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現在=puresentが文字どおりプレゼント=贈り物となり、すべての事が益となる結果を見なくても、ありがとうございます。心からの感謝になります。 旧約聖書、新約聖書の奇跡の数々。2000年のキリスト教会の歴史、現代のクルスチャンたちの経験。自分の74年の人生、いや今年の経験だけでも、神の愛の奇しいわざに、心からの感謝でいっぱいです。 恵みの朝明け いのち生かされ 笑顔は輝き 奇跡は今日も 十字架伝えてアーメン信じ ありがとう幸い天国の日々 2011年家内が、余命一年と宣告され、2014年5月17日の夜、私の手に指文字で、て・・・ん・・・ご・・・く・・・と書き、平安で静かに召されました。その姿を見て聞いて、召天式の朝までに10名が洗礼を受けました。 枕元で3名の看護師が、寝台車の二人と葬儀社の二人も、アーメン信じますと、イエス様を受け入れる祈りでした。召天式の前に、78歳の姉、70歳弟夫妻、65歳弟、息子の義母も洗礼を受け、家内を送ってくれました。まさしく奇跡のような召天の時。その日から2年3ヶ月半。一人暮らしの日々です 今日も快調に、交通事故右足腿加療中。右足腿腫れとうっ血をタイ古式マッサージで。指圧師も待っている明日誕生祝。 ありがとうございます。今日もまた天国の奇跡の一日 。感謝してます
2016/08/31
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マタイの福音書28:18-20 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 11人のガリラヤの漁師たちが、あらゆる国の人々を弟子とするために遣わされた。その命令を受けた弟子たちは驚き恐れたに違いない。しかし、イエス・キリストは死を打ち破り,眼前におられるいのちの主。天地万物のいっさいの権威ある主。その臨在は世の終わりまでともにあると約束された。その約束は、ペンテコステの日に成就した。弟子たちは復活の主の命令が、その50日後に力強く実現するのを目の当たりにに、その日から現在まであらゆる国の人々が、バプテスマを受けてキリストの弟子=クリスチャンとなり続けている。マルコの福音書16:15-20 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕 使徒の働き2:38-42 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/31
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聖書の一言;ヨハネの黙示録21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。 大好きな聖書のことばです。 天国の門は、イエス・キリストの十字架=ヨハネ10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。"I am the door. If anyone enters by Me, he will be saved, and will go in and out and find pasture. その救いの門は、東西南北の3×4=12の門があります。どの門も一つの真珠から出来ていて、光り輝く門。 東に3つとは母の胎内や青少年期に救われる人々。私も16歳でアーメンと信じたので、東の門からの救いと思っています。牧師となる人々は、ほとんど10代でクリスチャンになったと言われています。昨日来訪の牧師は、65歳で牧師になり、生駒聖書学院には、40代以上の神学生もたくさんいますが・・・。若い日に救われることを祈ります。 西の門は、死の不安におびえる高齢者の備えられた救いの門。臨終の床でアーメンで安らかに笑顔で天の門へ。 南の門は心優しく、素直にアーメン信じます。幼子のような柔らかな心の持ち主が大勢います。沖縄への旅5連泊。握手し幸せを祈りアーメンと言ってくれた多くの出会い。フロントマンやレディたち。市場の売り子。中学校の校長や教頭、幼稚園や小学生。太平洋に沈む夕日を見ながら、アーメン信じます。まさしく南に大きく開かれた門。 北の門は、理知的で賢く、納得できなければ何も信じられえない人々、しかし、すばらしいことにキリスト教会には英知にあふれた医者や科学者、ノーベル賞受賞者も多くいます。その鋭い知性が、天地創造の造物主をアーメンと信じるとき、偉大な人生が展開して行きます。 こざかしい理屈を捨てて、真の知性を与えられ、真の救いをアーメン人生です。 ヨハネの福音書14:16 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/31
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詩篇75:1私たちは、あなたに感謝します。神よ。私たちは感謝します。御名は、近くにあり、人々は、あなたの奇しいわざを語り告げます。 人々は、奇跡を待ちます。しかし、奇跡は毎日あります。滅びないで朝の目覚めが奇跡です。目覚めた瞬間、感謝します。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。と、ベッドから起き出し洗面所へ。鏡を見ながら、あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ書43章4節を告白します。毎朝、聖書のことばを告白すると同時に、平安で幸せを祈ります。嬉しい、楽しい。愛され、恵まれています。感謝します。 家内が天国へ行って早いもので2年3ヶ月半が過ぎました。一人暮らしももうすぐ2年5ヶ月。インプラント治療moに終わり2年。何でもしっかり食べています。いろいろですが、イエス様がいつも見離さず、見捨てることもなく、共におられて助け守ってくださいます。4月1日の交通事故からも5カ月。診療中。ふと裏庭を見ると、雑草の中に時期はずれの白百合が一輪。どんな事があろうと、現在をプレゼントと受け止め、心からありがとうございます。感謝します。 現在=puresent=が今受けとるプレゼント=恵みの贈り物、神の愛の贈り物となります。無理にありがとうではなく、聖霊の助けにより、心からの感謝と共にありがとうございます。今日もまた天国の一日!感謝してます。
2016/08/30
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聖書の一言;ヨハネの黙示録21:317 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 朝の目覚めと共に、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。 夜の休みの時も、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。 天国があるなら見て見たい。質問や詰問もあります。しかし、ほんとうににある物は肉眼で見えず、心の眼、信仰の眼で見えます。空気や心は有るが見えず、愛も真実も見えずとも、感じられ触れることができます。 永遠のいのちもあり、天国も実在しています。イエス・キリストをアーメンと信じるとき、誠の救いを経験し、神の子となり、永遠のいのちに生きることができます。 肉体のいのちは死で終りですが、霊魂は永遠であり、天国に生きるのです。2年3か月前に、妻は天国へ。その死の床にありました。安らかに静かにほほえむかのように、召されました。その姿を見て、看護師3人、葬儀社員2名。葬式の朝、78歳姉、70歳弟夫婦、65歳弟、嫁の母74歳が。洗礼を受けて、召天を見送ってくれました。 彼女は死んだが、今もなお天に生きていることが聖書の約束です。 天国は、神が人と共に住むところ。目の涙はすっかりぬぐい取られるところ。死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもないところ。 以前のものが、もはや過ぎ去ったところ。すべてが新しくされたところ。 イエス・キリストをアーメンと信じるだけで、そのすべての平安と幸いを受ける、恵みの救いです。 アーメンは天国行きの予約です。沖縄へ行きました。ハイヤットリーゼンシー5連泊。お待ちしてました。お部屋へどうぞと、案内され快適な日を過ごしました。予約していたので、何のためらいもなく、フロントへ行き、予約を確認してもらいました。 イエス・キリストの十字架と復活の救いを、アーメンと信じる恵みを体験すると、もう大丈夫です。死を恐れず、今ある人生を感謝して、平安で幸せに生きることができます。 左右内脳出血、小脳内梗塞、2度の交通事故も経験しました。それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。ピリピ人への手紙1:20-21 その経験を書いた小冊子=天国から追い返された牧師を、9月に再版をしようと思っています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/30
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主イエスは復活 約束のように十字架の救いは 実現された罪とが赦され 神の子とされ永遠のいのち 今日も天国 十字架の救いは 罪とが赦し病ものろいも すべてを消して祝福豊かに 永遠までも賛美と祈りで アドナイイルエ聖霊注がれ 恵みはあふれ日々に喜び 笑顔輝き福音伝える 足音軽く世界の果てまで ハレルヤアーメン
