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大晦日になった。送金があり生駒台郵便局までゆっくり歩く。年末休業で本局は開いているが、そのままコンビニにより帰宅。往復で万歩計は5737歩。送金は1月4日になる。昼に西宮みことばゴスペル教会、ソーザ・チアゴ&ゆかり夫妻来訪予定。宅配ピザでいっしょにランチタイム。独り暮しになり5年目の大晦日。朝は,昨夜いただいた杵つき新餅米の美味しい餅を食べる。昨夜のテレビで,つきたての餅は喉を詰めるから要注意の番組があり、それを見た副院長が,餅を食べるとき気をつけるようアドバイス。息子の牧師が来たので,餅を全部持って帰ってくれた。雑煮は早々と今朝のうちに。明日は元旦礼拝と祝福の祈りの後、午後2時頃に美味しいおせつのご馳走です。高齢者には、きょういくと、きょうようが必要。今年も今日行くと,今日用の充実の1年間でした。1月には,20年間の新世界伝道教会から、JR天王寺駅北口徒歩3分に教会移転の恵み。2月は,沖縄へ30年記念茶話会。また沖縄の桜も見ることができた。3月は、卒業式。宮崎市まで山本勝敏医師の鍼治療に。3日間青島海岸を毎日1万歩以上散策。宮崎市の二人の牧師と面談会食。卒業生二人と食事。4月は,クート師召天50周年記念聖会。鹿児島シティチャーチ、勝郁也牧師の熱烈メッセージ。5月は講義に集中。6月は水俣福音教会礼拝説教で、夕日の輝くホテルに滞在。帰路岡山市で二家族と会食。7月は,宮崎市青島のホテルに3泊。山本勝敏医師の治療を受ける。その足で種子島へ、西之表キリスト教会礼拝説教。種子島新生キリスト教会礼拝説教。種子カトリック教会神父と交流。8月は,沖縄名護のアッセンブリー教会礼拝説教。50代夫婦が礼拝説教を聞いて洗礼を受けてクリスチャンに。つきしろキリスト教会礼拝説教。9月は、77歳誕生日喜寿になり、2学期開始で,富雄キリスト教会礼拝説教。10月は,鳴門市の鳴門ホサナ教会礼拝まで日帰り奉仕。11月は、種子島でクリス茶になり61年目。脳内出血癒やされ20年や歯の治療完成3年など、自分だけの記念の多い月でした。12月は,予定していた宮崎市行きを取りやめ,クリスマスに集中で、大晦日を迎えています。多くの愛と祈りに支えられて、年末を迎えました。明日は元旦礼拝説教。すべてのことにそのま8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ま感謝し、ありがとうと受け止め幸です。ローマ人への手紙
2018/12/31
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心に太陽を持てあらしがふこうとふぶきがこようといつも心に太陽を持てくちびるに歌を持て自分のくらしに苦労が絶えなかろうといつもくちびるに歌を持て苦しんでいる人 なやんでいる人にはこう 励ましてやろう勇気を失うなくちびるに歌を持て心に太陽を持てセザール・フライムシュレン 山本有三訳種子島の鴻之峰小学校仲山校長は,朝礼の時、必ず心に太陽を持て。くちびるに歌を持て。1年生から5年生まで,いつも聞いていた。高校生でクリスチャンになり、義の太陽であるイエス・キリストをアーメンと信じ、心が明るくなりました。世の光である主が、いつも心の中におられる。くちびるに歌がなかったが、16歳からいつくしみ深き友なるイエスを、いつも口ずさ味、くちびるに歌も生まれました。無病息災の57歳まで。20年前に脳内出血や脳梗塞も経験し、多病息災の77歳。毎日、愛と恵みに生かされながらの現役牧師です。今年も祈りに支えられ,年末を迎えています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝です。
2018/12/29
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独り暮しになり5年の年末を迎えます。2011年、種子島で伝道。帰路に大分県中津市のホテルに宿泊中、家内から電話があり、肺に影が見つかり,、近大奈良病院を紹介され,再検査をするよう言われたとのこと。早速帰宅し、早速いっしょに近来病院診察室に。40代の主治医はパソコンの画面を指しながら、肺癌です。手術も放射線治療も,抗がん剤も仕えません。牧師さんだから、正直に言います。余命一年です。指された画面を見て,ハッキリ宣言。家内も私も、ありがとうのことばしかなかった。家内は,運転は?生活は?と聞くと、主治医は,何でも好きなことを続けてください。家内は毎週、運転して教会の礼拝へ。病院へも自分で運転して通院。主治医は主人はと尋ねる。今,アフリカです。東京です。沖縄です。2012年、脳梗塞です。次の診察からは、ご主人はどうですか。診察室にはいると聞くので、診察から帰って来ると,自分が患者なのに、牧師はかがですかとばかり聞くと笑っていました。2014年4月に,ひどい頭痛に襲われ、緊急入院し、27に湯川胃腸病院ホスピスへ,病院手配で転院。理事長や顧問の医師の愛の祈りと、緩和主治医の手当で痛みもなく守られました。生駒から毎日見舞いに行き、5月17日の夜、てんごくと指文字を残して,安らかに天に帰って行きました。61年間のクリスチャン生活。結婚49年。息子娘と5人の孫に囲まれて,74歳の昇天でした。16歳の時、種子島の教会で最初に読んだ聖書のことばは、箴言31章10節=だれが賢い妻を見つけることができようか。彼女は宝石よりもすぐれて貴い。でした。箴言31章のように,素晴しい家内と出会え、最高に幸の牧師生活を続けました。祈りと大きな愛で支え続けてくれました。独り暮しの5年目の年末を迎え、ベッドの上でも。ありがとうと感謝しつつと告白、歌いつつ安眠熟睡。快調の目覚める毎朝です。
2018/12/28
