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河出書房新社1958.10.25 「物語」とついていても、小説のようなつくりではない。韓非子の思想を紹介する解説書。あとがきによれば、「韓非子」の主要部分はほとんど収載したという。 「怒りの孤独者」「支配者の道」「仁義か法術か」「戦国を生きるもの」「悲劇の公子」という章立て。 現実的ではない儒家の思想を攻撃し、法による政治を説く。 法術あっての仁義であり、正しい法治の中にこそ仁義があるのだ。 「民というのものはもともと、愛情に対してはつけあがり、威厳に対してはいうことをきくもの」(p125)なのだそうだ。 法術が重要だということは繰り返し述べられる。 「君臣の間には、仁義や人情の介在はゆるされない。それは天下の秩序を紊乱させる本である」「人君たる者は、賢明でなくともかまわず、また驕奢淫逸であっても差支えない。ただ法と術とがあれば、凡庸の人でもその任に当ることができる」(p194) あとがきで知ったこと。「韓非子」は最初は「韓子」といったのだが、韓愈と区別するために唐宋のころから「韓非子」と呼ばれるようになったのだそうだ。 教科書の漢文教材として読んだ話もあった。もともとは政治のあり方を説くための寓話なのだ。 秦の范雎に「はんすい」とルビが振っている。雎は「しょ」のはずだ。 韓非子の思想とは全く無関係のことだが、蟻塚の話が気になった。「蟻は、冬は山の南側、夏は山の北側にいるものだ。蟻塚は高さ一寸ほどだが、その下八尺ばかりのところに水があるはず。」(p110)という説の通りに、水を得たという故事が紹介されている。 また、「山にはつまずかずに、蟻塚《ありづか》につまずく」(p127)という言葉も出てくる。 蟻塚を作る蟻というのは、どんな蟻なんだろう。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.31
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「[小林旭さん]「もったいない音頭」熱唱」だそうだ。 おお、さすがアキラ。三波春夫さん亡き今、こういうことができるのはアキラをおいていない。 できれば、「もったいない音頭」ではなく「アキラのもったいない節」にして欲しいところだ。 「恋の山手線」のような雰囲気の歌だといいな。そういうのをまじめに明るく歌えるのがアキラのいいとこなのだ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.30
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岡田真澄さんがなくなった。 まだ70歳。 岡田真澄さんというと、まっさきに思い浮かぶのが、「マグマ大使」。江木俊夫の演じたマモル少年の父親だった。 かっこよかった。 あとは、「幕末太陽伝」での若い姿。こりゃ、もてただろう、と思わせる。 最近は「サルヂエ」の司会もしていた。けっしてお高くとまるような人ではなかったようだ。 もっと枯れた姿も見たかった。 ご冥福をお祈り申し上げます。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.30
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今朝の産経新聞によると、「君が代」の英語替え歌がネット上で広まっているそうだ。 初めて知った。 英語で歌っても、日本語の「君が代」風に聞こえるらしい。 タモリ倶楽部の「空耳アワー」を思わせる。 記事ではその歌詞が紹介されている。元々、ネット上のものを、著作権者に無断で引用しているもののようなので、それをコピーしておく。 Kiss me, girl, you old one. Till you're near, it is years till you're near. Sounds of the dead will she know ? She wants all told, now retained, for, cold caves know the moon's seeing the mad and deda. 昔、何かの本で、スチュワーデスが、英単語をつなげて日本語の文章らしくきかせるようにするのを作った、というのを読んだことがある。「~ます」には「moss」をあてていた。 この替え歌も、へえ、面白いなあ、とは思うが、なんでまた産経新聞がでかでかと報道したのだろう。 「楽しくなければテレビじゃない」のフジテレビ傘下にあることと関連づけて考えれば、「君が代」も面白おかしく歌え、ということなのかもしれない。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.29
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渡辺プロダクションの創始者、渡辺晋(柳葉敏郎)の半生を描くドラマ。 二夜にわたって放送しても、内容が盛りだくさんすぎて消化不良。 渡辺プロダクションの新人社員の家でテレビを買ったという騒動から始まるので、見る側から描くのかと思うと、そうではない。新人社員の目から描くのかと思うと、そうでもない。 枝葉が多すぎる。 渡辺晋と曲直瀬美佐(常盤貴子)の出会いからはじめて、「シャボン玉ホリデー」あたりまでを描き、あとは「アメリカン・グラフティー」式にその後を紹介する、というのでよかったのでは。 たとえば、「ザ・ヒットパレード」の演出家の椙山浩一が、「ドラゴンクセスト」シリーズの作曲家「すぎやまこういち」であることなどを紹介すれば、見る側はもっと親近感を持っただろう。 知っている人には物足りないし、知らない人にはわけがわからない、というものになってしまっていた。 また、ザ・ドリフターズが出てこなかったのは不思議だ。 劇中の歌は、当時の歌声を使っていたようだ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.28
