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4月29日は結婚記念日です。41年前に恩師が召され毎年を記念の聖会を生駒聖書学院で行うので、結婚記念日の行事になりました。 昨日は46年になりましたと挨拶したら、集会が終わると一人が飛んできて、私も今日が誕生日で、結婚記念日ですと熱い握手でした。 記念日とは言っても、クート記念聖会をするだけですが、昨日は孫たちといっしょに夕食で賑やかに過ごしました。 クート聖会は、三谷泰人元カネボウ会長の講演会。昨日紹介しました「逆転の人生」よりも生々しい降格や左遷の中で、カネボー全社筆頭専務(No2.)になり、カネボウ薬品で大きな功績を残しました。 話の途中で講壇に八味地黄丸の幟を広げ、みんな何が始まるだろうと驚きました。 当時年間2000万円売上だった八味地黄丸を、営業未経験でしたが年間1億円以上にした記念の幟とのことで、感動とともにお話を聞きました。 八味地黄丸(ハチミジオウガン)は、体の弱った機能をおぎない元気をつけ、足腰や泌尿生殖器など下半身の衰えに最適の漢方薬です。 一般的に高齢になると、体力が低下し、顔色もすぐれず、冷えをともなうときや、「臍下不仁(さいかふじん)」といって、オヘソから下の下腹部がフニャフニャと力がないことも使用目安だそうです。 具体的には、足腰の痛みやしびれ、腎機能低下にともなう夜間頻尿、性機能低下、乾燥肌のカユミや湿疹などに用い、また、そのような症状をともなう前立腺肥大症や糖尿病にも適応するそうです。 講師には聞き忘れましたが、おふたりとも80歳でお元気ですから、 八味地黄丸を愛用しているからかな?と思ったりの朝です。 80分間の講演をお聞きしながら、聖書のことばの真実を現実の厳しさの中で、しっかり受け止めて生き抜いた真実人生に感動しました。 機会があればぜひ、「逆転の人生」(いのちのことば社刊)をお読みください。 神のなさること=左遷も降格も様々なマイナスも=は、すべて時にかなって美しい(伝道者の書3:11)ことが分かります。また、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ろーま8:28) 同時に、「すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです」(第二コリント5:14) そして詩篇第一篇「いかに幸いなことか。神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。神に逆らう者は裁きに堪えず、罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る」 まさしく聖書のことばそのままに生き抜かれた人生体験を、絵に見るようにお聞きするすばらしい時間でした。お祈りありがとうございます。祝福をお祈りします。 ローマ人への手紙5:3-5 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
2010/04/30
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4月29日(みどりの日)は、クート記念聖会(1969年に目されたので41年)を毎年行なっています。 今日は、三谷泰人元カネボウ薬品会長をお迎えし逆転の人生講演会。午後からは伝道懇談会を行います。朝早くは大降りでしたが、だんだん雨も上がり良いお天気も恵まれると思います。 昨日午後、ご夫妻を新大阪駅までお迎えに行き、様々な体験をお聞きし、イエス・キリストを信じる幸いをともに感謝する幸いなお交わりのときでした。大阪の夜景が一望できる山のホテルに案内し、今朝の講演に備えてもらっています。三谷康人「逆転人生」 税込価格 1,575円/四六版208ページ 三谷康人・君子 著いのちのことば社出版 三回の降格と左遷を経験した後、カネボウ薬品の会長をつとめた著者の波乱の半生をつづる書物があります。 厳しい企業社会において、信仰と仕事の狭間で苦しんでいるクリスチャンに、本書は格好のチャレンジになると思います。すばらし信仰で著者を支え続けている君子夫人の証しも掲載されています。今回もごいっしょに来られて、にこやかに微笑みつつ、ご主人の話に耳を傾けておられる上品な奥様です。この夫にしてこの妻ありの鏡のようなご夫婦と思いました。 逆転の人生の推薦のことばを引用します。神に対しての祈りに徹したビジネスマン――三谷康人君 鐘紡(株)名誉会長 伊藤淳二 三谷康人君は、ビジネスマンとしては、まことに異色の人であった。 歴史があり、多くの事業をかかえている企業には、古くからのしきたりがあったり、サラリーマン社会につきものの「出世競争」「事なかれ主義」がある。 そのしきたりや、出世競争や、事なかれ主義で多くのビジネスマンやサラリーマンはその会社生活を終える。 それでも、無事会社生活を卒業して、老後の生活に入って「幸せ」を感じている人が、今の日本ではふつうのことであろう。 三谷君は、そのしきたりや、「出世競争」や、「事なかれ主義」に決して流されなかった。 この著書の中に、三谷君が記している鐘紡生活のことは、控え目な、謙虚な表現となっているが、サラリーマンの世界では異常であり、考えようによっては、暗くジメジメし、失敗の「半生記」になりかねないエピソードにあふれている。 三谷君は、鐘紡の伝統ある繊維事業から、新規の多角化部門たる化粧品・薬品という、全く販売も技術も・管理の方法も根本的に違う仕事をつぎつぎに与えられた。 ビジネス社会の厳しい「掟」、成果主義により、幾度か降格、左遷に会いながら、少しも悲観、絶望せず、真正面からこれに取り組んで行った。 三谷君の悲しい顔、苦しみに悩んだ顔に私は会った事がない。いつも変わらぬおだやかな口調で話し、意見や書簡を提出してきた時、その末尾に浮ク「聖書」のことばがかきしるされていた。 本書を読み、やっと三谷君が解った。 三谷君は一人ではなかったのだ。三谷君とともに君子夫人が居り、その君子夫人を通して、三谷君は熱烈なクリスチャンとなり、常に「神」に祈りながら生きぬいていたのだ。 三谷君の鐘紡時代のハイライトの一つは、薬品事業を担当した時であろう。特に、漢方薬拡大のため、「八味地黄丸」月間売上目標一億を掲げて挑戦し、これを上廻る実績をあげて業界をアッといわせた時の戦略と戦術。 目ぬき通りの薬局の前に「カネボウ八味地黄丸」という「のぼり」がはためいた時、私は舌をまいた。当時のレトロブームを見事に取り入れたマーケティングであった。 すぐれた経営理論、緻密な思考力をもつ三谷君は、どの事業の困難に直面しても「原理・原則」に忠実で決してくじけず、敢然とこれをのりこえて行った。 三谷君はすぐれた経営者として大きな足跡を鐘紡に残した。それは君子夫人の存在、何よりも「神」に対する深い信仰、祈りとともに過ごした愛の心の強さによると思う。 逆転の人生を生きて来られた著者も81歳、ちょうど生駒聖書学院も創立81年、創立者もイギリスよりビジネスマンとして来日し、日本で救われて独り立ちの宣教師となったレオナード・W・クート師。奇しくもその記念聖会にビジネスマンが講演する幸いな朝を迎えています。 今日もまた天国の一日です!結婚46年目の神様の贅沢な恵みの朝です。感謝します。あ=明るい愛で、いつも愛し合う気持を持ち続けるよう!か=輝く笑顔で、いつもすべてのことに感謝しよう!さ=幸いで、最高に栄えよう!た=楽しさに溢れ、互いに相手を宝のように尊ぼう!な=仲良く、何でもありがとうといつも語ろう!は=ハレルヤと、まず神の国と神の義を第一にしよう!ま=真っ直ぐに、アーメンと言える真実の人生を歩み続けよう!や=優しくて、平安に満たされた日々を生きよう!ら=楽天的で、楽しく語り信頼しよう!わ=笑いがいっぱいで、神の栄光に輝こう!ん=アーメンと全てが真実であるよう!ふたりは一人よりもまさっている。最高のパートナーはイエス・キリスト様です。「私は私を強くしてくださるイエス・キリストのよってどんなことでもできえるのです」信じる二人が二人三脚で進む時、祝福は限りなく注がれます。二人が労苦すればよい報いを得るからである。心と思いを一つにする時、奇跡は起こります。イエス・キリストはいつもともにおられて、良い報いを与えてくれます。詩篇 1:1―3 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。伝道者の書 4:9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。 4:10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。 4:11 また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。 4:12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
2010/04/29
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「突然でお許しください」ではじまる手紙を、朔日の郵便でいただきました。 礼拝で牧師が「左手に重い本を持ち、このように重い罪がと言いいながら右手に移し、イエス・キリスト様が十字架に引き受けてくださったので、人生の罪も重荷も取り去ら、心軽やかに平安な人生を与えられました」とのメッセージでした。 それを聞きながら35年前、先生の刺繍の裏表の例話からのメッセージを、「あなたに対する計画はわたしが知っている。ー主の御告げーそれは災ではなく平安を与え、あなたがたに将来と希望を与えるものでさる」(エレミヤ29:11)の「みことばとともに思い出しました。 あの時に信じてから、ずっと小牧教会出席し続けています。依然に誰かからいただいた「天お虫けら」をもう一度読もうと思って捜しまわり、やっと見つかり宝物を手に入れたように嬉しく少し興奮しました! あのときに福音を伝えてくださってほんとうにありがとうございました。私も81歳になりました。でも元気です。主イエス様が共に歩んで下さり、試練の時もありましたが、いつも感謝でいっぱいです。 久しぶりに「天の虫けら」を再読し、喜びがいっぱいで何かしなければと思い、お便りを書いた次第です。テレフォンメッセージもお聞きしております。 お身体を大切にご活躍を期待しつつ小牧市よりお祈りしております。 35年前に愛知県小牧市で語ったメセージで救われた方からのお便りの一部分です。 昨夜はまた、大阪の集会から帰り寝ようとするころに携帯が鳴り、初めて出席しイエス様を信じる決心をした男性からでした。2日礼拝前にお会いする約束ができ、これからクリスチャンとしての歩みを始る決意の電話でした。 両親がクリスチャンでしたがふたりとも天国に召され、幼い日から長年キリスト教会にも行っておらずでしたが、昨夜導かれて信じる決心ができ喜んでおられます。 またコミックを読んで教会に来られ、信じる決心をなさた母と中学生の娘さんの洗礼式を、5月1日(土)に予定しております。 嬉しい手紙や電話など喜びがいっぱいで、今朝は4時前に目覚めました。 明日の三谷泰人元カネボー薬品会長講演会の案内を持ってポスティングへ。8000歩程のところで土砂降りになり、ずぶ濡れで2000歩で帰宅。朝5時半の祈りまでに一万歩達成の元気で嬉しさあふれる感謝の朝です。 今はすっかり晴れ上がり大雨が通り過ぎて行きました。今日もまた天国の一日です! ご案内講演 ;逆転の人生から講師 ;三谷泰人元カネボウ薬品会長日時 ;4月29日(祭日)午前10時より講演会;午後1時30分,日本伝道懇談会会場 ;生駒聖書学院チャペル 生駒市俵口町951 電話;0743-74-7622会費なし・自由献金。無料駐車場あり。電車だと近鉄生駒駅よりタクシー千円前後。コリント人への第二の手紙 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2010/04/28
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生駒聖書学院では、新学期恒例の寮の部屋検査を今朝行いました。 男子寮に最高に綺麗に片付いた部屋があり、ドアを開けた瞬間、綺麗な空気さえ流れるような気もし、神学生の品格を思わせる部屋でした。 女子寮にも美しく片付いた部屋があり、ステキな輝きの姿の背景を見る思いました。 朝5時起床ですから、30分で洗面や何もかも済ませて5時30分の朝の祈りですから、ベッドメイキングを素早く仕上げる必要があります。 まあ、男子寮と女子寮それぞれに綺麗に片付いた部屋があったので感謝でした。 でもほとんどは、お世辞にもきれいだとは言えない、今までどういう生活をしてきたのかと思わせるような、足の踏み場もないほどに散らかった部屋もありました。 聖書を読むと神様はこの地球をパラダイスとして創造されました。創世記には、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」(1:31)とあります。 天地創造により、美しい秩序ある地球でした。しかし現代その地球が悲鳴を上げています。 北極振動やエルニーニョ現象も変動により、春まっさかりなのに・・・・、今朝は大降りで寒く気候不順が続いています。 部屋の検査をしながら、神様の美しい創造の世界を汚してしまった人間の罪深さを思わされました。 生駒聖書学院にくれば人生が変わる!という素晴らしい評価が続いています。 まず第一に、イエス・キリストの十字架の血潮に清められ、聖書のみことばで日々洗われ、聖霊に潔い臨在に聖められ続けます。 ヘブル人への手紙0:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。 第二に、身体の綺麗さです。イケメンと美女というだけの意味ではなく、クリスチャンは心が純粋になるので、表情も美しく輝きます。生駒聖書学院もその意味で例外ではなく、きれいで素直な心の神学生たちが、健康的にも輝いています。 テサロニケ人への第一の手紙5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 第三に生活環境の綺麗さです。 生駒聖書学院の自然環境は最高だといつも思っています。気候不順ですが、春は花爛漫です。窓の外に目をやるとタンポポの黄色が雨で光っています。もう終わりましたが、山つつじや桜、赤い椿や藤の紫、そろそろアカシアの白い花が、また鉢植えの花も・・・・。 ヒヨ鳥や目白のさえずり、うぐいすやホトトギス、雉の甲高い声も響きます。もちろん雀やカラスの鳴き声も・・・・。イザヤ書35:1 荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。 35:2 盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜わるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。 部屋の美しさは,その気になれば直ぐ綺麗にできます。 身体も食べ物や飲み物に少し気を使えば、元気で綺麗な身体になります。 そして心はイエス・キリストの十字架を仰ぎ、復活のいのちを受け聖霊に満たされるとき、考えが変わり喜びと感謝の声が響き、信仰・希望・愛が輝きます。 今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。感謝します。
2010/04/27
