2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全31件 (31件中 1-31件目)
1
今年から調布市深大寺の消防大学校に通い始めた。総務省消防庁所管の大学校だ。英語ではFire and Disaster Management Collegeという。火事と災害を食い止める学校である。国と都道府県の消防事務に従事する職員、市町村の消防職員、消防団員の幹部教育を行う教育機関だ。今までは幹部教育を担当していたが、今回は「救急隊長」が受講生になった。救急車に乗っている救急隊は、隊長と隊員と運転手の3人一組で行動する。主としてけが人や患者を搬送するのが任務だが、近年は車内での「救命処置」ができるようになった。だから医療知識が必要になり、6-7か月の医学の勉強を経て、救急救命士という国家資格を取るようになってきた。救命処置とは、空気の通り道をつくったり、点滴をしたり、AEDを使ったりという動きのことだ。今回の受講生の数か月の教育訓練プログラムをみると裁判所の見学も入っている。微妙な部分も受け持つようになって、訴訟への対処も必要になってきている。大変な仕事であり、医療技術の進歩にも対応するために日々勉強だそうだ。授業科目を概観すると、一般教養、消防法制、消防管理、消防運用、演習、日課、研修、効果測定などに分かれている。中心は消防運用で、病院との連携、警察との連携、リスクマネジメント、観察、現場管理、広報広聴、ドクターヘリとの連携、法医学、精神疾患、、、など重要な科目が並んでいる。次に授業時間が多いのが消防管理という分野で、惨事ストレス対策、教育技法、接遇、リーダーシップ論、危機管理広報、メンタルヘルスなどと並んで、私が担当する「図解コミュニケーション」が入っている。この分野は消防分野以外の講師も多い。教科書として拙著「図解で身につく! ドラッカーの理論」(中経の文庫)を指定してあり、全員の机の上に置いてある。受講生は、33歳から50歳までで平均年齢は42歳。北海道から沖縄まで36名。釧路、花巻、気仙沼、つくば、茨城、太田、狭山、伊奈、浦安、四街道伊、東京、藤沢、大和、村上、魚沼、石川、奥能登、長野、江南、知多、湖北、大阪、高槻、鳥取、江津、岡山、広島、山口、みよし、愛媛、久万高原、久留米、唐津、壱岐、沖縄。以下、アンケートから。 イノベーションは「改善」がもたらすという部分が印象に残った。 「前例踏襲」「固定観念」に対して納得できました。 気仙沼の復興はまだまだかかりそうですが、頑張ります。 救急救命士の教育に図解を取り入れていきたいと思います。 自分の考え方を上司、部下、市民等に納得してもらえるようになる。 人を納得させられる 全体を把握するいい機会でした あらゆる面でいかに深く思考して取り組んでいないかを実感させられました。 普段使っている言葉について考えさせられました。 訓練期間中に、図解でノートをとれるようにがんばってみたい。変われるか試してみたい。 ノートを図メモでまとめる
2011/10/31
コメント(0)
福岡に住む妻の姪が最初の子供を連れて実家の群馬に帰っていて羽田から戻るので会いに行った。国際線ターミナルの江戸情緒あふれる空間で都内に住む娘と待ち合わせて食事。ここが初めてということはここ一年海外に出ていないということになる。前回は上海万博を見に行った時で、みすぼらしい小さなターミナルだったが、こじんまりとした機能的な国際線ターミナルになっていた。羽田からは、沸騰するアジアを中心にハワイ、ロス、サンフランシスコのアメリカ西海岸、そしてパリにも飛んでいる。京急も入っているし、随分と便利になった。滑走路が沖合に出た関係で深夜・早朝便も大丈夫になり、都内で仕事を終えてから食事をとってそれから海外に出かけることもできてビジネスや観光も活発になっている。第一ターミナルで皆と待ち合わせ。5か月の可愛い赤ちゃんを中心に久しぶりに親戚同士の会話があった。農協幹部の義兄とはTPPについて情報と意見交換。---------------------帰って、ビデオに撮っていた「NHKアーカイブス」のシリーズ企画「私が選ぶあの番組」を視聴する。今回の寺島実郎さんが選んだのは『大河ドラマ「花の生涯 第1回 青柳の糸」』である。1963年に始まったNHK大河ドラマの初回の最初の映像がフルに流れた。井伊大老を描いた舟橋聖一原作のこの番組は高校一年生だった寺島さんに「歴史というものは単純ではない。何重にもチェックし立体的に考えなければわからない」と感銘を与える。井伊大老が桜田門外の変で水戸・薩摩の脱藩浪士によって殺害されるときに、最後に頭をよぎったのは、「興奮しやすい知性が熱血漢として珍重される国」というテーマだった。広く世界を見て深く考えるということは今日においても重要な基軸である。「花の生涯」が始まった1963年は、60年安保騒動の余韻が熱かった年で、そこにこの番組が登場したのも面白い。人にも、地域にも歴史がある。単純なレッテルで決めつけてはわからない。3・11も、ヒトモノ・カネがダイナミックに動くアジアダイナミズムと向き合っていく中から、そしてアジアとの相関の中から方向を見出していかなければならない。アジアへのメッセージと構想、つまり21世紀にふさわしい日本を築いていこうとしている姿を見せるべきだ。アジアとの連携の中で東北の産業、日本の技術やエネルギーを考えていく。具体的なプロジェクトの創造が重要だ。創造的に一歩前に出よ。「花の生涯」が描いた時代に現在も近い状況。歴史の中、世界の中での自分の立ち位置を考えて判断をしていく。次世代を育てることを自分のテーマとしていて、大学の学長をつとめたり、九段の寺島文庫を開いたりしている。磁場を形成して若い人に考えるきっかけを与えたい。シンクタンクを率いていることもあり、日本のあり方、進路を総合的に、方向感を持ったシナリオをを提示していきたい。この番組は中学生だった私も家族と一緒に見た記憶がある。井伊大老を演じた尾上松緑、女スパイ・村山タカを淡島千景、国学者・長野主馬を演じた佐田啓二。淡島千景が何かに驚いて「まだドキドキしています」と自分の胸に手を当てさせるシーンがあり、このとき父が「たぬきめ」とつぶやいたことも中学生の私は鮮明に覚えている。NHK大河ドラマは、日本人の歴史観を形成していった。長谷川一夫の赤穂浪士、緒方拳の太閤記、尾上菊之助の源義経、北大路欣哉の龍馬がゆく、石坂浩二の天と地と、平幹二朗の樅の木は残った、仲代達也の新・平家物語、中村梅之助の花神、佐久間良子のおんな太閤記、緒方拳の峠の群像、渡辺謙の独眼竜政宗、緒方直人の信長、竹中直人の秀吉、本木雅弘の徳川慶喜、滝沢秀明の義経、宮崎あおいの篤姫、福山雅治の龍馬伝、など思い出に残るドラマが多い。原作者で一番多いのは司馬遼太郎だ。日本人の歴史観は司馬遼太郎とNHKでつくってきたと言える。
2011/10/30
コメント(0)
昨日 学部授業(多摩):「敵との切磋、友との琢磨」。草野心平、正岡子規。人物研究。 大学院授業(品川):テーマはTPP。日経、産経、農業新聞、インタビュー記事などが題材。「知研」の取材あり。終了後、八木さんとビール。 「昨日も楽しく、深みのある時間をありがとうございました。新聞記事を図解する! 本当に理解していないと図にならないことを実感しました。同じ記事を読んでも人によって着眼点が違ったりするのも面白いですね。報道されるTPP関連のニュースは内容よりも誰が何を言ったとか、反対(賛成)理由が矛盾しているとかが中心で、本質が見えてきていませんでしたが、昨日の皆さんとのディスカッションでかなり理解が深まった感じがしています。ありがとうございました。 「TPPをテーマにいろいろな方の主張を図解で明らかにしていくと、全体の構造がよくわかるようになることがわかりました。1.何を主張しているのか。2.何を隠しているのか。3.何故、誰の利益代表として主張しているのか。それぞれの特長がはっきりしました。日常業務でも、このようなことがいつも起こっていますので、議論を効果的に、納得出来る結論を早く出すためにも、図解は有力な武器になると思います。ディベートは、知的なものでは無く、体力、腕力で説き伏せるもの。しかも、時間がかかり、納得感に乏しい。二度と話したくないという感情が残ります。図解は、淡々と事実のエッセンスを図示していくので、喧嘩にならない。議論は、その時点でのベストと思われる結論を出すことが、目的と思うので、勝ち負けを決める必要はありません。ただ、人間にはエゴがあるので、決めたがります。勝ち負けがあるとしたら、より大きな視点から図解しているのか、相手の言い分が図の中で、どの程度の重要度があるのかを、気が付かせることだと思います。エゴが非常に強い人は、それさえ否定します。権力で持論を通そうとします。この辺りが実務の難しさではないかと思います。事実に基づく図解説明で、部下の理解を深めることが出来るようになれば、権威が身についてくると思います。」 「またまた刺激的な授業をありがとうございました。大遅刻だったので、図解作業には参加できませんでしたが、皆さまの発表をきいて、TPPってそういうことだったのかーとまず単純に、図解ってわかりやすい!って思いました。どうしても異なる意見を持ち寄ったときには、どれが正しいか、という議論になりがちですが、全体を図解した上で話し合えば、反論のように見えるものが、実は違う箇所について小さく主張してるだけだったりすることが多いのだろうと。前向きに不快感なく意見交換できるのですね。でも、わかりやすく描けるものか…宿題が不安です…」---------------------------------------------------本日(九段) 大学運営会議 大学長期戦略会議:第一回。今後頻繁に会合を持って収れんさせていくことになった。 インターゼミ:前回の諸橋先生私の「就活時代」に続き中庭先生の物語。学長からこの一週間のトピックス(飛鳥での船上の経団連研修。長崎大での講演。総合資源エネルギー調査会、、)。学長への報告は、震災チームとディズニーチーム。神保町の古本祭りが始まっている。こんなにも本を探す人がいたのかと思うほど混んでいる。谷沢永一「執筆論」と江藤淳「漱石とその時代」を購入。拙著「遅咲偉人伝」(PHP)も店頭に並んでいた。
2011/10/29
コメント(0)
