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手紙は、片時も休むことない風にのって日本の上空を行き来し、またその風に乗って海を渡ったのだろう。信じがたいスピードの一ヶ月が昔あった。それから一年も経つか経たないかの頃、SRFは初めてヨギ達を海外に送ることになった。時が来たのだ。その場に居合わせた誰もがそう思ったし、そう言った。けれどなぜだろう?なにかがしっくり来なかった。あそこにいた多くの者はたぶん私と同じ感想を持った。以後、私は一度も東京には行かず、さりとてここでも何もしなかった。本は勿論開いたし、テキストを目の前に置いて毎晩坐りもしたが遂に行かずに終わった。寄付は長い間していない。SRFからクリスマスに何か買うということもない。が、本は必要な者の所に巡るのだ。谷口雅春も言っていた。「私はギャーナ(知識)のレベルから話すことはあまりありません」と、久しぶりにヨガナンダの澄んだ声を聞いてような気がして、レジにすすんだ。アマゾンは速い。
2012.01.29
何時 何が起こっても 国民が飢えない備えはしなければなりません。これは政治家の最低限の務めです。心ある政治家 立ち上がってください。 米、麦、大豆等々、また野菜。肉類は缶詰、ビン詰、真空パック。あらゆる方法を考えて備蓄して下さい。米は籾で、温度差の少ない山の地価倉庫に保存すれば味は変わらず、半永久的に備蓄できます。それから減反を止めることです。政府は国内産を生産者から高く買い上げ、消費者の国民には安く売るのです。高く買い上げた米は、各市町村ごとに山に深い倉庫をつくり備蓄するのです。三年目に入れば初年度の余ったものから入れ替えて、現在食料の不足している国の人々に贈って行くのです。そして山林には、栗、くるみ、とち、柿等の食べられる実のなる木を樹林し、田畑の畦やぼたや野原には、雑草のかわりに、わらび、ぜんまい、うど、みょうが、ふき等々、人間の食べられる草を育てるのです。そうして万が一想定外の何が起きても、最低二年の備蓄があれば、その間に対策が立てられるのです。「食料難を想定せよ」より※食料備蓄の話はもっともなことですし、理事長の文章を長々と書いてきました。私は二十年以上も放置された棚田を開墾していて、理事長の書いておられた、放棄された田んぼは容易には元に返らないを実感しているもので、山に生えているものを大切にしようと手入れをしているので、青文字で書いたところが個人的には気にいっています。
2012.01.28
日本の食糧需給率は39%だといいますから、何か大変なことがあれば食料不足になるということは十分考えられます。(『必ず来る食糧難』より抜粋)宝永時代。巨大地震が発生し、その49日後に富士山が大噴火。粉塵が空を覆い、太陽熱が地上に届かなくなり、稲の収穫量は激減したそうです。また六年にわたった天明の大飢饉の原因は、岩木山と浅間山の噴火、さらにアイスランドの火山の大噴火によるもといわれています。アイスランド火山の大噴火は、北半球に低温化、冷害をもたらしたのです。20年くらい前、冷夏による米の生産の減少がありましたが、あの時は外米でしのぐことが出来ましたし、一年だけですみましたが、万が一外米が入らず、冷夏が何年も続いたら大変なことになるのです。世界的食糧危機や日本経済危機、それらと天災が重なったら!『想定外のことは起こり得る』のです。アイルランド、ポルトガル、ギリシャ。今年はイタリア、スペイン?日本の財政はギリシャより深刻だといいますから、今は円が強くとも、いつか円大暴落となるのでしょうか?わざとインフレ起こす方がいいという人あれば、デフレで助かってる人も沢山いて、どっちがいいのか、ちょっと色々悩ましい問題ではありますが、仮に円が紙屑同然になったとしたら、輸入食料が簡単に庶民の口に入るなんてことはなくなってしまうことは確実です。今の農家にはかつてのように人に売ってあげられるほど沢山の米の備蓄はないんだそうです。
