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不如帰(著者:徳富蘆花|出版社:岩波文庫) 泣かせる話である。 発表当時は、さぞ、女性読者の紅涙をしぼったことだろう。 幸福な新婚時代から病苦、別離、すれ違い、一瞬の再会、死と、次々に山場がもうけてあり、大衆小説的技巧がこらしてありながら、「もう女には生まれてこない」という、社会へ向けた言葉もある。 伊香保は盛んにこの小説の舞台であることを宣伝しているが、伊香保が出てくるのは冒頭だけで、あとは東京と逗子が舞台。 文章は、せりふは口語文、地の文は文語まじり。 「お帰り遊ばしてございます」 と女中《おんな》の声階段《はしご》の口に響きぬ。という具合。 ヒロインのモデルは大山巌元帥の娘。小説では余りよく書かれていない継母にあたるのは、会津出身の山川捨松なのだった。
2003.06.27
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大江戸泉光院旅日記(著者:石川英輔|出版社:講談社文庫) 文化文政に6年かけて旅をした泉光院の旅日記。 簡単な覚え書きの羅列なのだが、当時の各地の様子がわかる。 書名はよくない。「大江戸」と冠していても江戸はほとんどでてこない。 例によって、作者は、「江戸時代は自由だった」ということを繰り返し述べている。 しかし、自由だったかどうか、というのは、ものごとをどう解釈するかによるのではないだろうか。 たとえば、「この土地では、鉄砲所持は放任状態で、現代のわが国の厳しい鉄砲管理とは比べものにならないほど自由だったこともわかる。」(p122)という文章。 紺屋が鉄砲を持っていた、ということだけで、そこまでわかるのだろうか。同時期の鈴木牧之『北越雪譜』「雪中の狼」に「国許の筒」という表現がある。届け出て許可を得て所持している、ということである。ここでも、届け出はしているかもしれない。 また、現在でも、暴力団員の中には、銃を持っている人がいるだろう。それをもってして「拳銃所持は放任状態」というだろうか。 玄武岩を自由にとることを禁じたということを「景観を守ろうとする動きは、昔からあった」(p137)と評価しているが、これなど、権力の規制を受けながら生活していた、と解釈することもできる。それに、禁じたのは、景観を守るためではなく、藩が利益をあげるためかもしれないではないか。 真庄城下では「町が内と外に分かれていて、内側へは旅人の出入りを禁じているため」(p278)も、現在では考えられないような厳しい規制だ。 江戸時代は、これまで言われていたよりは自由だったのだろうとは思うが、著者がいうほど自由だったかどうかは疑問を感じる。 物足りない点。 「川越人足を使わずに大井川を渡る〈勝手渡り〉は厳罰に処された、と書いた本があるが」(p331)。誰が書いた何という本なのか明記して欲しいところだ。 「〈藩〉は、江戸時代の正式の用語ではなく、公用語になったのは、皮肉にも廃藩置県後の明治五年(一八七二)だそうだから、当時の文書にはあまり出てこない。」(p30)は新知識。 気になった点。 「江戸時代の日本は、それぞれが独自の行政権、司法権を持った半独立国のような二百七十余の大名領に分かれた一種の合州国で、〈州〉に相当するのが〈藩〉である。」(p29) 「合州国」という表記をする人はたまにいるが、これは誤り。英語の国名に、「合衆」という古い漢語を当てはめたものだ。また、江戸時代の日本は、「合衆国」というより「連邦国」といったほうがわかりやすいのでは。 「乃木村(南安曇郡豊科町及木)」(p222)の「及木」は「乃木」の誤植か?
