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「万能細胞STAP作成に成功」というニュースが一日に何回何十回と昨日から流れる。女子力のある若い女性がリーダーのチームということで話題性があるし、病気に対処できる点は勿論、若返りにも効くものがipsより簡単に出来るということで、大勢の人の関心をひくこと間違いなしとばかり、どのチャンネルも競うように流している。私、食傷気味。あまのじゃくは考える。病気で痛いのはいやだけど、病気があるから気付きもある。病気が超簡単に治るなら人はあまり考えなくなるだろう。それよりなにより、簡単に若返るような世の中になったら、長生きしたい人は皆、自分の細胞を復元して貰うのだろうから不老不死を獲得できる。そうなのか?そうなってくると、勉強嫌いは勉強しなくてもいいような気になるのではないか。なにしろ人生は長いのだ。毎日あくせく金の為に働くなんていうのも愚の骨頂だ。いやいやいや、そうではない。若い細胞を得る為には病院に行かなくちゃいけないから、やっぱり大金が必要だ。金持ちだけが不老不死?しかし、もし皆が皆、不老不死みたいなことになっちゃったら、人生設計なんていうのは全然変わってくるのだろう。変らざるをえない。人生の目的なんていうのも、ますます勘違いの世になってくるは必至だ。どこがいい加減かは知らないが、私は、ま、いい加減のところで死にたい。
2014.01.31
ここ二三日、恐ろしいのか恐ろしくないのか、曰く不可解な夢ばかり見ていたが、今日は草に座って、こちらから大草原を眺めている夢だった。目覚めて、ああ、あんなところだな~と思ったが、そんな所は今はもう遥か遠い国にしかないような気がしてきた。いつだったか、枕の下に、地名を書いた三枚の紙を敷いて寝たことがあった。考えあぐねていたことがあって、阿頼耶識に問うということをやってみたのだ。最初、温泉の中の建物が夢に出て来た時は、熱海だと思った。けれどすぐに草むしりをしながら皆に講義されてる先生が現れて、「湯の中の柱は腐るじゃろう」と言われて、理事長に、「ほれ、あそこがあるぞ」と指示された。連れられて行ってみれば、山小屋風の窓から大草原がひらけていた。「ここです。こういう所です!」私は喜んで振り返ってそう言い、そして先生は変らず土に座るようにして話をされていた。そこで目覚めた。あの時の草原とは違ったけれども、いずれにしても見渡す限りの緑だった。ああ、そんな夢のような世界は・・・あれは誰の詩だったか、もう思い出せないが、縦横高さの世界に時間が流れ、意識があり、その意識は方向性を持っていて、そこで一切は融合して、、、あれはどこだろうか?昨日、ポストに「宇宙と人生」が届いていたことを夜になって知った。
2014.01.30

死んだらふるさとに帰りたいと、魂はそういっているのかと、父のこと、母のこと、姉のことを思い出す時、少しく不思議に捉われる。うさぎおいし かの山こぶなつりし かの川人は死んだら魂の故郷に帰ると、長尾先生の講演会の最後はいつも「ふるさと」の合唱だった。私のグルではなかったけれど、自分の食い扶持は自分で。愛の教えは無償を貫かれた方だった。この世のものではない、妙なる香りに包まれた方で、先生宅で寝食を共にするのが皆の悲願だったようだ。今日、こんなものを見つけた。他にもいっぱいアップされていた。私の床の間にはヨガナンダジの肖像の横に、長尾先生の写真も飾ってあるのだ。熱心に長尾先生のものを送ってきていた京都の女性はどうしているだろう。写真はここにあっても【愚か者の独り言】がない。ある病の人に貸したらなくしちゃったとかで、、、私はどこに帰りたいのかな~と思う時には、長尾先生を思い出す。
2014.01.28
