全75件 (75件中 1-50件目)
聖書のひと言;ヨハネの手紙第一3章24節あなたがたは、初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子ーイエス・キリストおよび御父のうちにとどまるのです。 ホテルの窓べから、西之表キリスト教会のグリーンの屋根、若さ公園の緑と朝日に美しく輝いています。 午前10時30分より、種子島から生駒聖書学院に来て洗礼を受けた3人と、被災地益城町でボランティアに来て洗礼を受けた63歳も、全員礼拝に出席です。 昨日は、高校時代下宿していた家の近くで、家庭集会と祈りの時、感慨無量の時間。59年前に、アーメンと信じクリスチャンとなった教会で、礼拝説教の恵みの朝です。 ありがとうございます。今日もまた天国の1日です。感謝してます。
2016/07/31
コメント(0)
聖書のひと言;ヨハネの手紙第一2章1節私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。ビジネスイン義なるイエス・キリストです。 知りあいの弁護士があり、教会員から相談を受け、牧師の祈りとともに、法律的な時は、弁護士に相談し、引き受けてもらいます。相談に弁護士を訪れると、弁護士から電話があり、大丈夫です。心配しないように伝えてください。もう40年以上のお付き合いです。 イエス・キリストは、わたしは決してあなたを離れず、見捨てないと確約してくださり、祈りに答えて弁護してくれます。いつも平安と守りで幸せです。 59年前にアーメンと信じた、西之表キリスト教会の屋根が朝日に輝くホテルの窓べです。飛行機雲がきれい。上天気の種子島の朝。 多くの出会いの土曜日です。 ありがとうございます。今日もまた天国の1日です。感謝してます。
2016/07/30
コメント(0)
聖書のひと言;ヨハネの第一の手紙1章7節御子イエスの血がすべての罪から潔める。 城山観光ホテルで鹿児島の朝はよい天気です。熟睡で目覚め、ありがとう、感謝してます。元気に声も出て、祈りと賛美です。 桜島が3日前、5000メートルも噴火と聞きました。 大正3年の大噴火で、種子島に鴻之峰小学校ができ、父が徳之島から移住し、生姜山に生を受けました。 16歳でアーメンと信じ、その日に教会前の海岸で洗礼を受け59年。 御子イエスの血がすべての罪を洗い清め、雪よりも白い心で、生かされている恵みの朝です。 ありがとうございます。今日もまた天国の1日です。感謝してます。
2016/07/29
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第二の手紙1:311 というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。今日から鹿児島市へ行き、卒業生牧師夫妻と夕食。城山観光ホテル泊で。29日トッピー=水中翼船90分で西之表港着。1日朝一番艇で、鹿児島港から新大阪駅から生駒です。4月に、種子島からの家族3人が生駒まで来て洗礼。益城町に種子島からボランティアに来た63歳男性もアーメンと洗礼を受け、もう一人4年前生駒で洗礼を授けた者で5名になります。31日の礼拝には西之表キリスト教会、夜は種子島新生キリスト教会で礼拝です。30日は、今年洗礼を授けた80代夫妻宅で家庭集会。市の区長会で著名な前区長宅で、高校生時代下宿していた隣の地域で、灌漑深い思いの種子島行きです。あらゆる努力をしてとありますが、努力は自分の力、頑張りです。聖書の努力は、やろうと心で決めると、聖霊の助けでイエス・キリストの力が注がれ、ムリせずストレスやプレッシャーなどのつぶされず達成できます救われると言うことは、神の召され選ばれ、そうする力を与えられているからです。内におられるキリストの助けと、聖霊の能力でえ天国=永遠の御国に入る恵みが豊かに加えられます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/27
コメント(0)
恵みと愛との 光り輝き愛のうち歩み 聖霊ともに高らに賛美し 祈りをささげ主イエスに従う 天国の日々光の子として 賢く歩み聖書にアーメン 確信の道福音伝える ほほえみ豊か主イエスに従う 天国の日々御霊に満たされ 輝きの道みこころ求めて ひたすら進む十字架のイエスは いつもおられて主イエスに従う 天国の日々アーメン
2016/07/27
コメント(0)
マタイの福音書14:14 イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。 当時のガリラヤ地方は、南北80キロ、東西40キロの間に、204の町村があり、それぞれ1万5千人以上だったそうです。イエス・キリストは、病を癒し奇跡をすることで良く知られ、領主ヘロデでさえ、その噂を知り、自分が虐殺したバプテスマのヨハネが、死人の中から生き返ったんだと恐れるほどでした。そんな中でガリラヤ湖の対岸に、難を避け、群衆から離れて休むために、船で逃れました。しかし、人々は町々から歩いて、イエス・キリストの後を追いました。休む間もない中で、多くの群集を見られ、 彼らを深くあわれました。平和と静寂と孤独を求めたのに、もう群衆に取り囲まれたのです。キリストは、腹を立て、うるさいという気持ちを、声を荒げて追い返しませんでした。彼らを深くあわれみました。あわれみは、単なる気休めの同情心ではなく、はらわたがよじれるほどの断腸の思いです。英語=compassion=人の痛みを理解し、何かをしてあげたいという、断腸の人道的な性質の現れです。そこから生まれる辛さや悲しみを自分のものと感じ、助け癒し救う力です。へブル書2:18 主=イエス・キリストは、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15 私たちの大祭司=イエス・キリストは、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。そして、彼らの病気を直されました。奇跡は見世物や人寄せの手段ではなく、神の愛の現れです。 愛=Love L=Listen=聴くことO=overlook=大目に見ることV=voice=声をかけることE=effot=努力すること愛は、それなりの努力や時間を割くことなど犠牲を伴います。その犠牲とは思わない生き方です。愛こそが最高の憐れみです。その愛を十字架に見ます。ヨハネの福音書15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。あなたがたはわたしの友です。ペテロの第一の手紙2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。ありがとうございます。今日もまた憐れみ豊かな天国の一日です。感謝します。
2016/07/27
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第二の手紙 1:2 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。ありがとう。ますます豊かにされる人生。感謝です。まず、恵みと平安が、ますます豊かにされる。アーメンと信じた16歳の日から、朝ごとに恵まれ、活き活き生かされて続けている。何時、天国へ召されるかは、神の愛のみこころのときですが、地上の生活の息引き取るとまで、恵みと平安は、ますます豊かされます。2年3ヶ月前、家内が召されるとき、指文字で私の手に、て・・ん・・ご・・く・・と書き、恵みに満たされ、平安に召されました。クリスチャン生活は、いつも恵みと平安が、ますます豊かにされ続ける人生です。何事があろうと起ころうと、すべて神のなさることはその時にかなって美しい。ありがとう。感謝しています。祝福から祝福へ。信仰から信仰へ。力から力へと。強がりでも、頑張りでも、努力でもなく、平安と恵みで、ますます豊かにされます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/27
コメント(0)