2016/08/29
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マタイの福音書28:-8 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。この歴史的事実=空になった墓。すべての宗教は墓を大切にします。仏舎利塔の骨を集めると2000人の釈迦ができるそうです。教祖が死にその墓所を大切に拝みます。しかし、キリストが葬られた墓はあるが、そこには遺骨も何もありません。わたしはよみがえりです。いのちですとの宣言は事実です。イエス・キリストの復活の事実は、あまりにもすばらしくて信じられない人がいます。このちゅうちょはキリストのことばを信じて、キリストをアーメンと受け入れるときにのみ、取り除かれ、新しい平安と幸せの中で、永遠に継続する喜びとなる。その復活の証人として、イエス・キリストの救いを今日も、アーメンといえば救われますと伝えています。 恐ろしくはあったが喜びで、急いで墓を離れたように、恐れがあり墓にとどまる人生から救われましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝てます。
2016/08/29
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聖書の一言;ヨハネの黙示録20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。 最後の審判があります。教会前で乗ったタクシー運転手に、イエス・キリストの救いを語ると、何も信じない、この世で生きている限り楽しく、遊べるだけ遊ぶと怒り息巻いていました。最近のひどいテロや殺人、核兵器や、原子炉廃炉もされないで、政治の腐敗などを話しはじめました。 自分お救いは別として、最後に裁きがないとおかしい。必ずやったことの報いは受けないと不公平だと言いながらでした。 人は死んだら裁かれると聖書の宣言です。イエス・キリストの十字架は、神の裁きを自ら身代わりに引き受けてくださいました。 その事実をアーメン=その通りと信じるなら救われます。罪ゆるされた平安が与えられ、幸せに生きることができます。 イエス・キリストのことばです。ヨハネの福音書5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。 10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/29
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マタイの福音書27:51-56 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都にはいって多くの人に現われた。 百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった。」と言った。そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。イエス・キリストの十字架の死のそき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。至聖所を覆っていた幕で、この幕の奥には契約の箱があり、神の霊の住まいだった。十字架の死により、神の愛が現され、この時まで閉ざされていた道が開かられ、すべての人が十字架の道によって、聖なる神に出会えるようになりました。イエス・キリストの十字架の死によって、神と人とを隔てていた幕は、永遠に取りのけられました。また、墓が開かれことは、イエス・キリストの十字架と復活により、墓はその力を失い、死はその悲惨な様相をとりさられ、地獄はその壁を打ち破られたのです。イエス・キリストをアーメンと信じる者は、死の力から救われ平安に天国を持つものとされたのです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/28
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聖書の一言;ヨハネの黙示録19:1116 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。 その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。 ハレルヤ・コーラス ハレルヤ × 10回 全能の神 統べたもう ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ 全能の神 統べたもう ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ 全能の神 統べたもう ハレルヤ × 14回 この世 並(な)べて 並べて 神の治(しろし)めす国となりぬ 永遠(ときわ)に変わりあらじ 永遠に変わりあらじ 永遠に変わりあらじ 主なるわが神 主なるわが神 主なるわが神 わが神 永遠に 永遠に 永遠に変わりあらじ 変わりあらじ ハレルヤ ハレルヤ 永遠に変わり 変わりあらじ 主なるわが神 主なるわが神 永遠に変わりあらじ 主なるわが神 ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ 1743年3月23日にロンドンでの演奏を聴いていた国王ジョージ2世が、 “For the Lord God Omnipotent reigneth(全能の主、我らの神は統べしらすなり)” と歌いだすのを聞いたとき、 感動のあまり思わず立ち上がり、合唱が終わるまで聴衆とともに立ち続けたという話は有名です。 そこからハレルヤ・コーラスの間、聴衆が起立する習慣がうまれたといわれています。 王の王、主の主です。天皇陛下の会見を聞いて、自分は神ではない。普通の人間=象徴のままでよい。平和憲法を変えないでとの訴えを聞いた思いです。 王の王、主の主の前では、だれであれ拝礼するのです。十字架に死に、3日目の朝に復活したキリストこそ、勝利の主、王の王、主の主です。ハレルヤ。
2016/08/28
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詩篇71:5ー8 神なる主よ。あなたは若いころからの私の望み、私の信頼の的です。私は生まれたときから、あなたに抱かれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。私は多くの人にとっては奇跡と思われました。あなたが、私の力強い避け所だからです。私の口には一日中、あなたの賛美と、あなたの光栄が満ちています。 聖書を開くと、私の望み、私の信頼の的です。私は多くの人に取っては奇跡と思われました。のことばが目に飛び込んできました。この世に生まれて来たことが奇跡の誕生。昨日も書きましたが、4年生=8歳の時、母が38歳で召され、それから7年後、引き取ってくれた義母が召されたのも同じ8月26日。 母の死から一人ぼっち。歌も歌わず、ハイかイイエ以外、ほとんど無口、運動もしない、歌も歌わない日々でした。義母の葬式後の2学期になり、高校の近くの下宿屋へ。市内の最上医院で行われていた、西之表リスト教会の家庭集会へ。 9月2日が誕生日。16歳で誠の見えない愛の神を知り、11月24日、イエス・キリストの十字架と復活により、すべての罪=原罪までも赦されたことを聞い て、アーメンと信じました。その日から59年、罪を赦され、洗われ消され続けて、雪よりも白い心の神の子とされ、永遠のいのちの平安と幸せの日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。
2016/08/27
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マタイの福音書27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。この言葉は衝撃を与えますが、詩篇22篇を十字架の上で暗唱し、その最後は高らかな勝利の歌、彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。この叫びの瞬間、全世界の罪と汚れが、イエス・キリストの体と心全体にのしかかり、罪なく罪を知らない方が罪そのものになったのです。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。コリント第二5:21しかし、この十字架上のことばは、エリ、エリ、レマ、サバクタニで終わらず、完了した、と言われ、父よ。そして、わが霊を御手に委ねます。すべては終わったとのことばは、テテレスタイという勝利の叫びです。仕事が完了した。苦闘をとおして勝ち抜いた、真紅の闇を通り光に到達し、栄冠を勝ち得た者の叫び。イエス・キリストの勝利の叫びです。 人生の本当の勝利者は、神が見捨てたのではないかと思うような時でも、最後までその思いを退ける人生です。勝利者は信仰の最後の基盤が崩れ去ると思おう時にも、最後まで信じ抜く人です。どこまでも愛の神にすがりつく人です。 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。ペテロの第一の手紙4:12―16ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/27