「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」「千と千尋」「もののけ姫」と続く名アニメーションの数々を世に送り出した偉大なアニメーション監督・宮崎駿の記念館はまだない。まだ現役だから当然だが、この人物の志を知りたくて「三鷹の森 ジブリ美術館」を訪ねた。中央線の三鷹駅で降りて、太宰治が自殺した玉川上水に沿って歩き山本有三記念館を過ぎて角を曲がると井の頭公園の一角にあるジブリ美術館に着く。この美術館には宮崎駿本人を知るための直接の資料はほとんどなかったが、宮崎駿の名前は館主という肩書き表示で存在していた。広い空間をどのようにまわるのかと考えていたら、「決められた順路はありません。順路を決めるのはあなたです」「この空間を心から楽しみ『迷子』になってくれる主人公を、心より歓迎いたします」との表示がパンフにあった。ここは珍しい日時指定の予約制の美術館だが、春休みだけあってやはり子ども連れの家族が多い。どの子供たちの顔も楽しそうだ。3階建てのジブリ美術館。半地下には映像展示室「土星座」、1階は中央ホール、2階は常設・企画展示室で1973年のハイジなど作品の一部が展示されている、また映画づくりの現場も見せてくれる。アニメーターの条件というのが書いてあって「絵がかける」「人や物の動きを理解し表現できる」「作業能力がある」そして「職人的な素養」、加えて「生命への愛情」と書いてあった。3階は、ネコバスルーム、ショップ「マンマユート」、そして外付けのラセン階段をのぼるとまもり神のいる屋上庭園に着く。1階のパティオ(中庭)と3階の鉄橋からは「麦わらぼうし」というカフェにいける。買って帰った本によると、「やはり子ども向きのいい映画を作るっていうスタジオにしておこうと思うんです」との記述がある。子供達に励ましや世界を美しいと思うすべを教えようとしている。未来への希望を伝えようとしていると感じる。宮崎駿はアニメの分野では、先達の手塚治を批判する。手塚のアニメは日本の漫画から出発したのではなく、ディズニーから出発したという分析だ。宮崎駿によればディズニーは入り口と出口が同じだという。入った低さから少しでも高くなって出すようにしたいのが宮崎駿の考え方だ。だからいつの間にか階段を昇ってしまうようなチャップリンの方を好んでいる。盟友のアニメーション監督・高畑勲の宮崎駿観が、仕事に向かう宮崎駿のすべてを語っているように見える。「宮崎駿はすごい働き者である」「宮崎駿の頭は大きい」「宮崎駿とのキャッチボールは大変である」「宮崎駿の頭脳はいつも忙しい」「宮崎駿は苦労人である」「宮崎駿は極端な照れ屋である」「宮崎駿は平気で暴言を吐く」「宮崎駿は思い入れの人である」「宮崎駿はとことん具体性を重視する」「宮崎駿は克己の人である」、、、。過剰表現主義と動機の喪失が日本のアニメーションを腐らせているという宮崎駿は、継続的にアニメーションを作り続ける母体としてスタジオ・ジブリをつくった。表現者であると同時に、経営者としてこの組織を続けることにも力を注がねばならない。時代を駆け抜けて大きな存在になってきた宮崎駿も、もう70歳に近い。ジブリ美術館の総合デザイナーだった息子の宮崎吾郎は、父の後を継いで「ゲド戦記」に続いて「コクリコ坂から」を監督するなど必死で追いかけはじめた。宮崎駿は「日本を舞台にした時代劇」というテーマを持っているという。私たちはこの人物と同時代を生きて新作を最初に観ることができる幸せを、いつまで持ち続けることができるだろうか。 (久恒啓一 多摩大学経営情報学部教授)(多摩大学広報誌「Rapport」075--多摩人物紀行5 2011年11月号)
2011/10/28
コメント(0)
今日の最後は、永山で4年生との飲み会。実質的に多摩大の最初の久恒ゼミの学生たちだ。最悪の環境の中、就職活動にひと段落ついた時点で久しぶりの愉しい会となった。自動車、病院、国税、消防、保険、郵政、IT、俳優、大学院、、、など進路は多彩だ。活動中の学生には激励。ゼミ。TPPがテーマの図解実習。その後、グループに分かれて活動。リレー講座は、元宮城県知事の浅野史郎慶応義塾大学教授。2年半前にかかった難病のATL(成人T細胞白血病)、そして厳しい骨髄移植をして復帰した姿で、講座の始まる前にお会いした。「生還しました」との第一声。宮城大時代にはよくお会いしていた。今日は奥様も一緒だった。講義のテーマは、「大震災復興・原発問題における政治学・心理学」。母乳感染、保菌者の1000人に一人が発症、20年前に骨髄財団、61歳で発症、というようにATLの説明がまずあった。 道を究める人には共通したことがある。それは第一に、どうしようもない苦難と挫折の経験である。そして、それでもその人には、『根拠のない成功への確信』がある。(シスター鈴木) あなたに何の罪もなくたって、生きていれば、多くのことが降りかかってくるわ。だけど、それらの出来事を、どういう形で、人生の一部に加えるかは、あなたが自分で決めること、、、。(「サマータイム・ブルース」(サラ・パレツキー著)「行き当たりばったりの人生」。それは「出会い」の人生ということで、ライフワークとなった厚生省課長時代の障害者福祉問題、宮城県知事選にでるハプニング、今回の発病による新たなミッションの登場。「足下に泉あり」だ。大震災からの復興に浅野さんの「見立て」は、以下の通り。日本の原発54基のうち13か月に一回の定期検査で、44基が止まっており、現在稼働中の原発は10基に過ぎない。このまま再稼働ができなければ2012年5月には全部止まってしまう。政治的に再稼働に踏み切れる自治体はほぼゼロではないか。経済学的には、将来についての考え方は議論があるだろうが、政治学的・心理学的に考えてみると、原発がゼロを前提にした対策が必要だ。それを踏まえた経済活動、企業活動を考えねばならない。これは目の前の問題だ。自治体首長経験者のこの短期の「見立て」は、その通りだろう。中長期の課題解決の議論も重要だが、さてこの一年をどうするか。
2011/10/27
コメント(0)
午後、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「モーリス・ドニ いのちの輝き、子どものいる風景」展を観る。ドニ(1870-1943年)は、家族や子どもをテーマとした作品がいい。年譜では、13歳から日記をつけていて生涯書き続けたところに感心した。日本人とも交流が多く、パリへの留学生、松方幸次郎などの美術品コレクター、三菱商事パリ支店長の久我貞三郎(1886-1959年)や妻・田鶴子などとも交際をしている。人物と風景、肖像画など平和な日常の人物と風景を暖かく描く画家である。午後2時からJR東日本で社員研修の講師をつとめる。今回も受講者が多く117名にのぼった。また各支社の研修担当の副課長の方々も10数名受講。部下たちがどのような研修を受けているのかを知ってもらうという趣旨だそうだ。今月の「月刊宝島」に取材記事が掲載された。「スティーブ・ジョブズから松本清張まで 40歳以降からの人生大逆転」という特集で、私は「遅咲きの花になる、心構えとコツ」というタイトルで登場している。滝沢馬琴が48歳から75歳までをかけて「南総里見八犬伝」を書いたこと、高橋是清は、39歳で日銀に入りその後、総裁や大蔵大臣にまでのぼりつめたことなどを紹介した。内容はともかくスティーブ・ジョブズのすぐ下に一緒に並んでいるのは面白い。
2011/10/26
コメント(0)
世田谷文学館で「萩原朔太郎展」が開催中だ。生誕125年の記念展、ということは生きていたら人間の限界といわれる125歳。1886年生まれの萩原朔太郎(1866-1942年)は、若くしてこの世を去った石川啄木と同年である。「詩は言葉以上の言葉である」と代表作「月に吠える」の序で語った朔太郎は、写真、音楽、書物のデザインとマルチアーチストだった。15歳の時に、「鳳晶子の歌に接してから私は全で熱に犯される人になってしまった。」と述べ、16歳で初めて歌を作っている。「この時から若きウェルテルの煩ひは作歌によって慰められやうに成った」。ふらんすに行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠しせめては新しき背広をきてきままなる旅にいでてみん。、、で始まる有名な「旅上」は、萩原朔太郎の作品だったことを知った。21歳五高(熊本)英文科を落第、22歳六高(岡山)独法科退学、25歳慶応大学予科入学、26歳京都帝大選科受験失敗という経歴をみると、何か世間におさまりきれないものを感じる。27歳で故郷の前橋に戻って芸術家としての活動を始める。この頃の写真には、ハンサムではるが神経質そうな表情で、トルコ帽をかぶった姿があった。この地を本拠地として、互いに認め合い生涯の友人となった二つ年下の室生犀星、二つ年上の北原白秋、そして山村暮鳥、日夏などの詩人と交わる。「詩は何より音楽でなければならない」という朔太郎は、マンドリンを演奏する。前橋で活動したクラブは、群馬協奏楽団の前身となった。アマチュアカメラマンとしても相当の工夫をする腕前だった。朔太郎の写真の対象は、第一の弟子であった三好達治によれば「要するに、例外なく、その夥しいコレクションは、いづれもごたごたとした人混みの、市井のつまらぬ風景だった」のである。朔太郎は自然の景色には全く興味がなかった。「抒情詩とアフォリズムとは、私の詩精神の両面であった」「父は永遠に悲壮である」31歳で第一詩集「月に吠える」を出版し世に出る。この頃谷崎潤一郎と会う。33歳で上田稲子と結婚する。この結婚は10年ほど続く。37歳、関東大震災。親戚を見舞いに上京する。39歳、上京し、芥川龍之介、室生犀星と往来する。中野重治、堀辰夫。48歳、明治大学文芸科講師52歳、「日本への回帰」を刊行。この年、大谷美津子と結婚。54歳、透谷賞を受賞。56歳、死去。朔太郎は、書物の装幀とデザインに凝り、自身も手掛けている。「装飾とは内容の映像」という考えの朔太郎は、自身唯一の小説「猫町」のデザインを自著のもっとも気に入っている。煉瓦の壁に「Barber」という文字と「猫の顔」が描かれた面白いデザインである。この本には、「装飾案・萩原朔太郎 画・川上澄生」となっているから、案を自分でデザインし、それを画家に描いてもらったのだろう第一詩集で代表作なった「月に吠える」でも、独特の幻想的なデザインで、詩と画とが一体となって美しく、書物としても近代詩の世界でも画期的な詩集だった。「美しい詩画集を出したい」と装飾を依頼した恩地孝四郎にあてた書簡でも語っている。恩地と田中恭吉と三人の芸術的共同事業でありたいと願った朔太郎は、「実に私は自分の求めている心境の世界の一部分を、田中氏の芸術によって一層はっきりと凝視することが出来たのである」と書き記している。それでは、萩原朔太郎にとって「詩」とは何か。詩の目的は、「感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである」と言っている。前橋文学館が編集した「萩原朔太郎・室生犀星の交流」という小冊子を読むと、二人の飾らない交流がわかる。「萩原と遊ぶとセンチメンタルといふ言葉を常に新しく感ずるとは不思議なり」(再生)「犀星といふ男は真に不思議な恵まれた男であり、生まれながら文学の神様に寵愛されたやうな人間である」(朔太郎)室生犀星は「善良で好人物である正直者はいつも人生で損ばかりしているといふことも、この詩人の生涯を見渡していると判って来るのだ。」と語っている。ここには、神経質で気難しい朔太郎の姿はない。---------------この文学館で同時に開催中の「萩原葉子」展を観る。朔太郎と判れた稲子の娘である葉子(1920-2005年)は、30代になって「父・萩原朔太郎」で第8回日本エッセイスト・クラブ賞をとり、「天上の花--三好達治抄」で新潮社文学賞と田村俊子賞を受賞している。そして「いら草の家」では女流文学賞をとっている。この葉子は、父のことを書いたエッセイを読んだ室生犀星から「千枚になるかも知れないが、毎々から事を前の日に決めて、それに一つあての場面と心の急所を抑えてかきなさい」「一生に一篇でも良いではないか。じりじりと書きなさい」と親身のアドバイスを受けて書いた。葉子は、30代で作家になり、40代でダンス、60代ではオブジェというように活動的な女性だった。モットーは「出発に年齢はない」「人生は素面の仮面舞踏会である」という言葉も残している。「父・萩原朔太郎」を読みたい。
2011/10/25
コメント(0)
このずれを 夫婦と呼ばん 秋の朝
2011/10/24
コメント(0)
