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プレゼミでは今週と来週は「私の志」をかいてもらい撮影する期間。愉しく作業をしている。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130531 | 編集 プレゼミ:「私の志」大特集。こういう写真が300枚以上集まる予定。f:id:k-hisatune:20130531104506j:imagef:id:k-hisatune:20130531102956j:imagef:id:k-hisatune:20130531102941j:imagef:id:k-hisatune:20130531102927j:imagef:id:k-hisatune:20130531102832j:imagef:id:k-hisatune:20130531102818j:imagef:id:k-hisatune:20130531102800j:imagef:id:k-hisatune:20130531102751j:imagef:id:k-hisatune:20130531102723j:imagef:id:k-hisatune:20130531102709j:imagef:id:k-hisatune:20130531102658j:imagef:id:k-hisatune:20130531102630j:imagef:id:k-hisatune:20130531102619j:imagef:id:k-hisatune:20130531102554j:imagef:id:k-hisatune:20130531103125j:imagef:id:k-hisatune:20130531103006j:imagef:id:k-hisatune:20130531102848j:image 講義f:id:k-hisatune:20130531110817j:image 今泉先生と相談。カリキュラム・推進主体・学長人脈、、。 安田グローバルスタディーズ学部長と電話。 夜は聖蹟桜ヶ丘のイタリアンで学長室メンバーと会食。高野課長、金子さん、山本さん、清水さん、米沢さん。笑いっぱなしの4時間。f:id:k-hisatune:20130531204340j:image
2013/05/31
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リレー講座。悪魔のシナリオか、回避か。--------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130530 | 編集 矢内事務長 学長と懇談。静岡県知事選、JAL、、、。 リレー講座:寺島学長「立体世界史の試み―-17世紀オランダ論」。f:id:k-hisatune:20130530160546j:image アベノミクス:外資の決算期の6月末に向けて悪魔のシナリオ(売り抜く資本主義)が近づいている。日本経済に希望があれば外資は株を保有するだろう。 政府の日本マネー投入の模索。GPIF(年金)と郵貯の資金を活用。110兆円の年金運用資金(6割が国債運用。11%が株)の3-10%を使いたいという誘惑。これで外人も保有し続ければ2万2千円に。カンフル剤とバイアグラによる調整インフレ願望。 長期金利上昇という副作用。財政圧迫・住宅ローン金利上昇。 2012年10月から2013年3月まで:原材料2割上昇、最終消費2.2%上昇。所得は増えていない(可処分所得ー0.2%。現金給与ー0.8%) 秋にかけて物価上昇と所得減少のジレンマに陥るか。資産家と企業は潤うが給料は上がらない。株高と海外収益で潤う経営は勤労者に分配する意欲が湧かない。消費税増税が追い打ち。 株:BRICSの退潮。日本45%アップ、米国15%、ドイツ8%、インド2%。 成長戦略のキーワード(女性・医療・農業、)は見えてきたが、プロジェクトとして実体化するシナリオと推進主体が見えてこない。 マクロエンジニアリングの欠如。方向感と納得感。例えば、、。 圏央道・外環道が5年以内に完成する。名古屋や関西も同様。これを日本列島の活力にどうつなげるか。思い切り前倒しする。 中央リニア新幹線は15年後に東京・名古屋を30分でつなぐ。その17年後に名古屋大阪という予定。東京大阪までを10年以内に完成させる。 キャンプ那須構想。首都機能移転・分散。白河に。 立体世界史:2010年秋から16回の連載。今回は世界遺産となった岩見銀山。キリシタンの弾圧などへ続く。 ゼミ・図解実習と各プロジェクト毎の打ち合わせ。 永山でゼミの「ヴェルディ班」との懇親会。主として2年生と懇親を深めた。
2013/05/30
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電子出版社、外務省。グレイトジャーニー、JAL広報部の旅。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130529 | 編集 樋口先生と入試関係 今泉先生、金先生と教務関係 11時:電子出版に力を入れているG出版社の編集者2名来訪。既刊本、ブログ、知研フォーラム、名言、時事問題、など様々のアイデアを出た。今年は電子出版が賑やかになりそうだ。f:id:k-hisatune:20130529120305j:image ゼミ生と相談。 午後、客員の渡辺先生(プロジェクトゼミ「グローバルビジネスマン養成講座」担当)の本日のゲストは、外務省中東アフリカ局中東二課の江原地域調整官。ラウンジで金先生も交えて歓談。日本の「勤勉の哲学」の輸出で中東に貢献できるのではないかという私の意見に大いに賛成してもらった。中東も教育問題が大きいのだそうだ。日本能率協会マネジメントセンターでやる「グローバル・リーダー」コースのに自信を深める。 16時:上野の国立科学博物館で「グレイトジャーニー 人類の旅」を観る。東アフリカに誕生した人類は5万年かかって南アメリカ最南端に達した。そのルートを遡るという史上最大の探検を足かけ10年で達成した関野吉晴の物語。1949年生まれの関野は一橋大学の探検部の創立者。その後、横浜市大医学部に入り外科医になる。別途詳しく書く予定。f:id:k-hisatune:20130529163753j:image 18時半:新装なったパレスホテルでJALの溝の上広報部長と経営企画の中原マネジャーと会う。溝の上さんとは久しぶり。人事関係も話題になる。 19時半:東京海上ビルの居酒屋でJAL広報関係者と懇親会。後輩たちに私の広報のノウハウを伝授して欲しいとのこと。資料をもとに思いだしながら話をしながら楽しく歓談。f:id:k-hisatune:20130529214750j:image
2013/05/29
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「摘録 断腸亭日乗」(上)(永井荷風著・磯田光一編)を読了。墨東奇談などの作者・永井荷風(1879-1959年9は38歳から79歳で亡くなる前日まで、42年間にわたって日記を書き続けている。胃腸を含め病気の多かった荷風の別号はが断腸亭で、日乗は日記のことである。この42年間には、関東大震災があり、5・15事件があり、2・26事件があり、満州事変、そして太平洋戦争、敗戦、復興の激動期だ。一行の日もあれば長い文章を書いている日もある。内容は、豊かな表現で示す天気、事件への感想、女との交情、世相の慨嘆、読書生活、文壇への軽侮、菊池寛への嫌悪感、尊敬していた鴎外のこと、一葉の実力、など多彩で面白い。荷風は独り身なので、家族は母上以外は登場しない。春風依然として暖ならず。陰陽定まらず。春風駘蕩。驟雨雷鳴。溽暑甚し。秋雨蕭蕭たり。緑陰清風愛すべし。細雨糠の如し。天気牢晴。凍雲暗澹たり。細雨煙りの如し。、、、。さすがだ。1923年9月1日の関東大震災以降の叙述は手厳しい。天地忽鳴動す。、、糞尿の臭気堪ふべからず。、、帝都荒廃の光景哀れといふも愚かなり。、、この度の災禍は実に天罰なりといふべし。、、外観をのみ修飾して百年の計をなさざる国家の末路は即かくの如し。自業自得天罰覿面といふべきのみ。文壇の付き合いを避けた荷風は、手厳しい。 悪むべきは菊池寛の如き売文専業の徒のなす所なり。 世の文学者といふものは下宿屋とカッフェーの外世間を知らず、手紙を書くことも知らず、礼儀を知らず、風流を解せず、薄志弱行、粗放驕慢、まことに人間中の最も劣等なるものなり。 芸者や女給などは文士議員らに比較すれば遥かに品格も好く義理人情をも解するものといふべし。、、独ろ菊池寛山本有三らをのみ下等なる者と思ひゐたりしが、、 余は日本の文学者を嫌ふこと蛇蝎の如し。 余が死後において、余の全集及びその他の著作が中央公論社の如き馬鹿馬鹿しき広告文を出す書店より発行せらるることを恥辱と思ふものなり。 世には偽君子多し。己の過去を自ら省み身の恥を知るが如きものは、到底世に立つこと能はざるなり。 人生に三楽あり。一に読書、二に好色、三に飲酒。 官権万能にして人民の従順なること驚きに堪えたり。 かつて訳ありし女と一時別れし後再び往来するやうになりて半年一年と月日をふるや、冷静なる交情、さながら親戚の娘または真身の妹と相語るが如き心持となるものなり。女たちとの交情に関する記述は興味深い。下巻も注文する。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130528 | 編集研究室で。 湘南キャンパスの野原教務課長が久しぶりに来訪。よもやま話。 矢内事務長から報告 多摩大総研の松本教授から都関係の案件(インキュベーション)の進捗報告を受ける 学生課・井川さんから明日の会議の事前説明(奨学金)ラウンジで。 今泉先生とビジネスICTの将来像についてじっくりと相談。湘南キャンパスの安田学部長から依頼のあった英語のヘルプ(代講)の件。 大森学生委員長。臨時学生委員会の件の報告あり。 浜田先生と就職先についての意見交換。 高野課長と情報交換。帰りに。 プールで平泳ぎとクロールで500メートル。
2013/05/28
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宮本常一「忘れられた日本人」(岩波文庫)。宮本常一(1907-1981年)は、1939年(32歳)以来、73歳で死に至るまで40年以上にわたって日本各地をくままく歩き、民間の伝承を克明に調査した民俗学者。伝承者としての老人たちの過ぎしてきた時代と環境を、老人たちの人生とからめて聞き書きという手法で描いた代表作品。本人は、この本を「紙碑」であると言っている。女たちの生態、村のしきたり、問題の解決の方法、夜這いや夜逃げ、世間師たちの話、など面白い話に満ちている。古老たちの語り口を上手に再現してる。内容はもちろん面白いが、「あとがき」に自身で調査の方法を明らかにしているのが興味深い。 1939年以来、日本全国を見ておきたいと思いつくままに各地を歩いた 戦後故郷に帰って百姓になる。農閑期には戦前に世話になった仲間を訪ねて農業技術の伝達をした。あおのかたわら農村調査を行った。 ある地域をできるだけくわしく、しらみつぶしに見た。歩いて見て人に疑問を尋ねた。一つの部落の成立と存続の様子がわかる。 同じ地方へ何回も出ていくことにつとめた。こういう生活が1952年(45歳)まで続く。 1955年(48歳)から主として山村の調査に力を注ぐ。学会、調査会、官庁委託、仲間。 目的の村を一通りまわりどういう村かを見る。 役場で倉庫の中を見せて貰って明治以来の資料を調べる。 役場の人に疑問な点を確かめる。 森林組合、農協を訪ねて調べる。 古文書があれば旧家を訪ねて必要なものを書き写す。 何戸かの農家を選定して個別調査をする。一軒に半日。 疑問点を心の中において、村の古老にあう。疑問から出発し、あとは自由に話してもらう。何を問題にしているかがわかる。 主婦や若い者の仲間に会い、多人数の座談会形式で話を聞き、こちらも話す。一番知りたいことは、今日の文化を築きあげてきた生産者のエネルギーが、どういう人間関係や環境の中から生まれ出てきたかということだ。宮本常一の所属した渋沢敬三のアチック・ミューゼアムは、後に日本常民文化研究所となり、神奈川大学に吸収されて網野善彦(1928-2004年)の活動の場になる。網野は中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにした。その系統の中に赤坂憲男の東北学もある。その網野は巻末で「解説」を担当している。「旅する人」宮本常一は民族誌を中心にした柳田国男の民俗学に疑問を持ち、「生活誌」を大事にすべきであり、生活向上のテコになる技術をキメ細かく構造的に見ることが大切だとしている。客観的なデータを整理・分析する民族誌ではなく、民族採集の仕事は「生きた生活」をとらえることにある。実感を通して観察し、総合的にとらえる生活誌を重要視する。宮本常一は、戦前から高度成長期まで日本各地を対象にフィールドワークを行って、1200軒以上の民家に宿泊して、膨大な記録を残している。23歳の時に投稿した論文が柳田国男の目にとまる。そして3年後の25歳で生涯の師・渋沢敬三と出会い、4年後の32歳でアスチック・ミュジアムに入り、以後40年にわたって本格的な民族調査に没頭する。53歳で書いた代表作「忘れられた日本人」で脚光を浴びた。54歳、文学博士号(東洋大)、「日本の離島」で日本エッセイスト・クラブ賞。58歳、武蔵野美大教授。59歳、日本観光文化研究所(現・旅の文化研究所)初代所長。この人は日本を探検した人だ。---------------プールで500メートル泳ぐ。