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プレジデント社。1989.4.26 プレジデント社ということで、中国の古典をビジネスに活かそうという内容なのかと思ったら、そういうわけではなく、「戦国策」の中からおもしろそうなエピソードを人物ごとにまとめ、面白い読み物として完成されている。 「人を動かし、人を活かす」ことよりも、どのように、国という組織を運営し、力をつけていくべきか、ということが書いてある。序章 戦国七雄「弱肉強食」の巻 戦国時代とはどのような時代だったのか、という概説。 正直なところ、ざっと読んで頭に入れられるような内容ではない。第一章 晋三分割「春秋終焉」の巻 趙襄子と智伯第二章 変法断行「秋霜烈日」の巻 商鞅による秦の近代化第三章 機略縦横「合従連衡」の巻 蘇秦の活躍。第四章 富国強兵「遠交近攻」の巻 蘇秦のライバルだった張儀の活躍と范雎。これも秦の強国化。第五章 人材活用「食客三千」の巻 有名な孟嘗君の話。第六章 名将激突「狂瀾怒涛」の巻 秦の名将・白起の悲劇。第七章 奇貨可居「天下統一」の巻 呂不韋と始皇帝 このように、秦が統一するまでを時代順に編集し直して読みやすくしてある。 これは著者の工夫である。 読み物として、第一章から読めばいい。 「隴」に「そう」(p46)、[金票](p47)に「びょう」とルビを振っているのは誤植か。 それぞれ「ろう」「ひょう」のはず。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.27
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「わが国の歴史と政治、および国際社会での日本の役割に関心を持って意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚を持とうとする」。 こんな文章を目にして、考えた。(記事) 同一のものに三つの呼称を用いている。 「わが国」「日本」「自国」である。 同じ表現ばかり使っては芸がないので、中身は同じでも言葉を変える、というのはよくあることだ。 しかし、「自国」というのは耳慣れない言葉だ。意味は分かるが、熟していない。 「他国」は熟していると思うのだが、「自国」はすんなりとは頭に入ってこない。引っかかりを感じる。 「母国」「祖国」という語もあるのに、わざわざ「自国」にしたのは、「愛国心強制」のイメージを少しでも軽くしようとしたからなのではないだろうか。 記事の内容は、簡単に言えば、愛国心を数値で評価している小学校がたくさんあるぞ、というもの。 「自国を愛し」じゃあ、困ることもあるだろうに。 外国籍の子どもはどうなるの。 北朝鮮が「自国」の子は、日本に生まれ育っていても北朝鮮を愛さなくてはならず、中国籍の子は中国を愛さなくてはならなくなる。 その子の「自国」だけでなく、日本にも愛情を持ってもらいたいものだ。 ことさら「愛国心」などと言わなくても、自然に愛情を持つことができる国作りを目指すことが肝要だ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.26
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「いこい」である。 「こ」のところは、前にも取り上げた「古」の草書体。 上の縦書きのほうを見ると、変体仮名にゴチック体は似合わない、と思うのだ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.25
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1990.12.10。文春文庫 「相撲小説集」と副題がついている。 その通り、相撲にまつわる短編集。しかし、相撲だけが書いてあるのではない。「金星」 表題作。 ある相撲部屋の相続にまつわる騒動を、関わった人物の口からそれぞれに語らせる。 手法としては目新しいものではないが、描かれている内容が良くできていて、最後には「なるほどそうだったのか」と納得させられる。 まあ、何もかもうまくいきすぎるのが欠点と言えば欠点だが、これは小説なのだ。「しにたい」 「死にたい」ではない、「死に体」である。 アルコール依存症になってしまった若い力士が、自分の取り口を見いだす話。 明るくもなく暗くもない。人生の意味に重きを置きすぎた嫌いがある。「摺《す》り足《あし》」 スポーツ新聞社を退職して、相撲界から相手にされなくなった男が、廃業を考える力士に、自分の理想とする「摺り足」を伝授して……と、設定そのものはありきたりのように思えるのだが、読ませる力がある。「相撲の花道」 ああ、これはプロレスファンの心理なのだ、と思いながら読んだ。 自分の人生、性格を投影しやすいレスラーに勝手に感情移入し、その活躍に一喜一憂する。 相撲の場合は勝ち負けが大事だが、プロレスの場合は、そのレスラーのキャラクターを生かすことができるかどうか、という問題がある。 実は相撲の世界もそうなのだ、ということが読み取れる。「相撲梅《うめ》ガ香《か》部屋」 ダメ親方の話。 それよりも、ちょっとだけ出てくる「出羽ヶ嶽」という年寄りに意識が行く。 これは、「楡家の人々」にも出てくる力士だ。映像も見たことがある。 この小説では、「斎藤茂吉」とはっきり、関係者の名が出てくる。「十両十三枚目」 これは純然たる相撲小説である。 相撲の世界でしか起こりえないことが書いてある。 廃業したいのに廃業できない男。 弱小相撲部屋の悲哀。 星のやりとり。 そういうことが描かれている。「相撲の骨」 「出羽ヶ嶽」の話である。 ほどんどがフィクションなのであろう。 斎藤茂吉は「内藤誉吉」という名になっている。 結婚して小岩に小さな店を持つあたりは「相撲梅ガ香部屋」と同じで、おそらく、実際にそうだったのだろう。 これは、茂吉をモデルとする、相撲界の外側にいる人たちの心理を描くことが中心になっている。 これは不思議な小説集である。 相撲を知らない私が読んでも面白い。 人間の生活に普遍的な真実が描かれているからと考えてもいい。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.24
