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聖書の一言;ヤコブの手紙1:5\7 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。2006年になって、地下鉄御堂筋線あびこ駅東の奥中歯科医院へ行く。治療が終わり、歯科医と応接室で歓談。祈っても答えられないのは、なぜかとの歯科医の質問。疑うからやと答える。疑わないで祈るにはどうしたらいいかと質問され、さっと答えられなく沈黙のまま。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。それでも疑いが入るなら。アーメンと祈ったらすぐ、与えられました。答えられました。感謝しています。と言えばいいと答えました。歯科医からの帰路、長居公園までの一駅を歩きながら、私を大いに祝福してください。ヤ別の祈りを祈り、アーメン。ありがとうございます。大いに祝されました。感謝してます。ハレルヤと口ずさみ、今年でちょうど10年。ヨハネの第一の手紙5:14-15 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。アーメンは真実誠です。誠=言+成、本音の祈りが、聖書の約束通り成ることを信じてのアーメンです。交通事故91日目の朝です。事故当日、右足腿打撲なのに、救急病院で湿布もしてもらえず帰宅。就寝前に腿の表皮がめくれてしまい、強烈な痛み。主イエス・キリストのお名前によって直してくださいと祈る。アーメン。ありがとうございます。直りました。感謝してます。痛いと叫びそうになりながら、いた・・・感謝してます。直りました。ありがとうございますと告白。幸いです。平安ですと朝まで熟睡。今朝は、腫れも引いて左足と同じ大きさに近づいている。7月31日の種子島礼拝では、普通になるだろうと思いながら、全治5カ月になる交通事故の経験です。祈りや願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったことは、すでにかなえられたと知り、ありがとうございます。感謝してます。心安んじ、今できることを果たしていくだけです。今年も明日から後半に向かいます。半年間の恵みにここから感謝し、気力も充実の恵みの朝です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/06/30
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マタイの福音書7:7ー8求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば見つかります。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけだし、たたく者には開かれます。ありがとうございます。求めて与えられ、捜して見つかり、叩いて開かれました。感謝します。梅雨空の一日中。求め続け、捜し続け、叩き続けの人生。イエス・キリストの約束は、アーメンと信じるだけで、約束通りに実現。 今日も思い煩いも心配もなく、平安な気持ちで幸せです。天国は、いつまでも存続する信仰と希望と愛の国。その中で最も大いなるものは愛です。天国のことばは愛のことば。日本語は愛のことば。あいうえおで字を習い使います。あいうえ=愛上。愛が何時も上にある.あ=愛ありがとう。い=いのち生かされ活き活き生きる。う=嬉しい一日、天国の日。え=選ばれ神の子。永遠のいのちお=大きな幸せ。栄光の道。平安で幸せです。愛します。大好きです。嬉しい、楽しい、喜び、何をしても栄える人生。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/06/29
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マタイの福音書6:26ー34空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれどもあなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あんたがたのうちだれが、心配したからと言って、自分のいのちを少しでも伸ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、良くわきまえなさい。働きもせず、つむぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、明日は火の中に投げ込まれる野々の草さえ、神はこれほども装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらない訳がありましょうか。 信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものは異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であると知っておられます。だから、神の国と神の義を第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべてあたえられます。だから、明日のための心配は無用です。明日のことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 交通事故90日目の朝、聖書を開きゆっくり読んでスタート。何も心配せず、思い煩わないで、イエス・キリストの約束は真実です。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2016/06/29
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聖書の一言;ヤコブの手紙1:2-4 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。交通事故から90日目の朝です。1ヶ月くらいで完治と思っていました。左右内出血、小脳梗塞主治医も心にかけてくれ、少し歩けるようになって白戸誠爾医師に診てもらい、自動車にはねられた時、軽い脳震盪だけで影響はなく、奇跡ですね。まだ使命があるから大丈夫です。道を歩かないで、歩くときは付き添ってもらいなさいとの診断。聖書は試練は世の常で、耐えられない試練には合わせないと約束。それだけでなく、さまざまな試練に会う=2014年5月から一人暮らし=≈時は、それをときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰は試され患難は忍耐が生じ、忍耐から失望に終わらない希望が、そして、頑張る=顔晴れる、ありがとうございますの日々です。良く回る独楽は、軸の芯がまっすぐです。子どもの頃、自分で木を切って、削って独楽を作りました。そんなに器用ではないので、軸が中心を保てないので、長と回ってもすぐこけたり、ひっくり返ったり、横へ行ったりでした。人生も同じです。幸い高校生の時、イエス・キリストをアーメンと信じ、揺るがない人生を歩んでいます。今朝はFBで新今宮駅前で、漫画=歌えない、踊れない、無口の牧師物語を、ご主人がもらって家に持ち帰り、読んでくれた奥様からコメントがあり、嬉しい朝です。独楽の芯よりも確実な、十字架に死に復活した、主イエス・キリストを心に迎えたので、聖霊の助けにより、無礼ないコマッタ、コマッタにならない毎日を平安で幸せです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/29
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嬉しいことが、次々起こる天国の日々。午前中、愛輝きに向かっての出版社から、10冊あったら売ってほしいと、自社出版の本注文。取りに来たついでに、30秒の祈りが世界を変えるを再版を注文する。教会員親子も来訪。昼までお話を聞き、健康の癒しを祈る、幸いな時。わたしは主であってあなたを癒す者です。その十字架で打たれた傷によって癒されました。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。恐れてはならない。わたしはあなたと共にある。イエス・キリストのお名前によって病よ、癒され消えてしまえ。アーメン。ありがとうございます。癒されました。感謝します。ともに3人で祈り感謝する時間を過ごしました。柿の葉寿司の昼食をいただきごちそうさま。午後1時30分に、奈良市議会議員が奥様と来訪。腰の痛みがひどく26日の礼拝に来れず、癒しの祈りを求めての訪問。健康と腰痛の癒しを祈る。奥様はもうずっと信じており、YMCA理事もしているが洗礼がまだだった.市議会議員は開拓伝道最初の受洗者の前立ち合いで洗礼式。祈りの中ですばらしい時間でした。神様の愛と恵みはすばらしい。4月1日の交通事故から今日で89日目。4月に4名。5月に1人。今月2名が洗礼を受けてくれました。また、3年前に出水市のホテルキング前で散歩中出会い、アーメン信じますと祈った57歳が、4月17日に洗礼を受け、水俣福音教会で迎えてくれました。イエス・キリストは、信じてバプテスマを受ける者は救われますと宣言。すばらしい福音の救いが広がり、いやしの祈りもある幸いな27日です。詩篇103:1-5 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。イザヤ書40:28-31 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2016/06/28