伝道者の書第五章神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。近寄って聞くことは、愚かな者がいけにえをささげるのにまさる。彼らは自分たちが悪を行なっていることを知らないからだ。神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。仕事が多いと夢を見る。ことばが多いと愚かな者の声となる。神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。神は愚かな者を喜ばないからだ。誓ったことは果たせ。誓って果たさないよりは、誓わないほうがよい。あなたの口が、あなたに罪を犯させないようにせよ。使者の前で「あれは過失だ。」と言ってはならない。神が、あなたの言うことを聞いて怒り、あなたの手のわざを滅ぼしてもよいだろうか。夢が多くなると、むなしいことばも多くなる。ただ、神を恐れよ。ある州で、貧しい者がしいたげられ、権利と正義がかすめられるのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもうひとりの上役がおり、彼らよりももっと高い者たちもいる。何にもまして、国の利益は農地を耕させる王である。金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。財産がふえると、寄食者もふえる。持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る。富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる。私は日の下に、痛ましいことがあるのを見た。所有者に守られている富が、その人に害を加えることだ。その富は不幸な出来事で失われ、子どもが生まれても、自分の手もとには何もない。母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。これも痛ましいことだ。出て来たときと全く同じようにして去って行く。風のために労苦して何の益があるだろう。しかも、人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り。見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。
2016/07/26
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。思い煩いや心配事が多い人生です。イエス様は、明日のことを思い煩うな。空の鳥や、野の花をみなさい。蒔かず、刈らず、倉に納めず、思い煩わずさえずる。野の花は、栄耀栄華を極めたソロモンより、美しく装い咲き、神を讃えている。パウロもン愛も心配せず、ただ感謝して願い事を神に知ってもらいなさい。ペテロは、思い煩いをいっさい神に委ねなさい。いっさい=一切ではなく、一切合切すべてをお任せすることです。愛と全能の神は心配してくださいます。ありがとうございます。感謝しています。そう口に出して言う時、平安が幸があふれて、笑顔が輝き、神の栄光がすべての上に輝きます。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/26
コメント(0)
マタイの福音書13:47-50 また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。13章から海辺の垂訓=教えのたとえ話の7番目です。2番目の毒麦のたとえと同じく、必ず最後には正しい裁きがあり、決着がつきます。聖書は、罪の支払う報酬は死である。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(へブル9:27)00パーセント確実なことは、人間は死ぬことです。そして、死後に裁きを受けることも定まっています。それから逃れることはできません。 最後の審判のとき、全てが裁かれます。イエス・キリストは、自分のいのちを十字架に犠牲にして、私たちが受ける裁きを自らに受けました。その事をアーメンと信じるだけで、投げ捨てられる魚のようにはなりません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです(ヨハネ5:24)最後の審判を恐れることなく、罪の報酬である死からも救われ、永遠のいのちを持ち、さばきにおびえることもなく、死からいのちに移った平安と喜びの毎日です。のちあり生かされる限り、恵みと愛に満たされ、使命を果たし続ける幸いな一日です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/25
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙 4:12-19 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。どんな試練も驚き怪しむことではない。キリストの苦しみにあずかれる恵みです。すべての試練を喜び踊る経験に。何と前向きなことばでしょう。そのような恵みの経験を与えられ、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、とどまってくださり現役牧師で働いています。もしキリストの名のために非難を受けるなら、幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。神を敬わない者や罪人のために、イエス・キリストは十字架にいのちを捨てて、救いの道を備えてくださいました。そのことをアーメンと信じれば救われます。今週、その十字架の救をアーメンと信じ、教会前の海で洗礼を受けた、種子島の西之表キリスト教会へ。31日の礼拝説教です。夜は種子島新生キリスト教会でも語ります。復活のキリストを信じ信頼し続けての平安い守られる日々です。ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。ありがとうございます。今日もまた天国のいちにちです。感謝してます。
2016/07/25
コメント(0)
マタイの福音書13:44-46 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。ほんとうに価値あるすばらしものを見つけたら、全てを投げ打ってでも惜しくないものです。 聖書は,人間のいのちは全世界よりも尊いと教えています。高校一年生の時、講堂で鍼灸師の方が、見えない眼をまるで見えるかのように語るのを聞きました。その時から、自殺も自死も、殺人や戦争もすべて大罪悪と受け止め、聖書を読むようになって、人が全世界を手に入れても、自分の命を失えば何の意味もないと言ったのは、イエス・キリストであることを知り、イエス・キリストを信じる人生を生きています。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。自分には何の価値もないと思っても、イエス・キリストは私たちのいのちをみて、畑に隠された真珠のように、また畑に隠された宝のように、十字架の上にいのちを捨ててまで贖いだしてくださいました。 私たちもまた、人間御存在をしっかり認めて、受け止め赦し、愛する人生をお互いに愛しながら過ごしたいものです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/24
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙4:101-11 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。賜物を受けている=ローマ11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。神の働きに召され、その召しをはたすために賜物も与えられています。語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、神が備えてくださる力によって、それにふさわしく語れたらいいなと思い続ける牧師です。何しろ、ものを言わない、歌わない無口の子も時代、少年時代を過ごし、生駒聖書学院に入学し、神学生として過ごしました。卒業と同時に聖書学院教師になり、開拓伝道に放り出された時代を過ごしました。語る賜物があったらいいなあと思いながら牧師生活。ところが、幸いなことに、イエス・キリストを信じるように話すと、アーメン信じますと祈ってくれます。アーメンと言えば救われますを信条に、イエス・キリストの十字架の救いを語り続けています。あなたへの神の贈り物は何ですか?あなたには、他の人達に新たな希望を与える信じられない能力があります。他の人達が長い間諦めている時に、あなたは続けるように励まし力を貸してあげます。あなた自身、物事がどんなに難しくなっても、決して諦めない人です。これがあなたが持って生まれた賜物です。FBにありました。2年間、歯の治療や、特に、左顎と頬を20針縫う交通事故でした。今日も、ありがとうございます。神のことばにふさわしく語れました。感謝しています。ライブ礼拝と、朝と昼の礼拝に備えています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝しています。
2016/07/24
コメント(0)