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「[問題行動]児童、出席停止も…厳格化へ報告書 文科省など」ということで、公立の小中学校でも出席停止制度を積極的に活用していくことになりそうだ。 記事にもあるように、「現在の公立小中学校では、学校の秩序が維持できないほどの問題行動を起こす児童生徒がいたとしても、停学や退学などの処分は認められていない。」 つまり、私立なら、問題行動を起こす児童生徒を追い出すことはできても、公立ではできないのだ。それでいながら、私立と同じように教育活動をしていないと批判されているのだから理不尽な話だ。 それはさておき、この記事、舞に新聞の社会面には続きがあって、「生徒指導厳格化:「信頼関係損ないかねぬ」…校長ら懐疑的」ということだ。 いわゆる識者のコメントとして、金八先生の脚本家は、「厳格化で学校は救われても、子どもは救われない。」と、いかにも新聞が期待しそうなことを言っている。 それに対して、和田秀樹が「子どもを受け止める学校カウンセリング体制が米国より貧弱な日本で、生徒指導の厳格化をためらう理由はない。」と言っているのが印象に残った。 「子どもを受け止める学校カウンセリング体制が充実していれば、生徒指導の厳格化は必要ない」と言っているようにも読める。 私が不思議に思うのは、記事も、コメントも、問題行動を起こす子どもにしか目を向けていない、ということなのだ。 例えば、授業中に暴れて授業を妨害する子どもがいたとすると、その子どものことばかり見る。 同じ教室にいるほかの子どもたちはどうなってもいいのだろうか。 暴力をふるう子どもがいれば、暴力をふるわれる子どももいるわけだが、なぜか、被害者に目を向けた記事は目につかない。 私は、今回の指針は、とりあえず被害者を守るためには有効だと思う。 しかし、問題の解決にはなるまい。 問題行動にはそれだけの理由があるのだろうから、それを取り除いていくことで、問題を起こしている子どもも救われていくだろうし、被害者の立場に立つ子どもも減らすことができる。 例えば、問題行動の原因がそのこの障害であった場合、出席停止にしたところで障害が消えるわけではない。家庭崩壊が原因だったとしたら、厳罰化によって家庭環境が改善されると考える人はいないだろう。 厳罰化で解決する問題は少ない。 しかし、繰り返すが、厳罰化は、被害者側にいる子どもたちの一時的な救いにはなる。 迷惑している子どもたちのためにも、カウンセリングや障害児対策に力を入れていく必要がある。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.23
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♪ひびわれたコンクリートのすきまに……と歌っていたのはV6の「野生の花」ならぬ「野性の花」。 その歌を思わせる風情だ。 コンクリートの壁と、アスファルト道路の間のすきまに根を張り花を咲かせている。 壁のある方が南側。ということは、ほとんど日が当たらない。 スミレかと思ったが、パンジーの仲間のようだ。 下村湖人の「次郎物語」に、岩の隙間に生える松が出てきたのを思い出した。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.22
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湘南出版社。1981.4.2 今日のマンガの源流の一つ。「トキワ荘」ものを読めば必ず登場する「漫画少年」。 第一章「代表作品復刻集」 第二章「思い出の文集」 第三章「全巻作品目録集」 井上一雄「バット君」、原一司「カンカラ兵衛」、島田啓三「だんご仙人」など、名前も知らなかったマンガを読むことができた。 おそらく、当時としては普通のマンガだったのだろうが、感覚が古い。紙芝居のようだ。 その中で、「ジャングル大帝」は異彩を放つ。 特に、最終回の、ヒゲ親父が筏で川を下ってくるところ。二ページにわたってセリフがない。 映画の感覚である。 手塚治虫の力で「漫画少年」が売れたということはあったのだろうが、手塚マンガの出現によって、それまでのマンガが読者の好みに合わないものになり、「漫画少年」自体が時流から取り残されることにもなったのだろう。 寺田ヒロオもまた、新しい感覚のマンガが登場してきて、「古いマンガ」になってしまい、商業主義に走る時勢に嫌気がさして筆を折ったのだろう。 寺田ヒロオの、「漫画少年」への執着心が生んだ本である。 できれば、「漫画少年」全巻を復刻したかったのではないだろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.21
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年内発売と言われていた、Microsoftの新OS「Vista」が来春発売になったようだ。 正直なところ、OSの機能としてはXPどころか2000で充分だと思っている。 それまでの、システムリソース不足に泣かされることがなくなっただけでも、Windows2000は画期的で便利だった。 Vistaに期待するところはほとんどない。 グラフィック機能が強化されるというが、そのためにはそれに対応したハードが必要になる、ということで、新たな出費につながる。 じゃあXPのままでいるのか、と言われると、やはりVistaを使うと思う。 その理由はフォントにある。 「鴎」の「鴎」や「葛」の「葛」などが、新フォント「メイリオ」によって、印刷書体で簡単につかえるようになるらしい。 これは便利だ。(ただし、私は字体については、当用漢字導入時の失敗を引きずっている面があるので、必ずしも印刷書体にこだわる必要がない点もあるとは思っているが、それについては、いずれ項を改めて) 関連記事そろそろ準備を--MSが「Vista」導入準備の支援キャンペーンを開始楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.20