2012.01.28
国民二年分の食料を備蓄せよ政府・地方行政がやらねば個人で備蓄せよ 急げ!先生81歳の時「食糧備蓄の叫びかけ」という冊子二万冊を、全国の農業団体に無料配布したそうです。反響があったのは地元の農協だけだったので、その五年後、また弟子たちに借金して十万冊を無料配布したようです。先生が小冊子とはいえども十万冊も無料配布されたのは「大東亜戦争は正当防衛であった」という本だけかと思っていました。その話は折にふれ話題になっていました。なんでも刷りあがった本を車がパンクしてしまうのではないかと思うくらい積んで、靖国神社まで走らされたそうです。そしてそこで配布。先生の当初からの弟子達は本当に大変だったと、振り返っては、そういう日があったことを感慨深かそうに語らいあっておられました。その本は後に私も、中国に留学に行くのだけど、子供の頃自分の祖父から聞いた戦争の話と今の世間の話とでは全然違うので、祖父と同じようなことが書かれた本があれば中国に是非持って行きたいという人の為に、研究所から百冊買ったことがありましたが(そうそう、その時でした。たまたま電話に先生が出てこられ、あの素晴らしい体験をさせてもらったのは)、「食糧難」のことは講義の折に話に聞くだけで、本を出されていたとは全然知りませんでした。深夜になってしまいました。続きはまた明日。
2012.01.27
人間なら誰でも好き嫌いはあるし、ことの良し悪し、善悪感じる心もあるし、無意識の内にも理想の自分を心の片隅に描いているもんだ。憧れの人をじっと見つめて真似してるってこともある。ところである日、何か大切なことが起きる。で、その時、思いとは裏腹に、自分が思い描いた自分とは違う言動をとってしまう。日々生きていくのには、その方が易しいし、それで良かったと思うけれども、後で堕ちこむ。自分で自分を弱く思う人間ってそういうことかと思ったりする。子供の頃の私の目には、そういう人間はやけに強く映ったりしていたが。考えてみれば芯のことではなかったが。研究所から『食糧難を想定せよ』という小冊子が届いた。天台の理事長になにやらお告げがあったのか、昨今の世界情勢を見てそう思ったのか、やけに本気だ。金融マーケットが引き起こす破綻だけれども、経済の異変と天候異変は繋がっているからな~。我が家の山茶花は、今年、ちっとも綺麗でない。あちらこちらの山茶花を見るともなく見ていて、やっぱり今年はどこも皆ぼけていることに気付いた。葉っぱがね、赤茶けているのだ。山茶花だけでなくどの家のどの庭木も、ほとんど全部。経済異変あると読んだ2012年だものね。
2012.01.27
生き甲斐は人それぞれだろうが、土光さんの本にこんな箇所があった。会社が社会に存続する意味を将来に向かって明示するものがビジョンである。従業員は、そのビジョンを感得することによって、自分がその集団に所属する意味を見いだす。ここから、いきがいといった情念が生まれてくる。近頃息子が会社に対してよく口にする不満がこれだなぁ。そう思った。真面目すぎるくらい真面目に会社に行ってはいるが、行き甲斐がないんだろう。上の息子だと フン! とか言って、自分勝手なビジョンを思い描いて仕事を楽しむだろうが、下はそうではないからなぁ。良い人物を知れば知るほどおちこむ、かな?