マタイの福音書13:33 イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」天の御国はパン種のようだと、イエス・キリストは教えました。アーメンと信じれば救われます。アーメンは天国行きの予約です。聖書のことばは、ウソ偽りのない誠のことばです。アーメンは、本音の願いですが、聖書の真の約束を、そのことばどおりに成りますと信じるアーメンです。アーメン=誠=言+成るです。心から神の言葉にアーメンで、奇跡が起こります。どんなに上等のパン生地があっても、パン種がないと、美味しいパンができないように、素晴らしい十字架の救いと、すばらしい聖書の約束があっても、変化がない理由は、パン種に比する、聖霊の恵みを無視するからです。聖霊は聖書の著者です。聖霊に満たされて生きることこそが、クリスチャン生活の醍醐味です。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です(第二テモテ1:7)イエス・キリストは約束されました。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現わします。(ヨハネ16:13-14)今日も聖霊に導かれ、純粋な混じりけのないパン種で、神の愛と恵みを豊かに受け、祝福の人生を過ごしています。火曜日からウエィトコントロール。スイーツと饅頭もカットし、でも28日に鹿児島市で卒業生牧師と夕食。19日からは種子島で食事の席も多く、御霊の実の自制ができるよう、楽しい日を過ごしていますありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/23
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙4::8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。愛は赦しです。愛があるので生きて行けます。To live is to love 愛されたい、愛されたい。愛され、愛することで、存在しています。もし愛されることだけを求めているなら、そこから温かさも、愛情も生まれず、孤独になってしまいます。愛には、二つの意味がります。あなたが欲しい。あなたが必要ですという求める愛です。もう一つは、あなたを愛します。あなたを幸せにします、あなたのことを気遣っています。愛は惜しみなく与えます。惜しみなく与える愛は、相手をあるがまま受け入れることです。愛を与えるとは、相手を許し、受け入れ理解することです。愛は時計で測ることができます。心のあるところには時間があります。愛を与えることは見ることです。母親は、絶えず子どもをよく見ているので、すぐ気づきます。愛を与えることは聞くことです。また相手の話を聞くことも愛です。愛は自分を与えることです。愛の最も深い形は。自分の心と体を与えることです。最高の愛を、イエス・キリストは語り、自ら実行され十字架の救い実現しました。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれももっていません=ヨハネ15:16ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/23
コメント(0)
マタイの福音書13:31-32 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」からし種を見たことがありますか。 種はほんとうに小さく、けしつぶのようです。けれども成長すると高さ2~5メートルにもなり、4月から10月頃まで黄色のチューブ状の花が咲き、種がいっぱい入った実がなります。その実がすぐ弾けて飛び散ります。からし種は、小さくて目立たない存在。口に入れて噛み砕くと、酸素が働いてやがてじわぁと独特の刺激です。アーメン信じますと、イエス・キリストを信じるとき、味わい深く奥深い人生になります。 19日に鹿児島市。124日に種子島へ行きます。西之表キリスト教会で31日礼拝説教です。1957年1月24日に、アーメンと信じ、教会前の城の浜海岸で洗礼を受けました。からし種のような信仰でしたが、いつの間にか聖霊の働きで成長し、からし種が飛び散り芽ぶくように、生駒聖書学院卒業生たちが、大きく用いられています。からし種の特徴は、種の中で一番小さい種。 100粒蒔けば100粒芽生える生命力。どんな環境でも育つ征服力。 2~5メートルにもなる成長力。 実を結ぶと弾け飛び散る繁殖力。 自分の信仰は小さいなどと卑下しないで、イエス・キリストのいのちが、聖霊によって豊かに満たされている信仰で、いつも喜び、絶えず祈り、聖霊に満たされて、すべてのことに感謝し、祝福の中を前進!ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/22
コメント(0)
聖書の一言;:7万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。祈りのために、心を整え身を慎みなさい。目覚めと共に、ありがとうございます。感謝してます。と声を上げ、さえずる目白や小鳥たちと起き出します。早天祈祷の時間だけでなく、チャペルへの行き帰り、食事や何をするにも祈りのために、口に出しても出さなくても祈りです。クリスチャンになるまで、祈ったことはなかったが、讃美歌を歌いながら、祈りのすばらしさを覚え、60年を祈りの中で過ごしている。1 しずけき祈りの ときはいとたのし。 なやみある世より われを呼びいだし、 み神のもとへと すべての願いを たずさえいたりて つぶさに告げしむ。2 しずけき祈りの ときはいとたのし。 さまよいいでたる われを呼び返し、 あやうき道より ともない帰りて、 こころむるものの 罠をのがれしむ。3 しずけき祈りの ときはいとたのし。 そびゆるピスガの 山のたかねより ふるさとながめて のぼりゆく日まで、 なぐさめをあたえ、よろこびをみたす。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/22
コメント(0)
詩篇34:4ー10私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救いだしてくださった。彼らが主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。彼らの顔をはずかしめないでください。この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。主の素晴らしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。若い獅子も乏しくなって餓える。しかし、主を訪ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。詩篇34篇は、ダビデ王の詩。気が違ったふりをして、九死に一生を得た時の告白。主よ。助けてください。すなおに助けを求める幸せを、詩篇のことばで体験。解説も解釈もしなくても、そのままアーメン。ありがとうございます。天使の守りに感謝してます。今日も守られ幸い。ただ素直に単純に、アーメンと信じ、現実に体験できる恵みです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。
2016/07/21
コメント(0)
マタイの福音書13:24-30 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」二番目のたとえは、毒麦の話です。どんなに慎重に種を蒔いても、稗や雑草も出てきます。このたとえ話のように、敵が来て毒麦の種を蒔いたら、芽生え実り、収穫の時まで分からないから大変です。キリスト教会には間違った教えや、異端やカルト的教会など、多くの毒麦があります。イエス様は、敵がやったことだと教えました。如何したらいいのか。我慢できない。早くすべてを処理しないと焦り、非難し、否定し裁きます。しかし、『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」ちゃんとハッキリする日が来ます。イエス・キリストを信頼して、真の福音の種を蒔き続け、良い収穫を期待しましょう。イエス・キリストの説明です。13:36-43 それから、イエスは群衆と別れて家にはいられた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください。」と言った。イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。ありがとうございます。今日もまた太陽のように輝く天国の一日です。感謝してます。
2016/07/21