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伊藤整の没後、友人である著者が書きついたもの。 伊藤整の文章より、乾いた感じがする。 それについては、解説(紅野敏郎)が触れていて、「瀬沼茂樹は本質的に小説家としての資質には欠けてもいた」「学者的、研究者的要素が強く」「人と人との関係の自在な心理動きは、十全に発揮されてはおらず」という評価の言葉がある。 実作家と研究者の違いがあるわけだ。 もちろん、小説ではないので、事実を事実として提示する書き方でよいのである。 生硬で難解な文章ではない。 外来語の表記には、「ー」は使わない。 「ペン・ネイム」「サイダア」という表記をする。また「ヒロイン」ではなく「ヘロイン」と書いている。 当時の資料からの引用が多いが、意味の説明がないことが多く、困る。例えば、「手のつけられぬNil-admiraliになっている」(p111)というように。 これは「何事にも感動しない」という意味のラテン語らしい。 生島、志賀、武者小路らの「白樺」グループの話から始まる。 女中との恋愛、外遊とお坊ちゃんの生活ぶりが描かれる。外遊の間、恋人の世話を友人に託しておきながら、帰国すると冷たく棄ててしまうあたり、「身分」が違うのだなあ、と思わされる。 兵役を逃れるためにあの手この手を使うのも情けない。 しかし、それこそが、自己に忠実に生きようとする近代的自我でもあったのかもしれない。 この巻は、白樺派のことばかり書かれているわけではなく、漱石と森田草平、近代演劇界の動向、川上音二郎の死などが書かれている。 堺利彦の「売文集」に中里介山も寄稿しているのは興味深い。 平塚らいてうの「青鞜」は十八世紀のロンドンで、青い靴下をはいて批判された女性がいたことに基づいているそうだ。それにしても「鞜」という語を知っているあたり、さすがだ。・「昔の能因法師《のういんほうし》のような風雅話」(p67) 歌が先にでき、あとからそれを事実として出かけたふりをした、という故事のことか。・「浮気女を蕩す手練」(p101) 「蕩す」は「たらす」か。・「女義太夫の豊竹昇之助《とよたけしょうのすけ》をアウフ(aufgehenから出た)をしない仲間」(p116) aufgehenは「のぼる、あがる」という意味のドイツ語。・「吁小人国」(p139) 「吁」は「う」なのか「く」なのか不明。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.19
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「[カルガモ]親子7羽お出まし 首相官邸の前庭に」という記事の中に、こんな文章があった。「10羽ぐらいヒナがいたが、カラスに連れていかれ6羽に減ったという。」 カルガモのヒナの話。 「カラスに連れていかれ」とはどういうことなのだ。 カラスがヒナをだましてどこかに連れていき、売り飛ばしたとか、自分の子として育てているとかいうわけではあるまい。 カラスに補食されたとしか思えない。「カラスに取られ」と書いた方がわかりやすい。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.18
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ニラと間違えてスイセンの葉を食べ、食中毒を起こしたという記事があった。 我が家の庭にはスイセンが植えてあるし、市民農園を借りて野菜作りをしている身なので、なぜ混同したのか、と不思議に思ったが、細長い葉だけがあるとニラに見えなくもないのかも。 売っているニラは立派な葉で、太くて広いし。 こういうことは、ほかの植物でも起こることだろう。 「ヤマゴボウ」の名で売っている山菜は、実はアザミの一種の根で、植物学上の「ヤマゴボウ」の根は有毒なのだそうだ。 また、有毒のものと無毒のものと、外見上は見分けがつきにくいものがある。 その代表はキノコ。 私は子どもの時に、父に連れられてキノコ取りに行ったことがあるが、一人で行く気はしない。 素人が手を出しては行けない領域なのだ。 日常的にキノコに接している人でなければわからない差異がある。 植物には限らない。 例えば、音楽にも、精通した人にしか理解できない差異があるのだろう。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.17
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職場で使っているノートパソコンが遅くて不便なので、何とかしたいのだが、ノートパソコンは高くて、中古でも手が出ない。 かといって、デスクトップでは場所を取る。 ここは一番、省スペースのベアボーンで一台組むか、と思っていたら、「ソニー、HDDの代わりにフラッシュメモリーを搭載したVAIO type Uを開発」だそうだ。 なるほど、フラッシュメモリという手があったか。 軽量小型化にはぴったりだ。 おそらく実用化して売り出すだろうが、普及するかどうかは未知数。 今まで幾多のPC関連機器が売り出され、消えていった。 一時期ZIPドライブを使っていたことがあるのだけれど、知らない人の方が多いのでは。 最近は、フロッピーディスクドライブさえついていないPCの方が多いくらいかも。 とりあえず、XC Cube EZ661L Silverあたりで組もうかな、と思っている。 文書処理だけなら、セレロンで安くあがるかもしれない。 関連記事「ソニー、Blu-ray搭載ノート型VAIOを発表--フラッシュメモリ搭載VAIOにも言及」「[ソニー]世界初の「フラッシュメモリー」PC開発」楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.16
