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30日と31日、エクシブ琵琶湖(米原市磯)に一泊しました。朝早く目覚め湖岸の家々にコミックを50部ほどポスティングしながら歩きました。太陽が昇りまぶしさで光る琵琶湖岸をゆくりと一万歩。 そのままエクシブ琵琶湖の朝ぶろで汗を流しバイキングの朝食会場へ。例年の委員会の行事で2拍だけど、いつも翌朝解散なので車で2時間弱かけて家に帰ります。家ほど落ち着く場所はほかにないので帰宅するとほっとするのが常です。 水曜日は足摺岬の約束があったが日帰りは難しいので、伊勢志摩国立公園の賢島までをを日帰りで出かけるので、どうしても帰らなければならない。 7月は福岡県、鹿児島県そして種子島まで長距離のドライブ。8月は中津市、きりしま市、都城市、宮崎市、帰路に中津市、北九州市、さらに山口県美祢市の鍾乳洞見学や、サファリ観光まで欲張り往復2450キロも走行でした。 19日からはアフリカのケニアへ、24時間かけてキスムへ到着。幸いビジネスクラスが与えられ、ドーハまでの10時間のフライトはベッドで行き帰りを眠ることができました。 キスムでは孤児院の食糧買い出しや、日曜日の礼拝後の食事購入でスパーを何度も往復し、せっかくケニアに来たので赤道直下の国の赤道までドライブ。 さらにマサイマラのサファリ観光で長時間のでこぼこ道のドライブ。そしてライオンやゾウ、きりんやシマウマ、むうやピューマのハンティングを求めて広いサバンナをサファリカーで駆ける旅でした。 30日、31日の両日は米原市までのドライブ、1日は三重県賢島まで日帰り。 時間がもうすぐ2学期がスタートするし、明日2日は69歳の誕生日。孫たちと祝いの約束をしているので、動き周りの日々です。 朝ごとの明るい口ぐせ 「今日もまた、天国の一日です!」琵琶湖から帰宅していつの間にか水曜日の朝を迎えています。午前8時には三重県に向かって出発するので、もう寝なくては・・・・。 朝8時に出発、昼前に賢島間で着き、午後の時間が少しあり志摩スペイン村まで行き、夕方5時までの短時間園内を歩き、いつの間にか今日もゆとりの一万歩。 ジェットコースターに乗って目が回り、帰路のドライブは必死でやっとの帰宅でした。 そして寝る前の感謝の一言 ありがとうございます。「今日もまた天国の一の一でした!」感謝します。詩篇 34:1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。 34:2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。 34:3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。 34:4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。 34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」 34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。 34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。 34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 34:9 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。 34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることは
2010/08/31
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笑顔が可愛いけれど少し照れた様子です。
2010/08/31
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八月が終わろうとしています。 今日から琵琶湖畔のエキシブで常置委員会があり、これから出かけます。毎年この時期に開かれ水曜日午前中まです。今回は当番で明日夜短いメッセージです。 ちょうど誕生日前なので68歳最後のメッセージになり、語れなかった者が主の憐れみにより、立派な牧師たちの前で聖書のことばを取り次ぐようになれたのも奇跡だと思って引き受けました。 継続は力なりで、習うより慣れよと信じ聖書の言葉を語り続けてきました。誕生日を前にしてこれからも現役の福音を伝える者として、さらに聖霊に満たされ充足の牧師の日々を期待しています。 インターネット礼拝が3年を越えて4年目。来週9日からは聖書学院チャペルを放映します。 ゆとりの一万歩も後一ケ月でちょうど7年になります。ケニアのサバンナを今年も歩きました。93年のナイロビの朝に強盗に襲われて以来、ナイロビでは早朝を14年間歩きませんでした。いつもホテルの中を歩いていましたが、今年はナイロビ最後の朝、14年ぶりにホテルの外へ出て町を歩きました。 サファリで靴がどろどろになっていたので、朝の街角で靴磨きの前に座り30シリングで磨いてもらいピカピカに。嬉しかったので100シリングを渡すと喜んでくれました。 今日は昼過ぎから琵琶湖へ行くので、明日の朝は琵琶湖畔をゆっくり祈りつつ歩こうと楽しみにしています。1日には伊勢志摩国立公園まで行き賢島周辺を歩きます。 2日は誕生日で久しぶりに家にいて、息子家族、娘もいっしょに全家族そろってハッピーバースディの祝いをとのことで、新しい夢とロマン、ビジョンの中で輝く喜びです。 朝ごとの明るい口ぐせ「今日もまた、天国の一日です! そして寝る前の感謝の一言「今日もまた、天国の一日でした! このシンプルな習慣が、あなたの人生にすばらしい奇跡を起こします。イザヤ書58:11 主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。58:12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。58:13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、58:14 そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。」と主の御口が語られたからである。エレミヤ書17:5 主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。17:6 そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。17:7 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。ハガイ書2:4 主は言われる、ゼルバベルよ、勇気を出せ。ヨザダクの子、大祭司ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる。2:5 これはあなたがたがエジプトから出た時、わたしがあなたがたに、約束した言葉である。わたしの霊が、あなたがたのうちに宿っている。恐れるな。2:6 万軍の主はこう言われる、しばらくして、いま一度、わたしは天と、地と、海と、かわいた地とを震う。2:7 わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる。2:8 銀はわたしのもの、金もわたしのものであると、万軍の主は言われる。2:9 主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きいと、万軍の主は言われる。わたしはこの所に繁栄を与えると、万軍の主は言われる』」。今日はこれから米原市まで出かけます。メール返信は木曜日朝からになります。お元気で天国の日々を祈ります。
2010/08/30
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先週22日はアフリカ宣教のど真ん中で、ケニアのパラダイス孤児院で70名くらいの方々といしょの礼拝でした。 ケニアの礼拝は賛美が素晴らしく、身体全体をリズムに合わせて主を見上げながら歌います。賛美のリードも成長した孤児たちがキーボードやドラムを奏でながら、力いっぱい歌い天国さながらの時ですした。 証の時間も体験を語るだけでなく、その思いをこめて賛美を歌い、一人の婦人は涙で歌えなくなるとすぐ友人がともに立ち、肩を抱きながらいしょに歌い続けたり、いつの間にか会衆もその賛美に合わせて涙しつつ感動の礼拝でした。 礼拝メッセージはヤベツの祈り。 私を大いに祝福してください。アーメン。ありがとうございます(アサンテサア!)大いに祝福(バリキ)されました!。感謝します。 私の地境(領域)を大いに広げてください。アーメン。ありがとうございます。大いに拡大されました。感謝します。 あなたの御手が私とともにあってください。アーメン。ありがとうございます。あなたの御手がともなりました。感謝します。 わざわいから遠ざけて私がムるしむことのないようにしてください。アーメン。ありがとうございます。わざわいから遠ざけて苦しむことがありませんでした。感謝します。 教会堂の中にスワヒリ語のありがとうございます(アサンテサー)が響き渡り、そこで神は彼の願いに答えられたと、ヤベツの祝福が十字架と復活の主により確実に届けられ、聖霊充満の中で充足した按手の時が声がでなくなるまで続く礼拝でした。 レンタカーのドライバーも礼拝に参加し、それからあとは祝福(バリキ)が合言葉になり、祝福に包まれたドライブになり感謝! 礼拝後は出席者全員分のパンを購入持参していたので、楽しい食事交わり会。手品を持参の神学生は昼食後も独り舞台の活躍で、驚きと笑いの渦がさらに喜びを与える幸いでした。手品の種がばれる(わざとばらすゆとりも出て)とまたお大笑い・・・・。 今日は2週間ぶりに学院教会、大阪エリム&堺エリムでの礼拝メッセージへこれからスタートです。ヨハネの福音書 4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。 4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」 7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
2010/08/29
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パラダイスでの礼拝は英語で通訳はスワヒリ語へ、時には日本語でも通訳は日本後もできるので、英語やスワヒリ語で・・・・。賛美は力いっぱい身体がリズムであふれている
2010/08/28
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パラダイスの子どもたち(2010年8月20日写す)
2010/08/28
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昨夜、帰国し最初に聞いたニュースは、身ごもっていた神学生夫人が、早産で出産したが生後四日で召されたことでした。幸い、葬儀も神学生(牧師)が行い、家内たちも出席し天国への旅立ちを見送りました。 今朝お見舞いに行き、みことばとともに、ワーズワースの「われらは七人」の詩もタイプし、慰めを祈りました。われらは七人私はとあるあばら家の娘に会いました。いくつだと尋ねると娘は八歳だと答えました。髪がこくてきれいだった。それをくるくると束ねていた。その娘は何のかざりもなく、野育ちのかわいい子。その眼はほんとにきれいだった。いじらしほどかわいかった。嬢ちゃん、嬢ちゃん、お前は兄弟が何人?何人ですって?七人ですわ!娘はそう言って不思議そうにしていた。その兄弟はどこにいる。二人は家でお留守だわ。二人は海に行っています。私の兄弟は七人です!ほかの二人はお墓の中よ!お墓には妹と弟がいるわ!私の家は教会の横で、母ちゃんは家にいらっしゃる。何だって二人は家にいて、またふたりは海にいるって、それでも七人なの?どうしてそれが七人なの?すると娘が答えて言うよう、私たちは七人の兄弟だわ、その中二人はお墓の中よ!教会の墓場の木の下にいてよ!嬢ちゃん、お前はよく走るのね。生きているから駆けられるのね。二人は墓へ行ったなら、兄弟は五人ではないのかね?でもお墓には草が青々で、石がちゃんと立っています。うちの家からすぐそこに、二人はちゃんと並んでいます。私はそこで編み物と、またぬいものをよくします。またその上に腰かけて、歌をうたってきかせます。また夕方になってから、空が4きれいになるときに、私はお椀を持っていて、そこでご飯を食べますよ。さっき死んだのは妹で、寝床でうめいていましたが、あとではいたみが消えていて、静かにあっちへ行きました。だから墓場に埋められて、草葉の露が消えたとき、私とジョンと二人して、お墓の周りで遊ぶのよ。雪が真っ白に降るときに、私がすべって出て行くときに、ジョンも走ってついて来て、お墓のそばにころびます。ねえ、お嬢ちゃん、二人が天にいるならば、あなたの兄弟は何人なの?あら!おじさん、七人ですといっているのに、娘はすかさず答えて言うた。「でもー人は死んでいる。二人の霊は天にある」と私が言っても動かずに、やはり七人だと言い張った。 昔から心慰められている美しい詩です。今日もまた天国の一日です!黙示録14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」コリント人への第二の手紙1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。1:5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。黙示録7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」ヨハネの福音書12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