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今日もまた天国の一日でした!と、約6時間熟柿の毎日です。金曜日の夜は眠くてたまらず夕方の6時にベッドに。そのまま朝の6時まで12時間も眠り続けでした。 土曜日は元気に動き回り、富雄キリスト教会礼拝にも備えました。いつもの就寝時にベッドの入りましが一時間目目覚め、真夜中にブログを書き何やかやしているうちに朝の五時。 今日もまた天国の一日です!と、真っ白に霜が置く学院の屋根。白み始めた外へゆとりの一万歩を祈りつつ歩み散歩へ。 富雄キリスト教会に出かける前に、すごい睡魔に教われるが眠る時間はない。頬をひっぱたき、冷たい水で顔を洗い、元気で教会に着き説教でした。テーマが再臨だったので少し理屈っぽいメッセージになるが、マラナタ・タ=主よ。来りませ!と、教会員の告白しました。 午後からはいつものように大阪エリムへ。第四日曜日は副牧師メッセージの前に、聖書勉強会で再臨について学びました。 イエス・キリストが再びこの世界に王として来られる約束のすばらしさ! 聖書には、空中携挙(再臨)と地上再臨についての教えがあります。クリスチャンになって間がない16歳の夏の出来事をわすれることができず、その日から再臨を信じ待つクリスチャンになりました。 田んぼの開拓作業を終え、大急ぎで帰宅し冷水で身体を洗い、夜の郵便局アルバイトへ自転車を漕ぎました。 高台に来たとき,島全体を染めるような夕焼けが真っ赤に広がり、稲妻がピカッ、ピカっとひらめきました。雷のゴロゴロの音はせず稲光だけが夕焼け空に煌めき、その瞬間,読んだばかりの聖書ことばを思い出しました。 「人の子(イエス・キリスト)の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです」(マタイ24:27) 洗礼を受けて8ヶ月目。朝も昼も日曜日も無く働かなければならない試練の時、教会の礼拝にも出席せず、祈りも聖書を読むこともほとんどしていない。あっ!再臨だ?とその場に自転車を止めて待ちました。 瞬間の時だったのでしょうが、長い時間に思え身体が少しも動かず冷や汗だけが流れていまsた。しまった残された?局へ急ぐと,直ぐ西之表キリスト教会へ電話しました。もしもしと言う聞きなれた牧師の声。な!なんでもありませんと電話を切り、ホッとため息したことを昨日のように思いだします。 その日から決心して一番高い聖書を関西聖書協会に注文して送ってもらい、熱心に読み続け今日に至っています。クリスチャン初心のときの強烈な思い出で、再臨のメッセージのときにはいつも語ってしまいます。あのころの純真さをいつまでも失わず、主よ。来て下さい!と、素直に喜びつつ再臨を待ちたいと思う朝です。 新年度から月曜日のチャペルが午前8時になり、通学生だけでなく日曜日の奉仕で遅く帰る寮生もチャレンジですが、ブルーマンデーではなく、スカイブルー・マンデーで元気にこれから朝のチャペルです。 短時間睡眠も昨夜の熟睡でスッキリ目覚め、新しい天国の一日をマラナ・タ!(主よ。来て下さい!)現臨の主とともにメッセージです。午前中は2講義を担当。毎日することがあり、可能性は限りなくチャレンジとなる、平安と喜び感謝しあふれた朝です。 29日8みどりの日)午前10時より、三谷泰人元カネボウ薬品会長の逆転の人生講演会が、生駒聖書学院チャペルで開催されます。ぜひお出かけ下さい。入場無料(自由献金)です。広い駐車場のあります。 会場;生駒市俵口町951番地 生駒聖書学院チャペル 電話;0743-74-7622 近鉄奈良線生駒駅(なんばから快速休校で20分・鶴橋駅からは13分)北側出口近鉄デパート前タクシー乗り場から7分、約千円です)テサロニケ人への第一の手紙5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。 5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。 5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。 5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。 5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。 5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。 5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。 5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。 5:12 兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。 5:13 その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。 5:14 兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。 5:15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 5:19 御霊を消してはなりません。 5:20 預言をないがしろにしてはいけません。 5:21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 5:22 悪はどんな悪でも避けなさい。
2010/04/26
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火曜日の聖書輪読会で、再臨について質問された。イエス・キリストの再臨とは、イエスが天に昇って行かれた時、天を仰いでいる弟子たちに、天使が告げたことばにあります。 「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのですか。あなた方を離れて天に上げられたこのイエスは、天に昇っていかれるのをあなた方が見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒1章11節) クリスチャンの希望は、イエス・キリストが再びこの世界に来てくださることです。 イエス・キリストは最初に、聖書の預言のとおりに、ベツレヘムの馬小屋で産まれた赤ちゃんとして地上に来られました。 そして、33年間のお働きと教えの後、十字架上に全人類の罪をあがない死なれました。墓に葬られ、聖書に書いてあるとおりに3日目に復活されました。 キリストの再臨とは、復活されたイエス・キリストが、十字架の救いを信じたクリスチャンを迎えるために、もう一度今世界に来られることです。 初臨の時は、キリストは苦しみのしもべとして、もっともつつましい姿で来られ、十字架にいのちを捨ててくださいました。 再臨の時は、この世征服する王として、天の軍勢を引き連れてこられます。 ヘブル人への手紙9章28節には、「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです」とあります。 クリスチャンはその日を望みつつ、テトスへの手紙2章-13節に、「私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むように」教えさとされているのです。 再臨は空中再臨と地上再臨の二つの約束があります。 まず空中再臨は、テサロニケ第一の手紙4章16~18節に、「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい」と、明言されています。 地の塩であり、世界の光である真のクリスチャンが、この世界からいなくなるので大艱難が襲います。クリスチャンの存在は、コマの心棒のようなものです。心棒があるからこそコマは回転するように、クリスチャンたちが主の祈りや世界の平和を祈っているから、まだ世界は平衡を保っているのです。 空中再臨後、地上には歴史上無かったような大艱難が襲ってきます。現在も異常気象な様々な紛争にその前兆を見ますが、これはまだ序の口です。聖書の黙示録の預言を見ると、想像を絶するような患難が襲い、やがて第三次世界大戦を迎えるような状態になります。 その時、空中再臨で天に上げられたクリスチャンたちを伴ない、イエス・キリストが地上に再臨されます。 マタイの福音書24章29節-31節に、だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。 そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます」と、イエス・キリストご自身が宣言されているとおりのことが実現します。 その日がいつかについては、マタイの福音書24章32-36節に、「いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。 そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます」と,イエス・キリストは言われました。 だから時代の状況がどうあれ、再臨がいつだとか、何処にあるなどと言う言葉や預言を絶対信じたりしないことです。 ただ大切なことは、いつイエス・キリストが来られてもよいように、心の備えも生活も清い生き方をす続けることです。 ローマ人への手紙13:11 あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。 13:12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。 13:13 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。 13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。 そして、いま共におられるイエス・キリストの現臨を信じ信頼して、内にある神の国を確信し、「今日もまた天国の一日です!」と、実際的な再臨の時を楽しみつつ待つ日々でありたいものです。 ヨハネの黙示録 22:17 御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。 22:18 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。 22:19 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。 22:20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。 22:21 主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。
2010/04/24
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明日の礼拝に備えて準備をしていたが所要ができ、まだ歩いていなかったのでゆとりの一万歩で出かけました。駅前まで行き近鉄デパートで少し買い物をし、帰る途中で土砂降り。幸いフード付きのジャンパーを着ていたので、大急ぎで非パリだし雨の中を歩く。途中で雨が上がり家に帰ったら一万歩。 午後の時間、にぎやかな子どもの声。孫(5歳と3歳)が友だち(6歳と5歳)とやって来た。しばらく遊んだが、家内にまかせて外へ今度は車で出かける。帰りに少しだけおやつを買って戻るとまだ大騒ぎで遊んでいる。大喜びでオヤツを食べ,ジュースを飲み、狭い家でかくれんぼ。 昼から寒さは残るが、スッキリと晴れ上がり、庭のたんぽぽの黄色も鮮やかに、みどりもまぶしいくらいの春の午後です。 明日は富雄キリスト教会で午前10時の礼拝。聖書学院でのアンサンブル演奏練習がまだ続いている。クリスチャンではないが、楽器大好きの方々が演奏を楽しみにいっしょに練習している。老人ホーム慰問にもいっしょに行くと張り切っているので感謝で、そのうちにクリスチャンになって、天国の喜びを味わってくれるだろうと祈っています。 ちなみにいま演奏されている楽器は、チェロが2個、バイオリンが2本、ギターが3本、クラリネット2本、フルート、サキソフォンにピアノ、エレクトーン、ラム、ボンゴなどです。 どの内にオーケストラが生まれると楽しみにしています。明日の礼拝も演奏に合わせて、手話讃美もあり,楽しい礼拝になるので月一度の富雄キリスト教会礼拝を楽しみにしています。 そん中で事故で骨折入院の知らせで,月曜日午後からのお見ますです。軽い認知症の方が行方不明で捜索願を出し、早く見つかるようとの祈りの依頼。29日のクート聖会問い合わせや、学院教授からの新学生への連絡事項など、何やかやの連続ですが、今日もまた天国の一日です。 明日の礼拝に備えながら、ブレイクでブログヲ書いている午後です。ハレルヤ。感謝します。コリント人への第二の手紙11:28 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。 11:29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。 11:30 もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。 11:31 主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないのをご存じです。テサロニケ人への第一の手紙 5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
2010/04/24
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昨日は、夕方6時頃に無列に眠くなり、後で起きようとそのままベッドに。目覚めたのは朝の6時。12時間もぐっすり熟睡でした。 普段の生活は朝が早いので4時過ぎには起きます。朝の祈りの時間(5時半)にはチャペルで神学生たちと猛声祈祷で7時まで過ごします。 チャペルのあと朝食、メールチェック、テレフォンメッセージ、ブログを午前8時半までには終了します。 月曜日は午前中チャペルと講義、木曜日も講義です。火曜・水曜・金曜日は教授陣を朝8時前に迎え、講義の前にお話を聞いたり、昼食接待をしたりです。 生駒聖書学院の学期中はほとんど連日、集会や面談など様々なことがあり、朝から晩まで動き詰めです。 少しの空き時間に郵便局(往復2500歩)やその他の用事を近くだと車を使わずに歩きます。ほんとうはゆとりの一万歩だから、時間をとって歩こうと思うですが、それでも一万歩は6年半継続しています。 日曜日は学院教会(明日25日は富雄キリスト教会)、午後2時は大阪エリムキリスト教会、午後5時半には堺エリムキリスト教会の礼拝説教です。 自動車で高速を走るので移動にはそんなに時間はかかりません。まだ自分でハンドルを握っている方が自由で、酔うことも無く祈りも考え事もできるので、しばらくは自由気ままに動くと思います。 いつもは発達障害の青年が、生駒から大阪、堺と3回礼拝に着いて来るので副牧師と3人で動きます。話題はモーニング娘(が大好き)と、オリックス(大ファンで詳しい)、そしてセレッソ大阪(試合をよく見に行く)だけですが、できるだけ聞くようにしています。 彼の仕事は新幹線のヘッドカバー洗濯会社で、日曜日は休みですが、元旦だけ一日休み、後は年間休みなしです。給料は定額で正月手当は千円だと嬉しそうに話してくれます。 イエス様を信じてクリスチャンになり、毎週3回同じメッセージを聴き続けてくれるので、その人生が祝福されるよう祈りながらの日曜日です。 12時間も熟睡した言い訳のブログになりましたが、久しぶりに長い時間熟睡でき、スッキリ元気で目覚めて、今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。 明日25日の礼拝は、富雄キリスト教会で説教です。第四日曜日に行きますが、すばらしい教会として成長中で楽しみです。 場所は、奈良市富雄川西1-19-18。近鉄奈良線富雄駅西口(富雄川の方)下車北へ、3番目の橋を西へ歩いて5分。駅から800歩ほどの所です。駐車場もあります。タクシーだと千円くらい?。お近くの方お出かけください。詩篇4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。箴言3:24 あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。エレミヤ31:28 ここで、わたしは目覚めて、見回した。それはわたしにとって、楽しい眠りであった。