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聖書の一言;へブル人への手紙13:20-21 永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行ない、あなたがたがみこころを行なうことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。主は私に羊飼い、私には乏しいことがない。イエス・キリストは、永遠の契約の血による羊の大牧者です。良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。そして、死を打ち破り復活され、昨日も、今日も、いつまでも同じ主です。神のみこころにかなう人生を与え、すべての良いことについて、 完全な愛の道を歩ませてくださいます。交通事故89日目の朝です。主治医から道を歩くな。歩くときは付き添いと歩け。と言われています。主イエスとともに歩きましょう。嬉しい時も、悲しい時も、歩きましょういつも。ただ一人野原を歩いているときも、イエス様は私の力です。城です。と歌いながらの日々です。25日から27日にまで、水俣市福音教会礼拝説教。その足で益城町を訪ね、被災地の実態を視察し、益城エリムキリスト教会の現実と解決の道も与えられました。7月末の種子島行きと、沖縄行きまでには、右足も完治と信じて、与えられた奉仕を、大牧者に導かれて、栄光の道を前進です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/27
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マタイの福音書6:19-21 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。 長く使えるものを買うのが生活の知恵。イエス・キリストは、虫が食うものや、さびできず物にならないもの、盗まれるようなもの、このような快楽と財産を求めるなと教えた。 着る物はいつか古びたり、やがては傷んでいく。単なる肉体的な快楽は、次第に色あせ、楽しむたびに喜びが減少する。そのような快楽に支配されないように。 時が立って喜びが薄れていくものに執着しないように。盗まれるもの=物質には永遠性はない。物質的なものを宝にすれば、やがて必ず失望し、平安も幸せも奪われてしまう。 自分の宝は、天にたくわえなさい。地上で行う親切や善行は、天に宝を積むことです。自分のために積んだ宝は失われるが、喜んで与えた宝は天に貯えられる。また、品性がその宝です。この世から去るとき、持って行けるものは、その人の品性だけです。ペテロの第二の手紙1::5-7 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのは真理です。心に思うことがすべてこの世のことなら、永遠について何の興味も持たない。宝がすべて地上にあれば、必ず来る死を迎える時、不安と悲しみや辛さに中を、地上に残された宝を惜しみつつ、後ろ髪を引かれる思いで、地獄への道へ向かいます。この世に価値がないとは、聖書は教えていません。しかし、この世は人生の目的ではなく、目的地への行程です。この世とこの世のものに心を奪われず、天国を思いつつ、神の国と神の義を求めつつ、愛に生きた者は、その時が来たら喜んでこの世を去ります。神のもとに行く時が来たからです。このようにいつまでも存続する者は、信仰と希望と愛です。その中でもっとも大いなるものは愛です。 日本人はその愛に生きる民族です。最初に覚えるのは、愛=あいうえおです。しかも、愛が上=あいうえです。その愛は十字架上に現されています。今こそ日本人すべてが、その愛を知り、愛を上に置く国になるときです。ヨハネの第一の手紙4:7-9 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子=イエス・キリストを世に遣わし、その方=イエス・キリストによって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。ありがとうございます。今日もまた豊かな愛の天国の一日です。感謝します。
2016/06/27
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マタイの福音書6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。この聖書のことばは、所有物が生活の領域に占めることへの警告です。イエス・キリストは、富と所有物について、第一に、すべてのものは神に属していると教えた。地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。(詩篇24:1) 森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。(詩篇50:10-12)この基本を理解すると、すべての物質的=富、時間、知恵、知識、肉体、所有物について、これは神様のものだから、神様の栄光のためにと考える。そこにクリスチャン生活の醍醐味がある。だから、常に人間が物品よりも重要であり、人のいのちは、は全世界より尊い存在です。財産をつくり、金を貯め、富を増やすために、人間が物品として利用されるなら、そのような富は罪悪です。どんな方法でその財産があり、作られたかによって、富裕者の人生が問われます。しかし、聖書は富は結果的な善であり、イエス・キリストが来られたのも豊かさを与えるためと宣言しています。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(コリント第二8:8)富や金銭、物質を所有することは、罪ではなくて厳粛な責任です。クリスチャンは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、愛にも富み豊かにされて、名誉ある独立を保ち、家族を養い育て、助けの必要な働きのため、恵みのわざにも富む人生を生きることができます。 快楽に快楽、贅沢に贅沢を重ねるだけに、富を求め続け、富にのみ生きがいを感じたり、金があれば何でも買え、何事でも解決できると思うなら、金銭を愛することがすべての悪の根になります。そんな悪の根を刈と取り、神の栄光のために、繁栄する人生を今年の後半も力強く生きる人生です。 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。(コリント第二8:9)ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/27
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聖書の一言;へブル人への手紙5:1215 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。人はパンだけで生きるものではなしと、あるように聖書は色んな食物にたとえられます。まず乳=ペテロの第一の手紙2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。蜜=詩篇119:103 あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。パン=マタイの福音書4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」堅い食物=へブル5:15堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。毎日食物が必要なように、いのちの糧である聖書のことばで、活き活きと生きて行く、新しい一日です。今日午後1時に、熊本県水俣市へ新幹線で出かけます。水俣福音教会礼拝で、明日説教予定です。礼拝後に、震災被災地の益城エリムキリスト教会へ。主任牧師なのに、4月1日交通事故で歩けず、やっと明日の来訪になります。まだ完治していないが、水俣市まで行くので、迎えに来てもらいます。水俣から2時間くらいです。お祈りとご支援、九州ラーメン党へのボランティアご支援、ボランティア応援感謝します。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/25
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詩篇19:7ー8 主のみ教えは完全で、たましい生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、 主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。 聖書は、主の教え、主のあかし、主の戒め、主の仰せです。アーメン=誠=言+成と信じて告白宣言するとき、その通り実現します。聖書のことばが実現するためには、もうそうなったと完了形で受けとめ、そのように確信し実行します。アーメン。たましいは生き返りました。賢くなりました。心は喜びで満たされました。目は明るく輝きました。聖書のことばによって、何をしても栄え,繁栄する成功=成幸の道が、天国にまで続きます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2016/06/24
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マタイの福音書6:5-8 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。 義務感や名誉欲での施しは、もう報酬を受けたのと同じで、神様からの豊かな報酬は、そうせずにはいられない、愛と親切に満ちあふれて、与えないではおられない人がいる。どんなにしても、困っている人に対する愛から逃れることができない場合です。尊いボランティアに生涯をかけている人がいる。 義務感や自分の名誉からでなく、愛の心があふれてすること、イエス・キリストが、ご自身のいのちを与えられたように愛を与えるとき、何物にも代えられない豊かな報いを受けるのです。 祈りにおいてもまったく同じことです。義務感や形式的でなく、神との愛の対話です。 密室での祈り、ジョン・ウエスレーの母は多くの子どもがいたが、子どもたちは母が台所でエプロンで顔を覆っていると、静かにしていたそうです。母の祈る姿を見る子どもたちは幸せです。その母の祈りから、イギリスを流血革命から救い、産業革命をもたらしたと言っても過言ではありません。 同じことばをただ繰り返し、そのことばの回数が多いことを自慢するような祈りも、祈りではないとイエス・キリストは教えました。 父なる神は、お願いする先に、あなたがたの必要なものを知っておられるからです。何という幸い。だから祈らなくてもいい、与えたらいいじゃないかという傲慢不遜にならいで、必要なものを、率直にお願いできる恵みです。 今日も、素直に率直に祈る幸い。ありがとうございます。必要なものは与えられました。感謝します。豊かな天の報いで喜びです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/24