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「やぶ茂」で、「ぶ」だけ変体仮名。 おそば屋さんの看板。おそば屋さんは「ふ」に変体仮名をつかう系統があるのだろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.15
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いつできたのか覚えていないのだが、息子の指にイボができた。 いつの間にかかなり大きくなっていた。 命に関わるものではないが、放置もできないので、爪切りのヤスリで削ったりしていた。 妻が、インターネットでいろいろ調べて、ヨクイニンがきくらしいと、買ってきて飲ませた。 「ヨクイニン」とは何だろうと思ったら、箱に、漢籍のコピーがついている。 なんと、漢方薬なのだ。 箱を見ると、「[くさかんむり/意]苡仁」と書くのだ。 ヨクイの種ということである。では「ヨクイ」とは何かと思ったら、ハトムギのことだった。 体内の異物を排出する功能があるらしい。 で、イボはどうなったかというと、薬が効いたのかどうか、ポロッととれて、今ではあとが残っているだけ。 ウオノメのようなものだったようだ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.14
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金曜日の夜、同僚と飲みに行った。 一時間半ぐらいしか飲んでないのだが、酩酊。 飲み始めたのが10時過ぎだったので、北千住で常磐線に乗った時には日付が変わっていたようだ。 気がつくと松戸駅。取手まで行って引き返してきたらしい。 しかも、終電で、もう上りも下りもないという。 冷静に考えれば、ビジネスホテルにでも泊まればいいのに、そこがヨッパライの恐ろしいところ。「取手まで歩こう」と思ってしまったのだ。 夜の6号線をひたすら歩いた。 2時間以上歩いて、やっと柏。これ以上は無理だと思って、柏駅でタクシーに乗り、取手へ。 タクシー代が3700円ぐらい。 家に着いたのが4時過ぎで、そらがうっすら明るくなっていた。 自分にあきれながら布団に入った。 でもって、土曜日の午後も出勤しなければならないので、9時過ぎには起きて、ひげだけ剃って出勤。 バカだねえ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.13
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全日本が馳浩引退興行7・23開催ということだ。 歯のインプラント手術をする、と言うのを知って、「ああ、プロレスはできなくなるんだな」と思っていた。とうとうはっきり引退を表明することになった。あとは政治家として生きていくのだろう。 去年2月の馬場さんの七回忌興行に出場し、退場するときに、花道ではなく、客席の中を通っていったのを見て、何かあるな、とは思っていた。 正直なところ、政治家としての馳浩は全く評価していない。サッカーくじなんて採算がとれっこないのに導入に力を貸しちゃって。 プロレスラーとしては、いいところがたくさんある。新人レスラーの教育に関しては、最も適したレスラーだろう。 それだけに惜しい。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.12
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嶋中文庫2005.9.20 「二枚の小判」「権八の罪」「仏喜三郎」「茶碗割り」「蜘蛛《くも》の巣」「秤座《はかりざ》政談」「縞《しま》の財布」「彦徳《ひょっとこ》の面」「遺言状」「槍の折れ」の十編。 巻末に随筆「江戸の昔を偲ぶ」が付録としてついている。 いずれも、いつもながらの銭形平次で、おそらくこうだろう、と察しのつくのもある。 題名の付け方が作者の腕の見せ所で、「槍の折れ」など、「折れ槍」でないところがさすが。 欲得尽くの事件よりも、恨みを晴らそうとする話の方が多い。 なお、「槍の折れ」では、謎の内の一つは明らかにならないまま終わっている。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.11
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懐かしいタイトルを見た。 「黄色い涙」が映画化されるのだという。「嵐が映画「黄色い涙」主演」「「嵐」昭和の夢追う上京青年演じる」「嵐の2年ぶり主演映画!」 原作は永島慎二の「漫画家残酷物語」。この人、途中まで「柔道一直線」の絵も描いていたんだよなあ。 記事にあるように、かつてNHKでドラマ化されたことがあり、私はそれが好きで見ていた。 主演は森本レオで、今では信じられないかもしれないが、挫折する青春を演じるのが得意な役者だった。同居する仲間の一人が岸部シローで、世話になる喫茶店のマスターが山谷初男だったのを覚えている。 主題歌は小椋佳で、佐藤春夫の「海辺の恋」に曲をつけたものだった。それで佐藤春夫が好きになり、詩集を買って、いくつか暗記したりしたものだ。 遠い昔の記憶が甦る。 1964年の東京が舞台と言うことだ。昭和30年代が終わろうとしている頃。 考証の点でいろいろ難しいことはあるだろう。 細かいことには目をつぶろう。青春は挫折するものなのだ、挫折から始まるのだ、ということを、若者に感じ取ってもらいたい。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.10