2010/04/24
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今年から神学生の誕生日に、食事を招待することにしました。今月は女性一人だったので教会奉仕者もいっしょに誘い出かけました。 和食の店を予約していたのですが、人数が増えたのと韓国神学生がひとりおり、急遽変更して近くにできた焼肉店へ。 席に案内され4名テーブル二つ。86品目のメニューを選び2時間食べ放題コース。肉が美味しいと様々な品目と合わせて注文。さすがに食べ放題はきついなと重いながら食べました。 歯の治療を10ケ月続け,完成して一ケ月目になるので歯も定着ししっかり噛めるので、久しぶりの肉も美味しく食べることができました。 途中で神学生が、マジックを披露して誕生日を祝福。50くらい持ちネタがあり、教会学校では子どもたちが大喜びして、聖書の教えも楽しんでくれると得意顔でした。 腹話術とかマジックとか特技を用いて福音を伝えることは、それなりにすばらしいと思います。笑いながら福音が心の中に履いていくのはすばらしいことです。 まっすぐ一本勝負で、アーメンと言えば救われる!だけ、福音を伝え続けています。 人は人、自分は自分で、人の生きるのはパンだけでない。神の口から出るひとつひとつのことばによる!を実践して行こうと、再確認をしつつ楽しんだ夜でした。 今日もまた天国の一日です!感謝します。詩篇133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。 133:3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
2010/04/22
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信仰と希望と愛はいつまでも変わらないものです。変わらない価値観をもつ人は幸いです。 朔日は,19歳までいじめられた青年の体験を紹介しました。ほんとか?と思うような小学生時代、中学になり好きな子が一人でき、その子を幸せにできればと思って勉強を始めました。 塾にも通いましたがそこでもいじめられました。塾でも学校でもお前が行ける高校はないと断言されます。優しい少年で親に言えば心配するからと黙っていたので、進路相談のときまで気がつきませんでした。 高校にはやっと合格しましたが、合格発表の日好きだった子からも、二度と会わないと宣言され合格の喜びも半減でした。その失望の中で親のために頑張ろうと思い立ち直りました。 ところが高校生活もまたいじめの連続、進路指導でも就職したい会社を希望すると、お前には無理だ、あそこもダメここもダメで、結局メンテナンスの会社に就職が決まったのです。 そこでもいじめられ,事を回してもらえなくて、だれもが行きたがらない場所で,相談する人もなく黙々と忠実に働くだけでした。 イエス様を信じた日から新しい希望が生まれました。瞬間に変えられたのは心の持ち方でした。いじめがアーメンと信じた瞬間なくなったのではなく、仕事場もいじめも変わらずでした。 しかし、「恐れることはない。わたしはあなたともにいる。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。わたしはけっしてあなたを離れず、あなたを捨てない。世の終わりまであなたとともにいる」との約束が確信を与えてくれました。 だけでなく、「この奥義はあなたがたの内におられるキリスト、栄光の望みです」と、2000年前すべての重荷や悩みを十字架に背負われ、墓に葬られ3日目に賦活されたイエス・キリストの内在を信じることが、生きる勇気と力を与えてくれたのです。 「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(コリント人への手紙13:13) 信仰は辛抱することを恐れません。どんなに長いトンネルでも出口があるので安心して走れるように、信じる人生には限りない可能性が約束されています。辛抱しながら感謝しつつ出口を目指して進む幸いを祈ります。 希望は忍耐を伴います。待つことは耐えられないと投げ出すなら、望んでいるものを得ることができません。仕事場でも投げ出せばそれでお終いです。望みの忍耐を与えられて進む人は、どんな事態になっても感謝を忘れないで生きることができます。 愛は信頼です。誰かを愛するならその人のことばを信頼して待ちます。信頼を裏切る人には真実の愛はありません。夫婦の問題の大半は信頼し合わないところから生じます。 愛は相手のことばを信用しそのとおりになることを信じ、平安な心で望み持って信頼します。 信仰は辛抱出来る勇気を与えてくれます。希望は期待しながら忍耐する力を与えてくれます。愛はたとえ暗闇に出会うときも信頼する心を与えてくれます。信仰と希望と愛はいつまでも変わらないものです。変わらない価値観をもつ人は幸いです。 朔日は,19歳までいじめられた青年の体験を紹介しました。ほんとか?と思うような小学生時代、中学になり好きな子が一人でき、その子を幸せにできればと思って勉強を始めました。 塾にも通いましたがそこでもいじめられました。塾でも学校でもお前が行ける高校はないと断言されます。優しい少年で親に言えば心配するからと黙っていたので、進路相談のときまで気がつきませんでした。 高校にはやっと合格しましたが、合格発表の日好きだった子からも、二度と会わないと宣言され合格の喜びも半減でした。その失望の中で親のために頑張ろうと思い立ち直りました。 ところが高校生活もまたいじめの連続、進路指導でも就職したい会社を希望すると、お前には無理だ、あそこもダメここもダメで、結局メンテナンスの会社に就職が決まったのです。 そこでもいじめられ,事を回してもらえなくて、だれもが行きたがらない場所で,相談する人もなく黙々と忠実に働くだけでした。 イエス様を信じた日から新しい希望が生まれました。瞬間に変えられたのは心の持ち方でした。いじめがアーメンと信じた瞬間なくなったのではなく、仕事場もいじめも変わらずでした。 しかし、「恐れることはない。わたしはあなたともにいる。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。わたしはけっしてあなたを離れず、あなたを捨てない。世の終わりまであなたとともにいる」との約束が確信を与えてくれました。 だけでなく、「この奥義はあなたがたの内におられるキリスト、栄光の望みです」と、2000年前すべての重荷や悩みを十字架に背負われ、墓に葬られ3日目に賦活されたイエス・キリストの内在を信じることが、生きる勇気と力を与えてくれたのです。 「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(コリント人への手紙13:13)信仰は辛抱することを恐れません。どんなに長いトンネルでも出口があるので安心して走れるように、信じる人生には限りない可能性が約束されています。辛抱しながら感謝しつつ出口を目指して進む幸いを祈ります。 希望は忍耐を伴います。待つことは耐えられないと投げ出すなら、望んでいるものを得ることができません。仕事場でも投げ出せばそれでお終いです。望みの忍耐を与えられて進む人は、どんな事態になっても感謝を忘れないで生きることができます。 愛は信頼です。誰かを愛するならその人のことばを信頼して待ちます。信頼を裏切る人には真実の愛はありません。夫婦の問題の大半は信頼し合わないところから生じます。 愛は相手のことばを信用しそのとおりになることを信じ、平安な心で望み持って信頼します。 信仰は辛抱出来る勇気を与えてくれます。希望は期待しながら忍耐する力を与えてくれます。愛はたとえ暗闇に出会うときも信頼する心を与えてくれます。 いじめられた彼はいま、全社員が憧れてもいけないような帝国ホテルという最高の部署で、生き生きと忠実に働き続けています。神様の最高の恵みを感謝しつつ。 様々な悩みや苦しみがある人生です。イエス・キリストを信じさえすれば、必ず救われます。信仰と希望と愛のある人生を体験しつつの日々です。祝福を祈ります。ヘブル人への手紙10:32 あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。10:33 人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった者もありました。10:34 あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 様々な悩みや苦しみがある人生です。イエス・キリストを信じさえすれば、必ず救われます。信仰と希望と愛のある人生を体験しつつの日々です。祝福を祈ります。ヘブル人への手紙 10:32 あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。 10:33 人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった者もありました。 10:34 あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。 10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。 10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。 10:37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。 10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」 10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。 11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
2010/04/22
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昨夜は大阪市浪速区のエリムキリスト教会での、神学生伝道自習集会。教会はマンションの2階にあります。 熱い心の新学生たちが声をかけて誘い、10名以上の新しい方々が出席し、旅行中の美しいシンガポールのクリスチャン女性や、アメリカ人も英語で声をかけたら出席してくれました。 もう11年も前になりますが、19歳の青年が通天閣の下を自転車で歩いていました。明るい元気な声が、直ぐ近くのキリスト教会で集会があるので、いらっしゃいませんかとの誘いでエリムキリスト教会へ初めて出席しました。 集会が終わると歓迎の握手攻め、かれはびっくりしてしまい、涙がでるほどの嬉しさと喜びでした。 なぜなら、小学校の六年間いじめられけ友達もなく、中学生になってもいじめられ続け、高校進学を希望しても教師も塾でも合格は無理だと言われていました。 しかしがんばってがんばって高校に行き、そこでもいじめは続き、やっと就職した会社でもいじめられて、もう死ぬほかはないという悩みの中だったのです。 本人が書いた「苦しみの中で体験した神様」を紹介します。 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119:71) 私の仕事は,ビルメンテナンスです。就職して3ケ月、失敗ばかり続き「ダメ社員だ」とのレッテルが貼られ、誰からの相手にされなくなり、ああ駄目だ!といじめられながらの日々が職場でも続き、失望し死を考えるような日々でした。 誘われてエリムキリスト教会へ行き、生まれて初めての歓迎の握手に感動し、イエス・キリストを信じてクリスチャンになりました。 私は、神様を信じたから、これから良い人生がスタートすると思いました。 しかし、それからも失敗の連続、役立たずと罵られ、「ぐみ処理」の部署でだけの巣ごとに追いやられました。ゴミ処理場は24時間勤務で、ゴミやその汁、ゴキブリやネズミ、その死骸や糞で体中ドロドロになって働く、誰もが嫌がる部署でした。渡された道具はホーキ一本だけでした。 それでも仕事が与えられたことを感謝し、自分にできる限りの一生懸命で掃除をし続けました。そんな私をまわりは、「駄目な奴だからごみ処理しかできない」と嘲けるだけでした。 イエス様を信じてクリスチャンになったのにどうして・・・・・と、自分がおかれた現実に絶望し、ひとりでいるときは涙するような日々でした。 でもそんな中での猷唯一の慰め、励ましはエリムキリスト教会でした。 ひとりでいるときは、賛美歌を歌い、覚えている聖書の言葉を口ずさみ、教会では牧師に祈って励ましてもらいました。そして仕事にも励みました。 味方にくれる人がほとんどいない中で、私にとってただ神様だけが唯一の理解者であり,拠り所でした。 そしてまるで考えられないような奇跡が・・・・。この項,続きます。詩篇118:4 さあ。主を恐れる者たちよ、言え。「主の恵みはとこしえまで。」と。 118:5 苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。 118:6 主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。 118:7 主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。 118:8 主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。 118:9 主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。 118:10 すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。 118:11 彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。 118:12 彼らは蜂のように、私を取り囲んだ。しかし、彼らはいばらの火のように消された。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。 118:13 おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、主が私を助けられた。
2010/04/20
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新米ママからの悩みをお聞ききしました。子育てのベテランママや、同じ悩みを持つ方からアドバイスをコメントお願いできればと願っていますと、今朝ブログに書きました。 その後すぐ、学院教会聖書輪読会があり、そこで子育ての話になりました。60代の経験は、夜鳴したらおんぶして外に出ていき、短歌を作詞したそうです。子どもが泣くのは当たり前、そんなことに悩んでいたら早く解放される方法は一つ、自分が自覚して恐れないで夜中におんぶしてでも見守ることが大切。主人は仕事があるから,しっかり寝て仕事に集中してもらうのが当たり前という意見でした。 すぐ40代の男性(普段は仕事ですが、今日は夫婦で参加)から反論があり、夫婦が協力してママの負担を減らすことが大切とのこと。どんな方法論があっても、当事者にとってはアドバイスを聞くだけでも大変なことです。 言われたことがそのまま実行できれば悩みなどない。ママひとりで悩まないで、主人もいっしょになって話を聞いて協力するようにしたら良いとのこと。 もう一人の60代の意見は、子育ては大変だと理想をだけ追い求めるのではなくて、あるがままの幼児をあるがままに受け入れて育てると良い。 夜泣きは世の常だから時期が来ると終わるので、 夜泣きやぐずりに気をとらわれず、愛を持って受け止めて揚がたら良い。 添い寝が良い。母乳かミルクか? 様々な論議や体験が語られました。 結論はどんなアドバイスも,いま悩みの最中にあるママには有効ではないということでした。自分でもわかっており、試行錯誤しながら悩んでいるから、聞けば聞くほど悩みが増えていくのではないか。 辛く大変だけれども、自分の体に十分気をつけて、与えられた尊いいのちを育み育てる恵みを感謝して、パパにも協力してもらいながら、それは絶対必要だからよく話して理解してもらうよう頼むほうがよい。 話しはまだ続きましたが、昼前になり講師接待のため中座でした。ともかく悩みをだれかにしっかり聞いてもらえれば、問題は解決すのではというところで失礼しました。 牧師の出番はそこからです。お話をよくお聞きし、心を一つにして祈るとき、人知をはるかに越えた神の平安が心と生活を守ってくれます。 神様。夜泣きする赤ちゃんをお守り下さい。若いママにも豊かな平安と守りがありますように、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。 ありがとうございます。赤ちゃんの夜泣きが守られました。豊かな平安が与えられました。感謝します。ハレルヤ。マルコの福音書10:13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。 10:14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 10:15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」 10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