2013/05/27
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日曜日は、今年度最初のオープンキャンパスを開催。----------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130526 | 編集今年度最初のオープンキャンパスを開催。新装なってきれいな101教室。f:id:k-hisatune:20130526133447j:image 学部・学科説明は学部長の私から30分。「ゼミの多摩大」を強調。f:id:k-hisatune:20130526130523j:image 高校生は熱心にうなずきながら聞いてくれた。 父母用の資料も用意した方がいい(一家にワンセットなので父母にはない) 出原先生の入試説明 杉田先生の模擬講義『 ディズニーリゾートが創った本当の価値とは? 』 ~ 幸せづくりのレジャー産業を考える ~ 保護者説明、在学生交流会、模擬面接、個別相談。新装なったアゴラで。 在学生によるキャンパスツアー(教員ラウンジで会ったので挨拶)まずまずの出足だった。次回からは新しい形式で行うことになっているので期待したい。----------------以下、ラウンジで。 高野課長からアイデアを聞く 豊田先生とビICT関係の相談 金先生と雑談
2013/05/26
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「企画行動力の秘密」というタイトルに惹かれて世界救世教の岡田茂吉教祖を描いた本を読了。f:id:k-hisatune:20130526062314j:image岡田茂吉(1882年-1955年)は、世界救世教などの創始者。宗教家にとどまらず、文明評論家、書家、画家、歌人、華道流祖、造園家、建築家、美術品収集家、などの文化人でもある人物。 箱根美術館、および現在のMOA美術館の前身となった美術館の開設者。自然農法の創始者。 全人類の病貧争からの脱出、すなわち健康の実現、貧苦からの脱出、安全の実現を基礎として、新文明世界(地上天国、理想世界)を創造することを目指した。そのモデルは箱根、熱海、京都。生涯に5500首の短歌、揮毫した画像は7千枚、書は百万枚、論文2千編。「お光」といって手をかざして浄霊を行う宗教で、奇蹟を起こすらしいが、とにかく物凄いエネルギーを持った人物であることがわかる。熱海のMOA美術館を訪ねたい。 人間は信用第一である。信用ほそ大きな財産はない。信用財産からは何程でも利子が生まれる、、 何かを計画する場合、決して焦らない。、、準備万端を整え時期を待つのである。 その時その時に必要なことに徹していけばいいのだ。 人を喜ばせるのが好きで、ほとんど道楽のようになっていた。 成功の秘訣は、必ず成功しようと意う意力であり、それに伴う努力である。 人間万事算盤を忘れては何事も成功は不可能である。 奥さんを大事にしない人は出世しないよ。妻の協力を得られないような男では、大した仕事ができる「わけがない。 だれにでも利用される人間になれ。利他愛に生きよ。この本では岡田の「企画行動力」に焦点をあてようとしている。そのポイントは以下と分析している。 多種多様な人物と接触し、幅広い情報を入試できた。 人材発掘の奇才(誠実な人物・努力家) 豊富な人脈を有する信徒を抜擢 多趣味 マルチ人間 障害に出会うと、徹底的に原因を追究し新たな発見を得る-------------------九段下駅の「バカの壁」撤去後。都営新宿線と半蔵門線が隣同士。f:id:k-hisatune:20130525185909j:image■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130525 | 編集 品川キャンパスで大学院教授会。学部でやっている「問題解決学」の講義に大学院専任教授の方にも出講依頼をしておいた。いろいろな形での交流が大事だ。 柳先生にご挨拶。名誉教授の件。 下井、彩藤T、金、諸橋の各先生、そして私でコーヒー店で懇談。ゼミ室の話題から、データサイエンティスト関係の話題でかなり突っ込んだアイデアがでてきた。この案を来週はたたいてみよう。笑いながら言いたいことを言い合ういい雰囲気で合意形成ができていく。これが多摩大の素晴らしい点だ。 インターゼミ(社会工学研究会)。4年生女女子からANAのキャビンアテンダント内定の報告あり。研究計画の中間報告と学長からのコメントをもらう。以下、私のポイントのみピックアップ。f:id:k-hisatune:20130525162815j:image アジア班:上野の博物館で開催中の「グレイトジャーニー」。6万年前の人類誕生、4万年前に日本へ。アイスマン5300年前、ブッダ2500年前、キリスト2000年前。疑いから。「飛鳥寺」と「薬師寺」。ユーラシア交流史を深める。日中韓の2000年の交流史。400年から600年。朝鮮半島から数百人の渡来人が建立した飛鳥寺。ギリシャ・ペルシャ・インド・中国のデザインが混合した1500年前の薬師寺の台座。平山郁夫の仏教伝来。七福神は三国のごちゃまぜ。いいいあけん、柔らかい、高い受容性の日本。プチ・ナショナリズムからの脱却。ユーラシアの風から今の日本を考える。 サービス・エンターテイメント班:ディズニー研究の成果を読むこと。スターバックス。サンリオ。クマモン。興味。 地域班:シンガポールモデル。バーチャル国家。なぜ豊かなのか? 多摩学班:自由民権運動。人物相関図。年表。町田の自由民権資料館。世界史とのつながり。中江兆民。多摩自由大学など。 エネルギー・環境班:多摩大学スマートユニバーシティ構想。25周年にからめてどこまでリアリティを持ってやれるか。f:id:k-hisatune:20130525174612j:image 学長講義:アベノミクスへの視座:株の上昇とプチ・ナショナリズム。東証アドバイザリーボード。11・16の解散から半年で外国人投資家が9.6兆円買い越し、日本の機関投資家5.86兆円・個人投資家4.65兆円の売り越し。異常な状態。外国人は大型流動株のみを買っている。外人の投資余力10-15兆円、10兆円で株は1万5千円、15兆円で1万7千円。6月の決算期に向けてそろそろ乱高下にはいってきた。危険水域。年金積立管理運用独立法人の110兆円運用(6割は国債)の1割株式投入の誘惑。長期金利上昇のリスク拡大。労働者への分配はタイムラグと高まらない構造(株と海外で利益)。物価上昇と消費税下で給与が上がらない。株価幻想。ヒューマンリレーションマップとアセットマップ。縁を意生かしきれるか。情けに報いるが情報の本質。鈴木大拙は禅の本質、基本精神をアーティスト・オブ・ライフと言った。
2013/05/25
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午前は多摩キャンパスで授業。午後は九段サテライトで会議。--------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130524 | 編集 プレゼミ。志に関する椎木先生の講義の後、私の講義。 高い精神を持ったひとかどの人物が志士。 志を持った偉人たちの遺した言葉の紹介 久恒の志=「私の志は日本人のアタマの革命(図解コミュニケーション)とココロの革命(人物記念館の旅)を通じて社会に貢献することです」を紹介。私憤から公憤。一本足(図解)から二本足(人物)へ。アタマとココロの発見、カラダ。日本から東アジア(中国・韓国・台湾・マカオ)、世界へ。貢献の形(出版・講義・講演・コンサル・改革、、)。私から我々へ。2013年現在。 志は不変ではない。志は進化し、成長する。f:id:k-hisatune:20130524102443j:image 6回目の講義。前回に続き「大学生の国語力低下を憂う」を題材に図解に本格的に取り組む。序盤の山場を越えた。f:id:k-hisatune:20130524111632j:image 学部長・研究科長会議 大学運営会議:大学院ビジネスICTコース(企業派遣・企業提携・キラーコンテンツの可能性)。2012年度決算。地(知)の拠点整備事業(チャレンジ)。25周年記念事業の進捗(小パンフ。ソフト)。 学長 「入口(プランと具体的行動。エリア。数字)と出口(質を高めながら量を確保。成功モデル)。アクセルを踏んでいく。 「コミュニケーション」。マネジメントリスクを高めない。問題を問題化させない、コンフリクトを起こさせない、トラブルにしない知恵。 常務理事「ビジネスICT。大切。ターゲット。広報」 自己点検評価委員会:2014年度受診で日本高等教育機構に申請。外部委員として中央大学の横田利久氏(付属中高の校長付き部長)。6月9日に各委員長からのヒヤリング。終了後、横田さんに御挨拶したところ私の本をよく読んでいるとのことだった。 学長から呼ばれ、ある件で意見を求められる。 常務理事と懇談。
2013/05/24
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朝の公園で発見。株価暴落 稀勢の里が日馬富士を圧倒し12連勝 日ハム大谷投手一軍初登板 kindle ストアランキング。10位に「聞く力・考える力」。http://kindou.info/13785.html ■学部長日誌「志塾の風」130523 | 編集金子さん 矢内事務長と情報交換。 今泉先生と「ビジネスICTの将来像」の文書確認。 ラウンジで樋口先生と昼食を食べながら雑談 多摩エクセレントカンパニープロジェクトのミーティング。弘久社、多摩信金。学内は諸橋、志賀、梅澤、中村その子、奥山の各先生。学生は私のゼミの小林君と清水君。 日本テレビの粕谷報道局長と名刺交換。安倍首相、野田元総理、飯島参与などが話題に。 萬屋君、ソフトバンクテクノロジーに内定との報告あり。 寺島学長にいくつか報告と指示あり リレー講座:日本テレビ粕谷局長「安部政権の再挑戦」 ホームゼミ:ドッジボール大会のPR。萬屋君の報告。清水君の報告。宝田君の報告。続いて図解実習。そしてプロジェクト毎の打ち合わせと作業。 ラウンジで、金、大森映、斎藤S先生の懇談に加わる。 大森学生委員長から学生の件で報告を受ける。
2013/05/23