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19章に、ハレルヤが4回記されている。 すべてのことに感謝する表現で、晴れてもアーメン。雨でもハレルヤ!いつでもどこでも、嬉しい時はハレルヤ。悲しい時はアーメンと祈りつつ、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝の毎日です。88歳は米寿です。米と言う字を分解すると八十八になるので、88歳を米寿として祝います。米をしっかり食べて長生きしようと言う願いもあるかもしれません。高齢の方に、もうすぐ米寿ですねと言うと、喜んでくれる方が多い。そこで米と言う字は、真ん中に十=十字架+上にハ=ハレルヤ、アーメン。下にもハ=ありがとう。感謝!イエス・キリストを心の真ん中にお迎えし、ハレルヤ=主をほめたたえよ。アーメン=ほんとう=誠ですと、本音の祈り人生。天国までまっすぐ長寿人生です。ほとんどの方は、家の宗教がと言います。今までの経験では、心はと聞くと何もないと答えます。無神論の方は、今まで何も信じなかったと自慢そうに答えてくれます。その心にイエス・キリストをアーメンと迎え、永遠のいのちを受け、死んでも天国です。臨終の床でも、アーメンと信じ安らかに平安のお顔で死を迎えた、多くの出会いがあります。若い日から、元気盛んな壮年時代、老いの日が来る前から、アーメンと信じて平安に守られ、活躍を祈ります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/27
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聖書の一言;ヨハネの黙示録14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」 今日8月26日は、実母が小学4年生の時、38歳で死に、義母が高校1年の時に死にました。母の死の時、最後のことばは、義之。ごめんねでした。野辺の送りであらかじめ用意された墓に棺が下され、土をかけると村の青年たちが土を盛り、白木の墓標が建てられおしまい。蝉がなく声だけを覚え、歯を食いしばって涙を押えました。死ねばおしまい。優しい愛の声も、柔らかな胸と手の温もりもない。物も言わず、口も開かない子ども時代。 義母=ばあに引き取られ5年生の時、彼女は中風で倒れ寝たっきり、夏の終わりの26日に静かに召されました。 30戸ほどの種子島の山の村で、最初のキリスト教の葬式。 1、海行くとも 山行くとも 我が魂の休み 何処にか得ん 2、憂節=うきことのみ しげきこの世 何をかも堅く 頼むべきや 3、死ぬるも死の 終りならず 生けるもいのちの 全きならず 4、浮きこの世に 変わるかの世 年波は寄せず 愛は尽きず 5、不死の休み 全き愛の いのちは主よただ 君にぞある 讃美歌の歌詞が心を打ち、2学期が始まると、すぐ最上医院の家庭集会へ行き、それから3か月後の11月24日、イエス・キリストをアーメンと信じ、午後から西之表キリスト教会前の城の浜海岸で洗礼を受け、クリスチャンになり現在は現役牧師です。 今年も種子島で思い出の海岸=今は浜がなく海辺を散策。 8月21日には,沖縄の太平洋岸で、どうしてもとの52歳男性と海での洗礼式。 イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じ、天国行きの永遠のいのちをもつ死者は幸いです。 彼らは、その労苦から解放されて、天国の休みに入ります。そればかりでなく、彼らの行いは彼らについて行く。 母たちのことを思いながら、その愛、そのぬくもり、そしていつの日か天国での再会を思い、慰めと勇気を与えられる記念日です。 ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/26
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ほほえみはお金を払う必要のない安いものだが、相手にとっては非常に価値を持つものだ。ほほえまれたものを豊かにしながら、ほほえんだ人は何も失わない。フラッシュのように瞬間的に消えるが、記憶には永久にとどまる。どんなお金があっても、ほほえみなしには貧しく、いかに貧しくても,ほほえみの功徳によって富んでいる。 家庭には平安を生み出し、社会では善意を増し、二人の友の間では友情の合言葉となる。 疲れた者には休息に、失望する者には光となり、悲しむ者には太陽、いろんな心配に対しては、自然の解毒剤の役割を果たす。しかも買うことのできないもの。頼んでも得られないもの。 借りられもしない代わりに、盗まれもしないもの。なぜなら自然に現れ、与えられるまで存在せず、値打ちもないからだ。もし、あなたが誰かに期待したほほえみが得られなかったら、不愉快になる代わりに、あなたの方からほほえみかけてごらんなさい。実際ほほえみを忘れた人ほど、それを必要としている人はいないのだから。ほほえめば笑顔が幸せ連れてやってくる。ありがとうございます。今日もまたほほえみ豊かな天国の一日です。感謝します。
2016/08/26
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マタイの福音書26:74ー75すると彼は、そんな人は知らないと言って、のろいをかけて誓いはじめた。すぐに、鶏が鳴いた。そこでペテロは、鶏が泣く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。と言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。ルカの福音書では、主が振り向いてぺエロを見つめられた。 ああ主の瞳、まなざしよ。三度わが主を否みたる、弱きぺテロを顧みて、赦すは誰ぞ、主ならずや。有名な讃美歌どおりに、イエス・キリストの愛の眼差しに赦され、激しく泣いたぺテロの姿です。イエス・キリストは十字架の赦しの主です。愛のあるところに赦しがあります。自分の罪を反省するだけだと、おなじことを繰り返します。悔い改めは、方向転換です。反省は自分の影を踏みながら歩くようです。悔い改めは、太陽に顔を向けて歩くように、影に支配されない人生です。世の光であるイエス・キリストを仰ぎ進むとき、真の悔い改めが与えられ、輝く光に生きることができます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/25
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今年は、新しいホテルハイヤットで5連泊。今日の帰りは、初めてプレミアムシートで、笑顔の綺麗なスチュアーですが、色々お世話をしてくれ、握手し、アーメンと幸せを祈る。 プレミアム・チケット購入の時も、握手し祈る。時間が少しあり、50代カメラマンに自己紹介。空港写真を撮影に来る。握手し幸せを祈る。アーメン信じますの祈りまで。沖縄でも多くの出会い。 もっとにこやかに、恵みの救いを語りたい。笑顔の出会いを、毎日体験したい。 笑顔の心十カ条=笑顔があれば自分が変わる。笑顔があれば相手が変わる。笑顔があれば運命が変わる 1. ハイ。すみませんと素直に言える…笑顔の心 2. あなたのおかげですと感謝のできる…笑顔の心 3. はい、努力しますと前向きに言える…笑顔の心 4. 良かったですねとほほえみ合える…笑顔の心 5. お願いしますと信じていえる…笑顔のこころ 6. 会えてよかったと感動できる・・・笑顔の心 7. 一歩、一歩と励まし合える・・・笑顔の心 8. 頑張りましょうと明るく言える…笑顔の心 9. 心をこめてと謙虚に言える…笑顔の心 10. ありがとうございますと常に言える・・・笑顔の心 笑顔があればより;福田純子著(1991年中経出版) ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/24
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マタイの福音書25:29だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。 有名なタラントのたとえの結論です。人間には異なったタラント=能力が与えられている。タレントという言葉はここからきている。ここでは5タラント、2タラント、1タラントを受けている。問題なのはタラントをどれでけ持っているかではなく、それをどのように使うかです。タラントの量は違うが、それをどう使うか。持っている能力を十分に用いれば、祝福を受けることができます。良い働きをしたら、その報酬としてさらに大きな働きが与えられる。働きへの報いは、休みではなく、より多くの祝福に満ちた働きです。 1タラントを与えられた者は、それを使わなかったので、叱られたのです。使ってみることが必要です。だれでも持っているものを着くと、さらに与えられて豊かになります。使わなければ持っているものさえ無くしてしまいます。 信仰も同じです。からし種のような信仰でも、信じ続ければ奇跡を起こします。すべてのことに感謝し始めれば、不平不満をぶつぶつ言うより早く、事態は好転します。雪の球を転がすように、まず1タラントが与えられていることを確信して、出来ることからやってみよう。高齢になっても大丈夫。祈りと信仰を持ち輝く日々を天国に行くまで、感謝して生き続けましょう。きょういくときょうのある高齢を活き活き生きよう。きょういく=今日行く。きょうよう=今日用。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/24