2012.01.26
イオン。業績絶好調かな?額縁を探していた私に、イオンには何でもあるから行く?と次男が誘ってくれたので、久々息子の愛車に乗って出かけた。着いた所が二十四号線沿いの、あの何年もしつこく工事をやっていた所。奈良に野球場でも造るんかいな~と、いつも横目に見て通り過ぎた所。ここもイオン、あそこもイオン。奈良もイオンだらけになって来た。ガレージは奈良中の車が集まって来てるんじゃないかという混雑ぶり。ガレージない、薄利多売出来ない、品物沢山ない。ないないない、何にもない小さな店はそりゃつぶれます。しかし。息子が服を買うというので付き合って見ていたら実につまらんのだ。あんな服誰が買うんだ?というような安もんが益々ダサくみえるデザインで。ユニクロより面白くないかも。女性服売り場って、普通買わなくったって胸ときめくもんだのに、私が年くってるせいばかりではないだろう?しかも安もんにしては値は決して安いとは思えない。値段につられるっていうなら、まー五百円か千円とかでないとあんなの買わないよね。そう思った。息子は紳士物はサイズのあうのがない。よって女性用のズボンを買ったらどうかと見るのだが、これはこれでダサいってだけじゃなく寸足らずにもなる。難しい。昔だったらJunに行ったらよかったけど、やっぱり金持ちになって誂えなきゃーね。いいのがないからあっちこっち見ていたら5L売り場なんていうのがあった。「一体どんな体よ?」「二人で一緒に着るんや(笑)」そんな冗談言いながらあっちを何気なく見るとなにやらいい雰囲気。二人とも自然にそっちに足が向き、コートにセーター手にとって見た。Sサイズ。キャイン!試着。似合いすぎる。当然。私の息子だものね。へっへ。お母さんに似てると言うと今でも喜ぶ息子。馬鹿メ、一体何歳よ!悪ふざけの親子に店員さん寄ってきてあれもこれもと執拗にセールス。肝心のズボンがないが。さて・・・レジで清算して息子苦笑い。あ~あ、だからお母さんと一緒に来たくないんや。気に入るのみつけたら趣味一緒やし、折角安もん買おう思うて来ても絶対こうなるやろ?安いのと安もんは違うからこんでええんや。それに子供の時はもう趣味一緒でお母さんは困ったけど、今はお金払うのはあんたやし。お母さんはちっとも気にせえへん。と言いつつ、財布の中身が心配になってきた私達は、折角遠くまで来たというのに腹ペコのまま帰ったのでありました。私は額縁も探さず。それに私はあまり大きな店は苦手なんです。以前は気分が悪くなってよく吐いていましたが、最近は少し慣れてきたのかたまに眩暈がする程度ですんでいますが。でも年ですわ~。休日は畑の方がいいですわ~。
2012.01.24
これは去年の梅。今はまだ蕾。大阪の家ではこれからの時期、必ず鶯が訪ねて来た。それが、枝ぶり見事な梅庭を持つ前の家のおばあさんがいなくなったせいか、大地主様の庭がガレージになったからか、気がつけばもう何年もあの綺麗な歌声を聞いていない。それでもたまに愛らしいメジロが庭木のどこかにとまってくれる。今、ここに大勢で来て、猫の歯をがちがちいわせている鳥はなんという鳥か。もうじき旧正月。季節は旧暦通りにやってくるから、旧暦使用した方がいいのではないかとたまに思う。何十巻もの農業日誌なんぞ全部旧暦で書かれているから、たまに頭が混乱する。雨の中、お隣さんが盆梅をいじっている。こんなのは格別どうこう言うことではないが、まったくへんな隣人だ。今は冬だからそんなことはないが、気候がよくなれば盥が道路に置かれる。石鹸でご丁寧に体を洗う。こっちは見たくもないおっさんの裸をいやでも見ることになり、近所の女の子達はうかうかその道を歩いて通勤通学出来なくなった。ごみ箱からあさって来たものだからか、食べ止しのものが隣家(我が家)の庭に投げ込まれる。拾ったのか盗ったのか、誰ぞのカラの財布が投げ込まれる。どこから運んで来るのか、毎日何個か庭木が増えて、我がガレージを脅かす。夏に電気を止められたら、寝苦しいとかで、夜中街灯の下で家族揃って遊び出す。昼、窓という窓を全部あけて寝る。そして時に子供にスーパーで万引きをさせ、時に友達の家のものを盗んで来させ換金する。勿論盗みは警察沙汰になる。