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箱根のパール下中記念館を先日訪問した。パールは東京裁判で日本無罪論を展開したパール判事だが、「下中」とは誰か。そしてその記念館と同じ敷地には、御堂、出版平和堂(碑文の代表は野間省二)や箱根聖道場(解体するとの張り紙あり)などの看板がある建物があり独特の雰囲気がある。これらは何か。f:id:k-hisatune:20130523064317j:image下中とは平凡社を創業した下中弥三郎(1878-1961年)のことだった。パール判事(1886-1967年)と深い親交を持った人物だ。この二人は兄弟の交わりをしている。石の碑文には、二人の言葉が記されている。パール「すべてのものをこえて、人間こそは真実である。この上のものはない」(ベンガル語) 「極東軍事裁判において法の真理を守りひとり毅然と税ン院無罪の理をあきらかにした」との解説もついている。下中「世界連邦 平和の道 外はあらし 国人すべて ここにあつまれ」出版平和堂は、出版関連13維持団体等によって維持・運営がなされ、お堂内には、日本の出版界を築き上げ、繁栄に導いた物故功労者の名前と功績が刻まれた銅の記銘板が掲げられている。ホームページでは第40回として岩波書店の岩波雄二郎(平成19年没)などの名前が見える。あかね書房、医歯薬出版社、清水書院、新曜社、富士経済マネージメント、実教出版社などの版元関係、太平社など取次関係、そして高島書房、大阪教科書、新興社などの書店関係の経営者が祭られている。平成24年(第44回)では、東京書籍の鈴木和夫社長、講談社の野間佐知子社長などの名前がみえる。出版界の靖国神社のようなものだろうか。この平和堂は日本出版クラブが建てた。そのクラブの初代会長が下中弥三郎だった。箱根聖道場という建物も、やはり下中に関係するものであろう。f:id:k-hisatune:20130512134659j:imageさて、下中弥三郎のことだ。兵庫県生まれ。幼くして父を亡くし土地で腕の良い丹波焼きの陶工となる。神戸市雲中小学校bの代用教員となり小学校準教員検定試験に合格。190年上京。「児童新聞」「婦人新聞」の編集。1910年に中等教員検定試験に合格、埼玉県師範学校の嘱託教師。1914年、平凡社を設立し「ポケット顧問、や、此は便利だ」を発売。新しいことば、流行語、小字熟語などを集め、生活の役にたつ本であったので大いに売れた。平凡社という名前は「名前は平凡でも、やる仕事は非凡だ」と田中館愛橘博士が絶賛している。1919年には教員組合である啓明会を結成、「教育改造の四綱領」を発表。啓明会はその後、日教組となって発展していく。1923年「教育の世紀社」設立。1931年から1935年にかけて「大百科事典」を出版。これは毎月1冊(5円)の出版だった。1000人以上の学者、1000人の編集者を動員。18万項目の大百科事典。預託だけで2万5千部。1924年には自宅の庭を開放し「児童の村小学校」を設立し、自由な教育を実践する。ここから博士、作家、マスコミ人が育っていった。それは、小原国芳の玉川学園、赤井米吉の明星学園につながっていく。「現代大衆文学全集」「世界美術全集」「新興文学全集」「社会思想全集」「大辞典」「国民百科事典」、、、。そして講談社の「キング」に対抗する雑誌「平凡」を創刊する。それは「世界一おもしろい!世界一美しい!世界一ためになる!世界一安い!」というキャッチフレーズだった。また、1930年頃からは国家社会主義者として新日本国民同盟を創設、1940年には大政翼賛会の発足に協力し、大日本興亜同盟の役員に就任。アジア各国の支援に奔走する。日本インドネシア協会、ガンジー教会も結成している。近衛内閣は弥三郎を文部大臣にしようとしたが断っている。戦後4年間の公職追放を経て、1951年位は平凡社社長に復帰する。「世界大百科事典」を出版。こちらは32巻。晩年は平和運動や世界連邦運動を推進している。ここでパール判事と親交を深めたのだ。百科事典をつくった男・下中弥三郎は、「出版は教育である」という信念を持っていた。教育者を志て教壇に立つが、その延長線上にもっと多くの人たちに影響を与える出版事業に邁進したというわkrだ。「心はころjころするものである。とどまるところがない。その姿が心である」。1988年にアメリカで「日本の十人の教育者」という本が出版されている。福沢諭吉、内村鑑三、新島襄、新渡戸稲造、南原繁などと並んで下中弥三郎の名前があがっている。教員時代の弥三郎の国語教育の目標は「本を読むことをすきにする。本を読んで考えるようにする」ということだった。出版で日本人全体の教壇に立ったのである。全国労働者の先頭に立ってメーデーを成功させる一方で、戦時には大政翼賛会に協力するなど、左から右までの活動を行っている。ある分野の全体を鳥瞰的にわしづかみして全集という形で世の中に提供しようする姿勢は一貫している。「出版は教育である」という信念を実現させた下中弥三郎の人生は、莫大なエネルギーに満ちている。大いなる人生であったとの感を深くする。[asin:4265027326:detail]------------------------------ 夜はマンション理事会。6月の総会に向けての準備が中心。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130522 | 編集 下井先生、志賀先生、石川先生から相談を受ける。 プロジェクトゼミの渡辺客員教授から本日のゲスト・旭酒造(山口県岩国市)の桜井社長を紹介される。旭酒造は、最近評判の「獺祭」(だっさい)の蔵元である。そば屋などで見かけることが多くなってきた酒で私の愛好酒でもある。しばらく研究室で歓談。杜氏が若い、一年中の酒造り、カンに頼らず温度・湿度などを管理、海外進出に活路、など酒造りの近代化で成功している。教員ラウンジでは、バートル先生、豊田先生、小林先生に紹介。
2013/05/22
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箱根富士屋ホテルは、創業以来今年で135年を迎えた。今では全国に17(2002年現在)のホテルをもつリゾートホテルの一大チェーンとなった。一口に135年というが、とても長い時間である。このホテルは1878年の創業から国際興業の小佐野賢治の手に渡る1966年までの3人の優れた経営者によって築かれてきた。その物語を読んだ。山口由美「箱根富士屋ホテル物語」である。筆者の山口由美は創業者山口仙之助の曾孫にあたる。箱根富士屋ホテル物語箱根富士屋ホテル物語 作者: 山口由美 出版社/メーカー: 千早書房 発売日: 2007/03 メディア: 単行本 クリック: 8回 この商品を含むブログ (8件) を見る創業した山口仙之助(-1915年)は、明治時代に外国人向けのホテルを興し日本近代化の一翼を担った。福沢諭吉の影響を受けて新しい産業であるホテル創業に力を注いだ。慶応義塾出身名流列伝によれば「旅館又はホテルとして、岩崎弥之助、古川市兵衛等を謝絶せるもの、富士屋ホテルをおいて他にあらざるべし。主人山口仙之助氏はこれらの名士の来宿を断然謝絶したる好漢にして、金銭の前に頭を下げることを欲せず。剛直一徹の奇士なり」とある。実質的な二代目・山口正造( )は、日光の金谷ホテルの次男で仙之助の長女孝子の婿養子であるが、富士屋ホテルを大発展させる。三代目の山口堅吉は、富士屋を守り未来へと継承することに生涯を捧げた。3人の写真を箱根富士屋ホテルのホテルミュージアムで見たが、その時立派な髭を生やした正造という人物に興味を持った。f:id:k-hisatune:20130513133342j:image17歳の時にアメリカに渡る決心をし、徒手空拳でサンフランシスコ、バンクーバー、ロンドンと移りながら、次第に頭角を現し、ロンドン市内に柔道学校を開校し、名声を得るまでになった。1907年8年に及ぶ外国生活を終えて帰国。25歳の時に富士屋ホテルに入る。温室の設置から始まり、富士や自動車株式会社の設立、房、厨房、冷蔵庫、など近代ホテルとしてのバックアップ部門の地固めを行う。そして「建築道楽」と言われるように個性的な建物を次々と創っていく。正造は一時期だが、ライトが建てた帝国ホテルの支配人をやってもいる。関東大震災による大打撃、妻との離婚を乗り越え、ホテルマンの育成のための富士屋ホテルトレーニングスクールも設置するなど先見の明があった。野田一夫先生が初代の学科長をつとめた立教大学観光学科は、正造の居一周忌を記念して集めた寄付を基に設立されたことも初めて知った。正造の写真と銅像をみると、まことに立派な髭を蓄えている。60-70センチという記録がある。万国髭倶楽部を思いついて10カ国43名のメンバーが登録した。「お客様に覚えて貰いやすいようにすることが必要だ。その為には、ヒゲは最もよい目標となる」、これも商売の一部だったのだ。富士ビューホテル、日本で二番目に古い仙石原ゴルフ場なども新しいもの好きの正造の仕事である。独身であった正造は1944年に脳溢血で61歳の生涯を閉じる。亡くなる3ヵ月前に取締約社長に就任している。それまではずっと専務のままだったのだ。「司にと祭り上げらる我身にも 秋来にけりと見ゆる今朝かな」。「僕は30何年かかって、ここに一つのAtmosphereをつくったのである。これは、誰にも真似できない」と語っている。その雰囲気は今なお生きていることを先日の訪問で感じた。富士屋ホテルは、その後、仙之助の次女貞子の婿養子となった堅吉が継ぐ。堅吉は早稲田を出て日本郵船の外交航路の客船のパーサーだった。敗戦によって進駐軍に接収された後も、発展を続けた。------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130521 | 編集 豊田先生 金子さん 教務の公平係長と教授会議事録の件。 高野課長:COC関係。 大森拓先生:採用人事の打ち合わせ。 椎木先生 16時過ぎから18時まで学園の田村常務と面談。2012年度の総括説明。ビジネスICTの将来像。採用人事。地(知)の拠点申請説明。いくつかの課題と懸案、その解決のための考え方と解決案の擦りあわせ。高野課長同席。
2013/05/21
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「パール判事の日本無罪論」(田中正明)。極東国際軍事裁判(東京裁判)において11人の判事の中でただ一人全員無罪を主張したインドのパール判事の理念について書かれた書物である。連合国によって公表を禁止されていたパール判決文の翻訳作業を秘密裏に続けサンフランシスコ平和条約によって日本の主権が回復した日に刊行された大ベストセラー「真理の裁き・パール日本無罪論」が源になっている。1963年の「パール博士の日本無罪論」を文庫本として2000年に文庫本として再刊したものである。 パール判決文は英文1275ページ、日本語にして百万語に及ぶ膨大なものである。その概要をまとめてみる。第1部「予備的法律問題」。裁判官の構成が戦勝国のみの判事であり不公正。東京裁判は国際法にのっとっていない。マッカーサーがつくった裁判所条例に基づいての裁判であるが、その条例には法的価値はない。ポツダム宣言の範囲と逸脱した管轄。敗戦国にも主権はある。侵略戦争の定義はない。戦争は犯罪ではない。責任は国家がとるべきであり個人には及ばない。第2部「侵略戦争とは何か」。侵略戦争と自衛戦争の区別は難しい。日中戦争で米英は中立を守らなかった。対日経済制裁によって日本は立ちあがらざるを得なかった。太平洋戦争は日本の一方的侵略ではない。第3部『証拠及び手続に関する規則」。膨大な証拠は公正な手続きによって受理されたものではない。証拠として価値あるものではない。第4部「全面的共同謀議」。内閣が何度も(14度)交代した日本の政情から検察側の共同謀議を全面的に否定し妄想としている。第5部「裁判の管轄権」。ポツダム宣言での戦争には太平洋戦争を指しており、満州事変やノモンハン事件は含まれていない。事後的に管轄権を拡大するのは不法である。第6部「厳密なる意味における戦争犯罪」。被告たちは非道(俘虜の虐待・大量の非戦闘員の殺戮・放火・略奪)を部下に命じた者たちではない。この意味でこの裁判は無効である。トルーマン大統領が投下を命じた原爆こそ、人道の名において裁かれるべきである。第7部「勧告」。東京裁判は復讐であり、占領政策の宣伝効果をねらった政治行為である。このような裁判を行ったことは文明の恥辱である。後に、関係者や識者が東京裁判を次のように論評している。 マッカーサー「彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫れれてのことだったのです」(1951年。米国上院軍事外交合同委員会) フーバー大統領「もしわれわれが日本人を挑発しなかったならば決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう。 ライシャワー「軍事法廷はかく裁いた。だが歴史は、それとは異なる裁きを下すだろうことは明らかである。 プライス「原告アメリカが、明らかに責任があるからである。