2010/08/28
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カタール航空で関空より10時間弱でドーハ着。ドーハでウエイト4時間。ナイロビまで6時間でケニア着。それからさらに4時間のウエイトでケニア航空に乗り換え、夕方5時過ぎにビクトリア湖畔のケニア第五の都市キスムへ。19日に家を出てやっと20日の夜に到着でした。 今までのケニア宣教はナイロビに一泊し、レンタカーで8時間以上でこぼこ道を走破し、翌日の夕方キスム着でしたが、国内線を利用すれば40分で着くので3年前から飛行機を利用しています。 待機していたレンタカーで、ホテルチェックイン前にパラダイス孤児院を訪ね、しばらく子どもたちと楽しい交換の時を持ち、土曜日の朝に再び会う約束をし、手を振る子どもたちと別れホテルへ。 ホテルはキスム一のインペリアルホテル。今回は朝食と夕食もすべて予約していたので、チェックインするとすぐレストランで食事でした。 今回は、14年ぶりのケニア再訪になる京都福音教会牧師夫人と大学生&中学生の信徒、看護師の60代婦人(もう9回目のケニア)、そして生駒聖書学院1年生の60代男性の6人参加でした。 神学生はマジックの趣味があり、手品の仕掛けをたくさん持参したので、税関ではその説明のため足止めをくったりでしたが、簡単な手品をして理解してもらっていました。 飛行機の待ち時間や荷物が出て来るまで、時間があれば手品を披露し、孤児院では2時間余りも子どもたちに取り巻かれ、サファリの職員にも手品で大歓迎を受けていました。 彼のいるところでは驚きの声と笑い声が広がり、それなりの意味があったように思います。ただ英語の国なので福音がマジックに乗せて自由に語れたら最高ですが・・・・。 食事中のアメリカ人荷も披露したら怒られてしまい、何事にもTPOをわきまえるのが礼儀だと思いました。手品だけでなくふさわしいエチケットも必要だと分かったと思いますが、その大胆さは福音を伝える場ではもっと必要です。 ブログで少しでもケニアの孤児院などが紹介できればと思っています。 お祈りありがとうございました。元気に守られてアフリカよりも猛暑の日本に帰ってきました。 今日もまた天国の一日です!ケニアでも毎日が天国の一日でした!感謝します。イザヤ書 12:1 その日、あなたは言おう。「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」 12:2 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。 12:3 あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。 12:4 その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。 12:5 主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。 12:6 シオンに住む者。大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。」
2010/08/27
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このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。(1テサロニケ3:3) マリアン・アンダーソンをご存知の方もいらっしゃることでしょう。彼女は1902年、米国フィラデルフィアに生まれ、1925年、ニューヨークでデビュー以来、欧米にその名声を馳せたアルト歌手です。 黒人がクラシックを歌う、それだけでもセンセーショナルなことでした。1935年、ザルツブルグでは、名指揮者トスカニーニが、百年に一度の美声と賛辞を惜しみませんでした。黒人歌手として初めて、1955年、メトロポリタン劇場に出演、世界的な地位が確立されました。 1953年、日本を訪れた彼女は、数々のクラシックで聴衆を魅了しました。最後に、数曲の黒人霊歌が歌われたのですが、一種異様な迫力をもって、聞く者の心を揺さぶりました。静かに深く歌います。「私の悩みは誰も知らない。ただイエス様だけがご存知です」。 魂の絶叫に圧倒され、訴え掛ける黒人の嘆きと悲しみに、聞く者は捕らえられてしまいました。 偏見と差別の中で、黒人少女がどんなに惨めな、暗い日々を送ったことでしょう。音楽学校へも入学を拒否され、ただ空に向かって、星に向かって、辛苦の歌を歌い続けたのです。 嵐のような感動の拍手の渦、聴衆の賛辞の中に立つアンダーソンの眼差しは、あの主イエスを、ひとりの魂を見つめて離さないあの主イエスを、いつまでも仰ぎ見ているのでした。「私の悩みは誰も知らない。ただ主のみ」。 苦しむ者の涙は、しばしば霊的なレンズとなって、素晴らしい光景を見せてくれます。 船の底につけられている重りは、安定をもたらすための重荷なのです。 光り輝く宝石は、光熱と強い圧力の産物です。 見事な色彩の陶器は、高温の炎で焼き上げられて、生まれ出てくるのです。 あなたの人生は、良いことばかりではないかも知れません。誤解や中傷、仕事が上手くいかなかったり、自分が願っていた学校へ入れなかったり、体を痛めてしまったり・・・・・・。でも、それで動揺したり、諦めたりしてはいけません。 あなたが苦しみの中を、神を信じて進み続けるなら、そこに素晴らしい栄光が輝き出るのです。 これは聖書の教え、神様のあなたへの約束です。私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全なものとなります。(ヤコブ1:2~4)
2010/08/27
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このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。(1テサロニケ3:3) マリアン・アンダーソンをご存知の方もいらっしゃることでしょう。彼女は1902年、米国フィラデルフィアに生まれ、1925年、ニューヨークでデビュー以来、欧米にその名声を馳せたアルト歌手です。 黒人がクラシックを歌う、それだけでもセンセーショナルなことでした。1935年、ザルツブルグでは、名指揮者トスカニーニが、百年に一度の美声と賛辞を惜しみませんでした。黒人歌手として初めて、1955年、メトロポリタン劇場に出演、世界的な地位が確立されました。 1953年、日本を訪れた彼女は、数々のクラシックで聴衆を魅了しました。最後に、数曲の黒人霊歌が歌われたのですが、一種異様な迫力をもって、聞く者の心を揺さぶりました。静かに深く歌います。「私の悩みは誰も知らない。ただイエス様だけがご存知です」。 魂の絶叫に圧倒され、訴え掛ける黒人の嘆きと悲しみに、聞く者は捕らえられてしまいました。 偏見と差別の中で、黒人少女がどんなに惨めな、暗い日々を送ったことでしょう。音楽学校へも入学を拒否され、ただ空に向かって、星に向かって、辛苦の歌を歌い続けたのです。 嵐のような感動の拍手の渦、聴衆の賛辞の中に立つアンダーソンの眼差しは、あの主イエスを、ひとりの魂を見つめて離さないあの主イエスを、いつまでも仰ぎ見ているのでした。「私の悩みは誰も知らない。ただ主のみ」。 苦しむ者の涙は、しばしば霊的なレンズとなって、素晴らしい光景を見せてくれます。 船の底につけられている重りは、安定をもたらすための重荷なのです。 光り輝く宝石は、光熱と強い圧力の産物です。 見事な色彩の陶器は、高温の炎で焼き上げられて、生まれ出てくるのです。 あなたの人生は、良いことばかりではないかも知れません。誤解や中傷、仕事が上手くいかなかったり、自分が願っていた学校へ入れなかったり、体を痛めてしまったり・・・・・・。でも、それで動揺したり、諦めたりしてはいけません。 あなたが苦しみの中を、神を信じて進み続けるなら、そこに素晴らしい栄光が輝き出るのです。 これは聖書の教え、神様のあなたへの約束です。私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全なものとなります。(ヤコブ1:2~4)
2010/08/26
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私が、聖書学院一年生の時でした。ある集会で、寂しそうな、険しい顔をした青年に出会いました。私はただ一つ、確かに覚えていた聖書のことばを語りました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) 神が愛してくださっている! イエス・キリストが身代わりとなって十字架の上で死んでくださった! どんな罪でも赦される! 神の子になれる! 神のいのちが持てる! 新しい人生を生きることができる! 青年の目に涙がありました。実は、彼は殺人を犯して、逃亡中だったのです。神の愛は彼を捕らえ、彼は救われました。自首し、立派に更正することができました。 今日、神の愛に心を開き、新しい人生に旅立とうではありませんか。
2010/08/25
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父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)もう一つの声 オランダのコーリー・テン・ブームは、世界的に有名な婦人です。 第二次世界大戦の時、彼女の家族はユダヤ人をかくまったという理由で、ドイツの収容所に入れられました。彼女の両親と姉妹は、残忍な拷問に耐え切れず、収容所で死んでしまいました。しかし、彼女は拷問に耐え抜き、九死に一生を得、オランダに帰りました。そして神学を学び、イエス・キリストに身を献げ、世界中を回って、神の愛を語るようになったのです。 彼女は、神の愛を語る時、いつも「もう一つの声」が語り掛けてくるのを聞きました。それは「数多くの人々を虐待したドイツ民族が、罪責感にあえぎ、苦しみ、悩んでいるから、そこへ行って赦しの福音を語れ」という声でした。 彼女はかつてのつらい経験から、ドイツにだけは行きたくなかったのです。しかし、強く促す神の声には逆らうことができず、仕方なく出掛けて行きました。赦しの愛 コーリー・テン・ブームはドイツの人々に、神の赦しの愛を語りました。 イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、すべての人々の罪を背負い、赦すためでした。 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と自分を釘づけた人々のために、キリストは祈りました。「七度を七十倍するまで赦しなさい」(同18:22)とも教えられました。 敗戦の中で罪責感にあえぎ、霊肉ともに病んでいたドイツの人々は、この「赦しの福音」を聞いて、神様に感謝し、喜んだのです。彼女の話を聞いて、多くの人たちが救われました。また、様々な病気が治った人もたくさんいました。彼女が話し終えると、人々は列をなして握手し、挨拶を求めてきました。注がれる愛 しばらくの間、次々と差し出されてくる手を握っていたコーリー・テン・ブームは、彼女の前に手を差し出している一人の男性を見て、その場に立ちすくんでしまいました。心臓が止まる思いでした。この男こそ、強制収容所で、彼女を裸にし、拷問した兵士だったのです。 その男は、彼女に気づかなかったのです。みんなと同様に、手を差し出していました。彼女は、収容所時代を悪夢のように思い返し、到底、手を差し伸べて握手する気持ちにはなれませんでした。 男が手を差し出している短い時間は、まるで何千年のように思われました。神の愛を語り、勇敢にキリストの十字架の赦しを語った彼女です。しかし、彼女の家庭と青春を無惨にも踏みにじったこの男を、どうして赦すことができるでしょう。 コーリー・テン・ブームは心の中で祈りました。「主イエス様、私はどうしても、この男を赦すことはできません。どうか私を助けてください」 その時、イエス・キリストの御声を聞いたのです。 「わたしが、わたしを十字架に釘づけた人を赦したことを、あなたは知っているでしょう。また語ったでしょう。早く手を差し出して握手しなさい」。その声を聞いたコーリー・テン・ブームは、鉄の塊のように重くなった手を差し伸べ、その男と握手しました。 まさに、その瞬間でした。神の愛が、豊かに注がれたのです。神の愛が全身を覆い、彼女は涙を流し、心の底から、その男を赦すことができたのです。彼女は、自分の体がまるで十年若返ったような気持ちがしました。開放する愛 あなたは今、心の中に、どうしても赦すことのできない憎しみを持っていませんか。 聖書は、「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ6:37)と教えています。 人の過ちを赦すことは、決して容易なことではありません。しかし、第一に、赦すことは、神様の命令です。第二に、赦すことは、自分自身の心のために必要です。第三に、赦すことによって、隣人と温かい関係を結ぶことができます。 神様はそのように、赦す人の祈りを聞き、幸せで包んでくださいます。 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と、十字架上で祈ったイエス様が、あなたの心の中に、住んでくださいます。