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聖書のひと言;ヨハネの黙示録14章13節書きしるせ。今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。 彼らはその労苦から解放されて、休むことができる。 彼らの行いは、彼らに、ついて行くからです。 イエス・キリストの十字架が、死の原因の罪を取り除き、その復活は、死を超え永遠のいのちを与え、天国の保証です。 ありがとうございます。今日もまた天国の1日です。感謝してます。
2016/08/24
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聖書のひと言;ヨハネの黙示録7章17節なぜなら御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、彼らの涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。 家内が天国へ行って2年3ヶ月。昨夜は那覇市内のラフォンテで、生駒聖書学院同窓会で、 ハッピーバースデー。日曜日夜は浜サレム教会で、盛大に祝ってもらい。9月2日で75歳。光輝、高貴、好機、幸喜、香気、好機到来の好奇心あふれる誕生日。
2016/08/23
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聖書のひと言;ヨハネの黙示録7章16節彼らはもはや飢えることなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 沖縄に滞在中。とても良い天気が続き、昨日は海で洗礼式。夜はうるま市浜サレム教会で、礼拝と浜サレム教会献堂47周年記念のお祝い。美味しいご馳走もいっぱい。 1961年生まれの同年齢が4名。7月、8月、9月が2名。祝い会のフィーナルは、佐久川神学生のギター奏楽で、ハッピーバースデーの大合唱。 4名とも光輝、高貴、香気、好機、光器で、好奇心旺盛な人生。特に、通信科の仲田郁世神学生は、若々しく輝く出会いで、不自由な足が癒されるよう祈った。
2016/08/22
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聖書のひと言;ヨハネの黙示録5章13節また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。 御座に座る方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。アーメン。アーメン ありがとうございます。今日もまた天国の1日です。感謝してます。
2016/08/21
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聖書のひと言;ヨハネの黙示録4章1節見よ。天に一つの開いた門があった。ここに上れ。天の門が開かれています。ハイヤットリーゼ ンシーを予約したのは2月。昨夜遅くチェックインだが、お待ちしていました。どうぞと9階の部屋まで案内されました。 満室の盛況だが、天国はまだ恵みの部屋があります。アーメン信じますは、天国予約?のキーワード。 家内が天国へ行き2年3ヶ月。一人暮らしも身につき、インマヌエルの主に守られ沖縄です。 朝の迎えで、FMラジオスタジオで、7分メッセージ2本。早い夕食に家族10名と、有名タイ料理レストランへ。 主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。 あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。
2016/08/20
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聖書の一言;ヨハネの黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。 ドアの前に立って、扉をノックするキリストを描いた聖画があります。不思議なことに、そのドアは外から開けることができず、内鍵を開けないと開きません。 イエス・キリストを信じる人生は、心の戸を叩くキリストの訪れに、アーメン。お入りくださいとお招きすることです。 ある婦人は、なかなか決断ができないから、蹴破ってでも救ってほしいと叫びました。イエス・キリストは、だれよりも柔和で優しい紳士です。静かにノックし続けます。アーメン。どうぞお入りくださいと、心にお迎えください。 ヨハネの福音書1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/19
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詩篇65:2 祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を、赦してくださいます。幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。 16歳まで祈ることを知りませんでした。無神論で見える形のものは、それがいくら壮大であっても、芸術性が高くても、金銀宝石で飾られていても、人間が作ったもの、自分が作ったものに手を会わせても意味がない。それはほんとうです。大人から見たら可愛いげのない子どもでした。中学生の時、家の宗教調査が社会科の時間にあり、家の宗教も知らないと教師や同級生に笑われました。無神論で共産主義者の父に5年育てられた中学時代のことです。 16歳で肉眼で見ることも、手で触れることもできない、唯一で真の愛の神、天地万物の創造者、全知、全能、遍在、永遠、不変の神を知り、イエス・キリストの十字架の救いを、アーメンと信じ祈ることを体験しました。 祈りを聞かれる神。罪とがを赦して、親が子どもが背いても、どろどろになっっても、近寄せ、抱きしめ、愛しているよ、大好きと言うより以上に、良いもので満ち足りる人生を与えてくださいます。祈りは生きる力、日々の奇跡への感謝。活き活き生きる、最高の道。絶えず祈る恵みに感謝。祈りの道には花が香り、麗しい実も結実し続ける。ありがとうございます。 祈りを聞かれる幸い。いつも十字架の救いに守られる恵まれた幸い。嬉しい。楽しい。喜びと平安。永遠のいのちを与えられ、この地上の人生だけでなく、死後も継続する素晴らしい天国の暮らし。良いもので満ち足りる感謝の毎日。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/08/18
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昼過ぎに、卒業生がお寿司をもって来訪。遅い昼食だがご馳走になり。午後7時頃でおしゃべり。明日が誕生日なので、生駒にはおいしいイタリア料理もあり、検索すると木曜日定休日。 鉄板焼きの杏樹へ電話すると、午後7時から予約満席と断られ、夕食なしで帰宅。種子島のきびなご黒酢づけがあり、今夜のおかずにプレゼント。 昼にしっかりご馳走になり、冷蔵庫のスイカを夕食にした。明日から沖縄行き。16時10分で18時10分着。 ハイヤットリーゼンシー那覇に5連泊。昨年は2回とも台風に邪魔され、沖縄行きは大変だったが、今年は快適な旅になる。 生駒聖書学院生も二人おり、通信科神学生も3名。今年も生駒聖書学院入学生との新しい出会いもありそう。 22日には、那覇市内のイタリアンレストランでの同窓会もあり、卒業生たちとの幸せな出会いに感動。交通事故の加療中だが、腫れも引き送迎ありなので安心です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/18
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聖書の一言;ヨハネの黙示録3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。 ABCラジオ放送を43年継続中。 43年前、名神高速木曽川を通行中、義之君。ラジオ放送をしてみないか。と声をかけられた。電波量が一ケ月5万円+諸経費=6万円.瞬間的にできないと思った。でもそのことばを口にする前に、一ケ月くらい祈ってからの返事で良いとのこと。できないということばは舌の上に会ったが、口にせず飲み込んだ。 あの時、できないと言っていたら、ラジオ牧師ではなく、ここに書くこともなかった。 出来ませんと言っても、だれにも非難されないし、何も言われれることもなく、当然のことだった。 開拓教会で一ケ月の献金が5万円もない、牧師給もなく働きながらの生活。話し下手でもあり、ラジオ放送など考えたこともない。 祈りは不可能の扉を開く。福音を広く伝えたい願いはある。話し下手でも、何であれ良い知らせを伝えるために召された確信はある。イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じ救われた。その中で良い知らせを伝えるために、生駒聖書学院に導かれ、奈良市富雄キリスト教会牧師。 祈りツツ聖書を開いた。見よ!ということばが目に飛び込んだ。その箇所を見ると、わたしは、あなたの行いを知っている。 見よ。わたしは、だれもとじることのできない門を、あなたの前に開いておいた。 アーメン。ありがとうございます。ラジオ放送の門が開かれました。感謝します。その聖書のことばにしがみつき、しっかりと信じての43年継続のラジオ放送伝道です。 少しばかりの力=アーメンと言うだけの力で、奇跡の扉は開きます。神のことばを守り、天においても地においてもいっさいの権威あるイエス・キリストのお名前を信じる限り、不可能は可能となり、神のご計画は前進します。 毎週水曜日朝4時35分~45分;ABC1008Khz。早朝ですが毎週レスポンスのハガキが届きます。今月は、30秒に祈りが世界を変える贈呈中です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/18