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙3:10-11いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。ありがとう。感謝してます。目覚めと共に告白し、小鳥たちと同じように、天地万物の創造主を讃えます。目の前のメモに、自分が口にする言葉は、言えばいうだけ、それをもう一度言いたくなるような現象を引き起こす。とあります。だれでもいのちを愛し、幸いな日を過ごしたいと思います。ところが現実は、ありえぬことが起こってしまう人生です。何事が起ころうとも、神のなさることはみなその時にかなって美しいと言い切ります。それは、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、真実を健全なことばで告白します。幸な人は、主の教えを喜びとし、聖書のことばを告白します。聖書のことばをアーメンと信じ続け、ありがとう。感謝してますと受け止め、自分の口で言いきってしまいます。交通事故121日目。車に飛ばされ救急車で運ばれ、右腿打撲の腫れとうっ血。右顎と頬を20針縫いました。抜糸の跡も分からないくらいきれいになり、愛の腫れも毎日引き、明日は久しぶりに、タイ古式マッサージへ行く予定です。リンパ施術でうっ血も消えるのが早くなります。平和=平安を全てのことの中で追い求め、国際社会も、特に平和憲法の日本が、その先頭に立つことを切願し、祈り告白しています。ローマ人への手紙12:14-18 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます
2016/07/21
コメント(0)
詩篇34:1ー3 私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。 大好きな詩篇34篇です。表題はダビデによる。彼がアビメレクの前で、気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき。サムエル上21章に詳述。 四面楚歌。絶体絶命。その悲劇の真っ只中での詩篇です。あらゆる時に、主をほめたたえる恵みは、平安と幸いです。不平不満、泣き言、文句や怒り声でなく、いつも主への賛美がある。 人生には順風満帆の日、疾風怒濤の日、天国へ行くまで、肉体にある生活は、さまざまです。それを呟くか、感謝と受けとるかで、結果は雲泥の差です。 2011年、家内は主治医に肺がん末期余命一年と宣告され、ありがとうございます。感謝しますと、真っ正面から受け止めました。その日から4年、詩篇34篇そのままに、賛美しつつ感謝と祈りの日々を生き生き生きて、2014年5月17日平安と幸せに、天国へ召されました。その召される日に5名、召式式の朝5名が洗礼を受けました。家内が召されて2年2ヶ月がすぎました。 余命一年の幸せや、愛・・・ありがとう・・・愛。闘病の記録の小冊によっても、イエス・キリストの十字架の救いが、広がっています。 今朝、お好み焼作って行きますと、声を掛けられ嬉しかったけれど、4月1日の交通事故以来、食べて部屋暮らしで、今日からダイエット。ありがたかったけれども断りました。夕食時にも、おいしい肉をと電話が。それも断り9月2日の誕生日を目標にしています。来週は種子島4泊。8月は沖縄6泊が歩けれど、御霊の実は自制セルフコントロールで大丈夫。コリント人への第一の手紙9:25-27 競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/20
コメント(0)
マタイの福音書13:3-19 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい。」 5章から7章は山上の垂訓≈山の上での教え。13章は海辺の垂訓=海辺での教えです。7つのたとえ話の第一が、四つの土地と種です。イエス・キリストの説明そのままを引用します。13:18-23 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。イエス・キリストをアーメンと信じ救われ、良い地に巻かれた種のように、ほんとうに実を結び、100倍、60倍、30倍もの実を結ぶ、祝福人生を生きる約束です。 詩篇1:1-3 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 真夏日がやって来ました。時代がどうであろうと、どんな時でも良い地に蒔かれた種のように、実を結ぶ人生、ゴールデンルールを実行する祝福の約束です。エレミヤ書17:7-8 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/07/20
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙3:8-9 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。イエス・キリストをアーメンと信じる日々、ありがとう。感謝してますと目覚め、祝福を祈り、祝福を与える幸せの一日が始まります。受けるよりも与える方が幸いです。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず,かえって祝福を与えなさい。必ず祝福を思い、祝福を祈ります。そして口に出して言うのです。相手に対しても、ありがとう。祝福があるように。ABCスタジオが福島区にあったころ、大阪駅からスタジオまで良く歩きました。出会うすべての人の祝福を祈ろうと決め、当時はスタジオしたが日産ショールーム。若いきれいなコンパニオンたちが新車紹介。初老の紳士に説明しています。その二人を祝福し、ラジオ録音。帰りは生駒駅から30分歩きます。裏道には高級住宅がたくさんあります。その家々を祝福しながら帰宅。祝福の思いと言葉だけで過ごした録音日。書斎にくつろぐとき、心がさらに豊かになり、ありがとうございます。出会ったすべての人々に幸せがあふれ、日本中に祝福広がるようにとの思いでいっぱい。祝福を与えて、失うものは何もない。今日もFBの仲間の幸せいっぱいがあるよう願いながらです。この世界に生まれたのは、霊的精神的に、また物質的にも祝福を受け継ぎ、祝福を与えるために生かされています。イエス・キリストの十字架により、すべての呪いは取り去り消され、聖霊による祝福が十字架から広がり続けています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/20
コメント(0)
詩篇33;18、22 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。 主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。スエーデンの白夜の時期を旅したことがある。。目覚めると、カーテンの隙間から差し込む朝陽が、ベッドの横の壁掛けに当たり、主の恵みは朝ごとに新しい。聖書の哀歌のことばを照らしている。感激だった。その朝から、目覚めると聖句をありがとう。アーメンと信じ、恵みにより救われ、朝くるごとに恵みにつつまれ、いのち生かされ、神の愛に愛されている。太陽の光がない朝も、恵みの光は輝き、神の贅沢な恵みは豊かだ。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/19
コメント(0)
マタイの福音書12:46-50 イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。すると、だれかが言った。「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」 神の家族。その家族に加えられ、全世界にアーメンと言い合える真実の仲間がある幸いです。今週は、種子島へ行き、16歳の時アーメンと信じた西之表キリスト教会で礼拝メッセージです。種子島へ徳之島から移住した父でした。8歳で母が亡くなり、その父の家に引き取られ7年。それ以後、家を離れ家族のない生活でした。結婚し長男長女が生まれ、家族ができました。2011年に家内が余命一年を宣告され4年生かされ、2014年5月17日に天に召されました。それ以来、独身でひとり暮らしです。現役の牧師なので、聖書どおり、年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。の牧師人生です。キリスト教会は一つの家族のようです。教団教派を越えて、愛なる神を父と呼び、イエス・キリストを長男とする大家族です。その大きな愛が全世界を包み込む、平和のあふれる世界を祈ります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます
2016/07/19