高校生の時、世界には恵まれない人達がいる、と、そこが始まり。なんと感動的!こういう娘を綺麗な娘というのだと思った。清らである。パカ村。眼前に美しい風解があるとはいえ、そこはカトマンズからは悪路を四日。がたがた道、水の流れる道、バスがよく転落するというガードレールの一つもない断崖沿いの道、そんな悪路を経て、命からがらようやく辿りつく村。危険度は下の廊下くらいか。しかしパカ村に入っても、彼女の暮らす村までは悪路をさらに徒歩で行く以外になかった。そんな所。おおよそ文明なんかとは無縁のような山村にまだ年若い彼女はいた。清涼感。ソクラテス君も、卒業旅行に貧しい国々を見て廻った。そういえば太子の息子もそうだった。そのように貧しい国に行けば、さして夢のなかった若者も、金にかえられないやりがいを持つ。貧しい国では、純粋に単純に生きがいをみつけやすい。そこに飛び込む勇気があるかどうかは大きな問題だが、本当に生きがいはある。発展した国へ行く者の目と、自給自足の地で骨を埋めようとする者の目は随分違う。そこでやっぱり、また思うのだ。豊かな国の者が、未発達の国にいけば、それなりに人々の役に立つ。だがしかし、発展の終わった国での真のやりがいは?と。日本脱出希望の人らと、少し話をしてみたい。
2014.01.26
だから僕は出てゆく 冬の真っ只中に。なんとなくだったら覚えているが、もうその詩は確かにはそこだけしか思い出さない。吉本若き日の詩。高村光太郎の影響を強くうけている詩だと、読んだ時そう思った。暖かい家は自分を弱くするから、温かさに背を向けて出ていくのだ。私は他はともかくとして、土日楽校の精神は好きだった。いくらハードに見えても、実は至れり尽くせりの野外活動が、子供達の精神の根っこ作りにたいして役立つはずはない。宗教じゃないけれど、なにがどうなっても信頼し、一切をお任せ出来るという父兄の子供だけの土日楽校は正解だと思った。ヒトラーユーゲントのユースホステル式がいい。護られるのが常態化している中では、人はなかなか強くなれない。自分の身を庇いすぎる者もまた。さてかんなびの里は今はどうなっているか、たまに気になる。
2014.01.23
本門佛立宗なんて全然知らないが、南無妙法蓮華経だから日蓮さんということになる。私は日蓮さんにはまったくご縁がないが、そのなんとか宗のお坊さんに、ヨガナンダジが大層好きな人がいて、その人が私に会いたいんだそうである。私の誕生日が気になっているらしいが、かのお坊様は一体ヨガナンダジの何に惹かれたのだろう。もしここまで会いに来てくれたら、そこは是非とも聞いてみたいところだ。バイクで走っていた頃は、橋のたもとでよく止まった。そして「神よ 神よ 神よ!」を暗誦した。禊したような気分だった。坊様は南無妙法蓮華経と唱える時、仏に出会うのだろうか? 人生の目的は神を見つけることである。 -パラマハンサ・ヨガナンダー 若くて元気なうちに神を求めなさい。ほとんどの人は 人生の真の意義を理解しはじめる頃になると、 体が衰えてきます。そして、神の探求よりも 傷んだからだの養生に追われるようになります。 自分の感情が抑えられない内は 家庭を持つ資格はありません。 無知は体の奥にまで浸透した毒素のようなものです。 最高のロマンスは 無限なるお方とのロマンスです。 それによって人生がどんなに素晴らしくなるか あなたにはまだ想像もつかないでしょう。 「彼の魂は(神の)霊の中に融合し、永遠の至福を得る」 -ギーターより
2014.01.22
早いものでもう十九年だ。神戸在住の友人知人達は皆無事で、それは不幸中の幸いだったけれども、甚大な被害をこうむった人達は容易に立ちあがれず、生活が一変した人も多かった。私の街にも神戸からの難民が増え、隣のマンションにも人が溢れた。反対に水泳少女のように、ボランティア熱が昂じて、大学をやめて神戸に行った者もいたし、キリスト教徒のやくざ屋さんは山上での祈りの会に土曜日ごとに出かけた。我が家では枕をかかえて主人が一番びびっていたけれども、玄関に置いていたバスケットボールが転がり落ちただけだったし、テレビもまだ大した被害を伝えていなかったから、朝早くから通学していた長男は電車に乗って行った。電車は動いていたのだ。それが京橋で止まった。帰るに帰れない情況なのだと電話が入り、あらためてテレビをつけて見ると、恐ろしい光景がそこに広がっていた。あの年は三月からはサリン報道が多くなり、いろんなことを考えさせられた年だった。若い頃のように、十年にも匹敵した一年で、勉強、勉強、また勉強した。暮れには先生の講演会を主催した。先生を知ってからはや十九年というわけだ。もう三四年になるのか、十七日はマキさん死んじゃった日でもある。昨日は朝護孫子寺で一日を費やしたが、閑散期にかかわらず、頂上に向かう人の多かったこと。一願成就。皆、何を願いに行ったのだろう。