世田谷文学館の「萩原朔太郎」展を見た後、菊池寛実記念・智美術館を訪問した。この美術館はホテルオークラの近くにあり、地下に降りていくという趣向になっている。今回は細川護煕「胸中の山水」展が目的で、この美術館は二回目の訪問である。最近始めた油絵の東日本大震災を描いた作品が最初に出迎えてくれた。生半可な素人の絵ではない。「油絵と書」、「陶仏」、「茶陶」と三部に分かれ、作品と解説が読める。陶淵明の「飲酒」、「寒山」、「黄鶴楼」、柳宗元の「江雪」、陶淵明の「桃花源記」、北宋の蘇東坡「谷川の音は御仏の説法の声、山の姿は清らかな御仏の身体」、「赤壁賦」、「老子」、王維の「送別」、、などが印象に残った。f:id:k-hisatune:20111024084824j:image最後に、この人の経歴を改めて眺めて驚いた。1938年生まれ。16歳、大工か植木屋になりたいと考えていたが、伯父・近衛文隆のシベリアでの悲報を聞いて志を継ぐことを決意。25歳、上智大学法学部卒業、朝日新聞社入社。30歳、朝日新聞を退社33歳、参院自民党から初当選、二期目は熊本選挙区から衆議院議員に当選45歳、熊本県知事、二期8年。書を始める。武相荘に白洲正子を訪ねて旅行にも同行。54歳、日本新党を創設し、代表に就任55歳、内閣総理大臣56歳、新進党結成59歳、離党60歳、4月27日民主党結成、その直後の5月7日に衆議院議員を辞職し政界を引退。33歳で初当選、55歳で総理になり、結局27年間を政界で過ごしたことになる。祖父の近衛文麿が求め祖母が住んでいた湯河原の家を「不東庵」と名付けて5月から住む。61歳、作陶の気持ちが強くなる。奈良県の辻村史朗さんの押しかけ弟子になり居候。轆轤の修業を始める。62歳、修業が一年半経った頃卒業となる。自宅に轆轤と窯の作業場をしつらえる。63歳、日本橋の壺中居で初個展。京都の古美術柳で個展。作業場が完成。64歳、壺中居にって個展。古美術柳にて個展。福岡天神の岩田屋にれ個展。65歳、杉皮葺きの三畳の草庵の茶室完成。壺中居にて個展。札幌三越にて個展。ギャラリー吉井(パリ)にて個展。古美術柳にて個展。五輪塔を自分の墓にとやきもので制作。66歳、漆絵を始める。軽井沢の穴窯が完成。壺中居にて個展。古美術柳にて個展。日本橋三越にて個展。「不東庵日常」(小学館)を刊行。67歳、童子像や陶仏をつくる。松江にて個展。茶道資料館にて記念展。壺中居にて個展。古美術柳にて個展。68歳、松山三越にて個展。壺中居にて個展。逸翁美術館(大阪)にて二人展。尾道白樺美術館にて個展。古美術柳にて個展。69歳、「細川護煕 数寄の世界」が全国巡回。作品集「晴耕雨読 細川護煕作品集」(新潮社)刊行。壺中居にて個展。ニューヨークにて個展。東京益田屋にて個展。古美術柳にて個展。中国旅行。70歳、三重にて個展。中国旅行。東京柿博ギャラリーにて個展。熊本県立美術館「細川コレクション 永青文庫展示室」で展示。成羽町美術館にて個展。壺中居いて個展。「ことばを旅する」(文芸春秋社)刊行。名古屋松坂屋にrて個展。富山大和店にて個展。中国旅行。古美術柳にて個展。71歳、油絵を描き始める。中国旅行。壺中居にて個展。岡山天満屋にて個展。古美術柳にて個展。「跡無き工夫--削ぎ落した生き方」(角川書店)を刊行。中国旅行。「閑居の庭から--続・不東庵日常」(小学館)を刊行。72歳、日経新聞に「私の履歴書」を執筆。広島天満屋にて個展。姫路山陽百貨店にて個展。パリ三越にて個展。銀座メゾンエルメスフォーラムにて個展。「内訟録 細川護煕総理大臣日記」(日経)を刊行。壺中居にて個展。「美に生きた細川護立の眼」(求龍堂)を刊行。羽田空港内にDISCOVERY MUSEUMがオープン。古美術柳にて個展。東北芸術工科大学と京都造形技術大学の初代学園長に就任、大阪三越にて個展。壺中居にて個展。菊池寛実記念・智美術館にて「胸中の山水 細川護煕」展。60歳で政界を引退して13年。あとほぼ同じ時間をこのまま延長でき、87歳を超えることができたら、細川さんは人生の前半は政治家、そして後半はそれ以上の年月を芸術を中心とした数寄者人生を過ごすことになる。こう考えていくと、この細川護煕という人物は、途方もない道を歩いているという気がしてくる。年輪を重ねるごとに次第に大きな人物として立ち現われてくる可能性がある。
2011/10/23
コメント(0)

土曜日。午前中は、品川キャンパスで「昭和24年春終了予定者修士論文等予備審査会」。私のグループは、5人の発表を聞いた。 カーボンフットプリントの一考察 企業レポート会社の起業、2年の成果 国際インテグレーターにおける知識継承・内面化の考察 タイ国における外食産業向け低温食品共同配送の事業化 自治体アンテナショップに対する今後の役割と機能に関する一考察それぞれ現場の息吹が感じられる興味深い発表だった。この時間は日本経済と企業の動きを身近に感じる。論文完成まであと半年あるので、磨きをかけて欲しいものだ。終了後、大学院教授会で4つのグループの様子の説明があった。金先生と九段サテライトに向かう。文庫カフェで雑談。学長とスケジュールの確認と、いくつかの案件の報告。16時20分からインターゼミ。今回は寺島学長からのリクエストで二人の教員が自分の就職時代の事を語ることになる。私が最初に指名を受ける。高校2年生の時の人権派弁護士・布施辰治を描いた伝記を読んで弁護士を志望するとこらから始めて、10分ほど話をする。次に諸橋先生が、古文と数学が得意だった話から初めて、日本IBMでの研究生活を語った。二人の話しの骨子は以下。高野課長が記録。寺島学長から、二人の話を世代論の観点から受けた話があった。学生たちの親は50歳前後。1965年前後生まれ。1985年のプラザ合意の頃に就職戦線。次に来るバブルの洗礼を受け、20代後半からは冷戦の崩壊とバブル崩壊による長いゼロ成長の時代。そして親たちは年金問題にさらされてくる。そういう親は子供に安定を望むだろう。人間は時代や世代に大きな影響を受けている。だから外に視界を取って、フィールドワークを心掛けないとならない。自分は何者か。自分を客観視せよ。両親、時代、能力、関心。出会い、偶然、きっかけで人生は変わる。一筋縄ではいかない。その後、4つのグループに分かれてグループワーク。「東日本大震災と日本創生」グループは久しぶりに、小沼君以外のほとんどのメンバーが集まって進んだ。論文執筆に向けて真剣に進めてくれた。帰りは、調布まで長田先生に車で送ってもらいながら、いろいろと話をする。
2011/10/22
コメント(0)
午後は、14時から17時半まで市ヶ谷のJICA(国際協力機構)で、専門家等派遣前研修の講師をつとめた。「「図解思考」を用いた国際コミュニケーション力の向上」がテーマの研修だ。今回は、20人ほどの受講生。派遣国は、ザンビア、中国、ケニア、ペルー、パレスチナ、マラウイ、インドネシア、エルサルバドル、イラン、ブータン、カンボジア、グアテマラ、ブルキナファソ、ナイジェリア、ラオス。指導分野は、農業政策、農業・農村開発、理科系教育、地域間格差是正、科学技術、施工管理、防災、森林経営、貿易・産業振興、航空安全、医療、かんがい、建築行政、、、。中央官庁、財団法人、大学、コンサル企業、JICAなどの職員が多い。年齢は、29歳から54歳まで。終了後、受講生でアフリカのブルキナファツのワガトゥグの教育省に赴任する柳田さんがみえて話をする。理科系教育を担当するとのこと。小学校の教師や塾の講師をしていたというキャリアで、海外青年協力隊にも参加経験があるそうだ。アフリカでも広めて欲しいと激励する。JICA人材協力部総合人材部の総合研修センター担当の新任の岡田次長があいさつにみえる。この研修の最初の担当だった前任の次長は南米に赴任した。今度の担当次長は、中国北京駐在から戻ったばかり。次は12月を予定している。今回の東日本大震災で世界150を超える国や地域からから膨大な義捐金や物資支援の申し出があり、そのその多くが途上国であった。これは長年のJICAの地道な活動のたまものだろう。ホームページのJICA緒方貞子理事長の挨拶から。http://www.jica.go.jp/about/president/index.html「2008年10月の新JICA発足以来、JICAは、「人間の安全保障」実現のため、「すべての人々が恩恵を受ける、ダイナミックな開発」(Inclusive and Dynamic Development)というビジョンを掲げて活動してまいりました。民族も、宗教も、性別も、世代も超えて、すべての人々が、自らの開発課題を認識し、それを解決するプロセスに参加し、その成果を共に享受できるような取り組み、そして、貧困削減と経済成長が好循環を生み出す途上国支援を目指してきました。世界経済のグローバル化が進む中、気候変動や自然災害、水、食糧、感染症、さらには貧困と格差の問題など、内外の開発課題は一元化しつつあります。我が国の国際協力も、「内外一元化」が求められているといえます。日本と国際社会との関係を一層強化し、我が国の経験をもとに途上国の開発を支援し、また、途上国支援を通じて得た知見をもとに、我が国の復興・開発に貢献することが、これからのJICAに求められる役割でもあります。」-------------------------------9時からの人事委員会を終えて、講義に向かう。マネジメントデザイン2の授業の5回目。岡本太郎、武者小路実篤、高村光太郎の3人を取り上げて、それぞれの人生行路と遺した言葉を紹介する。終了後のアンケートでは、馴染みのある偉人が多いこともあり、関心が高かった。岡本太郎はやはり人気がある。青山の記念館や川崎の美術館を訪ねてみたいという声も多くあった。また渋谷駅コンコースの大型壁画「太陽の神話」でエネルギーをもらっている学生もいた。昼休みは斉藤T先生と禁煙指導で一緒。--------------------
2011/10/21
コメント(0)
9時から天津と新彊ウイグルからの留学生を交えて、岡君、山本さんと中国への情報発信について意見交換 学長室ミーティング スカイプを使ってHPの更新の会議 日本エネルギー研究所の十市顧問と菅野特任教授と懇談。十市さんは日本のエネルギー問題の第一人者。エネルギー問題の幅が広がってきているとのこと。シェールガスは革命までいくかどうか。 多摩大総研松本先生と打ち合わせ。 中庭先生と打ち合わせ。履修モデル。 多摩大リレー講座「ビンラディン殺害後のアフガニスタン対テロ戦」というテーマで。伊勢崎賢治東京外大教授の講義。国際紛争処理、武装解除、国連東ティモール、国連シエラレオネなどの紛争地域で働いた実務家。ユニークなキャリア。『武装解除――紛争屋が見た世界』(講談社現代新書,2004年)を購入。 ホームゼミ。3年生を集めて就職活動に向かう心構えとスケジュールの確認、そして「久恒ゼミ就職フォーラム」というFacebookを立ち上げて全員が登録。ここで報告や連絡、指導を行うことにした。1年生のゼミ希望者が4人見学。4年生。進路変更を申し出た4年生の話を聞く。2年生。新聞の社説を題材に図解の腕を磨く。終了後は、3つのプロジェクトに分かれて作業。 帰り際、大森瑛子先生と斉藤S先生と遭遇。リレー講座の感想とキャリアのページ、、。---------------------天下を創った男の言葉。 このたびは天下の草創なり。(源頼朝) 天下は一人の天下に非ず。天下は天下の天下なり。(徳川家康) 人を相手とせず、天を相手にせよ。(西郷隆盛)鎌倉幕府を創った頼朝、徳川幕府を創った家康、明治維新の大立者西郷、それぞれ気宇壮大である。特に頼朝の「天下の草創」という気迫は素晴らしい。宮城大学が開学した1997年、野田一夫学長の「大学を創る」という事業に参画した時、規模は異なるが、同じような感覚を持ったことがある。武人の言葉。 弓矢の儀、取り様の事、四十より内は勝つように、四十より後は負けざるやうに。(武田信玄) 下々の批判をよくよく聞き届け、たとひ如何に腹立ち候とも堪忍。(武田信繁) 同輩より下への状などは、慇懃に書くほど、先方にてはなおなお忝(かたじけな)く思ふものなり。(前田利家) 十人が十人とも好む人材は、非常事態に対応できないので登用しない。(島津斉彬) 天の与うるを取らざれば、かえってその災いを受ける。(井伊直政)この五人の武人の言葉は、人の上に立つ者の心構えとして、深い味わいがある。以上、「名将の言葉」(本郷和人)より。-----------------------------秋の暮れ 未来へ向けて 第一歩
2011/10/20
コメント(0)