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聖書の一言;へブル人への手紙4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。神のことばは生きている。力がある。両刃の剣よりも鋭い。関節と骨髄の分かれさえも刺し通す。心のいろいろな考えやはかりごとをを判別することができる。神様のことば=聖書のことばは生きていて、力にあふれています。それは鋭い刃物みたいに切れ味が良く、心の奥深くに潜んでいる思いや欲望にまでメスを入れ、私たちの赤裸々なすがたをさらけ出します。目覚めと共に聖書のことばに導かれ、何事があろうと、生きていて力があることばを、自分の心と口から離さず、行動する時、大きな平安と幸せな日々です。4月1日、交通事故になり右足大腿部挫傷。救急病院で冷やしてももらえず家に帰り、腿が見ず膨れになり皮がめくれ始め、むちゃくちゃな痛さ。痛いを抑えありがとうございます。直りましたと感謝しました。すべてのことに感謝しなさい。生きていて力ある神のことばに、アーメン。ありがとうございます。感謝しますと、応答し熟睡で朝を迎えました。その日から86日目の今朝も、平安に守られています。恵みと愛との新たな朝に主イエスの十字架仰ぎ信じて祈りと賛美で癒しの恵みありがとう感謝で天国の朝アーメン。生駒聖書学院は今日で一学期終了。学んだことを実践する夏季伝道期間になります。机上の空論にならないように、十字架と復活の救いを伝える時期です。終業式の後、恒例のランチバイキングへ行き、9月入学式、始業式まで出発です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/23
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詩篇19:1ー3 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話しもなく、ことばもなく、その声も聞かれない。 書斎は東に面し、毎朝矢田丘陵を真っ赤に染めて昇る朝日と共に、天国のー日がスタートします。就寝が早いので太陽より早い朝です。 世界中には、その太陽を神とする国々が多くあり、日本人は太陽を神とする神話の国です。その太陽系だけでなく、全天全地の創造の真の神を認め信ずると、山や海、草木を神とする人々は、聖書の民となり、平安あふれる神の子となり、天国へ行く保証が与えられます。アーメンと信じます。救われて、天国行く予約チケットを持っているので、いつ死んでも大丈夫です。 左右脳内出血、小脳内梗塞、二度目の交通事故から84日。午前10時30分の南港朝祈祷会まで。電車で乗り換え一回一時間。5500歩になっていた。1999年10月6日に、アーメン。信じますと祈った青年が来てくれ、17年ぶりの嬉しい再会。話しが出来るだけでも奇跡でした。福山市洪水のニュースで、卒業生の教会。対岸の堤防が決壊し、き教会側は守られているとのこと。被害が広がらないようにと祈る夜です。生駒は、午前中の雨の中でも、神学生たちがきれいに草を刈り、昼からは晴天の中、汗みずくできれいに仕上げ、明日の終業式に備えてくれた。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/23
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マタイの福音書6:1-4 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 報いられるか報いられないかは、人生において大切なことです。クリスチャンの報いは何かあるのか。この箇所で,善行や施し、祈りでさえその動機が問われています。これ見よがしの姿に、周りにいる人々佐江、ほんとうは辟易しているのに、与えられる物質に目がくらみ、ほめたたえニュースにさえなり、もうそれで十分、つまり自分の前でラッパを吹き鳴らす行為、偽善者にならないようにと警告されました。右の手のしていることを左の手に知られないような善行、施し、献金、祈りさえも。動機も行いもすべての隠れたことを見ておられる愛の神が見ておられます。天知る、地知る、我知る、人も知る。イエス・キリストは物質的な報酬を約束しなかった。その第一の報酬は満足です。信じる道を歩むなら、心の奥に何物にも代えることのできない満足がある。お金では買えない満足です。人を相手にしないで、愛から出る、無償の行いでありたいものです。第二の報酬は、さらに多くの使命感が与えられることです。この世の報酬は、もっと楽をすることです。クリスチャンは、神と人のためにより多く、善行、施し、祈りができ、働く恵みです。毎日が充足で、安眠で熟睡、恵まれた天国=御国の心地す。ハレルヤ。 第三の報酬は、神をますます近くに感じ、やがて恐れず平安に、神の身元に引き寄せられ、天の御坐近くに進む。永遠のいのちを受けて、天国が最大の報酬です。コリント人への第二の手紙5:7-10 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/23
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聖書の一言; 1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。恵みと愛との 朝に光が小鳥はさえずり 天使も賛美主イエスの十字架 仰ぎ救われありがとう感謝で天国の日々目覚めと共に、ハレルヤアーメン主イエスはともに 天使も側にいのちは輝き 喜び笑顔ありがとう感謝で 天国の日々聖霊注がれ いのち満たされ平安よろこび 溢れみなぎる福音伝える 使命果たしてありがとう感謝で 天国の日々アーメン。詩篇34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。聖書の実例列王記第二6:15-23 神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。アラムがエリシャに向かって下って来たとき、彼は主に祈って言った。「どうぞ、この民を打って、盲目にしてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って、盲目にされた。エリシャは彼らに言った。「こちらの道でもない。あちらの町でもない。私について来なさい。あなたがたの捜している人のところへ連れて行ってやろう。」こうして、彼らをサマリヤへ連れて行った。彼らがサマリヤに着くと、エリシャは言った。「主よ。この者たちの目を開いて、見えるようにしてください。」主が彼らの目を開かれたので、彼らが見ると、なんと、彼らはサマリヤの真中に来ていた。イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに言った。「私が打ちましょうか。私が打ちましょうか。わが父よ。」エリシャは言った。「打ってはなりません。あなたは自分の剣と弓でとりこにした者を打ち殺しますか。彼らにパンと水をあてがい、飲み食いさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」そこで、王は彼らのために盛大なもてなしをして、彼らに飲み食いをさせて後、彼らを帰した。こうして彼らは自分たちの主君のもとに戻って行った。それからはアラムの略奪隊は、二度とイスラエルの地に侵入して来なかった。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/23
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聖書の一言;ピレモンへの手紙1:9-11 むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。新約聖書の中で、コロサイの家の教会、パウロの後援者ピレモンへの手紙です。ピレモン家の奴隷オネシモは、逃亡奴隷でいきさつは不明ですが、ローマでパウロに導かれてクリスチャンになりました。当時は、逃亡奴隷は死刑と決まっていました。パウロは、ピレモンのもとへ彼を送り帰すにあたって,愛の名においてピレモンを信仰における兄弟として受け入れるようお願いしている手紙です。このピレモンへの手紙を読んだH・B・ストウは、アンクル・トムの小屋を書き、その著を読んだアブラハム・リンカーンによって、奴隷解放宣言がなされたそうです。書棚にあるアンクル・トムの小屋=明石書店刊全45章は、525ページの大著です。その結論=だが、われわれにはまだ恩寵の日は残されている。北部も南部も、神の前ではともに有罪である。キリスト教会は罪の償いをする重大な責任を負っている。この合衆国が救われるのは、不正や残虐を擁護するために皆がまとまり、罪を共通の資産とすることによってではない。懺悔と正義と慈悲とによってだ。なぜなら、不正や残虐さは国々に全能の神の怒りをもたらすようになるという強力な掟は、石臼は大海に沈むと言う永遠の掟より、もっと確かなものであるのだから。新約聖書お持ちの方は、ピレモンへの手紙をお読みください。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/22
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聖書の一言;テトスへの手紙3:1-11 あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。しかし、愚かな議論、系図、口論、律法についての論争などを避けなさい。それらは無益で、むだなものです。分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。このような人は、あなたも知っているとおり、堕落しており、自分で悪いと知りながら罪を犯しているのです。聖書のことばをそのまま読む。神のみ心が分かり、聖霊の声が聞こえる。読んだことばに、アーメン、ありがとうございます。と損まま受け止める時、聖霊のことばが実現します。例えば、今朝のことばで=だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。=あの人が、この人がと人に当てはめず、自分へと受け止めます。そして、ありとうございます。だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に対して優しい態度を示しました。感謝します。もうそうなったと聖霊に信頼し、宣言します。不思議にどんなことがあっても、すべてに感謝して生きることができます。とっても活発で爽やかな新鮮な風のように、周りが幸せになります。ありがとうございます。今日もまた天国の香気ただよう一日です。感謝します。