2014.01.17
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昨夕、やけに明るいと思ったら満月なのでした。いや今夜あたりなのかな?望遠でないとうまく写らないもんだ。
2014.01.16
「七草粥は食べましたか?」と、深夜になって、行事を大切にする家で育ったY子らしいメールが届いた。芹なずな。五行はこべ。かなしいかな、私が七草粥で思い出すのは大島弓子の漫画だけである。しかし昨日はこの近所の田んぼにセリを摘みに行こうかとは思った。けれど、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、こう読んで、いや面倒くさい、現代ではスーパーでセットを買うのが正しいあり方である、とか思い直してやめた。それに第一、七草粥であれなんであれ、私はお粥さんを食べたいと思ったことがないのだ。主人はお粥さん好きで、ご飯でも柔らかいべちゃべちゃしたものが好きだが、どうせ赤ちゃん茶碗に一杯しか食べられない胃袋だし、残り三名は粥嫌いときているから、我が家に粥は必要なし。私のような者が、古き良き風習を壊していくんだといつも思うが、反対にしっかり守る人もいるから、これはこれでいいのだと勝手に思っている。七草図鑑を調べついでに、七草粥のウイキを読んでいたら、以下は、関東地方の例であるとして、こんなことが書いてあった。1月6日の夜、あらかじめ用意したセリ、ナズナ、ゴ(オ)ギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの「七草」をまな板の上に載せ、以下の歌を歌いながらしゃもじやお玉杓子、包丁の背などで叩いて細かくする。 七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン何やら意味シンの歌ではないか。余談。例外を思い出した。お粥は好まない私だが、白山中宮温泉の温泉粥は絶品であった。しばらくの間、温泉水を取り寄せては粥を作って食べていた。救いの神か仙人かという人の言われるままに中宮温泉に行った頃のことである。
2014.01.08
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畿内の古墳は私の趣味にはあわない。古墳はやっぱり九州のものがいい。西宮古墳の穴倉は安倍文殊院の古墳と同じくらいの大きさに見えたが、階段もないし、やっぱり一回りくらい小さいようだ。誰の墓かの説明はない。中に入って、この大きな天井岩は一体どうして積み上げたもんだろうと思った。えっちらほっちら、やっぱりかなりの人がかりだされたのだろう。昔なら防空壕、今なら地震の避難場所にどうだろう?などと考えつ、ちょっとへんなことに気がついた。へんな石棺の置き方だ。今の特大浴槽よりはるかに大きく、深さ一メートルもある石棺を無理やり動かした者がいるようだ。下に砂利を敷いて転がすようにして。一体なんの為に?それが途中で斜めにしか動かなくなって壁にぶつかって角が割れて、そのままそこに放置した。大阪でも見に行った古墳なんて大抵盗掘されていて、なにも残っていないのは現代では常識だが、はて、こんな重い石棺を盗んでなにをするというのだろう?大層な鉱石で出来ているふうでもないのに、だ。奈良は継続調査されているのか、いないのか、放置されたような遺跡だらけ。今は甘樫丘が面白いと思うが、古墳なんていうのはぞっとしない。しかし発掘調査というか、穴掘りは面白そうだ。正月テレビでやっていた翡翠の仮面級のものは期待すべくもないが、穴掘りはしてみたい。
2014.01.07
