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人々が私に、「さあ、主の家に行こう。」と言ったとき、私は喜んだ。エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。詩篇112篇
2018/11/30
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都上りの歌私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
2018/11/29
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そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。ナザレからエルサレムまで歩くと二日。イエス様の時代は歩くだけ。聖地旅行には13回も行ったが、バスであっという間です。限りな九青い空、糸杉の群生、ぶどう園、大麦の波、オリーブ畑、山や丘の変化、春だと美しい花々の彩り、地中海からの爽やかな風。乳と密の流れる約束の国。その美しい自然の中に、イエス様のことばが優しく語られます。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。その通りです。着るものものや、食べる物にこだわる私たちです。でもそんなことは人間の価値と名の関係もないのです大事なのは、神様を第一に生きることです。神を第一に優先し、ありがとうございますと感謝する人生に、心配はありません。マタイの福音書:32-34 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。ピリピ4:6-7 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。Ⅰペテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
2018/11/29
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朝は青空が広がり、太陽が輝いていたが、昼過ぎから雲も広がり始めた。が期末試験が始り、神学生勉強中。テキストは聖書だけだから、シッカリ読み心と頭にたくわえるだけ。特に、助け主である聖霊に信頼し、心楽しく学び続けて欲しい。明日は、暗唱聖句をしっかり書いてもらおう。ヨハネの福音書 16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
2018/11/28
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イエス様は、天の父なる神の愛を伝え、天の父が完全なように、人間も完全であるようにと教えました。仇や敵はいくら憎んでも憎み足りる者ではないのですが、イエス様は愛しなさいといいました。 逆ではないのか、なぜかおかしいのではともおもいます。旧約聖書では、3 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と書かれています。これがユダヤ人や、一般の常識から見ても、ごく当たり前の教えです。イエス様は、常識を打ち破って、全く新しい愛の世界へ導きます。それは、自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。何という愛でしょうかそれでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる人を愛したからと言って、何の報いが受けられるでしょうか。そんなことは当たり前のことです。自分を苦しめたり、敵対する人のために祈ったり、愛したりする人はすばらしい人です。そうありたいと思っても、中々できない現実があります。聖書の教えに従って一度やってみましょう。すがすがしい気持になり、笑顔が輝きます。ルカの福音書6:27-38しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
2018/11/26
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主よ。みことばのとおりに、私に悟りを与えてください。私の切なる願いが御前に届きますように。みことばのとおりに私を救い出してください。私のくちびるに賛美がわきあふれるようにしてください。あなたが私にみおきてを教えてくださるから。私の舌はあなたのみことばを歌うようにしてください。あなたの仰せはことごとく正しいから。あなたの御手が私の助けとなりますように。私はあなたの戒めを選びました。私はあなたの救いを慕っています。主よ。あなたのみおしえは私の喜びです。私のたましいが生き、あなたをほめたたえますように。そしてあなたのさばきが私の助けとなりますように。私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません。詩篇119:161-176
2018/11/26
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イエス様は食べる物が無い人に、恵んでやれる心こそ、神の愛を持つ人などだと訴えます。現代では、物が豊富にあり、お金さえあればどんな贅沢でも、ご馳走でも欲しいままにできます。ここしばらくのニュースは、カルロス・ゴーンの50億円不正取得ついてにぎやかでした。しかし、金の力がすべて思いのままと豪語しても、心は汚れ虚しく薄汚れ、生き生きした美しさや、愛に欠けてしまいます。日本の国会議員給与と、公務員給与は世界一高収入です。財政が足りないと消費税値上げ法案が通過使用としています。まず議員から年収を減らし、大企業にも税を十分に治めてもらえれば、消費税を上げなくても大丈夫なのにです。なぜ世の識者や評論家、経済学者、マスコミは声をあげないのでしょう。いや本気で国民のことを考えている政権党は声を上げないのでしょう。イエス様の時代でも、金持ちの不正が痛打されています。金持ちが威張って不正を犯せば、貧しい人たちは塗炭の苦しみにあえぐのです。当時の食生活は、いなごの塩ゆでが唯一のご馳走だったのに、金持ちたちは贅をつくし、食べた物をはき出しては、またご馳走をむさぼる宴会続きでした。現代も、人に与える至難さを、愛の心で与え実行する心はすばらしいですね。少しかなくても良い。量の多少より、お互いをいたわり合う優しい愛の心が大事なのです。その意味で、ボランティア活動で、被災地を訪れている人たは心豊かな人たちです。食べ物だけなく、イエス・キリストの救いも届けることが出来れば、天国にも大きな喜びが上がります。他人を苦しめて自分の目的を達する人もいます。その人の財がたまればたまるほど、悪い人相になっていくのはどうしてなのでしょう。お金があってもなくても、穏やかに優しく愛に満ちた顔になりたいです。受けるよりも与える方が幸いです。ゴールデンルール=黄金律に生きる天国の一日を祈ります。ありがとう。感謝します箴言3:27-30 あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、それを拒むな。あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい、「去って、また来なさい。あす、あげよう。」と言うな。あなたの隣人が、あなたのそばで安心して住んでいるとき、その人に、悪をたくらんではならない。あなたに悪いしうちをしていないのなら、理由もなく、人と争うな。11:24-26 ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。穀物を売り惜しむ者は民にのろわれる。しかしそれを売る者の頭には祝福がある。15:15-17 悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。17:1 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。