2016/06/20
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詩篇17:15 しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目覚めるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。 創立者クート夫人エステルは、体質で戦後日本には来たことがなく、アメリカの墓碑に、詩篇のことばが刻まれています。召されたとき枕元に開かれていた聖書のことばでした。召された知らせがアメリカから届いた時、創立者は天を仰ぎ輝いて見えました。 死はさようならでなく、おやすみなさいです。御顔を仰ぎ見、目覚めるとき、あなたの御姿に満ち足りる幸い。神の子とされ天で目覚める祝福を、イエス・キリストをアーメンと信じる時、保証されます。家内を2年1ヵ月前手に送り、一人暮らしで現役牧師で、生駒聖書学院にも仕えています。交通事故81日目、ボツボツ歩みの日々です。お祈り感謝します。ありがとうございます。今日もまた天国の一日感謝します。
2016/06/20
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マタイの福音書5:17-9 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。 律法と福音。律法とは何か。第一に十戒。第二に聖書の最初の5巻=創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。第三に律法と預言者=旧約聖書39巻。第四に口伝=律法学者律法規定。イエス様は、律法全体の原則、真髄を示されました。十戒の原則は、尊敬であり畏敬です。その神髄は愛です。尊敬することは、無数の細かな法則や規定で縛り、禁止することではなく尊敬し愛すれば良いだけです。イエス・キリストは、「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と質問され、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。律法の神髄を教えました。 律法の要求を成就しようとすると、人間の能力には限界があり、、愛にはさらに高い動機と行動が必要です。イエス・キリストは、罪は犯さず、その口に何の偽りなく、律法を守り完成し、十字架にいのちを捧げる愛で、律法の要求を成就しました。3日目の朝に復活し、信じるだけで救われる恵みの救いを実現しました。その救いを体験すると、神を愛し自由に生きる贅沢な恵みの人生になります。 十字架にいのちを捨ててまで愛され、聖霊により注がれている愛を日々経験する時、その愛に答えたいとのひたむきな願いを持ちます。この神への愛が、高尚で崇高な使命になり、責任ある人生を神と隣人に対して果たすことができるのです。イエス・キリストは、いついかなる時も共にいて、助け守り力を与えてくださいます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/20
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聖書の一言;テトスへの手紙1:7-16 監督=牧師は、神の家の管理者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、けんか好きでなく、不正な利を求めず、かえって、旅人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。実は、反抗的な者、空論に走る者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けた人々がそうです。彼らの口を封じなければいけません。彼らは、不正な利を得るために、教えてはいけないことを教え、家々を破壊しています。彼らと同国人であるひとりの預言者がこう言いました。「クレテ人は昔からのうそつき、悪いけだもの、なまけ者の食いしんぼう。」この証言はほんとうなのです。ですから、きびしく戒めて、人々の信仰を健全にし、ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。2:1 しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/19
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詩篇17:8 私を、ひとみのように見守り、御翼の陰にに私をかくまってください。 目に入れても痛くないほどと言いますが、神の愛と十字架の救いに守られる、神の子は幸いです。アーメンと信じてバプテスマを受ける決心を57歳男性。22日に洗礼式です。神様の子となる、新しい誕生日。です。日だよね。ニッコリほほえむ笑顔は天使のよう、いや神様の子どもです。これから天国へ行くそのときまで、ひとみのように見守られ、御翼の陰にかくまわれ、日々に新しい力を受けながら、鷲のように高く舞い上がる高貴な人生です。16歳の時、種子島でアーメンと信じ、その日に海岸でバプテスマを受けて、クリスチャンになりました。 山を越え谷間も通りました。2014年5月には、余命一年を、四年延命で、平安と幸せに生きた妻も天に召され、一人暮らしになりました。どんなときも、愛の御翼の陰にかくまわれ、瞳のように守られ、愛される恵みの豊かさです。...ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/19
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マタイの福音書5:14-16 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。イエス様は、わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。と自己紹介しました。そして、イエス・キリストを信じる人も、世の光ですと語られました。 光は人に見られます。光は人を導きます。光は警告します。種子島の暗闇で生活しました。中学生の時は往復18キロを歩いて通学しました。冬の夜は帰りが遅くなると、真っ暗闇の中でした。5キロくらい坂道を上ると、遠くの方に明かりが見え、ぽっとしたものです。家に帰るとまだランプの生活でしたが、ほの暗いランプの光に、安心しました。朝早く目覚めると太陽の光が輝き、朝日に送られて通学でした。 光は輝かすためにあります。光というギリシャ語はカロスで、良い行いも意味し、魅力的で美しいという意味もあります。世の光として輝く存在を見て、神の御名が賛美されることは、素晴らしいことです。ピリピ人への手紙2:14-16 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。それはあなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/19
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愛と奇跡の御手に導かれて詩篇71:16 神なる主よ。私は、あなたの大能のわざを携えて行き、あなたの義を、ただあなただけを心に留めましょう。71:17 神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。71:18 年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。祈り=1-4 証=5-8 祈り=9-13 確信=14-16 祈り=17,18 感謝=19-24不信仰な人の手に陥り=4、怪しまれるばかりの苦難の中にあり=7節敵対者は、神に捨てられたと思い捕えようとする=10-11節多くの思い艱難のために地獄に沈んだような境遇=20節そんな試練の中で、若い日に創造主を信じる幸い71:6 私は生まれたときから、あなたにいだかれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。71:7 私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。あなたが、私の力強い避け所だからです。年老いても=高貴 好機 香気 好奇 光輝 光器 決して恥を見ることなく71:1 主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。高齢になってもなお=71:9 年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。71:10 私の敵が私のことを話し合い、私のいのちをつけねらう者どもが共にたくらんでいるからです。71:11 彼らはこう言っています。「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて、彼を捕えよ。救い出す者はいないから。」71:12 神よ。私から遠く離れないでください。わが神よ。急いで私を助けてください。71:13 私をなじる者どもが恥を見、消えうせますように。私を痛めつけようとする者どもが、そしりと侮辱で、おおわれますように。71:14 しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。イザヤ46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
2016/06/19