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ほめられると嬉しいのは子どもだけではない。でも子どもはほめて伸ばすのが一番。赤ちゃんは可愛いね。きれいだね。笑顔が素晴しい。赤ちゃんをほめている人を見ると,ニコニコ笑顔。赤ちゃんはすやすや眠っていても、ママの顔は最高の笑顔。ほんとうは抱っこしているお母さんも、赤ちゃんときは同じようにほめられて育った。思いきりほめてあげよう。小さな木は光と水で大きな気になっていく。大きくなっても水と光は必要。聖書は,神をほめたたえよ。と繰り返し教えます。神は愛です。愛には賛美が必要です。親子関係も同じ。夫婦関係もお互いにほめ合うならうまく行く。友人間も同じ。そのほかすべての関係に、称賛があれが社会は愛に満ちあふれる。朝の目覚めから,夕べの休みまで,ハレルヤとほめたたえる日々です。わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。詩篇103:1-5
2018/12/27
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年末までもうすぐです。22日からクリスマスパーティ、礼拝、お祝い会、家庭集会、イブのキャンドルサービス、昨日の昼はクリスマスランチと続きでした。土曜から昨日まで、独り暮しの食事を家ですることなく、ご馳走責めでした。昨夜は,直ぐ近くに住む種子島の鴻之峰小学校時代の同級生が、手作りの立派な大根を届けてくれた。葉もしっかりついており、青々とした葉っぱを刻んで炊いて、今朝おいしく食べた。昨日、お歳暮にウナギおこわのお握りが届いたので、解凍して食べたら美味しかった。体重計に乗ったら,300㌘くらいマイナスになっており,自分でも驚いた。12時までに就寝するにが長年の習慣だが、昨夜は12時過ぎまで起きていたからかなと思ったり。目覚めると,雀たちが撒き餌を待ち騒がしい。30羽以上いると思う。セキレイは早く来ないんで、時間差で撒き餌をする。今日は,種子島の同級生が,腰痛で苦しんでいるので,癒やしの祈りに行く約束。ここから歩いて往復3000歩なので、ちょうど良い散歩コースだ。ウオーキングにならないユックリ歩き。昨日も万歩計は7500歩。クリスマスイブの日はは,10500歩。安眠で熟睡、快適にクリスマスを祝いました。お祈りありがとうございます。感謝します。
2018/12/26
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愛と平和のクリスマスおめでとうございます。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」ルカ2:10-14年末年始と、ご活躍に豊かな祝福を祈ります。榮義之
2018/12/25
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まことに,ほめ歌を歌うのは良い。まことに楽しく、賛美は麗しい。クリスマスイブの今夜、全世界のキリスト教会では、賛美歌が歌われ続けます。キャロルに声を合せて,天使の歌声を聞く夜。 [ 2 ]そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。聖書ルカの福音書より
2018/12/24
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主は倒れる者を御名ささえ、かがんでいる者をみな起こされます。主を呼び求める者すべて、誠をもって主を呼び求めるすべてに,主は近くあられる。また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて,救われる。すべて主を愛する者は主が守られる。私の口が主の誉れを語り、世々限りなくその御名をほめたたえます。詩篇145篇より
2018/12/23
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昨日はカーテンを開けると,すごい濃霧でした。今朝はしとしと降る雨の朝です。濃霧でも雨でも,雀たちはエサを求めています。人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つのことばによる。独り暮しの食卓ですが、聖書のことばを読み、感謝の祈りで食事です。今日は,孫達と留学帰りも含めて9名が来てくれます。ピザとケーキの家族クリスマス。栄光輝く主権と、奇跡のクリスマスに思を潜めつつ、祈りと賛美の朝です。雨なのでチャペルを祈りながら歩きます。今週は日曜日に8000歩。月曜から木曜日は9000歩、水曜日には1万歩を越えました。昨日は孫とプレゼント買いにトイザラスだった。車に乗せてもらい,それでも6350歩になった。歩きがゆっくりで,孫の三分の一くらいユックリ歩き。昨日で学校も休み。今日は男の従兄達の賑やかな昼です。晴れていたらサッカーやバスケットボールで外遊びだが、雨だから狭い室内で何をするか考えて来るでしょう。ルカの福音書2:8-11 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです]
2018/12/22