2018/11/25
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イエス・キリストの救いを信じ、洗礼を受けクリスチャンになった記念の朝です。1957年11月24日の日曜日でした。種子島の西之表キリストの教会。きょうあいの側の城の浜海岸で、その日に洗礼を受けました。1993年から、毎年種子島の教会で礼拝説教のため帰ります。信じてバプテスマを受ける者は救われます。イエス・キリストの約束です。ローマ人への手紙10:9-15なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
2018/11/24
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イエス様の言葉は、それはできないと思っても、無理だと決めつけてしまわないことが肝心です。マタイの福音書5:41 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。いかがでしょう。一ミリオンは訳1.5キロです。文語訳聖書では一里行くことを強いなば、共に二里生け。今では1500メートルくらい。イエス様の時代、ローマの軍隊がナザレを通過します。炎天下で畑を耕していると、ちょっと来いと声をかけられ、荷物を一ミリオン運べと言われます。そう言われたら、そう強いた人といっしょに、その倍行けというのです。普通でも、あれせい、これせいと、無理矢理従わせられるのは、子どもでも嫌がります。まして、現代のように自己中心の自由社会で、権力に強制されて、唯々諾々とそれに従う人などいるはずがありません。イエス様の教えはどん意味でしょうか。イエス様は、選択する心の自由を教えました。言われたら言われたとおりにするのは、奴隷根性です。イエス様の愛は、奴隷根性からの解放です。今は奴隷制はありません。でも人間の心は同じ精神状態です。言われたら言われたとおりにする。一ミリオン行けと、毎日言われているような生活をしていませんか。家でも、学校でも勉強しなさい。職場でもしなければならない仕事をこれだけしなさい。まるで一ミリオン行けと言われているみたいです。やれば良いんでしょうとやりますg、不平不満、ぶつくさ言いながら、中には恨んだり憎んだり、復讐心丸だしの顔もあります。。けれどもイエス様は、もう一ミリオン行けとおしえました。それは、最初の一ミリオンは,どうしてもしなければならないこと、でももう一ミリオンは自分の意志で、心で決めたことだから、ニコニコしながら、平気な顔でいや愛に満ちた顔でやっている。不平不満も言わないで、伸び伸びとやさしくやり遂げている。そうしたら勉強も仕事も楽しくなります、だれかのために勉強したり、、仕事をするのではなく、特に仕事は働く=はたがらくに=相手が助かるためです。やったことが強制されたにしても、自分の心で決めて楽しくやると、結果は大きな祝福になります。イエス様の愛は、力では力で対抗しないで、力にはあくまでも愛で対応するのです。相手の心を愛で、さらに大きな愛でつつむのです。いやがらせをしてきたら、それをありがとうと、大きく深い感謝で対応します。意地悪い好意に、愛を持って答えられると、愛は人の心も変えていきます。心から愛の赦しを祈り、イヤと思ったり憎んだりしないで、強いられたことでも、自分の決断で、自分が選んだこととして対処してみましょう。すばらしい天国の一日です。感謝です。 マタイ6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。マルコ11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」エペソ4:32お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。コロサイ3:13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
2018/11/24
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私は心を尽くして呼びました。主よ。私に答えてください。私はあなたのおきてを守ります。私はあなたを呼びました。私をお救いください。私はあなたのさとしを守ります。私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。あなたの恵みによって私の声を聞いてください。主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください。悪を追い求める者が近づきました。彼らはあなたのみおしえから遠く離れています。しかし、主よ。あなたは私に近くおられます。あなたの仰せはことごとくまことです。私は昔から、あなたのあかしで知っています。あなたはとこしえからこれを定めておられることを。詩篇119:145-152
2018/11/23
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主よ。あなたは正しくあられます。あなたのさばきはまっすぐです。あなたの仰せられるさとしは、なんと正しく、なんと真実なことでしょう。私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。私の敵があなたのことばを忘れているからです。あなたのみことばは、よく練られていて、あなたのしもべは、それを愛しています。 私はつまらない者で、さげすまれています。しかし、あなたの戒めを忘れてはいません。あなたの義は、永遠の義、あなたのみおしえは、まことです。苦難と窮乏とが私に襲いかかっています。しかしあなたの仰せは、私の喜びです。あなたのさとしは、とこしえに義です。私に悟りを与えて、私を生かしてください。詩篇119:137-144
2018/11/22
