけに、詩集や文学書がぎっしり書棚につまってい、これをやみくもに私は読みふけった。 私はもう芝居と映画見物に夢中であって、その間隙をぬい、やたらめったらに読書をした。古事記から日本書紀、万葉集から、むろん平家、増鏡まで読んだ。、、、中でも「海舟座談」のおもしろさというものは、、、。 十代の一年は、中年男の十年に相当するようにさえ思える。 この旋盤工としての生活が、後年の私の劇作や小説の「構成基盤」となるのである。このときの経験がなかったなら、到底、私は脚本や小説が書けるようになれなかっただろう。若い時代に偶然に接した有名な歌舞伎俳優、重光葵、朝倉文夫らの実像も興味深かった。この青春記は著者45歳前の作品である。五十を過ぎてから書こうと思っていた素材だったが、女性編集者のたっての依頼で引き受けたそうだ。この「青春の忘れもの」を読まれたあとで、この小説(「同門の宴」)を読まれると、私の小説書きの作業の一端が、よくおわかりいただけようかとおもいます。」と著者あとがきにある。この「同門の宴」も味わい深い短編である。私にも30代で書いた未刊の「青春記」がある。北杜夫の「ドクトルまんぼう青春記」を念頭に書いた自伝的作品だが、この池波正太郎「青春の忘れもの」を参考に、改めて書き足してみたいと思わされる素晴らしい作品だった。
2011/06/14
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奥松島、松島海岸、野蒜、塩釜、多賀城、などを富田さんと回る。
2011/06/13
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久しぶりの仙台。福島あたりから屋根のブルーシートがちらほら見かける。ニュースでみた仙台駅の被害も癒えてはいたが、配管などはむき出し。新幹線の車内誌トランヴェールでは東北ゆかりの著名人のエッセーが並んでいた。その中に、東北がニュースに出てくるのは悪いことが起こった時だけだと言われたという記事があって胸が痛い。出迎えてもらった横野さんと息子さんと市内を走って泉パークタウンの紫山へ。自宅の様子を外から確認し安心する。この街は地震の被害はほとんど感じられない。やはり素晴らしい街並みだと改めて思った。東北道で栗原へ。市民活動支援センターで河北新報栗原支局の宮田支局長と会う。会うのは三年前の私の送別会以来だが、メルマガやメールでの交流もあるから久しぶりという感じはしない。宮田さんが宮城大を担当していた時にお世話になった。f:id:k-hisatune:20110612151742j:image栗原の築館は今回の地震では唯一震度七を記録した土地である。余震でも震度六だった。南三陸、気仙沼、石巻の惨状と取材の逸話を聞く。今回の大震災では河北新報の頑張りは群を抜いていたという評価は定まっている。地元の人に聞くと生活関連情報欄は本当に役にたったらしい。復興構想会議、水産特区、ヒッチハイク、東北人の人間性、政治状況、天罰論、寺島論、論壇、、、、、。河北新報をたくさん資料としていただいた。私のお土産は最近の著書。遅咲き偉人伝など。あっという間にニ時間半が過ぎた。夜は仙台のホテルで、富田さんと横野さんとゆっくり食事をしながら旧交を暖める。仙台市内はいつもの状況に戻っているようだが、よくみると被害のあとが残っている。
2011/06/12
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4つのチームの10分間の発表、引き続き先生や学長からのアドバイス。 「多摩学」チーム。聖ヶ丘周辺の地理と歴史を調べるのも面白い。中里介山のような人物がなぜ出たのか、白洲次郎のような人物がなぜ居ついたのか。白洲正子と次郎、本物の国際人か。 「ディズニー」チーム。本当にこのエンターテイメント・サービス産業で飯を食いたいと思っているか。この企業でどういう人物がいるのか。大きな人材が育つのか。平板な三流か。安全・安定。3・11と東京ディズニーランド。多摩大は、IT・アジア・サービス。 「アジア」チーム。「東アジア近現代史から何を学ぶか」一昨年はアジア留学生との交流、昨年は日本におけるアジア論を探った。今年は日中韓の歴史性とつなっがったのはいい。まず基礎知識。魯迅と藤野先生、伊藤博文と安重根。孫文と宮崎滔天。孫文、、、。日中韓は並走。深い知識の上に議論。 「震災と日本再生」チーム。