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笑う門には福来たると言いますが、単なる楽観主義ではなく、長寿の方は前向きで,日常生活でも良く笑ったり,笑顔が多いそうです。笑顔と笑いは健康の秘訣出そうです。独り暮しになり5年。テレビもなくインターネットで笑点を時々見たり、落語を聞いたりです。最近は牧師で落語をしたり、教会でもクリスマス落語会を案内したり、若竹牧師は朗読落語を生駒聖書学院出もしてくれました。笑いの効果は,免疫力=笑いによって免疫細胞が活性化するそうです。また,ストレスホルモンを低下させ,脳や自律神経に作用するそうです。同時に,過剰に免疫反応が起っているアレルギーや関節リュウマチなどでは、笑うことによって免疫力が押さえられます。笑いは免疫細胞をちょうど良い状態に保つための秘訣です。長寿と健康の秘訣は,余り細かいことにこだわらずに、おおらかに笑って生きることです。聖書には、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。とあります。クリスマスのこの時、イエス様の回りには,喜びの笑いがあふれていたのではと思いつつです。とくにその誕生の時、馬小屋で生まれたイエス様に誰も気がつかなかったが、大天使の群れが、真夜中の荒野を天の光で輝かしました。2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」ルカの福音書2:9-14
2018/12/20
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昨日、一昨日と,大阪市を歩き、万歩計が9500歩10500歩越え、、夜は熟睡で朝早い目覚め。昨夜は敷布をシーツから毛布に変えてもらい,暖かい夜の安眠。今日も出かける予定がキャンセルになり、院内を散策したり、業者の方と祈ったり、冊子を手渡すと奥様がミッションスクール出で、家に聖書もあるとの話になり、信じる祈りを共にしたり。電話で生駒聖書学院教会に出席し、牧師とも懇意にしているという。名前を教えてくれたが一度も礼拝に来たこともない。一度でも礼拝に来た方を覚えていないほど、まだ記憶力はしっかりしている。ま、いろんなことがある恵みの日々です。万歩計はⅠ万歩を越えている。夕方まで書斎です。待ってるもうひとりの業者が未着。
2018/12/19
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コーヒーについてコーヒーの歴史は,13世紀頃にアラビアからと言われたり、もと古くエチオピアが発祥の地とも言われたり、その地域にによって,いくつあるようです。77歳までコーヒーを家では飲まず、南アフリカ産のルイボスティを40年近く愛飲していました。誕生日過ぎてから,コーヒーを飲もうと思い、今は毎日自宅で飲んでいます。エチオピアのヤギ羊飼いの少年カルディが、ヤギが野生の赤い実を食べて元気になったのを見て,その赤い実を食べたことが、コーヒー発見の始りとする話もあるそうです。また、アラビアの僧オマールは、領主に町からつ法され、イエメンのオリーブ山に逃げ込み、飢えて死にそうになったとき、Ⅰ羽の鳥が赤い実を啄んで入るのを見ました。その赤い実を口にすると、飢えが癒やされたばかりか、疲れ切った体から、疲労がサッと消えて,気分も爽快になりました。追放された町に,病が猛威をふるい,人々が苦しめられ、オマールは町の人たちに,赤い実の煮汁を飲ませると、病は治り町は助かったと言うアラビア伝説もあります。全世界では毎日22億杯ものコーヒーが飲まれているそうです。一日4杯までは大丈夫だが、午後3時まででそれ以降での飲み過ぎは要注意だそうです。コーヒー豆のおいしく飲める期間は1ヶ月というのが、最も大切なことだそうです。Ⅰコリントこういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。
2018/12/16
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今日は、天の御国は。からし種のようなものです。とっても小さい種です。イスラエルに行ったとき、捜しましたが、土産物店で見つけました。しばらくは聖地みやげはからし種の栞だけでした。日本でも育ちます。からし種を庭に蒔いたら、伸びる伸びる二階の部屋まで大きくなり,着るのがました。その特徴は。ものすごく小さい種ですが、すごく大きくなります。どこへ蒔いても必ず芽を出し育ちます。イエス様は信じることの大切さを,からし種で教えてくれました。マタイ 17:20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。信じる信仰をしっかり保ち,自分の信仰は小さいなどと言わずに,信仰を告白しましょう。イエス様のお名前でいのってください。山が動くような奇跡を体験できます。ヨハネの福音書14:13-14 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 16:23-26 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。マタイ28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
2018/12/14