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聖書の一言;テモテへの第二の手紙4:7-8 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。使徒パウロは、いつも、けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。(使徒20:24)と言っていました。そして今、ローマの獄中からテモテへの最後の手紙で、殉教の死が目前に迫り、このことを現実の経験として書きました。牧師が召されたとの訃報が届くたびに、教会員が召されるたびに、この聖句が思いを占めます。オギャアとの鳴き声を、笑い声がつつみ人生はスタートします。まさしくハレルヤの喜びです。最後はアーメンで死を迎えます。涙と悲しみが周りを包み、笑顔が輝き天国への凱旋です。多くの教会員、特に愛する妻の74歳の臨終に臨み、そのことを痛感し一人暮らしの現役牧師です。何をするにしても、目標があれば日々は輝きます。人々の幸せのために、走るべき行程を走り終え、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるよう、今日も元気で日曜日の礼拝メッセージ。午前中は生駒聖書学院教会で、午後2時は大阪エリムキリスト教会=浪速区通天閣の新世界で。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/19
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詩篇17:6-7神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて私の申し上げることを聞いてください。あなたの奇しい恵みをお示しください。 聖書の素晴らしさは、書かれていることばおりに、アーメンと信じ、そのまま受け止める時、そのことば通りに体験できることです。 2012年7月、運転中に右脳内出血で電柱に激しく激突。自動車は修理も出来ない大事故、幸いいのち守られ一ヶ月後元気で退院。その体験を書き、現場を写真でもと思い、1万6千歩も歩きました。直後に小脳内梗塞で倒れ救急入院。幸い手術もなく癒やされました。ところが言語に乱れがあり、それでも礼拝説教、聖書講義、ラジオ放送、テレフォンメッセージ、聖会や召天式などを継続しています。 毎朝、声を戻してちゃんと話せるように、恵みの癒しをお与えください。イエス・キリストのお名前でお祈りします、アーメン。ありがとうございます。声が戻りました。感謝します。アーメン、と祈ると同時に、ありがとうございます。告白し続けました。 ある朝、目覚めると同時に、声が癒され直った!深い感動が腹の底から沸き上がりました。思わず大声で、恵みの朝に声は戻った。ハレルヤ、アーメン、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。と叫びました。それから歯の治療になり、流動食中心の食事、水俣市の礼拝では、流動補給持参でした。今年も6月26日に、水俣福音キリスト教会礼拝。午後は被災地の益城町行き。今年は交通事故で左顎とほほを20針縫いましたが、食べることも話しこともできるようになり、癒された声でメッセージを語れるよう祈りつつです。イエス・キリストの癒しと豊かな愛。多くの祈りと支援に支えられています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2016/06/18
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詩篇17:6-7神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて私の申し上げることを聞いてください。あなたの奇しい恵みをお示しください。 聖書の素晴らしさは、書かれていることばおりに、アーメンと信じ、そのまま受け止める時、そのことば通りに体験できることです。 2012年7月、運転中に右脳内出血で電柱に激しく激突。自動車は修理も出来ない大事故、幸いいのち守られ一ヶ月後元気で退院。その体験を書き、現場を写真でもと思い、1万6千歩も歩きました。直後に小脳内梗塞で倒れ救急入院。幸い手術もなく癒やされました。ところが言語に乱れがあり、それでも礼拝説教、聖書講義、ラジオ放送、テレフォンメッセージ、聖会や召天式などを継続しています。 毎朝、声を戻してちゃんと話せるように、恵みの癒しをお与えください。イエス・キリストのお名前でお祈りします、アーメン。ありがとうございます。声が戻りました。感謝します。アーメン、と祈ると同時に、ありがとうございます。告白し続けました。 ある朝、目覚めると同時に、声が癒され直った!深い感動が腹の底から沸き上がりました。思わず大声で、恵みの朝に声は戻った。ハレルヤ、アーメン、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。と叫びました。それから歯の治療になり、流動食中心の食事、水俣市の礼拝では、流動補給持参でした。今年も6月26日に、水俣福音キリスト教会礼拝。午後は被災地の益城町行き。今年は交通事故で左顎とほほを20針縫いましたが、食べることも話しこともできるようになり、癒された声でメッセージを語れるよう祈りつつです。イエス・キリストの癒しと豊かな愛。多くの祈りと支援に支えられています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2016/06/18
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マタイの福音書5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。 太陽と塩ほど役に立つものはない。いつも変わらず大切な働きをしている人を、地の塩のような人と評価します。 塩には3つの特徴がある。一つは光り輝く白さから純潔です。塩は太陽と海からでき、古代からすべての物の中で一番清らかなものと考えられてきた。道徳水準の低い時代、地の塩とは純潔が必要です、 塩は防腐剤です。現代の悪を防ぐ働きが必要です。もう一つは、塩の最大の特質で、ものに味をつけることです。塩気のない食物は美味しくなく、食べづらいものです。食卓にヒマラヤで取れた岩塩があり、ちょっと振りかけるだけで、さらに美味しくなります。キリスト教は、人生に味と香りを与えます。イエス・キリストの救いをアーメンと信じる時、 平安が与えられ、純潔に輝く幸せな日々が始まります。 昨日、机の整理をしていたら、ほほえみと書いた紙が見つかりました。紹介します。ほほえみ、それは少しも元手はかかりません。しかし、多くのものを人に与えてくれます。ほほえみ、それは人に与えてもいっこうに減りはしません。しかし、もらった人を限りなく豊かにします。しかし、このほほえみは、お金で買うことも、人から借りることも、盗むこともできません。ほほえみ、それを生み出すのに、少しも時間はいりません。しかし、それを受けた人の記憶の中には、永遠に残ることさえあります。ほほえみ、それがなくても生きて行けるほど、強い人はこの世にいません。それがなくてもいいほど豊かな人もいません。ほほえみ、それは家庭の中を幸せにします。職場を明るくします。微笑みは友情のしるしです。ほほえみ、それは人生のあらゆる問題に対して、神が与えてくれる妙薬です。ほほえみ、それはあなたの心の奥底から湧き出て、惜しげなく与えた時だけ、値打ちが出て来るものなのです。ある人は、ほほえむことができないほど疲れているかもしれません。だからその人に、あなたのほほえみを上げてください。あなたのほほえみを、最も必要としているのは、その人かも知れないのですから・・・・・・。あなたがたは地の塩です。純潔に輝き、清さを保ち、味付けをするほほえみの人生です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/18
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聖書の一言;テモテへの第二の手紙3:1-7 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。終わりの日の、困難な時代の20の特徴。まさに日本の現状にも、そのまま当てはまります。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。こういう人々の中には、家々にはいり込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。そういう時代だからこそ、しっかりアーメンと信じ、聖書に従い、生れに満たされて前進です。3:12-17 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/18
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詩篇17:3ー5あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされましたが、何も見つけ出されません。私は、口のあやまちをしまいと心がけました。人としての行いについては、あなたの口びるのことばによりました。私は無法な者の道を避けました。私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした。 心の思い=思考と、口にすることば=告白、そして行いが一致する人生は幸いです。イエス様は、あなたの信じる通り、あなたの言った通りになると話しました。 叶うという字は、口に+と書きます。前向きに積極的な告白がすばらしい結果をもたらします。反対に時にはプラスでも、マイナスで否定的な言葉ばかりだと・・・。叶うが=吐くになり、どろどろと吐き出す人生になります。夢ででもマイナスでない楽しい夢を、また有言実行で品行方正の人生を。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2016/06/17