昨日に引き続き日産教育センターで研修講師。静謐な空気の中で真摯に取り組んでもらった。発表は和やかな雰囲気の中で進行。以下、終了後のアンケートから。 Wonderful&easy&friendly。 これまで受けた様々な研修の中でトップレベルに解りやすい内容でした。 今まで受講した研修の中で、いちばん役に立つ研修内容でした。 実のある教育でした。 初めて会う、初めて知る業務に的確なコメントができるのは素晴らしい。見るポイントがあるのでしょう。 組織の中で何をやっていくか、今まで発想していないことがでてきた。先生の人柄の良さがわかった。 この研修を受ける前は、私は「てにをは」課長でした。昼休みは日産ビジネスカレッジを見学させてもらった。話題の電気自動車リーフをみせてもらう。エンジン音がまったくしない。連続走行は200キロほどで近距離の動きには問題はない。価格は300万ほど。レバーはマウスのよう。「この排気量は何CCですか?」という私の質問に、「電気自動車だから、〇〇CCという表現はありません。スカイラインの2500CCクラスと同じ」という返答だった。家庭でも器具を使えば充電できる。高速道路には充電施設がかなり普及しているとのことだ。ハイブリッド車の後は、電気自動車、その後は水素自動車という流れだそうだ。
2011/10/19
コメント(0)
横浜の日産教育センターで、(株)日産クリエイティブサービスの経営管理職研修の講師をつとめた。この研修も今年で3年目を迎える。日産教育センターは、日産自動車グループの教育訓練所で、研修棟がいくつもある。日産ラーニングセンター、日産テクニカルカレッジ、日産ビジネスカレッジ、日産横浜自動車大学校、、、。自動車業界は、3・11の大震災、急激な超円高、そして今回のタイでの洪水というダメージが連続している。日産は大震災では、いわきのエンジン工場に大きな打撃を受けてるし、タイではマーチを生産している工場がやられている。今年は、厳しい年になっている。この会社は600億規模の売り上げの会社で、2004年に14の会社が合併してできた。24の職種があり、なかなか全貌をつかむのが難しい会社だ。受講者は18名で、課長クラスから、主管、副支店長クラスの幹部が受講生だ。年齢は40代から50代。栃木、沖縄、名古屋、厚木、座間、追浜、そして事業企画、生産技術、エンジニアリング、調達、資源リサイクル、販売サービス、保険サービス、旅行、、など様々の仕事がある。グローバル展開が課題の企業であり、期待値の高い核人材の能力開発が重要な局面になっている。朝9時から18時までの研修を終えて、研修生との懇親会。日本経済の現場の風を感じる良い機会だ。
2011/10/18
コメント(0)

昨年発売した「知的生産手帳」。好評につき今年も引き続き発売となります。紙の手配の関係で発売日が11月後半にずれこみます。今回の改訂版では、1月、4月、そしていつからでも開始できるように、日付は記入式にしてみました。Do it yourself版。まだ今年版の表紙ができていないので、昨年の表紙を以下に示します。今年はやや小型になります。私の活用例。--------------------------------------------------知的生産手帳 DIY版久恒啓一+NPO法人知的生産の技術研究会●メインコピーいつからでも始められる「日付記入式」手帳!●ボディコピー暦どおりに1月スタート、年度に合わせて4月スタート…etc.あなたの都合・用途に合わせて1年を自由自在にデザインできます!●サブコピーあなたの人生を「視覚化」する人生計画手帳!知的生産の技術研究会の40年に及ぶ研究を凝縮。「一生→年→月→週→日→一瞬」と人生計画がシステム化され、手帳に書き込むだけで簡単にキャリアデザイン戦略が立てられます。「図解思考」の手帳なので、知的生産にもうってつけ!特別附録▼ダウンロードして使える「鳥の目スケジュール表」付き。-----------------【裏面】(表4)CONTENTS1……豊かさとは何か――豊かさとは自由の拡大である2……人生のとらえ方――125歳までの生涯!3……人生鳥瞰図――キャリアを中心としたライフデザイン 人生を図解する(人生鳥瞰図) ▼step1 価値観の発掘 ▼step2 あなたにとっての適職とは?――自分像 ▼step3 掘り起こした人生テーマからライフデザインを構築せよ!4……ライフプラン――人生鳥瞰図をもとに、一生の計画に着手する5……年間計画表をつくる――年間計画表を作成し「ライフコンシャス・ライフ」を6……個人を大切に――「時間主権」と2つの「5時~9時」7……生活のとらえ方――「公・私・個」のトライアングル8……手帳――タイムマネジメント&セルフマネジメント●今年の計画●活動領域別やりたいことリスト●優先順位タスクリスト●月間プロジェクト(Monthly Project)●月間スケジュール(Monthly Schedule)●デイリースケジュール(Daily Schedule)●一生の計画●キャリア年表●キャリアレコード・メモ●キャリア未来ビジョン●今年の計画と総括●人脈図●人生鳥瞰図9……「キャリア年表」をつくる――自分自身を問い直すために「キャリア年表」を作成しよう10……「キャリアレコード」をつくる――そこにはどんな自分がいる?「キャリアレコード」で検証せよ11……「キャリアメモ」をつくる――「キャリアメモ」は、現在の自分が眺める過去の自分著者写真撮影……タツ・オザワ デザイン……山田英春------------------------------
2011/10/17
コメント(2)
今日は完全休養日ということにして、一日中家の中でごろごろすることにした。 NHK俳句王国日曜の朝は、NHK教育ではテレビ体操の前の時間が「短歌」で、後の時間が「俳句」になっている。本日の俳句の時間では、選者は高野ムツオ、季題は「夜長」で、いくつかの秀句が紹介されている。 慣れたとは 言えど独りの 夜長かな 毎回ゲストが招かれていて、俳句人口の多さと奥の深さに驚くことが多い。今回は、小説家の森村誠一(1933年生まれ)さんだった。森村さんは「写真俳句」を提唱していて、写真と俳句を結合させた試みを展開している。「森村誠一の写真俳句館」http://shashin-haiku.net/には、2006年3月の第一週の「梅が香を煮つめる藍や星を溶く」から、2010年10月の第350週の「家老詠む句風城下の秋の風」と松山特集「行く秋を置き去りにして夢列車」までの全作品が掲示されている。森村さんの写真も素晴らしいが、そこに俳句が置かれるとまた味わいが深くなる。確かに写真と俳句は相性がいい。ブログは「写真俳句歳時記」で「人生の証明日記」http://blog.livedoor.jp/morimuraseiichi/という森村さんらしいタイトルだ。サイトはなかなか凝っている。行き着きて なおも途上や 鰯雲という自句を森村さんは紹介して、創作者はもうこのへんでいいかなと自分に妥協したら終わりであり、こういう心境で仕事をしている。芭蕉の「旅に病んで 夢は枯野をかけ巡る」と同じ心境だ。芭蕉は俳句と文章の両方を持っていたから今日まで残っている。自分は芭蕉を超えるつもりで仕事をしている、と語っていて感銘を受けた。森村さんの著書リストをみると、1965年から2011年9月までの46年間に、実に375冊の本を上梓している。------------NHKで、森村さんと同い年の永六輔(1933年生まれ)さんの闘病の記録が放映されていた。永さんは前立腺がん、パーキンソン病で、一時ろれつが回らなくなった。人は得意なところがやられる、ということを想い出した。ビジネスマン時代に何度かお会いしているし、私の母が作曲家の中村八大と幼馴染だったことも話題になり、親しみを感じている。永さんは奥様を亡くしていて、それを詠んだ俳句がいい。看取られるはずが 看取りて 寒椿-----------------午後は、同じくNHKでゴルフの日本オープンの最終日が放映されていた。久保谷健一、佐藤信人、ベ・サンムンの三者の一打ごとにチャンスとピンチが入れ替わる一進一退のドラマは素晴らしかった。-----------夕刻は、愛犬チョコラとの散歩。夜は、家族で外食。
2011/10/16
コメント(0)
午前中。 就職に関する学内勉強会で、講師は浜田先生。浜田先生のゼミはすでに就職率100%という驚異的な数字をあげている。そのノウハウを聴く会。タイトルは、「間違いだらけの世間の就活」で、「何がやりたい?」「適性?」「業界研究?」「就活マニュアル?」というように常識を否定した話から始まった。目標の提示、SPI対策。ゼミ合宿での先輩の体験談、自分分析の先輩による添削、履歴書のチェック、ガイダンスとセミナーの日程の手帳への記入、スーツ日、状況ブリーフィング、行動計画の作成と発表、定期的なメール報告、ブログでの称賛、、、。時間軸に沿ってこういうプログラムがゼミに中に組み込まれていて感心した。このプログラムを原案としたプログラムを教員全員で共有することが必要だ。多摩大キャリアナビ、ハローワークインターネットサービス、ドリームマッチプロジェクト、リクナビダイレクトなども、キャリア支援の早川さんからの活用依頼があった。教員の6割以上が参加していたし、その後の話し合いとミニ発表もよかった。良い事例を共通のプラットフォームに載せていくことが重要だ。まだまだやるべきことはある。 教授会。私の方からは、「すべての道はキャリア(職業)に通ず」という就職関係の全体戦略の話題を提供しておいた。「全体の構造と部分同士の関係」が、図解コミュニケーションの要諦だが、就職についても同様に、全体の戦略と部分の戦術と個々の戦闘を有機的に組み合わせて成果をあげていきたい。午後。 まず、1年生に対する合同ゼミ説明会。私のゼミは、2年生の佐藤龍君と3先生の大槻優奈君に説明してもらい、私が補足した。前日の学生主宰のゼミ説明会では、女性を中心に10名ほどの来訪者があったというから、今年は女性が増えるかもしれない。 学長室の高野課長の車で話しながら九段へ。文庫カフェで前で関西からの帰りの寺島さんに遭遇。文庫犬エリゼと一緒だった。学長と文庫でいくつかの案件の打ち合わせ。 インターゼミ。学長から30分ほどのミニ講義。文庫カフェを助けてもらった広島のパン屋・アンデルセン。創業者・高木俊介が1948年に創業、1959年に海外のパン事情視察でデンマーク、デニッシュペストリー、アンデルセン、、、。ダルガス「ユトランドの荒野をバラの花咲く国に」。デンマークはITの国。デンマークラジオはメディアとネットの融合の成功例。明治3年ウラジオ長崎海底テーブルを引いたのはデンマークの会社・大北電信。日本側は初代逓信大臣寺島宗則(松木弘安)。少し調べてみたが、デンマークとの関係も半端ではない。[アンデルセンとデンマークの関わり]※「アンデルセングループのあゆみ」より1959年9月 創業者高木俊介(当時社長)初の欧米視察、デニッシュペストリーとの劇的な出会い。1981年4月 デンマーク王国マルグレーテ2世女王陛下並びにヘンリック殿下、広島アンデルセンご来訪。1984年4月 創業者高木俊介(当時会長)がデンマーク王国よりダンネブローク騎士勲章を拝受。1986年3月 創業者高木俊介(当時会長)、デンマーク王国より中国地方4県における名誉領事に任命される。1987年11月 デンマーク王国皇太子フリデリック殿下、広島アンデルセンご来訪。1992年6月 高木誠一副社長(当時)、デンマーク王国より新名誉領事に任命される。1995年10月 デンマーク王国ベネディクト王女、青山アンデルセンをご訪問。2001年5月 高木誠一社長がデンマーク王国よりダンネブローク騎士勲章を拝受。2006年 デンマークの首都コペンハーゲンに「アンデルセン」1号店オープン予定。神戸。日本ユニシスのユーザー企業役員セミナー。汎用コンピュータへの疑問。ネットワーク技術革命。小型分散。つながる。「2001年宇宙の旅」。HALとIBM。スティーブ・ジョブスが大衆のものにした。グーグルジャパン社長だった村上憲一郎の話。過去から蓄積した知識と、現在の日々の体験、そして自分との関わりを組み合わせながら、その都度、知見を深めていく姿勢が寺島実郎の学びの特色だ。