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人間にとって飲み食いは、生活の最も基本的なものです。主の祈りの中心に、われらの日用の糧=毎日の食物=とあるように、それは何よりも神聖なものと、イエス様は教えてくれました。人間の罪の原因は、エデンの園でアダムとエバが食べてはいけない善悪の木の実を食べたからでした。イエス様の時代、パンがその食事の中心でした。麦が各家庭で石臼でゴロゴロと、丁寧に粉にされます。子ども時代、家に石臼があり、麦粉やそば粉を作るとき、ゴロゴロと石臼を引かされました。だからそれで作られるうどんやソバが食事でした。そのトラウマか?今でも麺類はほとんど食べません。今年も一度も、麺類を口にせずの食生活を続けています。まあ独り暮しの贅沢です。大麦のパンを焼くときは、パン種でふくらませました。上手にパンを焼くことが、主婦の一番の役目で。数日ごとに必ず自分の家で焼きました。 だから、パン種のたとえ話は、主婦達にはピンとくるはなしでした。ユダヤジンはパンにナイフを伊レッズ、手で裂いて食べます。パンの上に肉を置くこともありません。上等なパン種とは、神のことば=イエス様の教えです。神のパン種を人々の心が受け入れると、たとえ火のような試煉に焼かれても、ふっくらとして最高の輝く人格になるのです。必要なことは神のことばを心に受け入れることですね。祝福を祈ります。アーメン。 Ⅱテモテ3:16-17聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。Ⅰペテロ 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。詩篇18:30神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。箴言30:5-6神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。申命記神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。4:2 私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない。マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
2018/12/12
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種子島高等学校での放課後の教室で、アメリカ人のハモンド宣教師の英会話クラスが始り、誘われて出かけました。アメリカ人の顔を見るのは初めて。英語にも興味があり参加でした。英語の紙が配られました。"Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest.Come to Meだけ分かりました。疲れていた人、重荷を負っている人は、私のもとに来なさい。瞬間、それはイエス様のこととは分かりません。でも、最初にことばが、イエス様の招きのことばだったのです。2学期になってから、町外れにあったかまぼこ兵舎を解体して作られた西之表キリスト協会の礼拝に出席するようになり、その教会でイエス様の十字架と復活のことを聞き、アーメンと信じ、洗礼を受けてクリスチャンになり、62年目のクリスマスを迎えます。だれでも来なさいとの招きです。忙しいから礼拝に行けないと聞きますが、招きのことばは疲れた人、重荷を負っている人です。招きはすべての人に呼びかけらています。招いておられるのは、十字架の上に死に、3日目に復活され、今も生きているイエス様です。この招きのことばで、多くの人がクリスチャンになりました。16歳ですから肉体的な疲れはなく、精神的にも元気でした。しかし、本当の生きがい、真っ白い心を求めていました。休ませてあげます。平安で、穏やかな心で過ごせる、何と幸なことでしょう。その日以来、アーメント信じる平安の中です。生きている限り重荷があります。Ⅱコリント5:4確かにこの幕屋=の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。ガラテヤ6:5人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。ヘブル12:1こういうわけで、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。詩篇38:4私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。68:19ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。罪の重荷。生きる重荷。人間関係の重荷。仕事の重荷。経済の重荷。病の重荷。呪いの運命の重荷。死んで地獄へ行くかも知れない重荷。数え上げたり切りがないような重荷続きの人生です。しかし、イエス様はそのすべての重荷をもったままで来なさいと招いています。アーメンと信じ祈る人生は、何事が平安です。心から感謝します。ありがとうで、恵まれた真実の人生です。シッカリ重荷をイエス様におゆだねしながら、喜びと平安に満たされ前進です。ピリピ書4:6-7 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。Ⅰペテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
2018/12/11
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ありがとうございます。メッセージ=クリスマスの幸午前10時=生駒聖書学院教会礼拝午後2時=大阪エリムキリスト教会礼拝ーJR天王寺駅北口500歩、秀光ビル4階。北口信号を渡り、二つ目のアーケード下300歩。ネオン看板あり。あべ地下8番出口から100歩。
2018/12/09
