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夕方5時頃、彼女からメールが来た。新千歳空港に着いて、これから飛行機に乗るという。そうか、いよいよだな。6時過ぎ、仕事を切り上げて外に出た。何となく小腹が減ったから近くのソバ屋で天ぷらソバをすする。 夕方ラッシュで混み始めた駅、反対側の空いてる電車に乗ってまずは品川駅まで。品川から京急に乗り換えて羽田空港へ向かった。京急蒲田を過ぎると、電車はガラガラに空いている。これから羽田空港へ行く人は稀なようで、旅行鞄も持たずに手ぶらで乗っているのは、さらに不審者かもしれない。なぜ手ぶらかって、それは彼女のカバンを持つためだ。 8時半、人影もまばらになった空港ロビーで彼女と待ち合わせたが、あまりの広さに早速迷った。メールでお互いどの辺にいるとかのヤリトリを経て、ようやく合流。あなたもしかして痩せた?(反対でなくて良かった) 誰もいない空港ロビーを出ようとすると、なんかおいしそうなロールケーキを売ってる店があるので、それを買ってしまう。売り子さんは、頭からこれから飛行機に乗ると思ってるらしく、「行ってらっしゃいませ!」と言った。んー、これから向かうのは、パリでもロンドンでもない。イタチが出没するほどのバリバリ多摩地方なんだけど、リムジンバスで行けるというのはせめての意地というか、さすが東京だけのことがあると言えようか。 さて、リムジンバスに乗って夜の首都高を旅する。はっきり言ってリムジンバスに乗るのは拙者も初めてだ。湾岸線を経て都心環状線を走っているらしく、東京タワーのライトアップが見えて彼女が喜んでいた。 高層ビルの合間を抜けて、首都高から中央道に入って、「道路より高い建物もほとんど見えなくなり」さらに西へ進むと「街の明かりもセブンイレブンぐらい」 かつて八王子千人同心が闊歩したと伝えられる村々が見えて来たぞよ。バスを降りて鬱蒼とした木々の間を足早に歩いた。いつも砂利道のところが近道だったが、さすがに今日は舗装された方を歩いた(笑)。札幌に居た時分の方が都会暮らしだったね。地下鉄から徒歩数分だったもんなぁ。 アパートに着いて、早速あのロールケーキを食べた。ここで「ドイツ・サロンオーケストラ傑作集」のCDをかける。1曲目の「♪Das gibt's nur einmal」は、映画「風立ちぬ」で、主人公の二郎さんが軽井沢のホテルで出会った謎のドイツ人と共に歌うシーンが印象的だった。札幌シネマフロンティアで二人で見に行ったっけ。忘れがたい思い出だ。二郎さんが菜穂子様のお父様に「交際を認めたください」と棒読み口調で言うところがキモで、この場面でもここまで棒読みかい?って内心おかしかったけど、自分が同じことを言う時になって、実はあの二郎さんの場面が脳裏にあったんだよなあ。【続く・・・】
2015.03.31
大阪市役所から戸籍謄本が届いた。用紙に大阪市公会堂の図柄が印刷されていて、何だか洒落たことするじゃないのと感心したりする。 また先週も、いつものような一週間が始まった。暗くなるまで仕事をし、帰りの電車に乗る前にトンカツ定食か、クイックガストか、ソバ定食を食べる。部屋に戻って、風呂に入って洗濯をし、そして6畳間に布団を敷いて寝る。 札幌に居る彼女からメールが来ていた。年度末の面談で、退職の旨を伝えたという。そうか、いよいよだな。捨てていくモノの選別を始めたら、昔読んだマンガが出て来てついつい読み続けて日が暮れたとのこと。拙者もよくそれをやった。そして捨てようか悩むのだ。 出発は3月31日・・・着くのは夜遅くなるという。役場では結婚届だけは遅くても受け付けるらしいが、キリのいい4月1日でいいだろう。 職場の上司のところへ行って、「ちょっといいですか」と別室へ促した。そして来週結婚します、旨を伝える。そして4月1日は休暇を取る旨も伝えておく。 