「日本とアジアの若者を東国に長期的に関与させる方法の研究」宮城復興構想会議。15市町村、岩沼市(東大石井教授)。具体的なプロジェクトに仕事として、あるいは人生としてどう関与するのか。1929年の大恐慌時の経済復興隊。仙台のアイリスオーヤマ、北海道のニトリ、山梨のサンリオ(山梨王=サンリオ)、九州直方の仏具の長谷川。こういった企業の経営や努力が参考になる。主体的に動かないとだめ。産業をどう蘇えさせるか。希望が描けるか。1993年の奥尻の例。1997年の神戸の例。産業がないところはみじめ。自分の人生との関わり。時代、覚悟。プロジェクトに関与。-------------------------私自身は宮城大学に職を得て11年間家族4人で仙台に住んだ。娘は中学3年生から大学を出て看護専門学校を出るまで、息子は小学校6年生から大学卒業までの多感な時期を仙台で過ごした。都内の大学病院で看護師になっている娘は6月にボランティアで出かける予定であり、地方公務員になったばかりの息子は応募して4月に岩手県大船渡に派遣されて救援をしている。仙台時代、多くの地域プロジェクトの関わっているし、知人・友人も多く今回の大震災は人ごとではない。この三か月、惨状を見ていて震災の巨大さにやや茫然として感もあるが、自分の人生、家族の将来、東北の復興、日本の未来について真剣に考え、行動を起こすべきときに来ていると思う。明日から宮城県に行き、友人に会い、被災地を見て、今後の方向を考えたい。
2011/06/11
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インターゼミ「震災と日本再生」チームの田邊君(3年生) 多摩大同窓会の奥村会長来訪。IT企業を主宰。子供の教育のため来月から鹿児島に家族で引っ越すとのこと。横嶺さくらのおじさんがやっている学校に入れる。そのために鹿児島に行く。こういう感覚は私たちの世代にはない発想だ。 マネジメントデザイン1の9回目の授業。後半戦最初は、BS多摩クラブで永山のビジネススクエア多摩を応援していただいている各社の社長メッセージを題材とした実習授業。京王電鉄、JUKI、ミツミ電機、日本電気、、、。 昼休み。樋口先生にTAMA映画祭の情報提供 1年生向けのプレゼミ。寺島学長の震災に対する構想提言(週刊朝日・THE21・財界・宮城復興構想会議)を題材に、その全体像をまとめて発表してもらうことにした。 インターゼミの田邊君 転ゼミ希望の学生が来訪(2年生) 金先生 日産クリエイティブサービスの教育担当者が二人みえて、10月に行う二日間の幹部研修の中身の打ち合わせ。3年目なので趣向を変えて11月の役員講演は「遅咲き偉人伝」に題材をとったテーマでやろうかということになる。1年目は図解コミュニケーション、2年目はドラッカーだった。 拙著の電子出版(三笠書房)とオーディオブック(オトバンク)が発刊されたとの報告あり。 仙台の横野さんと電話で週末からの宮城行きの打ち合わせ。 インターゼミで2年間頑張った4年の岡君が来たのでじっくりと話をする。ソーシャルメディア広告、中国に関心。中国の「Shinaweibo」というTwitter、「人人網」というフェイスブックを教えてもらった。これをやってみるのも面白そうだ。NPOマーケッティングのイケダハヤトにも注目。若い人からでないとこういう情報は入らない。私の方からは就職関係のアドバイスをしておいた。 日刊ゲンダイ6月9日発行が届いた。「憎い同期が上司になりやがった!!」という特集。その記事の中の三分の一は私の記事で、「北里・鴎外」はどう乗り切った?」という文章。「二人の共通点は、はらわたが煮えくり返っても、「与えられた仕事を懸命にこなし、結果を出したこと」です。」というまとめ。
2011/06/10
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本日のリレー講座は寺島学長。 空海:天才バイリンガル。理科系の技術者。薬学、土木、冶金工学。500万人の島国日本の時代。綜芸種智院。国家仏教。 親鸞:東本願寺での「今に生きる親鸞」。90歳。妻・恵信尼。謙虚。目線が低い。絶対平等主義。他力本願の思想。 浄土宗とキリスト教。小屋さんに景教(キリスト教)の碑がある。キリスト教は愛・神のもとに平等という思想。和辻哲郎「日本精神史研究」。イエズス会宣教師。内村鑑三。鈴木大拙。「維新は和魂洋才、敗戦は無魂洋才、グローバリゼーションは洋魂洋才を求められている」(五木寛之)。