2010/08/24
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富雄キリスト教会開拓伝道初期の体験で、牧師生涯の大きな宝となった出来事です。 わずか数人の礼拝で説教の聖書の箇所を開いて読もうとした時、玄関のドアが開き、真夏日でしたが麻のスーツをびしっと決めて、椅子に真っ直ぐ座った方がありました。聖書の箇所は、「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」(マタイ11:12)だったため、引退牧師が来たと思い、赤面での説教でした。 お話を聞くと戦艦南雲に乗船していた元海軍軍人でした。この大森米吉兄は海軍時代クリスチャンになり、先妻を亡くして再婚した時、クリスチャンでない婦人を選びました。それは一人クリスチャンが増えると思ったからでした。奥様がイエス様を信じて救われることを長年祈ってきましたが変わらず、自身も聖書は読むけれど教会には通っていませんでした。富雄キリスト教会の集会案内を見て30年ぶりにキリスト教会に出席し、奥様が救われるように願ってそれから毎週礼拝に来るようになりました。 奥様はとても素敵な方でしたが、イエス様を信じる気持ちは全くなく、お訪ねしても話を聞いてもらえませんでした。それから1年後、大森兄弟は86歳を迎えた時、心不全になり入院。四日後に平安の中で召されました。病院でもこんな臨終は見たことがないと言われるような見事な召天でした。 その召される直前、大森兄は枕元の奥様に祈りの言葉を残しました。「美乃や。50年間良い妻であってくれてありがとう!私は天に帰るけれども、すみれ(幼い日に亡くした娘)と私に会いたかったらイエス様を信じて下さいね。心から祈っているよ。アーメン」。 臨終の床での祈りは通常、召される人のためにされるものですが、大森兄の祈りは、救われていない奥様への祈りでした。大声でもなく絶叫でもなく、素直に最後の息とともに30秒も声を出せない状態でのアーメンの祈りでした。 牧師として初めての葬儀でしたが、「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」(詩篇116:15)ことを実感できる召天式になりました。美乃姉は葬儀後に洗礼を受け、93歳で召されるまでの15年間、忠実な教会員として祈り仕え、「感謝します!感謝します!」と言いつつ、愛する娘と主人の待つ天に帰って行かれました。 それから後、クリスチャン以外の方の臨終にも多く立ち会いました。そのたびに「『アーメン』と言えば救われます」と語り、病床洗礼を授け、平安に輝くお顔での御国への旅立ちを詩篇23篇の朗読とともに見送り続けています。 短い祈りですが、素直に純粋にイエス・キリストのお名前によりなされる祈りは人々を救い、永遠のいのちを与えることができます。全てのクリスチャンが救わていない人のために、最後まで祈り続ける信仰が与えられるように祈ります。息を引き取る瞬間まで救いのチャンスは残されています。「『アーメン』と言えば救われる」と、確信を持って臨終の床で福音を語り、祈りをしたいものです。 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(ヨハネ5:24)
2010/08/23
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牧師として、ゆりかごから墓場まで、常に人生の節目に立会う機会が多くあります。出産の時は、産まれたばかりの赤ちゃんと誰よりも早く出会い、健やかな成長を祈ります。 しかし最も厳粛な祈りの時は、この世に生を受けたいのちが果てる、臨終の時です。生涯の終わるそのときに、わずか30秒の祈りでイエス・キリストを受け入れる方も多くあります。 日曜日にあるご夫婦が、高齢の母親とともに教会を訪れました。礼拝が終わると、ご主人が奥様に、母親を連れて牧師の所から離れているようにと催促しておられました。何事かとお話を伺うと、53歳の弟がすい臓がんの末期で集中治療室に入っており、時間の問題なので教会に葬式をお願いに来たとのこと。母親にはまだこのことを知らせていなかったようでした。詳しく事情をお聞きした後ともに祈り、翌日、三重県の病院まで車を走らせました。 集中治療室には、奥様も付き添いでおられました。短く福音を語り、今イエス・キリストを信じて受け入れるようにと話すと、ご夫婦で心を開いて信じる祈りをなさいました。そして、信じる者に永遠のいのちが与えられた感謝の祈りを短くささげました。 それからしばらくたったある日の朝、散歩をしていると、すばらしい朝焼けの青空が目の前に広がっていました。家に帰ると、天に召されたとの報告が電話で届きました。 三重県から奈良の教会まで行くのは大変なので、友人の新築の教会を借りて葬儀をすることになりました。出棺の時、家族7名とともに祈り、その場でなんと家族全員がバプテスマの恵みに預かりました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16:31)との御言葉の実現でした。 彼は、イエス・キリストを信じて永遠のいのちを与えられ、天国へと召されました。高齢の母親をはじめ、奥様と長男、兄の家族4人が、クリスチャンとして召された彼を天に送る幸いを経験できました。家族揃っていまも教会員として礼拝を守り、クリスチャンとなった喜びの中で感謝の日々を送っておられます。 神のなさることは、みなその時にかなって美しいことを、わずか30秒の祈りの中で経験しています。主を信じる祈りで人生を閉じ、新しい天国の人生へと凱旋される方々を思いながら、新しい福音宣教の情熱に心燃やされる祈りへと日々導かれています。 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」(黙示録14:13)
2010/08/22
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聖書のことばは、生きていて力があります。本気でアーメンと応ずるなら、書かれている約束は実現します。それがたとえ30秒であろうと3時間の祈りであろうと、偉大な神はご自分の語られるとおりにお答えくださいます。 先日、滋賀県守山市にある開拓教会の献堂式での説教を依頼され、出かけました。その教会は以前、駅前でテナントを借りて礼拝をしていましたが、契約切れで立ち退きを要求されました。 「わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう」(詩篇81:10)との約束を信じ、教会が祈り始めました。 また、「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」(エレミヤ33:3)と、聖書の約束をにぎって祈り続けました。 人間の行き止まりは、神様の始まりです。そこでは聖霊の恵みの御業が起こるのです。不可能は挑戦となり、可能となりました。 なんと、先々代から信仰を継承し、キリスト教会がその地域に建つことを祈りながら家庭集会を続けていた家を紹介されたのです。敷地が200坪あり、80坪の家でしたが、格安で提供してもらいました。礼拝堂も新しく改装され、20台の駐車が可能です。そこで行われた献堂式で晴れやかに神を賛美しつつ、神の栄光のすばらしさに感動しました。 偉大な神の子どもとされて大きなことを神に求めて期待することは、恥ずかしいことでも罪なことでもありません。 富雄駅には毎年ツバメが巣を作ります。雛がかえると、親鳥は忙しくえさを運びます。そのとき最初にえさを食べることができるのは、誰よりも先に大きな口を開けている雛だそうです。自然の摂理のすばらしさでもあり、同時に厳しさでもあります。 それはまた霊的生活の法則でもあるように思います。求める者に聖霊をくださり、従う者に祝福を与えてくださいます。聖書の世界はヒューマニズムの世界とは異なるようです。 「あなたの口を大きくあけよ。私がそれを満たそう」。口を大きくあけないとツバメの雛が餓死するように、クリスチャン生活も、沈黙すると命が縮みます。わずか30秒でも、いや1~2秒でも、純粋に、素直にアーメンと祈るとき、奇跡は起こるのです。 長い時間の祈りや断食、徹夜、早朝祈らなければならないという教えを聞くこともあります。それはそれで素晴らしいことですが、心と行いが伴わなければ、絵に描いた餅です。何の変化も喜びもなく、何時間祈れたと自慢したり、祈れない人を裁いたりしてしまいます。祈りをほんとうに聖書に書いてあるとおりに実現する、アーメンの祈りにしましょう。 偉大なる祈りは、神をたたえ、神の偉大なる栄光を輝かせます。偉大なる祈りは、神の御業を拝します。偉大なる祈りは豊かな喜びをもたらします。 「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ2:20~21)
2010/08/21
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祈りこそ、人と動物を分かつものです。祈りは人間の生活の基本です。 礼拝で司会者が終わりに祈り、全員がアーメンを唱和した瞬間、「いただきます!」というかわいい声が、チャペルいっぱいに響きました。思わず、みんなに驚きの笑いと微笑みが広がりました。まだ幼い女の子が叫んだ声でした。おそらくお腹もすいていたし、何よりもお家でアーメンと祈ってから「いただきます!」と言うのが習慣だったのだと思います。 母親といつも教会に来ていたある幼い子は、「お家でご飯を食べるとき、お祈りしないのはポチとパパだけね」と話しました。父親は恥じ入り、次の日曜から教会に行くようになりました。 祈りの手を合わせることが自然な習慣となる生活は、幸せだと思います。 500年ほど前、ドイツにデューラーとハンスという、美術工房で働く若い見習い職人が、画家を目指していました。しかし、絵筆をとる時間のないほど働かなければ、生活もままにならないほどの貧乏暮らしでした。 2人は生計と画業の両立に窮し、ハンスが、「君が画家として成功するまで、自分が働いて支え、君が画家として成功した後、自分が絵の勉強をしよう」と、デューラーの学資のために働くことにしました。先に絵を学ぶことになったデューラーは、イタリアのベネチアで画家になるために一生懸命に勉強をはじめました。ハンスはニュルンベルグの鉄工所で働きながら、デューラーにお金を送り続け、その生活を支え続けました。 3年が過ぎ、デューラーの名はベネチアでも評判になりはじめました。作品も売れるようになり、「今度はハンスの番だ!」とニュルンベルグに帰ります。帰国して握手した時、デューラーはハンスの手を見て号泣します。なぜなら、友の手は重労働のために変形し、もう絵筆が握れなくなっていたからです。しかし、ハンスはデューラーのために祈り続けていたので、彼の成功を喜び、涙しました。 デューラーはその愛に感動し、ハンスのごつごつとした手を「祈りの手」として描きました。これが有名な「祈りの手」と呼ばれるデューラーの代表作なのです。ブログを書いている書斎にも、院長室にもその祈りの手が飾られています。2人のエピソードを知るほどに、感動と涙を禁じえません。 祈りの手は働く手であり、働く手は祈りの手であることを痛感します。どんなときでも、たとえ30秒であれ、瞬間であれ、沈黙の祈りでさえも尊い祈りであることを覚えたいものです。長時間の祈りでなければ本当の祈りではないなどと軽々しく説教したり、自慢するところから解放されたいものです。と同時に、主イエス・キリストの祈りに支えられ、守られていることを覚え、私たちもまた友のために心熱く祈り続けたいものです。 主イエス・キリストのお名前で「アーメン」と真実の祈りがなされ、「ありがとうございます。祈れました!感謝します!」との声が、すべてのクリスチャンの口から告白されるとき、神の栄光は大きく輝きます。 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8:33~34) したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル人への手紙7:25)