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ペテロ=漁師シモン アンデレ=シモンの兄弟ヤコブ=ゼベダイの子 ハネ=ヤコブの弟 ピリポ バルトロマイ トマス マタイ=取税人レビヤコブ=アルパヨの子タダイシモン=熱心党員 ユダ=イエス様を裏切ったイスカリオテのこの12弟子とともに歩きます。イエス様の説教が奇跡を伴い、その評判は高まり、人々が押し寄せます。時代はローマ定刻に支配され、人々はローマの圧政に苦しみ、特に税金の取り立ては厳しく。その取税を請け負うのが、ユダヤ人の取税人です。レビはその仕事でした。イエス様は通りでマタイに会うと、「わたしに従いなさい」と声をかけました。今までだれひとりとして優しく声を掛けてくる人はいませんでした。イエス様はレビをマタイと呼びました。マタイとは神の賜物という意味です。このマタイがマタイの福音書を書きました。マルコの福音書でマタイとの出会いを読んでみましょう。2:14-17イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」イエス・キリストの救いをアーメント信ずるとき、新しい人生が始まります。神様からの愛のプレゼントが、新しい人生です。クリスマスの近いこの時、プレゼントの新しい人生は、すばらしい贈り物です。イス12使徒に与えられた使命は、行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。いつでも笑顔で平安と幸を願い祈るのです。イエス様は、いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。 イエス様に選ばれた使徒たちによって伝えられた教えで救われました。そして現代は、信じたあなたが救いを語る人になるのです。ヨハネの福音書15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 3つの目的のために選ばれ、任命されました。イエス様の十字架の救いを伝えるためにコロサイ1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。イエス様の救いを信じる人が、あなたの回りに増え続けるように!アーメン。第二に、うるわしい品格あるクリスチャンとして成熟します。ガラテヤ書5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。第三には、生活に実を結びます。詩篇1:1-3 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。そのことを達成するために、すばらしい祈りの約束をくださいました。=また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです=祝福の日々を祈ります。イエス・キリストのお名前によって。アーメン。
2018/11/21
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あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります。みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを愛したからです。御名を愛する者たちのためにあなたが決めておられるように、私に御顔を向け、私をあわれんでください。あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、どんな罪にも私を支配させないでください。私を人のしいたげから贖い出し、私があなたの戒めを守れるようにしてください。御顔をあなたのしもべの上に照り輝かし、あなたのおきてを教えてください。私の目から涙が川のように流れます。彼らがあなたのみおしえを守らないからです。詩篇119:129-136
2018/11/21
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私は公正と義とを行ないました。私をしいたげる者どもに私をゆだねないでください。あなたのしもべの幸いの保証人となってください。高ぶる者どもが私をしいたげないようにしてください。私の目は、あなたの救いと、あなたの義のことばとを慕って絶え入るばかりです。あなたの恵みによってあなたのしもべをあしらってください。私にあなたのおきてを教えてください。私はあなたのしもべです。私に悟りを授けてください。そうすれば私は、あなたのさとしを知るでしょう。今こそ主が事をなさる時です。彼らはあなたのおしえを破りました。それゆえ、私は、金よりも、純金よりも、あなたの仰せを愛します。それゆえ私は、すべてのことについて、あなたの戒めを正しいとします。私は偽りの道をことごとく憎みます。詩篇119:121-128
2018/11/20
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私は、あなたのおきてを行なうことに、心を傾けます。いつまでも、終わりまでも。私は二心の者どもを憎みます。しかし、あなたのみおしえを愛します。あなたは私の隠れ場、私の盾。私は、あなたのみこtとばを待ち望みます。悪を行なう者どもよ。私から離れて行け。私は、わが神の仰せを守る。みことばのとおりに私をささえ、私を生かしてください。私の望みのことで私をはずかしめないようにしてください。私をささえてください。そうすれば私は救われ、いつもあなたのおきてに目を留めることができましょう。あなたは、あなたのおきてから迷い出る者をみな卑しめられます。彼らの欺きは、偽りごとだからです。あなたは、地上のすべての悪者を金かすのように、取り除かれます。それゆえ私は、あなたのさとしを愛します。私の肉は、あなたへの恐れで、震えています。私はあなたのさばきを恐れています。詩篇119:113ー120
2018/11/19
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イエス様の評判は高くなり、特に癒やしの奇跡が起ると、病のある人たちがやって来ます。奇跡があった家からイエス様が出て。道を歩いていると、ふたりの目の見えない人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください。」と叫びながらついて来ました。パレスチナでは、今日でも目の不自由な人が多いそうです。太陽の直射と、砂漠の砂埃が、目を痛める原因で、イエス様の時代はなおのことです。イエス様が家にはいられると、その盲人たちはみもとにやって来ました。イエス様が「わたしにそんなことができると信じるのか。」と言われると、彼らは「そうです。主よ。」と直ぐ答えました。そこで、イエス様は手を伸ばして、二人の見えない目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われ、手を離すと、見えるようになりました。彼らの目が見えるようになったのです。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい。」と言われたのです。(マタイ9:28-30)なぜでしょうか。それは、イエス様の評判を聞いて、信仰の無い人や、神を冒涜する人たちが、どやどやと押しかけ、奇跡を見せてくれとか、あれやこれやケチをつけて、直った人まで見世物にするかも。ところが二人にとっては、全く暗闇の生活から太陽の光、すばらしい光景に接したのです。黙っておられません。彼らは出て行って、イエス様のことをその地方全体に言いふらしました。イエス様の噂はこだまとなって、広がっていきました。イエス様が救ってくれる。直してくれる。現代も同じです。主の名を呼ぶ者はだれでも救われるのです。礼拝に来て、賛美歌を聴き涙する。神の愛を感じる心がある幸いです。毎週日曜日、必死に生きる心を、優しく包み、いやっしてくれ愛を体験してください。詩篇119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。イザヤ書35:3-6 弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」そのとき、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。ルカの福音書 4:18-19 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」
2018/11/19