日蓮は世の中に立ち向かえ、念仏のみでは邪道、政治的。 宮城復興会議1.産業基盤の創生と雇用の確保:もともと半分は老人になろとしていた。震災で過疎化、高齢化はさらに進行。第一次産業(農業・水産業)の基盤の造り直しが必要。震災で2万隻の船が消失。224万円の年収だった。せめて300万に。製造業は空洞化の懸念。円高、電力料金、労働力、増税。韓国・台湾・ASEANは、特恵関税・安い電力料金などで誘致熱。日本は震災復興特区などインセンティブを考えなければならない。 2.アジアダイナミズムとの相関:宮城ー山形ー酒田港ー日本海ーアジア。新潟ープサンーアジア。 3.震災に遭った8市・7町の15市町村のグランドデザインが必要だ。防災・産業再生・環境・エネルギー・民政安定など15のプロジェクト。挑戦したいテーマが必要。 4.参画という視点:復興プロジェクト推進隊の創設。全国から公募し若者の参画を誘発。30億円・3年間で90億円。これは義捐金と民間支援でまかなう。1400兆の資産の大半を持つ高齢者は資金面で協力。無利子復興国債、相続税減免。これで10兆円は集まる。--------------------ホームゼミ。 3つのグループでプロジェクトを推進。 図解ゼミ。3つのグループで発表と議論。
2011/06/09
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最近、新聞社などから大学の運営に関する問い合わせやアンケートの依頼が多い。その中で「コミュニケーション能力」の重要性が指摘され、その中身をどう考えているかという質問も寄せられている。多摩大として、次のように回答した。------------------他の人の考え、意見を理解する力、自分自身の過去の経験や知識と対話しながら自分の考えを創り出す力、そして他の人に自分の考えを伝える力、そういう力をバランスよく身に着け、人間関係をマネジメントできる力をコミュニケーション力と呼びたい。また、先に述べたことを前提に、ブログ、ツイッター、SNS、フェイスブックなどのソーシャルメディアを駆使しながら、仲間を巻き込みつつ社会とのコミュニケーションを活性化させ、ものごとを進めていくメディアリテラシーも、今後コミュニケーション力を考えるうえで重要になってくると考えています。------------------上の回答にもあるように、コミュニケーション力の本質が人間関係のマネジメント能力にあるのは間違いないが、このところワードやエクセルなどの操作は当然の前提として、iPad、iPhoneなどスマートメディアなどを使い、ソーシャルメディアを駆使できる力が、極めて重要になってきている。就職や転職の面接なども、短い面接時間で人物を見抜くなどという博打のようなやり方は危険が多すぎるため、毎日の日記でもあるブログを見せてほしいとか、友人や人脈の広がりを知るためにFacebookで吟味するというような人物鑑定法がしだいに出てきている。ブログは、書き続けることができたなら、日々の生活を反省しながらよりよく生きようとする態度が自然に身に付いていくし、文章修業のもっとも最適なツールでもあるから、結果として文章力がつくのは間違いない。また「あなたの友達のことを教えてください。あなたのことを当ててみよう」という言葉があるように、友人の種類や多さや、そして人脈の広がりを見るために、人物鑑定に実名主義のFacbookをウオッチしていくという流れになっていくだろう。自分の問題、自分と社会との関係の問題、そして社会に存在する問題を、自力を前提に他人の力を借りながら解決していく力が重要となってきた今日、従来から言われてきたコミュニケーション能力にソーシャルメディアを駆使して知恵を集めるメディアリテラシーを加味した、広い意味でのコミュニケーション能力が求められる時代になってきている。大学での教育の方法、内容などもこういった流れに対応できるかという話になる。時代と並走しつつ、時代の息吹を吹き込み、次代を担うべき人材を育てる仕事に精を出していきたいと思う。------------------------------------午前 健康診断 秘書と打ち合わせ 矢内事務長と打ち合わせ・意見交換午後 ホームページ打ち合わせ TAMA映画祭関係者来訪。協力の可能性を探る インターゼミ「震災と日本再生」チーム・田邊君の相談にのる。夜 学長室スタッフと食事会