が、警察沙汰にはならなくても、隣家としては庭に生ゴミを捨てられたんでは困る。注意すると悪い事は一切合財子供せいにして子供を呼びつけて大声で叱る芝居をする。子供は子供で叱られ殴られ泣く芝居を見事に演ずる。本当に隣家としては困ったことなんである。しかし盗みは犯罪だが、それ以外は昔ならこんな光景はどこかにあったような気がしないでもない。この家族のやってることを、そっくりそのまま小説か漫画にでもしたら、大ベストセラーになりそうだ。若き日の主人は、東京遁走曲以前の、留守の辻潤チに上がりこみ、勝手に質屋に布団を入れる、他人の飯を勝手に全部食らう、いつまでも居候する、カーテンを巻いて寝る、広辞苑を枕にして暮らすような御仁にいたく惚れ込んでいたから、私が、傍におらんからそう言うてんの!そんなのがここにいたらすぐにムカついて喧嘩して、それがたとえ親友でも、一番最初に追い出しにかかるんは自分でしょうに!と言うと、おお、そんなん当たり前や!と。まーしかし、主人は頭ではそういう無一物人間が好きだから、お隣さんは無一物人間だとは言い難いにしても、自分がある種おもろい人間を引き寄せているという面は否めない。はてしかし、なぜああいうおっさんがこういう所に家を買うことが出来たのだろう。不正受給というだけでは解せない。他にも色々わけありなんだろうが、私には生活保護法というものがどうもいまいちよくわからない。
2012.01.19
あの娘達は本当に虐待されて育った人達の話が好きだ。漫画だから読めるだろうと思ったが十冊のうち三冊しか読めなかった。あとは十ページ読んでは閉じ、十ページ読んでは閉じ。退屈だ。私にとっては退屈このうえない漫画でも、あの娘達には意味がある。私はそれを考える。あの娘達は虐待されて育ったわけではない。両親が忙しかったから、他の子供達に比べたらかまって貰う時間が少なかったということはある。子供心を分ってもらえなかったということはある。ま~色々あるにはある。が、人は誰でも色々ある。彼女達の親が特に親として抜きん出ててはいなくても、大いに欠陥があるということではない。欠陥は誰にでもある。が、彼女達はあたかも自分が虐待されて育ち、そして自分も我が子を虐待するような親になるのではないかと心配している。なぜか?まーそういうことは十年も勉強させてもらった。漫画が退屈だ。退屈ついでに机の上にずっと積まれている十冊以上もの退屈な本を手に取ってみた。私の場合、定価で買った本が面白くないと損をした気分甚だしく積んどく書になりやすい。しかし今日はその積んどいた『縄文王国の全貌』と『御親国日本』を一気に読んだ。不味い。奇想天外なことを書いたつもりなら私のお気に入りさんの方がうんと面白い。こういう不味いものしか書けない著者だと知りながらタイトルにひかれて買った馬鹿。馬鹿ついでに読み止しだった『ねじれねじれて二千年』を開いた。一回は読んだといえば読んだ本だが、同じようなことでも、先生の書かれたものと理事長の書かれたものとでは読後感が違うから、うまく処理できずにいたのだけど思い立って。実は私は口碑と推察とをまったく切り離したものを一冊お願いしていたのだが、縮刷の縮刷でもそれはかなわないだろう。とまれ今日はここまで。お腹がすいた。目も痛い。
2012.01.17
この震災がなくても、東北は遅かれ早かれ壊滅していた。と、自身も東北の山間部の農家だという若者が言っていた。70代80代しかいない農村で農業改革が出来るか?今の世代は先人達の技術や知恵を受け継いでいない。今の子供は大人を尊敬していない。こういう日本でなんの希望があるか。遅かれ早かれ滅んでました。これは 千載一遇のチャンスなんです。若者は真っ直ぐに前を見据えていた。新生日本は東北から。再生、復興ではないんだということ。その通りです。
2012.01.16