2011/10/15
コメント(0)
午前:マネジメントデザイン2の4回目の授業。 昼休み:教職員による多摩学研究会 午後:岡君来訪。夜:大学院の「コミュニケーション経営論」の授業の2回目。登録者は18名と多い。内科目履修生2名。全員が社会人。この授業では、情報共有、連絡、出欠確認、レポート提出などにFacebookを活用している。前期の「実践・出版プロジェクトマネジメント」の授業もそうだったが、受講者同士、そして私とのコミュニケーションが実にスムーズにいくようになっている。常に受講生と接触しているという感覚だ。特に大学院では非常に有効だと思う。授業改善や広報に使える。翌日の朝の現在までに、Facebookに書き込まれた授業の感想は、以下の3件。出席者全員の感想が次々に書き込まれるのが楽しみだ。-------科目履修生。 本日もエキサイティングな時間をありがとうございました。色々なお仕事、色々な人生が垣間見えて、『本当に2コマ?』と感じました。今日の図を描きながら、『旅の恥はかき捨てというけれど、恥の旅こそ我が人生だなぁ…orz』と思いました。…と、下心満載な学生生活は写経の日々になっています(笑)--------------男性受講者。 久恒先生の講義は春から引き続きとなります。出版プロジェクトでは内容はともかくとして1つの成果が生まれそうですので、今回の図解でも何らか形に残るモノを生み出せるように真剣に取り組もうと思っています。今日描いた図は我ながら寂しい出来でしたが、再来週にむけ改良できればと思います。-----------------女性受講者。 刺激的でした。私は、仕事のスタイルとして、目の前の仕事を一生懸命にやることで次に繋がると思って取り組んでおります。それは私の強みとして良いと思いますが、なんとなくビジョンを描くのが苦手かなと思っておりました。今日はっきりしました。図に描いてみると今の仕事しか書いていません。他の方の発表を聞いてみると、それぞれの方の頭の中=常に考えていることが見えたように思いました。その後、柳生さんとお話したら、考えるのではなく感じるのだと教えていただきました。図をグループのメンバーに見ていただくのがとても恥ずかしく思いましたが、本当に良い気づきを得ました。ありがとうございます。-----------------
2011/10/14
コメント(0)
NHK「あさイチ」で金沢特集。加賀友禅の模様が描かれた天女の羽衣が紹介されていた。この加賀友禅作家は久恒俊治さんだ。前回会った時に世界一軽いストールを見せてもらった。同姓ということで親しくなって、金沢に出張の際は食事をするようになった。11月に金沢でもう一人の久恒姓の女性も交えて食事会を催すことになっている。近藤秘書と打ち合わせ。スケジュールの確認。講演資料の点検、学生とのアポについて、書類のファイル、、。SANSNAPを購入することにした。9時半から学長室ミーティング。大学全体の今後の動きの確認、就職や入試の状況把握、そして教育現場で起こっていることを肌で感じるアンテナのような時間となっている。諸橋学部長にいくつか報告。11時から大学ホームページの打ち合わせ。学部トップページ、プロジェクトゼミ、、、、。12時から多摩大総研打ち合わせ。松本先生と中庭先生。いくつかの案件の方向性を確認。15時から次期学内情報システムの説明会に参加。16時20分からゼミ。社説を用いた図解ゼミの後、3つのプロジェクトごとに議論。参加した4年生と就職関係の話題。ゼミ生の内定率は58%。終了後、今泉教務委員長と情報交換。------------------------多摩大学について語るブログを集めたブログランキング「多摩大ブログランキング」を発見したが、、、。http://blogram.jp/categories/ranking/?category=C.org.%E5%A4%A7%E5%AD%A6.%E5%A4%9A%E6
2011/10/13
コメント(0)
調布市深大寺にある総務省消防庁消防大学校で講義。国及び都道府県の消防事務に従事する職員、市町村の消防職員、消防団員の幹部が対象。最少年齢37歳、最高年齢53歳、平均年齢48歳。札幌から熊本までの52名。千歳市消防本部、佐倉市八街市酒々井町消防組合消防本部、東京消防庁、、、、。階級は消防指令が中心で、消防司令長、消防司令補。役職は、装備係長、主幹、救助係長、課長補佐、通信指令係長、警防救助係長、副所長、所長代理、、、。消防行政の第一線で奮闘しているリーダーの方々なので、こちらも講義や実習に力が入る。「職場で部下、上司とやってみたい」「4コマにもかからわず時間の経つのがあっという間で楽しく受講できた」「部下に実施したい」「図が個性を表すことに驚きました」「自分のチーム内において実施したい」「新しい手法に驚いています」「組織的な向上に活用したい」「実戦する」「新鮮だった」「長い間頭の思考がかたまっていて柔軟な考え方ができなくなっていたことに気づいた、少しは柔らかくしてもらった」「部下指導に生かしていきたい」「本当に貴重な時間」「部下にやらせる。頭が疲れた」「所属でも行ってみたい」「所属に帰り是非部会に実施させたい」「楽しく考えることができました」「自分に考える力がないかを痛感」「目からうろこが落ちた思い」「部下に対し教養の時間にやらせたい」「救急救命士として救急科の学生が描いた図を閲覧したい」「企業の事業構想の話をしてもらいたい」「少し鳥の目になれたような気がする」「職場で職員と共にやってみたい」「自分の弱点を発見」「自分の立場、役割、仕事を再確認、再認識」「部下指導や自分自身の教養にしたい。大変勉強になった」「周りから自分を見ていた。今後は自分を中心にまわりを見渡したい」「固い考え方から脱皮したい」「頭が少し柔らかくなった」「頭が整理された」「自署でも実施する」「驚きました」「通知文や法令の解釈等に活用」「俯瞰、鳥の目」「即、役立ちそう」夜は、高校の同級生たちと新宿で集まった。「玄海」という1928年(昭和3年)創業の水たき専門店。戦前には頭山満や広田弘毅が愛用し、陸軍が起こした2・26事件ではここで謀議が行われたとのこと。店の入り口の「玄海」は頭山の書である。また、私たちが楽しんだ部屋にも頭山の書が掛かっていた。玄洋社という政治結社があった。「皇室を敬載すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」との三原則を基幹とした政治結社で明治12年にこの名前になった。大隈外相を襲い条約改正を葬った来島恒喜も玄洋社社員だった。玄洋社は、自由民権運動、憲法の新設、国会の開設、祖国の国力伸張に奔走する。また屈辱的外交条約の破棄、アジア主義に基づくアジア民族の自決独立の援助を行う。孫文を助けるなど中国革命における玄洋社の存在は大きく第二次世界大戦終了直後まで日中平和工作を継続していた。玄洋社の創始者の一人が頭山満である。遠山は1855年生まれで1944年に亡くなっている。「ふるさと博多」シリーズという小冊子には「無位、無冠。在野の頭領。不思議な大きなひと」との評が出ている。萩の乱に連座し投獄、出獄後は板垣退助と交わる。向陽社・玄洋社を組織。福稜新報を創刊し社長。大隈外相爆弾事件にかかわる。満州義軍結成を支援。浪人会を結成し大正デモクラシーの風潮と対決。純正普選運動を展開。孫文、ボースら亡命政客を保護。戦前右翼界の長老として晩年は神格化される。非常に雰囲気の良い店で、酒を酌み交わしながら、それぞれの近況、友人たちの情報などを肴に、愉しい時間を過ごした。
2011/10/12
コメント(0)
先週木曜日のリレー講座・沈才彬教授の講義メモから。 オバマ大統領は演説の中で4回も中国に言及。危機感と焦燥感の現れ。 新車販売1800万台。アメリカは120万台。 太陽光発電企業サンデリバリー。2001年発足現在世界シェアNO1。本社ビルは2542枚に太陽光パネルでできておりエネルギーゼロ。多国籍人が社員。中国GDPは昨年10.4%。今後減速はあっても6%以下にはならない。 中国の特徴は、高成長・高物価・高消費。 共産党独裁のため民主主義のコストを払わなくてよいから意思決定が速い。 外部危機に強く、内部危機に弱い。内部危機とは政権交代による幹部の大異動があり経済が悪くなる。劉少奇失脚、四人組逮捕、華国鋒失脚、胡耀邦失脚、趙紫陽失脚。 中国の短期リスク。6%になっているインフレ。住宅バブル。企業業績の悪化。 中国の長期リスク。1.政権交代による権力闘争。2012年秋から2013年春に要注意。2.格差と腐敗。3.チャイナバッシング。4.民主化リスク。 中国は転換点にある。2015年から生産年齢人口減少。2015年から都市化鈍化。 1.改革開放の限界で「分配重視へ」。2.輸出依存の限界から「内需成長型へ」。2011年から2015年の所得倍増計画(1万ドルへ)。9月1日より所得減税(2000元だった課税基準を3500元に。6500万人のサラリーマンに効果)。個人消費の拡大により市場拡大でビジネスチャンス! 2020年まで7%成長が可能。工業化は全国8割完成。2割が未完。 重慶モデルに注目。3500万人の人口・農民が過半数。分配重視と内需重視。 5つの重慶。住みやすい重慶(公営住宅)。渋滞なき重慶(空港・鉄道・道路)。植林重慶。安全重慶(暴力団追放)。健康重慶(社会保障)。 戸籍制度の改革:農民工に戸籍を付与。2年で300万人、10年で1000万人。 住宅制度の充実。2013年までに200万人の低所得者の入居計画。5年たったら原価で購入。 日本は「親米睦中」のバランスのとれた外交戦略を推進すべきだ。
2011/10/11
コメント(0)
朝5時の始発電車に乗って、東京発6時28分の新幹線に乗る。車内で、野田一夫先生と合流。1時間ほど、多摩大の最近の事情などを報告しながら歓談の時間を過ごす。今日は、仙台での第20回「野田一夫ファンクラブ」が開催される。199年頃に結成された宮城大の野田一夫学長のファンクラブは、2001年の退任後も毎年続いている。本人の弁によれば、「一夫」と名のついたファンクラブは3つあり、長谷川一夫、舟木一夫のファンクラブはすでになく。野田一夫ファンクラブだけが健在という。市内の江陽グランドホテルで開催されたファンクラブは、宮城大で同僚だった作家の瀬名秀明さんが今回のゲストで野田先生との対談を予定したいたのだが、急きょ私がコーディネーターということになってしまった。総合司会は、代表世話人の富田さんと事務局長の横野さん。予想通り、野田先生の独演会となったが、会場のメンバーが喜んでいるので、止め役の私もなりゆきに任せることとした。パラサイトイブで衝撃的なデビューをした瀬名秀明さんは、宮城大、そして東北大の特任教授などを経て、現在は小説家として仙台に暮らしている。最近、200人以上の会員を擁する日本SF作家協会の会長になった。この会は、小松左京、星新一、手塚治虫などが設立した協会だそうだ。この会でも大震災への貢献が話題になっているとのこと。小松左京の「日本沈没」とその続編の話題から、野田節が冴えわたった。f:id:k-hisatune:20111010175217j:image挨拶は菓匠三全の田中社長、乾杯は東北電力副長だった青木さん、途中の挨拶は東北大学経済学研究科長の大滝先生、都市構造研究センター代表の南部繁さん、ITの権威・宮崎先生などから東日本大震災からの復興の動きが紹介された。一次産業の復興、それを担う人材の養成、復興基金ファンド、新産業の育成、雇用の創出、、。