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台風7号が関東から東北へ、さらに北海道へ。一雨欲しい生駒だが、朝から曇り空だが、雨は無し。 昼からや八尾市駅前で待ち合わせ。タクシーで79歳男性見舞いに。若い時韓国でクリスチャン。来日後、八尾市で鉄工所経営。昨年から信仰復帰し、介護タクシーで礼拝出席。89歳の婦人も5月に洗礼を受ける。 遺漏中で話しはできないが、昔覚えた文語訳の聖書のことばをしっかり受け止めてくれる。 今日は四辺23篇と、46篇を書いて届けた。前回見舞いの時、祈りを受けて熟睡でき平安だったので、沖縄へ行く前に訪ねて祈って欲しい。奥様の実姉と二人で訪問。しっかり祈りにアーメン。顔を輝かせて受けてくれる。祈りは力です。明後日の沖縄行きの前に、牧師として訪ね、良いお交わりと祈りの時です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/17
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聖書の一言;ヨハネの黙示録3:4 しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。 白い衣=7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 その衣を小羊の血で洗って、白くした。 種子島で育ち、屋久島の雪を見るたびに、よしゆきという名前だたので、ゆき=雪のように白い心になりたいと思った。 高校生になり、西之表キリスト教会で、イエス・キリストの十字架の血が、すべての罪を消し去りきよめ、雪よりも白くすることを知り、アーメンと信じ洗礼を受け11月24日で60年。日々、十字架の血汐で=御子イエスの血がすべての罪からきよめる恵みに生かされています。 ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/17
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詩篇62:1ー2 私のたましは黙って…ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、我が岩、わが救い、わがやぐら。わたしは決してゆるがされない。 何と確信にあふれた詩篇のことばを、そのまま自分の確信として告白できる幸い。 西部開拓時代、ミシシッピー川沿いを、旅人が向こう岸へ渡ろうとしました。氷を見るのが初めてで、さらに上流へ。勇を鼓舞し四つん這いになり、川の中ほどまできました。陽気な歌声と共に、カラカラカラと馬車が通過。旅人はすくっと立ち上がり、堂々とゆっくり川を越えて行きました。 試練や困難の川を、万人が越えなければならない、死の川の流れ、氷の上ではなく、イエス・キリストは十字架の上で死の力を味わい、3か目に復活することで、死の力を打ち砕き、天国へ行く道を備えました。 十字架と復活の救いを、アーメン信じますと受け入れ、イエス・キリストを心にお迎えすれば大丈夫です。試練や困難、病や貧困、そして死の川をも確信と平安豊かに越えて、永遠の天国まで、ゆるがされることなく行くことが出来ます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。
2016/08/16
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聖書の一言;ヨハネの黙示録2:19 「わたしは、あなたの行ないとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行ないが初めの行ないにまさっていることも知っている。 信じることは行いが正しくなることです。正しい行いで数われるのではなく、アーメンと言えば救われます。 16歳の時、種子島で聖書のメッセージを聞き、イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと受け入れました。その日の午後、教会前の海岸で洗礼を受け、その日から今日も救われた平安と幸せに生き、11月24日で60年になります。 事実、信じる者は、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神様の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。 なぜなら、信じる者は新しくされ、神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い行ができるように、キリスト・イエスにおいて造られたからです。アーメンと信じるだけで、その善い業を行って歩むのです。 愛は必ず行動します、信仰にも行いが伴います。奉仕することを喜び、働くこともはたを楽にすることを知っているので、ほかの人の幸せに仕えます。望みの忍耐で失望しないで楽しく生きることができます。 人は知らなくても、愛の神様が全部見てくださり、分かってくださいます。 しかも、クリスチャン生活が続き、天国へ召されるまで、その行いは継続し、豊かになっていきます。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。コメントくださった方へ。コメント返事の書き方が分からず返信できません。失礼をお許しください。elimyoshi@kcnへお知らせくだされば、拙著をお贈りします。よろしお願いします。
2016/08/16
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今日、8月15日は、終戦記念日=戦争をしない国へ 正午、全国戦没者追悼式が行われ、戦争で亡くなった310万人を偲びました。千鳥ヶ淵でも記念式典が行われました。靖国に70数名の国会議員が参拝、戦争推進した靖国参拝が続く悲劇です。 平和憲法を守り、平和の継続を守る国であるよう祈る正午です。 天声人語から引用 けっして反戦のための文章ではない。むしろ兵士たちの勇敢さをたたえている。それでも、日露戦争の激戦を描いた記録文学『肉弾』(桜井忠温〈ただよし〉著)を読むと、戦場のむごさが迫ってくる。おびただしい数の味方兵士の死体を踏み越えながら進む場面がある ▼機関銃になすすべもなく倒れる兵がいる。砲車に潰される兵がいる。こちらの爆弾で絶命する敵がいる。実際の表現はどこまでも具体的で、臭いまで伝わってきそうだ ▼生き残った将校が書き、明治後期に出版された。当時も多様な受け止め方をされたようだ。戦中も人権擁護を貫いた弁護士の海野普吉(うんのしんきち)は、この本から戦争の悲惨さを学んだと、いくつかの評伝にある ▼一方で肉弾という言葉は、その後の戦争で兵士を称揚するスローガンとして使われた。戦場の残酷さをかみしめることと、そこに英雄を見ることは、背中合わせなのかもしれない ▼作家の保阪正康さんが、特攻機の整備兵だったという老人のことを述べている。突然訪ねてきた彼が語ったのは、飛び立つ日の特攻隊員の姿だった。失神する、失禁する、泣きわめく。きれいなことを言って飛んでいった人もいたが、ほとんどは茫然自失(ぼうぜんじしつ)だった。「それを私たち整備兵が抱えて乗せたんです」(『戦争と天災のあいだ』) ▼長く胸にしまっていた証言であろう。戦争を語れる人がだんだんと他界し、私たちはいずれ記録からしか学べなくなる。見たいところだけを見ることもできる。でも、それでいいはずはない。 終戦記念日 歴史に学ぶ力を蓄える(2016年8月15日配信『毎日新聞』-「社説」) 私たちはどういう道をたどって今ここに立っているのか。日本赤十字の従軍看護婦の話から始めたい。 野村田鶴子さんはフィリピン・バギオの第74兵站(へいたん)病院で働いていた。そこが米軍の猛攻撃を受けたのは1945年1月23日だ。屋根に大きな赤十字の標識があったにもかかわらず、米軍は容赦なく爆撃した。 彼女は「白衣の看護衣を血で染めた若い看護婦達がいた。自分達と同じ赤十字の看護婦が、しかも年頃も同じ若い看護婦が、息もたえだえになっている。骨の髄まで氷るような思いだった」と衝撃をつづっている(「紅(くれない)染めし」77年刊)。 年々減り続ける体験者 バギオが大空襲を受けた後、日本軍が8キロ離れた鉱山の坑道内に設けた臨時病院もむごかった。 「下半身ギプスをしている患者が足の指の間が焼けるように痛いという。見ると油虫にかじられ、白い骨が見えていた。カンテラで照らしてみると、足を切断された患者の傷の中にも油虫が食い込んでいた」(同書掲載の清水直子さんの手記) 37年に始まる日中戦争から終戦までに、日赤は延べ3万3000人の救護看護婦を戦地や病院船に派遣した。兵士と同様に、赤い「戦時召集状」で強制的に送り出され、殉職者は約1100人に上っている。 その記録の数々は、戦争の愚かさや非人道性を伝えて余りある。 日赤青森支部の花田ミキさんは、中国山西省の陸軍病院に勤務していた当時、憲兵の目を盗んで日記をつけていた。