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マタイの福音書5:10-12 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。イエス・キリストの救いは、偉大な人生を生きる力と勇気を与えます。イエス様をアーメンと信じると救われます。何も問題のない人生ではなく、迫害されたり、ののしられたり、悪口雑言を言われることもあります。 憲法で信教の自由が認められています。しかし、習俗上の様々なことがあり、仕事場や隣近所の付き合いで苦労することもあります。 正しく生きることで迫害されると幸いです。ペテロの手紙に、人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。とあります。そのイエス・キリストを信じ従うクリスチャンも、勇ましく高尚な生き方できるから幸せです。人生何があろうと平安で幸せです。喜び踊るほどの感激の人生です。今すぐ報われないからとつぶやいたり、不平不満や文句や悪口を口にせず、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。 雨に濡れた紫陽花が綺麗に輝く季節です。試練や困難、涙や苦労、反対や迫害があればあるほど、聖霊の雨に注がれ、笑顔は輝き、赦しと愛の恵みは香ります。ヤコブの手紙1:2-4 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。1:12 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
2016/06/17
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聖書の一言;テモテへの第二の手紙2:15 あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。熟練した者になるように=プロフェッショナルを目ざせ。真理のみことば=聖書に精通するように。まっすぐに解き明かす者となれ。恥じることのない働き人=人格者となれ。自分を神にささげるよう、務め励みなさい。頑張らないで頑張る世界。努力しないで努力する日々です。ローマ人への手紙12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。
2016/06/17
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詩篇16:11あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。 聖書を読む楽しみは、そのことばどりに受け止め、アーメン。ありがとうございます。感謝します。そのことばが実現し、自分の人生が変わったと告白するだけです。あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいました。あなたの喜びが満ち、楽しい人生でした。もうそうなっている、所有している、持っている確信でいきるとき、喜びも幾数倍に増すこと受け合いです。イエス・キリストをアーメンと信じ、救われ平安になりました。 健康で幸せ、豊かにされました。永遠のいのちを与えられ天国でした。アーメン。 家内が天国へ召され二年一ヶ月一人暮らし。脳内出血や小脳内梗塞から来ていた言語の乱れも、完全にきれいに癒され直り、交通事故の顎とほほを0針縫い、話もしっかりできるようになりました。ホスピス理事長が、しっかり栄養補給と、野菜不足にならないようビタミン剤まで。教会員が水質を変える機械を設置してくれたり、祈りと愛の親切に守られ、平安で幸せに、楽しく元気です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/16
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マタイの福音書5:9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。 平和=シャローム=争いが完全になく、最高の幸せが大丈夫、相手に悪いことが起こらないばかりか、すべての良いことだけが起こるように願う事です。 聖書の言う平和とは、すべての心配事がなくなり、すべてに幸せを楽しむことです。地上に生きる平安、死の床でも平安、永遠に天国で平安=平和。そのような平和をつくり出す人は幸いです。平和を叫ぶ人、平和のためと言って争う人、 平和を愛すると言って何もしない人。平和をつくり出す人は、問題を回避せず、それと取組み、相手を受け入れ赦し、平和への道が苦難であっても、あえて平和をつくり出す人になりことです。 平和をつくり出す人は幸いです。平和をつくり出す国は幸いです。その人は神の子ども=神の息子と呼ばれるからです。 憲法9条を守る日本に! 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。ローマ人への手紙15:13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
2016/06/16
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聖書の一言;テモテへの第二の手紙1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。おくびょうの霊=天国へ行けないリストの最初に掲げられている=黙示録21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。その臆病とは、イエス・キリストのことばです。マタイの福音書10:32-33 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。臆病とは縁のない、恐れも不安もない真実の救いです。風に吹かれないで、アーメンと真すぐに信じましょう。アーメンで救われ、天国行きの保証です。臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。イエス・キリストは十字架上で死に、墓に葬られ、3日目の朝に死を打ち破り復活されました。この世界で最も大きな力は死の力です。死に勝つことができる人はありません。権勢や権力を思うままにしていると思っても、死は必ずやってきて滅ぼされます。復活の力を信じ、聖霊によって注がれる愛に満たされます。慎み=バランスの霊です。義と愛のバランスの霊です。現代日本にも、そのようなリーダーが必要です。平和憲法を守り、世界のリーダーとなるような日本でありたいです。イエス・キリストを信じる人生は、力と愛と慎みの霊に生きる、自由闊達な活き活き人生です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/15
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;マタイの福音書5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。 心のきよい人だけが神を見るから幸いです。人は興味のあるものだけが目に映ります。それは実際的五感の世界でも同じです。 普通に星空を仰げば、輝く星をみてきれいだなとおもいます。天文学者は、星の名前を呼び、大海原を航海する船乗りは、港への道しるべとします。 道端に咲く野草をみて綺麗だと思うが、植物学者はその名を知り、新しい種を発見する観察眼で見る。 出会い握手をしてくれる方に、空気は見えませんがありますね。心もあるけど見えません。神様も、天国もあるけど見えません。すばらしい愛も見えません。イエス様の救いを、心を開いて受け入れるだけです。イエス・キリストはすべての罪を赦し、神の子としてくださいます。イエス様を心にお迎えします。信じます。アーメン。 神の愛と恵みで、十字架の主イエスを仰ぎ、心清く生きる幸いを体験できます。 心の情欲のおもむくまま心を汚し、尊い愛にきずかないまま虚しく生きるかで、人生は天国か地獄かというほど変わります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します詩篇51:5-10 ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。イザヤ書1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。ヨハネの第一の手紙1:7-9 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。 ジャンル:ウェブログ
2016/06/15
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天使の歌声 さやかに聞こえ目覚めて歌うは 天国の歌十字架の血により 罪きよめられ朝ごと新たに いのちを受けて天国思えば 心も踊り心配恐れは すべて消え去り主とともに歩く 新たな希望ハレルヤ賛美し いのちを受けて幸いあふれて 輝き満ちる感謝と喜び 祈りは聞かれ備えは豊かに アドナイ・イルエ!アーメン告白 いのちを受けて
2016/06/15
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聖書の一言;テモテへの第一の手紙6:14-19 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。お金の価値は使い方で決まります。お金は目的でなく、手段です。そして、お金の価値は、使い方で決まります。お金はどこで使っても、お金はお金です。一万円は一万円です。それでコメを買う人。パチンコに使う人。嗜好品やたばこで消えてしまう人。快楽や飲み代、はてはギャンブルでハチャメチャ人生。家族が泣いている人。お金がなくて借金ばかり、ブラックリストで借りることもできず、自己破産までして迷惑をかけても知らん顔。何お目的で使うかで、そのお金の値打ちが決ります。利にばかり走るから、個人でも大企業でも、国でさえ大混乱に陥ります。現代日本、政治も経済もおかしくなっている。東日本地震復興もままならず、熊本大地震復興も急を要するにも、不要と思うことのためには、国お金をじゃんじゃんばらまいてしまう。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/15