ソ連は日ソ中立条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任でなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、、、」ヤスパース「一つの民族だけが、戦争の責罪を負わなければならない義務はないと思う」東京裁判史観を覆す一書である。-------------------------------------パールの意見書に接し、裁かれた被告が歌を遺している。「ふみ」はパール判決書のこと。 東條英機 「百年の 後の世かとぞ 思いしに 今このふみを 眼のあたりに見る」 板垣征四郎 「ふたとせに あまるさばきの 庭のうち このひとふみを 見るぞとうとき」 「すぐれたる 人のふみ見て 思うかな やみ夜を照らす ともしびのごと」 木村兵太郎 「闇の夜を 照らすひかりの ふみ仰ぎ こころ安けく 逝くぞうれ志き」---------------------------------パール判事の一生。1886年生れ。3歳にして父を失い、その後の全修学過程を通じて経済的に苦難の道を歩んだ。19歳、日本がロシアを破ったことに感動し、インド独立を考えるようになる。数学を専攻し、さらに法科へと進む。会計院に就職する傍ら法律を勉強し法学士となる。この頃ある大学の数学教授として招聘される。1920年に法学修士、1924年に法学博士へと進む。1923年、カルカッタ大学法学部教授、1941年カルカッタ高等法院判事、1944年カルカッタ大学総長、1946年、ネール首相から極東軍事裁判のインド代表に押される。1960年、インドの再考栄誉勲章を受賞、ジュネーブの国連司法委員会議長、世界連邦カルカッタ協会会長に就任。1961年逝去。1966年、来日時に昭和天皇から勲一等瑞宝章を授与された。京都東山の霊山護国神社にもパール博士顕彰碑が1997年に建立されている。2005年には靖国神社には終戦60周年を記念してパール博士顕彰碑が建立されている。---------------本日のスイミングは500メートル。
2013/05/20
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重光葵「外交回想録」(中公文庫)を読み始めた。まず「血塗られた祝賀会--「隻脚記」より」を読む。1932年の天長節の上海ででの祝賀会で爆弾を投げらえて重傷を尾負った時の手記である。傷口は大小160幾つあり、非常な精神力で何とか乗り切るが、最終的に片足を切断することになる。------------------------アマゾン kindle ベストセラー書籍ランキング 5月20日。8位にランクイン。聞く力・考える力 ~各界のトップランナーが講師をつとめる自己表現の教室~久恒 啓一 (著)聞く力・考える力 ?各界のトップランナーが講師をつとめる自己表現の教室?http://blog.livedoor.jp/kindleranking/archives/27188526.html1位:模倣の殺意。2位:重力とは何か。3位:今さら誰にも聞けない株式投資の基礎。4位:雑学シリーズ・図解・宇宙。5位:磯野家の年金。6位:本質を見抜く「考え方」。7位:ディズニーサービスの神様が教えてくれたこと。----------------------------今日の収穫 偶然は、準備のできていない人を助けない(パスツール) 小さくていいから、鋭いキリで深い穴を開けてみよ。壁の向こうが見えてくる(常盤文克) 困難な仕事でも「できるか?」と聞かれたら、「もちろん、できます」と答えることだ。やり方はそれから懸命に考えればよい(セオドア・ルーズベルト) 出世の道は信用を得ることである(小林一三) 諦めない奴には、絶対に勝てない(ベーブ・ルース) 聴くことを多くして、語ることを少なくし、行うことに力を注ぐべし(成瀬仁蔵) 忠告は滅多に歓迎されない(チェスタフィールド) 施して報いを願わず、受けて恩を忘れず(大隈重信) どこかにたどり着きたいなら、今いるところには留まらないことを決心することだ(J.P.モルガン) 老いは怖くない。目標を失うのが怖いのだ(三浦雄一郎) 臆病者の目には、敵はつねに大軍に見える(織田信長)
2013/05/19
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今日の収穫 鈍劣予の如きも、亦凡ならず(鍋島直正(閑叟)) 惜しまるるとき散りてこそ世の中の人も人なり花もはななれ(渋沢平九郎) 政治は我が輩の生命 一国の独立は学問の独立(大隈重信) 既成の概念にとらわれることほど人の考えを誤らせ道を閉ざすものはない(本田宗一郎)------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130518 | 編集 人事委員会:教員採用の確認。 学部運営委員会:先週の学部運営委員会からの変化の確認と教授会前の執行部の意思統一。 教授会:今回からiPadなどを利用したペーパーレス会議にトライ。 10時40分から開始し終了目標を12時と宣言して始めたが、結果的に12時5分に終わった。前日の17時にすべての審議事項と報告事項がアップされているので、その内容を読み込んだ上での会議ということになった。従って委員長らの説明は要点と、教員への依頼事項が中心になる。そういった説明と質問、そしてそれなりの議論もあったが、12時5分という目標に近い時間で終了。 全員参加型学部運営をめざし、各委員会報告は委員長だけでなく副委員長も案件説明に加わってもらった。 事前に読めること、後で内容をチェックできること、そしてペーパーレスになったことなどがメリット。それから紙をめくる音がせず、静謐な空気が流れていることもよかったように思う。 事務局の準備なども当日の朝まで資料がそろわずにバタバタすることもない。 委員会開催、議事録作成、まとめのアップ、閲覧システムなどの一連の流とシステム化がうまく行われているのは素晴らしい。 以上、参加者の満足度の高い教授会となった。各委員会もこのような形で進めて欲しい。多摩大教職員の高い能力に確信を持った。 インターゼミ(九段) 各グループでの取り組みにすべての時間を費やした。 4年生の女子学生と話をしたら、その子は二つの名門ホテルの内定があり、大手航空会社の客室乗務員の最終まできているとのことだった。 終了後、蕎麦屋で金先生、バートル先生と奥山先生の歓迎会。
2013/05/18
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「世界」の寺島実郎「脳力のレッスン」連載134回は、「岩見銀山と銀の地政学」。ユネスコの世界遺産・石見銀山の歴史を追った論考である。1526年の博多の豪商神屋寿偵が発見、その後周防の大内義隆、尼子勝久、安芸の毛利元就、豊臣秀吉を経て、金銀山を接収し鉱山経営を直轄支配したのが徳川家康である。この特別の財源によって政治的統一を果たした。明治維新で一時官営となったが、藤田組が借区権を取得し近代鉱山としての開発を進めた。そして採掘量の限界に直面し、1943年の大雨被害で400年を超す歴史を閉じた。この小論考の中に研究の手法というものを垣間見ることができる。 鳥取・米子での講演の後に、岩見銀山史跡に足を延ばした。 内外の諸研究を集約すると、 文献を集積するうち、 私自身石炭の炭鉱に生まれ北海道・筑豊の炭鉱で少年時代を過ぎし、「炭鉱(ヤマ)」の生活が記憶の底にある。 私の母の出身地は広島県神石郡油木(現・神石高原町)という福山から中国山脈を深く入った所だが、母の口から親類・縁者のいる場所として、三次、上下、笠岡といった地名を聞いたものだ。膨大な文献探査と機会をとらえてのフィールドワークを土台に、自分自身との関わりと自らの体験を通じて実感的に対象を把握するという方法論は一貫している。ここに寺島さんの真骨頂がある。----------------帰りに初めてのプール(稲城)でスイミング。いつもは平泳ぎだが、今日はクロールにトライしてみた。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130517 | 編集 プレゼミの授業風景。志賀先生、バートル先生、椎木先生。f:id:k-hisatune:20130517091725j:imagef:id:k-hisatune:20130517102147j:image 講義5回目。実習風景。f:id:k-hisatune:20130517112401j:image 杉田先生のアリーナでのゴルフレッスン授業の風景。声をかけて振り向いたところのショット。一緒に受けたいなあ。f:id:k-hisatune:20130517133223j:image 梅澤先生のアリーナでのスポーツレッスン授業の風景。頑張ってるなあ。f:id:k-hisatune:20130517144943j:image ラウンジで諸橋先生、中庭先生、高野課長と。COC(地(知)の拠点)のめどがついてリラックスしている風景。f:id:k-hisatune:20130517160353j:image 明日の教授会の資料の件で、今泉先生と金子さんと相談。
2013/05/17
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リレー講座:目加田説子教授「寄付とボランティア」。f:id:k-hisatune:20130516145809j:image 政府・企業・NPO。どこまで税金で賄うか。範囲は時代とともに変化していく。 「公」は官そのものではない。財政難とわがまま。公共財の理論からは政府の失敗と市場の失敗の補完。社会資本論からの説明は協働の推進と水平的ネットワーク。そういう需要からNPO/NGOが必要だ。 NPO/NGO:利潤の非分配・非政府・自己統治力・自発性・組織性が特色。 東日本大震災:日赤・中央共同募金会3106億円・企業1200億円・海外504億円で計4810億円の寄付。このうちNPOには1100億円(アメリカから三分の一)まわった。ボランティア総計では94万人。 NPOに関する制度改革 公益認定は官が判断 1998年:NPO法。17の分野。 2001年:認定NPO法人。税制上の優遇を受けられる。ただ認定要件が厳しく300-400しか認定されていない。 2012年:新寄付税制。世界トップクラスの素晴らしい税制。所得控除から税額控除・地方自治体独自の税制・認定基準の緩和・仮認定制度。これは民主党政権での実績。 アメリカ:寄付23.8兆円。個人寄付17兆円。GDP対比1.98%。日本:寄付1.18兆円。個人4874億円。GDP対比0.25%。 助成財団:アメリカは企業財団が中心(ビル・ゲイツ。ディズニー。グラクソ。フォード。ジョンソン・ジョンソン。)日本は教育関係が中心(国際教育支援協会、大阪府育英会、教育公務員弘済会、、、)。 今後の課題:民間非営利独立系シンクタンク。サービス提供+政策提言。専門家によるプロボノ活動。社会的責任投資(SRI)の普及など。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130516 | 編集 11時・赤坂の野田一夫事務所を訪問。近況報告。ゴルフの日程調整。 11時半:一般社団法人創造的復興教育協会の大村事務局長から事業の説明を受ける。参加要請。 復興教育に関する情報収集・蓄積・発信は終了。復興教育を担う人材の育成。心のケア。PTSD。実験校で21世紀の教育。資質の向上と新しい仕組み。IT。宮城教育大。企業の参加。イノベイティブな教員。首都圏でも。、、、。 私の考えとやっていることを話す。グローバルリーダー論。アジア・図解・人物、、、。 野田先生、藤村さん、大村さんで食事しながら、続きの意見交換。 14時:多摩に戻り学長にいくつか報告。 2012年度・インターゼミ(社会工学研究会)最終論文集が完成。350ページ。これで4冊目。だんだん積みあがってきた。 日中韓の領土問題--尖閣諸島と竹島 地域特性を生かしたエネルギー自立化モデルの可能性 東北を活性化するミュニティ形成--福島県平田村を事例にして 浦賀を中心に見た江戸幕府の対外貿易と海防 ディズニー海外展開戦略に関する考察--各国文化に適応するローカライズとは 金先生、諸橋副学長 14時50分:リレー講座:中央大学の目加田説子教授「寄付とボランティア」。 16時20分:ゼミ:前半は図解演習、後半はプロジェクト。3年生のIYOKUBA参加者も多かったので一安心。 「スポーツGOMI拾い」の馬見塚さんから昨年参加した多摩センターのイベントのテレビ映像を見せてもらう。なかなかよくできていた。6月2日のお台場でのガンダム参加のイベントに参加することになった。「スポーツGOMI拾い」は既に140回を数えているとのこと。こういったオリジナルの運動は応援したい。 終了後、残った馬見塚さんと懇談。本を2冊差し上げる。