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あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。私は誓い、そして果たしてきました。あなたの義のさばきを守ることを。私はひどく悩んでいます。主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。どうか、私の口の進んでささげるささげ物を受け入れてください。主よ。あなたのさばきを私に教えてください。私は、いつもいのちがけでいなければなりません。しかし私は、あなたのみおしえを忘れません。悪者は私に対してわなを設けました。しかし私は、あなたの戒めから迷い出ませんでした。私は、あなたのさとしを永遠のゆずりとして受け継ぎました。これこそ、私の心の喜びです。私は、あなたのおきてを行なうことに、心を傾けます。いつまでも、終わりまでも。詩篇119:105-112
2018/11/18
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あなたの信じたとおりになるように イエス様がカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願しました。「主イエス様。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」深紅のマントを肩に、ピカピカに磨いた鎧を着けた百人隊長は、ローマ軍兵士百人の隊長です。ユダヤ人たちはイエス様が言下に断ると思い、百人隊長もそう思いました。しかし、イエス様は「行って直してあげよう」と言われたのです。おどろいて、百人隊長は答えて言いました。「イエス様。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」イエス様は、これを聞いて驚き、感心しました。そして、ついて来た人たちにこう言われました。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。それから、イエス様は百人隊長に言われたのです。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、その中風のしもべは、スッカリ癒やされ歩いたのです。(マタイ8:5-13)なぜ、中風の男が直ったのでしょうか。そんな疑問はだれでも持ちます。出も、事実、中風は直ったのです。これを見た人々は、どうしても信じないわけにはいきませんでした。イエス様の愛と力を、そのまま信じることはすばらしいことです。今も、イエス様の前に来た百人隊長のように、「ただおことばをいただかせてください」とお願いするだけです。「さあ、行来なさい。あなたの信じたとおりになるように」アーメン。信じます。気力がなくなったり、すっかり落ち込んだり、人のことで心配したり、困ったときなど、どんなときでも、主よ。と祈り求めてください。聖書の約束は、新しい愛と気力を与えます。助け主の聖霊が、霊的に精神的に、身体にも新しさを満たしてくれます。マルコの福音書9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」ローマ書10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
2018/11/17
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主よ。あなたのことばは、とこしえから、天において定まっています。あなたの真実は代々に至ります。あなたが地を据えたので、地は堅く立っています。それらはきょうも、あなたの定めにしたがって堅く立っています。すべては、あなたのしもべだからです。もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。私はあなたの戒めを決して忘れません。それによって、あなたは私を生かしてくださったからです。私はあなたのもの。どうか私をお救いください。私は、あなたの戒めを、求めています。悪者どもは、私を滅ぼそうと、私を待ち伏せています。しかし私はあなたのさとしを聞き取ります。私は、すべての全きものにも、終わりのあることを見ました。しかし、あなたの仰せは、すばらしく広いのです。詩篇119:89-96
2018/11/16
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ユダヤ人は健康に特に気をつかう民族です。強烈な太陽と砂漠からのほこりななど。シッカリ気をつけないと大変です。新約聖書には、中風、水腫、失明、難聴、精神疾患、重い皮膚病など多くの病が、イエス様によって癒やされた記録がいっぱい書かれています。その中でもこの重い皮膚病は、特別のものでした。その診察は、医師ではなく祭司が行いました。少しでもほおっておいたり、隠しておくと、接触した人にすぐ感染します。その重い皮膚病と診断されると、家族から一人はなれて、同じ皮膚病の人だけが住む野原の小屋や、岩山の洞窟に行く以外にありませんでした。頭をそり、特別の衣服を身につけ、人と接することは、家族であってもできません。だから歩くときは、人を避けるし、鳴子をカタカタ鳴らしながら、汚れた者、汚れた者と大声を出しながら歩きます。彼はイエス様のことを聞いたとき、信仰が生まれました。信仰は聞くことから始まります。彼は、イス様が直してくれると信じ、イエス様の前にひざまずくと、「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります」肉も骨さえも、ぐずぐず腐る重い皮膚病です。ところがイエスは様は手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われました。すると、すぐにイエス様の手が触れると、直ぐにみるみるうちに、彼の顔や腕や足の重い皮膚病が綺麗になって、健康な体になりました。病になって初めて病の苦しみが分かります。57歳まで風邪一つ引いたこともなく、頭痛、腹痛も知らずの元気な日々でした。病に手を置いて祈れば治る奇跡も多く経験しました。1999年11月19日、東京帰宅で元気の出る聖会をし、説教が終りホテルに帰りました。その夜、左脳内出血になり、北区の脳外科で、集中治療とリハビリ入院を続け、クリスマスに退院し、イスに座ってクリスマスメッセージでした。病む人の気持と辛さも分かるようになり、来週で20年を迎えます。それ以後も死ぬような経験を二度しましたが、恵みに生かされ現役の牧師として仕えています。*わたしは主であってあなたをいたす者です。=アドナイ・ラファ(出エジプト記15:16)*2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。Ⅰ(ペテロ2:24)イエス・キリストの癒やしの力は、今日も同じです。+ ヤコブ書5:131-16 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。5ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。マルコの福音書16:17-20 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕ヘブル書13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。Jesus Christ is the same yesterday, today, and forever.