2003.06.23
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江戸のことば(著者:岡本綺堂|出版社:河出文庫) 書名から、言葉に関する考察かと思ったが、言葉をめぐるものはほんの一部。あとは「甲字楼夜話」「怪談奇譚」「明治の寄席と芝居」「創作の思い出」。 「明治の寄席と芝居」は、芝居の筋など、「近松翁は元禄を離れても生きられるように出来ている」(p193)という文学観は理解できるが、著者が想定している読者には自明のことと思われることは説明していないので、読んでも何がなんだかわからない点が多いのだが、岡本綺堂の文章を読める、というところにこの本の価値がある。 本としては良心的な作りである。巻末に、「初出誌紙・収録単行本一覧」があり、また、送りがなは底本のままにしてある。 底本尊重はいいのだが、そのためか、読めない語が多い。 「徐か」(p42)は「ゆるやか」と読むのだろうが、「弓に矢をつかえて礑を射る」(p44)の「礑」は読めない。「やぶらや」だろうか。「滾し抜いた」(p202)の「滾し」は「こんし」でいいのだろうか。 意味のわからない表現もある。 「どういう点について、翁の靴の紐を解くのか」(p179)、「今さらたずねて行って箸片し貰うても」(p222)の「箸片し」。 岡本綺堂が、記者時代に勝海舟や榎本武揚に会ったことがあるというのには驚いた。
2003.06.18
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〈超〉読書法(著者:小林信彦|出版社:文春文庫) 「本は寝ころんで」の続き。 「週刊文春」以外のものに発表されたものも含む。 「本は寝ころんで」に続くのは第3部の「狂乱読書日記」なのだが、「本は寝ころんで」とは雰囲気が違う。 前作では「目が点になる」「点目」という表現が何度も出てきたが、これには1度しか出てこない。 そしてこちらは、怒りが根底にある。 書かれたのが1994年から1996年までで、阪神大震災、オウム真理教と、絶望的な気持ちになる事件が続いていたのである。 小林信彦は、「今」を記録することに熱心だ。 「文庫版のためのあとがき」に「阪神大震災とオウム真理教事件によって、読書人の気持が一変《いっぺん》するという時代の転換点を、数々の書評を通じて、リアルタイムで描いたことで、この本は一つの立場を主張できるように思いました。」(p292)と明確に書いている。 あの時期の「今」、あの時期に何が起こっていたかを記録した本なのである。 途中、ある人物を、やけに持ち上げているな、と思ったが、これについても、「文庫版のためのあとがき」で「判断ミス」と正直に書いている。
2003.06.10
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本は寝ころんで(著者:小林信彦|出版社:文春文庫) 1991年から1993年まで「週刊文春」に掲載された読書日記。 当然のことながら、ミステリと映画関係の本が多い。 取り上げられている本の中で、読んだことがあるのは橋本治と呉智英ぐらいだ。 それでも面白い。 何を取り上げ、何を取り上げないか、どこを面白いと思うか、そういう著者の視点が面白いのだ。 また、すっかり忘れていた10年前の日本を思い出させてくれる本でもある。 「文庫版のためのあとがき」に、出版された時期とのタイムラグによるずれがあるが直さなかった、ということが書いてある。 読者のための情報提供や、「今」に会わせることよりも、その時その時の「今」を書き残しておくことが重要なのである。 軽い文章を心がけようとはしているのだろうが、所々に爆発がある。(コラムニストの)「大半は、自分は絶対安全な場所にいて、世間の風向きを見ながら、安全なコトバを売る連中だ。」(p92) 「いちおう〈文明国〉で、こんなにケムリが野放しにされているのは日本だけだろう。」(p231)という文章は、十年前としては斬新だったのではないだろうか。 新聞もせっせとタバコの広告を載せて、喫煙者を増やすことに積極的だったものな。
2003.06.07
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日本怪談集(江戸編)(著者:高田衛|出版社:河出文庫) 江戸時代の怪談のアンソロジー。 「狗張子」「金玉ねじふくさ」「太平百物語」「御伽厚化粧」「怪談登志男」からの小品集と、「四谷雑談集」「勧善桜姫伝」「怪談岩倉万之丞」「怪談桂乃河浪」、そして「雨月物語」から「吉備津の釜」「青頭巾」。 小品は、怨念のからむ話よりも、「こんな不思議なことがあったそうだ」というものが多く、中国で言えば志怪小説の初期のもの、「捜神記」などに非常に近い。 先妻が、夫が遺言通り後妻を迎えて子供を育てるかどうか見に来る話など、死んだ女の恨みにおののくのと逆でおもしろい。 「四谷雑談集」をはじめ、少し長いものになると、怨念を晴らす話が多いのだが、たいてい、男に裏切られた女が、死後に祟るもの。 その中で、さすがに「青頭巾」は趣向が違っている。 何にせよ、愛欲は身の破滅、という教訓が感じられる。
2003.06.05
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