2010/08/20
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ケニア宣教も21年目を迎えました。今年は6月に少し体調がすぐれず、人間ドックでの検査で大丈夫でしたが、医者や牧師たちから休むほうが賢明との助言を多く受けました。 健康ーコンサルタントや教会員の祈りと支援で、結局今週(19~25日)のアフリカ宣教になり、今夜関西空港より出国します。 今回は、初めてですがカタール航空でのフライトとなりました。カタール航空は独立航空評価会社スカイトラックス社によっての統計で5つ星に達する航空会社の1つなんだそうです。 時差6時間ですので、明日の午後にはナイロビ着。ナイロビからキスムも飛行機を使うので夕方には目的地ホテルへ到着します。 土曜日はパラダイス孤児院支援で、食料買い出しや衣服、靴、学用品。運動用具、台所用品、蚊帳(キスムはビクトリア湖畔にあるので世界一のマラリヤ発生地)、マットレスや寝具類など必需品を購入します。 土曜日は子どもたちとの昼食会で、子どもたちがいちばん楽しみにしている御馳走の日です。日曜日は村の人々も教会に出席するので、にぎやかな礼拝になります。礼拝後は軽食を囲みながらの懇談の時です。 月曜日にはナイロビ近郊のサファリを観光し、24日には復路のフライトで25日に帰国します。 ブログは先週と同じように、わずか30秒の祈りが世界を変えるを引き続き掲載します。26日よりケニア報告ができればと願っております。 今日はこれから両替をしたり、お土産を買ったりなどの出発準備で、夕方には孫たちが来ると言う電話もあり、その時間までに全部を終了する充実の時間になります。 今日もまた天国の一日です!感謝します。マルコの福音書16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、 16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」 16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。 16:20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕 16:21 〔さて、女たちは、命じられたすべてのことを、ペテロとその仲間の人々にさっそく知らせた。その後、イエスご自身、彼らによって、きよく、朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、東の果てから、西の果てまで送り届けられた。〕
2010/08/19
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最近の口ぐせは、 朝や日中は、今日もまた天国の一日です! 一日の終わりに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。おやすみなさいで安眠と熟睡へ。 私は幸せです!愛されています!感謝します。 聖書の約束のように、イエス・キリストによって可能性はチャレンジとなり、さらに可能となり祝福の日々です。ピリピ人人への手紙4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 私は幸せです!と言う時、幸せが訪れる変化の瞬間を体験できます。何かで読んだものをメモしていたので紹介します。ご参考までに・・・・。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!幸せです!感謝します。私は怒っている。 しかし主は言われる・・・・.ゆるすようにと。私は恐れている。 しかし主は言われる・・・・.勇気をだすようにと。私は疑っている。 しかし主は言われる・・・・.信じるようにと。私は不安になっている。 しかし主は言われる・・・・.安心するようにと。私は楽をしたがっている。 しかし主は言われる・・・・.わたしに従えと。私は種々の計画をしている。 しかし主は言われる・・・・わたしの言うとおりにせよと。私はもうけたがっている。 しかし主は言われる・・・・すべてを放り出せと。私は安全をほしがっている。 しかし彼は言われる・・・・.いのちを投げ出せと。私は良い者だと思っている。 しかし主は言われる・・・・それだけでいいと思ってはならないと。私は第一人者だと思っている。 しかし主は言われる・・・・人に仕えよと。私は理解しようと思っている。 しかし主は言われる・・・・信仰をもてと。私は命令する立場にあると思っている。 しかし主は主は言われる・・・・言うことを聞けと。私は自己満足できると思っている。 しかし主は言われる・・・・人に使われやすくなれと。私は仕返しを望んでいる。 しかし主は言われる・・・・兄弟に気に入られるようになれと。私は腹いせを望んでいる。 しかし主は言われる・・・・別の頬を向けなさいと。私は剣に手をかけている。 しかし主は言われる・・・・.和解せよと。私は自分主は言われる・・・・子どもになれと。私は身を隠そうとしている。 しかし主は言われる・・・・.あなたの光をわたしに示してほしいと。私は第一人者の席を取ろうとしている。 しかし主は言われる・・・・末席を取れと。私は見られたいと思っている。 しかし主は言われる・・・・部屋の中で祈りなさいと。コリント人への第一の手紙10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。
2010/08/18
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九州へ出かけておりました。10日に福山市へ行き、翌日中津市・日本キリスト扇城教会特別集会説教。 11日は九州自動車道を経由し、まず鹿児島県きりしま市国分へ。中学時代の恩師東亮吉先生宅を訪ねました。先生は2月に88歳で召され、奥様と祈りの時を持つことができました。 トッピーの来る島(近代文芸社刊)中学時代のエピソードを書かれ、サバンナに愛の光 永遠に(榮義之牧師物語)で生い立ちから16歳で洗礼を受けるまでを小説に書いてくれました。 懐かしい中学時代の出会いが先生を通して広がり感謝しています。 さらに都城を経由したので、卒業生の教会を訪ねましたが留守で残念でした。そして宮崎観光ホテルへチェックイン。大淀川堤防に面した見晴らしの良い部屋で、長時間のドライブ疲れで熟睡。電話のベルで目覚め、聖会場のイエス・キリスト宮崎福音教会へ、三日間ホテルから車で通いました。 15日は礼拝を終えバイキングの昼食後、再び九州自動車道で中津市へ。渋滞区間多く夜遅くホテルへ。 16日は扇城教会の朝5時半からの祈祷会に参加し北九州市へ。グッドタイミングで卒業生夫婦に会い祝福を祈ることもでき感謝でした。 それから途中で秋芳洞を訪ね鍾乳洞を散策。さらに欲張って明後日は本物のサファリをアフリカで出かけるけれども、秋吉台自然動物公園サファリランドで、炎天下のサファリ観光。 奈良県、大阪府、兵庫県、岡山県、広島県、山口県、福岡県、大分県、佐賀県、熊本県、鹿児島県、宮崎県と通過13府県と2,245キロ走行のドライブでした。 宮崎のホテル駐車場では、長崎県、愛媛県、高知県、京都府、滋賀県、岐阜県、愛知県、東京都などのNO車両にコミックと雪よりも白くを配り、行く先々で福音を伝える恵みの旅でした。詩篇121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。 121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。 121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。 121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。 121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。 121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
2010/08/17
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9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。 9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。 9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。 9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。 9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。 9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
2010/08/17
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クリスチャン生活にも様々な悩みがあり、試練や苦しみもあります。それらには、はっきり目的があることを頭では理解しているつもりでも、実際には葛藤とストレスに支配され、全てのことに感謝するなど、程遠く感じることもあります。そのようなとき、神を熱心に求め、寝食を忘れてでも祈りに熱中し、断食さえもいとわなくなるときがあります。 「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう」(詩篇50:15) 悩みや試練のときは祈りの好機です。祈りがチャンスであれば、断食は、さらなる祈りの恵みの倍化する好機なのです。悩みがある日には、主の御名を呼び求めることです。解決が困難であればさらに主の御名を呼び求め、必要を感じるなら断食の祈りをする時だと思います。 断食の祈りをすると、恵まれないのは誰かのせいではなく、俗世間に支配され、すべての悩みを自我の力で何とかしようとしていた自分のせいだと気付かされます。そのときにほんとうの悔い改めが与えられ、絶対的に神に信頼できるようになります。 断食の祈りをすると、信仰の本質が聖霊によって変えられるという恵みと祝福を体験することもしばしばあります。同時に、自らのためだけでなく他者のために祈るとき、断食の祈りはさらに大きな効果をもたらします。 数年前ですが、高校の女性教師が白血病で入院したとの連絡を受け、すぐに病院へ見舞い、イエス・キリストを信じる信仰告白に導きました。ドナーもなかなか見つからない厳しい状況の中で、2週間の断食を決心し、祈り始めました。 すると、素晴らしいことが起こり始めました。なんと、彼女の家族や病院の看護師が次々と救いに導かれ、最大の困難だったドナーも適合者が見つかり、手術も成功したのです。 残念ながら、彼女はそれからしばらくして天国に召されましたが、教会での召天式には家族や友人が大勢参集し、福音に耳を傾けてくれました。断食の祈りによって、すべてが望みどおりに解決されたわけではありませんでしたが、人間の思いや願いをはるかに越えて、神の栄光が輝いたことは事実です。 自分のための断食、ダイエットや健康のための断食もそれなりの効果はあります。しかし、私たちは他者のためにとりなしの祈りをする責任があるのです。特に、日本の救いのため、福音が拡張するために、断食をしてでもとりなす祈りの勇士が起こされることを期待します。 「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう」(2歴代誌7:14)◇
2010/08/16