2018/11/16
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私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです。私はあなたのみことばを待ち望んでいます。 私の目は、みことばを慕って絶え入るばかりです。「いつあなたは私を慰めてくださるのですか。」と言っています。 たとい私は煙の中の皮袋のようになっても、あなたのおきてを忘れません。 あなたのしもべの日数は、どれだけでしょうか。あなたはいつ、私を迫害する者どもをさばかれるのでしょうか。 高ぶる者は私のために穴を掘りました。彼らはあなたのみおしえに従わないのです。 あなたの仰せはことごとく真実です。彼らは偽りごとをもって私を迫害しています。どうか私を助けてください。 彼らはこの地上で私を滅ぼしてしまいそうです。しかしこの私は、あなたの戒めを捨てませんでした。 あなたの恵みによって、私を生かしてください。私はあなたの御口のさとしを守ります。詩篇119:81-88
2018/11/15
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そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。ルカ5:6-11それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」カナの結婚式で水をぶどう酒に変えたり、イエス様の行く先々では、病が言えたり、悪霊が出て行ったり、多くの奇跡が起こりました。今日も朝早くからガリラヤ湖の岸辺に、人々が集まりました。多くの人々に見えるように、シモンの舟の上から話ました。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網を下ろして魚をとりなさい」彼らは、夜通し漁をし、魚一匹取れないで、やっと網を洗い終わり、これから休もうとしていたところです。でもお言葉通り、網を下ろしてみましょう。何と見る見るうちに網が破られそうに、魚がいっぱいです。すぐ仲間を呼んで、二そうがかりでの大漁でした。ペテロは、「主よ。私のような者からはなれてください。私は罪深い人間ですから」ヤコブもヨハネも同じでした。「こわがらなくてもい。これからの地、あなたは人間をとるようになるんです」彼らはその日から,何もかも捨てて、イエス様に従いました。夜通し働いても、一匹もかからなかった魚が、イエス様のことばに従ったとき、二そうの舟にあふれるほどとれたのです。人生の中で、今もイエス様のことばに、素直に従う時不思議な奇跡が起こります。人間をとるようになる。深い意味をもつことばです。一切を捨てて神の道を伝え、人を救うために人生を捧げるのです。イエス様の救いを伝えるために、捧げつくした人生を歩み続けています。ヨハネの福音書6:27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」ローマ書10:13-15 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
2018/11/15
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あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。マタイの福音書5:14イエス様の時代のユダヤは、ローマ皇帝に任命された王ヘロデに支配されていました。イエス様は30歳でバプテスマのヨハネから洗礼を受け、40日40夜の断食の後、ガリラヤの全土をめぐり、神の国の福音を伝え、人々の心の苦しみ、体の病をいやし、ました。その教えに、「あなた方は、地の塩」があります。貧しい人々の食事は簡素です。大麦のパンが常食で、大麦のパンに塩の一かけらだけ。時には塩で味付けしたいなごが少しだけ。オリーブと魚が食卓にあるのは、中産階級で、ぶどう酒も少しあるくらい。肉にしても魚も野菜も、パンも味付けは塩にたよる以外にありません。現代の食生活から想像できない、無味乾燥な食だったと思います。だから、塩はすべての料理に絶対必要な大切なものでした。何時の時代でも誰もが不安を感じて生きています。貧乏人の金持ちも、いくらかでも良心があれば、自分の醜さに嫌気がさしているのです。塩がなかったら生きていけないように、神様を信じて、地の塩になり、この地上でなくてはならない人間になれるのです。塩は味付けをあうるので、クリスチャンの存在が、人間関係を味付けますマルコの福音書9:50塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」また塩は薬代わりにもなるので、私たちの笑顔や言葉が薬のように、人を癒すことも多いのです。コロサイ人への手紙4:6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。もう一つは防腐剤や発酵のためにも塩は必要です。聖い人生を歩むことで、この世界を清潔にします。気持ちも身体も,着る物も、住まいの部屋も、仕事場も机の上も,考えることも、語る言葉も清潔にして、私は地の塩ですと宣言して、清らから歩みを続けましょう。ヨハネの第一の手紙3:1-3 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2018/11/14
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この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。マタイ5:1-12 ガリラヤの風薫り、夕陽に照らされながら、弟子たちやブドウ園の農夫たち、漁を終えた漁師たち、家々からは主婦や老人,子供たちも出てきます、たくさんの人々が集まり、じーっとイエス様に目を注いでいます。その口から、心の貧しいもの幸いです。天の御国はその人のものだからです。さいわいです。神よりほかに頼む者がない。神の助けがどうしても欲しいと思っている人こそ、心の貧しい人です。そのように思っている人は幸いです。次々と、イエス様の口から出てくる幸いですは、この世の基準の幸いとは違いました。逆に言えば、そんな状態は決して幸いではなく、不平、不満、泣き言、文句を言いたい状態。けれども、幸いです。どんな時でも、苦しときでさえ幸いですと、言える幸いの秘訣です。今日も、幸いですと、思いきっり大きな声で言ってみましょう。天の御国の幸いが、全身を満たし、快適に生きる力になります。神はぜったいに頼りきれる愛の神です。いつもそのことばである聖書を開くことです。ローマ書10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
2018/11/13
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すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」当時、宇田屋の会堂でなら、成人男子なら誰でも立って、人々に話しかけて良いので、イエス様は、イザヤ書巻物を開いてイザヤ書61章1-2節を朗読しました。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたがたが聞いたとおり実現しました」それは、2018年11月12日の朝も同じく、生きていて力ある聖書のことばに、アーメンと応答し、信じ告白すれば実現します。ナザレの人たちは、イエス様の口から出る恵みの言葉に驚きました。そして、アーメンと応答するより、この人はヨセフの子で、大工ではないか。そして、人々の期待は病気直しのご利益しかなく、心が変えられるとか、新しい価値観に生きる期待さえないことを分かりナザレを去る決心をしました。聖書は記録しています。ルカの福音書4:23-30 イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。人間の値打ちは、生まれや職業で決まるものではありません。今をどう生きているかです。聖書を読み、イエス・キリストの十字架の救いを受け、少しでも清い心で神を愛し、人の幸を願いながら生きることが、何よりも尊い愛の人生です。出生、経歴、職歴、学歴、性別、国籍など問題ではないのです。コリンント人への第二の手紙4:6-9 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
2018/11/12