2013/05/16
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文芸春秋6月号。 大宅壮一の遺産(植田康夫):「外国旅行は、ジェットコースターに乗せられ、ぐるぐる廻っているようなものだから、話を聞いたらメモをしておかなければ駄目だよ」(大宅壮一) 日本は「クオリティ国家」を目指す(大前研一):人材育成こそが「道州」の最大の仕事。 司馬遼太郎さんがこれた救いの手紙(柳田邦男):「人は、たとえ六十、七十であろうと、二十五六であろうと、春夏春秋というのがあるのだ。悔ゆることはない」(吉田松陰) 嫌いな日本語、気になる敬語(林真理子):「マジっすか?」「元気をもらいました」 自分史で「書く力」を鍛える(保阪正康):「読者を決めよ」「形容詞を使い過ぎるな」 名経営者 人を奮い立たせる言葉(鹿島茂) 大宅壮一ノンフィクション賞発表:船橋洋一「カウントダウン・メルトダウン」。フクシマ戦史。早速購入した。---------------- 帰りにプールでスイミング。母の水泳の短歌を想いだしながら。毎回500メートルはノルマにしよう。 水しぶきたてずに泳ぐクロールの五百メートルは私のノルマ 朝日の斑映れる水にもぐりつつ泳ぐしばらくは心地よき孤独 空気中より水中が好きあの世にもクロールきって泳ぎゆきたし 夜は横浜で編集者らと飲み会。------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130515 | 編集 豊田先生 今泉先生。カリキュラム。 矢内事務長 金子さん 渡辺幸裕客員教授(プロジェクトゼミの「グローバルビジネスマン養成講座」)とラウンジで懇談。来週のゲストは日本酒の獺祭の社長さん、再来週は外務省の中東担当官を予定しているとのこと。私のゼミの重田君も同席。 文科省「地(知)の拠点」申請打ち合わせ。中庭、諸橋、今泉の各先生と高野課長。
2013/05/15
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箱根のライフアートミュージアムで買った玉村豊男さんの本を数冊読了した。1945年東京生まれ。東大仏文科卒業。在学中にパリ大学言語研究所に留学し、欧州各地を周遊19070年に帰国。テレビ局に内定するも内定者合宿で向いていないと辞退。その後、国内旅行ガイド、海外旅行コンダクター、通訳、翻訳業などを経て、1972年より文筆業。1983年長野県軽井沢に移住、42歳の年に吐血し輸血でC型肝炎をもらう。1991年には同じく東御市に移住し農園を開拓。2003年ワイナリーを設立。2007年には元箱根に玉村豊男ライフアートミュージアムを開設。 軽井沢は5月の中旬から6月の梅雨入りまでの約一か月のあいだが、一年のうちでもっとも美しい季節である。 ノンアルコールビールの登場で、酒のない食卓が淋しくなくなった。週の半分の飲酒日にはおいしいワインを楽しむ。 65歳から始めた筋トレ(ダンベル・マシン)で少しづつ体型が変わってきた。 アトリエで、日のあるうちは絵を描き、夕方になったら筋トレをやり、夜はダーツで過ごす。 他人に依存しない人生を送りたいと、若い頃からそう考えていた。 つねに前向きに毎日を過ごす心構えで、上質なヴィンテージワインのように、年を経るにしたがって熟成していかねばなりません。 本を書く約束も1年単位で考えるようになりました。溜まった執筆の約束が向こう2年分くらいはある。 いちばん危険なのは、ライフワークをもつことです 文章を書くこと、絵を描くこと、ワイナリーを経営すること。 好き勝手にやてきたが案外慎重だった。左足に全体重を移しても大丈夫か完全に確認できるまでは右脚を地面から離さないでやってきた。 病気がなかったらもっとヘラヘラした人生を送ってたかもしれない。 ワインづくいには免許が必要。最低6000リットルの生産が必要。膨大な資金が必要。還暦を目前に控えて、私財を投げ打ち借金を重ね会員を募って資金を集めて、ついにワインナリーをつくった。 僕の一番好きなシーンっていうのが、料理や酒を並べて、みんなでバカ話をしながら飯を食っている時間。 原稿は注文を受けて書く職人仕事。絵は描きたいものを描きたいときに描く、プロではなくアーチスト。晴耕雨読ときどきワイン (中公文庫) 作者: 玉村豊男 出版社/メーカー: 中央公論新社 隠居志願 作者: 玉村豊男 出版社/メーカー: 東京書籍 今日よりよい明日はない (集英社新書) 作者: 玉村豊男 出版社/メーカー: 集英社 作家の胃袋 作者: 大人の胃袋研究会 出版社/メーカー: 祥伝社 --------------------------------今日は帰りにプールでスイミング。玉村さんの影響を受けて自宅でノンアルコールビール。次は軽井沢に行こう。---------------------------------学部長日誌「志塾の風」130514 | 編集 杉田先生。今日からIYOKUBA。 今泉先生。ゼミ、ビジネスICT。 出原先生と金先生。オープンキャンパス。 中庭先生。COC。
2013/05/14
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2013/05/13
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一泊二日の旅。いずれ、報告を書くが、今日はメモ程度に記す。 湯河原の重光葵記念館。f:id:k-hisatune:20130512113633j:image重光葵(1887-1957年)は明治の外交官・政治家。大分県杵築出身。湯河原の別邸で逝去。69歳。平和の調停者。「志四海」(向陽)という額があった。四海を志す。志が全世界を覆う。志を全世界に及ぼす。この言葉を外交方針とした。1929年上海領事。1931年駐華公使(満州事変)。1932年右脚切断(上海事変停戦協定・爆弾)。1933年外務次官(46歳・広田外相)。1936年駐ソ大使。1939年駐英大使(日独伊三国同盟の危険性)。1941年駐華大使。1943年外務大臣(東条内閣・小磯内閣・終戦を木戸幸一内大臣と話し合う)。1945年外務大臣(東久邇内閣・日本全権としてミズリー号上で降伏調印)。戦犯になる。1952年改進党総裁。1954年日本民主党副総裁、鳩山内閣副総理・外務大臣。1956年日ソ交渉(不調)、国連加盟総会演説(「日本は東西の架け橋になる」)。1957年死去。 箱根のパール下中記念館極東裁判で日本無罪論を展開したインドのパール判事(1886-1967年)と、パール判事と兄弟の交わりをした下中弥三郎(1878-1961年)の記念館。パール判事は「極東軍事裁判において法の真理を守り、ひとり毅然と全員無罪の法理を瞭かにした」人物で、日本の恩人。パール判事の碑文(ベンガル語)は「すべてのものをこえて、人間こそは真実である。この上のものはない」。下中の碑文は「世界連邦 平和の道 外はあらし 国人すべて ここにあつまれ」。f:id:k-hisatune:20130512135434j:image 箱根・成川美術館成川實が20年間に日本画を4000点集めた美術品を展示する美術館。山本丘人の絵は200点。平松礼二(1941年生)の企画展が開催中。この人は2000年から2010年にわたって文芸春秋の表紙画を描いた日本画家。 箱根・玉村豊男ライフアートミュージアム。玉村豊男(1945年生)は「自分の人生そのももをアートとして表現したい」という想いから、このミュージアムをつくった。「水彩画原画展」をやっていた。玉村豊男は、エッセイスト、画家、農園主、ワイナリーオーナーという肩書を持つ文化人。f:id:k-hisatune:20130512152816j:image-----------------------------小涌園に宿泊。中国人、韓国人、イタリア人も多く、グローバル化している。温泉地は、外人と老人で満杯。「ON泉OFF呂」(温泉お風呂)というポスターがあったが、なかなか面白い。
2013/05/12
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今日はスケジュールが厳しかったが、充実した一日でもあった。学部長日誌「志塾の風」130511 | 編集7時40分:アメリカから帰国した学長から電話。近況報告とインターゼミについて。 9時15分:人事委員会。来年度教員採用について合意。 10時:学部運営委員会:iPad会議が問題なく進行。入試関係で少し議論があった。2時間半。 13時半:事前打ち合わせ 14時半:後援会役員会に学部長と常任委員として出席。 冒頭の学部長あいさつで15分。 「多摩大の理念と教育プログラム」の骨子(戦略・人材像・カリキュラム・ゼミの多摩大)。 2012年度の実績の説明(就職・インターンシップ・入試)。 2013年度の最新の動きを説明(4年生の好調な内定状況。就職説明会への3年生の出席が221名と倍増。インターンシップ枠が163名と大幅増加。留学説明会への参加が2割増えている。25周年記念として建設予定の地域イノベーション型生涯学習センターの説明) 2012年度事業報告と2013年度事業計画の説明を担当。いずれも承認された。 16時に議事終了後、役員たちと懇談。 17時45分:インターゼミ中の九段サテライトに到着。日本能率協会マネジメントセンターの池淵さんから一緒に手がけている「グローバル・リーダーコース」のゲラを見せてもらう。充実した内容の教材が出来上がった。私が監修・執筆だが、寺島学長のアジア論・インターゼミの紹介と大学院生参加者の座談会・多摩グローカルフォーラム(日韓)紹介・アジア系教員インタビュー(金・趙・バートル)と、オール多摩大で作り上げた知的生産物となった。 序章:グローバル・リーダーに必要な「歴史意識」と「アジア・ユーラシアダイナミズム」の理解 1章:グローバル化の直面している日本企業が抱えている課題 2章:グローバル・リーダーになるための7条件1 3章:グローバル・リ^ダーになるための7条件2 4章:先進企業のグローバル対応事例 5章:グローバル化対応に向けた具体的施策 付章:ビジネスパースンがグローバル化に対応する技量を学ぶには 18時15分:中庭先生と諸橋副学長に池淵さんを紹介。文科省「地(知)の拠点」プロジェクトへの参加を依頼。 18時40分:グローバルスタディーズ学部の安田学部長と学長室高野課長と蕎麦屋で歓談。大学全体や両学部の課題や交流について突っ込んだ話ができた。
2013/05/11