2010/04/20
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新米ママからの悩みをお聞ききしました。子育てのベテランママや、同じ悩みを持つ方からアドバイスをコメントお願いできればと願っています。 何しろ子育てをしたことがないので?具体的なアドバイスが欲しいと思っています。 「今、息子のことで悩んでいて今週で8カ月になりますがこの8ヶ月間いちども夜通し寝たことがなくて夜中も2時間おきくらいにおきてきます。 朝も4時半とか5時には起きてきて私は精神的にもつらくてお昼寝も30分しかしなくて、こんなに地獄のような拷問がいつまで続くのか本当に悩んでいます。 良いといわれることはいろいろためしてみましたが、なにも効果はなく泣けてくるときもあります。 この試練を乗り越えれるように忍耐と体力を与えてほしいと祈っていますが毎日1日が長くてつらいです。 こういうときはどのように祈ればいいか教えていただけないでしょうか。あまりにもつらくて、子供を産んだことを後悔することさえあります。 寝不足がこんなにつらいとは思わなかったし、寝ていないだけ落ち込んでしまうし、さらにつらいのはほかの同じ年齢の赤ちゃんたちはほんとうに夜は寝る子ばかりでなんでうちだけ?って、どうしても比べてしまいます。みなさん育児を楽しんでいるかたばかりなのに、私は辛すぎて楽しいとはいえません。周りからもあともう少しの辛抱といわれますが、その言葉はもう聞きたくないほどです。 どのようにしたらいいか、何かアドバイスいただけないでしょうか」メール;elimyoshi@kcn.jp詩篇8:1 私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。 8:2 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。 8:3 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、 8:4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。 8:5 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。 8:6 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。 8:7 すべて、羊も牛も、また、野の獣も、 8:8 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。 8:9 私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。
2010/04/20
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日曜日の最後の礼拝は堺エリムキリスト教会です。午後5時30分~6時30分の礼拝です。 昨日は礼拝前に東京のリゾート会社から電話があり、軽井沢のホテルに二人一泊500円招待がきまったとのこと。条件は90分間、リゾートホテルの説明を聞き、できれば申し込んでほしいらしい。23日(金)で残念ながらキャンセル。 礼拝前に可愛いお嬢さん(4年生)を連れたお母さんが牧師に会いたいと訪ねて来て、すぐ帰ると言うので教会玄関前で祝福を祈り、イエス・キリストを信じ心に受け入れる祈りをともにすることができた。 しばらくするとまた美しい母親と中学生の可愛いお嬢さんが、コミック「歌えない、踊れない、牧師物語」がポストに入っており、それを読んで教会を訪ねてくれました。テレフォンメッセージも毎日聞いており、礼拝後に話をお聞きし、アーメン信じますと祈ってくれました。 堺エリムは3月1日付けで、3年間無償の礼拝堂提供が終わりでしたが、すごい恵みで無償で使用継続させていただいています。 オーナーの大きな愛と決断で覚書をいただき、契約期間を平成23年2月28日まで延期されました。さらにお互いの意思表示がない場合には、本契約はさらに1年間の更新をするものとする。その後も同様とする。と結ばれています。 そんな覚書をいただいた礼拝に、マンガを見て、また前に配ったパワーフォーリビングを読んで教会来られた方があり、しかもふた組の親子ともども、イエス様を心に受け入れ、信じる祈りをともにできたことは、この上もない喜びでした。 神のなさることはみなそのときにかなって美しい!(伝道の書3:11)から感謝です。 今日から生駒聖書学院のチャペルが午前8時始まりです。今までは8時30分でしたが、夜の音楽の授業を午前中にしたので、授業が午前中3時間になります。 今朝は副院長が大阪朝祷会に招かれメッセージです。大阪朝祷会ではいつも生駒聖書学院のために祈ってくださり感謝しています。今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。詩篇 118:21 私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。 118:22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。 118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 118:25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 118:26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。 118:27 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。 118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。 118:29 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
2010/04/18
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昨日届いたお便りです。 本を送ってくださって心からありがとうございます。 神様が今どうしても読む必要がありますよ・・・・と、そっと先生の愛の手を通して、私にプレゼントしてくださったんだと確信しています。 いただてからこの一週間、時間を見つけては読み返し、どこに行くにも持って行きました。はじめは読んだら教会の求道者の方にさしあげよう・・・・と思っていたのですが、私に必要でした。 今朝、雷の鳴り響く中、雷に負けない声で鳴き叫びました。「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを知っています」そのみことばを心から告白しました。 =詳しい事情が書きつづられ、悲しい?嬉しい!どうにもならない!感謝?プライバシーでブログにかけませんが= 何とも言えない思いの中・・・・そんな中で先生の本をひたすら読みました。神様に委ねます。最善がなされますようにと、心から今朝宣言できました。 愛・輝きに向かっての書中の、「希望に向かって」の山本周五郎のメッセージは本当にそうです。アーメンと言いつつどれほど読んだでしょうか。 特に、この本を今いただけた恵みは大きいです。ありがとうございました。 まだ一度もお会いしたことのない牧師ですが、もうお便りでは10年以上のお付き合いです。大きな試練を通られましたが、そのたびにみことばと聖霊の助けにより祝福されておられます。 ただお祈りさせていただいたり、その都度みことばをお送りするだけですが、常に大きな愛の手と恵みの中で、主に仕え続けておられます。 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう」(ヘブル13:5-6) 昨日も今日もいつまでも変わらないイエス・キリストは生きておられ、常に助け励まし慰め勇気を与えてくださいます。 いつまでも変わらない信仰と希望と愛のときめきを持つ時、新しいいのちのエネルギーがわいてきます。聖霊の助けが常にある恵みを感謝します。 またいつも聖霊の臨在のあるところに身を置くことも大切です。喜びのエネルギーにあふれる場に出かけ、そんな方たちとお交わりするだけでも元気になれます。キリスト教会の礼拝は最高の場です。聖なる喜びと平安、感謝が満ち満ちています。 また、自分から良い場を作ろうと努力もしてみましょう。誰かが喜びを持ってくるのを待つのではなく、たとえ病床でも試練の中でも、少しでも感謝したりほほ笑んだりはできると思います。 聖書には、すべてのことについて感謝しなさいとあります。何が何でも良いことが起こらなければ感謝できないなんて思わないで、雨の日が必要なように、人生には悲しいことも憂いもあるし、それがあるからこそ深みのある感謝が生まれてくるのです。 アラビアに、「日照り続きは砂漠になる」ということわざがあるそうです。何が何でも明るく積極的にと無理すると、それがストレスになることもあります。 寂しさや悲しさ、辛いことや苦しいこと、喜びも悲しみもときめきも、全部愛されているんだと受け止めてしまえば幸いですね。それらをしっかり見つめて、人のせいにしたり、自分を責め過ぎたりせずに、あるがままですべてを感謝して、今日もまた天国の一日です!と過ごしたいものです。祝福を祈ります。詩編34:1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。 34:2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。 34:3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。 34:4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。 34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」 34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。 34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。 34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 34:9 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。 34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。
2010/04/18
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神学生のブログを紹介します。こんにちは。渡邉恵です。 旅の疲れで何日もぼっとしていましたがやっと体が元気をより戻しつついます。 新学期早々色んな行事が重なり目まぐるしい日々です。 IT授業、朝の猛声祈祷とまだ慣れてない頭と体で、行事をこなすのにバタバタしています。 久しぶりに目を通してみた新聞には、子供の虐待の話が出ていました。 その記事を見たとき、沖縄で会った学院の先輩牧師を思い出しました。 学院に入り1年の5月の連休に、院長先生を含め4人で沖縄の集会に行きました。 始めて行った沖縄で二人の素敵な牧師先生に会いました。その中の一人がS先生です。S先生は事情があって親が育てられない子供5人の里親をしています。 短い時間を過ごしましたが、とても楽しい時間を過ごしました。 そして、学院に帰ってから先生の講演会のCDを聞き、とても感動しました。 血のつながりがない家族でも愛で結ばれると、素晴らしい家庭になることを訴えています。 講演の内容でS先生の3番目の里子の話を聞くたび、いまでも涙を流しています。 施設の連絡で里子を迎えに行きました。男の子だと聞いていたのに長い髪をした虫歯だらけの1歳ぐらいの小さい男の子に会いました。 「こんにちは。」と先生夫婦が挨拶をすると、その3歳の男の子がだみ声言いました。 「お前殺す、お前死なす」 その子を家に連れて帰り、夜、電気を消して寝かせようとしたとき、その子が突然、叫びだしたのです。 うああああ、たたかないで、 びっくりして、その子のシャツを脱がしてみると体にはあざだらけでした。そして煙草で焼かれた後まであったのです。 それを見たとき、その小さい子供が味わったはずの恐怖を思い、憐れみで涙したそうです。 その日からS先生の奥さんはその子を添い寝しながら、「君は愛されるため生まれた」という歌を歌ってあげました。 君は愛されるためうまれた。君の人生は愛で満ちている。・・・・・・・・・・・「生まれてきてありがとう。」 その日からその子の回復が始まったと言っていました。 新聞の2件の児童虐待の悲しい知らせを読みながら、今もどこかでこのようにまた理不尽なことが起きていると思うと心が痛みます。 愛され、愛されるために生まれた一人一人が本当の愛、イエスキリストの愛に出会い、新聞でこれ以上悲しい記事を読まないよう祈ります。ヨハネの第一の手紙4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。 4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。 4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。 4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。 4:15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。 4:16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。 4:17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。 4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
2010/04/17