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙3:1-7 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです。同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。結婚式では、夫と妻へのことば読みます。新郎には、妻を愛しなさい。新婦へは、夫に従いなさい。参列者の男性たちは、そうだそうだとうなずき、女性は怖い顔をします。結婚生活49年で、家内は天国へ召され、独身生活2年2カ月。もう結婚もすることはないので、同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。愛し合う夫婦生活の秘訣の箇所です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/19
コメント(0)
詩篇34:9 まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。神のことば=聖書のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。聖書のことばにアーメン=ほんとうです。誠です。と、信じ応答し告白すると、祈りは聞かれ無からさえ有を生じる奇跡的ことが、毎日のように起こり始めます。恵みはいつも豊かにあり、主が命じられると天地万物が創造されたように、新しい恵みに取り囲まれ続けます。夕食にラーメンを4年半ぶりに食べる。ラーメンの來來、おいしかった。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/18
コメント(0)
マタイの福音書12:33-37 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」 裏庭に柿の木があり、下記が大好きで実るのを待ち、美味しそうなのでガブとひと噛み。苦いと思った瞬間渋みが口中に広がりました。渋柿の実が何故なったのか、渋柿だったからです。 人間の良しあしも、その実によって知られます。戦争法案も原発を廃止せずにいるのも、関東大震災東北復興もほとんどせずに、国立競技場を巨額の費用で作ろうとするのも、マムシのすえだから、心に満ちていることを欺きのことばで言いくるめるのです。 今年は口ぐせを変えるをテーマに、天国ことばを語ろうといつも語っています。来週は種子島へ行きますが、西之表キリスト教会で、イエス・キリストの救いを聞き、アーメンと信じ洗礼を受けました。すべての重荷を十字架の下に下し、罪が赦され、正しく健やかに祝福され、永遠のいのちを与えられた神の子になりました。天国が国籍となり、天国語が母国語になりました。 悪口や不平不満、避難や中傷、泣き言や雑言罵倒のことばを捨てて、神の愛と恵みのことばを使います。聖書が天国ことばのテキストです。聖書のことばをいつも口にするだけでも、心楽しく平安にみたされます。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2016/07/18
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。2:25 あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。すべては監督次第ということばがあります。高校野球のシーズンです。良い選手がいるチームが強いが、やはりそれより良い監督の指示どおりに戦ったチームが優勝旗を手にします。人生も同じです。自分を監督している限り、自己中心になり、わがままで迷う人生をさ迷います。人の言うがままだったり、快楽や悪習慣に委ね、悪魔に監督されたりの人生は、まったく虚しく、死んだら地獄。生きていても地獄さながらです。イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと信じ、きのうもきょうも、いつまでも生きておられる復活の主に従う人生は、日々満たされた天国人生です。海の日の今日も、さ迷いから救われて、たましいの牧者であり、監督者であるイエス・キリストに導かれ、平安で幸せです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/18
コメント(0)
詩篇32:7、10 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みがその人を取り囲む。16歳の時、種子島でイエス・キリストの十字架により、すべての罪とがが赦され、神の子とされ、永遠のいのち=神のいのちを体験。十字架に救いを成就して墓に葬られ、三日目の朝に復活し、天地万物の上に一切の権を持つ、主イエス・キリストが、世の終わりまでいつも共におられる。すばらしい救いが与えられ、アーメンと信じた幸い。その日から救いの歓声で取り囲まれ続けています。ただ信じただけです。主に信頼する、助けてくださいと祈れば、助けられ解決が与えられます。そして、無敵の勝利者として、恵みに取り囲まれ続ける毎日。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。幸せです。
2016/07/17
コメント(0)
マタイの福音書12::17-21 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。 「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。異邦人は彼の名に望みをかける。 争うこともなく、叫ぶ=犬のほえる声、カラスのなく声、酔客のどなる声やわめく声=ことで、相手を罵り罵倒する。イエス・キリストには、静かな力強い落ち着きがあります。それは言葉の論争ではなく、愛を持って勝利する人の落ち着きです。怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈る平和な人生を祈ります。また、痛んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。イエス・キリストの限りないやさしさと愛です。打つひしがれた者をさらに傷つけたり、ほの暗い燈心を吹き消したりせず、立ち上がる勇気を与え、明るく強い炎として輝かせてくれます。イエス・キリストの救いは全世界全人類の希望です。その十字架上に釘付けられた両手は、全宇宙と全世界を抱き寄せる愛の御手です。 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネの福音書3:16,17)ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/17
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙2:2―24 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。偉大な生涯を生き抜き、33歳の若いいのちを十字架に捨て、全人類の救いを実現されました。自分から十字架の上で、私の罪をその身に負われました。16歳の時、そのことを初めて知りました。愛は自発的、頼まれてしたことでもなく、アガペの愛、無条件に愛。そのしるしは十字架にあります。罪のない神の子として処女降誕され、罪のないその生涯を自らささげました。その結果、すべての罪を背負い、同時にそのことをアーメンと信じるとき、義のために生きる人生が与えられます。信仰の義人は生きるのです。雪よりも白く洗われたきよらかな人生が、現実となります。同時に、キリストの打ち傷のゆえに、精神と肉体の病もいやされたのです。現代社会は、様々な精神疾患があり、肉体の病も数限りなくあり、病院に行けば病名が宣告され、食事もいらないくらいの薬が出されます。病人の仕事は薬をもらう事と飲むことです。待ち時間は長く、診察はちょっとの時間です。イエス・キリストは、信じる者のしるしとして、病人の手を置けば癒されると約束しました。手当ということば通り、病むときに手を当てて、イエス・キリストの打たれた傷で癒されたと宣言します。病む人は癒され、気持ちが病に勝ち、元気になります。交通事故で車椅子に乗せられ、大阪の教会へ行きました。可愛い5歳の女の子が、近づいてきて足に手を置いて、イエス様によって直るように祈ってくれました。この子はアルツハイマーで介護タクシーでやって来る88歳の高齢者にも手を置いて祈ります。先日訪問し祈った時、不自由な口を動かし、喜びを語ってくれました。今日も八尾市からご夫婦で礼拝参加です。自分でも信じる者として、自分の痛むところに手を置いて祈ります。すばらしいいやしが、精神的にも肉体的にも与えられ、もう病気ではない。病はあっても気は病まない、健やかな気持ちでハレルヤの日曜日です。午前中は、富雄キリスト教会=奈良市富雄川西1-19-11で礼拝説教。午後2時から大阪市浪速区2-3-4、エリムキリスト教会礼拝説教。神のなさることはみなその時にかなって美しい。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/17
コメント(0)