この間は失敗をした。インクを買うのにいつも上新に行くのだが、品番を間違えて買ってしまった。取り付けて直しても「インクが切れました」のランプが消えないので何回もやり直していてようやく間違いに気付いた。キャノンさん、紛らわしいのを作らないとか、違ってても代用可とか、同じ自分チのものなんだからどうにかならないの?と言ってみても後のまつり。開封した後では返品は出来ない。上新嫌い。自分が悪いのは棚にあげて。ということで今日はケーズデンキに行った。上新はポイントだが、私はポイントなるものをほとんど使ったことがないし、どうせ使わないなら即刻値引きのケーズデンキだ。今日はインクを四本買うからと、チト細かくなってみた。帰って袋をあけると『日経ビジネス』複製チラシみたいなものが入っていた。なになに?アフターサービスランキング?非常時に頼れる企業?裏を見る。流通サービス部門一位ケーズデンキ。ワーストがヤマダ電機。ワハハ。チラシくれるはずだと息子が笑う。しかし二位のデオデオとか四位の100満ボルトとかは私の知らない名だ。どこにあるのかなぁ。さて肝要の頼れる企業。薄型テレビにDVD/HDDレコーダーはシャープ一位。デジカメはニコン。パソコンはエプソン。スマートフォンはまたしてもシャープ。エアコン、洗濯機、皆シャープ。年いっても美しい小百合さんのCMが効いてるのか?テレビのワーストはビクター。デジカメワーストはカシオ。ここは元は計算機の会社だもの。しかしすっかり昔人間になっちゃったか、ネット通販一位とか言われたって、オルビスなんて聞いたこともない。それに非常時って?非常時にはワーキングプアの我が家はきっと何も買えないに違いない。
2012.01.15
あの人の想い出なんか 古道具へ売ってきた これからはずっと 一人暮らしだよ さよならだけが 人生よ せめて お酒を 飲みましょう あの人の置いてったシャツを 洗って干してる 私の馬鹿 もう二度と帰ってくる人じゃないのに さよならだけが 人生よ せめて 歌など うたいましょう 2010年1月17日 マキさん没す。寺山修司はもっともっと前。マキさんは、音は悪いけどYouTubeでも聞ける。私はアナログ盤。明るい慰めなんか嘘だ。そんな癒しなんか嘘だ。暗い。暗い。暗いからこそ救われる。そんなことを言っていたマキさんファンがいたなぁ。お元気ですか?
2012.01.13
M9の地震が来たら?という番組をやっているが、こんなのが来たら運を天に任せるしかないと思う。大阪も奈良も、我が家がやられるくらいひどければ、ま~大抵の家は助からない。が、しかし昼間に来たら、市内まで通っている息子達はどうだろう?高層ビルは危険だから大阪城にでも逃げろと言っておこう。地震で街や村が壊滅的な被害を受けたら、その後絶対必要なのが食物と水で、去年の大地震では新潟でも三週間米が手に入らなかったらしいから、都会ではどうなるか予測もつかず、自治体はとにかく二年分くらいの米の備蓄を心がけるべきとの理事長の話があった。我が家は食べ物がないから、非常食くらいは常に置いておくべきか、とか考える。今年は暖かい。大地震の後だし、この冬は暖かい方がいいが、肝心の東北はどうなんだろう。こちらは節電しなくてはいけないから暖かくて嬉しいが、暖かすぎて気が緩んでいるのか、今朝はミニバイクが三台、坂道を下りきったT字路で横転していた。おしめり程度の雨だったが、その雨のせいで僅かに凍った箇所があったのだ。ミニバイクは30Kが常識。凍った道で急ブレーキは禁物。気をつけましょう!
2012.01.13
三味と踊りは習いもするが 習わなくても女は泣ける という歌がある。そのように 誰かを 何かを 愛しむ という感情は、教わらなくても生まれながらに備わっているもんだと思っていた。若い頃は、一種病気みたいなこの厄介な感情をどうにかせねばと真剣に思ったこともあったりした。が、実はそうではないのだろうかと、あの娘達を前にするとよく首を傾げた。誉められたくていいことをいっぱいした自分。気を引きたくて道端で駄々をこねてみた自分。色んな時々の色んな自分。時を経て振り返ってみれば、愚かしかったことでさえ懐かしいもんだろうに。消しゴムで消せたらいいと思うような自分の姿だって思わず抱きしめてやりたくなる。そんなもんだろうに。自分を大切に生きるということはどういうことか。逐一例をあげて、また例をあげて。けれど、そんな時代はとうに過ぎ去った。過ぎ去ったけれども、過ぎ去ってはいない現実。乾いた心には湿り気が必要だが、あれはそういうものではない。どこで泣けばいいのかキョトンとしている者の感情はどこで作られたのか。それは生まれながらのものか、やっぱりちょっと考えてしまった。こういうのを新人類というのだろうか。