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新しい祝福への歩みを始めましょう。クリスマスに最初の歩み出しを!そして2019年の日々が、新しい祝福の日々です。旧約聖書と新約聖書があります。約とは契約のことです。イエス・キリストが来られて、新しい契約をもたらしました。ヨハネの福音書13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。新約の愛に生きる恵みです。イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じ、洗礼を受けてくりすちゃんいなった16歳から、愛の契約の中にしかり守られ、神に愛され、聖霊の愛を注がれ、イエス様の愛に響かされています。恐れも不安も愛の中で消え去り、平安で幸に満たされています。ヨハネの第一の手紙4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。ありがとうございます。今日もまた天国の愛の一日です。感謝します。
2018/12/08
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神学生のころ、日曜学校で子ども達といっしょに良く歌いました。 賢い人が家を建てた 岩の上に家を建てた 賢い人が家を建てた 雨が降ってきた 雨が降り水が増し、雨が降り水が増し、雨が降り水が増し でも家は大丈夫! おろかな人が家を建てた 砂の上に家を建てた おろかな人が家を建てた 雨がふってきた 雨が降り水が増し、雨が降り水が増し、雨が降り水が増し その家はぺっちゃんこ! 人生も同じですね。。二つの土台です。イエス様は大工さんでした。砂上の家は、見かけは良いと思います。表面的は同じでも、ルカ福音書には、こう書かれています。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。ルカ6:47-48見かけは同じでも、土台が違うと結果は違います。ルカでは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人こそ、何があっても大丈夫な人生を生き、天国に迎えられるのです。岩とは何でしょうか。聖書はイエス・キリストが岩だと示しています。イエス・キリストの上に、人生を築き上げたいものです。与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。(Ⅰコリント3:10-14)人間にとって、土台が大事で、その土台が岩のように確かであれば、その人生は最高の幸です。イエス・キリストを信じること、これに勝る土台はありません。人生の荒波にもまれても、びくともしません。試煉の波や困難名問題に合う度に、信仰はさらに強く深くなり、祈りはさらに真剣になり、素晴しい人格も磨かれていきます。聖書をしっかり読んで、礼拝を守り続ける人生を、ありがとうございます。感謝します。ローマ人への手紙5:1-5 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
2018/12/06
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幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。はシオンからあなたを祝福される。あなたは、いのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。あなたの子らの子たちを見よ。イスラエルの上に平和があるように。詩篇128篇
2018/12/06
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狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。アンドレ・ジイドの名作「狭き門」が、このことばからとられています。クリスチャンになってすぐ、狭き門を読んだ高校時代を思い出します。小説云々は別として、狭い門とはクリスチャン生活が厳しいととらえられたり、小説のように神に仕えることが悲劇に終わる道と考えてはいけません。ある意味で狭い門とは、狭い軌道と言っても良いと思います。新幹線は軌道の上を走ります。狭い線路です。その上を猛スピードで走ります。軌道を外れたら大変です。人生も同じようなものです。狭い門を知っているといないでは、大きな差が出て染まします。聖書のことばに従っていけば、聖霊に導かれ助けられて、迷うことなくまっすぐな道を天国まで、進むことができます。狭い門と狭い道からそらすような教えに気をつけましょう。滅びに導く広い門があっても、迷わされず狭い道を前進です。クリスチャン生活を守られ続けて77歳まで、若さはわしのように新しくされ現役です。マタイの福音書7:15にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。貪欲な狼にも気をつけながらです。使徒の働き20:28-33 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。木は実によって分かります。マタイの福音書7:16-18 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。聖書の教えに従い、いつも喜び、絶えず祈り、すべててのことに感謝する日々を願います。詩篇1:1-3 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。エレミヤ書17:7-8 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。12月はクリスマスの時です。神様からの大きな救いのプレゼントシッカリ受け止め。感謝しながらの12月を過ごしてください。ルカの福音書1:26-38 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
2018/12/05