詩篇32:1ー2 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人。その霊に欺きのない人は。 種子島の西側に屋久島がそびえ、九州一の宮之浦岳=1936メートルは雪が美しく輝いています。その雪よりもきよらかな心を願っていました。 高校生の時、イエス・キリストが十字架にいのちを捨て、血を流してすべての身代りになり、アーメンと信じれば、雪よりも白くなると聞き、その日信じバプテスマを受けました。16歳でクリスチャンになり、その日から、幸いなことよ!と目覚め、幸せな平安の日々です。今年も7月31日、西之表キリスト教会で礼拝説教。夜は種子島新生キリスト教会で説教です。 幸いになり、幸いに生きる秘訣は、第一にイエス・キリストの十字架をアーメンと信じ、罪とがの赦しを知ることです。 第二に、幸いです。と言うことです。幸せです!!と告白し続けて行動することです。 幸せです!!と勉強し、仕事をし、幸せな平安の人間関係も。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2016/07/16
コメント(0)
マタイの福音書11:28-30 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。 15歳の時、アルビン・ハモンド宣教師が、種子島高等学校の教室で英会話クラスを開いていました。出席すると、"Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest. "Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls. "For My yoke is easy and My burden is light."変な日本語で、私の所に来なさい。休ませます。荷物は軽いです???当時は休みの日に家に帰ると、山で薪拾いやヤギの草刈、稲束やサツマイモの袋運び、休むどころではありません。瞬間、このアメリカ人が背負ってくれるのか?と思いました。Come to me,というお方は、イエス・キリスト様です。当時は無神論で、自分には縁がない、英語クラスだけにしようと思いました。 2学期になり英会話クラスはなくjなりましたが、市内の最上医院で開かれていた礼拝に行き、その年=1957年11月24日に、種子島の海で洗礼を受け、今年60年になります。 今年も、再来週29日から8月1日まで種子島です。31日の日曜日、洗礼を受けた西之表キリスト教会(池田公栄牧師)で礼拝説教です。夜は日本バプテスト連盟種子島新生キリスト教会(沼田俊昭牧師)で礼拝説教です。また、星原中学校の同級生との会食もあり、今年もホテルや教会の礼拝に来てくれます。今年は、4月に3名が生駒聖書学院まで来て洗礼を受け、被災地益城町に種子島からボランティアに来て、生駒と電話しアーメンと信じ洗礼を受けた63歳男性もあり、再会ができます。交通事故もまだ完治していないけれども、予定通りユックリとの種子島への奉仕の旅です。お祈りお願いします。 重荷を負う人生が、イエス・キリストをアーメンと信じただけで、心に平安と喜びあふれる人生に変えられました。ありがとうございます。今日もまた重荷もなく、キリストのことば通りの天国の一日です。感謝します。 詩篇55:22 あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
2016/07/16
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙2:19-21 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。昔、ある旅人が雪深いアンデスの村を訪ねました。男たちがいない村で、不思議に思い古老に尋ねました。彼は旅人を案内し、雪深い山道を指示します。そこには雪の上に大きな足跡があり、山へ続いています。雪山への狩りに、村の首長が先頭を進み、その後を男たちがしっかり踏みしめて歩み、まるで一人のお大男が歩いたように見えたのです。主イエス・キリストは、十字架と復活で救いの道を備え、世の終わりまで生きておられ、アーメンと信じる者たちの先頭を進み、歴史の中を真っ直ぐに天国への道を見続けています。キリストに従うクリスチャンの足跡は2000年以上も続き、歴史にその結果を残しています。16歳の時、種子島の西之表キリスト教会でアーメンと信じ、城の浜海岸で洗礼を受けた日から59年、そのみあしの足の後を踏みつつ、歩み続けています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/16
コメント(0)
マタイの福音書 11:5-6 盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、耳の聞こえない人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」 聖書には、すばらしい奇跡が多く記録されている。奇跡のある人生は素晴らしい。今も世界中で、イエス・キリストの名前によって、奇跡が豊かになされています。 最大の奇跡は、今朝目が覚めて生かされていることです。私たちが滅びなかったのは主の恵みによる。その真実は絶えることがなく、朝ごとに新しい恵みです。その生きている、あるがまままの人生が支えられていることも奇跡です。支えてくれる人がいる幸いを感謝します。イエス・キリストの十字架と復活を信じて救われ、新しい生まれ変わりを経験し、新しい人生を生きている奇跡です。神の子とされ、平安で幸せです。 1999年11月、東京で左脳内出血、2012年堺市で右脳内出血、同年10月には小脳内梗塞。左右脳内出血と小脳内梗塞で、バランスよく整えられ、元気に生かされていることも奇跡です。4月1日に、車に跳ねられ、今日で116日目、生かされいのちを守られ現役牧師。 福音=良い知らせ=が、今日も世界中で伝えられ、アーメンと信じる新しい人生が、出会いの度スタートしています。 神の愛をいっぱい受けて、奇跡が輝く歩みの日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/15
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。クリスチャンとは、キリストの者と言う意味です。その本質は、選ばれた種族=エリート族、王である祭司=支配者で僕、聖なる国民=聖なる人、神の所有とされた民=神の子どもです。そのすべての根本は、神の愛であり、主イエス・キリストが十字架にいのちを捨てて死に、墓に葬られて3日目の朝に復活し、きのうもきょうもいつまでも生きているからです。アーメン信じます、と洗礼を受けクリスチャンになります。その瞬間から、神の子とされ尊い人生を、天国へ行くまで歩む恵みです。高貴で香気、幸喜で好機ある、光り輝く生活です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/15
コメント(0)
詩篇31:14 ー18しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。あなたに告白します。あなたこそ私の神です。 私の時は、御手の中にあります。御顔をあなたのしもべの上に、照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。主よ。私が恥を見ないようにしてください。私はあなたを呼び求めていますから。 朝来るごとに恵みは豊か。新しいいのちが耀き、活き活き生かされ、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。幸せです。平安いっぱいハレルヤ! 全知、全能、遍在、永遠不変の愛の神に、十字架にすべての罪も病やのろいと貧乏を引き受け、死をも滅ぼし永遠のいのちを与え、神の子とされる不思議な救い。死に打ち勝ち復活し、今も生きておられる主を信頼しています。恐れは消え、人生の時を支配し、恵みの光で照り輝く日々を感謝します。どんなときでも、何があろうと、恥を見ないように、道の光となり、栄光の耀きを与えられます。主の名を呼び求めれば、助けの御手に助けられます。 沖縄へ来初めて30年、昨年は珍しい経験でした。7月9日は、那覇空港上空まで行き、台風で着陸できず、関西空港へ引き返し、最終便で恩納村リゾートホテルに24時にチェックイン。10日は大風の中雨も止み、無事結婚式司式。夜は3時間30分の沖縄式披露宴。 4泊5日の沖縄でした。8月もは5泊6日でまた沖縄でした。今年は8月19日ヤットヤリーゼンシ―連泊。21日はつきしろゴスペル教会で礼拝説教。家庭集会や同窓会も計画されています。 今日も賛美と祈りの、聖霊注がれ導かれ、2500歩。ありがとうございます。今日もまた天国の1日でした。感謝してます。ハレルヤ!
