inti-solのブログ

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2016.07.21
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カテゴリ: その他
大橋巨泉さん死去 テレビ司会者、82歳


69年、全編作り込んだコントで構成された画期的なバラエティー番組「巨泉×前武 ゲバゲバ90分!」で故前田武彦さんと司会を担当し、高視聴率を稼いだ。その後も、「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」など数々の人気番組に出演。競馬やゴルフなど幅広い趣味を仕事にも生かし、多才なマルチタレントとして活躍した。
90年に56歳で「セミリタイア」を宣言。レギュラー番組を降板し、夏はカナダ、冬はニュージーランドやオーストラリア、春と秋には日本の自宅で過ごし、ゴルフや釣り、ジャズ鑑賞を楽しんだ。海外で土産店「OKギフトショップ」を経営し、優雅な生活を記した「巨泉 人生の選択」はベストセラーになった。
2001年の参院選では民主党の比例代表で立候補、初当選したが、党との意見の違いから、半年後の02年に辞職した。
05年に胃がんがみつかり、13年には中咽頭がん。昨年11月、腸閉塞で入院。闘病生活の傍ら、「徹子の部屋」やラジオ番組などにゲスト出演し、週刊現代では16年7月9日号の最終回まで、休載を挟みながら連載コラムを続けた。(要旨)

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引用記事にある週刊現代のコラム最終号を読んでいたので、かなり厳しい状況だということは想像がつきました。
それにしても、時の進む速さを感じてしまいます。私が子どものころ、土曜の夜の「クイズダービー」は好きでしたね。それに、11PM、実は、ほとんど見たことはないのです。両親が居間でテレビを見ていて、11PMが始まると、わたしは起きだしていって、見ようとするのですが、「早く寝なさいっっっ」と叱られて、見せてもらえなかった。でも、時々ベットの中から音声だけ聞き耳を立てていたり(笑)。そういう家庭は多かったのではないでしょうか。何しろ、当時は子どもに見せたくない番組の代表例でしたから。

1990年に「セミリタイア」したときから、すでに26年も経過しているんですね。その後、大橋巨泉の名が大いに取り沙汰されたのは、2001年の参院選のときだったでしょうか。41万票とって民主党ではトップ当選でしたが、本人にとっては予想外に少ない票でショックを受けた、というようなことを、後にどこかで語っていたのを読んだ記憶があります。そのこともあって、政界で長く活動しようという意思は、当選後早いうちに消えていたのかもしれません。ただ、これに関しては、選挙に勝った以上は、任期の間はがんばってほしかったという気はしますけど。

でも、いわゆる「軟派」の代表例みたいな人でありながら、実は、その芯は硬派であることを知ったのは、このころになってからでした。
紹介されている、週刊現代16年7月9日号は、ちょうど参院選の直前に発行されたものですが、コラムの一番最後で、彼は

書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです

と書いています。この連載自体、4月から休載になっていたのは、とても原稿を書けるような体調ではなかったからですが、その彼が参院選の直前、最後の力を振り絞って(実際には奥さんの力なども借りて)書いたのがこの最終回、ということです。
まことに残念ながら、今回は大橋巨泉の最後のお願いは実現しなかったけれど、いつかきっとその「遺言」が実現する日が来ることを祈りたいと思います。





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最終更新日  2016.07.21 21:56:36
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