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この映画は、今までに、民放の吹き替え版を2回見たことがある。 今回は、BSで、字幕で放送されたのを見た。 吹き替え版はカットがあるようで、見覚えのないシーンがいくつかあった。 英語を聞きながらだと、ボートを漕ぐ練習風景と、大学内の活動家のセリフの「stroke」と「strike」が重なる所など、遊びもわかる。 リンダが一度は離れようとしたこと、英雄扱いされたサイモンが、巨乳の女子学生にご褒美をもらうことなどは、吹き替え版にはなかったように思う。 映像は荒く、回転して周囲を映したり、セリフがなく、曲だけが流れる場面が多かったりして、ドキュメンタリー風でもある。 きっと、「俺たちの旅」などは強い影響を受けているのだろう。 驚いたのが、最後の、警官隊が突入する場面。 突入が始まると、セリフは一切ない。 うずくまり、無抵抗の学生たちにガスがまき散らされ、警官隊は暴力的に排除していく。 聞こえるのは学生たちの悲鳴ばかり。 二人は、「サイモン」「リンダ」と名を呼び合いながら連行されていたと思っていたのだが、そんなセリフもない。言葉にならない叫びを発するだけなのだ。 初めて見たのは高校生の時で、「いちご白書をもう一度」がヒットして、テレビで放送したのだった。その時の数学の若い教師が、この映画が大好きだったと言って、ぜひ見るように、と勧めてくれた。 もちろん強い感銘を受けた。 中年となった今見ても、やはり強い感銘を受ける。 名作である。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.09
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藤波「悩みない」スッキリ残留だそうだ。 あれだけ大騒ぎをしておいて、こんな結末とは。 結局話題作りに利用されただけ? 藤波らしいといえば藤波らしい。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.09
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オバQの初代声優・曽我町子さんがなくなったそうだ。 まだ68歳。 オバQの放送開始が1965年というから、その当時は20代だったのだ。 見てた、見てた。懐かしい。 最近はスーパー戦隊ものにも出演していたはず。 ご冥福をお祈り申し上げます。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.08
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(ネタバレがあります。これからご覧になる方はご注意ください) ガメラは子どもの時にいくつか見た。 大人になり、長男が小学生の時に、「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」を見に行ったら、良くできていたので、「ガメラ2 レギオン襲来」も「ガメラ3 邪神-イリス-覚醒」も見に行った。 そして、久々のガメラだ。子どもが主役らしい。 今度は小学生の次男を連れて見に行った。 「小さき勇者たち」というのは子どもたちのことだ。 正直なところ、最初のガメラシリーズで、ガメラが子どもの味方、というのが納得できなかった。怪獣としては堕落ではないか。もっとわけのわからない存在であって欲しかった。 平成ガメラ三部作では、人間からも攻撃され、親の敵と恨まれ、それでも怪獣と戦うという複雑なキャラクターになっていて、それはそれでよかった。 というところで、今回のガメラ。 松竹のマークが現れたので「あれ? ギララの松竹で作ったの?」と思ったが、次に「角川ヘラルド映画」と出た。そうだった、大映は角川に吸収されたのだった。 1973年、少年が、ギャオス相手に戦うガメラが自爆するのを目撃する。 今までの映画にはない話だ。最初のガメラのその後の話ということなのだろう。平成3部作は、別の世界の話ということになっているようだ。 そして時は流れ、現在。 少年は、妻を亡くし、小学校高学年の息子を一人で育てる中年男。その息子が主人公。 ガメラの卵を見つけ、孵化を目撃し、ペットにし、トトと名付ける。それがガメラだとは思いもしない。 よちよち歩きの小亀がかわいらしい。どうやって動かしているのだろう、と思ったら、なんと、本物のカメなのだそうだ。ケヅメリクガメという本物のカメを使っていて、成長したガメラも、そのカメに合わせている所があるようで、愛嬌のある顔をした怪獣になっている。もっとも、大人になったら、もっと怖い顔になるのだろう。 小亀の時に、目の前に包丁が落ちてきて、切っ先が目の前、という場面の映像は、「大悪獣ギロン」を知っている大人へのサービス。 その頃、沖縄近海では、海難事故が続発し……ということで、怪獣の出現を関知してガメラが誕生したらしいことが見ている大人にはわかる。 成長しきっていないまま、凶暴な怪獣ジーダスと戦わなくてはならない。 このままでは勝てない。卵の時に一緒にあったガメラのお守りをガメラに渡さなくては、というので、子どもたちが活躍する。 いい年をして、と思われるだろうが、「トトにね」と、夏帆から少女に手渡され、理屈なく、子どもたちはそれがガメラにとって必要なものだと理解し、手から手へ渡して届けようとする場面で、目頭が熱くなってしまった。 前日に「飛ぶ教室」を見たことも影響していると思う。 子どもには、大人には理解できない子どもの世界がある。 大人たちは、怪獣を倒したガメラを捕獲しようとするが、子どもたちはそれを許さない。 ガメラが子どもの味方なのではなく、子どもがガメラの味方なのだ。 不満に思うところが一つだけある。 タイトルだ。「小さき」と、わざわざ文語体にしたのはどういうつもりなのだろう。 現代の話なのだし、「小さな勇者たち」のほうがすっきりする。 そこだけが残念。 公式サイト楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.07