2012.01.12
何もさえぎるものがないとこういう景色が中腹からでも眺められるのだと、昨日は真ッ逆様に感じてしまう斜面に立って感嘆符を打った。あれが多分高槻の峠。とするとあそこらが大山崎。六甲は海の向うだからあそこら。佐久良からはこちらが見えたのだから、望遠鏡などあればきっと判ったに違いない。高層ビルが立ち並ぶあそこらあたりが大阪の中心街。息子が日曜祝日返上で行っている南港はその向こう。瀬戸内海はもっと上からでないと無理。けれどこの百八十度の拡がりの見事なこと。十三峠でも、清滝峠でも、大阪側に入った途端、眼前に大都会が現れて、昨日は曇っていたが晴れた日にはなぜか妙に心が躍る。きっと田舎モンなんだろうが、昨日の中腹からの眺めはその比ではなかった。第二京阪だかが横に突っ切る姿がまたなんとも言えずいい。ファーガーソン石だかの結晶を求めて生駒飯盛里山フォーラムが整備した道を上へ下へ。右へ左へ。出会ったのは白龍大王様だけで、こんなに歩くなら楠公さんの像までだって行けたじゃないかと思ったが、我が家を頭上からはじめて見つけられて、大学や駅や電車やと指差していると疲れもすっかり吹き飛んでしまっていた。曇天でなければどんなに良かっただろう。里山フォーラムの皆さん、某学園の生物観察科の皆さん、ご苦労様。そんなことを言っていると子供達が数人で登ってきた。いい遊び場になる。昨日はやっぱりニギハヤヒ山に日の丸の旗があった。風がなかったせいでダラリとしていたが間違いない。今年は崖の上だった。去年森の中にあると思ったのは間違いで、本当は木を切ればあそこは見晴台のように崖の突端なのだ。今年はあそこも遮るものが何もなくなっていた。やっぱりあそこが枚岡町史にあった天王山なのだと勝手に思う。安岡先生旧宅からは直登ならすぐの所。そういえば、昔、いつも日の丸が掲げられていたのは青少年教学所だった。伊与田先生はご健在だろうかと、帰ってきてから思うのだからいかにも遅すぎる。阪奈は赤に染まっていて、振り向けば大阪湾に沈む夕陽。モロッコの夕陽を語ったサンタさんを偲びつつ帰ると、奈良にははや月が昇っていた。
2012.01.09
大漁 浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何萬(まん)の 鰮のとむらい するだろう ブリで家が建ったという昭和二十年代には遠く及ばないにしても、悪天候のあとの漁では、言い伝え通り大漁となり、老いも若きも喜びに湧き立っていた伊根の海。皆、いい顔をしていた。けれど、嵐の後、折角洋々と大海を喜び勇み泳いでいただろうブリ達が、無造作に引き上げられ、船の上で身をよじり跳ねる様、手掴みで氷水(あれは何というのだろう、貯蔵庫?)の中にぽんぽんと投げ込まれる様を見て胸が痛みだした。私にはそういう馬鹿なところがある。子供の頃、肉や魚を全く食べなかったどころか、作法に厳しい恐ろしい父のいる食卓でも、時にそのおかずが嫌で御飯も食べなかった私は、姉によく頭を叩かれた。「可哀想やし、生きてたし、血出るし・・・」「あんたなー、野菜かて赤うはないけど血流してる生きもんなんやで。おんなじや」「でもなんか違う・・・」姉は、いつもボーとして遠くを見ているくせに、何か気に入らないことがあるとテコでも動かない私と違い大層利発な子で、僅か三つしか違わないのに何でもよく知っていて、何でもよく出来た。その姉が野菜にも血が流れていると言ったので、私は時折草や野菜の葉っぱを陽にかざして見てみたが、どこに血が流れているのかはわからなかった。伊根の大漁を見て、そんな子供の頃のことを思い出し、ついで金子みすずの詩を思い出した。私は仙崎の蒲鉾が好きだったが、「それも魚で出来てるのに、あんたはおかしい」と姉には言われた。馬鹿な私は、その時まで蒲鉾が魚で出来ているとは全然知らなかった。まーしかし、私に限らず人間ってどこか自分勝手でおかしな生き物なのだ、きっと。
2012.01.06
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