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朝ごとに「今日もまた天国の一日です」と告白し、夜には、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します」と告白しながら、安眠で熟睡できる毎日を過ごしています。神様の贅沢な恵みにつつまれて、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝しています。 私たちは、食べ物や飲み水、休みの日や家族の団欒、心跳るような楽しい礼拝、クリスチャン兄弟姉妹との交歓、仕事場での生きがい、経済的な供給と需要など、豊かな恵みに囲まれて生きています。神のお与えになる全ての祝福をしっかり受け止めて、受けるだけでなく与える幸いを実行できる恵みにも感謝したいものです。 断食の時は、それらの恵みを受けるだけでなく、全身全霊を込めてただ神のみ顔だけを求め、神を待ち望んで祈りに集中するときです。 食物を断つときには飲水さえも取らないで、いま与えられている恵みを振り捨て、さらに偉大なものを待ち望みます。より重要な働きのために、今していることをさえストップして神を待ち望むのです。 断食は食物を絶つことですから、前回述べたように朝食も一つの断食です。夕方5時に食べると翌朝7時まで12時間断食です。ですから朝食を連続に抜いて断食するときもあります。普通は一日3食を食べないとか、3日間さらには7日間と長期間の断食があります。そして神様をのみ求めるのです。 また、単に食物を絶つだけでなく、水をも絶つ断食の例が聖書には記されています。「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます」(エステル4:16) さらに、「モーセは民に言った。『三日目のために用意をしなさい。女に近づいてはならない』」(出エジプト記19:15)とありますが、夫婦の交わりも断ち、神様だけを求めることも大切です。 もう一つ大切なことがあります。それは聖書以外の書物や、新聞、雑誌、テレビやDVD、インターネットやそれらのものからも離れることです。 ある教会へ4日間ご奉仕に出かけた時、祈りの部屋で過ごしました。食事はいただいたのですが、精神的には全く断食と同じでした。書籍の類は一冊もなく、新聞もテレビもパソコンもありません。ただ聖書と祈りだけの生活でした。 終わってその夜は別の教会へ行き、路傍伝道の見学をしていたら、上品なご婦人が近づいてきて、翌朝その自宅へ招かれ、家族全員が福音を信じました。 もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むとき、聖霊はより自由に救いの働きをなさってくださいます。 食物を絶つことだけに捕らわれず、精神的なものを絶つ断食も心がけるなら、考えられない祝福にあずかることができます。ダイエット流行りの現代、食物を減らしてでもスリムを願うなら、クリスチャンたちはもっと断食の祈りを考えても良いのではとも思います。 「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか」(イザヤ58:6)
2010/08/15
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クリスチャン生活は、神の贅沢な恵みの連続です。イエス・キリストの十字架と復活を信じ、恵みによって救われた時から今にいたるまで、信仰もまた恵みにより与えられ、誇るものは何ひとつない救いを感謝します。 幸いなことに、イエス様の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受け続ける信仰を与えられているのです。 祈ることも、祈りに答えがあることも、聖霊に満たされることもすべてが恵みであり、ただありがとうございます、と心から感謝しつつ今日もまた天国の一日です! わずか30秒の祈りが世界を変えると題して書き続けています。では祈りは30秒だけで良いのですか?と問われることがあります。そういう意味ではなく、どんな短い祈りや叫びであっても、愛なる神様に祈りが届くという意味です。主の祈りの精神をしっかりと受け止めて、全能の神に祈り求めたいものです。 イエス様とペテロとヨハネ、ヤコブが共に山に登り、イエス様の御姿が変わるというすばらしい変貌山の経験をした後、彼らが山を下りて来ると、そこには山を下りて来るイエス様たちを待ち構えていた、悪霊につかれた病める息子を持つ父親がいました。イエス様は不信仰を叱責し、その子を直してくださいました。 その後で、息子を直せなかった弟子たちはそっとイエスのもとに来て、「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか」と聞きました。 イエス様は、「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません」(マタイ17:20)と答えられました。 同時に、「ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません」(マタイ17:21)と言われました。 祈りは必ず聞かれますが、断食が必要なこともあるという健全な教えです。聖書にはモーセの40日40夜、ダニエルの21日間、ダビデの7日間、エステルの3日間、新約時代もイエス様の40日を筆頭に、パウロやバルナバなど神の聖徒たちが断食と祈りをしたことで、偉大な出来事が成されたと記録されています。 2千年のキリスト教会の歴史にも多くの断食の祝福が記録され、励まされ勇気と力が与えられてきました。 断食をしなければならないという、律法的に強制する断食は偽善になります。聖霊の恵みに導かれ食物を断ち、この世の一切のものから遠ざかり、全身全霊を込めて神と対峙し、御顔を仰ぎつつ求めることはすばらしいことです。 できれば断食するときは、世の雑事も離れて神の前にだけ静まる時を持つことです。聖書の言葉だけをいただき、聖霊に満たされながら内なる願いを求めるとき、いかなる不可能も可能になる確信を与えられ、「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」(マルコ9:23)のみことばが文字どおり実現する恵みを体験するのです。 「朝食=Breakfast」はある意味では、毎日断食していることになります。長期断食ができないと悩むより、夕食後朝の起床時間まで、聖書と祈りで静まるときを持ち、できれば翌日一日中食を断ち、祈りに集中すればいかがでしょうか。 祈りの課題にもよりますが、次は3日間とチャレンジしてみることです。 ただし1週間以上の長期断食は、正しい断食の知識のある方に指導して導かれることが、霊的にも健康的にも大切です。断食祈祷院などもありますから、長期断食の場合は心して実行してくださるようにお願いします。祝福を祈ります。
2010/08/14
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ある時、歯科医国家試験を受けたばかりの方から相談がありました。イエス・キリストのお名前によって合格を祈り、「アーメン」のあとに「ありがとうございます。合格しました。感謝します」と言うようアドバイスしました。 数日後、「そう祈っても不合格だったらどうするのですか」と質問され、「その時はその時です」と答えました。すると、「そうですね。合格発表まで心配するよりも、その時はその時ですね」と素直に受け止めてくれました。幸い国家試験に合格し、今ではトルコで歯科医として活躍しています。 「その時はその時です」とは少し乱暴な答えに思えますが、聖書には、「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ3:20、21)とあります。願うところ、思うところのすべてをこえて祈りは聞かれると約束されています。 堺エリムキリスト教会は、好意により新築マンション内に綺麗な教会堂(35坪、10階建ての屋上と壁面には発光ダイオートの十字架、完全冷暖房やPAシステムも完備)を、3年間無償で提供されています。 しかし契約満期のために今月で返却せねばならず、契約上家賃を払って借りることは不可能でした。2月21日に最終の感謝礼拝を案内し、次回からの礼拝は堺市民会館会議室を予定していました。 その前日、マンションオーナーとの面談があり、心からの祈りと感謝とともにお交わりの時が与えられました。そのときオーナーから、私の願いや思いをはるかにこえた言葉をいただきました。 なんと、堺エリムの無償契約を1年延長し、その後も借りる教会がない場合は無償自動延長するという驚きを通り越した言葉でした。その場で「ありがとうございます。お借りさせていただきます。感謝します」とお礼を申し上げました。 3年契約が自動延長するようにとは微塵も考えず、祈りもしていませんでした。ところが愛なる神は、私が願いもしなかったにも関わらず、思いをはるかにこえたすばらしい祝福を備えてくださいました。オーナーとともに固い握手を交わし、事業のさらなる繁栄と健康と祝福を心から祈りました。 「今日もまた天国の一日です。今日もまた贅沢な恵みの一日です」と、朝ごと夕ごとに告白しています。そして常に祈りの心を持ち続けています。切羽詰まって七転八倒し、祈りすらできないようなときでも、聖霊の大きな助けと解決が神の栄光のために備えられていることを体験しています。 「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(コリント人への第二の手紙6:2) 「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである」(ヨハネの福音書1:16)
2010/08/13
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このコラムを読まれた方から質問がありました。「それでは長い祈りはいけないのですか?」 結論は、祈り続けることが大切ということです。聖書を読んでいると長い祈りの例がたくさんあります。サムエルの母ハンナは、子どもがないために心は痛み、主に祈って激しく泣き、長い祈りでくちびるが動くだけで、その姿はまるで酔っているようでした。 祭司のエリは、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい」と注意しましたが、彼女は、「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです」と答えました。彼女はその待望の祈りの中で、明確な答えをいただき、喜びに顔を輝かせ祈りの座から立ち上がりました。 ハンナの祈りは長年の待望であり、同時に時間をかけた祈りだったのです。伝道者の書に、「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。・・・神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(3:1、11)とあるとおりに、神の深いご摂理があることを、私たちは知っています。 神がまさに良しとしてくださり、みむねの定まったときに答えが与えられることを、聖書の教えからもよく理解し、心配しないで祈り通す幸いを経験したいものです。 ある著名な経営者が、毎日800項目を上げて祈り、1項目2秒で祈っていると聞き、ご本人に直接お聞きしたら、にっこり笑って1000項目に増えましたとのこと。朝目覚めたら静かに主の前に静まり、約1時間以上かけて祈り続けるそうです。その結果、1000項目もあるので、1つのことにわずか1~2秒の時間だそうですが、大きな祈りのヒントになりました。 イエス様は、「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」(マタイ6:5~8)と教えました。 つまり同じことを繰り返したりしなくて良いのです。綺麗な語彙をもったいぶって盛りたくさんにしなくても、神の子どもとして素直に祈れたら最高です。 同時に、最高の神の子どもですから、「しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする」(イザヤ32:8)と聖書にあるように、高尚な願いができるように聖霊に信頼し、我欲だけに捕えられず、高貴な祈りをも心がけたいものです。 フランシスコの祈りを模範に高貴な祈りを捧げるよう励みたいと願っています。平和の祈り主よ、わたしを平和の道具とさせてください。わたしにもたらさせてください・・・憎しみのあるところに愛を、 罪のあるところに赦しを、争いのあるところに一致を、誤りのあるところに真理を、疑いのあるところに信仰を、 絶望のあるところに希望を、闇のあるところに光を、 悲しみのあるところには喜びを。ああ、主よ、わたしに求めさせてください・・・慰められるよりも慰めることを、 理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを。人は自分を捨ててこそ、それを受け、自分を忘れてこそ、自分を見いだし、赦してこそ、赦され、 死んでこそ、永遠の命に復活するからです。
2010/08/12