復興計画に地元のシンクタンクなどが関与できない仕組みになっていること、など問題も指摘された。f:id:k-hisatune:20111010191814j:image連休のさなかだったが、70名を超える人が集まり盛況だった。JAの浅沼さんと消防士になった息子さん、河北新報にいた穴沢さん、常盤木学園でなでしこジャパンの3人を育てた阿部さん、宮城大で同僚だった生嶋さん、雑誌「仙台経済界」代表の伊藤さん、フォトオオガミの大上さん、大崎市役所総務部長だった柏倉さん、泉パークタウンゴルフクラブ支配人だった川又さん、みんなの党宮城支部長の菊池さん、NPOキャリア開発機構の仲間喜多さん、みちのく伊達正宗歴史館長の佐藤さん、五葉商事の鈴木さん、仙台市議会議員の佐藤わか子さん、キャリアネットワークの佐々木さん、ジョブステーションの野口さん(宮城大後援会長)、大衡村職員の高嶋さん、常盤木学園理事長の松良さん、アルゴソリューションの宮崎さん、県会議員の遊佐みゆきさん、などと直接話ができて、久しぶりの旧交を温めた。仙台の飲食、建設業などは復興特需の景気、宮城大の現状、大崎師の様子、みんなの党の動き、なでしこジャパン、松島の様子、、、。f:id:k-hisatune:20111010191157j:image途中何度か、野田先生の演説があり、みなさん聞き惚れていた。最後の締めの挨拶を頼まれた。 私はこの会の創設以来の黒幕として活動をしてきた。これを機会に名誉黒幕と名乗ろうか。 「人物記念館の旅」から得た「偉い人」とは、人に与える影響力の総量が多い人である。深く、広く、そして長く影響を与える人が偉い人だ。そういう意味からすると、野田先生は、ドラッカーの翻訳書以来50年以上にわたり影響を与え続けてきており、現役では最も偉い人ではないか。近代では慶応義塾を創設して今日まで影響を与えている福沢諭吉がナンバーワンだ。 9月に多摩大東北「道の駅」現地調査に従事。道の駅は今回の大震災で大活躍をした。宮城県の8つの道の駅の駅長さんたちも現代の偉い人だという印象を持った。 幸せとは自由の拡大である。経済的、時間的、肉体的、そして精神的自由。このすべてを手にしている野田先生はもっとも幸せな人でもある。 人生のモデル・野田先生を見習おう! 日野原先生は100歳。野田先生はそれ以上になるだろう。16年後を想像せよ。会員はみな年をとって誰もいなくなり、本人だけが残る可能性も。このファンクラブは今後もずっと続けていきましょう。終了後、ホテルの最上階でファンクラブの幹事級の人たちで野田先生を囲んで二次会。大滝先生、川又さん、富田さん、横野さん、佐藤わか子さん、粟野さん、、。その後、メトロポリンホテルのバーで裏方を担当した横野さんと息子の壮俊さん、岩澤さん、粟野さん、喜多さんらと三次会。
2011/10/10
コメント(0)
先日小中陽太郎先生の出版記念の会に呼ばれた。江戸川橋の小さなスナックを借り切って行われた会には、芸能界、市民活動家、政治家、メディアなど様々な団体や業界の人が入り乱れて坩堝(るつぼ)の如く、怪しいが親しみの湧く、ゆるいが愉しい雰囲気であった。小中陽太郎という名前を初めて聞いたのは、大学生の頃だったと思う。ベトナム戦争が時代に大きな影を落としていた時期に、小田実と一緒に戦争反対の運動を巻き起こしたベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)を率いていた颯爽たるリーダーだった。NHKのディレクターだった若き小中は、番組制作の過程で組織との軋轢を産み、組織から離れて市民運動の中に飛び込んでいく。さて、小中先生は一口で何と説明したらいいいのだろうか。「作家、評論家、日本ペンクラブ理事」という肩書が今回紹介する本に載っているが、何か物足りない。この独特の存在感をどう表現すべきだろうか。探検部員であった私は大学を卒業して、日航に入社するが、探検の推進者であった梅棹忠夫先生の名著「知的生産の技術」(岩波新書)に触発されて創設された3ビジネスマン勉強会「知的生産の技術」研究会(知研)に30歳で入り熱心に活動を始めた。この会で、小田実とも知り合い大阪の勉強会で司会をしたり、その前後にコーヒーを飲みながら、持論となりつつあった「図解」の話をしたこともある。その知研で著名人の書斎を訪ねる企画をつくり、小中陽太郎先生の自宅の書斎を訪ね、それが本にもなっている。小中先生はその後、私たちの会に何度も講師として来ていただいた。小中先生と会うと、いつも春風に吹かれているような感じを受ける。年齢の若い私たちにも暖かい関心を寄せて丁寧に接していただけるし、幅広い教養と人をそらさない会話と態度などまさに人間関係の達人である。自由で明るくそして闊達な空気の中で、立場や年齢を超えて、小中先生を台風の目にして友人関係が広がっていく。その小中先生が珍しいテーマで本を書いた。「いい話グセで人生は一変する」(青萌社)がそれである。全編を一気に読んで、小中先生のまわりに多くの人が集まることに大いに納得した。偶然に出会った人と縁を結び、その糸を大事につなぎ、大きな絵姿に織り込んでいく、その秘訣が語られている本だ。まさに人間関係の名手による名著である。キリスト教の聖書理解を土台とした深い知識、国連の事務総長はセクレタリージェネラルは全体の秘書役であるという解説などの豊富な知識、東西の古の偉人のエピソード、そして同時代の井上ひさし、田原総一郎、久米宏など親しい著名人との交友を通じた観察など、そのディテールが主張に納得感を添えている。人間関係をスムーズなものにするのは座持ちの技術である、というのがこの本の全体を通底する思想である。好意を持って相手を立てる、適度なあいの手を入れる、言い足りない点を補足させるような質問をする、観察力をもとにしたユーモアの推奨、コーディネーター論、サッカーのミッドフィルダーにような司令塔、というように会話にあたっての膝を打つようなアドバイスに溢れているので、大変に参考になる。特に若い人には役に立つだろう。この本のもっとも大切なところは、会話術のディテールもさることながら、常に全体の場を見ながら自分の役割を考えよ、というところだろう。言語と言語以外のコミュニケーション手段を用いて、場全体に奉仕せよ、主役の座を降りプレイヤーをアシストする、場を支配するのではなく団結が深まるように振る舞え。そういったことを身に付けるると大きな報酬をもらえる。それは、友情と尊敬と愛である。これは単なる座持ちの思想ではない。民主主義という思想はこういった考えのもとに運用されなければ、なかなか果実を得ることはできないのではないか。これはある種のリーダーシップについての本ではないか。こういった民主主義の作法は小中陽太郎が永年関わってきた市民運動を通じて得た運動論についての叡智だろう。一つのことがらについて賛否さまざまの主張があるが、普遍の真実という論争は不毛のように思う。それを主張する人の性格が内容に大いに影響をしているのではないだろう。小中先生自身も自分には「たいこもち」の性格が少しあると言っているように、この本の考えは、そういった性格の人にふさわしい主張があるように思うが、違う性格であっても大いに参考になる。現在の日本は、合意の形成に手間取っているようにみえる。あらゆる組織や団体、運動でも内外の関係者との合意形成が難事である。社会的合意形成の理論と技術が未熟なために、社会のあちらこちらで混乱が起こっている。私自身は、定性情報と図解思考と顧客視点という武器で、社会的合意形成というテーマに挑んできたので、小中先生の「話グセ」という視点は小さいようで、実は社会変革の実践に於いて重要なポイントであることがわかる。全体と部分、鳥の目と虫の目、説得ではなく納得、みんなを巻き込んでいく、関係を大事にする、、、こういったことを、私の「図解コミュニケーション」では大事にしているのだが、小中先生のこの本の考えには大いに共感を覚える。
2011/10/09
コメント(0)
学部長が主宰して学部を構成する各委員会の長たちが集まる学部運営委員会は、毎月教授会の前の週の土曜日の朝に行われる。学部運営の重要事項はこの場で合意形成が行われ、正式には教授会で決定する。今回もいろいろと話題があったが、私からは「すべての道はキャリア(職業)に通ず」という図を一枚提出し、就職に関する全体像を示し説明と意見収集を行った。神保町で電車を降りて、九段サテライトへの道の途中に並ぶ古本屋を冷やかしながら歩く。最初の本屋で「鈴木大拙座談集」が目に留まった。第一巻「人間の智恵」を500円で購入。友人の西田幾多郎の話題、福田恒存との日本語を巡る対話である松が丘清談などを読んでみたが、座談であるので易しい面もあるが、かえってよく分からない面もある。松永安左エ門、武者小路実篤、長与善郎、長谷川如是閑、折口信夫、和歌森太郎、などの相手の名前もある。読むのが楽しみだ。14時半からは九段の文庫カフェで月刊「宝島」の取材を受ける。取材者の山辺さんは私の「遅咲偉人伝」(PHP)と「30代からの人生リセット術」(創元社))を読んでいた。テーマは40歳からの人生をよりよく生きる心構えだった。偉い人・影響力・後世への最大遺物・本物の7つの条件・公人と私人と個人・遅咲きの時代・人生区分・偉人のエピソード、、、。こういうテーマは「人物記念館の旅」の延長なので喜んで取材を受けた。今月の25日発売。f:id:k-hisatune:20111008164341j:image16時20分からは、インターゼミ(社会工学研究会)。私からの若干のオリエンテーション。来週以降発表される「復興構想コンテスト」の概要を説明する。その後、各グループに分かれてグループワーク。ディズニー班、多摩学班、アジア班、震災班の4つのグループで、教員も交え議論が続く。宮崎君から進路報告。帰りの電車では院生の清滝さんと一緒になった。今日は、学長からまず昼に北海道から電話があった。千歳から苫小牧に移動中だった。インターゼミの進め方、昨日小中先生のーパーティで出会った共通の知り合いの話題。インターゼミを終えた直後には、羽田から電話があり、ゼミの進捗状況を報告。今から九段に向かうとのこと。到着後、少し時間をもらって秋から始める大事な会議の件のペーパーを渡す。北海道で関与している日本最大のメガソーラ、CO2の地中埋蔵、、、などの大型プロジェクトが進んでいるそうだ。学長は着替えてすぐに羽田から海外へ。
2011/10/08
コメント(0)