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あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。 これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。 高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。しかし私は、あなたのみおしえからそれませんでした。 主よ。私は、あなたのとこしえからの定めを思い出し、慰めを得ました。 あなたのみおしえを捨てる悪者どものために、激しい怒りが私を捕えます。 あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。 主よ。私は、夜には、あなたの御名を思い出し、また、あなたのみおしえを守っています。 これこそ、私のものです。私があなたの戒めを守っているからです。 主は私の受ける分です。私は、あなたのことばを守ると申しました。詩篇119:48-56
2018/11/11
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イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。ルカ2:51 イエス様の要望については、このルカの福音書だけです。今の時代だと、スマートフォンでパチリでしょうが、肖像画も何も残っていません。イエス様は大工でした。そしてユダヤ人。当時のユダヤ人には、義務とされているいくつかの条件がありました。彼らは、髪は長く、巻き毛の頬ひげを生やし、縫い目のない下着と上着を付け、足にはサンダルを履いていました。背丈は大きく180センチ以上?。大工さんですからがっちりした体形だったと思います。イエス様の要望については、美術史には二つの型があります。一つは、ユダヤ人として長い頭髪、顎髭に覆われた、素朴で厳しい30歳には見えない神秘的な姿。も一つは、若々しく頭髪はふさふさと長く、あご髭はなく、体格はがっちりし、気品にあふれ、素朴な中にも優しさがあふれているかっこいい姿。レオナルド・ダ・ビンチやルオーなど。ブラジル・コルコバードの丘の巨大キリスト像は有名です。聖書は偶像礼拝を禁じているので、どんなに美しく、荘厳であっても、あるいは巨大であってもは拝礼の対象とはしません。1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。ペテロの第一の手紙1:8聖書の約束を然り信じ、イエス様を愛して、幸せと平安の救われた人生です。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。イエス様が、私たちと同じ肉体を持つ人間になったのです。すばらしい処女降誕の奇跡です。ヨハネの福音書1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。人間として生き、生活し、働く苦労、人間関係の複雑さ、すべてを味わいました。へブル人への手紙2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15 私たちの大祭司イエス様は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。 4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
2018/11/11
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イエス様の時代、ユダヤ人はいつもは、小麦か大麦のパンとぶどう酒で食事をしました。ときにはイナゴをゆでたたもの、干魚や肉はまれでした。メロン、いちじく、ぶどう、ざくろなどの果物が、収穫の秋には食卓に。ユダヤ人は酒は滅亡への誘惑として慎み、ぶどう酒も水で割って飲むほど気を付けます。そのかわり、結婚式の宴会は底抜けの大騒ぎ。5時間から6時間、しかも連夜に渡って歌や音楽、ダンスに乾杯の繰り返し。来客は驚くほど食べたり飲んだりです。ガリラヤのカナで結婚式があり、母マリアとイエス様も招かれていました。イエス様の弟子になったペテロやアンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポもついてきました。ところがその祝いの席で、ぶどう酒がなくなりました。結婚式を楽しみに、ブドウの収穫期にぶどう酒を貯えてきたのに、貧しい新郎新婦には、もう余裕はありません。マリアは側にいたイエス様に、「ぶどう酒がありません」と告げました。それから母マリアは給仕の人たちに、あの方=イエスが言われることは、何でもしてあげてください」と言いました。イエス様は給仕の者たちに、「みずがめを水でいっぱいにしなさい」彼らは、6つのみずがめを縁までいっぱいにしました。80リットルから120リットルの水ガメがいっぱいになると、イエス様は「さ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい」彼らは言われたとおりに持って行きました。宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見し、あまりのうまさに目を丸くしました。世話役は、驚きながら「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころ悪いのを出すものだが、あなたはよいぶどう酒を今までとっておきました」世話人も新郎新婦もお客たちも、満足して喜びの祝宴は続きました。結婚式で、水がぶどう酒に変わったのが、イエス様の最初の奇跡です。人が困っているのを知ると、どういう行動を取るかで、その人の値打ちが決まってきます。困ったとき、そっと援助を受けることほどありがたいことはありません。ゴールデンルール=黄金律はそのことの実践です。マタイの福音書7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。ルカの福音書6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらえるからです。使徒また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出しなさい。 三つのことを学びます。1. イエス様を結婚式にまねたように、イエス様をアーメンとお招きしよう。イエス様は、喜びの人生を守ってくださる。喜びの人生を継続させてくださる。ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。Ⅰペテロ4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。2. イエス様の言葉に従い、信じ、告白し、行動してみよう。ヨハネの福音書2:7-9 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。3. イエス様のことば=聖書を体験しよう。ヨハネの福音書2:9宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――
2018/11/10
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主よ、あなたの慈しみと救いが/仰せのとおり、わたしを訪れますように。わたしを辱めた者に答えさせてください。わたしは御言葉に依り頼んでいます。真実をわたしの口から奪わないでください。あなたの裁きを待ち望んでいます。わたしがあなたの律法を守る者でありますように/常に、そしてとこしえに。広々としたところを行き来させてください。あなたの命令を尋ね求めています。わたしは王たちの前であなたの定めを告げ/決して恥とすることはないでしょう。わたしはあなたの戒めを愛し/それを楽しみとします。わたしはあなたの戒めを愛し/それに向かって手を高く上げます。わたしはあなたの掟を歌います。詩篇119:40-48
2018/11/10