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イエス様がエリコの町へ行かれたとき、道端に座って物乞いをしていたバルテマイという目の見えない男が叫びました。彼を黙らせようと大勢でたしなめましたが、彼はますます「イエス様。わたしをあわれんでください」と叫び続けます。 イエス様はその声を聞くと立ち止まりました。それは、今の時代も変わりません。イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じお方です。永遠に変わることなく生きている救い主です。 祈りは叫びです。求めることは他の人から見たらおかしく思われることもあるかも知れません。しかし、主の名を呼び求める者は救われるのです。 イエス様は立ち止まり、「あの人を呼んで来なさい」とバルテマイの叫び求める声に答えました。 彼は上着を脱ぎ捨ててすぐに立ち上がり、イエス様のところに来ました。目は見えなくても、彼の顔が喜びに輝いている姿を想像できます。「わたしに何をしてほしいのか」と言うイエス様の問いに、響くようにバルテマイは、「先生。目が見えるようになることです」と答えます。 イエス様は、「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました。その瞬間、彼は見えるようになり、イエス様のいかれる所に従いました。 朝ごとの祈りの時や日々の瞑想の時に、「わたしに何をしてほしいのか」との声を聞く思いを与えられます。様々なことを祈り求めているけれども、いつの間にか言葉を並べているだけで祈りの時間を叫び続けている姿に気付かされます。 「主よ。お金が必要です」「主よ。病んでいる兄弟を回復してください」「開拓伝道中の牧師の働きを祝福してください」「臨終を迎えている姉妹に平安と天国の輝きをお示しください」。その日の必要のために、主の助けと解決を明確に求める幸いを経験する祈りの時です。 だれにでも惜しげなく、とがめることもなくお与えになる神に純粋に願うなら、必ず与えられます。少しも疑わずに、バルテマイのように信じて願うだけでいいのです。 もうすぐ孫が5歳の誕生日を迎えます。「じいちゃん。誕生日のプレゼントを買ってくれる? お花屋さんのセットだけど」と幼い願いです。 願った孫もですが、そのように言われた祖父の顔は喜びで輝き、孫を抱き上げて祝福を祈ります。まことの愛なる神は、イエス・キリストのお名前による祈りを必ず聞かれます。明確に信じて具体的に祈る恵みを体験してみませんか。 信じますと明確に祈りで告白するとき、祈りは必ず実現します。心の信仰と口に出す言葉が常に一致する祈りでありたいものです。 ラーメンが食べたいと朝から思っていても、食堂へ行ったときウドンと言ったならウドンが出されます。どうしてウドンですか、ラーメンをと朝から思っていたのにと、いくら頑張っても言った通りになっただけです。 祈りの答えは、願いを明確に心で信じることと、告白の言葉を一致させることです。心の中の願いを明確にすると、思うだけよりも百倍も千倍も大きな祝福を体験できます。バルテマイの祈りを模範にしましょう。
2010/08/11
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台風4号北上中台風4号(ディアンムー)は、現在、原付自転車と同じくらいの速さで北上しているそうです。今後は九州の西の海上を進み、11日(水)には韓国へ上陸する見込みとのこと。 湿った風の影響で、宮崎や高知など西日本の太平洋側ほど大雨の可能性があるとのことですが、宮崎に行く13日~15日は良い気候になると感謝しつつの朝です。 台風は、進路が少し変わるだけで影響が大きく変わってくるので、今日は朝から福山市へ向かい、明日は中津市へ行くので、台風の中をドライブになりそうです。生駒も雨が降り出しました。 16日まで特別集会や聖会&礼拝奉仕の旅です。今年は九州へ5月、7月と今週を含めて3回の巡回伝道でした。5月は新幹線で筑後市まで。7月と今週はハイブリットカーで遠距離ドライブです。 今日は岡山市や福山市、明日から中津市や大分市、そしてメインの宮崎市での聖会、15日は宮崎福音教会礼拝説教。夜は別府市での訪問などです。卒業生や求道者なども多くあり、出かけついでに多くの出会いを楽しみつつのドライブです。 帰宅は16日の真夜中になりそうですが。来週は19日(木)よりアフリカ宣教で21年目のケニアです。25日(木)には帰国しますが、体調も守られ元気で宣教の旅を続けています。 ブログは、わずか30秒の祈りが世界を変える!と題して、明日から毎日更新します。パソコンを持参しての旅を願いながら、操作手順ももう少し練習しなければと、相変わらずです。せめて写真をできればと思っていますが・・・・。ペテロの第一の手紙 2:20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。 2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。 2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
2010/08/10
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長崎は9日、65回目の原爆の日を迎え,爆心地に近い平和公園(長崎市松山町)で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれました。 外出運転中でしたが、車の中で午前11時2分、鳴り渡る鐘の音とともに一分間の黙祷黙でした。 被爆者や遺族、菅直人首相らも出席、田上富久長崎市長は平和宣言で、潘基文国連事務総長が提案する「核兵器禁止条約」への支持を表明し、「核なき世界」の実現を国際社会に訴えていました。 原爆を投下した米国は、今年初めて広島の式典には出席し、長崎への出席は要請を受けながら見送ったとニュースは報じていました。参加国は過去最高の32カ国となったそうですが、核保有国が自ら核兵器禁止条約に率先して賛成し、特にアメリカは唯一の原爆投下を実行した国として核廃絶をすることを決断すべきですね。 日本は唯一の被ばく国。原爆症認定集団訴訟は、国が全員救済することで解決に至りましたが、今なお被爆の影響は続いています。 2007年、長崎県選出の 久間章生議員は防衛大臣でしたが、日本への原爆投下を「しょうがない」と発言。本音だったそうです。また、原爆投下という事態を招くことになった日本の侵略戦争を起こした政治指導者たちの責任を曖昧にし、いつの間にか日本は戦争美化の声とともに、殺人謳歌の国になりそうです。唯一の被爆国として、世界をリードできる平和憲法の国でありたいと祈ります。エレミヤ書 31:10 諸国の民よ。主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る。」と。 31:11 主はヤコブを贖い、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたからだ。 31:12 彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。 31:13 そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。 31:14 また祭司のたましいを髄で飽かせ、わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。――主の御告げ。――」 31:15 主はこう仰せられる。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。」 31:16 主はこう仰せられる。「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。――主の御告げ。――彼らは敵の国から帰って来る。 31:17 あなたの将来には望みがある。――主の御告げ。――あなたの子らは自分の国に帰って来る。--------------------------------------------------------------------------------Ads by Google
2010/08/09
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約束の地私はもう、遠い空を見つめ 人の助けを求めることはない神の宝は地上にこそあり、ここに神の国はある私はもう、知らざる霧の中を進み 約束の地を探したりはしない時は神の足下に横たわり 私は神の手の中にあるからだ純金よりもすばらしい富がここにはある ただ私が望みさえすればよい知られざる英知と語られざる力が 呼び出されるのを待っている天国の門は我が眼前にあり その鍵は我が手にある私はもう、遠い空を見つめることはない なぜならここが、約束の地であるからだ (アルバ・ロマネス) 今週、新しい教会案内が完成する。 2000年間、世界中で人生を照らし続けた言葉がここに! 教会のある生活 聖書の示す希望 そしてダイナミックな力が・・・・ ”朝ごとの明るい口ぐせ「今日もまた、天国の一日です!」 そして寝る前の感謝の一言「きょうもまた、天国の一日でした!」 このシンプルな習慣があなたの人生に、すばらしい奇跡を起こします(牧師 榮義之)” 教会には素晴らしく輝いた笑顔の女性たちがたくさんいます。その中の化粧品を扱っている方から、洗顔の秘訣を聞きました。ゴシゴシこするように手早く済ませるのではなく、ゆっくり丁寧に洗うという単純な洗顔です。 男性ですから朝起きるとすぐ冷たい水でがさっと洗っていました。昨年から少しゆっくり洗うようにしていますが、まだ丁寧さが足りないとお叱りを受けています。 肌をきれいにしようと思うなら、優しくやわらかく丁寧に顔を洗えば良いのだそうです。そのように話す素顔は、ほんとうに美しく輝いている!使っている洗顔石鹸だけではない、おだやかにゆっくりの気持ちが顔をも美しくつやつやにしているようです。 女性は肌が美しくなると、心にもゆとりが生まれ、人生が大きく変わる方もあるようです。それは化粧法や整形美ではなく、内面の美しさが輝き出るからだと思います。 クリスチャン女性の美しさは、心が変えられな内面の美が輝きでているからなんですね。 ああなればいいなあ、こうなればいいなあと外に刺激を受け続けても、ダイエット商品や化粧品の宣伝にお踊らされるだけです。 化粧に使う時間や化粧品やダイエット食品に使うお金を、心をきれいにするためにその幾分かを回すだけで、内面の美びが輝くだけっでな顔も肌もきれいになることが可能なのです。 最高の喜びは、十字架に命を捨て三日目に復活されたイエス・キリストを、アーメン。信じますと心にお迎えすることです。そのとき、天国の平安と喜びは心に訪れ、「今日もまた天国の一日です!」の生活がスタートします。 この肉体の命が終わる時まで天国の平安と喜び、幸せな祝福が与えられ、それを楽しみつつ永遠の天国を迎えることができるのです。 毎日毎日が、豊かなゆとりの一日、そして眠る前にも感謝に一言、「今日もまた天国の一日でした!」で熟睡です。たとえそのまま目が覚めなっ方としても、そのときは永遠の天国に移されている幸せな人生です。祝福を祈ります。ヨハネの黙示録7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」 7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、 7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」 7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。 7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
2010/08/09
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核兵器根絶を祈り願いながら・・・・長崎の鐘 こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ うねりの波の 人の世に はかなく生きる 野の花よ なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る 召されて妻は 天国へ 別れてひとり 旅立ちぬ かたみに残る ロザリオの 鎖に白き わが涙 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ 貧しき家の 柱にも 気高く白き マリア様 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る テサロニケ人への第一の手紙5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。 5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。 5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。 5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。 5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
2010/08/08