2011/06/08
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東京国立博物館本館。「手塚治虫のブッダ展」直筆原画52件、仏像20件。漫画と仏像を一緒に展示するというユニークな企画だ。漫画の連載は1972年から1983年の10年以上の長編連載。43歳から55歳までの時期。ブッダはBC560年頃生誕。2500年前。誕生時「天上天下 唯我独尊」。右手で天、左手で地。4月8日。この日は甘茶で祝う。17歳で結婚。29歳で出家。35歳で悟り。80歳で死亡。苦行では悟りを得られない。菩提樹のもとで不動の瞑想。涅槃(入滅)。500人の弟子。2月15日。手塚の「ブッダ」は2000万部。歴史的な釈尊伝を縦軸に手塚のつくった人物、動物、自然などを横軸に、手塚の人間観、自然観、宇宙観を展開した。手塚のブッダ研究がよく出ている。2011年には映画化される。「ブッダ」の漫画の最初の2巻を読んでみた。物語の中に手塚らしいキャラクターも出てくる。全巻を読みたくなる。---------------------東京国立博物館平成館。「特別展 写楽」1794年ー1795年の正月までの10か月で140枚以上の絵を残す。版元・蔦谷重三郎は北斎、写楽、歌麿を発掘。写楽は役者の表情を描くのがうまい。目と眉の豊かな表情に魅力。写楽は阿波徳島の藩お抱えの能役者斉藤十郎兵衛でではないか。50年後の伝記に「号は東洲斎」という言葉がある。アムステルダム国立美術館、アメリカシカゴ美術館、アメリカボストン美術館などから出展した浮世絵が多い。これほどたくさんの写楽が一堂に会したのは珍しいのではないか。-----------------------国立西洋美術館「レンブラント 光の探究 闇の誘惑」1606年生まれ。17世紀オランダ。25歳大航海時代のアムステルダムに移住。肖像画。結婚によって上流階級へ。豪邸。アトリエ。集団肖像画。版画に挑戦。50歳で破産。63歳で死亡。明暗の巨匠。版画を職人を使わず自分でやった。誰も真似が出来ない言われた版画の細密さに驚いた。和紙を使った版画。この和紙は長崎出島からオランダへ。和紙は少しの力でインクを吸い取る。版の摩耗を防ぐ。和紙刷は豪華版。コレクターの存在。レンブラントハイス(レンブラントの家)、1639年から1658年まで暮らした家。代表作のほとんどは1640年から1650年代半ば。ここで描いた。亡くなる前の55-60歳は作品はなかった。「ヘンドリッキェ・ストッフェルス」(悲しげな表情、、)「音楽を奏でる人々」「ミネルヴァ」(知恵の女神)「三本の十字架」。
2011/06/07
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広尾の有栖川公園の近くにある都立中央図書館を訪問し、人物関係の資料にあたる。この図書館には「人物」というコーナーと「伝記」という充実した書棚があり、大変参考になった。人物ごとにあいうえお順に並んでいるので便利だ。伝記が多いひとでも10数冊さ¥だが、福沢諭吉には三段もあったのには驚いた。浅草の江東区生涯学習センター。ここを訪れるのは二回目。センター内にある池波正太郎記念文庫で事績を偲ぶ。31歳で小説家としての第一作を書いてから67歳で亡くなるまで、この小説家は実に700冊の本を残している。時代小説475作品、現代小説46作品、戯曲44作品、対談・鼎談79作品、画文集7作品。その他、雑誌などに載ったインタビューは41件、エッセイは513件。この700冊という数字は、松本清張が42歳の遅いデビューから82歳で亡くなる40年間に書いた本の冊数と同じである。池波正太郎の生産性は極めて高い。この作家は、「段取り」ということを大切にした。仕事も人生もすべて段取りだ、という考えだった。こういった膨大な仕事をこなすことができた秘密がが段取り、つまりスケジュールリングだった。池波がかぶっていた帽子の脇に「帽子」という短いエッセイがあった。帽子をかぶると年齢不詳になる。ソフトをかぶったときは18、19歳でも24、25歳に見えたし、60歳を卓と70から75歳に見えたから外国に行くと大事にしてくれる、と書いている。「気分転換」というエッセイには、昼は信長、夜は江戸下町の愛欲を書くとなると外に出かけるなどの気分転換が必要だがそうもいかないときには音楽をたくさん聞く。そうすると気分が変わってくる。小説の構成がまとまらないときんはムソルグスキーやカラヤンを聴く。