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5日の産経新聞の「主張」(社説)は「こどもの日 孤は徳ならず道しるべに」という題で、題を見ただけでは何が言いたいのかさっぱりわからず、読んでみたのだがやはりわからない。 家や家族が崩壊してきている、ということを憂えているのはわかるのだが、「孤は徳ならず」が出てこない。人間は一人では生きられないのだから、家族を大事にしろ、ということが述べられた後、最後の最後になってやっと、 「徳は孤ならず、必ず隣あり」と論語にいう。逆もまた真だ。「孤は徳ならず」。こどもの日を機に、それを社会共有の道しるべとしたい。という文章が出てきた。 「論語」には確かに、「徳は孤ならず、必ず隣あり」(徳不孤必有隣)とある。「徳は孤立しない、必ず同調者がいる」という意味だ。「徳」には、「道徳」「人徳」のような小さなものから、天下国家を治めるものに要求される徳も含まれる。また、「隣」は家族のことではない。 それなのに、「逆もまた真」とはどういうことだ。 「孤は徳ならず」では、「孤立したものには徳はない」という意味になるのだろうが、そのことと家族と、どういう関係があるのか理解できない。 もともと家族とは何の関係もないものを持ち出して、「逆もまた真」だから家族を大切にしろ、と言われても困る。 そもそも、「こどもの日」という日本の祝日について語るのに、わざわざ中国の古典を持ち出すのか、それも理解できない。 よほど中国コンプレックスのある論説委員がいるのだろう。 なお、「論語」にはほかに「六尺之孤」という語があった。(「泰伯」)。こちらは、「よるべのない幼君」という意味である。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.06
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(ネタバレがあります。これから見ようというかはご注意ください) ケストナーの小説の映画化としか思わないで見始めたので、いきなり飛行機が出てきてビックリ。 なんと、現代が舞台なのだ。しかも、船長に育てられているヨナタンがクリスマス間近の学校に編入してくるという始まり方。 舞台はライプチヒで、ヨナタンは合唱隊に入る。 なんじゃ、こりゃ、だ。(見ているとわかるが、旧東ドイツというところに意味があった) おまけに女の子が出てきてさらに仰天。「飛ぶ教室」に女の子はいらないんじゃないのかなあ、と思っていると、それが、通学生の幹部の一人なのだ。 「飛ぶ教室」の芝居は、生徒達のオリジナルではなく、禁煙さんのところで見つけた台本をもとに、ラップの多いミュージカルにしようということで誕生しかけるのだが……。 「飛ぶ教室」のようで「飛ぶ教室」ではない。 はたしけ、ケストナーが現代に生きていたらこういう話を書いただろうか。 という思いは思いとして、映画そのものは意外に面白かった。 子どもにおもねっているような面もあるが、おそらく、子ども向けの映画なのだろう。 良かったのは、禁煙さんが、ヨナタンより後に姿を現すこと。この方が自然だ。 ずっと以前から同じ町にいたのに、お互い気づかないというのは無理があると以前から思っていた。 本筋とは関係がないのだが、25年前の日本がちょっとだけ出てくる。 そうか、あんな風だったのか。何かの合唱隊の記録映像か何かを使ったのだろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.06
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虚空蔵温泉という天然温泉があるというので行ってみた。 場所は茨城県東海村。 原子力発電関連の施設を目当てに探していくと、がけの上にそびえ立つ大きな建物だった。 休日は大人1000円。 入り口はよくある日帰り温泉施設。 1階は飲食のできる大広間。なお、飲食物の持ち込みは禁止。 浴室は2階。 入ってすぐの所に小さな水風呂、その隣にサウナ。そして、その隣にぶくぶく泡の出ているお風呂と大浴槽。 聞きしにまさる醤油色。子どももびっくり。 さっそく入って見る。首から下は見えなくなる。みんなが肩までつかると、生首だけが浮かんでいるようだ。 なめてみたがしょっぱくはない。 露天風呂もあるので入ってみる。 見渡せば……原子力発電関連の施設。 休日なのに、その時入浴していたのは10人ぐらい。 サウナは、小ぶりで温度は低め。テレビなどというものはない。 水風呂は、小さくて浅く、入ってみたが、片まではつかれない。体にかける水をためているだけ? 客が少ないのでのんびり入れた。 それから館内を見て回った。 5階は展望室。4階は展望室兼休憩所。 3階は休憩室と宴会場。 横になれるところがたくさんある。 休日だというのに客が少なく、館内は静か。 気楽に読める小説でも持ってくれば、一日ごろごろして過ごせそうな施設だ。 公式サイトによると、宿泊施設もあるということだ。 「虚空蔵」というのは、近くにある村松山虚空蔵堂にちなんだもの。 ついでに行ってみた。 山の斜面に広がる巨大な施設で立派な三重の塔などもあるのだが、正門すぐのところに売店を並べるおばさん達が、やれ買えそれ買えとしつこくて大変に印象を悪くしている。 あれでは客は避けて通るばかりだ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.05
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連休を利用して、かねてからの懸案だった柴又行きを決行。 寅さんは半分以上見たが、まだ柴又に行ったことがなかったのだ。 行ってびっくり、休日だからなのかいつもそうなのか、駅前からすでに縁日状態。 帝釈天までずっと縁日。 駅の近くの「柴又ハイカラ横丁」で駄菓子を買い、参道を歩き始める。 両側に並ぶのは寅さんの世界とは全く異なる大型店舗。 もちろん、映画は虚構なのだから、現実と違っていて当たり前。 帝釈天も人でいっぱい。 人並みを抜けて帝釈天の裏手へ。 目指すは明治の豪邸を移築した山本亭。 観光客はここにもいるが、静かな雰囲気。 土手に上って子どもはラムネを飲み、昼食にはまだ少し早いので矢切の渡しへ。 対岸の松戸市までの渡し船。大人100円。 これまた観光客で満員なのだが、川船の風情はある。 矢切に着くと、よしず張りの茶店とでも言うべきお店があって、あとはお店がない。 