こんな記述がある。 「風呂敷包み一つの私物をもって幼な児のように輸送されてくる人たちの、お母さんたちの心情のせめて万分の一でも我が心にそなわれ、我が手よ、母の手となれと願う」 かつて日赤看護学校の出身者には「卒業後満十二年間戦時又ハ天災ニ際シ本社又ハ其所管地方部ノ召集ニ応シ救護ニ従事スヘキモノトス」という義務が課せられていた。 このため、従軍看護婦には10代後半から20代の若い女性が数多く含まれている。結婚したてで乳飲み子と生き別れた母親も少なくなかった。 戦後71年。終戦時に20歳だった人も91歳になる。殺し合いの最前線で命を守るという、究極の矛盾を体験した生存者の数は急速に少なくなっている。花田さんも2006年8月に91歳で亡くなった。 政府は1998年から2013年にかけて、元従軍看護婦の人たちへの顕彰事業を実施した。申請に基づき約6600人に「その御労苦に対し衷心より敬意を表し慰労します」という首相名の書状が贈られた。ただ、窓口の総務省も日赤も現在の生存者数は把握していない。 辛酸を極めた当事者の声が年々か細くなっていくからこそ、過去を知り、語り継いでいく必要がある。 一人一人の人間は弱く、目の前の状況に流されがちだ。中国や北朝鮮の露骨な軍事力強化を見せつけられると、勇ましい声に引きずられる。その時に私たちを支えるのは過去との対話を通した理性だろう。 安倍晋三首相の戦後70年談話をめぐって論争がわき起こった昨年に比べ、歴史認識の議論は落ち着いてきたように見える。だが、安倍談話は当面の摩擦を避けることに力点が置かれ、近現代史について国民の共通認識を形成したとは言い難い。 現実と理想の懸け橋を A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社を主要閣僚が参拝すれば、再び歴史が強い政治性を帯びる。靖国問題の根底には戦争責任を裁いた東京裁判観の分裂があるからだ。 300万人を超す戦争犠牲者への追悼はどうあるべきか。政治家はこの困難な課題を克服する勇気と信念を持ち続けなければならない。 戦後70年から71年にかけて特筆すべき出来事に、オバマ米大統領の広島訪問(今年5月27日)がある。 1960年代に広島を訪れた米国の社会学者は、中学生から「平和の象徴」として千羽鶴を贈られ、「何とナイーブな」と驚いたという。米国の信奉する核抑止理論と、折り鶴がかけ離れていたからだろう。 しかし、オバマ氏は4羽の鶴を折り、それを展示した原爆資料館の来館者は昨年より4割増えた。冷徹な国際政治と広島の祈りとの間の、ささやかだが意味のある懸け橋だ。 政治には、高度なリアリズムが求められる。同時に、政治が理想への情熱に突き動かされる営みでなければ、人類は前に進めない。 20世紀の2度にわたる大戦に打ちのめされ、安定と共存を求めたはずの国際社会で、再び国家のエゴが強まりつつある。米国のトランプ現象や英国の欧州連合離脱の背後に、排他的な「自国第一主義」が見て取れる。国連安全保障理事会による国際平和の理想も揺らいで久しい。 今はリオデジャネイロ五輪の真っ最中だ。開会式では五輪旗を掲げた「難民選手団」にひときわ大きな拍手が送られた。ただし、難民選手団を結成する必要がなくなってこそ、五輪は真に平和の祭典になる。 71年続く日本の平和は至高の財産だ。これが80年、90年と続くようにするには、やはり努力がいる。歴史に学ぶ力を蓄えること。きょうはその大切さを確認する日である。
2016/08/15
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今日、8月15日は、終戦記念日=戦争をしない国へ 1941年9月2日生まれだから戦前派。4歳17日前に終戦。終戦があと一日でも遅れていたら、種子島も占領されていたかもと思います。 戦後日本とは、とにかく戦争だけはしない。平和憲法の国として、それだけでやって来まました。海外へ出て行って人を殺したり、殺されたりはしないと71年平和を貫いてきました。 天皇は象徴となり、元天皇ほど平和憲法護持者はいないほどに、平和を希求しています。 ところがいつの間にか憲法違反でありながら、内閣と政権党は戦争法案を強行採決し、日本最大の願いが議会で葬られてしまいました さらに憲法改正論が幅を利かせ、不思議なことに、NHKはじめ報道各社がほとんど詳しい情報を報道せず、戦前の大本営発表のような雰囲気まで漂ってきている最近です。 天皇は昨年の新年感想で、「本年は戦後から70年という節目の年に当たります。多くの人が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、いま、極めて大切なことだと思っています」と述べています。 ところが聖戦だった。韓国や、中国、東南アジアを植民地支配から脱させたから、八紘一宇は正しかった。自虐思考では民族の誇りが消えてしまう。日本会議という団体、作家や評論家に日本精神を講義してもらおうという、恐ろしい集団が取り巻きを集めて、憲法改正で平憲法=戦争放棄の第九条を変えようとしています。戦争好きな殺人国家への道、いつか来た道を歩もうとしています。核を持て、殺人兵器を作り。武器輸出で経済向上をと、恐ろしい国に動き始めている時代です。 戦争は終わりました。もう一度などと言わないで、平和憲法で71年続いた平和を、さらに継続できます。戦争の脅威をあおることばに篭絡されないで、終戦=戦争は終わったことを強く認識し、ほんとうの終戦記念日にふさわしい8月15日です。 日本と地球世界の平和を祈ります。
2016/08/15
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聖書の一言:ヨハネの黙示録2:17 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』 7つの教会への勧めと叱責。同時に称賛と勝利者への報償 エペソ教会=勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。 スミルナ=勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。 ペルガモ=わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。 テアテラ=勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。また、彼に明けの明星を与えよう。 サルデス=勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。 フィラデルフィヤ=勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。 ラオデキヤ=1 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。 オリンピックたけなわです。人生のチャンピオン目指して、今日も勝利を得る最善の日です。ハレルヤ。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/15
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マタイの福音書20:29-34 彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てた。すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。この二人の男は、待っていてチャンスをつかみました。イエス・キリストのうわさを聞き、最初は自分には関係ないと思ったかもしれない。しかし、好機が来た来た。彼らの座っているところを通られたのだ。チャンスだ。彼らは叫んだ。ゆるがない希望をもっていた。群衆は彼らを黙らせようとした。信仰があった。理論的でも神学的体系もなかったが、幼子のように素直に、恐れずに大きなことを求めた。お金ではなく、彼らが一番必要なことを願った。二人は感謝の心で、イエス・キリストに従う人生を選んだ。 愛を受けるのは素晴らしいが、すばらしい愛に恩返しをするのは、少なくても感謝にあふれて誠実に行きて行ければと思う朝です。 奇跡なんかないとひねくれるより、今生かされている、目覚めたことが奇跡。そう思えば、すべてのことに感謝できます。 恵みの愛との朝に生かされ 主イエスの十字架仰げば いのち輝き奇跡の日々に 輝く笑顔で ありがとう感謝ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/14
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聖書の一言;ヨハネの黙示録2:10 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。 スミルナ教会は、試練の中のキリスト教会です。苦しみや辛いことを体験したくないのが人間です。 しかし、聖書は信じる人生に苦難があることを教えています。それは金や銀などが、精錬されるように必要なのです。高校野球やオリンピック報道にある通り、選手たちは厳しい練習に耐えて、栄冠をつかみます。その厳しい鍛錬に感動します。 クリスチャン人生、受けようとしている苦しみを恐れてならない。恐れのない人生を、神の愛は約束しています。 見よ。悪魔はあなた方を試すために=悪魔・サタンは試す者です。すでにイエス・キリストの十字架によって打ち滅ぼされたのですが、その欺きと試みる力をふり絞って問題を起こし続けます。 あなた方は10日の間苦しみを受ける。限定された期間で、永遠に続く試練はありません。 しっかりと、イエス・キリストを信じ続ける幸いです。 死に至るまで忠実でありなさい。そうすればわたしはあなたにいのちの冠を与えよう。200音に及ぶキリスト教会の歴史は、死に至るまで忠実な殉教者の記録です。 忠実=まじめであること。また、そのさま。実直。本気。誠実。 ギリシャ語でpistos ピストス=忠実な・信じている。頼できる、忠実な、頼みになる、信頼もしくは信仰を起させる。 何事があれ、まっすぐに十字架と復活の福音をアーメン一筋に、平安で人生です。 ペテロの第一の手紙5:7-11 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/14