こういうクセがついてくると、聞いた途端、ぱっと書けてゆくことがたびたびあった、そうだ。同センター内に「台東区生まれの作家」という企画コーナーがあった。平成23年1月現在で92人という多さだ。荒俣宏、池波正太郎、内田魯庵、永六輔、落合信彦、円地文子、唐十郎、川口松太郎、久保田万太郎、幸田露伴、小島政次郎、左江衆一、沢村貞子、鈴木誠司、高村光太郎、田久保英夫、田村俊子、土岐善麿、中村光夫、山田太一、山本夏彦、としもとばなな、こういった面々だ。18時に浅草ビューホテルでギリークラブのメンバーと待ち合わせ。本日のメインイベント「浅草、池波正太郎記念文庫訪問~人物記念館、訪問の達人久恒啓一氏と共に~」。みなさん、事前に池波正太郎記念文庫を見てきているので、さっそく池波正太郎が通った店を選んでいく。「染太郎」というお好み焼きやを選んだ。昭和13年の開業当時の面影をの残す店だが、お客が多い。欧米人のグループも隣だった。ギリークラブ主宰の私の友人・渡辺さん、新潮社の高橋さん、バンダイの社外取締役の松永真理さん、ビジネスマン時代の上司だった中村さんの五人。大震災の話題、混迷する政治状況、そして人物記念館の旅から得た私の話などで話題は尽きなかった。お好み焼きもおいしくこちらも堪能した。この店には森繁久弥など著名人の色紙が多く飾ってある。とても楽しい時間を過ごした。
2011/06/06
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北里柴三郎は、東大医学部を8番で卒業した。優れた成績ではなかったため文部省推薦の留学生にはなれなかった。内務省衛生局長の長与專斎を訪ね、衛生局に入ることになる。その時、後藤新平の下につけと言われる。「わたしは最高学府を終えた者です。、、後藤のような男とは教養を異にします。その下風に立ったりはできません」と言った。後藤は福島県の須賀川医学校出だった。長与は後藤を勧誘し衛生局に入れる。年上の北里は後藤の半年後に入局し下についたが仕事は違った。「いけすかない男だ」と思った。後藤は「横文字好きの青二才」と北里を軽蔑し、北里は「浅学の田舎医者」と揶揄した。後でわかるが、後藤の面倒をみた安場安和は横井小楠の高弟であり、北里は横井の門弟から指導を受けた孫弟子である。二人は犬猿の仲だった。後に北里はドイツ・ベルリンのコッホのもとに行く。ここで大活躍をする。この研究室に2年先輩の陸軍の森鴎外が派遣されてくる。この鴎外のおかげで北里は予定年限を超えて研究が可能になる。また、北里がベルリンに来て4年以上たって、後藤新平がコッホ研究室に入ることになる。ここでは後藤は北里の下に入ることになる。最初は内務省の序列では後藤が上だとかいうことで悶着があったようだが、二人は喧嘩を通じて、最後は盟友になっていく。後に北里の帰国後、東大閥と対峙した北里は伝染病研究所をつくるときに、後藤の口利きもあり、福沢諭吉の土地を手に入れることができ、北里の獅子奮迅の活躍が始まる。福沢が亡くなったあと、慶応義塾に医学を創設し、北里は福沢の恩に報いるため、その初代医学部長を長い間、無給で引き受けている。森鴎外は、山等本科30名中4番だった。陸軍に入った出世頭小池は10番だった。肋膜炎で半年遅れで卒業した鴎外は東大医学部の卒業時に8番の成績だったので留学することはかなわず陸軍に入る。病気もあり卒業が半年遅れたこともあり、鴎外は最初1年半ほど昇進が遅れていた。中佐相当官のときにやっと追いついてきて、3番目になる。少将相当官の軍医監に1年ほど遅れてなり、その後小倉に転任する。鴎外は同期の小池による左遷人事だと怒る。事実はそうではなく順当な、あるいは重点人事だったという説もある。しかし数年後、第一師団軍医部長となり、後に鴎外は中将相当官の陸軍軍医総監に昇進する。小倉時代に小池が訪ねてくる。その時の日記には「服を更めて梅屋に候じ、(局長)の命を聴く。晩餐を羞めらる」とある。この敬語は上官に対するものである。上官に対しては公式の席では、閣下だった。上昇志向の強い官僚・鴎外は自らの処遇に対しては極めて敏感だった。どのような気持ちで同期の上官に接していたかは想像する以外にないが、「修行」だと考えていた節がある。「小生なども学問力量さまで目上なりともおもはぬ小池局長の据えてくるる処に「すわり、働かせてくるる事を働きて、其間の一挙一動を馬鹿なこととも思わず無駄とも思はぬやうに考え居り候へば、、、、」という手紙を母にあてて送っている。いつまでも怨まずに与えられた仕事に奉公することが大事だ、これも修行だと言い聞かせている鴎外がいる。鴎外は仕事が順調なときには創作活動も快調というタイプだった。公務の繁忙は創作意欲を刺激させた。北里と鴎外の人生は、組織人として、年下や同期生が上長になったときの対処の仕方を教えてくれる。(資料:北里柴三郎 雷(ドンネル)と呼ばれた男」(山崎光夫)。「時代の先駆者 後藤新平」(御厨貴)。「両像・森鴎外」(松本清張)。「評伝 森鴎外」(山崎國紀)。)