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昨日から今日の礼拝まで、一泊で子どもキャンプです。朝の礼拝に始まり夜の花火大会まで、子どもたちが思い切り祈り歌い遊びます。 夕食はママたちが精いっぱい腕をふるい、おいしいカレーライスにから揚げ、サラダも色とりどり、差し入れの大きなスイカやブドウ、手作りの砂糖を入れないチョコレートケーキ、かき氷やアイスクリームまで・・・・。 ゲームに興じる子どもたちの中に入るが動きについていけない。2日間炎天下の中、草刈りや木を切ったり作業をしたので、身体中の節々が痛みを覚え悲鳴を上げている。手をつかまれ引っ張り出されてもすぐギブアップだ。 午後8時になると、聖書学院の庭は最高の打ち上げ花火見学の場になる。生駒市の打ち上げ花火がに子どもたちの歓声が響く。30分間間断なく上がり、感動のフィナーレ! それから子どもたちは、用意された花火を手に美しく輝かせながら楽しむ。今日もまた天国の一日でした!おやすみなさいと、宿舎に引き揚げ就寝。 朝の目覚めも早く子どもたちの声が聞こえる。朝食後から礼拝後の楽しい持ち寄り昼食会の食事作りが始まる。午前10時から礼拝なのでそれまで、台所が賑やかなこと・・・・。 今週は、岡山や広島の教会を訪ねながら16日まで、中津市、大分市、宮崎市まで出かける奉仕の旅です。アフリカ宣教(19~25日)のウオーミングアップのつもりで元気に礼拝の備えている朝です。イザヤ書新共同訳;48:17 イスラエルの聖なる神/あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神/わたしはあなたを教えて力をもたせ/あなたを導いて道を行かせる。 48:18 わたしの戒めに耳を傾けるなら/あなたの平和は大河のように/恵みは海の波のようになる。 48:19 あなたの子孫は砂のように/あなたから出る子らは砂の粒のように増え/その名はわたしの前から/断たれることも、滅ぼされることもない。 48:20 バビロンを出よ、カルデアを逃げ去るがよい。喜びの声をもって告げ知らせ/地の果てまで響かせ、届かせよ。主は僕ヤコブを贖われた、と言え。 48:21 主が彼らを導いて乾いた地を行かせるときも/彼らは渇くことがない。主は彼らのために岩から水を流れ出させる。岩は裂け、水がほとばしる。 48:22 神に逆らう者に平和はない、と主は言われる。新改訳48:17 あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。 48:18 あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。 48:19 あなたの子孫は砂のように、あなたの身から出る者は、真砂のようになるであろうに。その名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもないであろうに。」 48:20 バビロンから出よ。カルデヤからのがれよ。喜びの歌声をあげて、これを告げ知らせよ。地の果てにまで響き渡らせよ。「主が、そのしもべヤコブを贖われた。」と言え。 48:21 主がかわいた地を通らせたときも、彼らは渇かなかった。主は彼らのために岩から水を流れ出させ、岩を裂いて水をほとばしり出させた。 48:22 「悪者どもには平安がない。」と主は仰せられる。
2010/08/08
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目覚めとともに太陽が開けっぱなしの窓から射し込んで、今日もまた天国の一日です!と、起き上がりました。暦の上では立秋です。気持ちだけちょと秋の気配を感じる猛暑の朝明けです。 昨日は、気になっていた聖書学院の玄関入口の草取りをしました。午後3時から夕方7時まで鎌で根こそぎ切るので、猛暑に蒸されながら体中から流れる汗と、屈みこんでの作業なので体中がくたくたになりました。 それでも引き抜いたり刈り取ったりした草を、一輪車で何回も処理するので、ゆとりの一万歩は作業が終わるころには、散歩道へは行かなくて達成でした。 シャワーを使って夕食は遅くなり、そのままベッドに倒れ込むように熟睡の天国の一日でした! 気持ちよい立秋の朝の目覚めとともに、身体もスッキリし若さがあふれるような気分です。 今朝から学院教会の子ども一泊キャンプが始まります。開会礼拝からいっしょに、夜のキャンプファイヤー&花火大会(ちょうど生駒市花火打ち上げが学院向かいの丘の上であり、きれいな花火がキャンプに華を添えてくれます)まで、一日中は無理だから開会礼拝とキャンプファイヤーに参加しようと思っています。多分昼食&夕食、明日の昼食まで誘われるでしょうが・・・・。 明日の礼拝は学院教会&大阪エリムキリスト教会&堺エリムキリスト教会と、高速道路で動き周ります。日曜日の阪神高速道路は500円で少し助かります。第二阪奈はETC割引はナシです。 11日(水)日本キリスト扇城教会で特別集会。12日(木)大分市で牧会相談。13日(木)~15日(日)はキリスト福音の群れ全国聖会と宮崎福音教会礼拝で宮崎市です。お祈りの応援お願いします。 今回もまた長距離ドライブで九州行きです。ハイブリットカーになり動くついでに卒業生たちも訪ねたくての自動車の旅です。 帰宅するとすぐ集会、そしてアフリカ・ケニア行き(19~25日)です。イザヤ書0:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2010/08/07
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国連事務総長が、原爆投下65年目に初めて被爆地の長崎訪問のニュース。 今日6日は、広島原爆の日の平和記念式典にも、国連事務総長としての初めての参加もします。 ニュスは以下のように報じています。 来日中の潘基文(パン・ギムン)・国連事務総長は5日、被爆地の長崎市を訪れた。米国による原爆投下から65年がたつが、国連事務総長の同市訪問はこれが初めてだ。「核なき世界」を求める機運が世界的に高まる中で、国連トップとして爆心地に立ち、「核兵器が二度と使われないようにする確実かつ唯一の方法はすべてを廃絶することです」と演説した。 演説は英語だったが、日本語でも「私は世界平和のために参りました」と話した。長崎市民との連帯も表明し、「強い確信と信念で立ち向かっていけば核兵器のない世界は実現できると思います」と締めくくった。 潘氏は5日午前、空路で東京から長崎入りした。まず長崎原爆資料館に足を運び、今年5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議で、原爆で背中に大やけどを負った自分の写真を掲げて演説した谷口稜曄(すみてる)さん(81)ら被爆者6人と面会した。 面会を終えた潘氏は「世界の指導者たちは、被爆者たちの話にもっと関心を払うべきだ」と語った。 続いて原爆落下中心碑を訪れて献花し、黙祷(もくとう)。碑の前で演説した。 演説後、公園内にある朝鮮人犠牲者の碑も訪問。さらに、原爆で倒壊し、再建されたキリスト教会の浦上天主堂も見学した。ここではNPT再検討会議の際に被爆したマリア像を伴って国連本部を訪ね、潘氏に長崎訪問を要請した高見三明・カトリック長崎大司教が案内した。 その後、記者会見した潘氏は「長崎を訪問し、さらに決意が深まった。力を尽くして核兵器のない世界を実現したい」と述べた。 潘氏は外務省の招きで3日に来日した。5日午後にはもう一つの被爆地である広島市に向かい、6日の広島原爆の日に開かれる平和記念式に国連事務総長として初めて参列する。 潘氏は2008年に核兵器禁止条約への支持を表明するなど、核廃絶に積極的な姿勢を示してきた。来日前には、被爆地訪問を「世界的な核軍縮が緊急に必要だという認識を提起する」と位置づけ、「被爆者が生きている間に核廃絶を見られるよう、時間枠(目標期限)を設けて活動するべきだ」と述べた。(大隈崇) 今、世界は核廃絶に向かって声を上げ初めていますが、核保有国アメリカ(1万800発)、ロシア(8600発)、イギリス(200発)、フランス(350発)、中国(400発)インド(30-35発)、パキスタン(24-48発)、イスラエル(200発)それに北朝鮮(1~2発?)、合計で二万発以上の核爆弾があります。 日本は唯一の被爆国(8月6日広島、8日長崎)ですが、潜在的な核保有国(いつでもその気になれば核爆弾作成可能)と言われています。核が必要だと言う日本国憲法を守らないで変えようとする政治家も大勢いるから注意が必要です。 アメリカは唯一原爆を投下した国ですから、大統領の核廃絶演説が実現するよう期待?します。 日本は唯一原爆を使用された国です。そのことを自覚し国を上げて、核廃絶を全世界に向かって積極的に声を上げ、イニシアチブを取るべきです。8月6日と8日だけでなく・・・・。 戦争は罪悪であり害毒です。人を殺す国と人の存在は、世界から平和を奪い取ります。人の死を何とも思わなくなったら人間失格です。人類は今その瀬戸際に立っています。 命を尊重することが人間の尊厳を高めます。人のいのちは全世界よりも尊く価値あるものです。全人類を贖うためにイエス・キリストは十字架に命を捨ててくださいました。あなたはわたしの目に高価で尊い!わたしはあなたを愛しているは、言葉遊びではなく現実の愛です。 日本国憲法第九条を心して叫ぶ、広島原爆投下記念日の朝です。1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ペテロの第二の手紙3:3 まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、 3:4 次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」 3:5 こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、 3:6 当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。 3:7 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。 3:8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
2010/08/06
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ゆとりの一万歩と歩き続け、6年10ヶ月になります。猛暑の朝ですが、すばらしい小道を見つけました。 家のすぐ近くが俵口小学校と幼稚園で、その間を用水路のきれいな水が流れています。草ぼうぼうの山道に足を踏み入れて見ると、すぐ緑滴る木陰の道が続き、流れに沿って約往復1000歩ほど。 木漏れ日もささないほどの緑のトンネル。用水路とその下方を流れる小川のせせらぎを聞きながら、誰一人歩くことのない道を、今日もまた天国の一日です!と、祈りつつ歩きます。 家から500歩ほどの所に見つけた秘密?の散歩道。ゆとりの一万歩まで歩かなかったときは、主にすがる我に悩みはなし、十字架の身元に荷を下ろせば。歌いつつ歩まん。ハレルヤ、ハレルヤ!歌いつつ歩まん、この世の旅路を。と賛美しながらの一人だけの緑の木陰です。 真夏日でも体調も守られ、できるだけ早朝のポスティングで一石二鳥。昨日はラジオ放送9月分の録音で朝日放送スタジオ入り。早いものでもう37年もスタジオ通いが続いています。32歳の時最初の放送だったので感無量でした。伝道者の書11:1 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。11:2 あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。11:3 雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。11:4 風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。11:5 あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行なわれる神のみわざを知らない。11:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。11:6 朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか/それとも両方なのか、分からないのだから。 11:7 光は快い。太陽を見ることは目のために良い。
2010/08/05