朝、4時に起きてブログを書き、授業の準備をする。 マネジメントデザイン2の3回目の授業。本日のテーマは「仰ぎ見る師匠」で、取りああげた人物は、横山大観と平櫛田中とその師匠である岡倉天心、渡辺崋山とその師匠である佐藤一斎、昭和天皇とその師匠である明治天皇を中心に講義をする。 昼休みは、学内の見回り。斉藤T先生と事務局の阿部さん。 4年生の岡君来訪。進路、日本一周、ソーシャルメディア、留学生活用、、。 母校の九州大学法学部同窓会報が届く。2010年度卒業生の進学と就職状況のデータが掲載されている。卒業生181人中、法科大学院を中心とする進学が計47人で26%が大学院進学。就職先では、多い順に、福岡市役所12人、福岡県庁9人、トヨタ自動車4人、九州電力4人、鹿児島市役所、東芝、福岡銀行、三井住友銀行、大分地方裁判所が2人。人事院、総務省、法務省、内閣府、文部科学省などの中央官庁や日銀、各県の県庁、そして銀行、保険、鉄鋼、などの大手企業が一人づつ。私の時代は、大学院に行く人は一握りだったし、東京に出る人が圧倒的に多かったのだが、九州にとどまる人が多くなっている。ここも内向きの傾向が出ている感じがある。学生時代から九大一筋という酒匂法学研究院長のインタビュー。教員組織の再編で、ポイント制が導入されている。教授1、准教授0.79、講師0.69で学部の総ポイントを算定しその範囲でポストを運用する。そして毎年学部ごとに1%を減らして大学全体でプール。学部が改革計画を出してポイントを要求する仕組み。ミニ教養部である基幹教育院構想もある。研究院長は、教員組織再編は「文系の学部には適合しにくい制度と思えます」「ミニ教養部ではたしてうまくいくにかという懸念もあります」などと懐疑的な発言をしており、学内の合意形成がうまくいっていない様子がわかる。 来週以降ラッシュになる講演の準備で配布資料などを検討する。今日は徳島県からの依頼があった。 明日の取材の資料をそろえる。 夕刻は江戸橋で小中陽太郎先生の出版記念パーティ。日本ペンクラブ、酒のペンクラブ、市民運動家、芸能界、知研、など様々の団体の方が入り乱れる小中先生らしい不思議な雰囲気のパーティだ。小中先生は小田実らと始めたベ平連運動などで有名な方だが、知研も創設以来ずっとご指導いただいている。知的で、教養が深く、話が面白く、また何より人柄が素晴らしい尊敬すべき先達だ。学界関係者にも紹介していただいた。柴又の寅さんの風体をしたボランティアとの愉快な会話、出版社の人、浅香光代の6番目の夫という懐かしいセシ凡太、地元の政治家、BSで見かけるコメンテーターなど様々の人種が集う。「霊柩車の歌」を歌う老人も良かった。基本的には市民運動家の集まりだ。知研からは、八木会長、近藤さん、秋田さん、そして私が参加。小中先生に「遅咲偉人伝」と「人生を拓く言葉130」を贈呈して、八木さんと家路に着く。「いい話グセで人生は一変する」(青萌社)を帰り際にいただく。帰りの電車の中で半分ほど読む。人間観察の鋭さに感心。
2011/10/07
コメント(0)
政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党の小沢一郎元代表の公判が始まった。6日の公判で読み上げた意見書の内容の要旨が各新聞に載っている。以下、読売新聞の要旨と朝日新聞夕刊の要旨を読み比べながら、読売に朝日を追加してみたが、新聞によって内容がずいぶんと違う。ウオルフレン氏の「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、人物破壊は政治的に類を見ない」との発言を引用し、「人物破壊とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だ。」というくだりは鬼気迫る。実際の意見書の全文を読まなければならない。------------------YOMIURI ONLINE小沢一郎民主党元代表が6日、陸山会事件の初公判で述べた意見陳述の要旨は次の通り。 ただいまの指定弁護士の起訴状に関して見解を述べる。指定弁護士の主張は、検察の不当、違法な捜査による供述調書を根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくものだ。直ちに裁判を打ち切るべきだ。私が罪に問われるいわれはない。収支報告書に間違った記載はなく、虚偽記載にあたる事実はない。まして共謀した事実は断じてない。捜査段階の検察の対応は、憲政史上の一大汚点として残る。(朝日「検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主政治を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残る。」) そもそも政治資金規正法は収支報告書に間違いや不適切な記載があった場合、政治団体の会計責任者が総務省や選挙管理委員会に自主申告して修正するのが大原則だ。検察が不適切な記載を捜査すれば、自由な政治活動を阻害する恐れがある。今日まで何百、何千の不適切な記載があっても、修正処理がされてきた。陸山会が立件された後も、本日、ただいまもその処理で済まされている。(「朝日「贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害し、ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。」) 私は一昨年の3月以来、実質的な犯罪を犯した証拠がないのに、東京地検特捜部の強制捜査を受けた。なぜ私が法の原則、精神を無視し、強制捜査を受けなければならないのか。少なくとも実質的な犯罪でないと分かった時点で、捜査は終結すべきだった。延々と捜査を続けたのは常軌を逸している。検察が個人を標的としたとしか考えようがない。政治的な抹殺が目的であることが推認できるが、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為だ。(朝日「検察という国家権力が政治家小沢一郎個人を標的にしたとしか考えようがない、私を政治的、社会的に抹殺するのが目的だったと推認できる。」「日本外国特派員協会元会長のオランダ人ジャーナリスト、カッレル・ヴォン・ウオルフレン氏は近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で、「小沢一郎に対する協力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、人物破壊は政治的に類を見ない」と言っている。人物破壊とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だ。」) 本件が特に許せないのは、国民の負託を受けていない検察が議会制民主主義を踏みにじり、国民主権を冒涜(ぼうとく)したことだ。検察が捜査、逮捕権を乱用し、当時、野党第1党の代表だった私を狙って、強制捜査をした。2年前の総選挙は半世紀ぶりの政権交代が予想され、特別なものだった。恣意(しい)的な権力行使が許されるなら、民主主義国家とは言えない。 政治家が自由意思で良心、見識に基づき、国民に奉仕する政治でなければ、もはや民主主義ではない。戦前、国家権力の乱用で政党政治を破壊し、悲惨な敗戦に至った。権力の乱用を許せば、同様の過ちが繰り返される。(朝日「日本は戦前、行政官僚、軍部官僚、検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊した。結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇だった。」) 東日本大震災の復興はいまだ進まず、福島第一原発の事故の収束のめどが立たない。これ以上、政治が混迷を深めれば、国民の不安が増大し、偏狭なナショナリズムや、テロリズムによって日本の将来が暗たんたるものになる。まず、政党政治と議会制民主主義を確立させることだ。まだ間に合う。裁判長、裁判官には見識ある判断をお願いしたい。(朝日「欧米の金融・財政危機による世界恐慌のおそれが目前に迫っている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発する。」)
2011/10/06
コメント(0)
JR東日本で引き受けている社員研修が、本日から今年度分が始まった。この研修ももう4年目になる。今回も200名近い受講者だった。以下、所属。運輸車両部東京総合指令室、財務部経理課、松戸車掌区、池袋運輸区、下十条運輸区、東京駅、蒲田駅、東京車掌区、中野運輸区、新宿運輸区、大崎運輸区、東京省力化軌道工事区、新宿建築技術センター、東京総合車両センター、茅ケ崎駅、藤沢駅、小田原駅、熱海運輸区、大船運輸区、国府津運輸区、鎌倉車両センター、横浜信号通信技術センター、三鷹駅、総務部安全企画室、立川車両区、豊田運輸区、八王子運輸区、甲府運輸区、三鷹車両センター、豊田車両センター、東所沢電車区、八王子建築技術センター、八王子信号通信技術センター、宇都宮車掌区、大宮駅、浦和車掌区、大宮新幹線電力技術センター、大宮総合車両センター、籠原運輸区、新前橋運輸区、いわき運輸区、土浦運輸区、勝田運輸区、水戸土木技術センター、水戸信号通信技術センター、習志野運輸区、蘇我運輸区、千葉土木技術センター、千葉建築技術センター、運輸車両部、郡山駅、びゅうプラザ仙台団体旅行センター、会津若松運輸区、小牛田運輸区、仙台運輸区、宮城野運輸区、山形車両センター、新幹線総合車両センター、郡山総合車両センター、設備部信号通信課、秋田運輸区、大館運輸区、新津運輸区、松本駅、小海線営業所、長野運輸区、松本運輸区、上諏訪保線技術センター、松本保線技術センター、長野総合車両センター、東京電気システム開発工事事務所。書くのに疲れるほどの部署名であるが、こうやって挙げているとJR東日本は6万人の社員を擁する巨大企業であることを実感する。東日本大震災で復旧費用や収入減によって2011年度は、1200億円の影響を受けて、最低の営業利益となった。団塊世代や50代社員が退役しつつある中、国鉄からJRへの移行の時代に、採用数を極端に絞ったこともあり、40代社員の層が薄い構造になってる。本日研修を受けている受講者は20代後半から30代初めなので、この層は10年もすれば現場のリーダーになっていく。人事部としては早く育ってほしいという方針のもとに開催してセミナーだ。f:id:k-hisatune:20111005172735j:imageマイプロジェクト担当の課長さんの説明があった。「自分で考える。手法は自由。プロセス重視。成果は社員の成長」という小集団活動はJRとしては新しい運動らしい。今年度から初めて、すでに3000ほどのグループ活動が展開されている。こういう流れの中では、このセミナーも存在感が増してくるのではないだろうか。14時から17時半までのびっしり研修で、終了後は懇親会でビールを飲みながら歓談する。秋田支社の社員と親しく話をした。また池袋運輸区の女性二人が興味を持っていろいろと聞いてきた。小田原の男性も講演の中で印象に残った言葉を語ってくれた。アンケートのコピーをもらい、帰りの電車の中で読む。
2011/10/05
コメント(0)
今朝の新聞は、日野原重明先生の記事と広告が多いのが目立った。今日は日野原先生(1911年10月4日生まれ)の満100歳の誕生日だからだろう。やるべき崇高な仕事があり、多くの人に夢を与える、知的な老人の生き方に感銘を受ける。10年前の90歳の時、「生き方上手」は120万部のベストセラーになり、日本最高齢のミリオンセラー作家となった。昨年だったか、新横浜の新幹線の待合室で偶然に隣に座って言葉と名刺を交わしたことを想い出す。その時、「こんなことをやっています」ともらった名刺は、「新老人の会」の代表という肩書だった。75歳以上を新老人と呼び、自分自身を健康情報の研究に活用しようという団体だ。その75歳から25年という歳月を日野原先生が生き抜いているのは見事だ。新老人の生き方のモデルだ。朝一番は、多摩信用金庫の長島部長が来訪。少し時間があったので、私の研究室で歓談。最新著の「人生を拓く言葉130」(日経ビジネス人文庫)を贈呈。隣の多摩大総研で松本先生と一緒にお話を伺う。素晴らしい提案をいただいた。面白くなってきた。松本先生と総研の今後について意見交換。ドラッカーについて連載している「マキタニュース」が届く。月刊「宝島」から取材の申し込み。小中陽太郎先生の出版パーティに申込み。キャリア支援課の柴田さんにゼミ生の就職内定について報告。ゼミ生重田君。12月の仙台で宮城大時代の教え子の太田君の結婚式の正式通知。本当は7月を予定していたが大震災の影響で延期していた。祝辞を頼まれた。多摩大本部の田村学園の水谷事務局長が来訪。所長をしている多摩大総研の運営について意見交換。赤坂の野田一夫事務所を訪問。ビジネスマン時代の友人とその娘さんを野田先生に紹介。その後、残っていくつかの報告。そして10日の仙台での野田一夫ファンクラブについての相談。途中でファンクラブ代表の富田さんに電話し野田先生の意向を伝達する。-------------------------------------成毛真「日本人の9割に英語はいらない」(祥伝社)を読了。マイクロソフトの社長を務めていた読書家でもある成毛真さんの新著。宮城大時代に講義を聞いたことがある。外資系企業のトップだった人がこう主張したことに意味がある。人物のエピソードや推薦している本の情報が参考になった。日本人の9割に英語はいらない日本人の9割に英語はいらない 作者: 成毛眞 出版社/メーカー: 祥伝社 発売日: 2011/09/06 メディア: 単行本 クリック: 119回 この商品を含むブログ (20件) を見る 日本人で英語が必要な人は1割。残りは勉強するだけムダ。1割の英語力を向上させよ。 アメリカの人気女性画家グラン・モーゼスは、75歳から絵筆をとり、101歳で亡くなるまでに1500点以上の作品を遺した。 サダム・フセインは獄中で145冊の本を読み、誌も書いていた。知的な独裁者だった。 ガンジーの「7つの社会的大罪」。原則なき政治・道徳なき商業・労働なき富・人格なき学識・人間性なき科学・良心なき快楽・献身なき信仰。推薦図書から。読んでみよう。 アーチストの言葉 美の創造主たちの格言(ピエ・ブックス) 友人の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学(ロビン・ダンバー著)