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そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」 主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。 主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。詩篇126篇
2018/12/04
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主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。 山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。 悪の杖が正しい者の地所の上にとどまることなく、正しい者が不正なことに、手を伸ばさないためである。 主よ。善良な人々や心の直ぐな人々に、いつくしみを施してください。 しかし、主は、曲がった道にそれる者どもを不法を行なう者どもとともに、連れ去られよう。イスラエルの上に平和があるように。詩篇125篇
2018/12/03
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「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあ、イスラエルは言え。「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私に逆らって立ち上がったとき、そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、そのとき、大水は私たちを押し流し、流れは私たちを越えて行ったであろう。そのとき、荒れ狂う水は私たちを越えて行ったであろう。」ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助け出された。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。詩篇124篇
2018/12/02
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だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 不安があるのは生きている証拠です。心配の種は誰にでもあります良いものを来いたい、おいしいご馳走を食べたい、贅沢もしたいという欲求は誰にでもあると思います。出は、人はそういうことのために生きるのか。生きるために食うのか。もちろん生きるためです。では、生きるとはどんな意味を持つのでしょうか。イエス様は生きるとは、神の栄光のため、神に仕えるためです。神に仕えるために生きる限り、すべてを神様に委ねて生きるから大丈夫です。神様は、空の鳥を養い、野の花を装って下さる愛の神だから平安です。神のために生きる、これこそがイエス様が人類に与えてくださる心配のない人生です。当時のギリシャ世界では、労働は奴隷のするものとされ、一般市民は生産労働に従事しませんでした。アテネでは労働によってパンを得ることを軽蔑していました。そういうローマ時代に、聖書は新しい生き方をもたらしました。テサロニケ人への第二の手紙3:6-11 兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。聖書は働くことの素晴らしさをはっきり教えています。イエス様は大工さん、使徒パウルは天幕作りをしながら福音を伝え続けました。私も数年間は働きながらの伝道でした。学院の卒業生も多くテントメーカー=働きながら伝道している卒業生が多くいます。神のために働き、働くことを誇りにし、使徒パウロのように、「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです(使徒20:34-35) 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。(Ⅰコリント9:23)私たちも、明日を思い煩うことなく、心配しないで、今日一日を汗を流し働けば、生きている今日という一日が、豊かに耀き平安と幸に包まれます。働いた日はそれだけで大きな平安です。箴言3:24 あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。詩篇3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。127:2 あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。128::1-2 幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。
2018/12/01
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都上りの歌あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれまれるまで。 私たちをあわれんでください。主よ。私たちをあわれんでください。私たちはさげすみで、もういっぱいです。 私たちのたましいは、安逸をむさぼる者たちのあざけりと、高ぶる者たちのさげすみとで、もういっぱいです。詩篇123編
2018/12/01
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