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真夏日で日中は生駒も35度くらいになり、帽子をかぶって歩いていても汗が流れます。毎夏のことですが、ポスティングをゆとりの一万歩で行っています。 今朝も4時起きで少し遠方へポスティングへ行きました。午前4時半過ぎで無料の駐車場ですが、当店に関係ない車は駐車禁止と表示のある店があり、朝早いからちょっとの時間くらいはいいかな?と思い駐車しました。 トラクトを持って車から離れようとすると、突然道路の向かい側の家から40代くらいの男性が飛び出してきました。怒りの顔をこわばらせ、隠しカメラで写しているぞ!なぜ止めた!ナンバーも控えたぞ!とメモ用紙を手に怒鳴られてしまいました。 申し訳ございませんとここから謝り、ちょっと離れた空き地がみつかり、無事その周辺へのポスティンンが完了した朝でした。 間違いはこちらにあるので、ちょっとぐらいはいいかなといういい加減な判断をしないで、ちゃんと駐車できる場所(と言ってもコイン駐車場もない田舎?だったので)に止めるように気をつけなければと反省させられました。 今日はラジオ放送希望の声の録音日でスタジオ入りです。登録された車なので、警備の方が挨拶をして駐車場のナンバーを指示してくれます。 失敗の朝でしたが、今日もまた天国の一日です!と、500部くらいはポスティングできた朝です。ピリピ人への手紙 4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。 4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。 4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。 4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。 4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 4:14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。 4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。 4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。 4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。 4:18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。 4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。 4:20 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。 4:21 キリスト・イエスにある聖徒のひとりひとりに、よろしく伝えてください。私といっしょにいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。 4:22 聖徒たち全員が、そして特に、カイザルの家に属する人々が、よろしくと言っています。 4:23 どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。
2010/08/04
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家内は、先月26日に白内障の手術をしました。まだ九州で娘が付き添ってくれ、順調に回復しています。 昨日、もう片方の手術も成功し、ちょうど終活ファッションのニュースを見ようとテレビを見ていました。手術が終わり迎えにとの電話で見逃しましたが、幸い夜11時45分の放映を見ることができました。 橋本眼科医院は、エキシマレーザーなどの近視乱視矯正手術に臨床治験の頃から取り組んでいる有名な医院です。 奈良県生駒市の生駒総合病院の閉院を受けて眼科診療所を開業。家内は総合病院時代からお世話になっている眼科医です。 先生は、国内トップクラスの執刀経験。感染症対策徹底。開院以来、感染症はゼロ!と言う名医で、手術当日は大勢の患者さんが待っている状態です。 家内の術後の経過もよく、両目ともうまく行きましたので、主の恵みに感謝しています。目が(まだ片方ですが)よく見えるようになって、鏡を見るのが怖いくらい顔のシミやそばかす、しわなどがよく見えるようのなったと笑っていました。 台所に立つと掃除がしたくなるくらい汚れも見えると驚いて、せっせと掃除をしています。 目は身体の明りだとイエス様は教えましたが、心の目が見えるようになると今まで他人のせいにしていたことが、自らの責任だとわかるようになります。 笑顔や微笑みは人からもらう前に、自分から微笑みかけると、お互いが微笑み笑い会うことができます。フランシスコの平和の祈り主よ、わたしを平和の道具とさせてください。わたしに もたらさせてください……憎しみのあるところに愛を、罪のあるところに赦しを、争いのあるところに一致を、誤りのあるところに真理を、疑いのあるところに信仰を、絶望のあるところに希望を、闇のあるところに光を、悲しみのあるところには喜びを。ああ、主よ、わたしに求めさせてください……慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを。人は自分を捨ててこそ、それを受け、自分を忘れてこそ、自分を見いだし、赦してこそ、赦され、死んでこそ、永遠の命に復活するからです。 詩篇13:3 私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を輝かせてください。私が死の眠りにつかないように。
2010/08/03
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土曜日に行われた、終活・最後に着たい着物ファッションショーへ行きました。副院長が13名の出演者と登壇しました。 今日2日(月)午後6時10分より。再放送も11時過ぎにあるようです。 時間があればご覧ください。副院長が画面に出るかどうかは分かりませんが・・・・。
2010/08/02
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昨日は朝早く礼拝前に、1ヶ月前に、堺エリムキリスト教会の夜空に輝く赤いネオンの十字架を、高速道路走行中に見て教会を訪れた美しい女性会社員の洗礼式でした。 アーメンと素直に信じてバプテスマの恵み、クリスチャンとして新しい誕生日を迎えた祝福に拍手を送ります。 朝の礼拝を終え大阪エリムキリスト教会へ。初めての礼拝出席の方もあり、天国は微笑みと笑顔の輝き、肯定的なアーメンの世界。愛と赦しのあふれる所とのメッセージを語りました。 08年の8月から、今日もまた天国の一日です!を合言葉に、恵まれた礼拝を続けています。大阪エリムの礼拝を終え堺エリムキリスト教会へ。施設にいる目の見えない63歳男性を迎え、点字聖書を読み続けている話を聞きつつ再び教会へ。毎週増え続ける礼拝出席者とともに一に時間の礼拝を終え、生駒まで高速を走り午後8時過ぎに帰宅と、いつもの日曜日でした。 朝の目覚めとともに、今日もまた天国の一日です!と起き、目に入ったのが喜びと書かれた本。 よろこび(ジーンワトソン著/内田みずえ訳・いのちのことば社96年発行)の本でした。 石の壁が牢屋を作るのではなく、鉄の柵が檻を創るのでもありません。 純粋で静かな魂には、それすら瞑想の場です。 私が愛することにおいて、心から自由にされているなら、高いところにいる天使のみが楽しむことのできる自由を、味わっているのです。 主の御霊のあるところには自由があります。(コリント人への第二の手紙3:17)喜びがありますか?喜びのない人は 喜びのある人は心を閉ざしています 開放的で人をもてなすのが好きです。人を近寄らせません 人を受け入れ、自分から友情の手を差し出します頑なで柔軟性がありません 柔軟性があります自分の非を認めません 自分が悪い時は素直に認めますいつもあくせくしています 待つことができますすぐに答えが出ないと落ち着きません 未解決の事があっても、耐えることができます自意識過剰です 自分の短所長所をよく知っています慢性自己憐憫に陥っています 客観的に、正直に自分を見ることができます自分の権利だけを主張します 喜んで責任を取ります仲間以外野人には排他的です 包容力がありますすぐ口論になります 他人と自分の違いを受け入れることができます狂信的で、独善的、自己に固執します 自分自身とも他人とも友好関係にあります苦々しい思い、恨みがましい思いを持つ 礼儀正しい振る舞い、情熱的です過去の傷を忘れません 人の過ちを許し、忘れます皮肉っぽい話し方をします 人を信頼しオープンになりますすぐに失望し、落胆します 現実的な希望を持っていますいつも最悪の事態を予想します わずかではあっても光を見つけることができますプレッシャーに耐えられません 余裕があって、ユーモアを楽しむことができます細かいことにこだわり、不平不満がいっぱい 積極的で明るい、雰囲気を持っています独占欲が強く、意地悪です 親切で、犠牲をいといません失ったものについて、いつまでも嘆きます 周囲の人の愛を感じています心に恐れがあり優柔不断です 自信がありますよく自己憐憫に陥ります 自分を理解し、受容しています時間がない、余裕がないと感じています 突然の出来事を処理でき、創造性が豊かです ピリピ人への手紙より2:14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。2:17 たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。2:18 あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。3:1 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
2010/08/02
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二年前の八月最初の日曜日、ルカの福音書17章20-21節から説教しました。 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」 その日から、朝の目覚めとともに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。ハレルヤと告白し続けています。 日中も何事があろうとも、今日もまた天国の一日です!を口ぐせに乗り切りながらです。 一日の終わりには、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。アーメンと平安の中に身を横たえ熟睡の恵みが与えられています。 イエス様は神の国について教えてくださいました。神の国とは理屈を超えて、神のご支配なさる領域すべてが神の国です。 マタイの福音書6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 また使徒パウロもローマ人への手紙で、なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです(14:17)と明言しています。 イエス様は十字架上で全人類の贖いとしていのちを捨ててくださいました。すべての罪も病も、呪いも貧乏も、何よりも死と滅びの中からアーメンと言うだけで救い出してくださいました。 墓に葬られ三日目の朝に復活され今も生きている救い主です。そのお方を聖霊により、イエスは主です。アーメンと信じるだけで、心に来てくださいます。イエス様を信じると言うことは、イエス様心にお迎えすることです。 クリスチャンになると主の祈りを覚えます。その最初の部分には、御名が崇められますように。御国が来ますようにとあります。実際は御国が来ました!と祈るほうが、イエス様の教えた祈りどおりに祈っていると言っても過言ではありません。 特に、十字架の贖いを信じ、復活のいのちを聖霊により体験したとき、神の国は求めるものだけでなく、またいつか来るものではなく、今の現実のまま神の国はあなた方のただ中に実現しているのです。 肉体が必ず死を迎えます。死んだら永遠の命を与えられているクリスチャンは、天国に迎えられます。 昨日、「終活ファッションショー」~わたしが最後の着たい服~」に副院長が出演するので参加しました。13名の方が登場しそれぞれの人生を総括し、残す言葉をそれぞれの感動的に語ってくれました。 身びいきかもしれないが、終活の総括、自分の行き先、死んだあとどこへ行くかを知り語る事が出来たのは副院長だけでした。短い旅をするときも自分が宿泊するホテルを決めているだけでも、安心して旅を続けることができます。 人生の最大の不安は死んだらどうなるのか、どこへ行くのかが分からないのが最大の理由です。 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(ローマ6:23) 神のくださる賜物=神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである(ヨハネ3:16) その賜物をいただいたクリスチャンは天国が保証されただけでなく、神のご支配に全人生を委ねることができたので神の国に生きる者となりました。 神の国は飲み食いの事ではなく、義=イエス・キリストを信じる信仰による義と、平和=世が与えるようなものではなく、心を騒がせることのない穏やかな平安と、聖霊による喜び=笑顔と微笑み、外の刺激によりザルで水をすくうような虚しい喜びではなく、内側から湧き出てくる尽きない泉のような喜びです。 今日もまた天国の一日です。そのように朝ごとに、日中も、一日の終わりに告白し続けるとき、微笑みは自然にあふれ、笑顔が輝き肉体は地上にあっても、天国の喜びと感謝はあふれ続けます。 アーメンとの祈りはすべてを肯定する前向きの人生、ゆとりと平安とに満たされた確信のある生活をもたらします。 隣人を愛し、相手を受け入れ許すのでわだかまりなく人間関係も築かれていきます。 いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝することが日常茶飯事になることでしょう。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2010/08/01
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