2011/10/04
コメント(0)
戦後、「修身」という言葉は忌み嫌われてきた。軍国主義の源が修身教育であるというような風潮があり、「道徳」の時間や「ホームルーム」の時間になった。戦後授業の停止が行われた3科目のうち「日本歴史」と「地理」は復活されたが、「修身」はそのまま葬り去られたのである。もともと、「修身は」論語の「修身・斉家・治国・平天下」の最初のおおもとであり、自分自身の心身を鍛えるという意味であり、どのような教育内容であったか興味があった。今回、1904年から1941年までの37年間、つまり明治、大正、昭和の尋常小学校で使われていた国定の「修身」の教科書から精選したエピソードが満載の八木秀次監修「精選 尋常小学校修身書」を読んだ。精撰尋常小学修身書―明治・大正・昭和…親子で読みたい (小学館文庫)日本歴史上の人物とそのエピソードを通じた日本国民として生きるための心構え、教訓などがやさしい言葉で語られていて、心の染みる内容だった。私自身も「じぶんのことはじぶんでせよ」という言葉をおばあちゃんから何度も言われた記憶があるが、それは「修身」の教科書の教えだったのだ。国民全体でそういう言葉を共有して時代があった。「基本」という項目では、第一期「尋常小学修身書 第二学年児童用」の内容が全文紹介されている。「おかあさんのごおんを、わすれてはなりません」「おとうさんのごおんを、わすれてはなりません」「じぶんのことはじぶんで、せねばなりません」「せんせいのおしえをきかんと、よいひとになれません」「としよりをだいじに、せねばなりません」「きょうだいは、なかよくせねばなりません」「たべものに、きをつけねばなりません」「からだを、きれいにせねばなりません」」「なにごとにも、きまりよくせねばなりあせん」「ことばづかいを、つつしまねばなりません」「やくそくしたことを、ちがえてはなりません」「ひとのあやまちは、ゆるさねばなりません」「わるいすすめに、したがってはなりません」「ともだちは、たすけあわねばなりません」「あやまちをせんように、きをつけねばなりません」「ひろいものを、じぶんのものにしてはなりません」「いきものをいじめてはなりません」「きそくにしたがわねばなりません」「てんのうへいかのごおんを、おもわねばなりません」「せけんのひとに、めいわくをかけてはなりません」確かにどのような時代にも通底する生きるための基本だ。この本では、修身の教科書の内容を18の項目に分けているが、分類を私自身の言葉に編集してみた。「素心」「謙遜」「礼儀」「習慣」「立志」「勤勉」「克己」「勇気」「責任」合理」「規則」「家族」「友情」「同情」「協同」「公益」「日本人」「美しい生き方」。これらの言葉が表す価値観が日本人としての美しい生き方である、ということだろう。修身の教科書の特色は、歴史上の人物を挙げてその人の具体的なエピソードを用いて、そこから教訓を引き出すという構成を貫いていることだ。たとえば、本居宣長は「せいとん」という項目に出て来るのは面白い。「シタシキナカニモ礼儀あり」「困難は最良の教師」「習慣は第二の天性」「点滴、石ヲウガツ」などの「格言」も多い。どのような偉人が登場するか、以下挙げてみる。ワシントン、松平信綱、林子平、加藤清正、吉田松陰、貝原益軒、野村望東尼、乃木大将、徳川光圀、西郷隆盛、高台院、本居宣長、伴友信、伊藤東涯、細井平洲、ダゲッソー、フランクリン、渋沢栄一、ジェンナー、上杉鷹山、徳川吉宗、でん子(くるめがすり創案者)、豊臣秀吉、野口英世、伊藤小佐衛門、間宮林蔵、リンコルン、新井白石、伊能忠敬、二宮金次郎、丸山応挙、勝安芳、鹿持雅澄、コロンブス、前野良沢、後光明天皇、高田屋嘉兵衛、木村重成、板垣退助、後藤新平、大山巌、三宅尚斎、広瀬武夫、おつな、楠木正成、佐久間艇長、徳川家康、春日局、ソクラテス、渡辺登、新井白石、水夫虎吉、ナイチンゲール、宮古島の人々、瓜生岩子、栗林次兵衛、毛利元就、角倉了以、能久親王、栗田定之丞、布田保之助、中江藤樹、岩谷九十老、山田長政、、、。最終項の「美しい生き方」。 万物の長とうまれたものは、徳をおさめ、知をいみがき、人の人たる道をつくさねばなりません。 かように、じぶんのおこないをつつしんで、よく、人にまじわり、そのうえ、よのため、人のために、つくすように、こころがけると、よい日本人になれます。「一日15分、我が子、孫と声に出して読んでみませんか」と裏表紙に呼び掛けの言葉がある。これを実践することほど大事なことはないだろう。教育の現場に立つ者にとっても必読の書である。
2011/10/03
コメント(0)

昨年初めて行い好評だった父母懇談会を開催。就職がテーマなので、4年生と3年生の父母が対象。110名以上の参加者があった。諸橋学部長、村山就職委員長、池田学務部長の説明の後、ゼミ別の懇談会。私のゼミは、4年生と3年生の二人の父母で、多摩大の就職に関する考え方、ゼミの方針と活動、そして個人についての情報交換とアドバイス、質問に関する回答という流れで一時間ほどご一緒する。終了後、希望があり、キャリア支援課を見学してもらう。安心して帰られたのでないかと思う。終わって、4年の岡君のお父さんと挨拶。そして宮城から見えた旧知の阿部君のお父さんと懇談。---------------------散歩途中で仲良しの犬友と。萩マメ科ハギ属の落葉低木の総称。山野に生え、葉は3枚の小葉からなる複葉。秋、蝶形の花を総状につけ、ふつう紅紫色。ミヤギノハギ・マルバハギなどがあり、特にヤマハギをさす。古くから庭園に植えられ、秋の七草の一。歌に鹿や雁と取り合わせて詠まれ、異称も多く、鹿鳴草(しかなくさ)・鹿の花妻・風聞草(かぜききぐさ)・月見草・庭見草などがある。胡枝花。からはぎ。《季 秋》「一つ家に遊女も寝たり―と月/芭蕉」曼珠沙華ヒガンバナ科の多年草。土手や田の畦に生える。秋の彼岸のころ、高さ約30センチの花茎を伸ばし、長い雄しべ・雌しべをもつ赤い6弁花を数個輪状につける。花の後、線形の葉が出て越冬する。有毒植物であるが、鱗茎(りんけい)を外用薬とする。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。死人花(しびとばな)。捨て子花。石蒜(せきさん)。天蓋花(てんがいばな)。天涯花。幽霊花。かみそりばな。《季 秋》
2011/10/02
コメント(0)
インターセミ、秋の授業が始動。 インターゼミ生の動き。バングラデシュ2人、韓国視察ツアー2人、東北「道の駅」調査1人。 西村君のバングラデシュ報告。小沼君の韓国視察報告。三谷君の東北「道の駅」調査報告。ゲスト徐勝(ソ・スン)先生立命館大学特任教授。韓国の民主化と人権運動に関わり、政治犯として19年間の獄中生活に耐えた人物。東アジアを語るときに欠かせない存在。1945年4月3日生まれ。東京教育大卒。ソウル大学大学院留学。立命館大学法学部教授(比較人権法、現代韓国の法と政治)。 この夏。韓国、中国、ロシア。8・15の光復節、全斗煥の寺、ソウル大学。旧満州のエンペン、北京の魯迅博物館、美術館で丸木俊の作品、女性美術家、大連の監獄博物館。 在日3世。日本人への反感あり。寺島さんを知って、こういう日本人もいるのかと思った。東アジア交流時代。重要なオピニオンリーダー。 ドラゴンの形をしている日本列島の顔は、アメリカを向いており、尻尾はアジアを向いている。 日本が東アジアをリードしてきた150年。日本中心の時代は過ぎ去りつつあるという識者もいる。 インターゼミは贅沢な授業、生き生きとした学生。凄いことだ。「獄中19年」(岩波新書)と「徐勝の東アジア平和紀行--韓国、台湾、沖縄をめぐって」(かもがわ出版)、「誰にも故郷はあるものだ」(社会評論社)をさっそく読みたい。寺島学長秋からの学ぶヒント 中国の沿岸と内陸のタイアップ方式。上海市と雲南省など共同責任制。これは宮城復興会議などでも15市町村と日本海側とのタイアップ連携のヒント。 海外旅行での産業力を観察する視点。空港ではフライト先を見るとネットワークがわかる。ホテルでは石鹸やマッチがどこ製か。イランやイラクのように国内産業で作れる国、南の産油国は外国から買っている。ぼやっとしないでこういう観察を重ねることで見えてくる。 九段にサテライトがある意味。神田古本屋街、靖国神社、、。 暇さえあれば古本屋街を歩いている。今日も1時間。今も頭の中にあるテーマについての発見を重ねている。 ワシントン時代に古本屋で見つけた「フォーチュン」日本特集(1936年)の表紙絵からアメリカ論・日米関係論への旅が始まった。その後の1944年の「フォーチュン」日本特集と合わせて、寺島著「二つのフォーチュン」が完成した。 若い時代の時間をもっと古本屋街を歩くことなどに使え。いずれ線が結び始める。それが知性を育むことだ。 周囲や国などに影響を与える立場になっていくと、自分が怠け判断を間違ってはいけないという緊張感が出てくる。 も、一歩踏み込め。 この夏は意識して外を動いた。アメリカ東海岸、西海岸、ハワイ、シンガポール、韓国済州島、台湾、イスタンブール、パリ、ロンドン。 エネルギー:エネリギー賢人会を下敷きに総合エネルギー調査会が始まる。ベストミックスを組み立てる。 中東:1968年の英国のスエズ撤退時と同様に、アメリカの撤退で激震が起こっている。「親米イスラムから崩れるだろう」という予測が現実になってきている。パレスチナの国連加盟についてアメリカは拒否権を使えるか、使うか。 欧州:激震。ドイツ。中国の存在。 日本:9・11から10年、3・11から半年。大きな構造変化の中にある。 今、勉強することが大事だ。興味は拡大していくから。一生、勉強するようになる。学生も、徐先生も、そして寺島学長、動き回っている人の話は勉強になる。「移動」する人へ!帰りは、同一方向の学長室の山本さんと電車で話しながら帰宅。NHKで「神様の女房」という松下幸之助の夫妻を描いた3回連続ドラマの初回を観る。大阪の松下幸之助メモリアルホール、神戸の井植記念館などを思い出しながら観た。最近のNHKドラマは、朝も、夜も、主役は「女」だ。--------------------盛りだくさんの内容に続き、各チームで今後の進め方を議論。12月10日のプレゼン、12月24日の論文提出、1月14日の最終論文提出、へ向けて正念場を迎える。私は「震災と日本再生」チームの議論に参加。
2011/10/01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1

![]()
![]()