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行徳先生f:id:k-hisatune:20130509130445j:image 歴史を学ばないと今は見えんぞ。法隆寺の弥勒菩薩。「最高の美しさ、気高さ」「過ちを犯した人だ」(ヤスパース)。過ちだらけで生きよ。 野性の鴨。デンマークのジーランド。翔べなくなった鴨。トム・ワトソンの「野鴨であれよ」が今のIBM。 アサヒビールの中条会長こそ野生の鴨。芥川の茂吉宛ての手紙「野性が欲しい」。はみ出せ、飼いならされるな、野生に生きよ。野生の哲学を持て。 キルケゴールは野生の哲学。せむし、屈折。ジーランドに転地。悪の根源は安楽だ。安楽は悪魔の使徒である。 平和ボケの日本。カンボジアの虐殺の広場。鹿児島知覧の特攻隊の記念館。映画「蛍になって」。気の喪失が病気。気集まれば生、気散ずれば死。幕末の春日せいなん「短所、欠点なき人は語るに足らず」「無謀に」。 人をときめかせる何かがあるか。原宿を創った松本は10万円を240億円にした。「どきどき、わくわく」。大富豪モルガン・スタンレー。 感性の時代が来る。ときめきの時代だ。ときめきが命をつくる。考え込んでも解決しない。感動とは感じて動くこと。感じること、即ち動くこと。感じさせないと動かない。 知に偏るな。感動できる人間になれ。自分にもどる。京都伏見工業の山口良治監督の物語。やさしさの中にこそ強さがある。「強くなければ生きていけない、やさしくなければ生きている資格はない」(レイモン・チャンドラー)。心の時代。 多摩大。建学の精神。自由。エネリギーとダイナミズム。鶏口となるも牛後となるなかれ。若者が歴史をつくる。橋本佐内25歳。明日何が起こるかわからない、この面白さ。松岡修造「勝ちにゆく時が来ました」「修造を極めろ。修造を倒せ、戦え」。富岡鉄舟と西郷。-------------------松本重治「上海時代--ジャーナリストの回想」(上)を読了。感銘を受けた。上海時代―ジャーナリストの回想〈上〉 (中公文庫)上海時代―ジャーナリストの回想〈上〉 (中公文庫) 作者: 松本重治 出版社/メーカー: 中央公論社 発売日: 1989/03 メディア: 文庫 この商品を含むブログ (3件) を見る満州事変後の排日・抗日の嵐の中でジャーナリトとして上海に赴任した松本重治(1899-1989年)は6年間(1832-1938年)にわたって日中関係をテーマに仕事をする。内外の政治家、外交官、財界人、ジャーナリストとの多彩な交友を重ね、日中関係の正常化と和平の実現に尽力する。全3巻の上巻。当時の中国の指導者はほとんどが日本留学の経験者だったのには驚く。f:id:k-hisatune:20130510052003j:image東大を出たが官禄を食むことはしたくない、会社や銀行にも入りたくないとブラブラし、アメリカに留学をする。そこで漠然と「国際的ジャーナリスト」になりたいという希望と、アメリカと中国について関心を抱くようになる。1929年の京都での太平洋会議のセクレタリーとして参加。その後、この会議の延長線上に、多くの「奇縁」とともに人生が展開していく。 日米関係の核心的問題は中国問題である。日米関係は日中関係である。 センス・オブ・プロポーション。大きいことと小さいことを識別する能力。グラスプ・オブ・シングス。物事や問題の核心を把握すること。まず先立って自らの国民文化を深く研究しなければならない。真に国を愛するものにして初めて、真に世界にその目を開き得るからである。」(新渡戸稲造) 取材三原則:ギブ・アンド・テイク。最も大切なのは信用。ニューズをクリエイトする。 日本の事情の大綱を十分ぐらいで説明し得る能力を養う 表面は抗日、裏面は反蒋介石 一流の人間はみんなそうだが、、、恰好をつけるような気配は微塵もなく、一見旧知のような話しぶりだったが、」さすがに物腰は礼儀正しいものでああった。 日中関係を大切にするためには、第三国との関係、とくに日英関係を忘れてはならぬ。 中国の問題は、騒がずあわてず、落ち着いてやることだ。これのみが両国を本当に力強く結びつける方法である(有吉中国大使)内外の主要な人々が松本重治のまわりを巡る。どの人も国益を念頭に置いて国際関係を考え仕事をしていく。立派な日本人と立派な中国人が織りなす絵柄としての歴史は大変に興味深い。日中戦争前後の事情と雰囲気がよくわかる。中巻・下巻も読みたい。梁啓超という人物を調べること。松本重治は館長を務めていた六本木の国際文化会館を改めて訪問したい。日航時代はこの会館には縁があってよく訪れていたが、ここを舞台に国際関係の歴史がつくられていったのだ。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130509 | 編集 矢内事務長。広報に力を入れる。 日本BE研究所の行徳先生の講義。その前に挨拶と話をする。拙著「遅咲き偉人伝」が話題になる。 趙先生の授業で行徳先生の講義。名講義だった。最後に指名されて感想を述べる。101教室は満杯。学生の受講態度も良い。教師としてのあり方を考えさせられた。f:id:k-hisatune:20130509131902j:image ラウンジで行徳先生、新長さんたちと歓談。雑誌「致知」と福岡の歴女・白駒さんに紹介される。 研究室で仕事 ゼミ 多摩エクセレントカンパニーPJの担当の中庭先生と奥山先生から冒頭に説明を受ける。 図解演習。2年生には講義スタイル。3年生には日経新聞の記事の図解とミニ発表。 4つのプロジェクトに分かれて活動。f:id:k-hisatune:20130509172009j:imagef:id:k-hisatune:20130509172003j:imagef:id:k-hisatune:20130509172017j:image
2013/05/10
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池田勇人さんが4月からプロジェクトゼミ「ソーシャルメディアで社会問題の解決を加速する」で学生に刺激を与えてくれている。非常勤講師の目に写った多摩大の姿。-------------------[評判, クチコミ] 多摩大学がなかなか熱いぞ―安藤美冬、イケダハヤトも非常勤講師 http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/23568 2013/05/09 多摩大学で非常勤講師をやって1ヶ月、ここ熱い大学ですよ。知名度は高いとはいえませんが、やる気がある高校生にはぜひ選択肢に入れていただきたい感じ。半分「中の人」ですが、クチコミをご共有。充実の講師、ゼミ重視、ビジネスの先端に触れる多摩大学のコンセプトは「現代の志塾」。変化を起こすビジョナリーを育てる教育に主眼が置かれています。学部は「経営情報学部」と「グローバルスタディーズ学部」のふたつと、小規模な大学です(ぼくは経営情報学部で教えています)。特に面白いのは、ゼミ重視の教育方針。「ゼミの多摩大」を標榜するだけあって、この大学は1年生からゼミに入ります。今教えているのは2年生以上の学生なのですが、なるほどみなさんゼミ慣れしてます。ぼくもこんな教育を受けたかった…(ぼくが出た早稲田政経は3年次から、しかも抽選!でした。抽選はありえない…今はどうなんでしょう)。また、講師も実務家たちを積極的に招き入れ、実践的な知識を与えることに注力しています。学部長の久恒先生は日本航空で実務経験を積んだ方。ベストセラー本「図で考える人は仕事ができる」の著者でもあります。ビジネス感覚に長けている学部長って少ないのでは。とてもフランクで、学生との距離も近いのも魅力的です。イー・アクセス、イー・モバイルの創業を手がけた小林英夫さん、「和僑」の著者である安田峰俊さん、そしてあの安藤美冬さんも非常勤に名を連ねています。これは熱い。ぼくのような若者まで非常勤にしてしまうあたりは、イノベーティブなものを感じます。今後は、ビッグデータ時代に見合った人材や、NPO/NGOの経営ができる人材育成に力を入れていくそうで。さすが学部長、時代を先取りする気満々です。NPO人材の育成は熱いなぁ。学生たちは真面目で、先週はゴールデンウィークだというのに9割近い出席率でした。雰囲気としては、大人しい学生が多く、時折「変種」的にぶっ飛んだ学生がいるという感じ。あの岡俊輔氏を輩出した大学でもあり、不思議なDNAがあります。関連記事:「5万円あれば生きていけるんです」―単身、中国・深センに飛び立ち事業を興す岡俊輔氏(24歳)多摩大学というだけあって、場所は多摩市。ちょいと遠いですが、良い場所です。ちなみに、近くには中央大学、明星大学なんかもあります。もちろんぼくも近くに住んでます。自分が教えているのでステマっぽいですが、中をのぞいてみた感じは、掛け値なしにいい感じです。小規模の大学っていいものですね。少人数ゆえ、モチベーションが高ければ、教員にかなり可愛がってもらえそうな雰囲気を感じます。ゼミ中心だけあって、生徒と先生の距離はかなり近いです。自分の手で学生生活を能動的に作り上げていきたい、即戦力として通用するビジネス実務を身につけたい、なんて学生にはお勧めです。ぜひ選択肢に。-----------------------★この記事を読んだ人にはこの本がおすすめ。大学選びはブランド重視の傾向が強いですが、知名度が高くない小規模大学というのも、かなりアリだと感じます。「つまずかない大学選びのルール」は、そんなブランド重視ではない、本来あるべき大学の選び方を教えてくれる一冊です。つまずかない大学選びのルールposted with ヨメレバ山本 繁 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2013-03-01■学部長日誌「志塾の風」130510 | 編集プレゼミ 授業:早くも4回目。今日から本格的な実習授業。 今泉先生。ビジネスICT。 高野課長 [評判, クチコミ] 多摩大学がなかなか熱いぞ―安藤美冬、イケダハヤトも非常勤講師。 http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/23568
2013/05/09
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知研の八木会長が売れっ子の外交評論家・孫崎亨さんを知研に呼ぶことに成功した。孫崎さんは「戦後史の正体」(創元社)を書いて一躍有名になった方。この本のことを書いた私の書評。日本の戦後の外交には、対米追従と自主独立の二つの路線の相克が続いている。米国の日本支配の実態について論じるというタブーに挑戦した意欲作だ。このことを勇気をもって語るべきは外務省のOBだという認識の下で、著者・孫崎亨(元外務省・国際情報局長)はこの本を書いた。最近の民主党政権の失敗、小沢一郎起訴事件、尖閣や北方領土問題など、この視点で説明されると腑に落ちることが多い。日本の気概の喪失、精神的頽廃は、実に根が深いことを思い知らされる。この本は8月10日の出版で、創元社の「戦後再発見」双書の第一弾だ。今から話題になるのは間違いない。http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20120817--------------------------知研東京セミナー「日本の自主外交をいかに実現するか」講師;孫崎亨氏(外交評論家)日時:2013年6月20日(木)18:30~20:30場所:商工会館(虎ノ門、特許庁隣、霞ヶ関ビル:TEL03(3581)1634。最寄駅、地下鉄銀座線「虎ノ門」南北線「溜池山王駅」歩4分。参加費:3000円(会員)4000.円(一般)古来、外交は戦争の延長であるといわれ、アテネとスパルタが戦ったペロポネソス戦争以来、外交の要諦は万人と万人との闘争において、強者はいかに他国を侵略して国益を計るか、弱者はこれに抗していかに遠近の国と同盟して自国民を守るか、その血みどろの国家関係はあたかも理知や権謀術数に徹底した冷酷な人間関係にたとえられます。しかしその欠けた分を韜晦(くらます)するあらゆる大義名分や美辞麗句がもちいられてきたのが歴史の現実です。戦後、我が国は冷戦時代は西側陣営として、外交能力を発揮する必要も場もなかったと言えます。しかし、冷戦が終わってからは世界の枠組みが大変化し、我が国が自主外交を展開する機会がきたにも関わらず、米国の意に反する政策を多少でも行った首相は次々に首をすげ替えられ、自主外交はなかったと孫崎氏は主張しています。すべてにおいて外交が下手であり、対米追従型の外交路線から一歩も出られない政治家、評論家、メディアに対して孫崎氏は勇気をもって反対意見を堂々と開陳する貴重な方なので、当日はたっぷりご意見をうかがい、質疑時間に忌憚のない対話を行いたいと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~孫崎亨氏プロフィル:1943年満州国鞍山市生まれ、66年東大法学部卒業前に外務省上級職に入省、イギリス、ロンドン、モスクワにて研修を受け、在ソ連大使館員、外務省大臣官房企画官、国際情報局分析課課長、85年、在米大使館参事官、ハーバード大学国際研究所、86年、イラク大使館参事官、」89年、カナダ大使館、ウズベキスタン「全権大使、」外務省国際」「情報局局長、イラン特命全権大使、防衛大学教授など歴任して退官。近著:「戦後史の正体」(創元社)「アメリカにつぶされた政治家たち」(小学館)。申込先:NPO法人知的生産の技術研究会 Email:tiken.org@nifty.comまでお申し込みください FAX 0425(65)5744 帰りに水泳400m。昨日は600m。 永沼君(小学校時代からの友人)からの手紙。電話。--------------------------■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130508 | 編集ラウンジは連休明けの闊達な空気。 総務の黒瀬さんと後援会役員会などの件。 池田勇人先生(非)。20人。 片桐先生(非)に池田さんを紹介。 豊田先生。ビジネスデータサイエンティスト。 高野課長と各種相談。 中庭先生。地(知)の拠点の説明。広報関係。 渡辺幸弘客員教授。歌舞伎。獺祭バー(京橋3-1)。 中村その子先生から渡辺さんに共同研究「グローバル人材像」の講師依頼f:id:k-hisatune:20130508142522j:image 彩藤先生。大学研究家山内さんのセミナー。 研究室でPHP鈴木さんと打ち合わせ。岩沢さん。f:id:k-hisatune:20130508121852j:image