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イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」イエス様がバプテスマをうけたとき、「これは、わたしの愛する子。わたしはこれを愛する」天からの声でした。そして、イエス様は、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。すると、試みる者=サタンが近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」そのとき、イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」世の人が考えるのは、何を食べるか、何を飲むか、生きるためにはパン=食料を整える経済が必要と考えます。しかし、パンだけで満足できないのが人間です。人は心が満たされないと、幸も平安もありません。すると、次に悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」聖書の言葉を使って、奇跡を求めました。しかし、イエス様は言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」信仰は、何がなくても神の約束と命令を信じることです。朝目が覚め、生かされているだけでも奇跡です。朝ごとに恵みをありがとうございます。感謝します。今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて 言いました。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」イエス様は言われました。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」イエス様の答えは、すべて聖書の言葉だけで、悪魔=サタンの試みに勝利しました。人の心は思い上がりや執着に満ち、持ち物を誇り、地位にしがみつき、地位や名誉を誇り、知識を誇ります。しかし、神の前ではすべて虚しく、何の価値もないのです。聖書は宣言します。しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました第二テモテ6:6-12そして、豊かな財を持つなら・・・この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。第二テモテ6:16-18
2018/11/09
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主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。私に悟りを与えてください。私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。あなたのことばを、あなたのしもべに果たし、あなたを恐れるようにしてください。私が恐れているそしりを取り去ってください。あなたのさばきはすぐれて良いからです。このとおり、私は、あなたの戒めを慕っています。どうかあなたの義によって、私を生かしてください。詩篇119篇33-40
2018/11/09
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私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください。私は私の道を申し上げました。すると、あなたは、私に答えてくださいました。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。あなたの戒めの道を私に悟らせてください。私が、あなたの奇しいわざに思いを潜めることができるようにしてください。私のたましいは悲しみのために涙を流しています。みことばのとおりに私を堅くささえてください。私から偽りの道を取り除いてください。あなたのみおしえのとおりに、私をあわれんでください。私は真実の道を選び取り、あなたのさばきを私の前に置きました。私は、あなたのさとしを堅く守ります。主よ。どうか私をはずかしめないでください。私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが、私の心を広くしてくださるからです。詩篇119:25-32
2018/11/08
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荒野に呼ばわる声として、ヨハネはヨルダン川でバプテスマを授け続けていました。私は悔い改めの。水のバプテスマを授けているが、私のあとから来る方は、私より力があるお方で、、私はその方の履物を脱がせるねうちあありません。その方は、あなたがたに聖霊と火のバプテスマをお授けになります。ヨハネは川岸に集まる人々に野太い声で語り続けます。ヨハネの声に打たれて、夜だヨルダン川へ下りて、次々バプテスマを受けます。ある日のこと、ヨハネが語ろうと川岸に立つと、そこにイエス様がいました。ヨハネは「この方がメシア!だ」ヨハネは声が上ずり、体さえがたがた震えました。でも大声で、見よ。この方こそ、世の罪を取り去る神の小羊!と叫びました。イエス様もヨハネに近づき、ヨハネに洗礼を求めました。ヨハネは固辞しました。なぜならこの世に洗礼が必要でないのは、イエス様だけ。罪のない処女降誕の神の子だけです。その個所を聖書はこう記しています。マタイの福音書3:13-17 さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」この日から、イエス様の公生涯がスタート。30歳のときからです。いつら財産があり、豪華な邸宅に住んでいても、神と共に生きなければ、冷たい牢獄と同じです。不平不満、不満足、いらいらと焦り、ぶつぶつ文句を言い、人を裁きまくり、恐ろしい地獄です。いつも神に近づき、神に祈ってこそ、心は晴れ晴れです。心が晴れて笑顔でいることが、人生最高の幸せです。マルコの福音書 16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。へブル書10:22-23 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
2018/11/08
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らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。彼は、荒野で叫ぶ声として現れます。神はどこにいるのか。荒野は神のいるところ=ヨハネはそう信じていた。ヤコブは荒野のベテルで神と会いました=創世記28章モーセはシナイの荒野で岩だらけの山で十戒を授けられた=出エジプト記3章&20章 ヨハネは、ただひとり荒野に住み、ラクダの毛の衣をまとい、腰には皮の帯を締め、食べ物はいなごと野蜜だけ。父ザカリヤと母エリサベツから聞いたメシアのキリストが来ることを期待し、救い主到来の預言を信じました。その救い主がいつ来るのか、どこに現れるのかまた区分からない。ヨハネは、この救い主の出現を予告し、人々にか語りかけ、心の準備をさせようと語り始めました。人々が集まるヨルダン川のベタバラの岸で、預言しながら、きよらかな冷たい水で、洗礼=バプテスマを施します。私たちは、バプテスマのヨハネと呼びます。心をきよめ、魂をきよらかにして、救い主とともに新しい生活を始めようと叫びました。神を信じ、謙虚に罪を悔い、赦しを受けるとき、幸あふれる人生になります。きれいな心になってこそ、人格は磨かれるのです。そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『 主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。「先生。私たちはどうすればよいのでしょう。」ヨハネは彼らに言った。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」兵士たちも、彼に尋ねて言った。「私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。ルカ3:4-15
2018/11/07
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どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。 あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。 主よ。あなたは、ほむべき方。あなたのおきてを私に教えてください。 私は、このくちびるで、あなたの御口の決めたことをことごとく語り告げます。 私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。 私は、あなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めます。 私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。この個所を読み、知ったのは16歳の時。その日から聖書を読み続け、神のことばを心にたくわえ、77歳の今も聖書と共に生き、聖書の福音を伝え続けています。今日は、午後からABCスタジオへラジオ放送録音です。しっかり、十字架の愛の救いを語ります。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝です。
2018/11/06