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孫が四人。13歳の長女、5歳の次女、2歳5カ月の長男、11か月の次男とにぎやかです。小さい子たちからじい!じい!と呼ばれ、抱きつかれたり、おんぶをせがまれたり、かくれんぼしようと隠れる所もない狭い家の中を動き回りました。 カニを御馳走しようと買いに行き、冷凍カニばかりで、美味しい食べ方を説明してもらい家で食べました。やはりカニ道楽で食べたほうが格段に美味しいけれど、1歳や2歳の幼児連れでは店にも迷惑。孫たちの相手をする夜のひと時でした。 韓国のIT先生も夕食にお招きし、楽しいひと時を過ごし、あっという間の熟睡で目覚めたら朝の5時! ハレルヤ!今日もまた天国の一日です!と言いながら窓の外を見ると、明るみ始め雨も上がっている。再度、ハレルヤ!今日もまた天国の一日!感謝しますと叫びました。 今日はブライダルの式を依頼され、片方の家族は初めてキリスト教に触れる方たちばかりで、両家とも在日韓国人で、新郎・新婦とも3世と四世。 大雨だったら恵みが振り込む(これはことばの綾ではなくほんとうのことだと、自分の結婚式で体験しています。46年前の4月29日に生駒聖書学院での式でした。学院の芝生の庭を長靴をはいてチャペルへ行くほどの大雨で、その日から今日まで恵みの連続です)と、どんなときでも祝福があると語ろうと思いながらも、主よ!明日の晴れやかな日ですので、二人のために良いお天気にしてくださいと、祈りつつの安眠のときでした。 祈っても祈らなくても晴れる日は晴れるし雨の日は雨ですが、やはり心の願いを真の神の前に祈る時、不思議に心は穏やかになり、平安の中に守られるものです。 晴れの日は動物にとっては最高の恵みの時で、祝いの晴れやかさが輝くときです。 雨の日は植物にとって最高の恵みの時、ひと雨ごとに生駒聖書学院の周りの野山も緑に染まり始めています。 雨でも晴れでも天国の一日!神様の贅沢な恵みの一日です! 矢田丘陵を染めて朝日は輝くと、やはり嬉しい結婚式の司式の朝です。結婚する二人とキリスト教に初めて触れる家族の救い、そして幸せと祝福を祈りつつの朝です。マタイの福音書19:4 イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、19:5 『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。19:6 それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」 伝道者の書4:9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。4:10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。4:11 また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。4:12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
2010/04/17
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ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。今朝もこれから神学生たちとともに、猛声の祈りです。 主の祈りは模範的祈りで、徹頭徹尾嘆願の祈りです。 ルカ11:5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。11:6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。11:7 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』11:8 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。11:9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。11:10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。ルカ18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」ルカ23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 マルコ11:22-24 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。:まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
2010/04/16
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聖書のことばは生きていて力があり、本気でアーメンと応ずるなら書かれている約束は実現します。 それがたとえ30秒であろうと、3時間の祈りであろうと、偉大な神はご自分の語られてとおりにお答えくださいます。 先日、開拓教会(滋賀県守山市)の献堂式説教を依頼され出かけました。駅前でテナントを借りて礼拝をしていましたが。契約切れで立ち退きを要求されました。 「わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう」(詩篇81:10)との約束を信じ祈り始めました。 また、「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ8:32) 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」(エレミヤ33:3)と、聖書の約束を握って祈りました。 人間の行き止まりは、神様の始まり、聖霊の恵みの御業がスタートします。不可能は挑戦となり可能なります。すべての可能性が輝き始めるチャンスです。 先々代から先代がクリスチャンで、キリスト教会がその地域に建つことを祈り、家庭集会を続けていた家があり、いまは空き家になっている家を紹介されました。 敷地が200坪あり、80坪の家でした。格安で提供してもらい、20台駐車できる新しく改装された礼拝堂で、晴れやかに賛美し喜ぶ姿に触れ、神の栄光のすばらしさに感動の献堂式でした。 偉大な神の子どもとされて、大きなことを神に求め期待することは、恥ずかしいことでも罪なことでもありません。 近鉄奈良線富雄駅には毎年ツバメが巣を作ります。雛がかえると親鳥は忙しくえさを運びます。そのとき最初にえさを食べることができるのは、誰よりも先に大きな口を開けている雛だそうです。自然の摂理のすばらしさでもあり、同時に厳しさでもあります。 それはまた、信仰生活の法則でもあるように思います。求める者に聖霊をくださり、従う者に祝福を与えてくださいます。聖書の世界はヒューマニズムの世界とは異なるようです。 「あなたの口を大きくあけよ。私がそれを満たそう」 口を大きくあけないとツバメの雛が餓死するように、クリスチャン生活も聖書も読まず、祈りもなく沈黙すると命が縮みます。 わずか30秒でも(いや1~2秒)でも、純粋に素直にアーメンと祈るとき、奇跡は起こるのです。 長い時間の祈りや断食、徹夜、早朝祈らなければならないという教えを聞くこともあります。 それはそれで素晴らしいことですが、心と行いが伴わなければ、絵に描いた餅です。何の変化も喜びもなく、何時間祈れたと自慢したり、祈れない人を裁いたりしてしまいます。 祈りをほんとうに聖書に書いてあるとおりに実現するアーメンの祈りを、聖霊は励まし助けてくださいます。 今朝は、これから生駒朝祷会です。お握りを個、ゆとりの一万歩でコンビニまで買いに行きます。お祈りの後で参加者一同とともに美味しい朝食のお交わりです。 今日は午後3時より、大阪上本町六丁目のシェラトン都ホテル喫茶室で、楽しい聖書の集いもあります。コーヒー代だけの参加費です。お近くの方お出かけください。 偉大なる祈りは、神をたたえ神の偉大なる栄光を輝かせます。偉大なる祈りは、神の御業を拝します。偉大なる祈りは豊かな喜びをもたらします。 今日もまた天国の一日です!感謝します。「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ2:20-21)
2010/04/15
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今朝も、今日もまた天国の一日です!と、元気で目覚め幸いなスタートです。 ラジオ放送希望の声希望の声を群馬県で聞いておられる方から、テープの便りが届きました。なかなかテープを聞く時間がなく、今朝初めて聞きました。長いテープ相談で、父親(目が不自由で見ることができず)と娘(40代で心身障害)さんとの二人暮らしとの説明が、しっかり語られています。 娘さんは高校時代にいじめに合い、それが直接の原因かどうかは別としても、40代の今までいじめた同級生を恨み続けているとのことです。 娘さんの世話がなければ生きていけない悩みもありますが、娘さんからの手紙と父親の長い声の便りでした。いまやっと聞くことができ、遅い便りになり申し訳ないと思いながら、今日中に便りをしたためたいと思っています。 ラジオ放送で、お便りをいただいたら短くても祈りますと語ったので、祈ってくださいとの便りでした。お手紙が届いてから父娘のために祈りました。テープを聞くのが遅れて申し訳ないと思いながら、悲痛な叫びを朝の静かな時間に聞き終えました。 そのテープの中に、人を恨み憎むことは、もろ刃の剣であり、いけないことだとわかっていても、恨みや憎しみを捨てられない娘さんへの、訓戒が語られていました。恨んではいけない、憎んではいけないと毎日のように娘さんに語り続ける父親の切なる声を聞きながら、心から祈りました。 理屈では分かっていても、人に言われることはもっともでも、かえって20数年同じことを言われ続け、さらに心の痛みが深まりゆくのではないかと涙する朝です。 なぜ?のクェッションマークには答えがないといつも思っています。なぜいじめられたのか? なぜ心身障害になったのか? なぜ? なぜ? なぜ? 疑問だらけの日々が続き、まるで蟻地獄のように、もがけばもがくほど悩みは深まります。 驚き!のビックリマークを持つと、不思議に事態が変わり始めます。ワッと驚き、ありがとうございます。理由は分かりませんが感謝します!と、すべてのことを真正面から受け止めるとき、新しい変化が起こされます。 理髪店で奥様のやっていた刺繍を見た時、裏から見ると糸の山でした。表を見たらすばらしい風景画が・・・・。散髪をしてもらいながら聖書のことばが心に響きました。 エレミヤ書29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 29:12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。 29:13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。 29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。――主の御告げ。――わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。――主の御告げ。――わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」 神は愛です。信じる信じないはその人の考え次第ですが、愛の神が、自分の人生に計画を持っていてくださる幸いです。それは災いではない。そのことばの衝撃は40数年経っても変わりません。 人間のすべての災いを十字架上に背負われただけでなく、それはわざわいではないと正面から語りかけてくださる愛を、まっすぐにアーメンと受けました。神の全能の愛は、裏ばかり見ていた恨みの人生をひっくり返してくれました。糸の数が多ければ多いほど、刺繍の表が美しく彩られるように、イエス・キリストの十字架の死ですべてが葬り去られ、復活の命により新しい人生を生きる幸いが与えられます。 25歳で人生のすべてを肯定することができました。詳しくはコミック=歌えない、踊れない、無口の牧師物語や、サバンナに愛の光、永遠に、あるいは自叙伝、天の虫けらに書いてあるとおりの恨み人生でした。 イエス様の十字架を信じ、聖書の言葉にアーメンと素直にビックリマーク!として受け止めた日から人生は変わりました。心のどん底から、すべてのことに(真の神がわざわではない!と保証してくださったので)感謝する人生を、感謝しつつ今日もまた天国の一日ですと、宣言しつつの日々です。 反論もあるかと思いますが、胎の底からの変化をだれでも、イエス・キリストにアーメンと言えば、聖霊が助けと力を与えてくださいます。伝送者の書3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。ローマ人への手紙 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。コリント人への第一の手紙4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2010/04/13
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12日(月)午前10時より、生駒聖書学院60期生入学式でした。 複学を含めて12名(男子7名、女子5名)が献身の思いも新たに、神の召しを受けて聖霊の隣在の中で賛美し礼拝をささげました。 前田基子副院長の指名で12名全員が献身の決意を輝きの顔で表明、参列者からの喜びの拍手に包まれた感激の式。 教授陣や出身教会牧師より、みことばによる祝辞を受けた後、学院長としてのメッセージで、福音を恥とせずとのメッセージを語りました。 明治維新の立役者、坂本竜馬の、日本を今一度洗濯いたし申候 世に生を得るは事を成すにあり! 何の志ざしもなき所に、ぐずぐずして日を送るは、実の大馬鹿者なり。 たとえ途中で死ぬとしても、その時は、目的に向かって前向きに倒れたい。 西郷隆盛の、今は日本中が雨漏りしている。 命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末にこまるものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬものなり。 聖霊とみことばに満たされ、イエス・キリストにすべてを捨てて、自我を砕かれ、自分に死に切って献身に道を、今日もまた天国の一日です!と告白しつつ進もうとチャレンジし、献身を励ます時でした。ルカの福音書9:23 イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。ガラテヤ人への手紙2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。 今年度の特徴は12名中、6名韓国籍の献身者であり、出身教会もバプテスト教会からの4名、改革派神学校からの転学、オープンバイブル教団、諸単立教会等からの献身入学、複学などで総勢26名になり、今日より、早朝5時起床の猛声祈祷が元気に響く春の朝です。 体験入学生や聴講生も歓迎します。生駒聖書学院の日々を体験なさってはいかがですか?歓迎いたします。」 4月29日(祭日)午前10時~12時、三谷康人氏を講師に、逆転人生からと題して聖会が開催されます。 午後1時30分より同氏を囲んでビジネスマンの立場からの日本伝道懇談会も行われます。ご参加歓迎します。 ローマ人への手紙12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。 12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、 12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。 12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。 12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。 12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。 12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。 12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 12:16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。 12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。 12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」 12:20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 12:21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