2013/05/08
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九段の昭和館で「中原淳一展」を観てきた。f:id:k-hisatune:20130508054146j:image中原淳一(1913-1983年)は「少女の友」「ソレイユ」などで女性を描いた画家であり、後年はファッションデザイナーとしても勇名をはせた。45歳心臓発作、46歳脳溢血、59歳発病、70歳没と病気に悩まされた人生でもあった。「二宮金次郎が抒情家になったのではないか」(杉浦幸雄)と言われる画風だった。 こんな時代を乗り切って美しく愉しくといふのは、結局知性を高め、工夫する精神と美しさをキャッチする眼を肥やすことであろう。f:id:k-hisatune:20130508054012j:image横浜そごう美術館で「山口晃展」を観てきた。山口晃(1916-)は、古今東西のあらゆるモチーフを緻密な描写で巧みに再構成する作風。2001年には第4階岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞を受賞している。浅田次郎「一路」、ドナルド・キーンの著書など多くの作家の表紙絵も担当している。f:id:k-hisatune:20130508054050j:image「現代の大和絵」といわれる超絶的な鳥瞰図法は魅力がある。現代の風景や建物に、中世、近世、近代、そして現代の人物が違和感なく配置されている。空間だけでなく、時間をも含めた大きなる鳥瞰図といえようか。現代の会田誠とよく対比される。また江戸末期から明治にかけて活躍した河鍋暁斎を「古いものから新しいものからも一歩も逃げないで、それらを伝統的な筆法、画法で片っ端から捌いてゆく」と高く評価しているのはわかる気がする。山口は岡倉天心やフェノロサは外発性の高い人工的な代物に見えると、近代日本画を批判している。
2013/05/07
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神奈川近代文学館で開催中の「井上ひさし展」を観る。井上ひさし(1934-2010年)は、「吉里吉里人」「ひょっこりひょうたん島」などで馴染みのある作家だ。仙台文学館の初代館長を9年つとめて、2007年3月に退任している。この文学館はいい企画をするのでよく通ったものだ。企画展で資料を眺める中で、この人の母親が偉い人だったということを感じた。世の中で名を成している人は母親が偉かった人が多い。父親はいろんな人がいる。f:id:k-hisatune:20130506104813j:image母親・マスとの手紙のやり取りでわかる。涙が出る。仙台の児童養護施設・ラ・サール・ホーム(光ヶ丘天使園)などにいた母親との手紙が展示されている。「私も元気に土方の道に精進します。土方とは地球の彫刻家だそうですから、安心しました。」「映画の友社あきらめずに毎月投書しなさい。どんなことでひさしちゃんの運命が善展するかわかりません。、、君の文才には大きなる期待をかけて居ります。紙よいとし子を守りなせ。」「なあ、この世はちゅうもんは、わしには水晶みたいな階段じゃなかったぞ、、」入り口の映像では、そもそも動物には笑いがない。笑いは人間が外でつくるしかない。そしてそれを共有する。それが最大の仕事だ。哀しみなどを忘れさせるにが精いっぱいの抵抗だ、という井上が主張している。井上ひさしの言葉。 仙台に来る映画をすべて観よう 自分を大切にしていれば私の本来の目的の、ほんとに日本人の新劇も書けるでしょう」 日に三本の映画を観て、一日に約10-20枚の原稿書き、、 、、華々しいようですが、一字一字書かねばならないことを考えると死にたくなります。5歳で失った父親の影響は本だった。「父親の遺した本の山の前に立つたびに、わたしは生命の連続性ということに思い当たる」井上ひさしの遺した蔵書は22万冊にも及ぶ。それを生前から山形県川西町に1987年にできた「遅筆堂文庫」に寄付しており、そこでは1988年から2012まで生活者大学校が開かれ著名な人たちが講義をしている。売店で「本の運命」「作文教室」「青葉繁れる」を購入。本の読み方十箇条。以下、参考になった部分。 「索引は自分でつくる」:本の扉とか見返しに、大切だということがら、言葉をずーとならべて、それが出てきたページを書いておく。、、大事な本はそうやって読む。引用もすぐできるし、あとでとても役に立ちます。 「本は手が記憶する」:「書き抜き帳」を用意して、本でも新聞でもなんでも、是は大事だと思うことは書き抜いていく。出典とかページ数とかも書いておきます。そんな手帳が1年に5-6冊。一種の「知的日録」。情報のポケットをひとつだけにする。中身を単純に時間順に並べる。 「本はゆっくり読むと、速く読める」:最初の10ページくらいはとくに丁寧に、登場人物の名前、関係などをしっかり押さえながら読んでいく。そうすると自然に速くなるんですね。 「専門書は、目次を睨むべし」 「大部な事典はバラバラにしよう」 「個人全集をまとめ読み」:ダイジェスト、索引、そして著者の言葉遣いや書き癖について気がついたことを小まめにメモしていく。読み終わったときには、評伝や作家論が欠けるぐらい、充分な資料が自然に抽出されている寸法になる。「井上ひさし 作文教室」から。 自分にしか書けないことを、だれでもわかる文章で書くということだけなんです。(だれでも書けることを、だれにもわからない文章で書いている人がいる) 自分を指す人称代名詞は、ほとんどの場合、全部、削ったほうがいいんです。----------------------------------夜は、横浜そごうのライオンで、ビジネスマン時代の仲間(浅山、環、松本)と会う。13時半から17時半まで、4時間も。 -
2013/05/06
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世田谷文学館の「上を向いて歩こう展--奇跡の歌から希望歌へ」を観てきた。永六輔作詞・中村八大作曲・坂本九歌の、日本が生んだ世界的大ヒットである。1961年に発表され、「SUKIYAKI」と命名されて1963年にはビルボードランキングで1位になり、それが3週続いた。翌年にはアメリカで100万枚に達し、ゴールドディスクをもらうという栄誉をもらう。こういう歌は日本からはその後も出ていない。空前絶後の出来事だった。現在この歌は70ケ国で歌われている。「上を向いて歩こう」は、1985年の日航機事故で坂本九が亡くなった後も日本人に愛されて歌い継がれてきた。そして2004年の台風23号による水害でバスの屋根で一晩過ごした乗客がこの歌を歌って互いに励まし合うという事件も起こる。2011年の東日本大震災でも、復興の歌として毎月3月11日に全国でこの歌を歌う運動が続いている。不思議な力を持った歌だ。f:id:k-hisatune:20130506070111j:image中村八大は1931年中国青島生まれ。10歳の時、荒城の月とさくらさくらを聞いて、「涙をとめどもなく流し、このときに初めて生涯をかけて、大音楽家になろうと、心に誓ったことを覚えている」と述懐している。1954年に早稲田に入るために久留米から上京する。「いよいよ僕自身の人生が、僕自身の未来が、僕自身の手で限りな開けてゆくのだ」と記している。いずみたくは1万5千曲。古賀政男5千曲。浜口庫之助5千曲。服部良一3千5百曲。ところが中村八大は意外に少なく5百曲にも満たない。しかし「黒い花びら」「こんにちは赤ちゃん」などレコード大賞をとった曲も多い。中村八大は決意と計画の人である。これも意外だった。 多数の霊との条約:願望達成の瞬間までの絶対的禁煙。週1回を越えない変質量。飲酒は家庭で主に小量。生活規律化の実行。金銭のけん約。基本的学(楽)門。適度の運動。眼前の仕事を直ちにしょりする実行力。(10代の後半) 中村八大は他から作られず、自分で完成させる物也。よってすべての環境は、彼にとって生かされる・中村八大が送る生涯は自分が製作する人生也。中村八大は永遠に生きねばならない。中村八大は誰よりも苦しく、誰よりも幸せでなければならない。中村八大は今日から決定的に作られて行く。1953年十月二十一日 右の通り決定する。(20代の日記)-永六輔は1933年浅草生まれ。早稲田。新しいソングライティングのスタイルを生んだ。「詞とメロディが同時に発生し、詞のさわりのところにメロディを乗せ、メロディの良いところに詞をつけてもらい、共同作業で曲を完成させた場合には、ほとんど良い結果が生まれる」(中村八大)第3回中村八大リサイタルで、ロカビリー歌手だった坂本九は中村八大に抜擢され、「上を向いて歩こう」をを歌う。1941年川崎生れ。中村八大は、私の母の幼馴染である。青島では同じビルの1階に住んでいてよく遊んでいた。「八ちゃんは、ピアノの天才で足でピアノを弾けた」という。私も子供の頃、八大さんが中津でコンサートをやったときに会ったことがある。永六輔さんは、日航の広報部にいた時に仕事で何度も会っている。その時に中村八大さんとの縁をお話したら、興味深く聞いてきれた。会いに行こうと思っているうちに八大さんは亡くなってしまった。坂本九さんには会ったことはないが、御巣鷹山の事故で奥様の柏木由紀子さんのお世話を同僚がするのを見ていた。こうやってみると、それぞれに何か縁がある。中村八大 新しい時代がくる。新しい音楽の時代がくる。音楽こそ僕の生命だ。 歌謡曲を素直に心から愛せる人間は人生に対して一番正直な人間だと思う。 多くの音楽を持つことがその人の幸せの量と比例するだろう。 心の中のドロドロを、そのまま認めて一緒に歌ってくれる歌謡曲。ドロドロの人生をさけて明るく楽しい人生を夢見させてくれるポピュラーソング。若者の真実の心情をみなに聞かせて共感を呼びたいフォーク・ソング。1年のうち300日目ごろには、どうしようもなく積もるい積もった人生のアカを、一夜で洗い流してくれるベートーベンの「第九交響曲」。音楽はみな大衆のものだ。 メロディはえんえんと続き、ほんの些細な一日の出来事のひとこまが、長い歴史の中の先祖とつながり合い、楽しい未来を約束し、見も知らぬ土地の見も知らぬ人たちとの出会いにつながり、、、音楽の感情としてのつながりが生じ、言葉はなくとも笑顔が重なり、富める人も貧しい人も何のわだかまりもなくうちとけ合って笛を鳴らし、足ぶみし、生の歓びが天空を駆って、未来永劫に全人類に通じるように、、、。f:id:k-hisatune:20130506063757j:imagef:id:k-hisatune:20130506063846j:image佐藤剛「上を向いて歩こう」(岩波書店)を読了。
2013/05/05