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聖書の一言;テモテへの第一の手紙6:14-19 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。お金の価値は使い方で決まります。お金は目的でなく、手段です。
2016/06/15
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マタイの福音書5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。あわれみ深いということばは、単なる同情や、気の毒に思うことだけではない。その人の心と同じ思いで、その人の立場でものを見、その人の身になって考え、その人が感じるように感じることです。単なる同情ではなく、相手が経験していることを、自分も同じように、相手の立場に立って考えたり、同じように感じたり経験することです。そのような憐れみを、イエス・キリストは実現されました。神が真実に人間になられ、人間目で見、人間の情で感じ、人間として生活された。へブル人への手紙2:18 主イエス・キリストは、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15-16 私たちの大祭司イエス・キリストは、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。あわれみこそ、イエス・キリストの恵みです。聖書は、赦されためには赦しなさい。マタイの福音書6:14 -15もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。お互いの個人的な生活、夫婦や親子の家庭での暮らし、隣人との付き合い、何よりも国が国民に対する考えでも、もう少し思いやりがあれば、日本はすばらしい美しい国になる。 政治家が国のためというとき、国民のことを真剣に考えていない時代になる前兆です。 聖書の真実の神は、人間となられ人間の世界に来られた。愛の神は遠く離れ、生活とは関係のない毛に者ではない。憐れみを示し、十字架に自らのいのちをすら捨てて、大きな憐れみで赦しを与え、平安と幸せを、神の子として永遠のいのちを与えてくださいます。ありがとうございます。今日もまた憐れみ豊かな幸いな天国の一日です。感謝します。
2016/06/14
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詩篇16:1ー2 主よ。私をお守りください。私はあなたに身を避けます。あなたこそ、私の主。 私の幸いは、あなたのほかにはありません。 聖書の素晴らしさは、書かれている通りに体験できることです。三つ子の魂百まで、といいますが、人間の行動の性格は、幼い頃ににつくられ、その後、容易に変わるものではない。幼い頃に聞かされたり、おぼえたことは、潜在意識にしっかり刻み込まれ、人格形成の土台となっているのです。アーメンと言えば救われます、を信条に牧師の生活を継続しています。無神論で何も信じない高校生でした。イエス・キリストが十字架で死なれ、墓に葬られ、3か目の朝に復活され、今も生きている主で救い主。そのことをアーメン=ほんとうです=誠に聖書のことばどりですと、心で信じアーメンと言い救われました。そのことをアーメンと受けとめた日から57年。三つ子の魂百まで、今も。変わらず、私の幸いは、イエス・キリストのだけです。 一人暮らしも,家内が天国へ行って17日で、一年いヶ月。心も生活も幸せ。平安で感謝。 脳梗塞の言語乱調は直り、 歯の治療で話し難さもどんどん良くなり。4月1日の交通事故、左亜具と頬を20針縫う怪我も癒され、食事も普通にでき、今日はABCスタジオで📻放送録音もでき、主の守りと助けが豊かにあり、3800歩歩行もでき、毎日元気です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2016/06/14
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聖書の一言;テモテへの第一の手紙6:3-10 違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。イエス・キリストをアーメンと信じる健全な人生。すべてに感謝し、平安と満足で心配なしです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。アドナイ・イルエで、すべての必要は満たされます。いま持っている物で満足し、金銭を愛する≙執着しない人生。しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。
2016/06/14
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十字架の癒しは 変わることなく助けと救いの 愛の手あれば罪とが消されて 神の子とされ とわ(永遠)のいのち受け 今日も天国 主イエスに愛され 新たなちから福音伝える よろこび溢れ アーメン信じる 出会いは続く とわのいのち受け 今日も天国 主イエスの恵みを 日ごとに受けて悩みも痛さも 十字架の上に背負われ消されて すべてが益に とわのいのち受け 今日も天国アーメン
2016/06/13
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マタイの福音書5:6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。アフリカ宣教で、ケニアのトウルカナへ食糧支援を続けた。食べる物がなく、タイヤのゴムでも何でも口にするような飢餓。水を求めて何日もさ迷う状態。種子島の貧しさの中で白米のご飯を食べることもなく、肉や魚を口にすることもなかった。中学生の頃は片道9キロを歩いて通い、弁当はサツマイモだけだった。それでも山は青く、水は清い島だったので、 飢えることなく、元気に守られている。 現代も食に事欠き、のどの渇きに苦しむこともあるが、この至福の教えは、チャレンジしてくる。餓死する人が食物を求めるように、渇いて死にかけている人が水を求めるように、義に飢え渇いているか。飢え渇いている人が食物を求めるように、渇きで死のうとする人が水を求めるように、義を求める人は幸いです。その人は満ち足りるからです。そのような義をどこで得ることができるのか。人の行いの義では、到達できません。イエス・キリストが来られたのは、人間の不義=罪やとがを、全て引き受けてくださるためでした。十字架上の渇くとのことばは、全人類の義に飢え渇く幸いを表現しています。十字架上にすべての不義を引き受け、贖いを完成してくださいました。その事を信じるだけで義とされ、ほんとうの幸いを経験できる恵みの救いです。 義という字は、羊の下に我と書きます。羊は聖書では、世の罪を取り除く、神の小羊キリストの表徴です。羊の下に行かなければ、我だけです。自分だけが義だ、正しいとうるさく言うただしいんだという人は、我=自我だけです。だから我=ガアガアあがあとうるさいだけです。十字架の救いをアーメンと信じて、我=自我だけの人生ではなく、救われた幸いを、満ち足りる人生を味わいましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の完全な義の一日です。感謝します。
2016/06/13
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聖書の一言;5:1-16 年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい。しかし、もし、やもめに子どもか孫かがいるなら、まずこれらの者に、自分の家の者に敬愛を示し、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい。それが神に喜ばれることです。ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげていますが、自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者なのです。彼女たちがそしりを受けることのないように、これらのことを命じなさい。もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。やもめとして名簿に載せるのは、六十歳未満の人でなく、ひとりの夫の妻であった人で、良い行ないによって認められている人、すなわち、子どもを育て、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助け、すべての良いわざに務め励んだ人としなさい。若いやもめは断わりなさい。というのは、彼女たちは、キリストにそむいて情欲に引かれると、結婚したがり、初めの誓いを捨てたという非難を受けることになるからです。そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。ですから、私が願うのは、若いやもめは結婚し、子どもを産み、家庭を治め、反対者にそしる機会を与えないことです。というのは、すでに、道を踏みはずし、サタンのあとについて行った者があるからです。もし信者である婦人の身内にやもめがいたら、その人がそのやもめを助け、教会には負担をかけないようにしなさい。そうすれば、教会はほんとうのやもめを助けることができます。若い時代から牧師としての生活です。テモテへの手紙は牧師への手紙ですが。具体的な人間関係に教えを多く受けています。年配者には父親に対するように。若い人たちには兄弟に対するように。年配の婦人には母親にたいするように。若い女性には、真に混じりけのない心で姉妹に対するようにと勧められます。また寡婦に対しても福祉の勧めです。特に家族で助け合う様にとあるのは、現代でも通用する教えです。愛は支え合うことで成り立つ。ふれ愛、認め愛、ゆずり愛、ゆるし愛。互いに愛し合い、支え愛、助け愛。神は愛です。神を愛する経糸と、互いに愛し合う横糸で、しっかりスクラム組んで、祈り会いつつ、平和憲法の日本になるよう、愛の豊かさを行きましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/13