2010/04/13
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昨夜、南千里救急救命センターからの帰路、高速で携帯が鳴り続け、様態が悪化したのかもと思い避難帯で電話をとりました。 新入生からで部屋へ入ろうとしたらカギを忘れ入れないとの悲痛な声。荷物だけは先週運び込んだが、そのときカギを部屋に忘れたまま閉めたらしい。 珍しく副院長もいないので大騒ぎになっている様子が電話からも伝わってきます。安全運転で11時前に帰着。お急ぎで女子寮へ。ドアを壊すしかないかなと思ったがスタッフがやっと開けてくれ一安心。 昨日は朝から、だれも閉じることのできない門(黙示録3:8)のメッセージを語っていたので、最後はみんなで大笑いでおやすみなさい。 夕食も食べていなかったので何か食べようかと思ったが、もう真夜中12時前。そのまま食べないでシャワーを浴びて、今日もまた天国の一日でした!と爆睡。 今朝の目覚めは午前5時前。巨もまた天国の一日です!と飛び起き、祈りつつ雨のなかをうとりの一万歩。 メールもいっぱい入っているが、質あ問には答えないまま返信だけなんとかする。これから新入生の教会や友人・家族が式に集ってくれるので歓迎の出迎え。 12名の新入生や複学生を迎え、式の前に少しだけのオリエンテーション。出身教会牧師や教授、家族や友人たちも来るので大勢の入学式になりそうです。 礼拝後は恒例のランチ・バイキングでレストランへ。午後からはラジオ放送聴取者訪問を予定している月曜日の朝です。コリント人への第一の手紙 1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」 1:20 知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。 1:21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。 1:22 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。 1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、 1:24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。 1:25 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。 1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。 1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。 1:31 まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。 2:1 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。 2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。 2:3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。 2:4 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。 2:5 それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。
2010/04/12
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イースターの朝早く、生駒山麓公園の桜の下を歩いたがまだ6分咲き。今日は昼から滋賀県守山市まで出かけるので、朝早く起きだし山道を山麓公園へ再び。 だれもいないと思った早朝、カメラを構えた男性が、そぼ降る雨の中で咲き誇る満開の桜を撮っている。挨拶の声をかけるともうすぐ日が昇るのに今朝は雨で残念。この満開の桜に朝日があたると最高だったのにと、しばらく桜の話にも花が咲く。 山道を歌いつつ朝の礼拝、昼からの献堂式メッセージを黙想し、帰宅したらゆとりの一万歩達成。遠方へ行くときはパーキング・サービスで歩数をかせぐが、今日は朝飯前?に達成。 ジーザスハウス守山教会(山本祐造牧師)は、ビルのテナントを借りて礼拝を行っていました。昨年5月と9月に講師を招いて、「教会建設セミナー」でチャレンジを受けました。 ところがその10日後、突然、テナントを10年4月末契約切れとのことで、真剣に物件を探し始めました。 守山市内牧師祈祷会で、60年前から30年間、「アーメンのおばあちゃん」と親しまれた先々代と先代が生活し、礼拝がなされていた家を紹介されました。 現在の共有所有者にはクリスチャンもおり、教会のするならと喜んで譲ってくださり、主のよって備えられた土地に移転が決まりました。 改装工事も完成し、今日午後3時よりの会所式となり、メッセージに招かれた次第です。 生駒聖書学院卒業生たちが、ほとんどゼロスタートでの開拓伝道(働きながら)ですが、毎年のように教会献堂の祝福が与えられることはすばらしいことです。 ジーザスハウス守山教会;山本祐造牧師 524-0045 守山市金森町776 電話;Fax.077-582-9431路線バス;JR守山駅3番乗り場杉江循環。金森町? 14:30分に乗れば3時に間に合います。 今日は途中、栗東市で警備保障会社勤務の男性と面談し、開所式にもお誘いするつもりです。 毎日、いろんなこと、いろんな出会いがありますが、すべてのことに心から感謝し、平安と赦しと愛の中で、ありがとうございますと喜びつつ、今日もまた天国の一日です! 明日は、午前10時より生駒聖書学院入学式。新入生の祝福を祈り待っています。詩編42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。42:2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。42:3 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中「おまえの神はどこにいるのか。」と私に言う間。42:4 私はあの事などを思い起こし、御前に私の心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。84:4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。セラ84:5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。84:7 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。84:8 万軍の神、主よ。私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ。耳を傾けてください。セラ84:9 神よ。われらの盾をご覧ください。あなたに油そそがれた者の顔に目を注いでください。
2010/04/11
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昨日は、奈良県安全協会・安全運転学校で丸一日を過ごしました。 2月に阪神高速道路でスピード違反。運転免許を4月9日から30日間の停止処分になり、短期講習の一日でした。午前中講習の後、40問の試験で85点が合格点。午後4時には運転免許停止等の期間短縮日数29日通知書とともに免許が返却され感謝でした。 ここをよく注意するようにとルールとマナーブックを読みながらの講習。 このことは書いていないが必ず試験にでるから良く聞くようにと、参加者全員が免許停止が一日で終わるように話続ける。 免許を返却されても今日は無免許だから、絶対運転しないようにと講習中も、免許返却時にもくどいほどの注意。真夜中の12時で明日になったらOKとも繰り返しの注意。それでも講習の帰りに駐車場に走り運転して帰る人も数人いるので、驚きながらゆとりの一万歩で帰る。 何でもそうだが、当たり前ではなく、運転も振り返って見ることも大切だと痛感。講師が開口一番、基本を忘れるな!認知、判断、動作が自動車運転の基本だ。 運転する前に夫婦喧嘩はするな。怒りやあせり、おごり、睡眠不足、風邪薬なども眠たくなるから運転前には、日ごろの健康管理も大切と強調。 最大の問題は飲酒運転で、昨年の免許停止者が8000人以上あり、講習の終わりに飲酒運転の悲劇をドラマ化したビデオを鑑賞。 長い講習からの帰りに、田原本から初めて乗る王子線で、信貴生駒線に乗換て約一時間で生駒駅。帰宅したのは午後6時前でした。 今日は伝道師の引っ越しと、歯科医に行くため堺市まで。 明日はジーザスハウス守山教会(守山市金森町776 電話;077-582-8431 山本祐造牧師)で、午後3時より献堂式説教のため、朝の礼拝後出かけるので、免許一日停止処分に感謝です。 運転することも当たり前ではなく、基本を忘れないで平安・安全運転を振り返りつつハンドルを握ろうと思う朝です。 同時に赦される(処分済み)になったことを感謝するとともに、イエス・キリストの十字架と復活の福音をアーメンと信じるだけで、すべての罪が赦される幸いを、もっと多くの人々に伝えたい情熱をと祈る朝です。ローマ人への手紙 3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。 3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。 3:26 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
2010/04/10
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インプラント歯科治療も終わり、明日最後のチェックを受けます。昨年6月より治療がスタートしたので10カ月間の忍耐でした。 やわらかい物を食べるようにとのことで、それでも松阪牛の肉をいただいたり、串カツを御馳走になったりもときどきありました。治療が終わると少しはかたい物も良く噛んで食べるようとのアドバイス。自然のままが一番ですね。 昨日は午前中、振り込みで郵便局や銀行、メール便でコンビニ、市役所や、来週の結婚式の写真を頼まれたので、あさひフォトスタジオで予約。一昨日と違って汗ばむほど。美味しい物でもとデパートにも入ったが、何も買わずに一回りしただけで、家に帰った時は、ゆとりの一万ぽを超えていました。歩いてる途中知り合いから電話があり、今歩いている姿を見ましたよとのこと。少しだけポスティングもしながら、一石二鳥の歩きです。 二時過ぎに加古川市まで出かける。高速運転中何べんも電話があり、サービスエリアに立ち寄り返信。いずれも深刻な話ばかり。話が長引くものもあり、4時過ぎに目的の店に到着。 用件だけを伝え、洗礼の約束をして帰りに店の高級肉を生のままでいただく。冷凍もしていない、しっかり味付けした肉なので帰ったらすぐ食べてくださいとのこと。 帰り道に知り合いのキリスト教会が見えたので立ち寄るが、牧師は出かけているとのこと。コミックと愛・輝きに向かってを贈呈し、加古川バイパスから神明道路、阪神高速、第二阪奈、そして阪奈道路経由で帰宅。 さっそく、いただいた焼肉を美味しくいただく。やわらかく味付けもすばらしく、焼肉店の繁栄を祈りながらの夕食でした。今日は、今から生駒駅まで歩き、夕方まで出かけます。献身入学生たちも荷物とともに到着する日です。新年度入学式を楽しみに待つこのころです。 今日もまた天国の一日です!感謝します。ヘブル人への手紙 5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。 5:8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、 5:9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、 5:10 神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。 5:11 この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。 5:12 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。 5:13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。 5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
2010/04/09
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あおによし奈良の都は咲く花の薫うがごとく今盛りなり 奈良は桜の名所、奈良公園や吉野の桜花は、「あおによし奈良の都は咲く花の薫うがごとく今盛りなり」と、今が最高の見ごろです。 今の時期、ゆとりの一万歩は歩けても、桜の下での花見のゆとりはありません。それでも近くには桜の名所が二つ、三つあります。 一つは山麓公園です。11日の日曜日くらいが満開で、朝のゆとりの散歩で歩こうと思っています。家の裏から坂道ですが2000歩ほどのところです。 もう一か所は、飯盛霊園です。歩くと7000歩ほどですが、車ですぐなのでここは自動車を使います。守口・門真・寝屋川・枚方四市の大きな公営墓地です。桜が若いこともあり花に勢いがあり、吉野の桜よりも見応えがあると思いながら、桜の並木の下をドライブで桜見物です。 西行法師の晩年の歌です。 「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」(山家集)「ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比」 (続古今和歌集) 飯盛霊園がこの歌を思いつつ桜並木を作ったのではと思うようなきれいな所です。 人は死ねば墓に葬られます。そこで終わりなら悲しい人生です。 聖書には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」とあります。 1800ページ(新改訳聖書)もありますが、それを集約すると、上記ヨハネの福音書3章16節になります。 またヨハネの手紙には、「なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(4:6-8)とあります。 十字架上で全人類の罪を背負い、罪の報酬である死を味わい、墓に葬られ、3日目に復活した主イエス・キリストを、アーメンと信じるとき救われます。桜の美しい季節、イースターの輝きの中で、いまも変わらず生きているお方を心の戸を開いてお迎えください。そのときから美しい人生が花開き始めます。 この地上のいのちが終わると永遠の天国に迎えられる約束を、真実にアーメンと信じているのがクリスチャンたちです。 大好きな聖歌を桜の下を歩きながら、天国を思い口ずさむ春の日々です。み空の彼方 かしこには楽しき住まいありて世の悩みにも 嵐にも乱さるる憂いなし楽しき国よ 慕わしき家よかしこはつねに空はれてむら雲のわく日なし み空のかなた かしここそ花かぐわしく咲きていのちのこのみなるところそこにわが友は住む楽しき国よ 慕わしき家よかしこはつねに空はれてむら雲のわく日なし み空のかなた かしこにてわれらの慕とうイエスを雪より白きみくらいにしたしくあおぎうべし楽しき国よ 慕わしき家よかしこはつねに空はれてむら雲のわく日なし み空のかなた かしこにはまどいの雲もあらずきみの笑顔のかがやきに憂いのやみもあらじ楽しき国よ 慕わしき家よかしこはつねに空はれてむら雲のわく日なし ヨハネの福音書14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」 14:5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