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詩篇60:5、12あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。そして私に答えてください。 神によって、私たちは力ある働きをします。 神こそ、私たちの敵=悪魔を踏みつけられる方です。新約聖書ローマ人への手紙16章20節では、平和の神は、すみやかに、あなたがたの足の裏でサタン=悪魔を踏み砕いてくださいます。イエス・キリストの十字架と復活の歴史的事実により、すべてが大きく変わりました。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。その尊い愛は、十字架にいのちを捨ててまでも愛してくださいました。友として50対50の愛。世には友らしい見せかけの友もあるが、兄弟よりも頼もしく、いつも共におられます。また求めれば助けてくださり、悪魔を踏みつける復活の力を与えて、天国にいく日まで、輝く笑顔を与えてくれます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。詩篇60:5、12あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。そして私に答えてください。 神によって、私たちは力ある働きをします。 神こそ、私たちの敵=悪魔を踏みつけられる方です。新約聖書ローマ人への手紙16章20節では、平和の神は、すみやかに、あなたがたの足の裏でサタン=悪魔を踏み砕いてくださいます。イエス・キリストの十字架と復活の歴史的事実により、すべてが大きく変わりました。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。その尊い愛は、十字架にいのちを捨ててまでも愛してくださいました。友として50対50の愛。世には友らしい見せかけの友もあるが、兄弟よりも頼もしく、いつも共におられます。また求めれば助けてくださり、悪魔を踏みつける復活の力を与えて、天国にいく日まで、輝く笑顔を与えてくれます。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝してます。
2016/08/13
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マタイの福音書20:20-28 そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます。」と言った。イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/13
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聖書の一言;黙示録2-3章には、7つの教会に書かれたことばがあります。 幽囚のパトモス島でヨハネが見た幻=そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。 わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会=当時存在した7つの教会が、歴史と現在も存在している教会を象徴的にも預言している。 七つの星は、教会に仕える天使=へブル1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。 また、英語でministerと言う様に、教会に仕える牧師をさし、教会の星と言うこともできます。星が一番輝くのは、暗い夜です。終末の時代に輝く、キリスト教会と牧師でありたいと祈り願いながらの夏です。 7つの教会それぞれ問題があり、叱責されています。当時のエペソ教会は、最高に整えられた教会であり、エペソの教会当ての手紙は、霊的にも質的にも最高の手紙です。 しかし、その教会への手紙でっす。 2:2-7 「わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。 しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行ないを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』 初めの離れることなく、イエス・キリストを信じ、神を愛し、隣人を愛する、全き愛の人生を生きたく願います。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/13
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マタイの福音書20:1-16 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/12
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聖書の一言;ヨハネの黙示録1:17-18 彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。 すべてのものごとには、はじめがあり終わりがあります。文語訳では、最先=いやさきなり、最後=いやはてなり。ギリシャ語では、α=アルファーで、Ω=オメガである。 日本語は、あで、んです。英語ではAで、Zです。 十字架の上にいのちを捨て、全人類を贖い、墓に葬られ、3日目の朝に復活されたイエス・キリストこそ、最初であり、最後であり、生きている真の神です。 その救い主をアーメンと信じるとき、新しい人生が始まります。今までがどうであれ、だれでもキリストにあるならその人は新しく造られた人になり、永遠の天国人生まで守られます。 種子島で16歳の時、アーメンと信じて救われました。イエス・キリストによって、新しく生かされ、朝ごとの恵みに生かされています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/12
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人が一人だとそれでも人だが、人が人と出会うと人間になる。 一番の宝は、人間です。人は一生のうちで、何度も出会いと別れを繰り返します。その中でも、ずっと変わらない関係がある。この「ずっと変わらない関係を築ける人」との出会いこそ宝物です。戦争はすべてを破壊します。平和憲法維持の日々を祈ります。戦争法案は憲法違反、早く廃案にと祈ります。 宝物は数を競うものではない。一つ一つを大切に、常にピカピカに磨き上げていくもの。心がこもった、値段のつけられない宝石です。 自分と同じく、あるいは、自分以上に人を大切に思える気持ち。人が心から自分を大切にしてくれる気持ち。これらは、大きな喜びと、エネルギーを与えてくれます。どんなに高いステージに立とうとも、人を見下してはなりません。自分の軌跡を辿った時、あの頃も、あの時も、人を大切にし、大切にされたので今の自分があります。そのためには、新しい出会いを大事にすると共に、変わらない関係を続けてくれている人達にも、常に感謝しなければなりません!関係がさび付かないよう、ご無沙汰している人には「元気?」とメールしたり、短時間でも会ってお茶したり、そういうちょっとした心がけを忘れないこと。 一人の人間として『心に残る人』になりたいです。イエス様のことばが響きます。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」(ヨハネ13:32-33)ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します
2016/08/11
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マタイの福音書19:27-30 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。イエス・キリストをアーメンと信じ、従う者に与えられる豊かな祝福のことばです。 必ず祝福があるということばです。何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。イエス・キリストは、そんな気持ちで従ってくるのか、従う意味が何も分かっていないと叱責も非難もしないで、素晴らしい祝福を約束しました。具体的にわたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。その百倍を受けない者はありません。マルコの福音書10:29-30 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。 物質的な祝福だけでなく、究極の勝利と栄光が約束され、永遠のいのちを受けます。イエス・キリストを信頼し、信じ続ける恵みの日々です。今日も明日も,天国目ざして前向きに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/08/11