その日の夕方、仕事が一区切りついたところで、島のみんなに「唐突だけど来週結婚します」旨を伝えた。誰にも言っていないことなので、みんな目が点になっている。しかも相手が北海道人だということも言ったら、みんな雪像のように固まっている。 やっぱり籍を入れてからサプライズ発表すべきだったか、やっぱり今くらいのタイミングで良かったのか、いきなり悩み始めた。悩み始めたら止まらなくなり、それから全く頭が真っ白になった。 明らかにおかしくなり始めたのはその翌日から。やっぱり籍入れてから言うべきだったか。もしこの後「まさか」が起きたらどうするんだ?いや、メールを見ただろう。もうあっちは退職を決めていると・・・。 食欲がない。食べても味を感じない。周囲の出来事に関心が急になくなった。 週末、気晴らしに都心へ出た。おっくうな気持ちだったが、これじゃ駄目だ!と自分に言い聞かせて歩かされているような気分だ。渋谷の雑踏へ出た。明治通り近くの「アンペルマンショップ」で、財布を買い換えることにする。何となく落ち着いて来た(なんでやねん)。そして、帰りに島忠へ寄った。6畳間のレースのカーテンが、札幌時代のままであることに気付き、もっと目の細かいミラーレースに買い換える。さらに落ち着いて来た。 やれやれと6畳間に寝転んでいると、急に拙者のガラケーが鳴った。彼女からだ・・・! あわてて「ガラケー」を掴むと、向こうは「相手が出た!」ことに驚いていた。いつも電源が入っていなくて出たためしがないから、びっくりしたというのだ。 俺は何をやってたんだろうと思う。札幌時代、お互い忙しかったし、悪いから、電話をかけることはほぼ無かった。週末何時ころ会うかなんてメールすればいいし、会った時に一週間分話しておけばいいと思っていた。俺はただ不器用で、ほんまに恐ろしく不器用なだけだったなぁ。そう?予定どおり?・・・だそうです。
2015.03.29
苦労して北海道は余市にウイスキー工場を建てたものの、出来た商品がさっぱり売れない。終了!となりかけたところに現れたのは、イケメンの海軍士官。余った在庫を全部買っちゃおう!ということになり、マッサンの会社は窮地を脱する。 神風も妙な方向へ吹いたものだ。日本海軍が好んでウイスキーを欲しがったのは、彼らが英海軍を手本に今日までやってきたんで、お酒の嗜み方も英国風になってしまったから。そのイギリスと今から戦争しようというのだから、歴史は皮肉なもんである。 それでマッサンの会社も救われた。日本人が日々の食糧確保も困難となる中、小麦粉を優先的に割り当てられ、せっせとウイスキー作りに励むマッサン。本物のマッサンは、戦争でウイスキーが国産の独占になることを、ちゃっかり計算に入れてたらしいが、ドラマでは神風に煽られて右往左往するだけとは、NHK的な都合のいい描き方だ。 脚色だと思うが、特高警察に連行されるエリーを、あのイケメン海軍士官が救うシーンは印象的だった。拙者は、映画「鷲は舞い降りた」で、主人公のドイツ空軍降下部隊シュタイナー中佐が、ナチ親衛隊に追われるユダヤ少女を救おうとするシーンと重ね合わせた。戦後ドイツに蔓延した、国防軍潔白神話(あらゆる残虐行為はナチの性で、軍部は関係ありません的な論調)を象徴する場面だが、あの海軍士官の場面も、海軍善玉→陸軍悪玉 という、戦後の歪んだ史観の残照では無かったか。 陸軍も海軍も、揃って連合軍に完敗した訳だが、それでも海軍だけが戦後もいい印象を保ち続けたのは何故だろう。ある人は、海軍士官の高待遇(=食事は旨いしウイスキーもあるし)を経験した若いエリート達が、戦後社会の中枢を担う過程で「当時の悪くない印象」を伝えたのが広まり、一般論になってしまった、と指摘する。食べ物の影響は恐ろしい。
2015.03.07
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