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上野の東京都美術館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ」展が開催中だ。イタリア・ミラノの古代ローマの広場に建つアンボロジアーナ図書館には、1482年から1500年の間にこの地で過ごしたレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)の重要な作品と、人生の記録とも言うべき「アトランティコ手稿」1118枚が展示されている。その企画展である。「音楽家の肖像」には強い印象を受けた。f:id:k-hisatune:20130505070225j:image今回の発見は、「万能の人」と言われるルネッサンスの申し子ダ・ヴィンチは、自らのことを「無学の人」と呼んでいたことである。当時の学問言語であるラテン語の正規教育を受けなかったことをそう呼んだのだが、机上の学問、受け売りの知識は往々にして知性を曇らせると考えていた。500年前に生きたダ・ヴィンチは、「自然」を観察することと、自らの経験から導きだされる知識が重要であると言っている。ダ・ヴィンチは、ミラノの宮廷に自らの能力を売り込む手紙を書いている。10項目を列挙しているが、9項目目までは軍事技師としての能力であり、最後の10項目目で「平和時には、建築や、公共および個人の建物の設計、、水を引くこと、、。絵画では、相手がどのお方でもあれ誰にも劣らぬくらい巧みに、描ける限りのことを描けます、、」と述べている。戦時の軍事技師、平時の建築家、そして画家の才能は添え物のようだ。「未完の画家」とも呼ばれるように、描いた絵は少なく、また完成しない絵も多かった。----------------------------------寺島文庫だより第28号に寄稿。NPO法人知的生産の技術研究会(知研)は梅棹忠夫先生の名著「知的生産の技術」(岩波新書)に触発されて1970年に創立された老舗勉強会で、2000年にNPO法人となりました。寺島実郎先生には長い間顧問をお願いしています。最近は大型のセミナー以外は、文庫カフェ「ミネルバの森」でセミナーを行っています。「日中関係の課題と展望」(沈海寿)「新聞の未来」(轡田隆史)「都立高校改革の全貌と課題」(都築功)「民間人から見た事業仕分けと公共事業の実態」(小野恒)「人物記念館の旅、500館を越えて」(久恒啓一)などが直近のセミナーのタイトルです。創立時は団塊世代中心のエネルギーあふれる若い会で、知研が編集した知的生産物である書籍は数十冊に及んでいます。またこの会で鍛えられて著書を持つようになったビジネスマンも多く育っています。40年以上経って現在は知的でアクティブなシニア中心の勉強会に変身しているといったところでしょうか。文庫カフェ独特の知的な雰囲気が大変気に入っています。NPO法人知的生産の技術研究会理事長・多摩大学経営情報学長 久恒啓一--------------- BSでファンである松井秀喜の物語をみた。メジャーでの175本の全ホームランを見せてくれた。 同じくBSで大相撲の人気大関・貴乃花の驚異の粘り腰も久しぶりに堪能した。
2013/05/04
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上野の国立西洋美術館でラファエロ展。この美術館は松方正義の三男の松方幸次郎(1865-1950年)の松方コレクション(浮世絵が8千点を含む1万点)の保存のためにつくった美術館だ。幸次郎は川崎造船所初代社長などをつとめた産業人。1927年の経済恐慌による業績悪化でコレクションを売りとばし散逸したが、パリに渡った400点は1951年のサンフランシスコ平和条約でフランス政府のものになった。日仏友好ということで返却され、1959年に国立西洋美術館が建てられた。さて、ラファエロである。ラファエロ(1483ー1520年)はルネッサンス文化の代表的画家である。宮廷画家で詩人であった父のもとに生まれ、8歳で母、11歳で父を失ったが、豊かな生涯を送る。意外に死期は早く37歳で没している。f:id:k-hisatune:20130504085749j:image同時代の大家・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)とミケランジェロ(1475-1564年)と同時期にフィレンツエで過ごしている。当時、ダ・ヴィンチとミケランジェロは政庁者の壁画装飾で競っていた。ダ・ヴィンチは動きのあふれる構図や陰影法、肖像画のやわらかなポーズを作風としていた。ミケランジェロは、男性裸体像の動きや短縮法、姿勢のバリエーションが特色であった。ラファエロもミケランジェロとはライバル関係にあると目される。この3人の天才の年齢関係はどうなっているか。ダ・ヴィンチよりミケランジェロは23歳年下、そのミケランジェロよりラファエロは8つ年下だ。ローマにもどったラファエロは、教皇の居宅の装飾を行う一員になり、頭角を現す。そしてヴァチカン宮の装飾事業という一大プロジェクトの責任者となる。このラファエロの特色は、工房の運営に長けていたことである。ラファエロの興亡には若く才能のある画工が集まった。ラファエロは彼らを熱心に指導している。能力や適性に応じて仕事を割り振った。この方法は17世紀のルーベンスの大工房へととつながっていく。ラファエロの死後、弟子たちはヨーロッパ各地に散り、それぞれラファエロを讃えながらそのDNAを引き継いでいった。短い人生だったラファエロが大きな偶像的存在になったのには、こういう事情があった。---------------------ティモシー・ライバック「ヒトラーの秘密図書館」(赤根洋子訳・文芸春秋)を読了。ヒトラーの秘密図書館 (文春文庫)ヒトラーの秘密図書館 (文春文庫) 作者: ティモシーライバック,Timothy W. Ryback,赤根洋子 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2012/12/04 メディア: 文庫 購入: 1人 クリック: 8回 この商品を含むブログ (6件) を見るヒトラーの蔵書、読書という視点から、ヒトラー誕生の秘密と思想の源を探った労著である。f:id:k-hisatune:20130504095304j:imageフリードリヒ大王の模範。世界の首都たるベルリン。スエーデンの探検家ヘディンの冒険物語。1万6千冊の蔵書、7千冊が軍事。毎日1冊以上の読書。フォード賛美。無学な男。出典を明らかにしない思想開陳。ドイツ経済の崩壊とともに首相になる。優越人種と劣等人種。アメリカ賛美。人種的・優生学的に浄化された世界を目指す勇気。百科事典をひく習慣。タルムードの鍛錬という鉄工所で鍛え上げられてきたユダヤ人は真のドイツ人にはならない。血と魂の腐敗。抜群の記憶力。共産主義はキリスト教の私生児だ、どちらもユダヤ人の副産物。ドイツは血と土によて統一された民族国家だ。ポーランドの絶滅。---------------------------------5月3日から丸の内で始まった「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンン熱狂の日」を覗く。どの会場も満杯だったので、東京国際フォーラムで野外の上野音楽大学の二人のピアノ連弾を聴く。20年ほど前に勤めていた丸の内も、東京駅を初めとして多くの新ビル群ですっかり変わった。
2013/05/03
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人間学を学ぶ月刊誌「致知」6月号の本の紹介コーナーで「30代からの人生戦戦略は「図」で考える」(PHP研究)が紹介されている。30代からの人生戦略は「図」で考える!30代からの人生戦略は「図」で考える! 作者: 久恒啓一 出版社/メーカー: PHP研究所 発売日: 2012/12/14 メディア: 単行本(ソフトカバー) この商品を含むブログ (2件) を見る「図解で人生を視覚化することで自己実現できる。30歳で「自分づくり」の重要性を悟り、多摩大学の学部長として多くの学生を導いてきた著者はそう語る。本書では生い立ち・出会い・出来事の観点から自分を知る、5W2Hで仕事を振り返る等の人生鳥瞰図を作るための具体的手法を示す。さらに「貯金より自己投資せと」「1時間早く家を出てみよう」等、人生計画を実現する行動も提案。一日という短いスパンにまで目標と行動を落とし込み、意識的な日々を送ることで、戦略的な人生を構築する術を説いた書である。」--------------------「図解 人生がうまくいく人は図で考える」がキンドルでリリースされた。http://amzn.to/ZZOeYI「図で人生を考えると、思い通りの人生を生きるために「必要なこと」が見えてくる!この先一生、仕事・お金・健康・人間関係で困らなくなる! 」490円。図解 人生がうまくいく人は図で考える図解 人生がうまくいく人は図で考える 作者: 久恒啓一 出版社/メーカー: ユナイテッド・ブックス 発売日: 2013/05/02 メディア: Kindle版 この商品を含むブログを見る--------------------------「図読(ズドク)のすすめ---知識を知恵に換える創造的読書法」の執筆が完了。雑誌「人間会議」(宣伝会議)の6月5日号の読書特集に掲載される予定。---------------------------まぐまぐで、有料メルマガ「図解達人への道」を発刊。 初月無料。http://www.mag2.com/m/0001602013.html「文章と箇条書きを中心とするコミュニケーションは、組織の生産性を3割ほどもダウンさせているのではないか。こういった観点から私は過去20年にわたって、「図解コミュニケーション」という考え方を提唱して活動を続けてまいりました。図解コミュニケーションの核心は、理解力や伝達力の向上以上に「考える力」の獲得にあります。企画力、構想力、思考力を鍛えることが個人にとっても組織にとっても喫緊の課題です。受講者との交流を大事にしながら、図解コミュニケーションの達人を数多く輩出していく場にしたいと念願しています。」月刊500円。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130502 | 編集 豊田先生。オープンキャンパス。 今泉先生。データサイエンティスト。人事。 小林先生。枝野議員を呼ぶ件。 志賀先生。プレゼミ。 金先生。採用の件。 中村その子先生。共同研究の件。 研究室でゼミ3年生と懇談 ゼミ。「図読(ズドク)のすすめ---知識を知恵に換える創造的読書法」を材料に図読に挑戦してもらった。文章の問題点の指摘も受けるなど有難かった。 帰りにひと泳ぎ。
2013/05/02
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吉村昭「ポーツマスの旗」--外相・小村寿太郎」(新潮文庫)を読了。日本の命運を賭けた日露戦争は、陸軍の旅順陥落と海軍の日本海海戦の大勝利となった。しかしその時点で日本は兵力と財力は力尽きてしまっていた。政府は機会をとらえ、アメリカの斡旋を得て、ポーツマスで講和会議を開く。その全権を引き受けたのは外相・小村寿太郎である。条約締結は難題であった。ロシアの全権は老練な政治家・ウイッテで、小村はこのウイッテと息詰まる交渉を展開する。日本政府の各国政府からの情報収集、ルーズベルト大統領との友人関係にあった金子の動き、ロシア側の革命前夜の国内情勢、などを総合しなら、小村は冷静沈着に相手と対峙し、最終的に交渉を妥結させる。しかし日本の財政と兵力の実情を知らぬ日本国民は樺太北部と賠償金の放棄を知り憤激し大暴動に発展する。小村は帰国後暗殺の恐れの中で天皇陛下に奏上。短躯(1m43c)、病弱、崩壊した家庭、父の負債からくる驚きべき貧乏、小藩の出身、などのあらゆるハンディを背負った小村は、47歳で大抜擢を受けて、桂内閣の外相として入閣し、日露交渉にあたる。すぐれた頭脳、強靭な神経、大胆で周到な実行力を持った小村は世界各国に情報網、諜報網を張り巡らせる。決断力、忍耐力、周到な配慮と慎重さ、、、。ウイッテの5つの方針が記されている。アメリカを強く意識している。講和を望んでいるという態度は決してみせない。僻地の戦争であるという態度で日本を威圧する。記者たちに愛想をよく接する。気さくな態度。ユダヤ人の反感を招かない。小村は、歴史の浅い日本としては愚直な誠実さを基本方針として貫いている。小村は常に議事進行の主導権を握るために、会議の冒頭に提案をしている。協議が成立したとき、ウイッテは顔に喜びをあふれさせたが、日本側は泰然自若としていた。小村は「私は、自分の責任を果たしたことに満足している」と答えている。粕谷一希から「外科医の執刀」「異常とも思える徹底した調査癖」と評された吉村の筆さばきの揺るぎの無さは見事である。ポーツマスでは会議場を見学し、図書館や新聞社で資料を集めている。また日本では、外務省外交史料館に通うと同時に随員の遺族関係者に会い日記を探している。この作品と対をなす日本海海戦を書いた「海の史劇」と、「ウイッテ伯回想記」(上)を読んでみたい。宮崎県日南市飫肥にある記念館も訪問したい。
2013/05/01
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