2010/04/08
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一日の終わりとともに、今日もまた天国の一日、神様の贅沢な恵みの一日でした!と感謝して熟睡の日々です。 朝の祈り=詩篇5:2-3 私の叫びの声を心に留めてください。私の王、私の神。私はあなたに祈っています。主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。 真昼の祈り=詩篇88:1-2 88:1 主、私の救いの神。私は昼は、叫び、夜は、あなたの御前にいます。私の祈りがあなたの御前に届きますように。どうか、あなたの耳を私の叫びに傾けてください。 夜の祈り=詩篇42:8 昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。 イエス・キリストのお名前によって祈る祈りは、いつでもどこでも祈ることができます。朝も昼も夜も、目をつぶらなければ運転中も、散歩しながらでも、声に出さなければ通勤中でも、仕事の最中でも祈れます。わずか1、2秒でも祈れるから幸いです。 その中でも夜は特別な恵みの時です。イエス様は、夜のときを静かな憩いの祈り、また夜を徹する激しい祈り、血の汗を流す祈りもなさいました。(ルカ6:30, 22:3-46. 詩篇67篇は、眠れない夜の暗黒の中で、神を深く思う祈りの詩です。 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。 心や魂ばかりでなく、身体もまた疲れと苛立ちで眠れない夜もあります。 深く祈りたいとは思いつつ祈ることもできない、苦しみもがく試みの夜です。夜が更けて行くが眠れない。その時こそ羊が一匹、二匹と数えるよりも、睡眠薬に頼よったり、何んで眠れないのかともがくよりも、イエス様のお名前によって祈る最善のときと思うことです。 床に就くときにも御名を唱え、あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。起き上がって跪かなくても、床に就いたままで良いのです。 それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。ベッドの上で両手をあげてギブアップ!真の愛である神様の御手にお委ねて感謝してみることです。 夜の深みの中で祈りも深まり、すべてのことへの感謝とともに、特別な幸いはとりなしの祈りの時となさったらいかがでしょう。 家族全員、親戚、友人知人、知る限りの方々の名前を思い出し、出会いを感謝し現在の祝福を祈ります。 憎しみや妬み、どうしても赦すことのできない人を思いながらでも、祈りの中で赦しを宣言してみたらいかがでよう。ともかく祈ってみるのです。それでも眠れなかったらどうするのですか?そのときはその時です!朝が来ました!今日もまた天国の一日です!と顔を洗って、眠れなかったけれど元気でスタートでき感謝しますと、眠れなかったことなど忘れてしまえばよいと思います。眠れなかったという意識に支配されないほうが楽しいと思います。 でもそう考え祈っているうちに、安らかな眠りがやってくることでしょう。復活の朝へと! 詩篇3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。 4:7 あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。 4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。詩篇[ 63 ] ダビデの賛歌。彼がユダの荒野にいたときに(新改訳)63:1 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。63:2 私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。63:3 あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。63:4 それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。63:5 私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。63:6 ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。63:7 あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。63:8 私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。63:9 しかし、私のいのちを求める者らは滅んでしまい、地の深い所に行くでしょう。63:10 彼らは、剣の力に渡され、きつねのえじきとなるのです。63:11 しかし王は、神にあって喜び、神にかけて誓う者は、みな誇ります。偽りを言う者の口は封じられるからです。63:1 【賛歌。ダビデの詩。ダビデがユダの荒れ野にいたとき。】(新共同訳)63:2 神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め/わたしの魂はあなたを渇き求めます。あなたを待って、わたしのからだは/乾ききった大地のように衰え/水のない地のように渇き果てています。63:3 今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み/あなたの力と栄えを見ています。63:4 あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。63:5 命のある限り、あなたをたたえ/手を高く上げ、御名によって祈ります。63:6 わたしの魂は満ち足りました/乳と髄のもてなしを受けたように。わたしの唇は喜びの歌をうたい/わたしの口は賛美の声をあげます。63:7 床に就くときにも御名を唱え/あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。63:8 あなたは必ずわたしを助けてくださいます。あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。
2010/04/07
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来週12日(月)は生駒聖書学院入学式です。13名の献身入学生を迎えます。復学生も一人ありです。午前中の学びですから、大阪や京都など通学生、聴講生も歓迎します。 また体験入学もできますので、お気軽に聖霊の臨在とみことばそのままに、昨日も今日もいつまでも変わらず生きておられるイエス・キリストとに触れる献身の場を味わってください。 種子島から生駒聖書学院に来て51年目の春を迎えています。神様の導きのすばらしさを、今日もまた天国の一日です!と高らかに宣言し続けている朝です。 書斎が東側に面しており、今朝、5時57分に矢田丘陵(生駒市と奈良市の間にある)を紅に染めて朝日が輝き、カーテンも開けたままの部屋にまぶしく差し込みます。 春だ!朝だ!自然に今日もまた天国の一日です!ありがとうございます。贅沢な恵みです。感謝しますと祈りの声も弾みます。 もしまだ献身をためらっているなら、ぜひ決断して生駒聖書学院へお越しください。 生駒聖書学院ホームページは、http://ibcelim.com/ ご連絡は、メール;elimyoshi@kcn.jp Fax.0743-74-7622 ホームページでは、インターネットでメッセージ(今週は詩編より)が毎日配信されています。 またブログ;http://my.plaza.rakuten.co.jp/?func=diary&act=writeも、毎日更新され、毎日550前後のアクセスがあります。今月は一回1200を越えました) テレフォン・メッセージ;0743-73-3740も毎日更新(2~3分メッセージ) 院長も副院長も教授陣も現役牧師で、机上空論に終わらない実践伝道牧会を毎日続けており、イースターにも洗礼者が与えられ、日本の福音化と世界宣教(院長はアフリカ宣教21年)のビジョンに燃えており、せその情熱はキャンパスにも満ちています。 今月29日(祭日)午前10時には、三谷康人氏をお招きし、「逆転人生とは!」と題する講演会を開催します。ぜひお出かけくださればとご案内します。 午後1時30分からは、伝道牧会懇談会を牧師・伝道師・神学生・教会リーダーの方々とともに、三谷氏を囲んで行い、率直なご意見を分かち合いたいと願っています。 いずれも無料参加(午前中の聖会は自由献金)ですのでお申し込みください。 すばらしい春の日に、イースターの喜び輝く朝です。今日もまた天国の一日です!感謝。サムエル記下23:2 「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。23:3 イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、23:4 太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』23:5 まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。23:6 よこしまな者はいばらのように、みな投げ捨てられる。手で取る値うちがないからだ。
2010/04/06
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昨日はイースター(復活祭)で、全世界のキリスト教会が、イエス・キリストの復活を祝いました。ことばを変えれば、イエス・キリストの死からのよみがえり=誕生日のお祝いです。イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じ主、今日も生きて働いているお方ですから。 今朝は、大阪朝祷会(大阪クリスチャンセンター)へこれから出かけます。祈りこそ、人と動物を分かつものです。祈りは人間の生活の基本です。 昨日の礼拝で司会者が終わりの祈りをし、アーメンと全員が唱和した瞬間、いただきます!というかわいい声がチャペルいっぱいに響き、思わずみんなに驚きの笑いと微笑みが広がりました。 まだ幼い女の子が叫んだ声でした。おそらくお腹もすいていたし、何よりもお家でアーメンと祈っていただきます!が、食事の時間だと思います。 昨日の女なの子ではありあせんが、幼いエピソードがあります。ママといつも教会に来ていた幼い子が、食事のときにお家で食べるとき、お祈りしないのはポチとパパだけねと。パパは恥じ入り次の日曜日からキリスト教会に行くようになりました。 祈りの手を合わせることが自然な習慣となる生活は幸せだと思います。 500年ほど前、ドイツにデューラーとハンスという美術工房で働く若い見習い職人でしたが、画家を目指していました。しかし絵筆をとる時間のないほど働かないと、生活もママにならない貧乏暮らしです。 二人は生計と画業の両立に窮し、「君が画家として成功するまで、自分が働いて支え、君が画家として成功した後、自分が絵の勉強をしよう。」と、ハンスが先にデユーラーの学資のために働くことにしました。 先に絵を学ぶことになったデューラーは、イタリアのベネチアで画家になるために一生懸命に勉強をはじめました。 ハンスはニュルンベルグに残り、鉄工所で働きながら、デューラーにお金を送り続けました。の生活を支え続けます 3年が過ぎ、デューラーの名はベネチアでも評判になりはじめ、作品も売れるようになり、今度はハンスの番だ!と、ニュルンベルグに帰ります。 帰国して2人が握手した時、デューラーはハンスの手を見て号泣します。なぜなら友の手は重労働のために変形し、絵筆が握れなくなっていたからです。 しかし、ハンスはデューラーのために祈り働き続けていたので、彼の成功を喜び涙しました。 デューラーはその愛に感動し、ハンスのごつごつとした手を「祈りの手」として描きました。これが有名な「祈りの手」と呼ばれるデューラーの代表作なのです。 ブログを書いている書斎にも、院長室にもその祈りの手が掛けられてますが、二人のエピソードを知るほどに感動と涙を禁じえません。 祈りの手は働く手であり、働く手は祈りの手であることを痛感し、どんなときでもたとえ30秒であれ、瞬間であれ、沈黙の祈りでさえもが尊い祈りであることを覚えたいものです。 長時間の祈りでなければ、ほんとうの祈りではないなどと軽々しく説教したり、自慢するところから解放されたいものです。 と同時に、主イエス・キリスト祈りに支えられ守られてることを覚え、私たちもまた友のために心熱く祈り続けたいものです。 主スイエス・キリストのお名前で、真実アーメンの祈りがなされ、ありがとうございます。祈れました!感謝しますの声が、全クリスチャンの口から告白される、今日もまた天国の一日です。ハレルヤ。ルカの福音書22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 ローマ人への手紙8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。ヘブル人への手紙7:24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
2010/04/05