2011/06/05
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本日仙台から日帰り上京した友人から写真をもらった。仙台駅の新幹線乗り場の本屋での文庫の売り上げランキングで、私の「図解で身につく! ドラッカーの理論」(中経の文庫)が第一位になっていた。まだまだ売れているようだ。その中経の文庫の続編で先月出した「図解でわかる!難解な世界の名著のなかみ」も増刷されているので、今後が楽しみだ。さて、今執筆の佳境に入っているのは、日本の過去の偉人の言葉を120ほど取り上げて、その言葉の背景、私の考え、そしてその偉人らしいエピソードなどをまとめる本だ。エピソードを集めて書くことをしているが、楽しい作業でもある。また、人生計画・戦略に関する著書の準備にも入っている。私は30歳あたりから「一生の計画」「30年計画」という名前で、人生計画表をつくってきた。また一年ごとの詳しい計画表を年始につくり、年末に〇×△で総括をしてきた。その中身と考え方と、続けるための技術などを開陳しようという企画である。この計画書の30代のあたりを中心に披露してみようと思う。20代から30代の若い人に読んでほしいと思っている。その他、今年は過去に出した書籍の、オーディオ版、電子版などが、多く予定されている。http://www.hisatune.net/html/02-kenkyuu/tyosaku/e-book.htm文庫化、そして中国・韓国・台湾などでの翻訳出版も含めて、今までに書いた本の二次展開が増えてきた。そういう時代に入ってきたという感じがする。http://www.hisatune.net/html/02-kenkyuu/tyosaku/ichiran.htmさて、今後は、「人物記念館の旅」を独自の泉にして、そこから湧き出るものを形にしていく方向に舵を切っていこうと思う。
2011/06/04
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学部の講義は、私の監修したDVD「図解表現の技術」を視聴。ちょうど今期の中間地点で放映したのだが、振り返りのまとめにちょうど良かったようだ。図解の手順が詳しく映像で説明されているので参考になったという声が多かった。来週からは、広告、企業理念、採用情報などを題材にしていきたい。 プレゼミのH2グループ12人の3回目(最終回)。なかなか活発な1年生がいて和やかな雰囲気で講義ができている。 中村そのこ子先生、山原先生、今泉先生、金先生、諸橋先生、樋口先生、、、。-------------------- 夜は品川の社会人大学院での「実践・出版プロジェクトマネジメント」の4回目の講義。幸田さん、木村さん、柳生さん、武井さんの4人の出版企画書の発表とアドバイスを中心とした授業。こういう形式は私にとっても初めての経験だったが、実に面白かった。テーマは、教育、ヘッドハンティング、オリーブ、リスクマネジメント。編集者の柴田さんも含めた受講者同士のアドバイスは、企画の膨らみや視点の展開をもたらして有意義だった。今回は中間発表ということにしているが、最終レポートはそれぞれの出版企画書の提出にしたい。その過程で志を固めて秋以降に実行に移していくことが目標である。次回と次々回は、出版社の編集者を招いて講義をしていただく予定。手探りでこの新しい科目を進めているのだが、雰囲気もよく、講師の私自身も楽しんでいる。この講座から「著者」が出てくるのが楽しみだ。
2011/06/03