野菊の小径という、水田と畑の中の小径を行くと、「野菊の墓」の文学碑があるというので、行ってみる。 片道15分ぐらい。うららかな日差しの中、散歩にはちょうどいい。←これがその文学碑。 その側に小さな部屋があり、写真などが展示してある。 そこにいたおじさんが、「資料館を見ていって」というので入ってみたら、「野菊の墓」とは関係がない、楠木正成や坂本龍馬に見える木の枝の写真を出してみせる。 全部そのおじさんが発見したものだそうで、日本人は自分たちで技術を作らず金で買ってばかりいる、などと言い出した。 何のことはない、このおじさんが自分の話を聞いてもらうためだけに用意した部屋らしい。 空腹だったので早々に退散し、小径を戻って柴又へ。 川甚へ行ってみたが、その店構えに恐れをなし、参道に戻り、映画の撮影にも使われた「とらや」の2階で食事。 うな重やカツ丼を頼んだ。カツ丼はしょっぱかった。 いやあ、すごい人出だった。 そればかりが印象に残ったお出かけだった。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.04
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副題は「医師として、患者として、支援者として」。 自分自身が、執筆の20年前に、うつ病で2年間苦しんだという精神科医の書いた本。 しかし、筆致は非常に明るく、駄洒落がちりばめてあり、躁状態で書かれたような印象を受けるが、それについて、自分で分析している。 うつ病(気質)の人は、うつ的な脂質だけでなく、「いたずら好き」で「やんちゃ」、「躁《そう》的な快感への憧れ」や「達成感や成功への願望」といったものを併せ持っている(p17)ということだ。 言われてみると、このことは、私自身にもよく当てはまる。 うつ病になるきっかけは人さまざまだが、日本の社会そのものがうつ病患者を生み出しやすいのだという。 「日本はうつ病促進社会」という小見出しをつけて、「努力すれば報われる」という、とうに失われた初期資本主義の理念というか幻想をふりまく保守の政治家の言説を信じたり、学校の校歌のような有害な理念を信じ込まされた若者にとって、今の社会は余りにも報われない世界である。(p48)と言い切る。 このことは繰り返し述べられているし、「小泉総理や石原都知事のような突出した言動を示す保守政治家を支持する「ある種の英雄待望論」も、国民的思考停止状態なのだと思う」(p86)とも述べている。 治療しても治療しても患者が増えるのでは、医師の仕事はいつまでも楽にならない。 患者が生まれない社会を目指そうという意図があるわけだ。 日本の自殺率は、世界でも非常に高いのだそうだ。 もっとゆるやかな社会を目指さなければ、自殺者が減ることはないだろう。 しかし、「ゆるやかな社会を目指そう」となると、きまじめに「ゆるやか」を追い求めたりしかねないから困る。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.03
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私は昔大田区に住んでいたことがある。 大井町に、よく買い物に行った。 そこに「時代屋」という古道具屋があり、映画の撮影に使われた、ということで、大きく宣伝していた。 それを思い出し、再放送を見た。 1983年に夏目雅子と渡瀬恒彦で映画化されていて、それを同じ渡瀬恒彦でリメイク。相手役は大塚寧々。 映画を見ていないので、新鮮。 女は現実の女だったのか。 上質なものを作ろうという意気込みは伝わる。 偶然なのだろうが、大多喜近辺で撮影したときに、大雪だったのも映像として美しかった。 しかし、残念ながら奥行きが足りなかった。 本当はもっとじっくり描きたいことがあったのだろうが、放送時間の制約もあってできなかったのだろう。 公式サイトで紹介されているあらすじと違っているところがある。 電気屋の松ちゃんの布川敏和の出番も一回しかない。あれでは、わざわざ役名をつけなくてもいいくらいだ。 脇役が、泉谷しげる、笹野高史、中野英雄と、個性的な脇役の見本のような人ばかりで、消化不良を起こしてしまった。 久しぶりに見た相本久美子が、出番が少なかったのに、かえって光っていた。 でも、面白かった。 物語の力なのか、出演者の力なのか、最後まで見ずにはいられなかった。 もし、また再放送することがあっても、一人で晩酌しながらぼーっと最後まで見てしまいそうな気がする。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.02
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長谷川伸の原作を読んだことがあるのだが、細部は忘れていた。 おそらく、かなり脚色してあるのだろう。 若くて颯爽とした主人公が、たまたま行きがかりで出会った娘のために50両を投げ出し、また、妹の死を知って泣き崩れる。錦之助が光っている。 妹の死んだ場所が取手というのが取手市民である私の心を打つ。 その時、妹の死を教えてくれるのが岩崎加根子で、今では水戸黄門の八重さん。 そして十年後。 主人公はなかなか出てこない。やくざの出入りの場面で、腕を見込まれて用心棒になっているらしいとわかるが、姿を見せると、心の張りをなくし、身を持ち崩したすさんだ姿。目の下の隈や顔の傷もすさまじい。 すっかりだめ人間になってしまったのかと思ったら、最後は娘(十朱幸代!)を助け、颯爽と去っていく、というおなじみのパターンにしなかったのが新工夫。 待ち受ける、大勢の敵に向かって歩いていくところで終わるのだ。 余韻のある最後。 よくできている。 何度も映画化されたものを、改めて錦之助で、ということで工夫を凝らしたのがよくわかる。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.01
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