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幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。まことに、彼らは不正を行なわず、主の道を歩む。あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。どうか、私の道を堅くしてください。あなたのおきてを守るように。そうすれば、私はあなたのすべての仰せを見ても恥じることがないでしょう。 あなたの義のさばきを学ぶとき、私は直ぐな心であなたに感謝します。私は、あなたのおきてを守ります。どうか私を、見捨てないでください。
2018/11/05
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詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
2018/11/05
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詩篇118篇 118:21-29 私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで
2018/11/04
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主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。彼らは蜂のように、私を取り囲んだ。しかし、彼らはいばらの火のように消された。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、主が私を助けられた。主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった。義の門よ。私のために開け。私はそこからはいり、主に感謝しよう。これこそ主の門。正しい者たちはこれよりはいる。詩篇118:10-20
2018/11/03
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すべての国々よ。主をほめたたえよ。すべての民よ。主をほめ歌え。 その恵みは、私たちに大きく、主のまことはとこしえに至る。ハレルヤ。詩篇117篇は聖書で最短章で、わずか2節だけです。最長章が119篇で176節あります。来週から紹介できます。
2018/11/02
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神にとって不可能なことは一つもありません。」マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」ヨセフに、、マリアが聖霊によって身重になったと告げた大天使ガブリエルは、ナザレの処女マリアにも現われます。御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。(ルカ1:28-34)歴史家はマリアは14歳だったとしています。男性経験がない処女が懐胎する、マリアは戸惑い恐れます。天使は、聖霊によって、生まれる子は男の子です。その名をイエスとつけなさい。神にとって不可能なことは一つもありません。マリアは、その御告げに、「本当に、私は主のはしためです。どうぞあなたのおことばどおりこの身になりますように」と、受けとめました。イエス様はこのマリアによって生まれ、今は12月25日に、世界中がその誕生を祝います。「結婚もしないのに身ごもっている」今も、昔も人のうわさと口はうるさいものです。しかし、もっとも驚いたのはマリアでしょう。でもマリアは素直に神を信じ、一つも疑いませんでした。マリアは大きくなっていく胎内の我が子が、聖霊によると信じ、愛して神を賛美しました。有名なマリア賛歌=1:46~54マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」アーメン。信じる心を持つ人は幸せです。ルカ1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。愛の神を体験して信じて生きる幸せな朝です。種子島で16歳のとき、アーメンと信じて77歳。今月でクリスチャンになって61年目です。人生には、何で?こんなことがと思うようなことが起こります。人生は???の連続のように思います。しかし、聖書の約束を知るとき、神のなさることはみなその時にかなって美しい。すべてのことに感謝です。そのとき!!!ビックリマーク連続の人生になり、笑顔が輝きます。迷ったり、間違ったりしたら、聖書に聞き、従いましょう。そして、いつも喜び、絶えず祈りすべてのことに感謝し、ありがとうと、主イエス様の御名を賛美できます。今年もクリスマスと年末まで、幸せと平安豊かな日々を祈ります。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2018/11/02
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私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。そのとき、私は主の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。私は、生ける者の地で、主の御前を歩き進もう。「私は大いに悩んだ。」と言ったときも、私は信じた。私はあわてて「すべての人は偽りを言う者だ。」と言った。主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう。私は、自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。主の聖徒たちの死は主の目に尊い。ああ、主よ。私はまことにあなたのしもべです。私は、あなたのしもべ、あなたのはしための子です。あなたは私のかせを解かれました。私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。私は自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。主の家の大庭で。エルサレムよ。あなたの真中で。ハレルヤ。
2018/11/01
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ヨセフはナザレの村里に住む大工で、近々結婚する婚約者マリアがいました。ところがまだ結婚しないうちに、マリアが身重になったのを知り、ヨセフは悲嘆のどん底です。聖書では、結婚しない姦淫は石打ちの刑と宣言しています。ヨセフはひそかに別離を考え、夜も苦悶に暮らしていました。ある夜のこと、彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。天使ガブリエルが告げました。ヨセフは眠りからさめ、ガブリエルの御告げに従いマリアを妻として迎え、イエス様は誕生しました。 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)マタイ1:22-23誕生の700年前に、イザヤの預言通りに成就しました。その誕生は隅発的ではなく、神の約束通り必然の誕生でした。イザヤ書7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 アダムとエバにエデンの園での約束の成就でした。約束=創世記 3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。成就=ガラテヤ書 4:4 しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。 信じる心を持つ人は幸せです。人生は疑う心からでは幸になれないようです。愛の神を体験して信じて生きる幸の朝です。種子島で16歳のとき、アーメンと信じて77歳。今月でクリスチャンになって61年目です。何で?こんなことがと思うようなことが起こります。人生は???の連続のように思います。しかし、聖書の約束を知るとき、神のなさることはみなその時にかなって美しい。すべてのことに感謝です。そのとき!!!ビックリマーク連続の人生になり、笑顔が輝きます。自分お知識や判断すると、過ちを犯したり、失敗したりで、にっちもさっちもいかなくなります。迷ったり、間違ったりしたら、聖書に聞き、従いましょう。そして、いつも喜び、絶えず祈りすべてのことに感謝し、ありがとうと、主イエス様の御名を賛美しましょう。
2018/11/01
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