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デッドエンドとは、行き止まり、袋小路のことで、。転じて先、将来の展望が見えない時に使われます。 今日はイースター、イエス・キリストの歴史的な復活を祝う日です。さまざまな行き止まり、袋小路があります。しかし、最高の行き止まりは死ですね。死ねば終わりと言いますが、聖書は死で終わりでなく、そこから先が二つあることを教えています。 一つは地獄です。そこが最終の行きどまりです。人はなぜ死を恐れるか?それは地獄があることを潜在的に知っているからです。死なんかこわくないと高言している人ほど、臨終で苦しみもがきます。罪の支払う報酬は死です。そこから先の救いはありません。変な教えに騙されて死後の救済のためにお金をだまし取られたり、精神的なストレスに落ち込まないように気をつけ、それらの類を言う人を信用しないようにしたいものです。 もう一つは天国です。イエス・キリストが十字架上ですべての罪を贖い、救ってくださいましたから、アーメンと信じるだけで、罪の支払う報酬の死からも解放され、永遠のいのちを持つ者となりました。 今日もまた天国の一日です!を合言葉に、この地上のいのち続く限り、平安と喜び感謝に満ち溢れて過ごすことができます。 あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。ルカ24:5,6 ひよこが卵の殻を破って出てくるように、キリストも死という殻を破ってよみがえられました。そういうことから、新しい命をもつ「卵」が復活のシンボルとされています。 イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりになって、十字架にかかって死んで下さいました。そして3日目に、死を打ち破って復活されました。 記録によると少なくとも500人以上の人が復活後のイエスキリストに会っています。 イエス・キリストの誕生はマタイとルカの福音書にかかれていますが、イエス・キリストの復活はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書に詳しく書かれています。 イエス・キリストの復活は、まぎれもない歴史的事実です。そしてイエス・キリストの復活が、キリスト教会の基礎となり、信仰の土台なのです。 すべての人間は、地上の生命が終わり、「死」を迎えデッドエンド、いや地獄です。 しかし、イエス・キリストの復活-「死」からのよみがえり-「新しい命」によって、「死」が一切の終焉ではなく、「死」の向こうに確かな希望、天国が持てるようになりました。 イエス・キリストの復活こそ、「罪」と「死」に打ち勝った、全人類に与えられた勝利です。 イエス・キリストを「救い主」と信じるなら、私たちもキリストのように新しい命に、永遠に生きることができるのです。 それだけでなく、イエス・キリストはきのうも、きょうもいつまでも変わることなく、聖霊によりアーメンと信じる者の心の中に住んでくださいます。 ですから、天国が心の中にあると言っても過言ではなく、朝ごとに今日もまた天国の一日です!と、肉体の命が続く限り、平安と喜びに満たされ、感謝しつつ生きていくことができます。 社会情勢がどのように厳しく、すべてがデッドエンドに見えようとも、復活のいのちのパワー、エネルギーがすべてを越えた勝利えと導いてくれます。 2010年のイースターの日に、イエス・キリストを心にお迎えくださり、天国に行く時まで、デッドエンドを出発点とする前進の幸せを祈ります。 「イエス様。信じます。いま私の心にお迎えします。どうぞお入りください。アーメン」 ヨハネの福音書 11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」コメント (0) | トラックバック (0) | | | goo
2010/04/04
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ゆとりの一万歩で、今日もまた天国の一日です!と祈りつつ、歌いつつ歩き続けて6年半になろうとしています。 まだ歩いたことがないところをと、毎日違う道を意識して歩きます。狭い生駒の町ですから隅々まで、駅までは3000歩、宮本書店までは5000歩、美容室までは7000歩。郵便局は1200歩、パン屋は1100歩、ローソンは900歩と、概数で距離を言うのであきれられたりです。 長年歩いているので、あっ、6000歩くらいだと自分の歩いている距離も分かります。万歩計を取り出して見ると、ほぼ予測した歩数に50歩も違わず、時にはぴったりの歩数で、自分でも驚く(ほどでもない?)ほどです。 初めての道を行くと、突然行き止まりになっている道があります。ドライブの時もそうですが、アメリカ・テキサス州サンアントニオでは、デッドエンドがものすごく多かったことを思い出します。 デッドエンドに直面したら、行き止まりになった所から回れ右します。塀を乗り越えたり、崖を駆け下ることはほとんどありません。当然と言えば当然ですね。ゆとりの散歩ですから。 牧師としていろんな相談を受けます。喜ばしい嬉しい相談もありますが、大体はデッドエンド、試練や困難、病や経済的な行き止まり、就職や結婚の悩み、千差万別ですが、多くの悩みがあり牧師のところにくるときは、ほとんどが行き止まり暗礁に乗り上げている時です。 そのとき、どんな状態のときでも行き止まりではなく、回れ右すれば出発点になることに気づいた方は、にこやかにほほ笑んでスタートできます。 聖書は、今までどうだったかを問いません。過去は過ぎさったのに、過去に支配されている限りデッドエンドは続きます。思い切って回れ右をしたらいかがでしょう。 イエス・キリストを信じる人生は、十字架のよりすべての罪も病も呪いも貧乏も、死さえもすべてがテテレスタイ!すべてが完了し、終わったとのことばどおり、アーメンと信じた瞬間、古いものは過ぎ去りすべてが新しくなったのです。 どんな問題であれ、行き止まりで思い悩にだり煩ったりしないで、イエス・キリストを信じしんなりして、回れ右で出発点にしたらいかがでしょう。 明日はイースターです。十字架上の死に、墓に葬られたイエス・キリストは復活し、今も変わらず聖霊によって働き、アーメン。信じます。私の心にお迎えしますと、素直に信じるとき、心の中に来てくださり、回れ右する勇気と力を与えてくださいます。 どうぞお近くのキリスト教会のイースター礼拝にお出かけくださり、回れ右の出発点のなさってください。富雄キリスト教会;午前10時礼拝=榮義嗣牧師メッセージ。生駒聖書学院教会;午前10時礼拝=榮義之牧師メッセージ。11時半よりインタネット配信。大阪ELIMキリスト教会;午後2時礼拝;榮義之牧師メッセージ。堺エリムキリスト教会;午後5時30分礼拝;榮義之牧師メッセージ。テレフォン・メッセージ;毎日メッセージが変わり24時間いつでも聞くことができます。38年間、毎日欠かさず新しいメッセージです。月曜日~水曜日=榮義嗣牧師 木曜日~日曜日榮義之牧師。留守の時は前田基子牧師メッセージで、2~3分)ABCラジオ希望の声;毎週水曜日午前4時35分(36年間続いています)ブログ=毎日掲載しています。昨日はgooが900を越え、楽天も200を超えていたので1150ほどのアクセスでした。これからもよろしくお願いします。テモ手への第一の手紙 1:11 祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、こうなのであって、私はその福音をゆだねられたのです。 1:12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。 1:13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。 1:14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。 1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 1:16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。 1:17 どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。
2010/04/03
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イエス・キリストの有名なことば=ゴールデンルールがあります。 「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者(全聖書の教え)です}(マタイ7:12) 「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです」(ルカ6:38) 「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」(使途の働き20:35) 最近読んだ、「脳に悪い7つの習慣」(林成之著)や、スイッチオンの生き方(村上和雄著)などにも結論的に言えば、ゴールデンルールを実行することこそが、脳にも遺伝子にも最高の変化を与えることだと理解しました。 特に村上和雄先生とは、まだ筑波大学を退官する前でしたが、二時間ほど一対一でお話を伺う機会がありました。 世界一の遺伝子研究第一人者から、遺伝子の持つ素晴らしさを分かりやすくお話くださり、人間の命の尊さをともに感動しました。 御著書も、命の暗号一&二など多数いただき、新著が発行されるたびに購入し、励まされています。 真の神をサムシンググレートと呼びますので、真の神とは具体的にお名前が分かれば最高ですねと言うと、科学者は特定の宗教を指定するようなことばを使わないほうが、多方面にわたって活躍できる?とのことです。 イエス・キリストは、「「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです」(ヨハネ14:6-7)と宣言されました。 また、「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)と明言されており、サムシンググレートが、主イエス・キリストであることは明確です。 そのことが明白になるとき、すべてがスッキリとなり、神の愛がイエス・キリストの十字架上に具体的に現わされ、人間のもつ最高の遺伝子(大百科事典3200冊分の遺伝情報)が、罪のために働くなっているのを購いだしてくださいました。 遺伝子研究によると、この世界に存在するすべてのもの(動物・植物も含めて)は、天地創造の真の神がおられることを証明しています。その創造主を聖書は、イエス・キリストだと明言しています。 「初めに、ことば(キリスト)があった。ことば(キリスト)は神とともにあった。ことば(キリスト)は神であった。この方(キリスト)は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方(キリスト)によって造られた。造られたもので、この方(キリスト)によらずにできたものは一つもない」(ヨハネ1:1-3) 「御子(キリスト)は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。 なぜなら、万物は御子(キリスト)にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子(キリスト)によって造られたのです。万物は、御子(キリスト)によって造られ、御子(キリスト)のために造られたのです。 御子(キリスト)は、万物よりも先に存在し、万物は御子(キリスト)にあって成り立っています」(コロサイ1:15-17) イエス・キリストを信じる人生は、すべてが十字架によって購われましたので、罪は赦され義と認められ正しく生きる人生ン変えられました。 また病もいやされ健やかに、呪いから解放され祝福の中を、貧しさから解かれて豊かに生きる楽しい人生です。 何よりも、死の力を持つ悪魔=サタンンは十字架によって滅ぼされ、死の力から救い出され永遠の命=神の命を与えられ、肉体の命=寿命の終わりとともに、永遠の天国へ召されるので死の恐れなく、平安の人生を喜びとともに生きることができます。 今人間として生まれ生きていることは、それだけで最高に幸せなことです。イエス・キリストの十字架の苦しみ=今日はキリストが十字架上で死なれた記念日=を覚える今日、その救いをアーメン信じますと言うと、墓に葬られましたが死を打ち破り復活し、きのうもきょうも同じ主イエス・キリストは、聖霊によりあなたの心に来て住んでくださいます。 そのときから、人間に与えられた全能の神のすばらしい能力で、明るく、楽しく前向きに喜びに満ちた、平安と感謝の人生を与えられます。 朝には、今日もまた天国の一日です!と喜びの目覚め、何事が起ころうとも、今日もまた天国の一日です。ハレルヤと笑顔で受け止め乗り切ります。 夜には、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。アーメンで安らかに熟睡。 スイッチオンの生き方の145ページから引用します。 遺伝子をオンにするための心構えというものを私自身の体験から振り返ってみたいと思います。それはには、三つくらいの条件があるように思います。一、高い志を持つということです。二、喜びを多くの人と共有するということです。三、自分たちの仕事が世の中のためになるという熱き思いや意識を持つこと。聖書イザヤ書32:8 しかし尊い人は尊いことを語り、つねに尊いことを行う。(口語訳) しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする。(新改訳) 高貴な人は高貴なことをはかり/高貴なことを擁護する。(新共同訳)
2010/04/02
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ピリピ4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 奈良市富雄で開拓伝道、路傍伝道。みことばを与えられ駅前で、トラクト配布ポスティング。必死で伝道を続けました。 道で踏みつけたトラクトで救われた統一教会に行っていた青年。 販売実績がストップして悩み苦しんでいたセールスレディは、ポスティングのトラクトを見て出席。その夜救われ、成績も向上しトップに。 見合いを30回近く経験し、住まいも決まっていたのに相手が決まらず、母親からお前は自我が強いから教会へでも行かなければ治らないといわれていて、会社帰りに駅前でチラシをもらい伝道会に導かれて救われた青年。救われて直ぐ結婚相手が決まり、富雄キリスト教会最初の結婚式。コリント人への第一の手紙9:16 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。9:17 もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。9:18 では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。9:19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。9:21 律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。9:22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。9:23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。教会堂建設マタイの福音書16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。テモテ第一3:15 それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。 富雄キリスト教会での開拓伝道当時、10帖一間の部屋で火鉢を囲んで家内と高齢の婦人3人で夜の集会。終わりかけた頃、ガラガラと引き戸を開け一人の青年が入って来た。 それから一ヶ月後訪問したら、その日の真夜中より連日の訪れ。ニコデモのように。。信じてバプテスマを受けクリスチャンになりました。 ある日、大工さんたちを連れて来て、屋根瓦を取り除け家を鋸で二つに挽き割り、10帖一間をブロックで30帖の大きさに広げ、あっという間に教会堂に変えてくれました。 さらに一年半後、富雄キリスト教会会堂建設へ。 その青年は,その後生駒聖書学院第二部を卒業し、現在は奈良市議を7期継続で福祉行政の専門家。奈良苑老人ホームやデイサービス。保育園などと大活躍中です。 そして今は、最初にいた高齢の婦人が住んでした家のあったところに、美しい礼拝堂が建設されています。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」との約束通りに。 現在は息子が牧師として就任。アンサンブル演奏をもつすばらし賛美の教会。老人ホームなどでも演奏活動をスタートしています。 アドナイルエは真実です。ピリピ4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
2010/04/01
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