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午前中は、多摩市役所で行われた第一回多摩市内企業等懇談会に出席。多摩市の阿部市長を囲む懇談会。持続可能な街づくりのために地域経済活性化。市民・事業者にとっての「まち」の魅力づくり。超高齢化。ロードサイドの大型店。周辺のまちとの競争。、、、。京王電鉄取締役開発部長の山本さん、京西テクノス社長の臼井さん、JUKI常務の中村さん、新都市センター開発専務の横山さん、中央企画社長の日岡さん、桜ヶ丘商店街連合会の森田さん、多摩信用金庫価値創造事業部長の長島さん、多摩大総研所長の私。市役所側は、阿部多摩市長、後藤副市長、飯高市民経済部長、鈴木経済観光課帳。東京都企業倒産地域別分布表。事業所統計調査による事業所数の推移。商業統計調査抜粋。工業統計調査抜粋。観光関係データ(イベント集客数・観光施設来場者数・乗降客数)。撮影支援事業(フィルムコミッション事業)、撮影支援事業実績。などを市から説明を受ける。ほとんどが第三次産業・サービス業。大規模小売店舗売場面積割合は76%と多摩地域でダントツ。飲食料品小売、織物・衣服・身の回り品小売、自動車・自転車小売。工業では機械。多摩センターイルミネーション200万人、こどもまつり、花火大会、夏祭り、なども入れて300万人の集客。サンリオは113万人。乗降客は、多摩センター8.2万、聖蹟桜ヶ丘6.6万人、永山4.2万人。撮影は問い合わせ、実施とも増えている。地震に強い。ニュータウンの再生。市民活動と産業との連携。医療福祉とNPO。大学との連携。子育て・教育。トータル。マーケッティング視点。アジア。つなぐ。横山の道、多摩川。寮の被災地出身者への開放。商工会議所との連携。スポットをつなぐ物語。、、、。私からは、多摩大20年のゼミの地域関係の紹介、ここ2年間の多摩市をフィールドとしたゼミの実績を紹介。そのうえで、競争と協調の関係にある他の自治体との連携にも目を向けるべきで、多摩ニュータウンの代表イベント、広域多摩地域の代表イベントを考えたらいい。多摩という名前がつけば多摩市にメリットが返ってくる。また、多摩学の研究とカリキュラムへの導入も加えて多摩地域に関心を持つ学生が増えてくるとの説明をした。出席者の各企業の方々のお話は大変参考になった。この懇談会は、あと2-3回続く。------------------大学に戻って、多摩大総研のミーティング。ホームゼミは、3つのプロジェクトごとのミーティングと、図解ゼミ。----------------菅内閣不信任案は否決。
2011/06/02
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最近の新聞の切り抜きから、作家たちの遠景や言葉を拾ってみた。------------ 谷沢永一(81歳で3月8日に死去)生涯の著作は160冊近くに及ぶ。関西に住んだ。入院中も「頭の中で原稿を書いているんや。もう単行本2冊くらいはできたやろうなあ」(妻の美智子さん)座談の名手。宴席でも文壇のエピソードを満載した巧みな話術。-------------- 開高健(生誕81年。58歳で死去)) 住んでいた神奈川県茅ケ崎市の開高健記念館が2003年に開館。「私は文学賞の審査委員を仰せつかって、そのチャンスにだけ読むんだけど(中略)大半は作文である。作品ではない。これは言えるんじゃないかしらね」。---------------- 丸山健二(67歳) 長野県在住。毎日原稿用紙4枚ほどの執筆は欠かさない。「腕を上げようと思ったら、毎日書かなければいけない。まだ書き方さえも分からない。題材があるから、死ぬ最後の日までレベルアップを目指す」エッセー{さまなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない」、写文集{草情花伝」、小説{眠れ、悪しき子よ」と3作品を連続刊行する。ブログやツイッターも開始。------------------- 浅田次郎(59歳) 東京都日野市在住。いつもは酔って読み書きできないのを惜しんで酒を飲まない。執筆は5年先まで決まっている。「小説家はむやみに考えをひけらかすべきでない」「作家たるもの、表現の自由を守る活動は当然です」作家や評論家ら1860人で構成する日本ペンクラブの大16代会長に就任。井上ひさし、阿刀田高の後を受ける。日本ペンクラブは、初代会長・島崎藤村、正宗白鳥、志賀直哉、川端康成、芹沢光治良、中村光夫、石川達三、高橋健二、井上靖、遠藤周作、大岡信、尾崎秀樹、梅原猛、そして井上ひさし、阿刀田高と続く。
2011/06/01
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