2016/07/14
コメント(0)
マタイの福音書10:40あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。 心を優しく、癒しの沖縄で過ごし、今朝の便で関空へ。昨年は、那覇空港まで来たが、台風で着陸出来ず、関空へ引き返す。11日結婚式司式のため、沖縄の旅行者がANAの最終便を手配し、那覇空港の22時過ぎに到着。送迎の軽自動車で恩納村リゾートホテルに23時45分着。フロントマンがイエス様を受け入れる祈りをしてくれる。結婚式までにレストランや売店で8名。チェックアウトの時もひとり。 150名参列の披露宴でも、最後に指名され、祝辞とエス・キリストのお名前で祝福を祈りアーメン。参列者の皆さまが大きな声でアーメンと唱和。ほとんどがアーメンと初めて告白。翌日は那覇市へ。ホテルチェックイン時にひとりのボーイ。ラウンジのウエイトレスもアーメン信じます。国際通りの石垣牛女店員もアーメン信じますと祈る。漫画も冊子も恩納村とうるま市で全部無くなる。今週は日曜日7500歩。月曜、火曜もいろいろあり、昨日は八尾市まで今日入院する88歳教会員を見舞い、雨の中を4500歩。さすがに今日は院内だけで2500歩。静かに過ごす一日です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/14
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙2:48 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった。」のであって、「つまずきの石、妨げの岩。」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。イエス・キリストを信じる者には、尊い礎石。信じない者には、躓き石、妨げの岩です。家を建てる礎石が何であるかによって、人生の将来が決まります。土台が崩れると、すべてを失います。死が訪れた時、天国行きを確信できる礎石=イエス・キリストの上に人生を築いた幸いを体験してください。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/14
コメント(0)
マタイの福音書10:29ー31一羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あたたがたの頭の毛さえも、みな数えられえています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれたものです。ルカの福音書では、二羽の雀は1アサリオンとあり、おまけの雀でさえ、そこにあるだけで値打ちあると言う大きな意味です。人間の価値は、全世界よりも尊く価値があります。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛してる。 神に愛され尊く価値あるいのちを、自殺、自死、殺人、虐殺の戦争をすことは、最大限の罪悪です。 71年継続している平和を守り続けるよう祈りつつ、マタイ福音書を読んでいます。あるがままで尊い存在です。愛の神の中で、与えられたいのちの限り、天国に召されるまで、恵みを豊かに注がれています。88歳の老兄を見舞い、奥様と共に快癒を祈る午後。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝できる病床です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/07/13
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙2:1-3 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。リビンングバイブルが発行された1978年、創世記から読み始めてペテロの手紙の箇所に来たとき、隣室からオッパイよう!オッパイようと大きな泣き声が聞こえてきました。=泣いてミルクを欲しがる赤ん坊のように、熱心に救いの完成を祈り求めなさい。キリスト様に近づきなさい=聖書は乳のようです。赤ちゃんがオッパイを欲しがるように、聖書のことばを読むとき、すばらしい恵みへの成長が与えられます。昨日、100人の聖書=著者篠原元・発行イーグレイプ・定価1300円+税=著者が訪ねてくれ、著書を開いて、真に豊かな人生を!炎リバイバル教会篠原隆=著者の夫君の紹介文。15歳の時に聖書を読みはじめもう60年。今朝も聖書のことばに養われて、交通事故114日目の朝も、聖書の約束通り癒されて元気です。今日は89歳の男性の癒しと健康を祈りに八尾市まで出かけます。毎日、福音と共に生かされています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/12
コメント(0)
マタイの福音書10:19ー20どのように話そうか、何を話そうかと心配するにはおよびません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなた方ではなく、あなたがたの内にあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。 昨年の今日は、台風の中やっとたっどり着いた沖縄県恩納村での結婚式。28年前、沖縄グローバル株式会社創立会に来た時アーメンと信じクリスチャンになった女性と、2012年春に沖縄の海で洗礼を授けた男性の式。50名の参列で式を終え、150名参列の3時間を越える披露宴。終わりに司会者に奈良県から来た牧師様にと、突然指名された。 明るい愛に輝く、栄に満ち楽しく仲良く、晴れやかに真っ直ぐ、ラッキーな新家庭をと短く語る。最後に、新婚夫婦と両家、参列の皆様の健康と祝福を、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。披露宴会場は、ほとんどが牧師の話を聞くのは初めてだったが多くのアーメンが響きました。 日曜日の礼拝は、うるま市の宮里サレム教会説教でした。今年は8月19日~24日帰宅で、沖縄行き。那覇ハイヤット6連泊。21日の礼拝は、つきしろゴスペル教会説教。22日は生駒聖書学院同窓会。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/12
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙1::22-25 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします=この言葉は、国立国会図書館法の前文「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」国立国会図書館の設立理念ともいうべきもので、東京本館の目録ホールに、日本国憲法制定時の憲法担当国務大臣でもあった初代館長金森徳次郎の筆跡で刻まれています。国会議員たちが、真理を知るとき、日本は真理に基づく国になり、平和憲法を守り、政権党も野党も平和に国民の幸せに仕えます。真理とは、人類の前歴史の中で唯一、ヨハネの福音書でイエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」イエス・キリストだけが真理です。それ以外はすべて道を指し示すだけ、真理を教えたりするだけ、いのちとはと説明するだけの世界です。宗教にも哲学も科学の世界にも、真実の救いはなく、道に迷い、教えに惑わされ、混迷の世界に入るだけです。その終局は滅びであり、行きつく先は地獄です。イエス・キリストの福音をアーメンと信じ、真理=イエス・キリストの従う人生です。聖書のことばは種のようです。種をまくと芽が出て実を結ぶように、神の真理のことばに導かれる人生を体験できます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/12
コメント(0)
マタイの福音書10:13その家に入るときは、平安を祈る挨拶をしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。12人の弟子が選ばれ、汚れた霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威が与えられました。 宣教に送り出され、平安を祈るよう命じられました。祈りは天の権威です。アーメンは、誠ですという意味で、呪文でも題目でもなく、聖書=神の言どおりになります。ハイ。そのとおりです。心から素直に信じる応答です。 祈りのことば、特に平安を祈ることばは。もっとも強く力があります。相手が受け取ってくれたら、平安がその人に与えられます。拒否されたら、祈った人が平安に満たされます。平安を受けるにふさわしくないなら、祈ったほうに平安が与えられます。今朝は千客万来。ことしの卒業生と、神学生が書斎へ来訪。お土産にココナッツクキーと、母親が焼いたケーキも持参。月曜日はピアノのレッスンもあり、結構にぎやか。昼過ぎにポストへ。コンビニまで生き、喫茶店でコーヒーでもと思い歩くが閉まっており、コンビニへも行かず往復3000歩で帰宅。暑さもあるがかなりきつい。1000円でキャベツを買い、キュウリとピーマンも下げてたどり着く。いただいた鯛めしで一人夕食。静かな月曜日の夕べです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。