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詩篇10:17ー18主よ。あなたは貧しい者の願いを、聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいました。 耳を傾けて、みなしごと、しいたげられた者を、かばってくださいます。地から生まれた人間がもはや、脅かすことができないように。すばらしい祈りと願いです。アーメンと本音で祈る幸い。誠実にまごころ込めて祈り、アーメン。ありがとうございます。祈りは聞かれました。感謝します。誠=言+成。祈ったことばのように成りました。それ以上に、神のことば=聖書の約束が成りました。祈りは聞かれました。ありがとうございます。感謝します。 2012年7月から、右脳内出血やl小脳内出血で、言語乱調になり、昨年はインプラント治療で15本も歯を新しくし。流動食生活もあり不自由に。今年4月1日、交通事故で左あごと頬を20針縫うお怪我。説教や講義、ラジオ放送やテレフォンメッセージ等、音声がしっかり出るように祈り、アーメン。ありがとうございます。きれいに発声ができました。直りました。感謝します。 毎朝告白し、脳梗塞言語乱調はスッキリ直り、歯の治療も完了し、顎も頬もきれいに抜糸され、少し話しにくさもあるが、神学生、教会員たちがしっかり聞き取ってくれています。26日には水俣福音教会礼拝説教。その足で被災地の益城エリムキリスト教会への行きます。お祈りください。ありがといございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2016/06/12
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マタイの福音書5:5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。 柔和=すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 最初に聞いたイエス・キリストの言葉です。また、御霊の実に柔和があります。柔和で心のへりくだったお方が、イエス・キリストです。心がへりくだる=謙遜です。謙遜でないと何も学ぶことはできない。それは、生駒聖書学院でもそうです。学問の第一歩は、自分が知らないという事を知ることです。幼児が分かった、わかったと言うけれど、なにも分からずただ聞きたくないから、わかったもうわかっているのにと、口をとんがらせるように、大人になっても、信じられるか、自分がすべてであるような、わからず屋にならないように。 柔和でへりくだって、十字架にいのちを捨てるまで、謙遜になられたイエスキリストに学ぶとき、その柔和なアーメンが救いをもたらし、平安で幸せな永遠のいのちをもたらします。 自分の無知と弱さ重荷を知り、それを謙遜に認める人は幸いです。その柔和な幸いな人が、地を相続するのです。 偉大なモーセは、その人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていました。自制力の強い人、激情や本能、衝動を抑えることができる柔和さです。柔和とは優柔不断で、骨なしに人という意味ではなく、正義のために勇気をもってふるまえ、怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は、城を攻め取る者にまさるのです。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。柔和に生きる恵みに感謝します。
2016/06/12
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聖書の一言;テモテへの第一の手紙4:12 年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。昨日は、朝食を20歳、昼食にピザを20歳、19歳、11歳と昼食を一緒に、夕食を鉄板焼きを19歳と食べた。若者たちが食べるのを見るだけでも元気が与えられる。話しながらモリモリ食べてくれる。若者の姿に、若さをもらったような気がした。テモテは若い牧師。人生の経験を積み、年季の入った年長者から見たら、若さが物足らなかったかもしれない。しかし、だれにも軽く見られないために、ことば、態度、愛にも信仰にも、純潔にも模範になりなさい。そのように願いながら、種子島出身の若さで、今も現役で牧師です。嬉しいことに、奈良市富雄で開拓伝道で最初にみちびかれた兄弟夫妻が、今日も礼拝に出席。1941年8月生まれで同年齢。生駒聖書学院夜間部を卒業し、奈良市議会議員になり9期目、副議長も務め、現在奈良市議会最年長の松田末作議員。今日の礼拝=詩編42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。42:8 昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。いのちのましみず 朝ごと日ごと聖霊そそがれ 豊かに飲んで十字架仰いで 平安あふれありがとう感謝で 笑顔輝くアーメン。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/12
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創世記3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。ここが着物の始まりです。 装うことにより、自らの本質を見せかけで変えようとする。 着物の歴史だけでなく、哲学、宗教、道徳、教養、政治や経済等で見せかけの幸せで飾り立てる始まりの箇所です。イザヤ書 61:10-11 わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽生えさせるからだ。このイザヤの預言は、イエス・キリストの十字架により実現し、アーメンと信じるだけで神の義の衣をまとう救いが与えられます。花嫁が純白のドレスに身にまとうように、十字架の血汐に罪とが消されて、雪よりも白い心で生きる幸せを体験できます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2016/06/11
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マタイの福音書5:4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。ギリシャ語で、悲しさを表現する一番強い言葉です。死んだ人を慕い狂うばかりの悲しみです。いつまでも心に痛みを感じ、抑えても、抑えても涙する、果ては涙も出てこないほどの悲しみです。その人は幸いです。 家内を2年前に天に送りました。悔しさもあり悲しみもあります。けれども幸いですと、イエス様とともに。ありがとうございます、慰められました。幸いになりました。感謝します。強がりでなく、意地っ張りでもなく、聖書の約束通り幸せです。 日照りばかりでは砂漠になると言われます。日照りばかりの砂漠に果実は実らず、雨がないと作物は育たない。悲しみがあるから、神の慰めと、恵みの御霊の愛、ともにおられるイエス・キリストの現実も強く体験できる。 同時に、何にもまして尊い祈りと助けと人の情けもしみじみと感じる。また、悲しみ、苦しみや痛みにある人々とともに悲しみ、悩みを共有できるようにもなる。多くの教会員が愛する母や夫、奥様を召された。それ以上に多くの方が、愛する者を召された悲しみにある。それはこれからも地上に命ある限り続く現実。しかし、そのような悲しみが幸いであり、慰めが豊かなので、悲しみの涙を振り払って、生きることができます。 同時に、自分の罪と自分の価値=貧しさを、絶望するほどに悲しむ者は幸いです。キリスト教信仰は、罪の意識が特徴です。自分の罪を深く悲しむ者、神に対してなした罪の業を思って嘆き悲しむのです。その中から十字架を仰ぎ見る時、これこそ罪の仕業だ。罪が世界中で一番尊い命を奪ってしまった。そして、イエス・キリストが自分の罪を背負って死なれたのだ。アーメン信じます。その十字架と復活を受け入れるとき、豊かな天の慰めに守られる。どんな悲しみも、雨に濡れて紫陽花が輝くように、輝き生きることができる。そして悲しみ嘆く世界に慰めを与える人生を生きようとの決意も与える。ありがとうございます。今日もまた悲しむ者は幸いな天国の一日です。慰めを感謝します。
2016/06/11
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聖書の一言;テモテへの第一の手紙4:1―5 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです。後の時代になると、今がまさに、その後の時代に突入。惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われる時代になり、正しい信仰から離れるようになります。それは聖書の教えから離れ、ウソつきどもの偽善によるものです。嘘は悪魔の本質=あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。その特徴は、罪の呵責が無くなり、嘘を嘘とも思わないほど良心が麻痺している。結婚することを禁じる。食物を絶つことを命じたりします。特に、食物に関しては、健康といのちに関することなので、十分に気を付けなければなりません。2014年の家内が天国へ召され、一人暮らしも2年4ヶ月ほどになり。食事の教えは身に沁みます。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです。左右脳内出血、小脳内梗塞の病歴があるので、塩分過多にならないように。また野菜をしっかり摂取する必要があります。けれど、神が造られた者はみな良いも物で、感謝していただく恵みです。食べるにも飲むにも神の栄光のために生きる平安と感謝の食生活です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/06/11
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