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猫はなぜ突然いなくなるんだろうか?きらきらきらきら、お星様いっぱいの冬の空、三日月お月さん見ながら思い出していた主人の誕生日にいなくなったあの子のこと。もし野良になっているんだったら、首輪なんかするんじゃなかった。手術なんかするんじゃなかった。そうしたら、子供産んで、家族を持って、自由な遊牧民でいられた。胸が痛い。あれらは皆、人間様のご都合だ。でもなぜ?よりにもよって忘れられない日にいなくなったんだろう?誰かに連れ去られたが如く、一匹だけ。それが不思議だ。我が家の最初の不思議な猫は、まだ結婚前、二人ではじめて行き付けの居酒屋で飲んだ日の帰り道に現れた。ひたひたひたひた。小走りにどこまでもぴったり後をつけてくるものがいた。薄汚い黒っぽい子猫だった。主人は立ち止まってふり返り、ひょいと抱き上げて言った。「見捨てないよね」クールで通っていた私は、笑いはしなかったけれども、まるで自分のことを言っているようでおかしくて、ただ黙って歩いた。大猫と子猫がずっと後をついてきているみたいな、漫画みたいな夜だった。それから二年後、お腹の大きかった私の元へ一匹の猫が舞い込んできた。椅子に座っていたら、通りから入って来て、いきなり私の膝の上に飛び乗ってそのまま寝てしまっていた。剥げたのかと思うくらい毛が無くて、おまけに白いその毛が汚い、手の平に載せられそうなくらい小さな赤ちゃん猫だった。その猫は三十分後か一時間後か突然飛び起きて、トイレの戸をガリガリし始めた。私はそれと気付いて、トイレの一番隅にちり紙をいっぱい敷いてやった。「賢いな~。よし、飼ってあげよう!」ネズミ位しかなかった猫はかくて我が家の飼い猫第一号になった。そうして最初はミルク、あとでは毎日猫まんまだけだったのに、見る見る美猫になった。尻尾が見事に長い、猫好きなら誰でもが欲しがるくらいの評判の美猫になった。この猫だけは本当にいつ思い出しても不思議だ。どこかに隠れるということがなかった。私達が歩くと、それがどこでもすぐ後を歩いたから、市場にも海でもどこにでも連れて行った。首輪なんかしたこともなかった。ないたこともなければ、必要以上に飛んだこともなかったし、勝手に出歩くこともなかった。夜が来たら寝て、朝が来たら起きて、昼間は眠ったこともなかった。猫はやがて、赤ちゃんがうまれたら宜しくないとの義父の判断で、私がいない時、猫大好きさんにやられたが、それは、ある小さな事件、あの猫のおかげで、私としてはせっかくうまく隠しおおせていたのに主人に弱みを握られてしまったその後のことだった。しかしその事件は主人をとても幸せにし、子供が生まれてその後もずっと幸せに暮らせる家族の礎になった。あの猫はそのことの為に天から使わされたのだと、後には、今でも、そう思うのである。あの事件があるまでは、主人は本当には私のことなど何もわかっちゃいなかったし、私は私で、主人があんな子供のように幸せそうな顔をする人だとは知らなかったのである。主人は昔、自分を三日月に例えて、まんまる満月の童話を書いて、ラブレターだと言って持ってきたことがあったが、結婚前に現れた猫、結婚後に現れた猫、不思議の猫達は、マキさんとは反対に、幸せという名の猫で、きっと月よりの使者だったに違いないと、年いった今も思うのだ。なのに、どうして、誰よりも精悍で、誰よりお気に入りだったあの子が、よりにもよってその主人の誕生日に突然いなくなったのか・・・考えたってしようがないけれども、やっぱり考えてしまうのだ。私はかつて愛犬を二匹見送ったが、愛猫はまだ見送ったことがない。主人は、私が貰った時死にかけで、片目の少し悪くなったままの親猫を溺愛していて、その猫と一緒に死ぬという。新年はじめての日記なのに、だらだらと書いてしまった。 ↓は、正月の古墳公園。こちらにもたまにお越しいただければ嬉しいです。http://blog.goo.ne.jp/mugen_007
2014.01.06
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