2016/07/11
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙1:18-19 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。全世界の民族数は、30以上だと言われています。その正確な数は不明です。先祖伝来の風俗習慣、宗教行事などの伝統から、贖い出されたのがクリスチャンです。空虚生き方に通じるのが、先祖伝来の伝統や習俗です。そこには真実の救いはなく、虚しい滅びへの道です。銀や金のような朽ちる物=物質的な装飾品やきらびやかなもので、真実を見えなくするまやかしもの=ではなく、傷も汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によって救われたのが、クリスチャンです。自我から=2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。罪と病から=ペテロの第一の手紙2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。呪いから=ガラテヤ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。貧乏から=コリント人への第二の手紙8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。死と滅びから=へブル人への手紙2:14-15 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。先祖伝来のむなしい生き方から解放され。平安と幸せの感謝の日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の祝福の一日です。感謝してます。
2016/07/11
コメント(0)
明日の恩納村リゾートホテルでの結婚式&披露宴のため、沖縄行きです。大夫接近ニュースのため、沖縄からも電話です。何も心配しなくていいですよと、答えています。 結婚式では伝道者の書のことばを読みます。ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。 結婚したら、ふたりは一体です。アイウエオ夫婦になってください。あ=明るい愛で い=いのち輝き う=嬉しい え=笑顔で お=大きな幸せ明るい愛で、いのち輝き、嬉しい笑顔で、大きな幸せ!あかさたな夫婦もいいですね。明るい愛が輝き、最高の宝で仲良く ハレルヤまっすぐ やさしく楽に アーメン コリント人への第一の手紙13章; 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。ありがとうございます。最高の笑顔輝く天国の一日です。感謝します。
2016/07/10
コメント(0)
マタイの福音書9:3538 それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」イエス・キリストの働きの一つは、御国の福音を宣べ伝えること。二つは、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。もう一つは、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている群衆を愛することです。宣教と、癒しと、愛の行いが、キリストを信じるクリスチャンと教会の使命です。 救いがあると告げる伝令です。アーメンと言えば救われます。癒しが必要な人に手を置いて癒しを祈り、神の愛を実行します。愛は行いになって初めて分かります。そして、救われる人がいっぱいいます。収穫は多いのです。刈入れ時が来ています。けれどもは働き手少ないのです。すべてのクリスチャンが、イエス・キリストの救いを伝える時です。また、生駒聖書学院に来て、聖書を学び、聖霊に満たされた愛を実行する牧師になってください。男女単身寮、家族寮もあります。9月入学生も募集中、9月7日入学式です。 年齢、学歴、経歴、性別、国籍に関係なく、神に召された働き人を求めています。通信科もあります。どうか、収穫の主に、収穫のための働き手を送ってくださるようお祈りください。神様が、あなたですと言われたら、入学をお待ちします。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/07/10
コメント(0)
聖書の一言;ペテロの第一の手紙1:3-9 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。10日の朝、主権在民の投票日です。神の愛によって、恵みを与えられる豊かな祝福人生。箴言10:22 主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。=神様に祝福されることほどすばらしいことはありません。どんなにがんばっても、人間にはこれ以上のことはありません=救われている幸せ、何事があろうと祝福人生です。1. 旧約聖書の祝福人間創造=創世記1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。アブラハム=創世記 12:2-3 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」祝禱=民数記 6:24-27『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。6:26 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』6:27 彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」2. 新約聖書の祝福幼子=マルコ10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。食事=マルコ6:41 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。昇天の祝福=ルカ24:50 それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。24:51 そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。祝禱=2コリント13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。霊的祝福と実際的祝福真の神を知り、罪を赦され、神の子とされ、永遠のいのちを与えられた祝福。天の祝福=エペソ1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。地上の祝福=3ヨハネ1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。与える祝福=ルカ6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。クリスチャンの祝福は、自己満足やちっぽけな安心だけでなく、永遠の天国までに継続する、ほんとうの祝福です。その最高の姿は、神を祝福する礼拝です。詩篇103:1リビング訳=私は心から神様を讃えます。今までにいただいた祝福を、決して忘れません。ありがとうございます。今日もまた天国の祝福の一日です。感謝してます。
2016/07/10
コメント(0)
詩篇27:14 待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。 4月の交通事故から100日目。整形外科診察で、右腿が2センチ減少。もうすぐ左足と同じ大きさに。左顎と頬の20針縫合の後はきれいに完治し、何でも食べれられ、今日のランチにはフランスパンの豪華なサンドイッチを美味しく食べた。 主イエス・キリストを信じるとき、信仰、希望、愛が与えられ、復活のいのちに生かされます。 御霊の実の愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の人格が与えられます。 心で決めてことばに出せば、告白どおりの結果になります。アーメンと本気で言えば、その通りになります。悪い習慣からすぐ解放されます。思っているだけでは何も起こりません。 朝から蕎麦が食べたいと思い続けていても、食堂に入ってラーメンと言えば、ラーメンがでます。そこで思った通りに、蕎麦が出されなくて怒っても、ラーメンと自分が言った通りになっただけ。 不信仰なことばや、ネガティブなこばばかり口にしていると、ひどい目に遭います。言葉の不思議さは、自分が言った通りのことが、繰り返し起こります。主を待ち望み、心を強くし、本音でアーメンと祈り、健全な信仰を告白するよう、心、コロコロにならないように、ことばのエネルギーは聖書のことばです。、しっかり宣言し告白どおりになります。神の子どもですから、神のことば、天国ことばをいつも使いましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/07/09
コメント(0)
全75件 (75件中 1-50件目)
![]()
![]()