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聖書の一言;ヨハネの黙示録1:5-16イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。 FBで、聖書のことばを毎朝アクセスでき、聖書のことばにアーメンで恵まれています。 詩篇付きの文語訳新約聖書を15歳の時読みました。16歳で洗礼を受けクリスチャンになり、聖書が魂の糧であり、いのちの食物と知りました。でも意味も良くわからずの時、詩篇119篇に出会いました。 わかき人は何によりてか、その道をきよめん。御言葉=みことばにしたがいて慎むのほかぞなき。われ心をつくして汝をたづねもとめたり。願わくは汝の誠命=いましめより迷ひいださしめ給ふなかれ。 われ汝に向かひて罪を犯すまじき為に、汝の言を心のうちに蓄えたり。119:9-11 新改訳=119:9-11 どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。 その日以来、神学生生活、聖書学院教授、牧師生活を続け、9月2日にはアブラハムの年齢になります。 高貴で幸喜、光輝で香気にあふれ、好奇心豊かに、好機のチャレンジ期を祈り願っています。 私を愛して、十字架の血によって、すべての罪から解き放ち、雪よりも白く洗いきよめ、その聖書のことばにより、王国=王であり祭司として、人々の幸せに仕えるように生きる恵みです。 聖書のことばに、アーメンと応答するとき、その通りになる有難い奇跡の日々です。 ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/11
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マタイの福音書19:23-26 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。城壁に囲まれた町には、門が二つあることが多かった。大きな門は商人や通行人が出入りする正門。正門が閉じられた後、見張り人がいる小さな門があり、この門は低くかがんでやっと通れる小さな門を針の穴と呼んでいた。イエス・キリストは、人でさえやっと通れるような門を、大きなラクダは通れない.そのように、富んでいる者が神の国に入るのは難しいとたとえました。 富が人を天国から締め出すのではなく、富が罪なのではない。しかし、富は危険である。イエス・キリストの救いは、自分に欠けたものがあることを認めることから始まる。どうしても富や財産が多くあり、お金にも困らず、地位や名誉や家柄を誇り、あるいは一代でおお金持ちになったら、神よりも金だと執着し、自分が罪人だとか、天国へ行く資格がないなどとは考えないで、傲慢になりやがて来る死の恐れに支配されこの世を去るのです。では金持ちは救われないのか。イイエ。神にはどんなことでもできます。意地っ張りを突っ張るのではなく、へりくだって狭い門=アーメン信じますで救われ、神の栄光お為に、豊かな富を活用し、受けるよりも与える方が幸いである。ゴールデンルールの愛を実行するのです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/08/10
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聖書の一言;ユダの手紙1:16-19 彼らはぶつぶつ言う者、不平を鳴らす者で、自分の欲望のままに歩んでいます。その口は大きなことを言い、利益のためにへつらって人をほめるのです。 愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。 終末時代に、聖書は警告を与えており、読めば読むほど現代がその兆候を示しています。 テモテの第二の手紙3:1-5 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。 そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。 マタイの福音書24:3-14 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。 そのような時だからこそ、ユダ1:20-25 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。 疑いを抱く人々をあわれみ、火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。 あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/10
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もう一つの太陽=濱田龍郎あの山もこの川も その日見たであろう 晴れた昼 もう一つの太陽を一瞬炸裂する 刺すような光を あの山もこの川も その日全身で見たであろう山よ川よ 今日も朝から上天気 あの日の今日だ 昼も近いが 時にはふっと意識せずに ふいの恐怖に震えはせぬか 遠くの雲さえ怖くはないか炎天下 緑の芝生に人々は集い 見て来た者も聞く者も熱っぽく 平和を守れと呼びかける 高まる息で熱くなる山よ川よ 二度と輝く太陽が 二つ有ったりなどはもしない水をとの叫びを子を呼ぶ声を 二度とその耳に届けはしない その爲にこそ8月9日 人々は集い確かめ合う 長崎の 声なき声を聴きに来る
2016/08/09
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聖書の一言;ヨハネの第三の手紙1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得=恵まれ、繁栄し、成功しているようにすべての点でも幸いを得=恵まれ、繁栄し、成功し、また健康であるように祈ります。 三拍子そろった祝福人生を、聖書は約束しています。人間は、三位一体の神の御姿に似せて造られました。 霊と魂そして肉体を持っています。健全な精神は健全な肉体に宿ると言います。しかし、霊的に満たされないと、心の中は空っぽです。思想や主義主張、高級と思われるような趣味、生き方、宗教や道徳的修養を積んでも、創造者である父なる神を持たない霊はむなしく孤独です。 イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じるとき、聖霊が死んでしまっていた霊に、新しい息吹を与え、人は新しく生きることができます。アバ父と呼ぶ霊です。 ローマ書8:9-11 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 アーメン。信じます。心にイエス・キリストをお迎えすると、三拍子そろった平安と幸せを体験できます。 ありがとうございす。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/08/09
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豊かな恵みの 今日も天国まことの幸い 平安満ちて みことばたくわえ 口ずさみつつ流れのほとりの 植木のように日照りのときにも 枯れることなく満たされ続けて 生気にあふれ ありがとう感謝で賛美を口に豊かな実りの恵みの日々を主イエスの十字架信じた日より復活の主イエスは世の終わりまで聖霊注がれ輝く笑顔 福音語れば救いはあふる アーメン
2016/08/08
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マタイの福音書18:21-22 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。 人間関係は愛です。そして愛は赦しです。愛のあるところに赦しがあり、赦しのあるところに愛があります。ルカの福音書17:3-4 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」ペテロは、覚えてますよ。7度まででしょうかと言いました。聖書で7は完全の意味があるので、イエス・キリストは完全に赦しなさいと教えました。7度までは赦すけれども、8度目は赦さいぞ、という意味ではありません。七度を七十七倍するまで、完全な徹底した赦しです。 教えただけでなく実行された尊い愛の姿を、十字架上に見ます。ルカの福音書23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 全人類のすべての罪や呪い、病や貧しさ、死と滅びを赦し引き受け、死なれました。その神の愛の赦しをアーメンと信じているのがクリスチャンです。 愛は赦し、赦しのあるところに愛があります。赦しのあるところに平和があり、平安、喜び、希望、すべての幸せが輝きます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/08/08
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